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元記事:許されるパクリと許されないパクリの違い

異世界転移(転生)ものの異世界ってドラクエみたいな「中世ヨーロッパ風の剣と魔法の世界」が多いですけど、そういうのがいちいち「ドラクエのパクリだ」って言われないのは、「誰も彼もが真似してるからOK。もうフリー素材みたいなもの」ってことですか?
FF7・8・15みたいな「(少なくとも一部は)現代風の異世界」とでも言うべき独特の世界観は誰も真似してないから、もし真似したら「パクリだ」って言われますか?

上記の回答(許されるパクリと許されないパクリの違いの返信)

投稿者 手塚満 : 2 投稿日時:

パクリってそういう話じゃないです。以下、少し説明してみます。、

1.ドラクエは「中世ヨーロッパ風の剣と魔法の世界」の祖ではない

そのドラクエ(1986年)ってパクりじゃないのか、ということがあります。その前に、ドラクエを追うように出たFF(1987年)があり、やはり「中世ヨーロッパ風の剣と魔法の世界」です。FFがパクリ扱いされることはありませんでした。

ドラクエに戻りまして、ドラクエより先に「中世ヨーロッパ風の剣と魔法の世界」の「ウィザードリィ」(1981年)がありました。ファミコン進出はドラクエより後ですけど、PC用としてはドラクエより先です。しかしドラクエがパクリ呼ばわりされることはありませんでした。

2.ドラクエよりまえにテーブルトークRPGあり

その前があったからですね。デジタルのコンピュータRPGがあるのは、アナログのテーブルトークRPGがあるから(複数人でプレイするもの)。1970年代から「中世ヨーロッパ風の剣と魔法の世界」はプレイされてました。大雑把な言い方ですが、それを1人でも遊べるようにしたのがウィザードリィなどのコンピュータRPGであるわけです。

3.その前にトールキンの「指輪物語」あり

では、「中世ヨーロッパ風の剣と魔法の世界」初出をテーブルトークRPGに求めればいいのかというと、そうでもないです。ファンタジー創作では超有名な小説「指輪物語/ロード・オブ・ザ・リング」(J・R・R・トールキン著)がありますから。シリーズとして完成したのは1954~1955年です。

「指輪物語」は長く描き続けられたシリーズで、最初の話は1937年に書かれてます。さらに遡れば、トールキンが「中世ヨーロッパ風の剣と魔法の世界」を設定づくり含めて、やり始めたのは1917年ごろとされています。100年以上前ですね。1950年代には、今よくある「中世ヨーロッパ風の剣と魔法の世界」をほぼ完成させたといっていいほどの出来栄え、設定の膨大さだったりします。

3.その前に古代からの神話・伝承あり

では、「中世ヨーロッパ風の剣と魔法の世界」系作品はトールキンのパクリかというと、特にそんなことは言われてない。偉大な祖、みたいな尊敬はされたりしますが、後発作品を貶すために引き合いに出されることは極めて少ない。

だって、「指輪物語」より以前に「中世ヨーロッパ風の剣と魔法の世界」は、例えば「アーサー王伝説/アーサー王物語」があったりするんですから(伝承風ながらフィクション性が高い)。まとまった形になったのは12世紀です。時代的、地域的にモロに中世ヨーロッパです。アーサー王は5世紀ごろの人物とされてはいるものの、アーサー王物語初出の当時としたら、ほぼ現代劇みたいな感覚でしょうね。

ヨーロッパ中世における「中世ヨーロッパ風の剣と魔法の世界」がオリジナルなのかというと、そうでもない。例えば古代ギリシア神話とかあるわけですから。神、魔、怪物、魔法の類がふんだんにあります。今でも題材として人気ですよね。北欧神話なども同様です。

4.現代作品は古代からの元ネタをアレンジしている

現代の「中世ヨーロッパ風の剣と魔法の世界」ファンタジーの祖のトールキンとて、全てがオリジナルなわけではないです。神話、伝承などを題材に設定づくりしているのは間違いありません。トールキンの功績は、(変な言い方ですが)古代からの「中世ヨーロッパ風の剣と魔法の世界」伝承を、分類し、整理したことが8割でしょう。

要は、現代の「中世ヨーロッパ風の剣と魔法の世界」創作物は古代(というより有史以前)から世界中に発生してきた神話・伝承の類が元ネタなんですよ。創作者の腕前は、それをどう整理し、アレンジするかにあります。そしてちょっぴりオリジナルを加える。

元ネタが「誰も彼もが真似してるからOK。もうフリー素材みたいなもの」という面はありますが、ドラクエが初出のように思うなら、勘違いされてます。パクリか否かを考えるうえで、非常に危ういといえます。

5.パクリについて:面白ければOK

でも、パクリか否かって、割と単純な面があります。文章作品なら他の文章作品から表現まで含めてコピーするが如きならパクリ扱いなのは間違いありません。盗作扱いされるレベルでしょう。さすがにそういうひどいやり口はお考えではないと思います。

作者が考えたけれど、他に似ている作品がある気がする。そういう場合でしょうか。そうだとしてまして、大雑把に申せば以下のようになります。

・許されないパクリ:似ている先行作品があって、当該作品がつまらない。
・許されるパクリ:似ている先行作品があって、当該作品が面白い。

後者は「オマージュ」とか言われることがあります。もちろん誉め言葉です。

カテゴリー : その他 スレッド: 許されるパクリと許されないパクリの違い

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元記事:実績が無いうちはあまりストーリーのスケールを広げないほうが良いのでしょうか?

まず始めに、私が現在執筆している(もうすぐ完成間近の)小説のジャンルがダークSFアクションファンタジーと勝手に分類しておりますが、内容が全体的に暗くて大人向けで決してライトノベルと呼ぶに相応しい作品ではないため、この場をお借りして質問をするべきかどうか散々悩みました。しかし、他に思い当たるサイトが見つからなかったため、場違いを承知で質問させていただくことをお許しください。

長文失礼します。
小説を書いて6年目になりますが、書き上げた作品は1作しかなく(しかもボツ)、現在2作目を執筆している状態です。その上で、ろくに実績が無いうちにストーリーのスケールを無駄に広げるのはアウトなのでしょうか?

真に僭越ながら私の執筆中の作品を紹介させていただきますと、ダークナイトとエヴァンゲリオンとAKIRAとミッションインポッシブルとジャンプ要素を混ぜ合わせて作った感じの物語です。

ストーリーとしては、
超能力に目覚めた青年たちが様々な葛藤を抱えながらお互いの存亡をかけて闘う。その裏で進められる恐るべき計画。状況を引っ掻き回して暗躍する真の敵の存在。人類繁栄の秘密と地球外生命体との関係そして超能力の謎。話が進むに連れてこれらの謎が次第に明かされて最終決戦に集約されるという中二病全開の内容になります。

ダークナイト要素→全体的にダークで狂気に満ちている。児童虐待、モンスターペアレント、いじめ、スクールカースト
エヴァンゲリオン要素→自分の殻に閉じこもりがちで小心者の主人公
AKIRA要素→超能力者同士の闘い。幼馴染の闇落ちと暴走。カオスな展開の連続。ディストピアへの加速
ミッションインポッシブル要素→核爆弾。秘密の組織の存在。チームを組んでミッションに挑む
ジャンプ要素→いくつものバトルがそれぞれ違う場所で同時に展開する。修行を経て葛藤や悩みを解決し、挫折と苦しみを乗り越えて敵に打ち克つ。最大のカタルシス

このように、殆どの要素が映画から抽出して作り上げたような具合ですね。その他にも「ジョーカー」とか「キャリー」も参考にしましたし、小説だと「暗黒女子」や「日本核武装」の要素も取り入れています。

ただ、これらの要素を掛け合わせて作っただけではありきたりでオリジナリティに欠けるだろうと気付き、
「人類が生まれて間もない頃に超能力が使える地球外生命体がやってきた」「核爆弾を巡る争奪戦」というありそうで無かった二つの設定を加えることにしました。

勿論意図せずただ取り入れたわけではありません。前者については、「人類がどうやって超能力を手にするようになったのか」という疑問を解決するために思いつきました。後者については、物語に緊迫感を出したかったのと、「夏祭りの最後を締めくくる豪快な4尺玉花火」のようなイメージを抱いていたので、終盤の盛り上がりに持って来いだろうと考えたからです。

更に、ご都合主義の展開にならないように設定とかキャラクターといった細かい部分までみっちり練ってから執筆に当たりました。また、SFと称しているからには専門的な用語を使わないといけないシーンがあるため、「サピエンス全史」や「科学雑誌ニュートン」といった参考資料や関連サイトを調べて書いたり、キャラクターの心情とかを描いているうちに45万を超える文字数になってしまったって感じです。字数制限のためこちらのサイトに投稿できないのがとても残念ですが。

料理に例えるなら、「カレーをレシピ通りに作るなんてつまらん!」と息巻いて、独断と偏見で合いそうな食材をどんどん投入していったらよく分からないカレーが出来上がっちゃったみたいな印象を受けますよね。いかんせん味がよくわかんないし、量が多すぎて消化しきれないし。

やっぱり、まだ指で数えるほどの作品しか書けていない私みたいなこんな壮大なスケールの物語を作るなんて無謀なのでしょうか?

辛辣なご意見をお待ちしております。
また、欠点や改善点、おすすめの参考資料などがあればコメントしていただけるとありがたいです。

長文失礼しました。

上記の回答(実績が無いうちはあまりストーリーのスケールを広げないほうが良いのでしょうか?の返信)

投稿者 手塚満 : 1 投稿日時:

前のご質問も参考にしてみてですが、おそらく盛る一方になって削れない、という現象だと思います。何か思いついたら書いてしまう、由来とか気になったら説明しようとしてしまう。しかし物語に本当に必要かどうかの見極めは甘い。

と言うと、とてもひどい書き手のように思えてしまいますが、自分も含めて8割がたの作家志望者はやってしまうことではないかと思います。他人がそのように書いたものなら「つまらない」「無駄が多い」と判断できるのに、自分が書いたものだと「面白い」「必要」と思えてしまう。

これはサンクコストを惜しむことでもあるし、イケア効果(自分のやったことに高い価値を感じてしまう現象)でもあります。

前のご質問では、

> 「この設定使えそうだな」「この台詞使えそうだな」とあれこれ考えて取り入れて

と仰ってますね。思いついたら書いてしまうわけですが、長くなっても削ることについては何も仰ってない。長く書く癖を制御して、練習用の短編を書くにはどうしたらいいかとお悩みで質問されたにもかかわらず、です。

思いついて作品に盛り込んで面白くなるかは、普段の会話で判断がつくでしょう。思い付きで書いて全部面白いものであるなら、普段の会話でも相手は夢中になって聞くでしょうし、人も集まるようになります。

もしそうなっている、ということなら、今のやり方でやればいいでしょう。しかし、そうなってないということなら、よく考える必要があります。

大雑把に申して、百個考えたことのうち、使える(≒読者が読んでもいいと価値を認めてくれる)のはたった一つくらいなものなんです。言い換えれば、考えたことの99%を削るようでないと、赤の他人(≒たいていの読者)が読めるものにはなりません。最高の1%だけ残し、物語の説明上、どうしても必要な、しかしつまらない説明を少し入れるのが限界なんです。

お書きの作品についてのご説明も、少しあからさまに申せば、ゴタゴタしててさっぱり分かりません。「誰が、どこで、何をする話か」という基本事項がノイズに埋もれてしまっています。スレ主さんが作品について知って欲しい、悩みを分かって欲しいと思って説明していて、こうなってしまうなら、作品のほうは推して知るべしとなります。

だから、もうベテランと言っていいほどの6年にも渡る執筆経験がありながら、現在は2作目を仕上げていく途上という、超スローテンポなのではないかと危惧します。ゴテゴテ盛った45万字超なんて、おそらく読もうとする赤の他人はいないに等しいでしょう。
(他所でいきなり大長編書いて晒して、相手にされない作者って割といる。このサイトにもそういう問題で相談に来た人が、覚えている限りでは2人はいた。)

まず執筆中の作品を1/100まで削り込むべきでしょう。そんなに削れない(せいぜい半分までとか)、と感じるなら、赤の他人に読んでもらえる作者たることは諦めるしかなさそうです。

きついようですが、言葉を変えて繰り返します。作者の自己満足に共感してくれる読者はいないと割り切るべきです。作者が書いている最中に面白い部分は、たいていは読者が読んでいて退屈する部分になります。最高に面白い1%は、どう書いていいか苦しむくらいのものである、書いてみて不安になるものである、と腹をくくったほうがいいでしょう。
(書いている最中は自信満々であれ、というアドバイスがあるんですが、面白いものが書けるときは不安になりがちだから、ということも意識したものでしょう。)

カテゴリー : ストーリー スレッド: 実績が無いうちはあまりストーリーのスケールを広げないほうが良いのでしょうか?

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元記事:主人公はどっちでしょうか?

質問です。

例えば、1人の先生と1人の生徒の小説で、先生は色んなことができます。主人公みたいに色々できます。生徒はどんどん成長してやがてTOPになります。
↑例です。

生徒と先生、どちらが主人公でしょうか?

上記の回答(主人公はどっちでしょうか?の返信)

投稿者 手塚満 : 0 投稿日時:

設定で主人公が決まるわけじゃないです。こういうタイプだから主人公になる、みたいなことはない。

さらに申せば、視点主人公が行動上の主人公を語る(特に一人称)、といった実質的な主人公が複数のケースもあります(シャーロック・ホームズシリーズ、慎重勇者等)。生徒が先生を語る物語(あるいはその逆)ということもあり得るわけです。

作者の狙い・構想に反して、主人公ではなかったはずのキャラが最大の印象を残してしまい、読み終えると実質的な主人公になってしまうケースもあります。

例えばですが、主人公を清く正しく美しく描きすぎて、描写量も少なく、お人形さんみたいになってします。その主人公を不幸にする悪役は、最後に勧善懲悪でひどい目に遭わせていいよう、これでもかというほど悪事を詳細に描く。その悪事をする動機に説得性を持たせようと、出自や経緯もたっぷり描写してしまう。

結果、悪役に感情移入が起こってしまう。主人公はお人形さんみたいだし、あまりキャラが立つエピソードが語られていない(作者は設定でキャラが立ったと思っている)。悪役は動機も目的もよく分かり、エピソードで語られる出自、経歴も詳しく分かる。だから悪役に感情移入が起こってしまうわけですが、最大の要因は描写量の差でしょう。

主人公は誰にするのがいいか、どういう描写で主人公判定されるかといったことはいろいろ要因があります。上述の具体例に限りません。

ただ、スレ主さんのご質問は短いながらも、スレ主さんがどうしそうか、したいのかは垣間見えているかもしれません。登場人物2人について、以下のようにお書きなわけですね。

> 先生は色んなことができます。主人公みたいに色々できます。
> 生徒はどんどん成長してやがてTOPになります。

先生についての説明のほうが生徒より長い。かつ、「主人公みたいに」と主人公を意識した説明になっている。単純に考えると、主人公にしたいのは先生のほうでしょうか。

ただ、生徒のほうは物語性(成長もの)を加味した、先生よりは具体的な説明になっている点も無視はできないですね。成長して昇り詰める、という点ですね。

しかし、おそらく生徒は半人前でスタートとなるんでしょう。序盤でやれることが少ないから、中盤まで目を引くエピソードが作りにくい。一方、先生のほうできることが多いので、序盤から派手な活躍をさせやすい。

もしそうならですが、前半は先生が生徒をサポートしつつ成長させ、生徒ができることが増える中盤からは生徒主体で話が進む、というパターンにしておけばいいかもしれません。師匠が弟子に免許皆伝を認める物語、みたいな感じになります。その場合、視点主人公は最初から最後まで生徒にしておくのがやりやすいでしょう。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 主人公はどっちでしょうか?

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元記事:男性向けラブコメにおけるヒロイン視点の割合と役割について

今、男性向けラブコメプロットを作っているんですが、ヒロインの視点を多めに入れることについて、どうしようとなってしまったので、スレを立てさせていただきました。

形としては、
「主人公の一人称で進み、大きなイベントが終了するごとに、ヒロイン視点が入って主人公を褒める、好意を抱く」
みたいな流れです。
両片思い状態、いろいろあった後、最後は主人公から気持ちを告げ、ヒロインがそれを受け入れて終わりとなります。

視点の割合は主人公8割、ヒロイン2割で、主人公の行動を見るヒロインの気持ちの流れも書きたかったため、その視点と感情描写が多めになっています。

迷っている点として、中盤から終盤にかけ、ヒロインが自身の視点で主体的に動き、そのエピソードを経て自分の気持ちを再確認するという部分があることです。
それをやると割合が主人公7割、ヒロイン3割くらいになってしまう上、
「主人公視点の物語なのに、ヒロインが主体的に動くエピソードがあるのはおかしくない?」
と思いました。

なので考えられる方法として、

プロット1 
あくまで視点は主人公に固定し、決まったシーン以外、ヒロインの気持ちは見えないようにする。
そして最後に、「実は私も……」のようなカタルシスを生む展開にさせる。
主人公視点8割、ヒロイン1~2割ていど。

プロット2
主人公の言動に合わせて、ヒロインの心の揺れ動きも描写する。
視点の変更をすることで関係性の変化や掘り下げをし、最後の盛り上がりへ繋げる。
主人公視点7割、ヒロイン3割ていど。

のどちらかかなと思います。

やってみたいのは二番目のプロットで、ヒロイン視点のある男性向けラブコメも好きなんですが、テンプレから離れたことをやるのに怖さもあるため、質問させていただきました。

個人的には、視点がヒロインへ移っても最終的に、「主人公(読者の方)」が美味しい思いをするという展開を変えなければ、ヒロイン視点のエピソードを挟んでも問題ないとは思っていますが、勢いで書いてから、「うわぁ……」ってなりそうだったので……。

長くなりましたが、どちらのプロットがいいか、男性向けラブコメにおいてヒロイン視点の有無や効果など、ご意見などありましたら、よろしくお願いいたします。

上記の回答(男性向けラブコメにおけるヒロイン視点の割合と役割についての返信)

投稿者 手塚満 : 0 投稿日時:

どうお伝えするか考えあぐねているうちに、タイミングを逸してしまいまして。もう良回答多数で答えは出ていると思いますので、感想程度の短いコメントをしてみます。

ご質問を拝読して思ったのは「ヒロイン視点はゼロのほうがいい可能性がある」ということです。1~2割に抑えようと思われ、しかし3割程度欲しいともお考えになった。ということは、ヒロイン視点で語る内容を読者に印象付けたい、ということになりそうです。

もしそうならですが、読者に言わずに悟らせる戦術が適しそうです。ヒロイン(実は作者)が直接的に語ると、読者としては本当にそうか、疑う気持ちが起こります。しかし、ヒロインが直接は語らず、間接的なほのめかし程度で終始すると、読者「ヒロインの気持ちはこういうことだろう」と察します。

自分で察したことは信じやすいものです(イケア効果、確証バイアス等の理由がある)。その分、感動も深くなります。作品テーマは劇中で語るな、というコツがありますが、それと同じです。大事なことは言わずに、読者に察してもらうほうがお得で、やりやすくもあるんじゃないかと思いました。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 男性向けラブコメにおけるヒロイン視点の割合と役割について

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元記事:地の文が説明的になりやすい

どうもこんにちは。
ちょっと最近スレッドを立てる頻度が増加していますが、今回はいつも以上に急務な相談なので許してください。

題名通り私の作品は地の文が説明的になりやすい傾向にあるようで、鍛錬室の感想でよくそのような苦言を頂いています。
ちなみに初めにそれを受けたのは一年前なのですが、どうやら最近になってもまだ改善していないようです。
むしろ最近は締め切りを急いで執筆した短編小説が増えているので、急ぎすぎるクセがついてしまい前より悪化したのではないか、と自分でも思っています(汗)

例文として、最近最後まで書きあげた長編の第1話から引用するのですが、三人称で書くとこんな感じになります。

――そんな日常が紡がれる中、彼らの平和を壊す者が現れた。
「ヒャッハー!」
 存分に踏み込み拳を放つ男。応戦した戦士を捉え、一撃で吹き飛ばす。
 起き上がらない戦士。間違いなく即死だった。
「ヒッヒエエー!? 父ちゃん、しっかりしてよぉ!!」
 悲しいことにもその声は父に届かない。今ので戦士は全滅。もう彼らに戦うすべは残されていなかった。
「ウワッ!?」
 父に寄りそう男の子を乱暴につかみ上げ、振りかざす侵略者。彼は外海から来た冒険者である。目的は不明だがたった一人でゴブリンの村を強襲。十人以上の戦士が一人残らず惨殺された。
「オラオラッ! このガキを助けたければ水と食料を全て俺様に差し出せぇ!!」
 声を張り上げ嘲笑する男。その様はか弱きゴブリン達よりもよっぽど恐ろしい魔物そのものだ。
「やめるんじゃ! お前さんの気が済むのならわしが代わりになる! だから、だからその子を放しておくれぇ! 未来のある幼子なのじゃぁ!!」
 村長の必死の懇願。しかし男は耳を貸さなかった。
「うるせえ! そういう指図は俺様の欲しいものをよこしてからにしやがれ! 見てろ!!」
 宣言した途端、男は子供を地面に投げつける。顔と胴に凄まじい衝撃を浴びせられ、骨の砕ける音と共に血の飛沫と砂煙が舞う。
「ああ!? なんということを!?」
「これは俺様に指図した見せしめだ! 死ね!!」
 さらに背中への踏みつけ。地面が軽く割れる程凄まじい蹴りにより、子供は胴と腰を分断され死んでしまう。その亡骸は父以上に無惨なものであった。
「キャアァー!?」
 逃げ惑う女性達。皆がそれぞれの我が子を連れて。村を放棄してでも逃げるしかない。それだけが生き残るための唯一の方法であった。
 一方村長は一人、その場を動かずにいた。老い先の短い己が囮になって、少しでも子供達が逃げるための時間を作るために。
「ヒャッハハハー! 臆病すぎだテメーら!!」
 下品に笑う男。彼にとってこれはまさしく最高に愉快な光景なのだろう。

――引用終わり

この作品は約三年ぶりに三人称だけで書いた長編なので、かなりブランクが出ていることを自覚しています。
説明的な文章にならないよう意識的に執筆できる方法を教えてほしいです。

上記の回答(地の文が説明的になりやすいの返信)

投稿者 手塚満 : 3 人気回答! 投稿日時:

仮にその文章に「説明的」という感想が寄せられたんだとします。おそらく婉曲的に言ってるんでしょう。「読み取ってシーンを思い浮かべるのに苦労します」みたいな不満を、ですね。

これが冒頭からだとすると、一読しても分からないんですよ。のっけから「――そんな日常が紡がれる中」とある。まるでレポートの書き出しが「上で述べたように」になってるが如くです(「上って、どこ?」みたいになる)。

よく分からない状況に「平和を壊す者」が出て、いきなり戦士が出て、その子供が出てくる。しかも、まず誰かが侵入者に応戦したのかと思ったら、もう戦士が全員やられたことになってる。

飛ばしすぎなんですけど、突然だらける。設定説明入っちゃってるんですね。

> 彼は外海から来た冒険者である。目的は不明だがたった一人でゴブリンの村を強襲。十人以上の戦士が一人残らず惨殺された。

どうでもいいことでしょう、劇的らしいアクションの最中としては。そこを省くとこうなるわけです。

> 「ウワッ!?」
>  父に寄りそう男の子を乱暴につかみ上げ、振りかざす侵略者。
> 「オラオラッ! このガキを助けたければ水と食料を全て俺様に差し出せぇ!!」
>  声を張り上げ嘲笑する男。その様はゴブリン達よりもよっぽど恐ろしい魔物そのものだ。
(「か弱き」は、ここでは省いたほうがいい。)

そして、また新キャラ出てきて村長ですね。戦士全滅するまで、村長は何してたんですか? 子供もそうですね。戦士全滅するような戦闘中(その最後ですが)に、なぜ子供がその場にいたりするのか。不意の侵入者とかだったら分かるんだけど。そういう疑問が生じて、状況が非常に想像しにくい。

その子供が殺されると、なぜかようやく女性たちが悲鳴をあげて逃げまどい始めてます。なんでしょうか、この状況は。村人みんな、この事態(シーン)に至るまで、何してたんですか? 観客気分で眺めてた、なんてあり得ないですよね。読者としてはつじつま合わせに考え込まざるを得ず、苦労します。

なぜそうなってるか。作者が進めたいストーリー/シーンに合わせて、各キャラが待機していたと言うしかありません。そういうのは「操り人形」と呼ばれるものの一種です。ある特定の、きちんと描写されたキャラなら、まだそういうやり方もできる。

ですが、不特定多数は駄目です。さらに申せば、このシーンで直接は描かれていないが、いるはずのキャラはもっと駄目です(例えば、この後出てくる女性たち)。不特定多数がどう動くかは、作者が選ぶことはできません。

不特定多数がどうするか、その中からどれくらいの割合で、どうする人が出てくるか。これは「いかにも、そうなりそう」が優先で、「こうするためには、こうしておきたい」は控えねばなりません。特に描かれていないキャラはそうです。読者が想像するんだから、作者の制御外なのは当然です。

作者の描写があれこれ恣意的で、読者は「作者が何を見せたいのか」を考えないと分からない。そういうのはしばしば「説明的」と言われます。説明って、理解しようとしないと分からないのが通例ですからね。小説の文章が、すらすら読めてぱっぱと分かるべき、言い換えれば、考えずとも情景が浮かんで引き込まるのと対照的です。簡潔に申せば、説明を読むには能動的、小説を読むのは受動的、ということです。

もう一つの要因は、主観と客観ですね。作者がキャラを外から見たままを書いてあるように見えます。登場するキャラの感情とかは臨場感がない(これも操り人形の印象になる要因の1つでもある)。作者がキャラの内面を想像していないかのようです。

ある意味、脚本的であるとも言えます。脚本に沿ってどう演じるかは、演出家に任されるわけですが、読者が演出家にさせられるのはマズい。どう感動するか、読者が考えろってことになってしまいますから。

こういう書きようは簡潔にしようとした結果でしょうか。しかし上述のように不要なものが入っちゃったりしてるわけですよね。他にもありますよ。細かい部分になりますが、例えば以下。

> 「やめるんじゃ! お前さんの気が済むのならわしが代わりになる! だから、だからその子を放しておくれぇ! 未来のある幼子なのじゃぁ!!」
>  村長の必死の懇願。しかし男は耳を貸さなかった。
> 「うるせえ! そういう指図は俺様の欲しいものをよこしてからにしやがれ! 見てろ!!」
>  宣言した途端、男は子供を地面に投げつける。

台詞自体の無駄は置いといて、台詞間の地の文。「村長の必死の懇願」は台詞からもう分かってます。「しかし男は耳を貸さなかった」も続く台詞で分かることです。「宣言した途端」も、男がすぐアクションに移っているので要りません。

そういうものは無駄に読まされる文書であるわけです。単に省いてみましょう。

> 「やめるんじゃ! お前さんの気が済むのならわしが代わりになる! だから、だからその子を放しておくれぇ! 未来のある幼子なのじゃぁ!!」
> 「うるせえ! そういう指図は俺様の欲しいものをよこしてからにしやがれ! 見てろ!!」
>  男は子供を地面に投げつける。

少し台詞も端折ってみましょう。

> 「やめるんじゃ! わしが代わりになる! だから、だから――」
> 「うるせえ!」
>  男は子供を地面に投げつける。

まとめますと、過不足がいろいろはなはだしく、示される物事の順序もどうもおかしい。そういう難点がお示しの文章全体にあります。思ったことをそのまま書いたりすると、そういう感じになりやすいです。

シーンの状況は自然になってるか。読者に伝えるべき情報は何か。どういう順序で伝えたらいいか。そういう基本中の基本を押さえるべきだと思います。説明的でないように、とかいきなり考えても、まず間違いなくどうにもなりません。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 地の文が説明的になりやすい

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元記事:現在書いている物語の概要と主人公についての批評を下さい

 連投すみません。オミクロンです。前回の質問でご指摘いただいた部分は鋭意見直し中です。

 さて、今回は前回よりもう少し踏み込んで、全体のストーリーと主人公の大まかな言動についてまとめました。少々長くなりますが、それに関する批評をお願いいたします。

ジャンル:異世界転移、精神成長もの、チート要素あり

【起】
 日本で高校2年生だった主人公は、落ちこぼれの烙印を押されていた。本人が怠惰なわけではなく、どれほど努力を重ねても結果が大きく実らないというものだった。更に本人の性格が努力至上型だったため、いつの間にか諦念に塗れて塞ぎ込んでいた。そこで突如として異世界に召喚される。

 同級生も十数名召喚されていた。才能が可視化され、身体能力と技能が数値化された世界においてさえ、その世界独自の忌み嫌われる【規格】を保持していたせいで牢獄行きになる。完全に諦め命を捨てようとした瞬間に、もう一人の罪人(元天才錬金術師)から禁忌の技術を手に入れる。

 それは【規格】を持つ者のみが、他者から才能と技能を奪えるものだった。しかし致命的な欠陥があり、双方の同意を得なければ奪えないという残酷なものだった。それでも主人公は自由になるという夢をかなえるため、異世界で出来た二人の師を同意のもとにその手で殺め、異世界の旅を始める。

【承】
 旅の過程で主人公と仲間たちは複数の国を巡っていく。仲間と共にダンジョンに挑み、時には異世界(地球)の技術をフル活用して大儲けする。また、その強さと行動力を称えられ高位の冒険者に認定される。(要は異世界転移モノのなろう小説みたいな内容です)

【転】
しかし、二人目の師を殺めた時点で手放そうと決めたはずの技術は、不幸な事故によって有効に活用されいていく。(技術の行使は作中5回)危機感と恐怖を抱いた主人公は、技術を封印しようとする。だが、高位冒険者になったことを滞在中の国に利用され、いつの間にか片思いしていたヒロインの一人をその技術によって手をかける。

 失意のどん底に陥りながらも、それでも夢を諦められない主人公は2周目(物理的な意味)の旅に出かける。(シナリオ上世界そのものが狭い設定です)その最中で陰謀に巻き込まれそうになった同級生と幼馴染を救ったり、仇のある国(主人公らを召喚した国)への戦争準備に協力したりする。

 2周目の終点間際で、幼馴染がやむにやまれず件のヒロインに致命傷を負わせた事実に気が付き、自身のほんの些細な機転で回避できたことを知り発狂する。自身に完全に失望した主人公は、かつてと同じように塞ぎ込み始める。

【結】
 その危機を救ったのは死んだヒロインであった。ヒロインは主人公を罪悪感の鎖から解き放ち、主人公は再起する。

 それまでに行ってきた仇の国への工作の結果、その世界では初となる人類同士の世界大戦が勃発する。(他の国も仇の国と戦う理由はあります)そこで再起した主人公は英雄的活躍をする。仇の国は周囲を他の国の連合軍によって包囲され、滅亡する。

 その滅亡と同時に黒幕が登場し、今度は全人類対黒幕の戦争が勃発する。(黒幕に関しては序盤から布石や伏線を張っています)黒幕と主人公の一騎打ちの果てに、主人公は望んでいた自由とは何だったのかを理解し、黒幕に完全勝利する。

 二つの迷いを完全に克服した主人公は、望んだ「自由」を手に蘇生したヒロインと共に生きていく。(蘇生に関することも布石を置いてあります)

【承知している問題点】
シナリオ上必要な仲間のサブキャラの犠牲が5人いる事。しかもその殺害描写をしっかりと書いていること。また間隔が短い為、使い捨てにしていること。

物語の構成上【転】の部分でもう1周世界を回るため、必然的に長く(全体の3分の1ほどに)なり、どうしても重苦しくなること。

【主人公に関して】
 主人公の性格として、基本は自己中心的だが、悪意をもって行動することは滅多にない。周囲の事情を鑑みることが出来る。頼まれたら中々断れない。それでいて決断が甘いときがある。人情に入れ込みやすい為、出会った敵以外の人間を見捨てることが出来ない。

 矛盾しているようですが、自らの欲求を叶えると同時に他者の利益も考えるwin-winを重視する人間といった感じです。

 長くなってしまいましたが、ご意見のほどよろしくお願いします。

上記の回答(現在書いている物語の概要と主人公についての批評を下さいの返信)

投稿者 サタン : 2

正直、何故「犠牲が5人いる事」や「どうしても重苦しくなること」を問題視しているのか疑問です。
もともとそういうスタンスの話なんじゃ? 少なくとも全体的にそういう雰囲気だし、序盤で師匠を二人殺めてることから、スタート時点で「重い話です」と言ってるようなものでは。
殺人事件の推理小説で「人死にが出るのが問題だ」と言ってるようなものではないかなと。

確かに昨今の流行からすると「重すぎる」のではないかと思います。
でも、それを流行に合わせて改善したら、現状の雰囲気が台無しになるのでは? そしたらこれは改善ではなく改悪になっていまします。
「もともと重い話を書いてる」んだから、重い話になって当たり前でしょう。
すると、何故そこを問題視してるのでしょう?
逆に重くなかったら、想定と違うモノが出来ってことだから、そこれこそ問題では?

>物語の構成上【転】の部分でもう1周世界を回るため
ご存知かどうかわかりませんが、三幕構成という映画脚本の技術があります。
それによると、シナリオには物語の中程で「展開が結末へと収束する転機が必要だ」とあります。これを「ミッドポイント」と言います。
「起」で事が始まり、「承」で物語を広げ、読者が世界観や設定を把握したところで「ミッドポイント」によって物語の落とし所が読者に提示され、「転」で話を収束し、「結」で物語を〆ます。
「転」の部分でもう一周世界を回る、というのはミッドポイントとして話を収束させる切っ掛けとなっており、問題視するどころか上手い展開でしょう。

確かに「重すぎる」ことは事実で、Web小説の読者層から考えるに「鬱展開になりそうだ」と思えば読書を躊躇うことにもなりかねないシナリオだと思います。
でも、元からそういうコンセプトで作られてますよね……?
物語の主旨と、絶対変更できないだろうポイントを考えると、「師匠を殺める」とか「ヒロインを手に掛ける」とか、全部重い部分じゃないかなと思います。
これらを変更したら物語の雰囲気と物語の主旨そのものがガラッと変わって別物になっちゃう。
つまり、最初から「そういう重い話を作ってた」としか思えないです。
結果、想定通りに鬱になるほど重くなって、なのにこれを問題視しているとなると、もし本気で流行と今どきの読者に合うよう改善しようと思えばコンセプトの段階からゼロからやり直しになると思います。だってその時点から方向性が重いんだもの。
それなら新作書いたほうがいいかなと。

結論として、これは「そういう話」なので何も問題ないし、逆にそういう話と思って読めば結構上手く作れてる話じゃないかなと思います。
改善しようとするなら、真逆の方向性のほうが良いでしょう。
つまりはもっと重くすることがこの作品の個性になるかと思います。「重い話」なんだから軽くしたら改悪でしかないでしょう。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 現在書いている物語の概要と主人公についての批評を下さい

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投稿日時:

元記事:こんなのどうかな?

俺の名前は、鈴木。友達2人と一緒に暮らしてしている。
ある日、買ってきたものをしまおうと、倉庫を開けると、友達の山田の死体があった。
驚きのあまり、呆然としていると、もうひとりの友達、田中が来た。
田中が犯人だと思った俺は、「お前がやったのか」と言う。
それに対し田中は、(そうだ、俺がやったんだよ。なにか悪いか?)と悪びれもなく言った。
その言葉で、俺は安心した。
「そうか助かったよ。俺も山田を殺そうと思っていたからな、手間が省けて助かるよ」
田中は、「それじゃあ、俺は死体を処分してくるんで」と言い、
外へ出ていった
外へ出て数分後、車のトランクから山田が顔を見せ、死体の人形と入れ変わった。
警察署の前で…。
こんな感じです

上記の回答(こんなのどうかな?の返信)

投稿者 ごたんだ : 0

角栓は今真鯛の出汁の豚然クソカルテのレッドチリペッパーだから、気にした方がいいよ!!!

焼き畑農業で侵略性監獄人の栄養にする為に民間三行潰しまくっているだけあって堂々と犯罪行為しても、忖度!忖度!

自分が、ではなく組織のマウントの為に美観を捨てたーーはっきり言って『気持ち悪い!!』
正に『豚』という言葉が似合い過ぎる!!!!
思うに、こういうことを言われるのは『愛を持って誰かを幸せにしよう!』として目一杯に不幸しか写らなくて『豚然』にしかならないヤツを刺す言葉だが…

5才だか6才居ても可笑しくないのに二歳児レベルの知能しかないのは、納豆の言葉しかないケケケ!!!!

凄いマルチで大体マルチで名無しでスレ立てしてあったらコイツだと思って問題無いレベル…あまりにもワイドに活動し過ぎてロボット三原則を疑うレベル!!!!

ここのロボット承認だか、ロボットを排除する目的の坊主をしているが、実際はどういう糸なのか…

教祖さま崇める前提広角ケンキーンすればコネを金で買えるから風紀の問題が無ければ便秘と言って差し支え無いんじゃないかな??

まあ、大保方よろしく他人の研究を盗んでリケーンのマスコットなるはずが、梯子外すなんて日常茶飯事だから自己責任ケケケ!!!だけとケケ!!!!

まあ罪悪感で一杯の培養土ほど愛国者ブルーもんだが、『自己責任ケケ』とか愛国者ゴッホやる気あるのか、問い正したくなるわぁ!!!!

阿部国の暁には、犯行勢力をまとめて切り売りして地盤にするつもりなのだろうが牛鹿に出来んのかケケケ??!

カテゴリー : ストーリー スレッド: こんなのどうかな?

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投稿日時:

元記事:創作における聖典の引用について

 タイトルに関することで3つほど、有識者の方にお聞きしたいことがあって参りました。
 カテゴリー選択は著作権・オリジナリティにいたしましたが、キャラクターについてのものにもなると思います。

1・創作における聖書など、いわゆる聖典の引用は可能なのでしょうか。

2・犯罪者、それもいわゆる愉快犯にあたるキャラに聖典の一節を唱えさせることは問題になるでしょうか。

3・実際に聖典の一節を引用している作品はあるのでしょうか。また、それらが問題となった事例はありますでしょうか。

  なお、2つ目の質問において最もお聞きしたいケースは、「罪を悔いるなどの意図ではない」、「聖典の内容を曲解している(=犯行の免罪符として扱っている)」など、無知でも問題になるかもしれない、という考えに行き着くようなものとなっております。

 問題になるような創作をしなければ解決することであるとわかってはおりますが、ファンタジーではない世界観で、清廉なイメージの強く与える宗教家でありながら、アウトローでもある、というギャップを持つキャラクターを作りたいという欲求が強く、創作する、しない、どちらを選ぶにしろ、納得する理由が欲しいという思いでこの場を借りて質問させていただきました。

 回答のほど、なにとぞよろしくお願い申しあげます。

上記の回答(創作における聖典の引用についての返信)

投稿者 あざらし : 2

問題になるか否かは『法的な問題』と『感情の問題』を区別して考える必要があります。(これより以下、大前提として法的なことは日本での話。海外は異なります)

その上でですが、まずは法的な問題から。
1)法的には著者の死後50年保護されます。聖書の場合は著者が誰であるかという問題が発生します。
信仰している方々以外、一般的にはモーセとか、あこらの方でしょうから、とっくの昔に亡くなってます。
宗教として信じている人からすれば、口述筆記でしょうし、そうなると著者はヤハウエですので”死語”という考えが成立しません。
ややこしいですね^^;

ですが、もっと簡単に説明することも出来ます。
ご質問から原著であるヘブライ語の話ではなく、日本語の聖書かと思います。
この場合は当然ながら訳者がいますし、翻訳にも著作権が発生します。
神学という学問が存在し、また聖書という性質から翻訳しっぱなしで放置、ということも考えにくいのではないでしょうか。
訳者の方はご存命であるかも知れません。お亡くなりになられている場合は死後年数の問題になります。
聖書が法人著作であるものを引用された場合は公表後50年です。

2)引用用件を満たしてください。
小説の場合は引用元を(普通は最後にまとめて)書くのが慣例です。

3)聖書の引用はイッパイあります。
有名な所だと映画【園子温監督:愛のむきだし】で、三分ほどの間、ヒロインが聖書の一節を読み続けるシーンの熱演が話題となりました。

次に感情の問題。
実はこっちの方がやっかいです。
と、申しますのも著作権は前述の刑事以外にも、民事もからみます。
荒っぽい話ですが、ぶちゃけ著作側が憤慨して『許せん!やったる!』と思えば、民事になるかも知れません。
商業作品というのは、こういったトラブルにGOを出した出版社側が対処しますし、会社である以上それなりに強い弁護士がついていることが相手側も想定できますので、よっぽどの事がないと訴訟問題に発展しづらいということもあります。

実際問題として、フィクションに一々目くじらを立てる可能性は高くないでしょう。
特に規模として大きいカトリックに関しては、世間の目もありますので可能性も下がるかと思います。
ただ、聖書である以上、キリスト教系すべてが対象、つまり相手が複数であり、かなーり胡散臭いキリスト教系ってのも実際日本国内に存在しますので正直には解りません。
訴訟と信心は別の話ですし、目をつけられ、憤慨されたら、後は相手の行動力次第です。

2)内容が具体的に解りませんので、こういう書き方になりますが『貶められたと感じる相手が存在するなら、その相手が黙認できるか?』です。

3)感情的な部分で有名な例は『悪魔の詩、訳者殺人事件』でしょうか。
イギリスの【悪魔の詩】という小説を翻訳した、日本の大学助教授卯が殺害されています。
小説ですが、ムハンマドが多神教を認めたが後に「悪魔のささやきだった」としてコーランから削除したという記述が問題になり、各国の訳者が殺害されています。

一神教の宗教を信仰している人々にとって、多神教を認めるというのは根底を揺るがす大問題ですから、殺害という手段はともかく憤慨する気持ちは想像できるところです。
私自身は無宗教の無神論者、強いていえばアニミズムに近い感覚ですが、特定宗教を信じるというのは『存在しない(神)を、意識の力だけで存在していることにしてしまう』という強烈な想いです。

無宗教の人間からすれば、信仰というのは『目の前にあるペットボトルは意思をもっている』これを信じて、信じ続け、ペットボトルが喋り出し、あなたに忠告や苦言を呈し、日常生活そのものをペットボトルさまの仰る通りに行動し、ひれ伏して従う。
これを”全く正気のままで”意思の力だけでやってのける、信じられないパワーです。

絶対に間違って理解してほしくないのは、『ムスリム・イスラム教徒特有の過剰反応』という認識。
件の殺人事件そのものも、当時のイラン最高指導者ホメイニ師という”個人”が殺害指令を出していたのが発端です。

アメリカも基本的にキリスト教徒が多いですが、学校の先生すら『教えることになってるから、教えるけど進化論は嘘っぱち。神様がお作りになられた』とか普通にいいますよ。(細かくは反優生学とかもあるんですが)
信仰している人からすると、聖書ってのは神の言葉ですから、極めてデリケートであることは間違いありませんし、それは多分、日本でキリスト教を信仰している人も同じかと思います。

最後になりますが、結構簡単な話を。
読んでませんので、こういった書き方になりましたが、基本的に私個人は『いいんじゃね?』という考えではあります。
率直には(清廉なイメージ)(アウトローでもある)他諸々を満たすことは宗教家に拘る以外にも道があるように感じました。

加えて、最も重要なのは結局の所『書かれた小説を教会に持って行き、信者さんに見せられるだろうか』ということではないでしょうか?
『殴られそう』『ちょっと見せられない』なら、そりゃやっぱりまずいでしょう。
『黙認してくれそう』『これぐらい大丈夫』なら、セーフなのかもしれません。

お勧め作を一本だけ。
【貴志祐介著:悪の教典】
映画化されてますが、悪くないだけでお勧めはしません。
小説でどうぞ。

色々書きましたが執筆頑張ってください。
応援いたします。

カテゴリー : 著作権・オリジナリティ スレッド: 創作における聖典の引用について

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