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手塚満さんの返信一覧。最新の投稿順34ページ目

元記事:同じアイテムが違う作品に複数ある件について。

こんにちは。
私は、最近異世界作品が好きで、何十作も読んできましたが、ふとあることに気づきました。
それは、リバーシが異世界作品がなぜか複数の作品に存在することです。
一例を挙げますと「本好きの下剋上」、「軍オタが魔法世界に転生したら、現代兵器で軍隊ハーレムを作っちゃいました!?」、「転生貴族の異世界冒険録~自重を知らない神々の使徒~」、「転生して田舎でスローライフをおくりたい」です。
本好きはワードだけでしたが、スローライフはリバーシの公式試合、他2つは、実際に物を作って、中毒になった王様の相手だったり、他の子の相手をしたりしています。

調べてみると、オセロは商標登録があるので、使用できませんが、リバーシは商標登録がないので、使用できるようです。
ただ、なぜリバーシ? チェスでもいいのでは? 「異世界はスマートフォンとともに。」は、将棋ですし。
というか、最初にリバーシを出した作品を読んで真似して出しているのは明らかなので、異世界の娯楽のアイディアを盗作しているとしか思えません。あるいは、リバーシしか出してはいけない暗黙の了解があるのでしょうか。
ちなみに、スローライフは第4回ネット小説大賞金賞受賞作なので、リバーシを出しても審査に影響がないことを証明していることにもなります。

今後、異世界物を読んで、リバーシが出てくると「またかよ」と正直うんざりすると思います。
逆に考えると、自分が異世界物を書くときに、リバーシを出すこともできるわけですね。

こういうリバーシが複数作品でかぶることは、ありでしょうか。
なろう系のルール自体よくわかりませんので、お願いします。

上記の回答(同じアイテムが違う作品に複数ある件について。の返信)

投稿者 手塚満 : 0 投稿日時:

結論から申せば、どんなゲームを作中に登場させるかは、作者の狙い次第です。単なる小道具とのきもあれば、そのゲームでないといけないという必然性がある場合もあります。以下、多少説明してみます。

1.各種ボードゲームの特徴

リバーシが出た作品を読んだ人が、作者となったときにリバーシを出したくなるということはあると思います。必ずしも意識して模倣というわけではなく、何となく、無意識にリバーシを選んでしまう。そういう影響の受け方ってよくあると思います。

その一方、リバーシを意図的に選んでいるケースもあるはずです。チェス、将棋、囲碁等々も同様でしょう。自分的に感じるボードゲームの特徴、特にフィクションでの使われ方を考えてみます。

・チェス:彫像風の各駒が絵的に鮮やかで、計算高くてキザなキャラの部屋にインテリア的に置かれていることがある(そして、最後にはおおむね主人公に敗北する)。
・将棋:チェスに比べると絵的に野暮ったく、そのおかげで将棋キャラが質実剛健な印象が出せる。
・囲碁:難度の高さは上記ゲーム同様ながら白黒の碁石がシンプルなこともあって、使用キャラが見かけより奥深い印象を出せる。

いずれも、まだコンピュータを使っても完全に解析し切れていないボードゲームになります。言い換えれば、まだまだ奥深いという印象が生じるゲームでもあります。
(コンピュータで完全に解かれた(可能な全指し手と勝敗が分かった)ゲームにはチェッカーがあります。完全解明したコンピュータプログラムと、当時の世界チャンピオンが5戦して全引き分けだったそうです。)

もっとも、チェス、将棋、囲碁でAIが人間の最高峰クラスを破ったということがあり、フィクションでも各ゲームの人間プレーヤーは知的という印象は持たせやすいものの、機械には勝てないという印象も同時に生じる可能性があります。

2.リバーシの特徴

リバーシは、以前に調べたときには、まだ完全解明されていませんでした。ちょっと意外でした。ルールはシンプル、盤面はさほど広くない、駒は白黒の表裏の駒1種類ですから、もうコンピュータで解けていると思い込んでたんです。

リバーシは早くにコンピュータプログラムが世界チャンピオンになったゲームでもあり、今もコンピュータが最強のはずです。このことは、人間プレーヤーがかなり上達しても、コンピュータ相手にいくらでも遊べることを意味します。しかしシンプルなゲームだけに入門もしやすい。ゲーム時間・指し手数も少ないので、遊びたいときにちょっと遊んでみることができる(長時間・手数の囲碁の代わりに手早く済むゲームとして考案されたらしい)。

ですので、リバーシのメリットはプレーヤーが入門者から上級者まで間口が広いことがあります。フィクションでの使い方に言い換えると、リバーシを出せば分かってくれる読者層が厚いということになります。未知の異世界でリバーシを紹介したら、あっという間に広まっても不思議ではない(現実でもそうだったから)。ただ、フィクション内のプレーヤーが知的かどうかはリバーシだけでは印象発生がしにくいということでもあります。

・リバーシ:キャラを問わず使え、読者にも分かりやすい。逆に言えば、リバーシを出してもキャラ造形に寄与しにくい。

3.架空のゲーム

架空のボードゲームを出すこともあります。「HUNTER×HUNTER」の「キメラ=アント編」では、「軍儀」というボードゲームが出てきます(実在するボードゲームでは軍人将棋が近いかもしれない)。ルール等の説明はゲームがいかにも実在するような雰囲気を出すのみです。ゲームの難易度とか奥深さは具体的には分からない、つまり謎です。

それだけに「計り知れないほどの上級者がいる」という、作品の重要設定に納得を与えるのに成功しているようです。敵ボスは知能含めたあらゆる面で人類を凌駕しているのですが、「軍儀」だけは盲目で無力ながら「軍儀」に熟達した少女に勝てない。そこから印象深いドラマが生まれます。

・架空のボードゲーム:誰も知らないだけにミステリアスであり、作者の設定次第の雰囲気を作れる。

4.ゲームによる雰囲気づくり

もし、スレ主さん気になさっている多数の作品の劇中のリバーシについて、チェス、将棋、囲碁、架空のゲームに入れ替えて考えて、作品に影響がないようなら、リバーシである意味はないです。あちこちがリバーシだらけなら避けてもいいでしょう。

しかしもし、リバーシとチェスを入れ替えたら、キャラやシーンの雰囲気が変わりそうなら、作者が狙ってリバーシを選んでいると考えるべきでしょう。これがチェス、将棋等でも同じです。

例えば、エヴァンゲリオンの冬月コウゾウは将棋が趣味で、一人で詰将棋を解いていたりします。おそらくですが、将棋をチェスに入れ替えたら冬月コウゾウの印象は変わると思われます(ちょっとキザになる)。仮面ライダーゼロワンでは、天津垓の社長室にはチェスが置かれていました。これを将棋に入れ替えたら、天津垓のキャラ印象が変わりそうです。

5.要は作者の狙いに沿うゲームを出す

これらは制作者が狙ってゲームを選んでいると思います。スレ主さんも作品に登場させるゲームについては、そのゲームでどういう印象が生じそうか、あるいは強い印象を生じさせたくないかを考えて、選べばいいんじゃないでしょうか。少なくとも「作品に出すのはアリ/ナシ」という単純化された問題ではないはずです。

カテゴリー : 流行分析(なろう研究) スレッド: 同じアイテムが違う作品に複数ある件について。

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元記事:スマホのことを作中で携帯と書くのはありですか?

お聞かせください。
スマホは携帯の一種ですし、将来スマホという言葉が使われなくなるかもしれない可能性を考えて作中では携帯と表記してるんですが、問題ないでしょうか?

上記の回答(スマホのことを作中で携帯と書くのはありですか?の返信)

投稿者 手塚満 : 0 投稿日時:

今の普通に使われている用語で書いておくことをお勧めしたいと思います。スマホならスマホ、ガラケーならガラケー。以下、理由を多少説明してみます。

1.ラノベは作品寿命が短い

ラノベですと、旬があります。要は作品寿命は長くないと考えていい。不朽の名作になる可能性も期待したいわけですが、偶然だと考えておくべきでしょう(古典で今も読まれるものもたいてい、百年後に残るとか考えて作ってないものが多いらしい)。

先のことより今のことではないでしょうか。今の読者に分かりやすいことが最優先です。今、受けておかないと、そもそも未来の読者に読まれること自体、奇跡になってしまいます。

ですので、現在、最もよく使われている単語・用語を選ぶべきです。それが今の読者に最も分かりやすいわけですから、読みやすくなることに通じます。さっさと読めて、ぱっぱと分かるように書ければ、読み進めてもらえる確率は高まります。

2.スマホならスマホと書くのが無難

スマホならピンポイントにスマホでしょう。「携帯/ケータイ」ですと、ガラケーかどうか迷う恐れがあります。二択ではなく、一択で分かる単語であるべきです。

しかし、それでも描写が入ると事情が違うこともありますよね。例えば「ケータイの画面をタッチし、指をすっと滑らせて」と書いたら、ガラケーを思い浮かべる人はいないでしょう。そういう工夫があれば、意味的にも時間的にも適用範囲が広そうな単語を使うのも手ではあります。

問題は、本当にその単語が将来も生き残るのかどうかでしょうか。スマホという言い方がいずれ廃れても、携帯/ケータイという用語は使われ続けるのかどうか。これは自分にも分かりません。

3.英語の電話の呼び方の変遷事例:電話と言えばスマホを指す

が、英語のほうでちょっと個人的に興味をもった事例があります。「電話」の言い方が時代、世代で変わっているらしいのです。以前ですと、ガラケーはmobile phone(モバイルフォン)とかcellular phone(セルフォン)とか読んでました。

さらにcell phoneと短縮していきます。phoneだって以前はtelephone(テレフォン)でしたが、もうtele-(遠隔の)なんてわざわざ言わない。ケータイさらにスマホが当たり前になってくると、もうそれらがphoneです。

phoneと聞いたら、もはや誰も固定電話なんか思い浮かべない、のだそうです。cell phoneだのsmart phoneだの言わない。世の中で一番多いタイプの電話機がphoneとなるわけです。

日本語でも先がどうなるか分かりません。細かいことを言えば「スマホ」が古臭くなる恐れもあります。理由の一つが「ホ」です。「スマホ」を略さず言うと「スマートホン」です。昔々の日本人は「フォ」が聞き取れず、最も近い「ホ」を当ててしまいました。

例えば、声を届かせるためのラッパ型の筒は通例「メガホン」と呼ばれます。megaphoneなのにメガホンなのは上記の通り、言葉が入って来た時期の日本人が「フォ」を「ホ」と聞き取ったから。

その後、「フォ」を発音するうちに聞き取れるようになり、「フォン」と書くようにもなったわけです。だけど略すときは便利だから今でも「スマ『ホ』」だったりする。

これ、実は英語圏の人に今でも聞かれるネタだったりします。「スマート『フォ』ンって言うくせに、略すとスマ『ホ』なのはなぜ?」。

もし「フォなのにホ」を日本人の多数が不適当だと思ったら「スマホ」という呼称は廃れる可能性があります。「スマフォ」となるか、それとも電話はスマホがスタンダードになっているので「フォン」、あるいは「電話」となるかもしれません。

4.技術進歩でも用語が変わって来るはず

さらに技術の進歩で新しいタイプが出れば、新しい名前が出て来て、それがスタンダードになる可能性もあります。技術進歩のスピードは速まる一方ですので、数年後にはスマホ自体、古臭いものになるかもしれない。

そのとき、もともと携帯(電話)で通じていたのが、ガラケーとかフィーチャーフォンと呼ばれるようになったのと同じく、スマートフォンが別の名前で呼ばれる可能性もあります。

80年代のあるSFアニメでは携帯電話は存在せず(無いに等しかったから)、テレビ電話の公衆電話ボックスが登場していました(80年代は未来的と思われていた)。ネット再放映で、視聴者から「変だ」「分からない」という感想が寄せられているのを見たことがあります。

全然別の方向に電話が進歩したのはご承知の通りです。電話は個人が持ち運ぶものになり、テレビ電話はオプション的で使う人は少なく、公衆電話なんてめったに見なくなりました。

5.よく見えない将来を気にするより、今読みやすいほうがいい

先のことを考えたら考えたで、どうなるかは極めて予想しにくいわけです。近い将来を予測して書いたら、大ハズレになってかえって分かりにくくなる可能性も考慮すべきです。

やはり、今の流布している用語で書いておくのが無難だと思います。将来も作品が残って読まれるとしたら、読者のほうが「これは20xx年代の作品だから」と意識して読んでくれるでしょう。

ですので、今の読者に分かりやすい単語を選ぶほうが、読者も作者も楽です。将来のことは将来の人が考えてくれます。

カテゴリー : その他 スレッド: スマホのことを作中で携帯と書くのはありですか?

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元記事:ヒロインの喪失について

今、作品を書いてるんですけど。主人公を苦境に立たせる為にヒロインを死なせる又は条件達成まで目覚めない眠りや何らかの病で死に瀕するなど離脱する話を書きたいのです。ですがヒロインがピンチになるだけで読者は離れてしまうのであまり酷くない設定を考えてはいるのですが、それでは主人公を上げる為の逆境にならないのではないかと思考の坩堝にハマっています。

この場合、ヒロインがあまり酷くない設定で離脱できるような設定を突き進むか、いっそ開き直って主人公の為にヒロインにちょっと犠牲になってもらうか、どちらを取ればいいのでしょうか?

上記の回答(ヒロインの喪失についての返信)

投稿者 手塚満 : 2 投稿日時:

お考えのヒロインのシーン内容の重さは、その前後次第です。シーン単独では決定しづらく、物語全体の中での位置づけを考えないと、なかなか決定できません。以下、多少説明してみます。

1.ひたすらむごいシーンを連ねて評価が分かれた作品例

むごいシーンを描いて読者が離れることはあり得ますが、文章で読者が引くほどのむごさを出すのは至難の業です。絵や映像で語る作品なら、否応なく見せつけられますが、文章作品は読者の想像力に頼らざるを得ませんから、簡単ではないわけです。

しかし「ヒロインの扱いがひどすぎる、可哀そう」という不満を聞くことがあるのも事実だと思います。その一方、客観的に見た扱いが同じくらいひどいのに文句があまり聞かれない事例もあるんじゃないかと思います。

物議をかもしたほどむごい作品例は、例えば昔の小説ですが「完全な遊戯」(石原慎太郎著、1957年)があります。精神疾患の女性(ヒロイン)を主人公ら男数人で拉致、監禁し、性的暴行の限りを尽くした後、殺してしまいます。何の救いもありません。主人公らに天罰めいたものもない。

あまりの胸糞悪さに酷評する人が多かった。もっとも、あまりに突き抜けすぎているせいか、支持する意見もあったようです。いずれにしても、ありありと目に浮かぶほどの描写力、筆力あってのことでしょう。

2.絶望するしかないはずなのに感動される作品例

さらに古い時代の戯曲で、主人公カップルが最後に救いのない死に方をする作品があります。だけど貶す人は少なく、ほとんどの人は「感動する」「美しい」と高評価です。「ロミオとジュリエット」ですね。自殺を偽装したジュリエットを見たロミオは絶望し、後追い自殺で死んでしまう。それを見たジュリエットは本当に自殺してしまう。筋立てとしては救いがありません。だけど誰も絶望しない。

もし「完全な遊戯」で、ヒロインが最後には救出され、主人公らには天罰が下ったら、確かに胸糞悪さは減じると思います。しかし代わりに三文小説の評価を受け、安いR18と思われるでしょう。読者の多数から嫌われても、突き抜けることで少数から高い評価を受ける戦略と思われます(結果論かもしれませんが)。

一方、「ロミオとジュリエット」でもジュリエットは自殺偽装に終わり、ロミオは自殺未遂に終わって、二人はめでたく結ばれて幸せに暮らしました、なんてやらかしたら、安いラブロマンスの評価しか受けないだろうと思います。

「ロミオとジュリエット」は途中ではむごいシーンはありません。反目する親の家の目をかいくぐって逢瀬を楽しんだり、しかし満足するだけの時間は取れなかったり。ハラハラはしますが、それだけに観客は2人を応援したい気持ちが高まってきます。が、最後の最後で2人は共に死ぬ、つまり観客から奪われるわけですね。

3.ヒロインが突如、むごく奪われることで感動させる作品例

似たような感覚を起こす小説が最近でもありました。略称「キミスイ」の「君の膵臓をたべたい」(住野よる著、2015年)です。主人公のヒロインに対する興味が高まっていき(読者も高まる)、あと少しでヒロインが分かる、という寸前で、ヒロインが突然退場です。それも通り魔殺人事件被害者としてニュースで知らされるというもの。

これも、主人公と読者に対してむごい展開ではある。けれど、惜しいと思えるからこそ、貴重さをはっきり認識できる展開でもあります。「ロミオとジュリエット」も同様です。作者が観客/読者から奪ってみせないことには、キャラの魅力が本当には伝わらない。キミスイですと、主人公がヒロインの希望通りの行動をした、と読者は感じるはずです。「ロミオとジュリエット」ですと、反目していた両家の悲しみと和解で、2人の希望が叶ったと感じることができる。

4.鍵は読者が納得できる展開

言い換えますと、読者に納得させる手法になっています。たとえヒロインが死んでも、ヒロインの願いが叶ったと感じたら、納得できます。救いがないようで、実はあるわけですね。余韻も生じてまして、読者ごとに自由にヒロインの隠された心境を感じて、読者なりの満足を得ることもできます。

そこが「完全な遊戯」との違いではないかと思います。「完全な遊戯」だと、例えば読者的には「このむごさに耐えきった、目をそらさなかった」という自信などで納得するしかなさそうです。あるいは、どこをどう見ても納得できない完璧さに感心するか。

特に作品名は挙げませんが、「キャラをむごく扱いさえすれば、テンションが高まるだろう」という安易な描写、演出例はときどき見ます。要は刺激性を単純に高めただけ。一時的に目を引く効果が出ることもありますが、作品の人気や評価を高めることにはつながりにくいようです。

読者(や視聴者、観客)として、なぜむごくて不愉快なシーンに耐えさせられたか、分からないからです。最後まで読んでも必然性が感じられず、下手すると前後のシーンとの脈絡もない。ですので、テンションも持続できない。だからキャラはもとより、読んだコストについて納得できない。「何の作業をさせられたんだろう?」みたいな感じです。

5.意義が分かれば意欲が出る

最もきつい拷問は「無目的な作業」だそうです。囚人が「穴を掘れ」と命じられ、掘ったら「埋めろ」と命じられる。その繰り返し、みたいなものですね。それと似たようなものを作中に入れてしまったら、読んだ甲斐が感じられないのも無理からぬところでしょう。

しかし、もし囚人への命令が「穴を掘れ」→「苗木を穴に入れろ」→「埋めろ」だったら、何をしているかを理解し、命令が発せられた状況や、その後の状況も想像できてきます。結果、拷問どころかやりがいある仕事になりもするでしょう。

6.問題と思うシーンの前後に展開がある

ですので、ヒロインがそれほど手ひどく扱われないか、それとも厳しい扱いにするかは、その前後で決まります。まずは、例えば目を引くかどうかより、ヒロインのピンチの必然性が読者に伝わるかどうかです。うまく伝われば、おそらくピンチの後の展開を知ったときですが、読者は納得します。軽ければ軽いなり、重ければ重いなりに、です。

そうすると読んだ甲斐があると感じられ、話運びに好感を持つようになります。ヒロインの過酷な状況に限らず、「このシーンの○○についての描写の度合いはどれくらいがいいか」と悩んだ場合、たいてい前後の状況が問題になります。言い換えれば、単独のシーンだけで感動させられるはずはなく、話のつながりがどうなっているか、という、ごく当たり前の話です。

7.作り方に悩むシーンの前後を見直すのも大事

ですので、繰り返しですが、物語の構想的に問題のシーンの前後がどうなっているか、前後から推測できる適切なシーンの重さはどうなるか、と考えてみてはどうかと思います。これは作者都合を排して、読者目線で考える必要があります。作者的に何ができるか考えるのは、その後です。

もし、シーンの魅力だけで読者に読み進めさせたい、ということだと、筆力いかんの問題ですし、読者の限界をいかに突き抜けられるかになります(「完全な遊戯」の行き方)。非常にリスキーなうえ、多数の評価を得るのは事実上不可能でしょう。

カテゴリー : ストーリー スレッド: ヒロインの喪失について

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元記事:視点主の移動に合わせて情景描写してしまう。結果情景描写が多くなってしまうが、それはいけないことでしょうか?

初めて投稿させて頂きます。ヤーマダと申します。よろしくお願いいたします。

相談はタイトル通りの事なのですが、自分は一つのシーンにおいてあまりに多くの情景描写をしてしまっているように思うのです。例を書いてみます。

「繁華街にAはいた。歩道橋の上で夕日に暮れる街を見下ろし呆然と立ち竦んでいる。
 風に流されて香ってくる食べ物の匂い。聞こえてくる喧騒は、彼がこれまで暮らしていた場所とは比べ物にならないほど鮮烈で僅かばかり怯んでしまう。だがこれから始まる新たな生活を思うと心は次第に昂っていった」

というシーンを書いたあと、何かイベントがあり場所を移動したとします。すると繁華街からは移動しているので、また移動先の描写をしてしいます。多分必要以上に。

「人並みを掻き分け走り続け、繁華街からは遠く離れた住宅街にまでAは来ていた。
 今や辺りには夜の帳が落ちて喧騒は遠のき、人の影は一つもない。ただ無機質な街灯いくつか建ち並び発光を続けているだけだった」

と、このように夕暮れの繁華街のシーンから移動して夜の住宅街のシーン。二つの場所を詳細に書くと冗長にすぎるのでは無いかとおもってしまいます。
どうでしょうか? 一つのシーンで複数の場所に移動してその都度情景描写をするというのは文章がだれてしまいすか? ちなみに即興で書いたので短めになりましたが、二番目の文章での情景描写はいつもだとこの1.5倍になってしまいます。
やはり移動先の描写は少なめの方がいいのでしょうか? ご回答よろしくお願いいたします。

上記の回答(視点主の移動に合わせて情景描写してしまう。結果情景描写が多くなってしまうが、それはいけないことでしょうか?の返信)

投稿者 手塚満 : 1 投稿日時:

お示しの文例は主人公が繁華街から閑静な住宅地へ移動したというものですね。即興とのことですので、2つの文例はつながっているものの、それらの前後の文脈はないわけですか。

そうなると、もしその2つの文章に限定するなら、ざっくり申せば「なんとも判断しづらい」になります。もし「この文章で情景が目に浮かぶか?」ということなら、「大丈夫でしょう」となります。なかなかに上手ではないかと思います。それゆえに書きすぎてしまうことを懸念されているのでしょうか。思ったことを、なまじ言葉にできてしまうから。

ですが、書きすぎ、適切、不足かどうかの判断は、2つの文章の前後が問題となります。

もし2つの文例が冒頭であるなら、「以降で、2つの文章の描写が後で使われるか」が問題となります。

1つめの「繁華街」(とその状況)は、これ以降の描写で使われるのか。もしは主人公Aの生い立ちとの対比ということなら、その生い立ちの特徴が以降で使われるか。もし住宅地の閑静さとのコントラストであれば、なぜ対比が必要かが2つの文章の後で活かされるのか。などなどです。

2つめの「住宅地」については、閑静な様子が描写されています。続くシーンで閑静さが必要なのなら、いい描写でしょう。ただ、わざわざ「無機質な街灯」と「無機質」を入れて読者の注意を引いています(「発光」もちょっと異様な感じを与えている)。この街灯は続く描写で無機質な感じであることを含め、使われるのか。使われないなら省いてしまうのも手です。

繁華街と比べて閑静な住宅地でありさえすればいいのなら、「繁華街の夜の喧騒を逃れ(るように)、閑静な住宅地まで来た」などでいいかもしれません。主人公の生い立ちを匂わせるなら「不慣れな繁華街の夜の喧騒を逃れ、閑静な住宅地まで来ると、ほっと一息ついた」など。

「チェーホフの銃」と呼ばれるコツがあります。「もし銃を(観客、読者に)見せたのなら、後のシーンで使われなければならない」というものです。逆の言い方では「銃が使われるなら、予め見せておかねばならない」となります。

ただ、これを厳密に用いると、非常に殺風景な描写になってしまいます。リアリティ、臨場感を持たせるための雰囲気づくりの描写も必要です。しかし、作者は「これはこの場限りの小道具」と思っても、読者には分かりません。その場限りなら、その場限りと分かるように書かないといけないわけです。

読者は出てきたものは覚えておこうとします。何が大事か分からないからです。熱心な読者ほどそうなります。不必要に描写を増やすと、一生懸命読んでくれる読者の負担になってしまいます。

そして、その読者が情景描写に出てきたあれこれが、二度と使われないと感じた途端、落胆します。無駄に覚えされられたという徒労感です。

ですので、その場で効力を発揮する描写(キャラの目立った性格・特徴とか、場面の不気味さとか、その場での読者の感情をかき立てるもの)、既に出した情報を受けての自然な描写、後で使うと匂わせる描写(そして実際に使う)であるかどうかで判断すべきです。

簡潔にまとめてみますと、シーン単位で描写の過不足を判断することは事実上不可能で、文脈的・物語的な前後の要請に沿った描写量・程度であるかで判断すべきとなります。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 視点主の移動に合わせて情景描写してしまう。結果情景描写が多くなってしまうが、それはいけないことでしょうか?

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元記事:何故そのキャラクターがそういう行動をしているのか。それは全て説明しないといけないでしょうか?

 
質問はタイトルの通りです。
キャラクターが例えば変な行動をしていたとします。客観的に見れば何故そんな行動をしているか分かりません。地の文に記載していないので。それはいけないでしょうか?
 
例えばAという主人公が変わった行動をしていたとします。それは恐らく読者視点では何故そうしているのか分からないことです。地の文に説明がないので。
しかしBというキャラがいたとして、彼はAが何をしようとしているか理解しているとします。ただ地の文が三人称一元視点で書いているのでBの心情描写は表情やセリフでしか表現できません。Bは表情でAの行う行動に対しての表現はしますがセリフでは思わせぶりなことを言うだけです。
結果として、
 「Aという主人公が何かしようとしている」
 「読者には何をしようとしているか分からない」
 「しかしBの表情の描写や思わせ振りなセリフから何かをしようとしていることが伺える(たとえばBの表情が喜びなら良いこと、悲しみなら悪いこと)というように」

そうしてAがしようとしていたことが後々に解決されるならばこの様に最初は行動原理が分からないように書くのはありでしょうか? そんな感じで書いてみたのですが、何か読む方の視線を置いてきぼりにしているような気がして。
どうかご意見宜しくお願いいたします。

上記の回答(何故そのキャラクターがそういう行動をしているのか。それは全て説明しないといけないでしょうか?の返信)

投稿者 手塚満 : 0 投稿日時:

お悩みの内容は、読者の目をどう引くかという狙い次第と思われます。

読者から見て、主人公Aの一目では意図が理解できない行動・言動って、割と使われる手法じゃないかと思います。これは、読者に「これはどういうこと?」と思わせ、読み進めるモチベを与える効果があることが理由の1つでしょう。

ただ、あまりにも分からないと読む意欲を削ぎます。無意味な文章と感じてしまうからです。「分からない」と分かるためには、8割分かって2割不明くらいがいいでしょう。言い換えますと、「もうちょっとで分かりそう」と期待させて、読み進んでもらうわけです。
その前提で、主人公Aの行動に対する、ほのめかし、説明の程度のパターンについて考えてみます。以下の他にもありそうですが、ご質問に即して限定的、事例的にピックアップしたということでご了解をお願いします。

1.地の文(またはサブキャラBの台詞)でその場で明かす

2割不明どころか、9割がた分かるタイプですね。シーンの雰囲気づくりなどに即時に効果を持ち、その場で消費するネタ(コメディリリーフ等)にも向きます。最も多用されるパターンだと思います。

しかし伏線として後で用いることもあります。伏線を伏線と思わせずに読者に覚えてもらうコツの1つが「面白くする」だったりします。いったん「分かった」と思わせて、実は謎が仕込んである。後述の3よりは無難な伏線作りでしょう。

2.地の文で説明せず、サブキャラBの反応で読者が推測できる

これは読者の想像力を刺激して、読む満足感が生じる効果が期待できます。分からない2割にヒントがつくような感じです。

後のシーンでAの行動・言動の理由を明確化するとして、読者の期待通りの「ああ、やっぱり」と納得できるパターンが多いでしょう。読んだ甲斐を感じることができます。

読者の推測(であり作者の誘導)を外すことも行われます。読者が「そうだったのか」と驚けるものですね。目を引けますから、山場で使うと効果は大きいでしょう。

ただ、どんでん返しの一種であり、多用は避けるべきです。二度、三度と用いてしまうと、次第にどんな描写にも信頼が置けない感じが出てしまい、読むモチベを低下させるリスク大です。

3.地の文で説明せず、サブキャラBも反応しない。

謎を謎として、当面残しておくタイプですね。作品のテーマなど、重要事項ならば1つだけ用いても大丈夫でしょう。

1つだけ、というのは「謎」の意味・内容(主人公の動機等)であって、謎の現れ方は多少揺らしても可でしょう。ただし読者が共通性に気付ける仕掛けはしておくべきかと思います。謎が明かされたとき、いくつもの謎の現れ方がパッと1つに感じられると、納得性が上がります。

これを極端なまでに用いる手法が叙述トリックであったりします。仕掛けはあるんですが、読者は謎とすら思わない。ごく普通の描写が続いて行くだけです(が、なにかしら歪みを感じるかもしれない)。

そうしておいて、謎が明かされると(例えば並行して進んでいたストーリーの各主人公が実は同一人物とか)、物語全体の見え方が一瞬で激変します。すると長々読んだ情報量が一気に意味を持って、爆発的な印象が生じます。

謎が謎のまま残っているだけでも、「溜め」は生じます。待たされたら期待する。単に待たされるとイライラするか忘れるかしますから、ときどき思い出せるシーンや刺激を入れたりします。

当然ですが、謎の内容は読者の期待に応えられるだけのものでなくてはいけません。「お預け」の間が長いほど、「ご褒美」も大でないと納得できず、逆に不満として爆発しかねません。ネタによほどに自信がある場合(作品テーマそのものとか)に限るべきでしょう。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 何故そのキャラクターがそういう行動をしているのか。それは全て説明しないといけないでしょうか?

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元記事:新しい作品の作り方

ご無沙汰しております、本居です。
1月ほど前に思い出作りとして小説を書き始め、こちらで相談しつつ無事新人賞に応募できました。その節でお世話になった方はありがとうございました。
早速本題に移らせて頂きますが、見切り発車で始めた執筆活動でしたが予想以上に私の性に合っていたらしく、新人賞応募後も作品を楽しみながら書いています。執筆開始当時、ストーリーを考えキャラの性格を探り、一文字一文字作品が続いて行く事に喜び、時に悩んだ感覚は今でも鮮明に覚えています。
しかし最近は新人賞へのチャレンジ精神が膨れ上がり、また応募して見たいと思うようになってしまいました。創作欲が無くならないのはいい事かもしれませんが、新人賞に応募するにはまた作品を考えなければならない、と私は思っています。
ですが私自身が前作キャラに囚われすぎて、新しいキャラを考えようとしても全く案が浮かびません。やりたいネタも残っているし、今のままでは不完全燃焼です。
そこで質問です、今後私は、新人賞の応募を一旦諦め、前作を満足出来るまで書いた方がいいのでしょうか?
また、もし新作を書く場合ジャンルを変えた方がいいのか(キャラの書き分け等)アドバイスを頂けると有難いです。
前作はシリアス寄りのSF作品を書いていました。ご回答、よろしくお願いします。

上記の回答(新しい作品の作り方の返信)

投稿者 ふ じ た に : 0

この先も書き続ける予定なら、
完結の実績を増やしたほうが、上達への近道かなぁと思います。
書いていて感じるのが、最後のまとめ方の難しさです。

あと、お気に入りのキャラがいるなら、別の作品でも出されてはいかがですか?
スターシステム?だったでしょうか。
自分の作品なら、世界観が同じでも大丈夫ですよ。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 新しい作品の作り方

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投稿日時:

元記事:ミステリーと警察

本です。推理小説が好きな本です。

書こうとしているミステリー小説でひとつ悩んでいることがあります。警察の登場です。
殺人が起きれば呼ばれる警察ですが、どうも登場させることにためらいがあります。
そこでお知恵を拝借したいのです。ミステリー小説のなかでどんな設定であれば、警察が来ないことを自然と受け止めてもらえるでしょうか。
書きたい形が、警察を登場させず身内でどうにか解決しようというものです。

絶海の孤島、悪天候、電話が圏外など...警察が現場に到着しない要因(設定)はいろいろありますが、これだと思うものが思い浮かびません。

書こうとしている小説の設定は以下の通り。
・田舎の邸。そこそこ広い。
・季節は真夏の8月某日。
・悪天候(大雨)にはなる。
・邸に通じる道はつづら折れの坂道。

上記の回答(ミステリーと警察の返信)

投稿者 サタン : 1

王道なものは思いついてるようで、他によくあるのは、そうだな……
田舎であれば警察は駐在さんがいるだけというのがありますね。その駐在さんも地元出身者で、地元の権力に非常に弱い。なので地主や顔役みたいな人の影響が強く、警察はいつでも来れる状態だけど「警察が来ても良い状態」にならない限り警察は来ない。
あとは……
逆に警察官を登場人物の一人にしてしまう、というのもあるんじゃないでしょうか。
例えば休暇中の刑事とか。既に警察官として登場しているため「早く警察呼べよ」というツッコミがなくなり、警察を呼ばない事に違和感がなくなる。
警察官として出来る事は現場の保存くらいなもので、事情聴取も任意だから田舎の独特な力関係がある場所でよそ者の刑事に出来る事はたかが知れてる。
キャラとして登場させると、この刑事はおそらく物語上邪魔だと思うので「いかに県警に連絡を取らせないようにするか」という作者の工夫はミステリとして面白いものになると思う。
あるいは、この刑事を、押収した麻薬を横流ししてたのがバレそうになって休暇を取って逃げてきた悪者、みたいなポジションにすると、彼自身に刑事だけど警察に連絡したくない事情が出来るので、県警に連絡しようとする駐在を静止させたり、犯人に気がついて脅そうとしたり、物語をかき回してくれそうです。

個人的には「駐在さんが地主の言いなり」が楽かなと思う。
「発見が遅れたという事にしても、せいぜい2・3日しか時間を稼げませんよ」みたいな流れにすればとりあえず時間ができるので、あとは「警察が来るまでの話」にしてしまえば良いわけで、古典的なクローズドサークルも同じ話だけど、結局は「警察が来るまでに時間がかかる、警察が来るまでの話」なわけで、「来るまでの時間」が稼げれば良い、って事になるかなと。
刑事案は、この刑事が県警に連絡しようとしてなかなかそれが出来ないパターン1と、刑事自身が県警への連絡を妨害しようとするパターン2で、どっちも物語的には面白くなると思うけど余計な設定が増えるので面倒も増えそう。
駐在案は、田舎っぽさの描写や地主の力関係などの描写も同時に出来るので、田舎(の闇)らしさを書きつつ県警への連絡を止めて時間を稼げるため、こっちのが楽かなと思う。

ホラーにも通じるけど、世の中便利になりすぎて圏外の場所が少なくなってきたりそもそも携帯とかスマホなんてのが出てくると、もうホントやりにくいですよね。
そのため時代設定を昭和にする、なんてのもよくあり、田舎だとあんま変わらないので携帯電話が普及してない時代にしてしまうのも手かなと思います。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: ミステリーと警察

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投稿日時:

元記事:書いたプロットから文章を書こうとしても詰まる。書けない。

ごめんなさい。プロットの書き方について教えていただけないでしょうか。
自分はプロットを結構細かく書いたつもりでも、途中であーじゃないこーじゃないといって文字を書いたり消したりの時間がものすごい多いです。そして結局かけません。

多分、詰まる箇所は、心情描写や説明描写、あとは書いたプロットの筋書きと筋書きの間を埋める文章あたりです。自分でも解決策がよくわかりません。この程度の説明じゃわかりにくいかもしれませんが、分かる方いらっしゃいましたら教えていただけませんか。

あと、もう一つなのですが、複数の情報を説明しなければならないとき、どっちを優先したらいいのかわからなくなる時があります。

例:敵につかまってどこかに拘束されているキャラクターが目を覚ますとき
目を覚ます ⇒ ここはどこなのか? ⇒ 動こうとする ⇒ 縛られている

目を覚ます ⇒ 縛られている ⇒ わけがわからない ⇒ ここはどこなのか?

どっちの切り口で話を進めればいいのか分からなくなります。
これもいい方法ありましたら教えていただけないでしょうか。

上記の回答(書いたプロットから文章を書こうとしても詰まる。書けない。の返信)

投稿者 手塚満 : 1

1.プロットを進められない点について

プロットから小説本文を起こそうとして、行き詰るという相談がこの間ありました。

・プロットから執筆する際、ストップしてしまう要因
https://www.raitonoveru.jp/counsel/novels/thread/2789

スレ主さんですと、プロットで行き詰まりということですから、違う現象のように見えますが、気になる共通点があります。上記ですと「書いては消すの繰り返し」と仰っています。スレ主さんですと「あーじゃないこーじゃないといって文字を書いたり消したり」ということですね。回答も多く寄せられていますので、参考になさってはどうかと思います。

いずれにせよ、とりあえずのものも書き上げることができないという点で、お悩みが共通しているようです。類似のお悩みをいくつも見かけました。書き出してみるとなんか違う気がする、途中でおかしいと思って進まない等々です。

途中で引き返すのは正しい方法の1つではあります。間違いと分かっていながら、突き進んでしまっては破たんするかもしれない。プロならいざ知らず、アマチュアないしは趣味で小説書いてて、失敗しても大怪我するわけではないですが、やはり避けたいものではありますね。経験から来る予感、直感は大事にすべき。

ですが、いつも途中で詰まって消してしまうとなると、別の原因も考慮しておく必要があります。特に、完成させたことがあまりないなら、予感、直感自体が信頼性が低い可能性が高いのです。経験から来るものが大きいですからね。

まだ作り始めていない、あるいは途中段階ですと、その先は可能性の塊みたいなものです。例えば、主人公がこうしたとして、次はこうもできるし、ああもできる、あるいはそうすることも、みたいな感覚です。

このことを、お金に喩えてみます。今日、好きに使っていいお金が千円あるとします(使わなかったら没収される、と考えてみてもいいかも)。旨いラーメン食おうか、好きな映画の廉価版DVD買おうか、興味があった物語の本を買おうか、とか嬉しく悩めますよね。千円札1枚がいろいろなものを買える可能性を持っているからです。

だけど、可能性に過ぎません。ラーメンを選んだら、映画や本は諦めないといけない。映画を選んでも同様ですね。手に入るのはたった1つ、千円分だけです。千円札1枚を物に具体化すると、可能性から現実に変わります。数多の可能性に対し、たった1つの現実です。

プロット・物語作りでも同じです。主人公にはいろんな選択肢が生じる。主人公が選べる可能性は数多とある。だけど、選べるのはたった1つになります。ある選択をすると、他の選択肢は消滅する。

途中で行き詰る人に少なくないのが、事前に想像した数多の可能性がもたらす楽しさを、実際に書いてみたたった1つの結果にも面白さとして求めてしまうというものです。でも、当たり前なんです。

書く前に思っていたほど、実際に書いてみたものが面白くないのは当たり前と覚悟すべきです。いくつものの可能性をそのまま同時に書き表すのは不可能です(量子力学の「シュレディンガーの猫」でいえば、生きていて、かつ死んでいる猫みたいなもの)。文章ではたった1つの現象しか描けませんし、そもそもいくつもの可能性が塊になったものなんて、どう表現されても理解できません。

どんなに違和感が生じても、まずは書き上げてしまうことです。しかし、書き上げたら完成でもありません。なぜ書き上げることが重要かといえば、「叩き台」になるからです。「叩き台」とは「批判・検討などを加えて、よりよい案を得るための原案。」(デジタル大辞泉)です。

一度で最高の完成度なんて、ごく限られた天才にしかできません。普通は、小説本文なら推敲し、改稿して改善していきます。プロットだって同じです。頭の中だけで練っていてもなかなか上手く行きません。たとえ短い話でも、情報量は膨大になります。キャラ1人だって、性格とか経歴とか出自等々、いろいろ考えとかないといけないですよね。頭の中だけで練れるような単純なものではありません。

だから、まずは書いておくんです。すると、全体を見渡して扱えるようになります。さらに、書いたことから発想を得ることもできます。創造は大変な作業ですが、改善は比較的楽なんです。元になるものがあれば「ずらしたら」「大きくしたら」「入れ替えたら」等々で変更案を思いつくことができます。

さらに、たとえギクシャクする感じでも、一応はプロットに形に書き上げれば、誰かに見せて相談できます。このサイトでもプロット相談用の掲示板がありますよね。「騎士が姫を救う話を書きたいんだけど、プロットが書けない」では誰も手助けできません。曲がりなりにもプロットとして書いたものがあれば、上記の改善という段階となり、他人でも思いつくことが出てくるでしょうし、手伝うことも可能になってきます。

2.複数の状況の説明

お示しの例文とは異なりますが、同時に起こっていることでも、文章だと分けて書かないといけないですよね。コミックなどの絵での表現だと、同時のものを同時に表せるんですが、文章だとそうはいかない。

お示しの例文とて、ほぼ一瞬に起こるものではないかと思います。目を覚ましたら見慣れない風景でしょうし、目を覚ましたら体動かすのは普通ですんで、動けないと思うや否や縛られていることに気づくか、あるいは目を覚ましたときに自分を縛るロープが見えて混乱するか。

コミックなら2コマでしょう。1コマ目:単に目を覚ます(顔アップ)→2コマ目:縛られて転がされている状態で「なんじゃこりゃ!」と叫ぶ、みたいに表現してしまえます。だけど、文章の描写ではできない。名詞に限っても、何らかの順番で出していくしかない。読者側では、名詞ごとに物がイメージされ、全部で揃ってようやく全体像がイメージできるわけですから。

お考えのように、優先順位をつけるしかないわけですね。しかし、シーン内だけで考えて、優先順位をつけられることは少ないように思います。シーンの前後もよく考える必要がありますお示しの例で考えてみます。

> 例:敵につかまってどこかに拘束されているキャラクターが目を覚ますとき

これはシーンの前提となるものですね。その次以降からすると、「気を失っている状態で拘束された」ということになります。

> 目を覚ます ⇒ ここはどこなのか? ⇒ 動こうとする ⇒ 縛られている

シーンでの詳細な各アクションですね。数字を振って、箇条書きにしてみます。

0:???
1:目を覚ます
2:ここはどこなのか?
3:動こうとする
4:縛られている
5:???

キャラは過去の経緯を踏まえて行動します。1~4ではとりあえず驚いているだけですから、目を覚ます以前のことはまだ気にできるほど落ち着いていないはず。しかし、このシーンの後(5以降)もあるわけですよね。

1~4だけだと、もう1つの例と大差ありません。「わけがわからない」も書いてないけど、上記には含まれるはずです。2で場所を疑問に思う直前に「わけがわからない」と感じるはずです。

0:???
1:目を覚ます
2:わけがわからない
3:ここはどこなのか?
4:動こうとする
5:縛られている
6:???

しかし、「わけがわからない」と感じるには、周囲の異常に気付かないとおかしいはずです。いつも寝ているところで目を覚ませば(拘束に気づく前の一瞬なら)おかしいとは思わないはず。

0:???
1:目を覚ます
2:目に入った光景は周囲が見慣れない場所
3:わけがわからない
4:ここはどこなのか?
5:動こうとする
6:縛られている
7:???

これでも足りない。なぜ最初の思考・疑問が「4:ここはどこなのか?」なのか。そこは0に入るべきシーンの前提が影響するはずです。だからシーン直前までの経緯を考えないと、3→4をうまくつなげられなくなったりします。

例えば3と4の間が「3.5:何があったか思い出せない」となれば、とりあえずはこのシーンはそこまでの経緯をあまり気にせず作れそうです。しかし、「3.5':○○で●●していて、そこから思い出せない。あのとき敵に襲われたか?」(0:???に相当する事情)という思考が生じると、主人公に何らかの目的意識(敵の狙いをかわす行動を考える等)が生じるのが自然となります。

5→6は自然でしょう。ですが、6でシーンを終えるからには、7は「この拘束を解くには?」と考えることになりそうです。続くシーンは拘束をいかに解くかにつなげると自然な運びにしやすい。

もう一方の例文では、シーンの最後が「ここはどこなのか?」という思考・疑問です。縛られていることは既に気づいていて、そのままで自分の今いる場所について考えている。これも、シーン前にどうだったかが影響したはずですし、続きのシーンは場所が分かったら脱出のヒントが得られる、みたいな感じで続けるのが自然となります。

どちらがいいとは言えない。決まるとしたら、このシーンの前後のストーリーの要請です。あるいは、拘束を解いて脱出するアクションを見せたいのか、自分の置かれた状況の謎を推理し看破するシーンを見せたいのか、という問題ですね。

以上は一例にすぎませんが、どの情報をどの順番で出すかは、シーン前後から決まって来るという点が大事です。シーンだけ取り出して考えても結論は出ません(たいてい、どういう順番でも大差ないとしかならない)。

ことわざを借りて言い換えてみますと、「木を見て森を見ない」のでは、シーン描写の文章はうまく作れないということになります。シーン内の事情(木)だけではなく、シーンの前後(森)を考慮して、上手くつながるように、見せたいものを印象付けられるにはどうするか、で考えてはどうかと思います。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 書いたプロットから文章を書こうとしても詰まる。書けない。

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