小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

手塚満さんの返信一覧。最新の投稿順11ページ目

元記事:キャラクターの能力について

私の小説には『無を操る能力』というキャラが出てくるんですが、
話しの流れで、そのキャラクターと、『美を操る能力』というキャラクターが戦うんですけど、力の強さが互角なんですよ。

でも、それじゃあ不自然じゃないですか。

作中の無を操るキャラは、最強キャラのなんですよね。
なんでも、無にできるんですよ。力の強ささえも無にできる。
だから、変な話、敗北という事実を無にしてしまえば、負けないわけなんですよ。

対して、美を操るキャラの方は、能力を応用することによって得た人を魅了させ、操ることができるという力をもっているんです。
因みにこっちが敵です。

この二人を互角に戦わせるにあたって、無を操る方に何かしらの弊害が必要なんですよ。もっと言ってしまうと、その無にするキャラが、その能力を手に入れたというのも、特殊なんですよね。
必要だけれども増やし過ぎたせいで、とうとう一人では収集できなくなってしまったので、皆さんの力を借りたいと思い、ここに書き込みました

上記の回答(キャラクターの能力についての返信)

投稿者 手塚満 : 0 投稿日時:

ちょっと危ない考え方に落ち込んでいる恐れがあるように思います。「無を操る能力」なんだから最強だと断定してしまってますよね。確かに、敵の攻撃を全て無かったことにできるわけですから、攻略が難しい能力です。

ですが、読者が思わず引き込まれるって、敵キャラであれば「こんな凄い奴、どうやったら倒せるんだ?」→「あっそうか! そんな手があったか」が多いはずです。もっと大枠で言えば、予想外の展開ですね。

お考えの物語ですと、主人公が最強になっているわけですね。普通は敵が強くて、対抗できない主人公がどう頑張るかの話が多いわけですが、お考えの物語では最強のはずの主人公がどうピンチに陥るかが肝になりそうです。普通の考えて対抗できる敵がいないというのは、初期設定として成功です。「美を操る能力」の敵が出て来ても対抗できそうにない。直感的には、間接的で弱そうな能力ですから当然ですよね。

ということは、不自然に感じられたというのも、初期設定として成功です。そうであるのに、どうやって主人公がピンチに陥るか、作者でも考えあぐねるようなら、読者はなおさら分かりません。ワクワクできるポイントです。敵はどうやって主人公を倒そうとしているのか。

無に帰すということでは、例えば「とある魔術の禁書目録」アニメで最近登場したのが、「騎士団長(ナイトリーダー)」の「ソーロルムの術式」が似ているかもしれません。全ての武器を無力化できるという、一見は無敵モードと思える能力です(この防御技に加え、攻撃用の超便利な「パターン術式」も持っている)。

そんなものを無制限に行使できればしたい放題になってしまい、物語になりません。ですから制限も設定されています。

・相手の攻撃を認識し、武器によるものと認識して発動させる必要がある。
・発動させる対象は一度に一つだけ(同時ではなく、次々と発動することなら可能)。

こういう能力を持つ「騎士団長」に対して取られた戦術が、フェイントです。でかい槍の攻撃を見せつけて無効化の術式を発動させておいて、その隙に別の小型武器で攻撃する、といった感じ(実はソーロルムの原典の神話通りだったりする)。「騎士団長」は厄介な敵に見えて、意外と単純な倒し方です。しかし無理な感じはしない。上手い設定と描写(のミスディレクション等)の賜物ではないと思います。

「とある魔術の禁書目録」は異能バトル満載の名作ですから、設定やバトルでの勝利条件などで参考になるものが多数あります。もしまだお調べでなければ、参考資料となさってはどうかと思います。

> なんでも、無にできるんですよ。力の強ささえも無にできる。

これについては、例として上記のような設定と話運びがあります。無にできるといって無敵にはなりません。普通は何を無にするか選んで能力を発動させますよね。少なくともそこは不可避的に弱点になります。どんな能力でも同じです。

ただし例外はあるもので、また「とある魔術の禁書目録」を題材にしますと、メインヒロインの「インデックス」には「自動書記(ヨハネのペン)」なる防御技があります。本人の意思とは無関係に発動し、オートで最強クラスの魔術を行使し続けるものです。同作の「一方通行(アクセラレーター)」の攻撃反射もこれに近いものがあります。

そこまでしてしまうと、さすがに扱いに困りそうです。同作でも主人公側のヒロインとしています(アニメの現時点だと、このインデックスの能力が敵側に利用されようとしている。敵側に回るとどうなるか、参考になりそうです)。

> だから、変な話、敗北という事実を無にしてしまえば、負けないわけなんですよ。

例えば、フィクションでは「ピュロスの勝利」というものがよく使われます。ピュロス王の史実を元にしたもので、「勝つには勝ったが、犠牲を考えるとこれでよかったのか?」と思えるような勝ち方のことです。敗北をなかったことにして勝つのも代償が大きいなら、ジレンマが生じます。

仮に、主人公が即死ではないけど致命傷を受けて倒れたとします。ただし、その際に敵の隠された能力を知ることができた。そして味方に知らせる通信手段はある。自分の生存を優先して、敗北をなかったことにすると、情報も得なかったことになる。知らせることもできない。味方を助けたいなら、自分の致命傷を受け入れないといけない。簡単ではないですよね。
(実はこれ「ナルト」の「自来也」のエピソードを元にしています。自来也は己の死と引き換えにナルトたちに敵の情報をもたらし、味方を勝利に導きます。)

「無にする能力(主人公)」vs「美を操る能力(敵手)」をお考えのとき、敵視点でも考察はされたでしょうか。敵手は主人公の能力を知れば、スレ主さん(作者さん)と同様、必ず負けると判断するはずです。しかし無策なら、です。

当然、敵は対策を考え抜くはずです。敵は主人公の負けるストーリーを考えるわけです。そういうのは作者として本意ではないですから、どうしても手を抜きがちです。ですが、考えるのが嫌なことこそ、力を入れるべきです。敵は主人公のことは調べ上げるでしょう。例えば、主人公に恋愛関係のヒロインがいるとします(親友でも兄弟姉妹でも親でもいい、とにかく主人公としては絶対的に大事なキャラ)。

ヒロインが誤解から誰か(これも主人公にとって大事なキャラだとやりやすい)を深刻に恨んでいるとします。主人公が誤解だと知っているけれど、ヒロインは頑なに受け付けない。ヒロインの憎悪は殺意にまで高まり、主人公でもどうしようもない。

そういう状況を敵手が知ったとしますと、利用しにかかるはずです。敵手は誰でも魅了して操ることができる。それをヒロインと憎んでいる相手に作用させて、ヒロインの憎悪を好意に変えてしまう。そうしておいて、敵手は主人公に「私を倒すとヒロインの殺意が甦るけど、どうする?」と脅してくる、とか。

もっとも「無にする」をヒロインの憎悪に適用できるなら、敵の思惑も無効化されてしまいはします。記憶までは無にできないと設定しておくか、ヒロインが憎悪を抱く原因となったイベントで、主人公はヒロインと知り合って恋愛関係になれたと設定しておくか、でしょうか。

少し大枠で考え直してみますと、「無にする」って破壊の一種です。破壊と対照的な創造はない。「壊せはするが、作り直せない」と考えてみると、主人公の弱点も見えてくる可能性が高くなるように思います。

もう一度ご質問文を拝読して考えてみますと、スレ主さんは「無にする」を考えるに当たって、大枠過ぎてないでしょうか。「無にすることができるんだから」からアイデアを具体化してしまうと、仰る通りに「なんでも、無にできるんですよ」でコンフリクト(対立、葛藤、停滞等々)を無にできてしまう。解決ではなく解消になってしまう。

「無にする」って、破壊面でいえばほぼ万能な能力です。主人公の特徴ともなります。おおまかな設定はそれで出来てしまっています。主人公は何ができるか、ですね。しかし具体化して行かないと、表現できるものにはなりませんよね。既にほぼ万能なものを発想したわけですから、逆を行う必要があります。何ができないか、です。

主人公が何ができないかを具体的に発想できてくると、敵も自然と具体化してきます。敵は主人公のできないところ、つまり弱点を突いてくるものだからです。おおまかな弱点は例えばですが、上述したように「作り直せない」があります。壊したら壊したで問題が出る、も一例としては上述した通りです。

上記中で、敵視点で主人公を見てみるということを申し上げましたが、主人公をよく眺めてみるためです。主人公をいったん突き放し、作者が主人公をいじめてみる。でないと、主人公の具体的な弱点を思いつけず、負ける可能性がなかなか思いつけません。主人公視点だと思考が「どうやったら勝てるか」「得意技の使い方は」に偏りがちですから。負ける可能性が思いつけないとピンチが描けず、盛り上がりが作れません。

主人公を突き放して考える方法の一つが、敵視点ということです。多少極端な言い方をすれば、いったんは主人公が負ける仮の物語(戦闘シミュレーション)を作る。それが敵の思惑になります。そこを打破する方法を思いついて、本当の物語(実戦)を作ることになります。試行錯誤の一種ですね。

カテゴリー : キャラクター スレッド: キャラクターの能力について

この書き込みに返信する >>

元記事:物語り(主人公サイド)の目的の明確性と数

 私は、人気アニメ作品で、漫画アニメや共同制作アニメは明確な目的が1~2つ決まっていて、ライトノベル作品の方は、小さな目的が複数ある場合が多い、ということを感じました(特に最近は異世界+αものが多く、主人公行動中に目的が出てきて、それを果たしてまた次…のような作品が多い気がします)。
1.まず明確な目的を持っている作品というのは「進撃の巨人」、「終わりのセラフ(小説版)」などの作品です。
2.そして小さな目的が複数ある作品というのは「リゼロ」、「とある」などの作品です。
 私は作家志望ですが、1の作品の方がどちらかというとストーリが壮大で面白いように感じました。しかし、前述した通り上位のライトノベル作品には2の場合が非常に多い気がしました。
ライトノベル作品を作る場合、明確な目的を1~2つで構成するのはありでしょうか?
私はありだと思うのですが…。ぜひ第三者の意見を聞きたいです。

上記の回答(物語り(主人公サイド)の目的の明確性と数の返信)

投稿者 手塚満 : 2 投稿日時:

結論から申し上げますと、お悩みのことは大事ではあるんですが、気にせず書いてしまったほうがいいと思います。以下、少し理由の説明を試みてみます。

1.見せ場の数と盛り上げ

見せ場とクライマックスで考えてみます。クライマックスは全編中でも最大に盛り上げる場面ですから、作中の最高の見せ場と言えます。

冒頭のツカミも見せ場で、何の前提知識(作品のキャラ、舞台等々)もなしに引き込まれるものを書かないといけません。冒頭のツカミの工夫の話を始めると終わらないので置いとくことにします。

見せ場を作るには準備が要りますよね。最初の見せ場ですと、主人公含む主要キャラが読者によく伝わっていなければなりません。性格、考え方、得手不得手、外見の特徴などです。魔法がある世界なら魔法について、オリジナルな武器が登場するなら武器について、といった感じで設定もよく飲み込んでもらっていることが必要です。だって、キャラの一挙動ごとに説明しながらでは盛り上がりませんから。

文字数は原稿用紙換算で50枚(2万字)といったところでしょうか(割と適当な数字です。このサイトの短編の長さの定義を使いました)。最初の見せ場とは言いましたが、何の面白みもない設定やキャラ説明では読む気が失せますよね。ですから、ミクロな見せ場を作りつつの紹介、説明になります。テンションやテンポを上げ下げしながら、全体が最初の見せ場で最高に盛り上がるように構成することになります。

最初の見せ場をクライマックスに仕立てると、短編の出来上がりです。そこで終えることができる。逆に言えば、そこで終えたければ最後の見せ場をクライマックスになるよう、盛り上がりを調整することになります。

2.複数の見せ場の関係

2つめの見せ場を続けてみるとどうか。見せ場までにキャラや設定の説明はほぼ要りません。新登場のキャラや設定を紹介するくらいです。要はそこまでで読んでもらったことが、設定知識やキャラ印象として使えるわけです。

2番目の見せ場にも原稿用紙50枚分かけるとします。1番目より複雑なドラマで盛り上げることが可能ですよね。冗長で退屈しやすいキャラ・設定説明は、もう過半が済んでいるわけですので。少なくとも主人公は既にキャラが立っているはずです。内容の大半をドラマに充てられます。

ということは、2番目の見せ場は1番目より面白くすることが可能です。可能というより必須と言うべきかもしれません。感覚的な物言いで申し訳ありませんが、同じくらいの面白さが続いていると、だんだんつまらなく感じがちなんです。

よく知られている現象が強さのインフレーションですね(是非は置いておきます)。ずっと同じ強さの主人公に、同じ強さの新たな敵が何度も立ちふさがっても面白くなく、燃えるものがありません。前より単純に面白くしようとすると、どうしても敵味方ともより強くすることになります。

3つめの見せ場も同じことです。2番目より面白い必要があるし、面白くすることが可能です。見せ場を重ねるごとに、だんだん面白くできる。常に最後/最新の見せ場が一番面白いものとなります。

必然的に最後の見せ場がクライマックスになります。逆に言えば、どの見せ場で物語を終えても、クライマックスは存在することにもなります。

3.見せ場と目的・テーマ

各見せ場は、それぞれ存在理由が与えられます。無目的に見栄えがするシーンなんてありません。見せ場ごとに目的が存在する。ある見せ場が、そこまでの見せ場で描写されたことが使えるわけですから、目的もだんだん大きくなります。結果、最後の見せ場で与えられた目的が小説のテーマと感じられやすくなります。

4.明確な目的が1つ(か2つ)

> 1.まず明確な目的を持っている作品というのは「進撃の巨人」、「終わりのセラフ(小説版)」などの作品です。

「進撃の巨人」とて、打ち切りの危機意識はあったはずです。最初は受けるかどうかすら分かっていません。連載開始したものの不人気なら「主人公エレンの母親カルラが巨人に捕食され、復讐のためエレンは立ち上がる(で兵団へ)」で終わったかもしれません。せいぜい引き延ばして、「エレンが母親を殺した巨人を倒した」くらいでしょうか。

しかし人気が出てくれた。必然的に続きますが、いつ人気が衰えるか分かりません。エレンが巨人化して、すったもんだしたものの、鎧の巨人に空けられた穴を巨人エレンが岩でふさいでトロスト地区を奪還、で終わった可能性もあります。エレンが巨人に対抗できると分かったことで、仮に打ち切りになっても、進撃の巨人世界のその後を読者が想像することはできますんで、キリがいいといえます。

だけど人気が続いたから、その後も描けたわけですね。その後は、なぜ巨人なんてものがいるのか、世界の成り立ちはどうなっているんだ、と巨人と戦うという初期路線から外れていきます。外れるというとネガティブのようですが、単純なものから深く掘り下げていくということです。

それでも相変わらず、終わろうと思えば終われる物語ポイントは存在しているように思います(構想はずっと先まであるのは承知)。あくまでも要因の一つではありますが。上述しましたように、見せ場は常にクライマックス足り得るからです。クライマックスで描かれたことが主人公の目的、作品テーマと見えることも同じように作用します。

5.複数の目的を見せる場合

> 2.そして小さな目的が複数ある作品というのは「リゼロ」、「とある」などの作品です。

「とある」で申せば、1巻目は特にですが、各巻で終わってもいいように最初から構想されているように思います。

第1巻はインデックスを救う話ですね。インデックスを救って、そこで終わることが可能なように、上条当麻の性格が設定されている。平和な日常生活が得られたら、それでいいわけですんで。インデックスが普通に暮らせるようにできたら、終わってもいいわけです。

ですが、人気が出た。そこで2巻目。もう上条当麻が「困った人を見たら助けずにはいられない」は設定され、描写されています。物語を再起動させるには、上条当麻が「困っている人」に遭遇すればいい。それが姫神秋沙であるわけですね。ヒロインの増員にもなっているし、関係者で登場キャラも増やせる。

人気は持続し、3巻目。もう物語を再起動する方法はフォーマット化してます。御坂妹ですね。敵役として、その後も準レギュラーとなる「一歩通行」(アクセラレーター)が登場します。既に御坂妹1万人が殺され、残る1万人も一歩通行に殺害される計画を上条当麻が阻止。1万人の御坂妹と、実は殺害させられていたことが苦しみだった一方通行も、上条当麻が救う。

現在のアニメ3期では、「一方通行」は瀕死の「打ち止め」(ラストオーダー)を救おうと奔走しています。あの悪役中の悪役がどうしちゃったの、という感じですが、流れを追うとすんなりと受け入れられます。しかも、上条当麻を理想の正義のヒーローと思って、追いつこうという意欲すらある。

現時点の「一方通行」で考えると、途中までのエピソード、見せ場は現状を作るための準備とも受け取れます。仮に「一方通行」視点で物語を読み解いてみると、「悪たることを強いられた悪人が、悪の果てに正義を見る」といった感じになります。明確な1つの目的、テーマです。

ですが、今までの多数の目的、テーマが描かれてこそのものであるのも事実です。どの段階でも「一歩通行」を描き終えることは可能だったと思います。だけど、「一歩通行」のキャラを描きつくしたわけではないし、人気キャラですんで彼を出すことを読者に望まれるから出したほうがよくもある。

6.やりやすい、面白くできると思う方法がベストかも

以上のように考えますので、物語の明確な目的が1つだけなのか、たくさんあるのかは、結果論に過ぎないと申し上げざるを得ません。発表媒体により変化することもあるでしょうし、作者がどの見せ場をどう目立たせたかにもよるし、読者の受け取り方にもよります(例えば、どのキャラに感情移入したかでも変わる)。

結果論であるものを、最初のプランとして考慮するのは損です。公募レベルの尺であれば、面白くできると思う方法で書き上げ、読み直してから調整すれば充分です。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 物語り(主人公サイド)の目的の明確性と数

この書き込みに返信する >>

元記事:異世界ファンタジーの数値化された能力について

 最近の異世界ファンタジー物は大抵の場合、ゲームの世界が舞台というわけでもないのに主人公の持つ能力をレベルやスキル、ステータス等、ゲームシステムのように数値化する傾向にあるように思いますが、これはなぜでしょうか?
 ゲームであればストーリーの中でシステムに言及するのはメタ表現としてタブー視され、世界観に沿った表現に変更が加えられるのが普通だと思います。NPCがシステムに言及するときはプレイヤーに対する説明であって主人公に対する説明ではないはずです。NPC同士でポケモンの種族値がどうのといった会話は本来ありえません。
 ライトノベルにおいて、特にゲーム世界が舞台ではない作品で登場人物の能力や強弱をゲームシステム的な数値によってあらわすことに関する世界観・設定上の理由、作中での説明で一般的なものは何でしょうか?

 個人的にはスキルやステータスといった数値のみで強弱を示すものはあまり好みではありません。例えば、「200のダメージを与えた」だけではそれが致命傷なのかただのかすり傷程度なのかが判然としません。数値で強さを表すには比較対象や基準値が必要だと思いますが、それならば直接、常人なら死ぬであろう一撃を耐えた等と描写すればいいのではないでしょうか? わざわざ数値に置き換える必要は無い気がします。

 ゲーム的な異世界について、数値化された能力について皆さんはどう思いますか?

上記の回答(異世界ファンタジーの数値化された能力についての返信)

投稿者 手塚満 : 1 投稿日時:

最近の傾向ではないと思います。

例えば、人気シリーズ「ソード・アート・オンライン」はヨーロッパ中世風のゲーム世界に入り込む話なのはご承知かと思います。それ以前だと「.hack」というメディアミックスがあり、世界観は同様でゲームを含み、アニメ等はゲーム前提です。有名作、人気作で感動したら、手法を倣う人も出るでしょう。

さらに昔を辿ると、ファミコンRPG(ドラクエが多かったように思う)のパロディ漫画などもあり、ゲーム前提ですからゲーム風描写が多用されていました。元となるファミコンRPGとて、どうすればユーザー(ゲーマー)が理解してくれるか、既存作(ウィザードリィ等)を参考にしつつ、パラメータ表示などを工夫したものです。

そうしてみたら大成功だった。大勢遊んでいるのに、ゲームシステムが分からないという人がごくわずかしか出ない。以降、標準フォーマットみたいになっていきました。ゲームごとで覚えなくていい点は、ユーザーとしては楽だったように思います。

初心者ゲーマーに分かりやすいのならと、他の分野にも生かされもします。ゲーマーを引き込める期待もできますしね。キャラのHP、MP、攻撃力、知力等々でピンと来る人をターゲットにできる。もっと単純化した「戦闘力」の数値表示は「ドラゴンボール」で用いられ、人気を博しました(が、間もなく飽きられたと思う)。

ゲームベースでないフィクションでも真似て使うことはできるし、上記のようなメリットも期待できる。しかし、その程度の理由です。どういう人をターゲット層にするかというだけで、特に優秀性はないんではないかと思います。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 異世界ファンタジーの数値化された能力について

この書き込みに返信する >>

元記事:現在「看護師」 昔「看護婦」 使うとき

大正時代や昭和初期の作品を書く場合でも、現代人が差別用語に認定し変化させた「看護師」を使わなければならないのか、時代考証を考えて「看護婦」でもいいのかが以前から気になっています。
読者が「看護婦は差別用語です」とつっこんできたら、創作上の全体像や雰囲気で不都合が生まれると思った次第です。
例えば「ナイチンゲールは夜の帳が降りる不安のなかにも人々の心に寄り添い続けた看護婦でした」と「ナイチンゲールは過酷な戦場下でも献身的に人々の看病を続けた看護師であった」では雰囲気や伝わり方が違います。付属の言葉選びは名詞の雰囲気に合うものを即興でつけただけですが。
看護師は私の感覚的に堅い感じでより行政的な感じで、極めて現代風な映像しか浮かびません。最新鋭の機器に囲まれた清潔な病院とか。このように人によっては言葉の持つ映像がついてまわるのではないかと思うんです。どちらしにろ名称に関係はなく立派な職業に変わりはないものですが。
あとは「

江戸時代まで来るとさすがに今現在はいないけど、「武将」は(差別用語関係ないし、当てはまる役職でいえば大地主あたりでしょうけど)使ってますよね。
さすがに明治・大正の男性作家作品に多くみられるものですが、「妾(「わたし」と読むらしい)=女性が自身をへりくだって言うもの」は現代ではどう読んだって、ご主人が本妻以外に屋敷に愛人として抱え込んでた「めかけ」につながるから使わないとしても。「わらわ=あるていど高貴な雰囲気もあるような感だが、成人女性が自身をまだ子供のように言うもの」は使えると思いますけど。

上記の回答(現在「看護師」 昔「看護婦」 使うときの返信)

投稿者 手塚満 : 1 投稿日時:

厳密に言えば、「看護『師』」の呼称は2002年3月からです(法改正に伴うもの)。それ以前は、女性のナースが「看護『婦』」、男性のナースが「看護『士』」でした。看護婦のチーフが以前は「婦長」で、今は「師長」だったりもしますね。
(同様に、保健婦・保健士→保健師、助産婦→助産師(日本では女性のみの資格のため「助産士」はなかった)の変更があります。これも上記と同じく、2002年3月からです。)

大正、昭和初期どころか、21世紀初めまでは「看護婦/看護士」でないと、時代考証的にはおかしいわけです。だけど、もはや「看護師」という呼び方に慣れている人のほうが多いですよね。「看護婦」なんて忘れてるか、知らない人も少なくないかもしれない。お考えのように、「看護婦」に「それは差別用語だ」と反応する人もいるはず。

時代考証、分かりやすさ、NGワードのいずれもを満たす方法はないと考えるべきです。例えば、時代的には「看護師」ではなく「看護婦」だけど、差別用語と思われることを恐れ「ナース」としたら、一読して楽に分かるようにはならないかもしれません。それに、ナースコールとかは普通に言ってても、看護師をナースと呼ぶことは少ないでしょう。

ですので、作者の方針(何に重きを置く作品か)次第で腹をくくるしかないように思います。

1.時代考証を優先する

以前に、昔が舞台の小説で「女給」という言葉を使って、読者などから苦情を受けたという話を聞いたことがあります(作者、作品名は忘れましたorz)。作者はきっぱり「作中の時代では女給なんだ」「女給と言わないと時代の雰囲気を壊す」と言い、苦情をはねつけたそうです。

時代背景に忠実であることが大事なら、「看護婦」でしょう。苦情の予防をするとしたら、例えば前書きなどで「本作は昭和初期が舞台ですので、一部、現代にそぐわない用語、言い回しがあります」と断っておくくらいでしょうか。

2.分かりやすさ優先

昔が舞台でも、読むのは今の読者ですから、昔の用語などは今の言い方に変える、一種の翻訳をすることがよくあります。「看護婦」では分かりにくいかもしれないと思ったら、現代用語の「看護師」に翻訳するのは一理あります。

あるいは、当時なかった言葉を使うこともあります。例えば、鉄道ができる以前に、あるいは鉄道がない異世界で「話が脱線した」と言ったら、考証的には変です。だけど、気にせず小説で使ってますよね。今の読者になじみがある表現なら使ってもいいはずです。

今の読者に楽に読んでもらうことを考えるなら、今の言葉で統一するのも悪くありません。

3.NGワードだけ回避

「看護婦」ですと、対応する「看護士」があるわけですから、必ずしも差別的ニュアンスがあるとは言えません。しかし、昔は普通に使っていたけれど、差別的ニュアンスがあるなどで忌避されるようになった言葉はあります。上記1でいえば、女給は言わなくなった。

言わなくなると分かる人も減るわけで、2と重なる部分がありますが、現代の言い方に翻訳してしまうことはよくあります。一方、特に忌避されていない言葉は、できるだけ当時のものを使って雰囲気だけは確保するというのも考えられる手段と思います。

この3も2も、時代考証的に文句を言われる可能性はあります。「そんなこと、当時に言っているはずがない」とかですね。気になるなら、1と同じく、断り書きを入れておけばいいと思います。

この他にも、いろいろ考え方があると思います。ですが、どういう方針で書こうが、全方位的に文句が出ず、納得してくれる方法はないんじゃないかと思います。大事なのは、執筆方針がブレないことで、ブレていなければ表現について文句を言われても、説明は可能です。合理的な説明さえできるなら、読者を1人残らず納得させる必要もありません。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 現在「看護師」 昔「看護婦」 使うとき

この書き込みに返信する >>

元記事:ヴィランについて

最近、ディズニー映画になるような作品を作りたいなーと思っています。

そこで、魅力的なヴィランを書きたいと思い立ちました。

ところが、私が考えると、どうも昼ドラの悪女みたいになってしまいます。

魅力的なヴィランの条件というものがありましたら教えてください。

上記の回答(ヴィランについての返信)

投稿者 手塚満 : 1 投稿日時:

主人公に敵対するキャラということで、少し区別してみたいと思います。主に次の2つになるように思います。

・悪役(ヴィラン)
・敵対者(アンタゴニスト)

悪役は悪いと知りながら悪いことをするわけで、読者に嫌悪感を抱かれないならキャラ作り・イベント描写が失敗と見るべきです。魅力的な悪役、と考え出すとジレンマに陥りがちです。白雪姫の「お后様」であれば、身勝手で白雪姫を殺害しようとしたわけで、誰もが「懲らしめてやりたい」と思うようなキャラに仕立てられています。

一方、敵対者は主人公の邪魔になる存在です(ライバルも敵対者に入ります)。おとぎ話ですと、例えばシンデレラの義理の姉たちがいます。シンデレラを蔑み、舞踏会に行かせまいとはしているけれど、それ以上のことはない。争点は「王子の愛」で、その争奪において非道とまではいえないわけですね。実際、ガラスの靴の判定に応じて敗北している。それで充分、という感じの敵役です。こういうのが敵対者です。

シンデレラの義理の姉はわき役に近いものもありまして、魅力的とはいえません。しかし、引き立て役ではありますね。主人公の行く手に立ちふさがり、主人公に敗れることにより、主人公の強さを引き出しています。そういう点で、敵対者の役割をきちんと果たしているように思います。

古典的といってい名作の「ドラゴンボール」ですと、主人公の悟空より明らかに強い敵役として初代ピッコロ大魔王が出てきます。主人公の敵というよりは、世界の敵ですね。悟空が修行して勝つわけですが、悪が滅びたカタルシスが大きかったような気がします。いなくなってスッキリする存在。ですので、初代ピッコロ大魔王は見事な悪役であったと思います。

初代ピッコロ大魔王が今際に生み出したのが2代目ピッコロ(大魔王)。世界を滅ぼしたい魔王というよりは、ただただ悟空に勝ちたいという意思が、当初から見え隠れする敵役でした。主人公の悟空に勝っては欲しいけれど、2代目ピッコロがいなくなればいいという感じはしなかったと思います。2代目ピッコロは敵対者であっても悪役には徹してないからですね。

悪役(ヴィラン)であれば、作品世界に不快感をもたらし、存在自体が嫌悪感を生じさせれば成功だと思います。主人公は「こいつ(悪役)を排除したい」という気持ちを抱く。悪役に魅力があるとすれば、いなくなったらスッキリするという点でしょうか。かゆい背中みたいなもんです。

普通に魅力があるとすれば、敵対者でしょう。主人公が乗り越えるべき壁です。悪役性はあってもいいんですけれど、主人公との対立を重点的に浮き彫りにし、主人公が「こいつに勝ちたい」と思うように描ければ成功だと思います。

カテゴリー : キャラクター スレッド: ヴィランについて

この書き込みに返信する >>

現在までに合計311件の投稿があります。 5件づつ表示中。現在全63ページ中の11ページ目。

ランダムにスレッドを表示

ユニバース

投稿者 鈴木柚羽 回答数 : 2

投稿日時:

題名の通り、宇宙での話なんですが… 大体想像は出来てるんですが、言葉と言葉の間とかいろいろ分かりません。短くなってしまって… ... 続きを読む >>

物語り(主人公サイド)の目的の明確性と数

投稿者 シン 回答数 : 14

投稿日時:

 私は、人気アニメ作品で、漫画アニメや共同制作アニメは明確な目的が1~2つ決まっていて、ライトノベル作品の方は、小さな目的が複数ある... 続きを読む >>

凛子水月閣|東京・大阪デリヘル|本人写真保証・ホテル・自宅派遣対応

投稿者 凜子水月閣 回答数 : 0

投稿日時:

東京・大阪出張デリヘル|即日OK・安心の紹介制《凜子水月閣》 「今夜、ちょっと誰かと過ごしたいな…」 そんな夜、ホテルまで来... 続きを読む >>

ランダムに回答を表示

元記事:物語をより魅力的に描くための第1段階

先日、数か月前に出した公募ラノベ作品の評価シートが返ってきました。
結果は落選だったのですが、その評価で
「読者の興味を引き付ける仕掛けは十分に張り巡らせることができているが、物語の魅力がその仕掛けに見合ってない」
旨の講評を受けました。
具体的には人格の形成や心境の変化を丁寧に描写するよう言われました。
本作品は処女作で、普通の小説はおろかラノベもまともに読んだことなかったので(数冊程度)、どのように描けば良いか迷いながら書き上げた作品で、まあ当然の結果だと受け止めてます。
んで本題ですが、物語をより魅力的に描くための第1段階として、いろんなラノベ(できれば新人賞作品。どの程度の実力が必要か分かるため)を読むようにして、内面変化の描写方法や多岐にわたる表現方法、ストーリー構成など読者に対する魅せ方等の知識を得ている(分析をしている)のですが、このやり方は適切でしょうか?
もちろん次に送る新作を並行して書いてます。

上記の回答(物語をより魅力的に描くための第1段階の返信)

投稿者 山田太郎 : 8 人気回答!

あーなんか納得したわ
確かに読むせん氏の「俺は書かないけど質問には何でも答えるゾ」ってスタイルがまさにそれだわな

>「俺」は若くて可能性がたくさんあって、上手くいくはずだった。なのになぜ「俺」は成功せず【こう】なってしまった?

これとか読むせん氏そのまま。出版にこぎつけたこともなければ文章の仕事を請け負ったこともない。才能がなくて諦めているくせに、諦めた自分を認められないから防衛機制で「俺は書かない」って言って現実から逃げている。才能がなくて諦めているくせに、才能がないことを認められないから「名人様」を気取って掲示板に縋りついている

前々から読むせん氏の態度は不快だと思っていたけど、なるほどねえ

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 物語をより魅力的に描くための第1段階

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

元記事:プロを目指す上で。

はじめまして、名無しの三平と申します。自分はひっそりとラノベを書いているのですが、やっていくうちに疑問に思ったことがあり、そこで皆様の意見を頂戴したいと思い、こうして掲示板に書かせていただいた次第です。

自分はプロを目指してるのですが、まだしがない新人であっても、読者に受けるものを書いていくべきでしょうか? それとも自分が思いついたネタをとにかく小説という形にしていくという反復(?)創作をしていくべきでしょうか?

現在、いくつもネタがあるものの、小説という形に落とし込むことに躊躇しています。どうか、皆様の意見をお聞かせ願いたいです。よろしくお願いします。

上記の回答(プロを目指す上で。の返信)

投稿者 読むせん : 2

あー・・・・根本的に勘違いしてんじゃね?

小説家のプロって突き詰めて言うと【他人の金で自分の作品を売りたい】って事ですよ。

 自分自身が仮に30億円とか持っていたら、自費出版とかして自作の宣伝プロモやアニメやゲームやイメソンや映画を自腹で大金ぶちまけて、プロに作らせて、自作のアピールしたらいいんですよ。

 その金が無いから、他人に金を出資させて、場合によって出資者に首括らせて自分は逃げちゃう覚悟で作品をブチ立てようってのが、基本の小説家。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
自分の作品で、出資させた以上の金を稼がせてみせます!!だから金貸してください!!ってのが小説家やで?

金出させるための担保や企画が「作品」。
金を出したくなるような魅力のある作品を相手に提示できるか否かの勝負よ?

自己満足だのウケ狙いだのでは無い「価値あるモノ」を提示しなさいな。

例えば、「この作品」には、まちがいなくコアな読者が1万人人いて、彼らは書籍化したらきっと一冊ずつ買ってくれる。書籍の値段が1200円だとして、自分の作品を書籍化してくれたら最低限1200万円の売り上げは必ず出ます。だから金貸して。

とかの提示をスポンサーは求めとんねん。

面白いか否か、金になるか否かを【見極める】のは、スポンサーや読者であって、作家の自分でやる事とは違うで?

なんで勝手に自分が決めとんねん。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: プロを目指す上で。

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

元記事:既存作品とのネタかぶりはどれくらい避けるべきか

皆さまお久しぶりです。お陰様で第一作は昨年の終わりに完成して、今はその推敲をしながら全体のペース、伏線の貼り方、要らない情報の削減の仕方を勉強しているところです。
そんな中で2作めのプロットが複数沸いたりもしているのですか、悩ましい事に骨子の部分がどうしても既存作品と被ってしまう、という問題があります。
例:鬼と闘う→鬼滅の刃
そこをどういうエピソードで魅せていくかが私の務めだとは思うのですが、皆さんはネタが被ってしまうことをどれくらい避けますか?
私は自分の思いつきを文章化していて、それが昔読んで影響を受けた作品からそんなに大きく脱していなかったりすると、落ち込む質でもあるみたいです。

上記の回答(全く、気にしない。)

投稿者 ごたんだ : 0

素人がプロの作品をパクっても、絶対に似ない。
本人がどれだけ「まんまやん」とか思っても、読者はわからないし、パクリパクリ構ってくれるならむしろうれしいくらいでいいんでね?

カテゴリー : 著作権・オリジナリティ スレッド: 既存作品とのネタかぶりはどれくらい避けるべきか

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

トップページへ

▼書き込みの検索

▼投稿者の検索

質問、相談をする!
コメントは4500文字以内。
返信通知設定(必要なければ外してください)

「私はロボットではありません」にチェックを入れてください。

ページの先頭へ

小説の書き方Q&A:創作相談掲示板の使い方・利用規約(必ずお読みください)。お問い合わせ