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手塚満さんの返信一覧。最新の投稿順14ページ目

元記事:会話文の作法について

1:(元の文章)
「凄いなぁ、(キャラ名)は。実はね、悪いとは思ったんだけど実験させてもらったんだ」

2:(指摘者が改めた文章)
「実はね。俺の〇〇には特別な力があるみたいなんだ。女性を幸せにするためのね。申し訳ないと思ったけど、(キャラ名)で試させてもらって、それが本当だと分かったんだ。」

 自分の小説ではないので礼に失する質問かもしれませんが、上記の会話文(1)を「小説的にご法度っぽい書き方」と評している人がおりました。
 また、その方は(1)(元の文章)を改めた作例として(2)(指摘者が改めた文章)を上げていました。

 私には、元の会話文の何処が作法に反する〝ご法度〟なのか全く理解できません。
 それどころか、改めた会話文の方が括弧の前に句点を置くなど作法に反する気がします。

 内容をよく読んでも、物語として、矛盾がある訳でも不自然な点がある訳でもありません。
 ですから、自分の知らない〝小説のご法度〟があるのかと頭を悩ますばかりです。

 浅学の身を恥じるばかりですが、皆様の教えをいただきたく存じます。

 前後の文を読まないと理解が出来ないと仰られるかもしれませんが、分かる範囲で教えていただければ幸いです。
 特に会話文の作法などご教授いただければと思います。

上記の回答(会話文の作法についての返信)

投稿者 手塚満 : 1 投稿日時:

結論から先に申し上げますと、台詞の適否を決めるのは前後の文脈です。台詞だけ取り出しても分からない。短すぎて分からないのではなく、短いから分からないわけです。

既存の良回答にもありますが、これだけで何か判断するのは難しく、興味深いご質問とは思ったものの、回答を逡巡しておりました。スレ主さんの補足などもあり、少し分かる気もしましたので、多少の説明を試みてみたいと思います。

1.添削後の2について
> 2:(指摘者が改めた文章)
> 「実はね。俺の〇〇には特別な力があるみたいなんだ。女性を幸せにするためのね。申し訳ないと思ったけど、(キャラ名)で試させてもらって、それが本当だと分かったんだ。」

順序が逆となりますが、こちらが小説の情報・設定を説明できているとしまして。この台詞主を話し手A、聞いているはずの(キャラ名)を聞き手Bとします。

この台詞から窺えるのは、

a. 話し手Aに女性を幸せにする異能がある
b. 聞き手BにAの異能が確かに作用した
c. 聞き手Bは何らかの説明を必要としている

ということですね。しかし、こういうのは説明台詞と呼ばれかねないものになります。この台詞だけで設定説明が成立してしまっているからです。

例えばAの異能が対象女性に多幸感をもたらすものだったとします。普通、主に地の文でAの異能発動とBの状態変化(態度、言動等)を描写するはずです。仮に台詞が必要とすれば、Bが不審に思っているのでAが説明する必要があった、などでしょうか。

ただ、地の文で長々説明するのを避けるため、状況が飲み込めていない人を登場させることはよくあります。あるシーンでどうしても設定説明が必要なんだけど、地の文に入れてみたらどうも説明のための説明に堕してしまう。そこであるキャラの不安、好奇心として自然に出そうな質問台詞を発して、状況をよく知るキャラが説明してあげる。

しかし多用は出来ない手です。繰り返し使ってしまうと不自然さが鼻につくようになってしまいますから。ですから、上記のような説明台詞を言いたくなったら、その台詞の前後を見直すべきなのです。

2.原文1について
> 1:(元の文章)
> 「凄いなぁ、(キャラ名)は。実はね、悪いとは思ったんだけど実験させてもらったんだ」

「2:(指摘者が改めた文章)」の内容が正しいとすると、この1はちょっと疑問が生じます。話し手Aは聞き手Bを凄いとしており、この台詞からは異能の持ち主が聞き手Bであると受け取れます(AはBの異能が本物か、試してみた)。

この台詞1が2と同じ状況だとすると、話し手Aが言ったのは、聞き手BがAの異能に反応できる点が凄い、といった受け取り方になります。そういう会話も普通にあるでしょう。例えば、異能が「素直な人なら喜ぶ」作用だったとすると、褒めてもおかしくはない。

ですので、この台詞1つだけ取り出されても、必ずしも2の添削後の台詞と齟齬があるかどうかは不明です。この前後をみないと、台詞の情報が適切かどうかは判断できません。2のように添削した人がいるということは、2に含まれる情報がこの台詞前後で不足していたからかもしれません。

ただ、この1の台詞は短めですよね。だから読みやすい。2の文章量は78字(最後の句点は除く、台詞時間12秒くらいか)、1だと39字(句点での間がないことを考慮して、5秒以内か)。

2のような台詞が発せられるということは、聞き手Bは自分自身の何らかの状況変化、ないしは異変めいたものを感じているはずです。10秒以上もAの意味不明な説明(異能の内容がまだBには明らかでないはず)を聞いているかどうか、疑問です。

Bが己が異変がAが原因だと思い、BからAに説明を求めたのでない限り、Aの「実はね。俺の〇〇には特別な力があるみたいなんだ」でBがAの話を遮りそうです(「そんなことより、私に~」みたいな)。それでも短めですから添削後の2よりは読むのが楽なはずです。

3.会話文の作法?
しかし、この1の台詞ですら、話し手Aの「凄いなぁ、(キャラ名)は」まで言ったところで、聞き手Bが「何が? それよか私ね」と言って遮りそうです。そこでBも「実はね」と遮り、説明を続けることになりそうです。ですが、Bを焦らせる意図がないなら、「実験させてもらったんだ」を「俺の異能のせいなんだ」くらいにしてもいいでしょう。

「凄いなぁ、(キャラ名)は」
「え、何が? いや私、今」
「うん知ってる、悪いとは思ったんだけど俺の異能のせいなんだ」

こんな感じでしょうか。でもこれはダメな例です。元の1自体、問題があるのです。それは台詞で状況を説明してしまっている、ということです。ですので2はその点では、もっと問題がある。地の文ならいいという問題ではありません。

キャラを見せる小説では、キャラを動かして状況を見せるべきなんです。描写ですね。例えば、AがBに話しかける前に、AがBを見つめて念じる→浮かない顔だったBが急に嬉しそうになる→すぐに不思議そうな顔をする、という描写をしておく。するとAからBへの(最初の)台詞は「それ、俺の異能。ごめんね」くらいで済みます。

1にも2にも「実はね」があります。この言葉を書いたら、その続きは説明になります。「実はね」は要注意です。描写が足りていないから、そう書きたくなったのではないかと疑う必要があります。

もっとも、大事な場面では描写で語るということであって、端折りたいときは別です。1ないし2の台詞のシーンで、異能の開示・説明自体が重要でないなら、2のような台詞で済ますほうがいいこともあります。少し大事だとすると、前後の文脈にも説明・描写を分散して1の台詞ということもあります。

ですので、最初に申し上げたように文脈で考えるしかありません。会話文だけ取り出したら、適不適は判断できません。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 会話文の作法について

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元記事:自分の小説に他の作品の要素(種族、アイテムなど)を入れたい場合、それはOKかNGか、また位置づけは何になるか

もし仮に、自分の作品にドラゴンボールのサイヤ人と同じ「サイヤ人」という設定のキャラクターを出したい場合、それは大丈夫なのでしょうか?
また、その作品は作者が二次創作のつもりでなくても二次創作の内に入りますか?
(もしくはクロスオーバー?)

上記の回答(自分の小説に他の作品の要素(種族、アイテムなど)を入れたい場合、それはOKかNGか、また位置づけは何になるかの返信)

投稿者 手塚満 : 1 投稿日時:

お尋ねの内容から考えますと、マナーやルールは置いておくとしても(既に良回答にありますね)、まず間違いなく不可でしょう。非常に損だからです。

何が損か。むしろ得になりそうですよね。ある作品に「サイヤ人」と書いてあれば、読者は「ああ、あれか」と思う。ドラゴンボールシリーズを一応は読んだ/見た人なら、サイヤ人がどういうものか分かる。その作品内のサイヤ人の描写で、ドラゴンボール通りのサイヤ人描写が部分的にでもあれば、描写されていない部分はドラゴンボールのサイヤ人で補ってイメージすることができる。有名な単語・記号の力は絶大です。

二次創作ならそれでいいわけです。ですが、オリジナルの一次創作ではまずいことが起こります。特に文章作品です。サイヤ人って、言っただけで分かる人が非常に多いですよね。くどいようですが、それくらい記号として力があります。だから、ドラゴンボールのサイヤ人のイメージが被ってしまうのです。

どんなに工夫を凝らして描写しても、オリジナル作品でサイヤ人とされたキャラに、悟空やベジータ等のドラゴンボールの有名サイヤ人のイメージが浮かんでしまう。(種族の)名前こそサイヤ人(で設定も踏襲してるん)だけど、オリキャラや設定の差別化で独自性を出してある、で済む問題ではありません。

オリジナル作品で「サイヤ人」と読むたび、そのサイヤ人とされたキャラが出てくるたびに、読者には、まずドラゴンボールが思い浮かんでしまう。読者はそのドラゴンボールのイメージをいったん否定して、オリジナル作品のサイヤ人はどうだったか思い出し、イメージをし直す必要に迫られます。作者からは見えづらい現象ですが、読者としては大変面倒臭い作業です。

だから、名前だけは変えておく必要があります。サイヤ人で思い出すドラゴンボール以外の作品では、「戦場のヴァルキュリア」(ゲーム:2008年~、アニメ:2009年)があります。「戦場のヴァルキュリア」では、戦闘民族とも呼ばれるヴァルキュリア人のが存在し、ヒロインがその1人となっています。

ヴァルキュリア人の設定・描写がなかなかにサイヤ人~スーパーサイヤ人でして。ヴァルキュリア人の能力を使うときは見た目が変わる、瀕死に陥ると能力に目覚める、ないしは能力が大幅に向上する。まるでサイヤ人の設定みたいです。同作の感想でも、サイヤ人、スーパーサイヤ人がよく引き合いに出されていました。

だけど「ヴァルキュリア人」だからイメージが揺らがないのです。少なくとも、リアルタイムでアニメ視聴していて、サイヤ人とイメージが被ってしまうことはない。後でサイヤ人と似ている設定・描写だなと思えてしまうんですが、混乱は起こりません。

もう一つ、読者にがっかり感が生じかねない点もリスクになります。「サイヤ人」とあったら、ドラゴンボールを思い出し、ドラゴンボールを期待します。だけどドラゴンボールのようではない作品だったら、期待を外されてしまいます。八百屋という看板を見て店に入ったら魚ばかり売っていた、みたいなことになります。

自作に「サイヤ人」という単語を出した作者としては、例えば「設定説明が省けるから、読者も読むのが楽だろう」という配慮かもしれません。ですが、読者は作者の心づもりは知る由もありません。どこまでドラゴンボールと似せたのか、あるいはまったく別の作風にしようとしたのか。読み終えないと分からないわけです。

ですが、読み終えるためのモチベに大切な要素の一つ「どういう作品か」が分からないのでは、何に期待して読めばいいか戸惑います。「サイヤ人」という単語さえ出さなければ、「ドラゴンボール風を期待していいのかな、違うのかな」という迷いは出ません。

上記「戦場のヴァルキュリア」を例に説明したように、有名な設定・キャラ等の名前を変えても二つか三つくらいの特徴を描写しておけば、全く違うジャンルのオリジナル作品で出しても、「ああ、あれだな」と思ってもらえます。記号は変えて、意味はオマージュする。それで充分ではないかと思います。

カテゴリー : 著作権・オリジナリティ スレッド: 自分の小説に他の作品の要素(種族、アイテムなど)を入れたい場合、それはOKかNGか、また位置づけは何になるか

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元記事:魔法と科学の対決するタイミング

 魔法と科学が対立する作品は多いですが、大体どのタイミングがいいのでしょう。決まっているでしょうか。

 例えば『とある魔術の禁書目録』などは大分それを引き延ばし、科学は科学、魔術は魔術、といった風に出来る限り個別に描いて、実際に超能力者と魔術師が直接対決するのは割と後の方な気がします。

 対して、データは古くなりますが、例えば『魔法使いTai!』のような作品では最初からそれを描いていました。

 禁書はどうも引き延ばしによって人気を得ているように見えます。実際、まほtaiは科学勢力が退いた後にあたる部分は人気が無いようです。

 科学と魔法を対立させる(共存でない)場合、直接対決は最初からやるべきではないのでしょうか。
 個人的には早めに出したいのですが、何か例外になるようなラノベ作品があれば作風等含め教えてくださると幸いです。

上記の回答(魔法と科学の対決するタイミングの返信)

投稿者 手塚満 : 0 投稿日時:

魔法使いTai!」は観ていないので、なんとも申せません。ネット情報で調べようにも、作品についての解説記事も少なく、人気の変遷の理由なども、考えたところで憶測にしかならないようです。

「とある」のほうですと、未だにストーリーが進行してますね。人気も維持している。「魔法と科学」共存・対立作品群の、2000年代以降の中興の祖といってもいいように思います。どうして人気が出て維持できているのか、学べる点は多そうです。

1.魔法と科学は対立構造か

魔法と科学について、簡単に申し上げておきますと、現実的には対立するものではないです。魔法と呼ばれる現象が実際に起こせるなら、科学の研究対象となります。研究して判明したことも応用していくでしょう。だけど、調べるに足る現象を魔法と称するものが起こせてないので、科学研究としては手の出しようがないに過ぎません。

しかしフィクションではテンプレな科学のイメージはよく使われますね。科学者キャラが幽霊と聞いただけで、言下に無根拠に否定する、みたいな。「とある」はそうしたテンプレを利用して開始したように思えます。科学サイドと魔術サイドに世界、キャラを二分できるわけですね。

もっとも、科学サイドといっても、リアルでは超能力と呼ばれる超常現象を半ば解明していることになっており、「超」ではない「能力」として組み込んでいたりします。単に科学的とはせず、量子力学風味のSF考証をつけてある。

かつ、科学サイドが求めているものと、魔術サイドが求めているものは、実は同じらしいことも匂わされていますね。つまり重要で本質的な共通項がある。だから、科学・魔術サイドで争奪、闘争といった対立も起こるし、和解や協力も同様に起こってきます。最初から全て構想したかどうかは分かりませんが、上手い設定だと思います。

ですが、科学と魔術だからそうなるよう設定できたのか。そうではないと思います。異質なようでいて求めるものが同じ、というのは「悪の秘密結社 vs 正義のヒーロー」みたいな昔からよくある物語構造と同じです。もっとちっちゃい世界観だと「三角関係」。主人公男性に2名のヒロインがアプローチする、あるいは1人のヒロインを2人の男が奪い合う(ラブコメだけでなく「北斗の拳」もそういう話といえる)。

2.禁書の手法は対決の引き延ばしなのか

>  禁書はどうも引き延ばしによって人気を得ているように見えます。

これは当然の成り行きといえます。対立を解消したら、そこが1つの物語の終わりですから。ラスボスが最初に倒されたりすることは決してない。ラスボスは文字通り、物語のラストとなるべくして存在する最強キャラのはずです。そのラスボス打倒が主人公の目的ですから、最後まで温存されるのは必然です。

「とある」ですと、上位の存在を示唆しつつ(アレイスター、魔神、大悪魔等々)、中ボス的なキャラを打倒、ないしは和解していく構成になっています。次なる敵を魅力的にできたということでしょう。強さのインフレは感じられますが、インフレ率が高すぎて物語を壊すようなことには、今のところはなっていない。

「魔法使いTai!」がどうして「科学勢力が退いた後」、人気が落ちたのかは分かりませんが、一般論的に申せば、科学勢力に代わって対立を作り、かつ科学勢力以上に魅力的なキャラ群を出せなかったからかもしれません(「ドラゴンボール」でいえば、フリーザ以上に印象的なラスボスが作れなかったらしいことに相当する)。

ドラゴンボールのフリーザは、悟空と直接対決する前、もう少し申せば、フリーザ自身が戦い始める前までは圧倒的な印象がありました。静かに座っているだけなのに、相当な戦闘力の悪役は見ただけで震え上がり、味方側の上級キャラは名を聞いただけ、気を感じただけで恐れおののく。正体不明ゆえの怖さ、凄みですね。

「ハリー・ポッター」のラスボス「ヴォルデモート」も同様です。映画で観た限りではですが、復活する前のヴォルデモートは非常に不気味で、復活したらとんでもないことになる感じが強くありました(復活してヴォルデモート自身が戦いだすと、あちこちに小物感が出てしまっていたし、最期は小物そのもの)。

悪役ではないですが、「AKIRA」(大友克洋)では、アキラが復活する前の緊迫感は相当のものでした。個人的にはですが、アキラ復活後はどうもお説教臭くて好きになれません(「幻魔大戦」(小説版)でも同じことを感じた)。

3.序盤の対決について

その一方、冒頭のツカミに代表される、序盤での魅力的な敵役、悪役は必要です(冒頭での対立キャラに相当する天災などでもいいが割愛)。「とある」でも、インデックスを巡って、最初はステイル=マグヌスと神裂火織が上条当麻の敵となり、攻防を繰り広げます。ただし、両者の目的がインデックスを救いたいというものなので、共闘に転じて行くわけですが。

ラスボスにせよ、冒頭のツカミにせよ、事例を挙げるまでもないように思われます。もしも、参考事例が必要とお感じなっているのであれば、上で説明いたしましたような、「科学と魔法」の見方、考え方の枠組みを見直してみてはどうかと思います。

カテゴリー : 流行分析(なろう研究) スレッド: 魔法と科学の対決するタイミング

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元記事:物語の終わり方と受けるか否かについて

はじめまして、雨降りと申します。
私は今現在SF要素(未来や過去、並行世界など)を混ぜ込んだラブコメを書いているのですが、物語の終わり方に悩んでいます。
マルチエンディングというべきなのかは判りませんが、ヒロイン1〜3までの誰か1人と付き合い、共に物語の命題や困難を乗り越えて終幕! という、いわゆる美少女ゲームのエンディングのような形で締めたいのですが、やはりこのような「物語の終わり方が複数ある」タイプの小説は受けないのでしょうか?

上記の回答(物語の終わり方と受けるか否かについての返信)

投稿者 手塚満 : 2 投稿日時:

マルチエンディングって、ゲームではごく普通にありますよね。だけど小説(映画、アニメ、ドラマ等々)では少ない。とはいえ、マルチエンディングに似たものとしては、過去への時間移動があります。失敗したら過去に戻ってやり直す、成功するまで粘り続ける、みたいなものです。

ただ、失敗したら、なんですよね。「よーし、上手くいった! じゃあ別のほうもやっとくか」みたいな小説は、どうも心当たりがない。女神転生シリーズですと、原点となったOVAは筋書きも結末も1つだけ。ゲーム化されて、スーファミになると明確に「Law、Chaos、Neutral」のイベントから結果までが用意されるようになった。イベントや結末は、主人公=プレイヤーの選択によって変わります。全3ルートをクリアして、どれが自分的に納得いくかを試すプレイヤーが多かったようです。

ゲームではよくあるのに、ラノベ等ではマルチエンディングの手法で当たったものがないのはなぜか。おそらく、ゲームだとプレイヤーが物語作りに参加していることがあるように思います。自分の思考錯誤の結果だから、結末に価値が感じられる。他の可能性も自分で試せるとなると、やってみたくなったりもする。

しかし、小説(、アニメ、ドラマ、映画等)は作者が全て決めます。読者はただひたすらに作者の選択を見せられるだけ。ゲームを横で眺めていて、プレイヤーより楽しめるかというと、そうはいきません。異なる方法で何度もクリアしたとしても、見ていて飽きる一方です。だって自分で遊んでないから(例外として超上級プレイヤーのテクを観戦とかあるけど割愛)。

小説とて同じです。ましてや、あり得る成り行き、起こり得る結末全部見せて上げます、といわれたらワクワク感の正反対になりかねません。その代り、小説では読者が思いもつかない展開、意外過ぎる主人公の選択などを出すことができます。読者だったら絶対に選択しないようなことでも、作者が導いていけるわけですね。

しかし大事な選択はジレンマが生じるものですよね。ジレンマが生じないとしたら盛り上がらない。AとBの2択でAを選んだら、Bだったらどうだったか気になるくらいがいい。じゃあ、Bの場合も見せたら、読者はより満足するのか。難しいと思います。

Bが惜しいと思うからこそ、Aが映えるという現象があるのです。サンクコストの一種かもしれません。ゲームだとプレイヤーに能動性がありますから、Bも試せたほうがいい。ですが、小説の読者は受動的にならざるを得ない。単純には小説が不利なようですが、メリットにもなります。惜しむ気持ちについては満足させず、それにより実際に主人公が選択した行為に魅力を持たせることが可能だからです。

時間遡行してのリセットがマルチエンディングと似ていると申しました。が、重要な違いがあります。主人公が過去に戻ってやり直すのは、たいてい失敗したときです。やり直して、また失敗だったなんてストーリー、よくあります。何度やり直してもどうしても失敗になる。

これは主人公を追い詰める手法になっています。ハッピーエンドをたくさん用意して、ハッピーの足し算というものではない。その逆ですよね。どうやっても失敗になることを主人公が確認し、感情移入している読者も主人公と一緒に絶望する。要は盛り下げです。そこで一筋の光明を主人公が見出す、ないしは主人公が考え方を変えたりして、テンション上げれば、落差の大きい山場を作れるわけです。

マルチエンディングの小説が少ないのは、単に誰も試していないということではないです。マルチの結末を用意しにくいわけ、用意しないほうがいい理由があるわけです。そういう要因を考慮しても、なおも全結末が見せたほうが盛り上がるようにできるなら、マルチエンディングを試みたらいいと思います。書き上げてみて、確かに1ルートのみより良いと確信できたら、公募なり発表なりしたらいいでしょう。しかし、なんとなくやってみたいというレベルでしたら、避けるべきだと思います。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 物語の終わり方と受けるか否かについて

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元記事:新人賞に出すつもりの作品のキャラクター数が多すぎる

こんにちは。らっこと申します。
みなさまの過去の回答を拝見していたところ、一巻あたりのキャラクター登場数は五人あたりが適当というご意見が多かったように思います。

今書いている小説で、舞台設定のせいで必然的にキャラクター数が増えてしまい困っております。

例えばの話ですが、アイドルグループが四つあり、それぞれのセンターがメインキャラクターとなる話があるとします。それらのグループが一堂に会したところで殺人事件が起き、犯人探しが始まるとします。そうすると、グループのメンバーが全員名有りキャラとして登場しなければ不自然です。

しかし適度な設定はそれぞれのキャラにあっても、焦点を当ててプロットに組み込んでいるのはメインの数人だけです。
商業作家の新人賞を受賞したラノベを参考にすると、やはり名ありキャラクターでさえ十人以下というのがほとんどだと思います。

こういった場合、みなさまならどうやって読者側の混乱を防ぐのか、アドバイスをいただけると助かります。

上記の回答(新人賞に出すつもりの作品のキャラクター数が多すぎるの返信)

投稿者 手塚満 : 0 投稿日時:

ご質問文中で気になるのが、

> そうすると、グループのメンバーが全員名有りキャラとして登場しなければ不自然です。

の一文です。「読者側の混乱を防ぐ」ということは意識していらっしゃるものの、もしかして作者の視点と読者の視点の取り違えがわずかにあるんじゃないかという気がします。以下、そういう観点で申し上げてみますが、大ハズレの可能性も大ですので(なにせ読者側を意識されているので)、違うとお思いになられましたら、スルーなさってください。
1.作者が考えるべきこと

まず作者側の観点から。

・各グループ全員の名前は設定されていなければならない。
・各グループ全員の外見的特徴も設定されていなければならない。
・各グループ全員の性格も設定されていなければならない。
・各グループ全員の経歴も設定されていなければならない。
・各グループ各員について、他のキャラとの関係性(最低でも仲がいい/悪い/普通)が設定されていなければならない。
・各グループ全員について、描写されていないときの行動・言動を想定しておかなかればならない。
・それ以外にもいるはずのモブキャラ(全く登場しないけど、道行く人々、バス停で待つ人々等々)の行動・言動が想定されていなければならない。

列挙しきれませんが、おおまかにはこんな感じだと思います。これくらいの想定、設定はしておかないと、細部で矛盾が出てリアリティを損なう、ストーリー進行が無理矢理になる等の弊害が出る恐れが高くなります。

2.登場しないが存在するキャラは制御できない

登場もしない人物を考慮しておくなんて、おかしいと思われるかもしれません。ですが、例えば次のようなケースが考えられます。

「あるキャラが都心の駅で飛び込み自殺をした。そのキャラが自殺かどうか、現場を目撃していない他のキャラには分からず、そこが話の焦点となる。」

これは単純にやるとあり得ない状況設定になります。まず電車の運転士が見ています。事故処理もされます。都心の駅なら電車待ちの乗客もいるはずです。目撃するでしょうし、事故処理でダイヤの乱れも起こります。今はスマホとネットは当たり前で、下手すると写真、動画付きでSNSなどに即座に流されます。そうでなくても、警察も一応は調べますし(他殺かどうかは重要)、警察発表も少なくともマスコミにはあるでしょう。

自殺キャラの死の謎が上手く設定できたりすると、つい常識的に考えて起こり得ることを忘れがちになります。描写しているキャラだけ考えていると、そういう抜けが生じるわけです。回避するには、他人に知られなくて当然な特殊な状況を設定するのが普通でしょうか。もしくは、描写されるキャラが極めて目を引く、話運びがスピーディ等で状況のおかしさを気づかせない。

3.新海誠監督は上手い

うまくごまかせている例では、アニメ「君の名は。」を挙げたいと思います。個人的には好きな作品ではありません(新海誠作品はおおむね同様)。が、大変な人気、ヒットですし、一部から指摘されたのは劇場公開版で彗星の軌道がおかしかったことくらい(劇中のTVニュースなので、劇中の局の間違いといえなくもない)。

ですが、大嘘もあります。1つの村を全壊させ、死傷者多数の隕石落下があって、3年後に主人公含め、大多数の人が忘れているか、気にもしていないらしいことです。現実であれが起こったと想像すると、ちょっとあり得ない状況です。現実に隕石落下で大被害が出るんだ、滅んだ村は○○だ、今後の観測・落下予想・防止・避難はどうするんだ、となっているはずです。

フィクションにおいても同様です。描いていないキャラは制御不能です。当然ですよね、書いてないんですから。読者/観客が「こうなるはず」と想像し、作者は介入できません。ですが「君の名は。」では、主人公の男女の目まぐるしい入れ替わり、次第かつ急速に深まる交流、3年前の危機回避等で、うまく覆い隠して気にならなくさせています。観客がどこに注目するか、うまく誘導しているわけですね。

ですが、登場しないモブキャラの自然な動きを妨げるには、「君の名は。」レベルの巧妙さが必要とされるわけです。新海誠監督は劇場版初作の「ほしのこえ」でも、例えば「なんで携帯メールが宇宙まで届くの?」という点をうまくごまかしています。観客が観たくなるポイントを、主人公男女の交流に上手に持っていっている。たぶん、そういう操作が上手い方なんだと思います。

しかしめったにできることではない、あるいは特殊な才能が必要です。やはり、描かれていないその他多数はよくある行動をすると想定して、話作りをする必要があります。ですから、上記のような数多のことを考えておかねばならないわけです。書いてあることだけの整合性だけではいけません。くどいうようですが、言葉を変えて申しますと、作者が全世界の全状況を把握していないと、矛盾、無理矢理が起こります。結果、読者は失望します。

4.読者は楽して楽しみたい

一方、読者はどうか。楽して読めてきっちり分かりたい、文章にささっと目を走らせて面白がりたい等々ですよね。苦労して読み解くとか、キャラ名や設定を暗記するとかはやりたくない。少なくとも、作品や作者のコアなファンになってないうちは、楽して楽しませろ、でも読み終えたら忘れちゃうよ、です。

多数のキャラにいちいち名前出されたら、読んでいられません。楽したいのが本音の読者とて、内容を理解しないことには面白がれないことくらいは分かる。だから、出てきた名前(や固有名詞、設定等)は覚えておこうとします。だけど主要キャラ以外には名前が必要ではなかった。するとガッカリします。覚えた努力が無駄、徒労だったと知るからです。読者としては、だったらモブと分かるように書いといてくれよ、になります。

創作で楽しいポイントと、鑑賞で楽しいポイントは重なってはいません。作者はキャラ作りや設定作りは楽しいのが普通です。だから、せっかく考えたことは、全部書いておきたくなる。ですが、読者としては迷惑です。作者が何に面白がったか知りたいわけではないですから。読んで面白いものを見せて欲しいわけです。作者の努力なんか知ったことではありません。

ですので、作者が物語について考えた全容のうち、ストーリー理解に必要な最低限のことだけをチョイスして書く必要があるわけです。100考えたうちから1だけ選ぶ、みたいなことですね。

5.(結論)膨大に設定して必要最低限に書くべき

名前に戻って申せば、各グループのメンバー全員に名前がなければ不自然だが(作者視点)、どうしても読者に名前を伝えなければならないキャラだけ、名前を出すようにしないと読めるものにならない(読者視点)、ということになります。

5.(参考)キャラ数と複雑化

A、Bの2人しかいないシーンですと、キャラの関係性はA-Bの1種類だけです。そこへCが加わって、3人になったらどうか。A-B、B-C、C-Aだけではありません。1対2の関係性もあり、A-(B, C)、B-(C, A)、C-(B, A)の3種類もあります。合計6種ですが、全員のA-B-Cも考慮すると7種類。会話メインのシーンなどで、キャラ関係の複雑化で進行がややこしくなったりします。

幾何学的に申して見ますと、キャラ数がn人だとすると、正n角形の辺と対角線から1~nを選ぶ組み合わせ総数、みたいなことです。キャラが1人増えるだけで、あり得る関係性は急上昇していきます。

作者が比較的楽に制御でき、読者が楽に読み進められるのは3人以下ではないかと思います(3という数字には一応の裏付けはあるけど割愛)。5人登場しても、実質的に3人以下となるよう、整理して書くべきではないかと思います。

仮に5人という数字に意味があるとすると、以下のような分類があるからかもしれません。物語には以下の性質のキャラクターが登場するそうです。

・プロタゴニスト(主役:主人公&ヒロイン等)
・アンタゴニスト(敵役、悪役)
・コーザリスト(コンフリクトの原因を解説するキャラ)
・モラリスト(あるべき状態、理想を説くキャラ)

これで5人ですが、4種になります。コーザリストとモラリストは1人のキャラが兼任することも多いので3種。

このことに加え、キャラが全行動を描かれるか否かがあります。主人公は全てを描かれるべきキャラです。主人公以外のキャラは必要なときだけ描かれます。主人公以外も生活すべてが作品世界内にあるんですが、決して全部は描かない(もし全部描く必要が出たとしたら、そのキャラは主人公にするか、加えるべき)。

その他にも整理、分類の方法はあると思います。要点は、整理して実質3人以下にすることはできるし、すべきだということです。単純なキャラ数カウントではなく、実質的には何人かを意識したほうがいいと思います。
(3以下というのは、アイテム、特徴等についても当てはまるが割愛。)

カテゴリー : キャラクター スレッド: 新人賞に出すつもりの作品のキャラクター数が多すぎる

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元記事:いいキャラが作れない!

趣味で小説を書いているのですが、どうしてもいいキャラが作れなくて困ってます...
女の子だったら守られヒロインになっちゃうし、どこかで見たことがあるような子になっちゃいます。
男の子は男の子で、これと言った独自性のないキャラにありがちな立ち位置。とにもかくにも印象に残るようないいキャラが作れないんです....!皆さんはどうやってキャラを作ってますか?教えてほしいです!

上記の回答(いいキャラが作れない!の返信)

投稿者 元々島の人 : 0

方法はいくつかありますが

①極端な性格にする。しかも思いっきり

・世界一負けず嫌い
・世界一内気
・世界一金に汚い

など、こんな人いるかと言う極端な性格にする。こう言う人は「都合の良さ」がないため作者はコントロールしたり好感を持たせるのが難しいですがとりあえず。

②信念や目標を誰にも負けなくする。
一見普通でも目標や決めたことに対する責任がすごく強いタイプ。
「誰よりも強くなりたい」
「何かで一流になりたい」
「あの人を守る」
このタイプは①の例より大人しいですが最も人を惹き付けると思います。

③普通だけど光る物がある。
何かで世界一とかでなくても、光る部分、心くばりが出来たり人の痛みがわかるなど派手さはないがじんわり伝わる人。

このくらいで。

カテゴリー : キャラクター スレッド: いいキャラが作れない!

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元記事:最近のラノベ(ラブコメ)の流行について

度々お世話になってます、もぺです。
今回はタイトルにもあるとおり、最近のラノベによく見られる流行について皆様の知恵と意見をお聞かせください。

最近の書籍化作品はどれも「最初からヒロインに(下らない理由などで)惚れられている」とか「チート(笑)で好感度MAXからスタート」みたいなものばかりだと感じています。
よく「ラノベは竜頭蛇尾にしないと読者が離れる」と言われているとおり、物語の展開方法としては最適な設定だと思うのですが、これだと恋愛の醍醐味である「互いが好き合う(両思いに至る)までの過程」が最初からクリアされている所為で、全く面白くないものになってしまうと思います。

私にとってラブコメとは「メインストーリー(悪の親玉をたおす、学園の謎を解明するなど)に主人公とヒロイン達の様々な事情が絡みつつ進むもの」だと思っているので、今のような恋愛の醍醐味を排除したラブコメは間違っていると勝手に思っています。

やはり今の読者は、そういった軸となるストーリー性のあるラブコメを求めていないのでしょうか?

上記の回答(最近のラノベ(ラブコメ)の流行についての返信)

投稿者 サタン : 1

ラブコメは恋愛をコミカルに描いた物語なので、多分スレ主さんが想定してるものとは違うと思う。
ラノベで言うと「とらドラ」とか「中二病でも恋がしたい!」とか。
そもそも
>「メインストーリー(悪の親玉をたおす、学園の謎を解明するなど)に主人公とヒロイン達の様々な事情が絡みつつ進むもの」
と書かれている通り、「メインストーリー」が「敵を倒す」なり「謎の解明」なので、これはそっちが本筋の話であって、ラブコメではありません。
一般的には「ラブコメの要素もある」内容でラブコメとして紹介されてることも多いですが。
それで言うとにわとりさんのNo2の答えが全てで、そりゃ本筋の話じゃないので恋愛の過程は重要ではなく、恋愛を丁寧に書けば、むしろ「本筋をちゃんと書けよ」という本末転倒な事になってしまいます。

しかし、一時は戦闘モノにおいても恋愛要素が大きなウェイトを占めていた事があるのも事実で、例えれば「灼眼のシャナ」や「ゼロの使い魔」の時代の作品でしょうか。
この頃の作品はきっとスレ主さんも満足される内容でしょう。
これは、もう少し前の時代から流行の流れを見てみるとわかるのですが、この頃はちょうど「男性向けでも恋愛は大事なんだ」と知られてきた頃で、「ヒロインが物語のキーになってる」という構図の話が流行ってました。
そこに「恋愛」を入れれば、自然と「二人の関係性が物語の展開に繋がる」わけで、そもそも「恋愛」と「物語の本筋」自体が密接に関係してることが多かった。
だから「戦闘モノだけど恋愛要素が大きなウェイトを占めている」わけで、ハッキリ言えばこの頃の作風の方が時代に合わせた流行作品です。

とはいえ、それが現代でNGかと言えば別にそんなことはないので、作者の自由にしたら良いでしょう。
ただ、「本筋」と関係ないところで恋愛すれば「恋愛してる場合かよ。人が死んでるねんで!」って話だし、中途半端に「本筋」に近づければ「彼氏が瀕死なのに敵に突っ込むんかい、このクソアマ」ってなるし、一昔前にはありきたりなラノベの王道みたいな扱いだったジャンルだけど、意外と難しいですよ。

それと加えるなら、そこまで本筋と絡まないけどソコソコ恋愛も書いて欲しい程度の認識の場合、そりゃもう完全に作者の趣味なので、好きにすれば良い、としか言えないです。
これについては流行も何も関係ないです。
本筋に関係ない話題でも、外伝なり幕間なり適当に銘打って書けるんだから、書きたけりゃ書けば良い話。

そのうであえて「流行はどうなんだろう?」と言うならば、まあ、ぶっちゃけ「恋愛は面倒くさい」と思ってる人は少なくないし、誤解を恐れずハッキリ言えば「人に好かれたいけど面倒なことはしたくない」と考えてる人が多いんじゃないかな。だからこそ「承認欲求を満たすもの」が流行ってるわけだし。
実際、今現在において「ラブコメ」というか「恋愛もの」は流行にあるとは言えないでしょう。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 最近のラノベ(ラブコメ)の流行について

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元記事:キャラクターに関して 復讐物、ざまぁ物における主人公の性格設定

こんにちは、silicaです。私は、興味があるのと、とりあえず練習兼ねて作ってみよう、ということで色々な類型の作品を作ってみようとしています。

そうした中で、私の中で、どうにも書けないタイプの話が、「ざまぁ」物などと呼ばれる代物です。それで、自分の中で分析したところ、私の作る主人公は概ね、そういう作品において必要とされる、ざまぁされる人物、主人公を貶める人物を無視してしまいます。無視していない時は、主人公にとって面倒くさい扱いなので、サクッと逃げるなり適当に吹っ飛ばしたりしてしまいます。そのために、それらの基本となる逆転劇の様相を全く呈さなくなります。

と、そこまで考えたところで、こういうタイプの話の主人公がどんな性格をしていたか分からなくなってしまったのもあって、タイトルとなっています。
つまり、ざまぁ物や、それに限らず復讐物の主人公とは、どのような性格・人物設定が為されているのでしょうか? また、皆さまはどのような設定をしていますか?
どうぞよろしくお願いします。

上記の回答(キャラクターに関して 復讐物、ざまぁ物における主人公の性格設定の返信)

投稿者 ふ じ た に : 0

>主人公を貶める人物を無視してしまいます。無視していない時は、主人公にとって面倒くさい扱いなので、サクッと逃げるなり適当に吹っ飛ばしたりしてしまいます。そのために、それらの基本となる逆転劇の様相を全く呈さなくなります。

この部分の問題点ですけど、ざまぁ対象を主人公が逆らえない立場に設定すればいいのでは?って思いました。

例えば、ざまぁ対象を王子にして、主人公をただの貴族や庶民にしちゃうとか。
王族に逆らうなんて処罰されるおそれがあるのでできないという設定なら、無視したり吹っ飛ばしたりする選択肢はなくなるのでは?って思いました。

ちなみに、女性向けのざまぁ系の主人公の設定は、話によりさまざまですよね。
基本善人で親切な場合が多いかな?って個人的な主観ですが感じます。

あくまで個人の意見ですが、何か参考になれば幸いです。

カテゴリー : キャラクター スレッド: キャラクターに関して 復讐物、ざまぁ物における主人公の性格設定

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