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手塚満さんの返信一覧。最新の投稿順32ページ目

元記事:エンタメの傾向は、景気とは関係ないんじゃないでしょうか?

エンタメラボ記事より。

シェイクスピアはマクベスなど、悲劇の名作をたくさん残していますが、当時のイギリスは黄金時代と言われるほどの好景気の時でした。
こういう時代では、悲劇が好まれます。

あれ?

木下順二は、岩波文庫の『マクベス』あとがきで、真逆のことを書いています。

 シェイクスピアが四大悲劇を書く前ごろから、世の中が変わってくる。
(喜劇)『ヴェニスの商人』が書かれた頃のような初期資本主義の矛盾が出てくる頃になって、シェイクスピアは暗くて難解だが深く、見る者の中に直接訴えるような作品を書き出した、と。
 
 ラノベの傾向って、景気とは関係ないんじゃないでしょうか?
 むしろ景気を意識するなら、暗い時代こそ真面目に考える要素があってもいいんじゃないでしょうか?

上記の回答(エンタメの傾向は、景気とは関係ないんじゃないでしょうか?の返信)

投稿者 手塚満 : 0 投稿日時:

ご質問にして、ご主張でもあるようですが、違和感を感じます。問いの立て方自体が危ういんじゃないでしょうか。もう少し分析すべきでしょうし、そんな細かいことを気にすべきかどうも考える必要がありそうです。

以下、少し説明を試みたいと思います。

1.シェイクスピアの分析は正しいのか

シェイクスピアって、悲劇も喜劇も書く、幅広い作風の有名作家であるわけですよね。しかも、昔の人でありながら、作品は今も名作とされるものが多々ある。時代に乗ることが重要で、旬の大事さなんてことを言われる現代エンタメ作品とは、事情がだいぶ違うんじゃないかと思います。我々は今受けることを狙っているのであって、百年後に名作と呼ばれるものを作ろうとしているわけではないはずです。

また、異なる2人の異なる分析を単に並べて相違を言い立てても、あまり意味はないんじゃないでしょうか。別の知っている例を出しますと、例えばチンギスハーン。大帝国を作り出した英雄と評する向きもあれば、ある歴史解説書では、オアシス国家群を結ぶ水路を破壊して、東西の通交を分断したこと等を以て「世界の鼻つまみ者」と呼んでいるのを目にしたことがあります。

これを「英雄なの? 鼻つまみ者なの?」と問うても意味はないでしょう。各々の評は、別の人が、別のコンテクストを以て、別の判断をしているに過ぎません。こういうのは「人それぞれ」と言うべきであって、矛盾等ではありません。

2.お示しの2つの見解はどちらかが間違いなのか

それでも、お示しの2つの見解を考えると、それらは相矛盾しているのでしょうか? 初期資本主義はおおむね重商主義時代です。産業革命が始まる前に盛んになり、工業化に伴って近代的な資本主義に移っていきます。

ですので、経済的には勃興期と考えていいでしょう。イギリスはヨーロッパでは最後に成功を手中にしただけに、少なくとも20世紀に入るまでは右肩上がり、と大雑把にとらえてもよさそうです。

初期資本主義が勃興していくということは、経済的に発展することではあるんですが、資本主義の負の側面も増大すると考えていいでしょう。例えば、労働者が搾取される事例、歴史はよく知られるところです。欧米を追った日本ではいずれ「女工哀史」なんてことになったりもしました。

経済的発展と社会的矛盾は同時に出てくるわけですね。ですので、お示しの2つを統合するとすれば、例えば、

「 シェイクスピアはマクベスなど、悲劇の名作をたくさん残していますが、当時のイギリスは黄金時代と言われるほどの好景気の時でした。こういう経済右肩上がりのイケイケ時代では、対照的な悲劇が好まれます。
 しかし、シェイクスピアが四大悲劇を書く前ごろから、社会の様相も変わってきます。(喜劇)『ヴェニスの商人』が書かれた頃、初期資本主義の負の側面もあらわになってくるようになって、シェイクスピアはそこから暗くて難解だが深いものを読み取り、見る者の中に直接訴えるようなリアリティも作品に加えるようになりました。」

と捉えることも可能です。もちろん、このように統合するのがいいということではなく、対照的な見解として、自分が作品を書くときにはどっちの路線で行くか、と考えるのも有用でしょう。ですが少なくとも、「矛盾しているからおかしい」という思考に進むとしたら、あまり益がありそうではない。

3.エンタメフィクションの旬は世相と逆張り

自分が現時点で採用している方針は「作風、題材は世間にあまりないものにする」です。世間的によく見るようなこと、ものを題材にしても、ありきたりになりがちです。ぱっと注意を引けるものは作りにくい。世相と逆張りしますと、珍しいものにしやすく、目を引きやすい。

例えば、福沢諭吉の1万円札を誰かに見せても、「ふーん」でしかないですが、聖徳太子の1万円札を今見せたら、「なんだそれ?」「まだあったんだ!」みたいな反応になりますよね。もちろん、聖徳太子が1万円札現役だった頃だと、聖徳太子の1万円札は「ふーん」扱いです。福沢諭吉に切り替わると、しばらくは「これが諭吉の1万円札か!」と興味を持たれました。

4.リアリティは馴染んだもので出す

その一方、「リアリティは細かい点で出す」です。細かい点では身近にあるものを使う。映像作品ですが、庵野監督は未来が舞台の作品でも、ドリンク、スナック菓子、ゲーム機等々について、制作時点で実在するものを克明に模し、いかにもそこでキャラに生活があるようなリアリティを演出しています(しかし、ずっと後で見直すとレトロに感じてしまったりもする)。

正確さを期すなら、小道具も未来にありそうなものを想像して描くべきかもしれません。しかし、それだと観客が「これはなんだ? あれは何?」となってしまいかねません。自然に引き込むには不利となります。ですので、細かい点では今あるものを使う。

上記のお示しの2つをまとめたものも、そういう考えで統合してみたものです。方向性等の大枠なものは世相にないものを採り、キャラクターの身近なことは観客にとって身近なものを使ってみる。簡潔に言い換えれば「大きな嘘を小さい真実で飾って誤魔化す」です。

5.景気は世相の指標の1つでしかない

大枠(作風、題材等)では世相と逆と申し上げました。しかし、「世相」ではちょっと曖昧でどうしていいか分かりにくい。もう少し具体的な指標として「景気」があるでしょう。景気が上向く時期には、細かいことが気にならず、将来にも希望を持ちやすい。ではフィクションでは逆張りして悲劇、というのは作者の戦略の1つとしてアリでしょう。しかし景気が根っこだと思うと間違います。気にするのは不特定多数の人々の気分、特に自分がターゲットとする読者層の気分です。

6.失礼ではありますが質問返し

以上、一応の回答をしたうえで、お尋ねしたいと思います。

>  ラノベの傾向って、景気とは関係ないんじゃないでしょうか?

これは質問文ながらスレ主さんのご主張と思われますが、なぜそう思うのですか?

>  むしろ景気を意識するなら、暗い時代こそ真面目に考える要素があってもいいんじゃないでしょうか?

これも、そうお考えになる理由をお尋ねしたいと思います。

さらにお尋ねするとしたら、「なぜそんな細かい点が気になるのですか?」も疑問としてはあります。そんな細かいことに結論を出したとして、何か得るものはあるんでしょうか。

カテゴリー : 創作論・評論 スレッド: エンタメの傾向は、景気とは関係ないんじゃないでしょうか?

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元記事:文章を書いてみました

1年位前に文章力について相談した時「どんな文章を書くのか実際に読んでみないとわからない」と言われたのを思いだして、プロローグ相談所に投稿してみました。
既に結構な数の意見を頂いているのですが、その時の方々にも見ていただきたいと思い、ここに張り付けてみます。
見ていただけると幸いです。
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/prologue/novels/show/225

それと、その時最後にレスしてくれた方にお詫びいたします。
スレッドが埋もれてしまい、このサイトの使い方が良く分かっていなかったのでトップページ見れなくなったスレッドを探すことができず、気づきませんでした。気づいた時には古いスレッドを上げるのは良くないと思い、書き込むのをためらってしまいました。すみません。
そして返信ありがとうございます。その時は「わかっちゃいるけどそれができないんだよ」と思いましたが、今では言われた事を実践できるようになった気がします。ありがとうございます。

上記の回答(文章を書いてみましたの返信)

投稿者 手塚満 : 0 投稿日時:

細かい点でもいろいろ推敲の余地はあるように思います。情報の出す順序での一文ごとの並びとか、各文での単語選択とか、重複などの冗長性とかとか。それらは、すらすら読めて、ぱっぱと分かるためには磨き込んでもいいかもしれません。

しかし、もっと大枠で問題がありそうに思います。そこで非常に損をしている感じです。これは小説の途中ではなく冒頭ですよね。読者を掴んで、続きを読んでもらえる作りにする必要があるはずです。

しかし、出だしからイベントが発生しているようには見えません。重要キャラクターが何かしようとする動きが感じられません。物語の舞台とか設定とか、これから読むドラマを理解する準備に、出だしからの相当部分が使われてしまっているようです。

具体的に計算してみます。このサイトのカウンターによれば、冒頭全体は、

> 文字数 : 6,335文字
> 原稿用紙換算枚数 : 16枚

となっています。主要キャラクターが具体的な動きを見せたと感じるのは、まず、

>  少年の手を取る。
> 「ちょっとこっち来て」

からでしょうか。そこまでの文字数は、

> 文字数 : 2,695文字
> 原稿用紙換算枚数 : 7枚

です。つまり冒頭のイベント開始まで、出だしから全体の43%が設定説明に費やされています。しかも、その後は設定説明主体に戻ってしまいます。キャラがちゃんと動きを見せ、その後にドラマが起こりそうと思えるのは、

>  ザッザッと歩いていると、遠くに影を見つけた。そいつはこちらを見つけたらしく、段々と寄ってきた。どう見ても人間には見えない。

からでしょうか。そこが目を引けるイベント開始になっているようです(あるいは、なり得そう)。

そうだとしますと、文字数計算ではそこまでが、

> 文字数 : 5,557文字
> 原稿用紙換算枚数 : 14枚

となります。目を引けるイベント開始までの設定説明が、実に全体の88%にもなります。文章量は原稿用紙14枚分です。そこまでは、読者は作者が語る物語舞台やキャラ紹介を読み進めねばなりません。言い換えると「お勉強」です。作者は自分の想像したイメージを語るので楽しいですけど、それを聞かされるだけの読者はなかなか楽しめません。

出だしからキャラクターを動かし、イベントを起こして読者の目を引いたほうがよくないでしょうか。よく使われる手で、あまりに使われるので避けろという人がいるほどの手法で「1行目が台詞」というのがあります。

出だしでも台詞であるだけでキャラがいること、何かに反応していることが分かります。その台詞内容が異変を暗示してたりすると、さらに興味を引くことができます。

お示しの冒頭ですと、無言で迫って来る「ソイツ」から始められないか、構成から見直してはどうかと思います。読者としては主人公エーリカも、ホーリーも知らず分からずですが、「主人公らしきキャラに危機が迫る」ことくらいは分かりますし、拍子抜けするオチだということも分かります。

そうなれば、読者は「その2人って誰なんだ?」という興味を持てます。そこから説明を含む描写にしていけば、より有利ではないかと思います。

細かいことは後、みたいなことを申し上げておいてなんですが、細かい点での注意点もあります。お示しの冒頭ですと、物語世界の舞台について具体的に示すのが少し遅いようです。はっきりと文明レベルを示唆する単語は「携帯ゲーム機」です。その後の初出までが、

> 文字数 : 1,530文字
> 原稿用紙換算枚数 : 4枚

となっています。この間、物語世界の文明レベルが曖昧です。一応、「多機能なカード」がもっと前に出ては来るんですが、どう多機能なのかは(主人公にも)よく分からない。中世欧風で魔法のある世界、でも通じてしまいます。

現代でも身近にあるアイテムが「携帯ゲーム機」になります。ゲーム機はすぐに時計機能もあると示され、現実世界でだいたいの時期も察せられます。そこから全体的、かつ具体的にイメージも確定してきます。

読者は文章から映像イメージを再現しますので、基準となるアイテムや描写は、できるだけ早く出すべきです。上記しました通り「携帯ゲーム機」だけでも相当にイメージ確定効果がありますから、ピンポイントな単語だけでも出だしには充分です。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 文章を書いてみました

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元記事:エンタメの傾向は、景気とは関係ないんじゃないでしょうか?の返信の返信

簡単に言えば、「景気との逆張り」の具体例としてシェイクスピアの四大悲劇は不適当ではないかということが言いたかっただけです。ずいぶんといい加減なことを書いてくれるなあと思ったもので。

「イケイケ」のときに好まれるから四大悲劇が次々に書かれたわけではないでしょう。本当に「イケイケ」だった頃にはむしろ、その頃に書かれたハッピーエンドの『ヴェニスの商人』がウケただろうと思います。
むしろ、木下順二が述べているように「世の中が濁ってきて明るい見通しが持てなくなっている」のを感じ取ったからこそ、それを反映させた四大悲劇が書かれたと考えた方が自然ではないかと思います。別に名作を書こうとしたからではなく、そっちのほうが観客にウケるだろうという理由で。
おっしゃる通り、肝心なのは読者層の「気分」です。
第二次世界大戦で破壊されたパリの街で大爆笑を誘った『ゴドーを待ちながら』も、アメリカのマイアミビーチでは
不評でした。これも「気分」の違いといえるでしょう。

さて、挙げた具体例が適当ではなかったのですから、ラノベの傾向を景気と逆張りさせたほうがいいという主張には疑問符がつきます。たまたまこの10年間くらいにその傾向があったとしても、次の5年、10年がそうなるとは限らないでしょう。

それならば、「次に何がくるか」考えてあくせくするよりも、敢えて直球を投げた方が建設的なのかもしれません。
ここでいう「直球」とは、世界の在り方や自分の生き方といった、いつの時代でも考えざるをえない問題です。
ゲームの流行やSNSの感情的な言葉の断片ではなく、こういったものにほんの少しでも向き合わせてくれる要素を、ライトノベルの読者も本当は求めているのではないかと思います。
それを探し当てて作品として送り出すことで、作者が得るものも大きいのではないかと思います。

上記の回答(エンタメの傾向は、景気とは関係ないんじゃないでしょうか?の返信の返信の返信)

投稿者 手塚満 : 0 投稿日時:

まず、考える視点が間違っています。シェークスピアについて申せば、シェークスピアが書いたことが重要ではありません。作品が受けたことが大事なわけです。書き手ではなく読み手主体で考える視点からブレるべきではないでしょう。

もう1つ。何かしら「例外は認めない」みたいな思考があるように感じます。創作は確固たるセオリーはありません。こうすれば必ず面白くなる、なんて手法は知られてません。事例とコツがあるのみです。

ことわざでも正反対のものがよくありますよね。石橋を叩いて渡る、もあれば、断じて行えば鬼神もこれを避く、もある。どっちが正しいかは判断できない。ことわざを用いる人が、適したものを選んで使ってみるしかないわけです。

ほぼ一文ずつ、説明しつつの再回答を致します。

> 簡単に言えば、「景気との逆張り」の具体例としてシェイクスピアの四大悲劇は不適当ではないかということが言いたかっただけです。

これはスレ主さんの言いたいことであり、問題はありません。

> ずいぶんといい加減なことを書いてくれるなあと思ったもので。

これは説明を要するでしょう。参考にならないと思えばスルーすればいいわけですが、なぜしなかったのでしょうか。反論したくなった、ということは、カチンとくるものがあったわけです。その「カチン」は自分の何に当たったのか。せっかくのチャンスを生かしておいでではないようです。

> 「イケイケ」のときに好まれるから四大悲劇が次々に書かれたわけではないでしょう。

そうですね。いろいろ書いたでしょう。その中で悲劇については4つほど、後世に残るほど受けたものがあるわけです。シェイクスピアは謎のある人です。受けないものもあったかもしれません。むしろ、あったはず、と考えたほうが無難でしょう。受けなかったら消えるのは昔も同じでしょう。

繰り返すようですが、書いたことが重要ではない。受けた作品が何かが重要なわけです。

> 本当に「イケイケ」だった頃にはむしろ、その頃に書かれたハッピーエンドの『ヴェニスの商人』がウケただろうと思います。

イギリスにおいてはずっと右肩上がりだっただろう、ということは、事実関係を元に軽く触れました。そこを無視して、イケイケだった時期、そうでない時期をわけ、悲劇が受けた時期、喜劇が受けた時期を論じるなら、事実関係を提示してください。

でないと、なんとも言えないのです。スレ主さんも、 No: 3の返信において、回答No: 2の内容について出典をお求めです。同様になさってくださるよう、お願いします。

> むしろ、木下順二が述べているように「世の中が濁ってきて明るい見通しが持てなくなっている」のを感じ取ったからこそ、それを反映させた四大悲劇が書かれたと考えた方が自然ではないかと思います。

上記で述べたように根拠不明です。細かい時期別のご解説をお願いします。それまでは、単に「スレ主さんがそう思いたい」でしかありません。

> 別に名作を書こうとしたからではなく、そっちのほうが観客にウケるだろうという理由で。

そこで止まってしまうから分析が甘いのです。何が観客に受けたのか、まで進まないと分析とは言えません。後世に残るほどの作品について論じていらっしゃるのですから。ラノベの傾向って、作者が決めているわけじゃないでしょう?

真逆で、何が読者に受けたかで決まって来るものです。よく言われることですが、「これで売れるかな、と考えるのではなく、これで買いたくなるか、で考えよ」と似ているといえるかもしれません。

> おっしゃる通り、肝心なのは読者層の「気分」です。
> 第二次世界大戦で破壊されたパリの街で大爆笑を誘った『ゴドーを待ちながら』も、アメリカのマイアミビーチでは不評でした。これも「気分」の違いといえるでしょう。

これで何をおっしゃろうとしたか、よく分かりません。パリで受けて、マイアミビーチでは好まれなかった。では東京では、とか延々と続きそうです。「ゴドーを待ちながら」以外に、「ゴジラ」(第一作)はどうか、とかもあります。なぜその事例(作品、場所)を出したか、まで進まないと話が見えて来ません。

> さて、挙げた具体例が適当ではなかったのですから、ラノベの傾向を景気と逆張りさせたほうがいいという主張には疑問符がつきます。

挙げた具体例とは、具体的にはどれですか? どれが、どのように適当ではなかったかは、スレ主さんが具体的に指摘しないことには、こちらとしては意味を取りかねます。ちなみに、景気と逆張りとは私は申しておりません。世相の指標になり得る1つとは申しましたが。

> たまたまこの10年間くらいにその傾向があったとしても、次の5年、10年がそうなるとは限らないでしょう。

つまり、人間の性質はそのスパンでガラッと変わるということでしょうか。気分ならそうでしょう。しかし気分のベースとなる脳がそんな短期間に変化するとは思えませんが。かつ、「限らない」と可能性をほのめかすだけでは、判断材料になり得ません。

> それならば、「次に何がくるか」考えてあくせくするよりも、敢えて直球を投げた方が建設的なのかもしれません。

だんだん意味不明さが深まってないでしょうか。次に何か来るか、の「何」は何を指していますか? 世間の人々の気分ですか? 拘っておいでの景気ですか? そして「直球」で何を喩えているのですか? その直球をどこへ投げるとストライクなのですか?

もし、暗い世相なら暗い作風、ということでしたら、まさに直球をお投げになればいい。分かりにくい喩えに頼る必要はありません。そして、なぜその直球なのかをご説明になればよいのです。

> ここでいう「直球」とは、世界の在り方や自分の生き方といった、いつの時代でも考えざるをえない問題です。

一応、「直球」の説明を意図しているんだと思いますが、極めて意味がとりにくい。世界の在り方とか自分の生き方とか、ここまで出てきていない話へ枠を広げていることが理由の1つ。まだあって、「いつの時代でも」と仰る割には、直前で「たまたまこの10年間(略)次の5年、10年がそうなるとは限らないでしょう。」と仰っていること。

先が見通せないといった直後に、時代を超えて不変、みたいな話をされても、何をお考えなのか測りかねます。

> ゲームの流行やSNSの感情的な言葉の断片ではなく、こういったものにほんの少しでも向き合わせてくれる要素を、ライトノベルの読者も本当は求めているのではないかと思います。

「こういったもの」とは「世界の在り方や自分の生き方」ですか? 
また「ゲームの流行やSNSの感情的な言葉の断片」は、少なくとも私が申した「世相」ではありません。分かりにくい旨、申し上げたはずです。そんなはっきりしたもので示せるなら、景気が指標の1つになり得る、なんて話はしないのはお分かりになるはずです。

> それを探し当てて作品として送り出すことで、作者が得るものも大きいのではないかと思います。

結局、よく分からないけれど万古不変のもの/こと、といったニュアンスを感じます。ご説明が曖昧なので、はっきりとは申せませんが。私は違うものを申し上げました。シェークスピアの諸作品のような後世に残るものでなく、時流に乗る今のもの旨、申し上げたはずです。

スレ主さんの最初のご質問とて「暗い時代こそ真面目に考える要素があってもいいんじゃないでしょうか?」と仰せです。そしてご質問の趣旨は、2つの相異なるように見える見解についてであり、ラノベの流行りと景気の関係であり、暗い時代は真面目な作風か、であったはずです。

どうもスレ主さんはこのご質問において、反論めいたものを見ると、前後を忘れて目先だけに反駁する傾向があるようです。だから、話があっち行ったり、こっち行ったりになりがちなのではないでしょうか。

これはつまり、考えがブレているということです。まだ試行錯誤している思考をそのまま書き連ねてしまっているといってもいいでしょう。一文ごとに詳しく返信申し上げたのも、そのことを自覚して頂けたらと思ったから。

まず、スレ主さんのお考えを、スレ主さんご自身が整理するべきでしょう。赤の他人を試行錯誤中の考えにに巻き込むべきではありません。

カテゴリー : 創作論・評論 スレッド: エンタメの傾向は、景気とは関係ないんじゃないでしょうか?

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元記事:ストーリーラインを戦闘シーンをメインに動かすのは公募で不利ですか?

少年漫画やアクション映画のように、激しいバトルを連続させてストーリーを繋いでいく作品を書いてるのですが、日常パートも盛り込まないと公募では通用しないんでしょうか?

上記の回答(ストーリーラインを戦闘シーンをメインに動かすのは公募で不利ですか?の返信)

投稿者 手塚満 : 0 投稿日時:

お考えの方針は不利、無理があります。やるとしても非常に難しいでしょう。なぜなら「読者/観客の緊張を保たせようとすると、かえって笑い出しさえする」という現象があるからです。

分かりやすいのは「お化け屋敷で笑う」現象でしょうか。お化け役の人が驚かす、あるいは仕掛けた人形で驚かせた直後、なぜか笑う客が多く出ます。

この現象は理由まで知られています。恐怖や怒りなどの緊張が高まると、過度の緊張を防ぐため(体が固まって動けなくなる等)、嬉しいとか楽しいの感情も高まるのです。その双方をバランスさせて、適切で機敏な行動がとれるようになっています。

しかし、客は「お化け屋敷」であることを知っています。わっと驚いても、直後に本物のお化けではない、危険ではないことを(半ば無意識に)思い出します。すると恐怖の緊張がすっと解けます。しかし、カウンターで上がっていた「嬉しい」の緊張は高まったままです。

このため多幸感状態に陥り、大笑いしてしまいます。フィクションでも同じことが起きます。ですので、ホラー映画等でもテンションを高めては緩め、また高めて、またも緩め、と繰り返ししていきます(これは落差を作り出す効果もあるけど割愛)。

緊張感のあるシーンが続いた後に、わざわざコメディリリーフを入れるのも、変化をつけて飽きさせない以外に、読者/観客が勝手に緩むのを防止するためでもあります。

テンション上げっ放しだと、読者がいつ緩むかは読者次第で予測できません。緊張を維持しようとすると読者が勝手にランダムなタイミングで緩んでしまうなら、作者がその前に緩ませてやる。そうすると次のシーンでまた読者の緊張を適度に呼び起こすことが可能となります。

以上のようなことが知られており、創作テクニックとして用いられています。これを破る作品をやる、つまり緊張感を下げないストーリー展開をするなら、読者が緊張を勝手に緩ませないテクニックが必要ですが、有効な方法は知られていないと思われます。

ですので、日常パートに限定しませんが、作者が読者に先んじて緩めるシーンを入れることは必要です。

カテゴリー : ストーリー スレッド: ストーリーラインを戦闘シーンをメインに動かすのは公募で不利ですか?

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元記事:ストーリーラインを戦闘シーンをメインに動かすのは公募で不利ですか?の返信

ご返答ありがとうございます。言葉足らずでしたが、作中の戦闘と日常の比率は7と3です。まったく日常パートがない訳ではなく、緊張が緩む場面もあるのです。戦闘パートに比べてこの比率は少ないでしょうか?

上記の回答(ストーリーラインを戦闘シーンをメインに動かすのは公募で不利ですか?の返信の返信)

投稿者 手塚満 : 0 投稿日時:

私のほうからは「日常パートに限定しませんが」とだけ申し上げたんですけれども、サタンさんがNo: 4で詳しく、しかし過不足なく説明していらっしゃいます。その通りであって、日常パートがどうこうという話ではないです。緊張感がウリであっても、その上げ下げ、締める緩めるが大事であるわけです。

逆に緩み主体の日常系の作品では、ときとして戦闘を入れないといけないのかと考えると、そうしなくても受けた作品ってあるわけですよね。戦闘を、事件や異変と考えても同じです。必ずしも必要ではない。なぜなら、日常会話であっても、キャラ同士の緊張がときとして高まることは普通にあるからです(言い換えれば、作者がそのようにキャラを操作している)。

日常パートなら緩む、戦闘パートなら緊張する、と固定的にとらえるのはやめたほうが無難です。どちらにも緊張も弛緩も存在させられますし、存在させなければなりません。

また、戦闘(緊張)7、日常(弛緩)3といった、文章量の比率でもありません。最初に申し上げたように、読者に先んじて、作者がテンションをコントロールできればいいのです。その辺りは勘でやっていくしかないわけではあるんですけれども。

こういう動きを描いたら、読者がどう受け取るか、想像するかをイメージし、読者の緊張をシミュレートする必要があります。人間の緊張の持続は諸説ありますが、最も集中している場合だと30秒くらいのようです。緊張度がやや低めでも、3分くらいが持続限界のようです。それ以上だと、読者が勝手に緩んでしまう恐れが強い。

文章作品だと「読んでいて感じる体感時間」となるため、映像作品より測りにくくなります。文体も影響します(例えば、短い文を連ねるか、それらをまとめて長めの文にするかでも体感時間が変わる)。

そういったことは主観ですから、客観的な文章量では測りにくいわけです。ですので、難しくはありますが、読者目線で読者の気持ちを追いつつ、文章をコントロールしていくしかありません。書いて行って、感想を貰って、読者の気持ちの動きを推測して、フィードバックをかける練習を繰り返して身に着けるしかないように思います。

といっても、闇雲に試すのも効率が悪くはあります。とりあず人気作から学ぶのが近道ではないかと思います。シーン描写自体をパクってはいけませんが、緊張と弛緩のバランス、タイミングを学んで真似てみるのはパクリではありません。学んで真似てみることから始めるのも手です。

カテゴリー : ストーリー スレッド: ストーリーラインを戦闘シーンをメインに動かすのは公募で不利ですか?

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元記事:登場人物を一度に二人以上出してもいいのか

名有りのキャラを、一度に二人以上登場させてもいいのでしょうか?

私は今異世界転移ものの小説を書いているのですが、その冒頭で、主人公が二人のキャラクターに起こされるところから始まります。

二人は付近の村の幼なじみで、いつも一緒に行動している設定です。
なので出来れば同時に登場させたいと思っているのですが、読者からすると負担にならないでしょうか?

上記の回答(登場人物を一度に二人以上出してもいいのかの返信)

投稿者 サタン : 2

たぶん、キャラを同時に多数出すと読者は混乱する、という事を気にされての質問だと思うけど、主人公以外の2人程度なら何も問題ないでしょう。
いきなり4人も5人も出てきたらわかんなくなるけど、パッと見て右と左くらいは誰でもわかるでしょ? という感覚で考えればいいんじゃないかと思う。

蛇足気味のお節介だけど、多人数を書くコツというかそういう部分での助言をすると、その場面で何を書くのかをハッキリ意識するのが良いよ。
4人も5人も出てきたらわかんなくなると書いたけど、実際にそういう場面を書いてる人もいるし書く機会もあるだろう。
例えばはじめて出席する冒険者の会議とかで上位ランカーが何人も出てくるとか。
こういうのは、「ランク1位とランク2位は仲が悪い」とか「冒険者は不満でも貴族の言葉には逆らえない」とか、そういう関係性を押し出せてれば、1位が誰で貴族は誰でというキャラを把握できてなくても内容はわかるから、こういう場面はキャラではなく関係性を書くことに注意すると多人数でもわかりやすくなる。
それで言うと、スレ主さんが気にしてる場面は二人程度だから別に気にしなくてもいいけど、主人公と幼なじみ二人がどういう関係性を持っているのかに注意して書いて、読者に「幼馴染みでいつも一緒にいる」と伝わった後に二人のキャラクター表現をそれぞれ個別にやるのがいいと思う。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 登場人物を一度に二人以上出してもいいのか

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投稿日時:

元記事:ミステリーと警察

本です。推理小説が好きな本です。

書こうとしているミステリー小説でひとつ悩んでいることがあります。警察の登場です。
殺人が起きれば呼ばれる警察ですが、どうも登場させることにためらいがあります。
そこでお知恵を拝借したいのです。ミステリー小説のなかでどんな設定であれば、警察が来ないことを自然と受け止めてもらえるでしょうか。
書きたい形が、警察を登場させず身内でどうにか解決しようというものです。

絶海の孤島、悪天候、電話が圏外など...警察が現場に到着しない要因(設定)はいろいろありますが、これだと思うものが思い浮かびません。

書こうとしている小説の設定は以下の通り。
・田舎の邸。そこそこ広い。
・季節は真夏の8月某日。
・悪天候(大雨)にはなる。
・邸に通じる道はつづら折れの坂道。

上記の回答(ミステリーと警察の返信)

投稿者 サタン : 1

王道なものは思いついてるようで、他によくあるのは、そうだな……
田舎であれば警察は駐在さんがいるだけというのがありますね。その駐在さんも地元出身者で、地元の権力に非常に弱い。なので地主や顔役みたいな人の影響が強く、警察はいつでも来れる状態だけど「警察が来ても良い状態」にならない限り警察は来ない。
あとは……
逆に警察官を登場人物の一人にしてしまう、というのもあるんじゃないでしょうか。
例えば休暇中の刑事とか。既に警察官として登場しているため「早く警察呼べよ」というツッコミがなくなり、警察を呼ばない事に違和感がなくなる。
警察官として出来る事は現場の保存くらいなもので、事情聴取も任意だから田舎の独特な力関係がある場所でよそ者の刑事に出来る事はたかが知れてる。
キャラとして登場させると、この刑事はおそらく物語上邪魔だと思うので「いかに県警に連絡を取らせないようにするか」という作者の工夫はミステリとして面白いものになると思う。
あるいは、この刑事を、押収した麻薬を横流ししてたのがバレそうになって休暇を取って逃げてきた悪者、みたいなポジションにすると、彼自身に刑事だけど警察に連絡したくない事情が出来るので、県警に連絡しようとする駐在を静止させたり、犯人に気がついて脅そうとしたり、物語をかき回してくれそうです。

個人的には「駐在さんが地主の言いなり」が楽かなと思う。
「発見が遅れたという事にしても、せいぜい2・3日しか時間を稼げませんよ」みたいな流れにすればとりあえず時間ができるので、あとは「警察が来るまでの話」にしてしまえば良いわけで、古典的なクローズドサークルも同じ話だけど、結局は「警察が来るまでに時間がかかる、警察が来るまでの話」なわけで、「来るまでの時間」が稼げれば良い、って事になるかなと。
刑事案は、この刑事が県警に連絡しようとしてなかなかそれが出来ないパターン1と、刑事自身が県警への連絡を妨害しようとするパターン2で、どっちも物語的には面白くなると思うけど余計な設定が増えるので面倒も増えそう。
駐在案は、田舎っぽさの描写や地主の力関係などの描写も同時に出来るので、田舎(の闇)らしさを書きつつ県警への連絡を止めて時間を稼げるため、こっちのが楽かなと思う。

ホラーにも通じるけど、世の中便利になりすぎて圏外の場所が少なくなってきたりそもそも携帯とかスマホなんてのが出てくると、もうホントやりにくいですよね。
そのため時代設定を昭和にする、なんてのもよくあり、田舎だとあんま変わらないので携帯電話が普及してない時代にしてしまうのも手かなと思います。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: ミステリーと警察

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元記事:主人公と副主人公がいて、それぞれにストーリーがある小説はラノベ新人賞では低く評価されますか?

こんにちは。
GA文庫の編集者の方が、ライバル側の事情に踏み込みすぎると主人公のストーリーを塗りつぶしてしまい、誰に感情移入して良いかわからなくなるという趣旨のツイートをなさっていました
https://togetter.com/li/98942

理解はできるのですが、他方で今取り組んでいる作品は、どうしても複数のストーリーが必要になることに気づいて頭を抱えています。
味方の陣営Aと敵の陣営Bそれぞれに視点人物A'(主人公)、視点人物B'(副主人公)を置いて、時にA'とB'を絡ませて衝突させ、時に会話をさせながら、敵の体制の問題点を浮き彫りにしつつ、主人公A'がB陣営を倒すという構成です。

このような形式の小説はラノベ新人賞では低評価になるのでしょうか?

今までのアイデアに固執するつもりはありません。低評価になるかどうか、なる場合はどのような構成に修正すべきかについて柔軟な意見を頂ければ幸いです。

よろしくお願いします。

上記の回答(主人公と副主人公がいて、それぞれにストーリーがある小説はラノベ新人賞では低く評価されますか?の返信)

投稿者 読むせん : 0

恐怖に釣られて来た。
なんか戦記物っぽい。戦記物において「恐怖」は別に要らん。そもそも、その恐怖って【主人公が侵略する事への正当性】のための担保でしかないんちゃう?
ーーーーーーーーーーーーーーーー
「ほーら、B帝国のやちゅらってば、こーんな残酷やねんでー??
やからB国民はぜーんぶ鏖殺(おうさつ)してもポクチンたちは悪くなーい。だってB国のやつらは『悪』だもん。(笑)」
「ゆえにウクライナ侵攻も、ガザ地区への空爆も『正義』である。分かったね?」

ってなもんよ。
ーーーーーーーーーーーーー
だいたいの娯楽作品の場合、【悪のラベリング】は
「敵国は悪者だから侵略戦争仕掛けても略奪しても奴隷にしてもOK★ぜんぶ正義の行いだぉ☆」
という軍事侵略の正当化や胸糞プロパガンダでしかなく、実は主人公が所属しているA国のほうが国民全員を情報操作や洗脳教育を行っている胸糞カルト国家でしたー☆ってオチになるやつやで。
ーーーーーーーー
ギリ近いやつで「纐纈城綺譚(こうけつじょうきたん)」
いらっしゃい!ようこそ旅人の生き血をすする吸血カルト城市へ♥って感じでB国っぽい集団の規模がミニマムだし、B市の住人はカルト教義のもと旅人全員を生絞りにしちゃう狂人設定だから悪も糞も無く、生絞られたくなければ抗え!!殺せ!!って感じ。

例えばやけど、B国はA国民全員のことガチで家畜程度にしか思っていないので、捕虜にされると、豚小屋で豚と一緒に飼われたりするし、祭りの人かに煮て食われるし、下手にツラがいいと鹿の剥製みたいに生首壁飾りに加工されます。くらいの原始的な危機感でええんちゃう?

粗筋だけやと自国内で自国民を搾り上げているだけやから、A国が出しゃばるまで行けへん気がする。A国にダイレクト迷惑アタックしている必要があるねん。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 主人公と副主人公がいて、それぞれにストーリーがある小説はラノベ新人賞では低く評価されますか?

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