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元記事:ラノベの一般読者層の知性レベルは、テレビの想定視聴者くらいを想定すべきか?

どうも。質問は初めてです。よろしくお願いいたします。

本題ですが、ラノベの一般読者層の知性について質問です。

会社でなんとなくぼーっとしていたとき、ふと「ラノベの一般読者層の知性レベルは、テレビの想定視聴者くらいなのではないか?」という仮説が思い浮かびました。これについて、色々調べたところ、以下のようなことが分かりました。

――――――――――――

■テレビの想定視聴者層はどれくらいか?

(少し昔の話題になりますが)とある芸能人が「CMは偏差値40の人にも理解できるものじゃなきゃダメ。この会社にいる時点で普通ではないと自覚しろ。世間にはおそるべき量のおそるべきバカがいる。そしてそれが日本の『普通の人』だ」という発言をしました。

また、演劇人の壤晴彦氏は、Twitterで同じような発言をしています。
「もう随分昔、当時の売れっ子脚本家とプロデューサー同席の時「日本のTVドラマは小3の語彙力で書けと言われます」俺「ホント?」P「ウン」俺「小4じゃダメなの?」P「視聴者から『難しい』ってクレームが来るんだよ」

さらに、KeyHoleTVの開発者である苫米地英人氏は自著の中で「そもそも現代のテレビ番組が、どういう層を対象にしているかというと、小学生高学年レベルの知力を対象レベルとしている。つまり、小学校高学年の頭脳が見てちゃんと理解できるレベル以上のものは、テレビには存在しないのだ。報道だろうが連ドラだろうが、同じである。すべて小学生向けのものだと思って間違いない。」と語っています。

小学3~4年生レベルの知性というと、国語が「ごんぎつね」、算数が「割り算」「小数」「角度」、理科が「磁石のしくみ」くらいとなります。いやいやさすがに馬鹿にし過ぎではないかと疑ったのですが、その手の人と付き合いのある友人に確認してみたところ、「まさにそう。彼らの知識はほんとそれくらい」と強く頷いていました。

これらを鑑みるに「テレビは小学生高学年レベルが理解できるように作られている」というのは信ぴょう性が高い(と私は思っています)。

■偏差値40の人は何に興味があるのか?

下記サイトにて、「偏差値40の人は何に興味があるのか」を解説していました。

はあちゅう氏の電通の先輩が言う「偏差値40の人向けPR」を解説。
https://www.kyohei-suzuki.com/entry/hensachi40-pr

(以下引用)
『偏差値40程度の人達は「時間が潰せること」と「快楽を得られるもの」に興味が振れていると言えます。電車やバスの待ち時間、退屈な授業中の暇潰しはスマホでソシャゲー。でも、ゲームだけだと飽きるので、楽しいことがしたいと思って恋愛を求めたり、バイクに乗ったり、ギャンブルにはまったりする。恋愛は本能、その他は「周りがやってるから」という理由で選び、ハマって行きます。彼らは多くのこと、本質的なことは考えず、本能や親しい人の勧めに従って行動するのがパターンです。物事をよく考えてから判断して行動する傾向のある、偏差値の高い人々とは逆のベクトルを向いています。』

そのうえで、偏差値40の人に受け入れられるコンテンツの特性として以下の要素を挙げていました。
・五感に訴え、本能を刺激するもの
・強く共感させるもの
・親しみを持たせるもの

――――――――――――

上記を踏まえたうえで、ライトノベルの一般読者層は、上記のような特徴を持つ人々と考えてもよいと思いますでしょうか? それとも、これ以上の知性を想定すべきでしょうか? もし、後者を支持するならば、どれくらいの知性を想定すべきだと思うでしょうか?

ご意見よろしくお願いいたします。

上記の回答(ラノベの一般読者層の知性レベルは、テレビの想定視聴者くらいを想定すべきか?の返信)

投稿者 手塚満 : 5 人気回答! 投稿日時:

書いたら長くなりまして、結論だけ先に申し上げてみます。「書いた作品に努力を払ってくれないから偏差値40なんであって、本当は読者は必ず作者より賢い。決して侮らず、敬うべきである」です。

ツイートにせよブログにせよ、ごく当たり前のことなのに、知性とか偏差値とかで言い表しているようですね。気に障る言い方をわざとしているらしい。既出の回答にも、はあちゅうさんのツイートを解説するブログでは、真意を推測するほどに、ごく当たり前の結論に近づいていってます。

はあちゅうさんは炎芸人と言ってもいいと個人的には思いますんで、気に障る言い方で注意を引き付けるのは常套手段なんでしょう。ブログ解説でも続くツイートも紹介し、話の流れが「バカを相手にしていると知れ」→「まあ、誰でもバカなんだけれども」みたいになっているとしていますね。

ブログの解説では「本能」なんて言い方をしていますが、よく読んでみると「直感」と言い換えたほうがよさそうな個所が散見されます。本能と言えば思考抜きの印象が出てきますんで、悪い方向で刺激的な表現と言えなくもない。例えば以下。

01> 恋愛は本能、その他は「周りがやってるから」という理由で選び、ハマって行きます。
02> 彼らは多くのこと、本質的なことは考えず、『本能』や親しい人の勧めに従って行動するのがパターンです。
03> 物事をよく考えてから判断して行動する傾向のある、偏差値の高い人々とは逆のベクトルを向いています。

上記で02の「本能」は「直感」と言うべきだろうと思います。それと「本質的」とわざわざ入れて、無思慮を強く示唆するミスリードもある。

直感なんですけれども、意外なくらい賢いのです。経済的なゲームを使ったある心理学実験では、直感でプレイした被験者はスコア高め、熟慮の被験者は低めという結果を得ています。プレイ傾向を分析すると、直感では利他的・協力的で、熟慮だと利己的・競争的であったとのこと。
(熟慮したほうがいいケースもあったりするんですけど、割愛。)

直感でうまく暮らせて行けるというわけです。見聞きするもの全てについて、何がどうなっているか考えなくてもいい。ですから、普段は考えず、感じて行動しているわけです。親しい人の勧めだった、見ず知らずの人の勧め(広告を含む)より信頼できますよね。良かれと思って言ってくれると分かっているほうが安心できます(この辺り、ブログはミスリードを誘う言い方をしているようです)。また、何かを面白がっている人をみたら、自分でもやってみたくなるのは当たり前のこと(人類の進歩の源泉らしい)。

広告であれば、そういう人に訴えかけるものでないといけない。エンタメと思って読むラノベだって同じ。作者はこの点で勘違いしがちです。努力を重ねて書き上げたわけですから、斜め読み3分で切り捨てられたりすると憤慨したりする。「ちゃんと読んでくれ、そうすりゃ面白さが分かる」とか。

でも、読者が努力するわけないです。特に、作品について内容も面白さも分からない冒頭ですね。「さあ気分転換のため、頑張ってラノベ読むぞー」なんてありえないでしょ。文章読むだけでも本当は面倒臭い。同じ内容のコミックがあればコミックへ、アニメ化されてたらアニメへ流れることだって多いはず。楽しめればいいんですから。決して、作品や作者について知りたいという知識欲なんかではない。

我々が書いたラノベは、無知で怠惰でわがままな(状態の)読者が読む、と覚悟する必要があります。学業や仕事では優秀な人でも、頭を使う気がないときは「偏差値40」状態でしょう。そういう状態の人に、直感で「面白そう」「ああ、なるほど」等と感じてもらわねばならないわけです。決して、熟慮したら面白いはず、ではいけない。直感でうまく行っている人に、思慮や努力を強いてはいけない。

だから、文章を平易にするに決まっています。斜め読みでも頭に入るとか、何が書いてあるかくらいは、(漢字の問題を除き)小学生でも分かるようにするのは当然です。だけれど、ラノベを読む人は全面的・定常的に「偏差値40」ではないことに注意すべきです。

興味をかき立てることに成功したら、読者は読み進めてくれます。興味を維持して、かなり読み進んだら、知りたくなってきます。「この現象はどうして起こっているのか?」「このキャラのこの行動の裏の意味はなんだ?」等々ですね。

この段階になっても、作者が「読者はどうせ偏差値40」と思っていたら失敗します。嘘、いい加減を見抜かれるからです。しかも、作者は1人、読者は多数です。今はネットで感想を述べたりしますので、読者間での情報共有も起こってきます。いわゆる「衆知の結集」です。

だから、知性では作者は読者に勝てません。読者10人があれこれ調べ、考え、話し合って出してくる意見と、作者1人の意見ではどちらが賢いか、明らかです。1つ2つくらいなら作者が誤魔化してしまえるかもしれませんが、なにせ長丁場の小説です。99%以上の部分で、読者(グループ)の判断が正しいと覚悟する必要があります。だけど、文章は相変わらず平易に書かないといけないんですが。エンタメ目的というのは、読者は常に意識してますので。

ですから、ラノベの書き方の要領をものすごく簡潔に言えば、

「小学生でも分かる平易な言い方で、大学教授に感心してもらう」

ということになります。

この「平易」ってのが意外なくらいやっかいです。似て非なる「単純」とは別物です。「単純」にするには「要素を減らしてしまう」ことになります。それも分かりやすくする手段ではあります。だけど伝えられることが減ってしまう。対して、「平易」は「つっかえずに分かる」ようにするわけです。伝える内容は減らさない。

この「平易」が難しいことは、やろうとした人はよく知っていると思います。英語圏でのことですが、「平易(plain)にしよう」という運動があり、大統領指示にまでなったことがあります。決して「単純(simple)にしよう」とは言わなかった。「必要なことを漏らさず正確に伝え、しかも誰でも分かるようにせよ」です。

「プレイン・イングリッシュのすすめ」(ケリー・伊藤著、講談社)でその辺りの事情紹介がされています。スーパーでの値引きに関する注意書きポスターで、最初に弁護士が起草した文章は次のようなものだったそうです(原文は英語)。

「本広告で通知される商品以外の広告に掲載された全ての商品は、広告で提示された価格を上回ることなく販売されることが法令により要請されており(略、原稿用紙3~4枚分くらい続く)当該顧客は事案発生について店長に通知するべきものとする。」

これをお客さん目線で言い換えて、

「お客様へ お買い上げになった商品と当店の広告価格をご確認ください。もしお買い上げ価格のほうが高いようでしたら、レジ店員にお申し付けください。何か問題が起きましたら、店長までお知らせください。」

としたそうです。ラフに訳してますんで漏れがあるかもしれませんが、原文(英語)では誰でも分かり、かつ客側としたら法的にも充分な内容になっています。分かりやすい言葉で、より短く、相手が必要とすることだけ伝える。こういうことを「平易(plain)」と呼んでいます。

同書では平易のための10のコツを示してまして、以下のようなものです。

> 1. 長い単語より短い単語を。
> 2. カッコいい凝った単語より、慣れ親しんだ単語を。
> 3. 抽象的な単語より、具体的なものを。
> 4. よけいな単語は使わない。
> 5. できるだけ能動態を使う。
> 6. 動詞を生かす。
> 7. できるだけ否定形を避ける。
> 8. ひとつの文にはひとつの情報を。
> 9. まず概論を述べてから、詳細に入る。
> 10. 原因・結果をはっきり述べる。

英語特有の問題も含んでいますので、これをそのまま日本語の文章のコツとはできませんが、ラノベに限らず、小論文や説明、描写の文章でのコツと重なるものがかなりあります。やろうと思っただけではできない、高度な技です。訓練なしにはできません。

カテゴリー : その他 スレッド: ラノベの一般読者層の知性レベルは、テレビの想定視聴者くらいを想定すべきか?

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元記事:物語の余韻について

先日、評価シートが届きまして、そこに『地の文や台詞に余韻が感じられない。余韻を感じられるようにすればもっと物語に深みが出る』と書かれていました。
この余韻というのはどういうものでしょうか? いえ、なんとなくならわかるのですが、それが果たして正しいのかどうか気になりまして。この疑問に答えを出すべく質問をさせていただいた次第です。

上記の回答(物語の余韻についての返信)

投稿者 手塚満 : 5 人気回答! 投稿日時:

公募先からの評価が「地の文や台詞」とのことですので、どの部分で余韻が感じられないのか、小説本文を示して頂くのが難しいのでしょうか。余韻にもいろいろありますので、原因が多岐に渡っている可能性もありますよね。
(それでも「小説のタイトル・プロローグ改善相談所」掲示板で冒頭を投稿して相談してみてもいいかもしれません)。

余韻のなさについて、既出の良回答と被る部分もあるですが、思い当たることを列挙してみようと思います。

その前に余韻の意味や効果の確認から。余韻って、例えば寺の鐘がゴーンと鳴って、その後も長くなり続ける音のことですね。聞き続けていることもあれば、鳴り終わったと思っていたら、ふとかすかに鳴り続ける音に気が付いたりもする。

転じて、見たものや誰かが言ったことの、その後が気になるようなことを指すわけですね。小説なら、描写の後にも何かが引き続き起こると感じたり、台詞の後に何を言いたいかを感じたりする。

そういうものが、なぜ必要なのか、ということから考える必要がありそうに思います。なぜ、完全に説明したり、言いたいことを全部言ってしまうと、面白くなくなるのか。これは、書いている人なら心当たりのある現象があります。

考えたことが思った通りに書けていたら、嬉しいですよね。言葉にする前は非言語的なイメージもあったりするんですが、全てを言語化できたら充実感があります。例えば「そうだよ、こういうことが言いたかったんだ」という気持ち。

しかし、作者が言いたいことが全部言えていたら、読者はどうなるのか。ひたすら作者の言うことを聞くだけになってしまいますよね。想像を巡らせる余地がない。言われた通りにイメージするだけになる。読書が作業に堕してしまい、退屈です。

ある(地理担当の)予備校講師さんがTVで授業で行うような講義をやっていました。例えば「小麦の生産量は人口に比例する」と説明し、生徒Aに「世界で一番人口が多い国は、どこでしたっけ?」と問う。生徒Aは「えっと、イン(ここで講師がちょっと首をかしげて見せる)、あ、中国」と答える。講師はニコッと嬉しそうに「そうですねー!」と言い、生徒Bに「じゃあ、小麦生産が世界一なのは?」と問う。生徒Bはそこまでの話を踏まえて、「中国になるはず」と言い、講師がまた嬉しそうに「そうですよねー!」と言う。

そうやっていると、だんだん生徒も面白がってきます。正しく答えられたからだけではないでしょう(質問が簡単すぎますし)。講義に参加し、講義を補完しているという自覚が生じ、充実感が生じるのが大きな理由の一つになるように思います。ちょっと大げさに言えば、「この講義を仕上げたのは自分なんだぞ」という気持ちです。

余韻の効果は、風情とか深みとか曖昧に表現されることが多いんですが、ラノベに関して言えば、読者が物語を補完する、物語に参加する意識が出る、といった効果があるように思います。読者には、キャラに感情移入して欲しい、できればキャラになり切って物語を味わって欲しいわけですから、単なる見物客ではまずいわけです。だから、物語に参加してもらい、特に完結させる喜びは読者に譲る必要があります。そのための手法の一つが余韻であるわけです。

大事なことなので簡潔に繰り返しますと、「言いたいことを書き切れたら面白いわけだから、その面白さは読者に譲ろう。それが面白くするコツだ」ということになります。

余韻の大事さはこれくらいにしまして、どうして大事な余韻がなくなってしまうか、いくつかケースを考えてみます。

1.説明し切ってしまう
上述しましたが、キャラの行動・言動が完了してしまうという、おそらく最もよくある現象です。ご質問文を小説本文と考えて、例にしてみます。

> いえ、なんとなくならわかるのですが、それが果たして正しいのかどうか気になりまして。

「なんとなくならわかる」わけですよね。「なんとなく」なんですから、はっきりはしていないことが読み取れます。質問ですからはっきりさせる必要があって、「果たして正しいのかどうか」と続けるわけですが、これがキャラの台詞だったらどうでしょうか。

「いや、なんとなくなら分かるんだけど」

としてしまってもいいですよね。すると、「だけど」の逆接の後に何が言いたいか、自然と想像を働かせたくなります。

もし、キャラが続けて「果たして正しいのかどうか気になって」と言ったら、読者の気持ちは「ふんふん、なるほど」でしかありません。正確に言えば、「気になって」で途切れてますので、その続きは読者が補完します。

ですが、「分かるんだけど」で切ったほうが、補完できる幅が広がりますよね。質問ではまずいわけですが、小説でなら有効です。その後の展開でどうだったのか示すことも可能ですし、逆に小説の最後の台詞であれば、「完」の後で起こることを想像したくなります。

技法的には、台詞や地の文の末尾を「……」や「――」にする手法がよく知られています。明示的に「この後に言いたいことがあるが言わない」と示すものですね。

2.逆に中途半端すぎる

もう一度、同じ部分。

> いえ、なんとなくならわかるのですが、それが果たして正しいのかどうか気になりまして。

話をひっくり返すようですが、実は決定的に足りない部分もある。どう「なんとなくならわかる」のか、です。仮にこれが冒頭の台詞だとすると、想像のしようがありません。

余韻を残すには、おおむねですが「八割分かって、二割分からない」必要があります。必要な情報のうち、半分くらいしか出していないのでは、想像の余地がありすぎて、余韻どころではなく、むしろ混乱を招いてしまいます。

3.場面転換が速すぎる

例えば、「ヒロインが主人公のデートの誘いにちょっと戸惑った→いきなりヒロインが車にはねられた→車からテロリストが降りて来て銃乱射→…」と一気に話を進めたら、ヒロインがデートの誘いにどう思ったか、読者が考えてる暇はないですよね。

小説を読み進めてもらいたいあまり、目立つイベントを矢継ぎ早に出すと、余韻がなくなります。要は読者を振り回してしまうということです(話の展開でそういう狙いがあるなら、余韻は諦めるべき。余韻は常に必要なわけではない)。

4.シーン接続が密すぎる

上記3の逆です。1と同じことで、時系列でシーンを並べ、各シーンの間に時間経過がないと、シーン間で何かが起こったかどうか、迷わなくなり、想像も働かせなくなります。

5.シーン間が飛びすぎる

上記4の逆で、2と同様です。シーンの時間をあまりに空けたり、無関係な場所に変えてしまうと、シーン間で何かがあったかどうか気にならなくなり、読者が補完しなくなります。

6.シーンの同時並列進行を用い過ぎる

シーンというよりイベントと言うべきかもしれません。例えば、メインキャラA、Bが別行動を取り、「Aがこうした→その頃、Bはこうした」みたいなストーリー進行を用いることがあります。これ自体は、読者の補完、想像力を喚起させ得る手法です。Aのシーンのとき、Bはどうしているか考えたりしますから。

しかし、2つのシーンの同時進行なら大丈夫かもしれませんが、3つ、4つと増えてくると、読者は情報整理に追われ、ついにはお手上げになってしまいます。結果、作者の説明をただ聞くだけになってしまう。あるいは、3で申しましたような速すぎる切り替えで、同時進行シーンが細切れ過ぎる場合も同様です。要は、作者にしか分からなくなる。

思いつくものを挙げてみましたが、これ以外にも余韻が感じられなくなる要因はいろいろあると思います。ただ繰り返しですが、余韻は必ず必要なものではありません。比喩と同じく、使いすぎると嫌味な感じになりかねませんので、スパイスのつもりで少量用いればよいと思います。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 物語の余韻について

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元記事:ラノベの一般読者層の知性レベルは、テレビの想定視聴者くらいを想定すべきか?の返信

みなさんご意見ありがとうございます。

私個人としては、にわとりさんのご意見が一番しっくりときました。

『読み手個人個人は本来小学3年以上の知性があるはずだけれど、「ラノベというコンテンツは頭空っぽにして楽しむもの」という意識があるため本来の知性は発揮されず、ラノベ読書時は偏差値40の状態になっている』。これが実態な気がします。ラノベってエンターテイメント・コンテンツですものね。私の中に「本を読む=知的活動」という先入観があり、「人の知性レベルは状況・状態によって変動する」というのが盲点になっていました。

また、「『語彙力ベースで考えれば小3程度で大抵のことは表現可能』だから、そのレベルが作り手の想定する知性のボトムラインとなっている」という考えも納得できました。

他、いただいた意見の中で、自分の考えと異なるものに意見を添えさせていただきます。

■手塚満さんの「本当は読者は必ず作者より賢い」について

必ずしもそうではないと思っています。というのも、読者の集合知は、あくまで各々の知識集まりであって、一つの体系としてまとまっているわけではないからです。読者集団の知識は体系化される際の批判プロセスを経ていないため、根本で間違えている可能性があります。例えば、集団の多くが特定の偏見を共有していた場合、集団の主張する『統計的根拠』は信用できないものになります。これには実例があり、作家の竜騎士07氏が自作「うみねこのなく頃に」にて問題出題編にてミステリーの謎を読者に提示して、同作の次エピソードを執筆している(エピソード8まであり、半年単位で発売された)際、2ちゃんねるに正しい答えを提示した人が一人いたらしいですが、その答えがその他大勢の連携によって「間違っている」と潰されるのを氏はリアルタイムで目撃したらしいです。
上記のような話もあり、大衆の知は、統計的に有意となる特定条件下でない限りは、あまりあてにならないと思っています。それよりかは、多くの批判を超えた専門的な体系知の方を信用すべきです。

■あざらしさんの「小説において『面白い』は少数を向いてても良い」について

そうだったら嬉しいなあと思っています。ただ、プロとしての活動を想定する際は、この考えは取り間違えるとリスクになると思っています。というのも、ラノベのビジネスモデルには以下二点の特性があるからです。

①ラノベのキャッシュは「数」によってもたらされるため
※競争差別化の話は置いておいておきます。

ラノベのビジネスモデルは、基本値上げを想定していません。これは、ライトノベルが「数のビジネス」であることを示しています。「100人に価値200を提供する」のと「200人に価値100を提供する」のでは、集団に同じ量の価値を提供していますが、後者の方がキャッシュが入ります。出版社は営利団体のため、後者の作家のほうを重宝すると考えられます。

②ラノベ作家は「売れるか売れないか」による格差が極めて大きい職業のため

ラノベのビジネスモデルは、メディアミックスを前提にしています。ラノベの中で売れたものをアニメ化してメディアミックスで稼ぐ。「リスクの少ないところでテストする」という合理的な考え方です。この時、メディアミックスの有無によって出版社にもたらされるキャッシュの差が100倍あると聞きます。また、編集者は一人当たり50人前後の作家を担当しているため、優先順位が低い人に対してはあまり時間を使えないらしいです。

これら二点は、作家の所得/待遇に対する格差の存在を表しています。私個人も前者のような「少数に強く受ける作品」を書く/読むのが好きなのですが、だから「それでいいんだ!」と開き直るのは、プロ作家活動としてのリスクになると考えています。まあ、この辺りの方針は自身の思想や技術と相談しつつ、自己責任で決定してくものだと思います。

■あざらしさんの「存在しないスポンサーではなく、読者を向いて執筆して欲しく」について

……まあ、スポンサーいるんですよね。出版社というスポンサーが。そして、スポンサーがキャッシュ上のリスクを負っている以上、それに背く意思決定は事実上できないし、してはいけないのだと思っています。会社と株主の関係と同じですね。自由なものを書きたいのなら自分の資本でやれって話ですし。ビジネス上のこの点には納得していますし、そうあるべきだとも思っています。

プロ作家としては、スポンサーの利潤を追求しつつ、エンドユーザーの要望に応えるのが職業的な義務である。スポンサーの利潤にならない商品は、自分の資本で出して、自分で資本的責任を持つ。これが正しい考え方じゃないかと思います。

時間が遅くなったので、この辺りで。
みなさん、ありがとうございました。

上記の回答(ラノベの一般読者層の知性レベルは、テレビの想定視聴者くらいを想定すべきか?の返信の返信)

投稿者 手塚満 : 3 人気回答! 投稿日時:

(No: 11:スレ主さんへの返信です)

竜騎士07さんの「うみねこのなく頃に」1作についてのみ、しかも謎解きの1人に対する多数からの批判の1例のみというのは、傾向を語るには統計学、論理学的にいささか不足ではないかと思います。傾向について説明するための代表的な具体例だとしても、「うみねこのなく頃に」は情報提示が不規則であるなどの、ミスディレクションの不手際があるようであり、説明のための参考事例とするには、あまり適切とはいえないように思われます。
(作者が想定したものと、描いたものの間にしばしば生じる齟齬等、いろいろ要因、原因ありますが、作品批評が目的ではありませんので割愛します。)

読者グループの集合知が体系化されるか否かですが、作品全体の好き嫌い、感動ポイント等の主観的な部分については体系化はされません。賢愚の基準でもありませんよね。

問題としているのは、仰るような謎解き等の客観基準があるものについてです。これは、70年代以降に多発した事例(ニューエイジ運動などでもよく見られたもの)から、各個人がコミュニケーション可能な集団が問題解決に優れた能力を見せたことなどを参考に申し上げてみました。

今でもそうですが、昔から会社組織は問題解決に優れた手腕を発揮することは周知の事実だと思います。指揮系統、役割分担等がはっきりした(後述する雑多な集団と比べてですが)少数精鋭の組織です。

ところが、70年代以降、無関係な人々が何らかの問題をきっかけに一時的に集まり、一気に問題を解決してしまう現象が見られるようになりました。日常的に見られるほどだったので、いちいち事例として記録はされていません(まだネットもなかったことですし)。会社組織が取り組みをためらったようなものも含まれます。

どう問題解決しているか、傾向を調べてみると、問題を熟知している1人(ないしは少数)が他の大勢に指示を出している(会社組織では普通のやり方)ではなかった。ある種の分散型システムで、解きたい問題の一部を知っている人がそこだけ解決する、すると他の部分についても同様にする人が出て来て、次第に全体が解決されていくというプロセスだったとのことです。
(こういうことが何度も起こって、例えば非営利組織などになっていったりもする。つまり、有用なものは組織化される傾向がみられるのは興味深いですが、これも今の話から逸れますので割愛。)

もう少し枠を広げた言い方をしますと、整然としたカオス、といったことになります。そういう集合知です。何らかの目的が生じると、突如として整然と動き出す。これが成立するようになったのは理由があります。

整然としたカオスが成立、機能する条件は「個々の成員が一定以上に賢いこと」なんです。教育の普及から高度化と無縁ではありません。日本では昔から初等教育は広く施されていましたが、高校(ないしは専門学校等)以降となると70年代以降に顕著になったものですね。これがあるため、カオスから専門的にも正しい知見、成果も生じるわけです。専門的な事項とて、学際的なものは多くあり(巨大プロジェクト等)、同様な現象が生じます。学生が主要な役割を担うことも少なくありません。

集合知について、他に注意すべき点があります。今は作者1人対読者多数を考えているわけですよね。集団的に出されてきた結論を、1人が批判し切れるのかどうか。多数の知恵が集まったんだから1人より賢い、とは別問題です。現在の学習型AIにも通じる問題で、例えば結論ははっきり出て来ているけれど、結論に至るプロセスが解析できないということがしばしば起こります。こうなるからそうなるといった決定論的ではなく、いわば確率論的なんです。

簡潔に言えば、集合知はしばしばアカウンタブルではない、といったことになります。あたかも1人が考えて結論を出したように考えて扱うと間違うことが多くなります。集合知への批判に際しては充分に留意すべきです。

気になりましたので一応の説明は致しましたが、読者は実は賢い、単に頭を使ってないことがあるだけ、ということを踏まえてお出でなら、そうそう心配はないように思います。

カテゴリー : その他 スレッド: ラノベの一般読者層の知性レベルは、テレビの想定視聴者くらいを想定すべきか?

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元記事:キャラが動く動機が見つからないです

初コメです!
キャラの設定などはだいぶできてきたんですがどうしても
目的、目標が決まらなくて困ってます。
元々遊びとしてキャラを作ってしまい、
その後に設定を作ろうと思ったのが悪いのですが
皆さんならどんな話にしようとするか参考にさせてほしいです。
記憶をなくしてしまった主人公が、あるきっかけ(詳細は未定)で
「色を集めないといけない」ということを思い出します。
(色というのは神様から授けられた特定の魂の概念で
赤とかの色とは別のものです伝わりにくくてすみません)
登場キャラは色を一つ持っているのでそれを集めようと
色が見える能力を持つ主人公ががんばります。
最終的には色を持ったキャラたちが
創造主に会うという…もうわからない感じになってます。
形はできているように見えますが動く動機が皆にはないんです。
創造主は昔能力を使いすぎて眠りについているので起こして!
というキャラもいるので創造主が悪役ではないかもです…
皆さんに聞きたいのは
1 キャラが動く動機はどういうものがいいか。
2 悪役(キャラは未定)はどんな行動をしてるとよいか。
3 先程の設定で物足りないと思われる点はどこか。
長くてすみませんが思ったことがあれば意見ください!
お願いします!

上記の回答(キャラが動く動機が見つからないですの返信)

投稿者 手塚満 : 1 投稿日時:

> 1 キャラが動く動機はどういうものがいいか。

おおむね、「不足を埋めたい」というものだと思います。最初から何が不足かを知っていてもいいし、満ち足りていると思っていたら決定的に何かが欠けていたと気が付いてもいいです。

後者の満足から不満に変わるものとしては、例えば何らかの勝負事で、今まで負けたことがない主人公が、強敵に出会ってボロ負けし、自分が弱かったと思い知るなんて、よくあります。そこから強くなるためのドラマが始まるわけですね。

お考えの主人公ですと、既に欠けています。記憶ですね。しかし、主人公が「色を集めないといけないと思い出したことにより、自分の困った状況(記憶喪失)を捨て置いて、色を集め出すと、何かしっくり来ません。なぜ最大の問題=記憶を放置するのか、という疑問が生まれてしまい、そこを補足しないと不自然になります。

もし「色を集めないといけないんだった、しかしなぜだろう?」と思い、色を集めることが失われた記憶にたどり着きそうと強く感じたら、説得力が生まれます。なぜ色を集めると記憶が戻りそうなのかは、はっきり説明できなくても大丈夫です。主人公が感覚的に、記憶が戻りそうと感じればいい。

そこからは展開次第になります。よくある例を考えてみますと、色を持つキャラが主人公の記憶に関わる部分的な情報を持っているというものですね。色を集めるごとに、「主人公はこういうキャラのはずだ」というものが見えてくる(必ずしも主人公が思い出す必要はない)。そうすると、サブキャラにも必然性が出てきます。

> 2 悪役(キャラは未定)はどんな行動をしてるとよいか。

メインの悪役、つまり主人公に対立するキャラですね。主人公が「自分の不足を埋めたい」キャラだとすると、それを邪魔するキャラになるように思います。お考えの物語であれば、主人公の記憶を取り戻させまいと行動するキャラになりそうです(間違った記憶にミスリードすることを含む)。

悪役と呼ぶと悪いことをしそうと思えるわけですが、敵役とかライバルも含むと考えてみます。あくまでも例えばですが、以下のようなものが思いつきます。

・主人公の記憶が戻ると都合が悪い(悪役の悪事を知っているとか)。
・主人公が以前犯した罪を知っている(記憶が戻って苦しむと心配している善意の人、実は主人公により苦しめられた被害者等々)。
・主人公の現在の能力を活かして欲しいあまり、主人公が記憶を取り戻すことに時間、労力を費やすことに反対(会社の上司みたいな感じ)。
・主人公が憎いので、不幸なままにしておきたい(愉快犯とか、主人公に以前負けたとかで恨んでる等々)。

キリがないのでこれくらいにしまして、「悪役/敵役/ライバルは主人公が最も欲するものを邪魔する存在」と考えれば、いろいろアイデアが出るはずです。

> 3 先程の設定で物足りないと思われる点はどこか。

主人公の欲するものが記憶だとしまして、どういう困難があるかが未設定です。悪役によって与えられるものもあるはずですが、悪役が制御できない、あるいは関与していないものも欲しいところではないかと思います。

例えば、「以前の記憶が戻ると、記憶を喪失していた間のことは忘れてしまう」とか。「ハリー・ポッター」の後継にして前日譚の「ファンタスティック・ビースト」では、世界への影響を防ぐために恋人の記憶を失ってしまうという別離が描かれていました(その後、同じ人と新たに恋愛が始まると暗示する救いも入れてあった)。

設定は主に主人公に対する障害であるべきだと思います。もし魔法を出すなら、魔法があるために主人公が困難に陥るよう工夫すべきです。困難が発生する都度、問題を解消する魔法が出てくるとしたら、とてもつまらない物語になってしまいます(読者は「どうせこの敵も魔法でなんとかするんだろ」等と思ってしまい、ハラハラしなくなる)。

じゃあ困難になるよう設定を作ろう、ではうまくいかないかもしれません。荒削りでいいですから、あらすじ~プロットを作り始めてはどうでしょうか。主人公の困難を具体化するには、ストーリーがないと思いつくのは難しいです。「主人公がこうしようとして、それを邪魔するには?」と考えると、アイデアが出やすいように思います。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: キャラが動く動機が見つからないです

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元記事:物語の考察のさせ方について

こんにちは㎜というものです。
面白い作品は読者に考察させる内容が含まれていることが多いですよね。
読者にはただ一つの答えではなく、様々な答えを考えさせ、議論させるものが私個人的には面白い作品であると考えています。
そこで、考察について4つの質問があります。
①作品によって異なると思いますが、どういった内容が読者にとって考察し甲斐のあるものになるのでしょうか?
②どういった点(例えば、登場人物の言動、舞台の背景等)に考察させる要因を入れたらいいのでしょうか?
③読者に考察させるので、作者側であらかじめ答えを用意しておいたほうがいいのでしょうか?ただ、私としては答えを用意して作品を書き、考察させるとなると、その答えに導かせる作品になってしまい、読者の考察の答えが1つだけになりそうで不安です。
④そもそも、今の読者に考察させるような作品を好むひとはいるのでしょうか?
みなさん回答お願いします。

上記の回答(物語の考察のさせ方についての返信)

投稿者 手塚満 : 2 投稿日時:

既出の良回答と被る部分も少なくないのですが、ご質問を拝読して思ったことを説明してみます。

まず「考察のさせ方」「読者に考察させる」という言い方が、細かいことで揚げ足を取るようで申し訳ありませんが、エンタメ作者のスタンスから外れているように思います。作者が(情報の非対称性を使って)読者を使役したり、試したりしてはいけないのです。楽しめる作品だと思ったら、学校のテストみたいだった、になってしまいますから。

推理物ですと、読者との知恵比べみたいな面、楽しさがあります。だけど、考えさせる要素を入れてあるのか。違いますよね。密室だったりして殺人がいかにも不可能そうだけど、実際に被害者が倒れている。自殺でないことが明らかになり、ではどうやって、となります。

ですが、考えさせているわけではありません。不思議で面白そうだから、自然と「どうなってるんだ?」と思うわけです。さらに言えば、読者が考えることは必然でもない。探偵の鮮やかな謎解きの見事さだけを堪能してもいい。しかしその後、探偵の推理と論証が合理的か、事実誤認がないか考えたりすることもあります。探偵の手並みが鮮やかであれば、ですが。

考えさせる、考察させる書籍の代表が教科書、参考書、問題集です。これらは面白いでしょうか? 知識が増える、理解できるものが増える楽しさはあります。ですが、教科書、問題集自体が面白い書籍と思う人は(その分野の上級者を除き)いないんじゃないかと思います。

ですので、考察させる要素があるから面白くなるわけではありません。特にエンタメではそうです。面白いという興味が湧いたら、知りたいという好奇心が湧き、もっと理解しようと考察したくなるわけです。逆はありません。分からない、知らないものなんて、世の中に無数にあります。でも、知らない、分からないからといって、いちいち調べようとしたりはしません。調べる、考える動機として興味は必須です。

フィクションならなおさらです。あるフィクションについて知ったり理解したからといって、そのフィクション以外では役に立ちません。人気作であれば、ファン同士で交流するときに役立ちますが、それも元をただせばその作品が面白いからですよね。

考察させる要素があるから面白いはずだ、なんてのは、冒頭の長い設定語りと同根の間違いです。面白がるのは作者だけです。面白いかどうかが先です。面白ければ、作者が特に意図して謎を入れてなくても、読者は勝手に考察します。繰り返すようですが、面白いものは深く知りたくなるから。作中のアイテムだって、読者が勝手に設定を付与したりもします。

例えば、最初のガンダムでも制作者が考えていなかったことを、ファンが後付けで設定し、体系化までしました。有名なのが「ミノフスキー物理学」です。作中に出てきたのは「ミノフスキー粒子」なる架空の粒子で、単にレーダーが使えない設定にするためのものです(おそらくモビルスーツの近接戦闘を描きたいから)。

ガンダム初作はありていにいえば、科学・SF考証・設定は甘かったようです。そのため矛盾する、あるいは無理がある描写が出て来てしまったことも再三あったようで、冨野監督ですら悩まされたらしい。

普通は作品の欠点になりますよね。駄目出しされる要素です。だけど(プロ作家・イラストレーター含む)多数のファンは「どうすれば、作中描写が合理的とできるか」に挑戦し始めたわけです。その成果の1つが「ミノフスキー物理学」です(作中では理論名だけは設定されていた模様)。ミノフスキー粒子はこういう性質で、だからあの描写ではこう作用して、とかやり始め、ついには完遂してしまった。

あまりにも出来が良かったので、ガンダムシリーズで採用するまでになりました。他にモビルスーツ姿勢制御技術としてAMBACなんてのも同様に出たりして、同様に公式化されています。もう隅々までファンが考察していたわけです。ひとえに面白かったから。面白いものは、できるだけ正しいものであって欲しいから。好きになったら、あら捜しより補完するほうが楽しいから。受け手が好きな作品の創作に参加できた気がするから。

「考察させる要素」って、そういうもんなんです。面白いからなんとしてでも理路整然とした理屈、体形で理解したくなる。作者ですら考えもしなかったことまで考察して補完するようになる。大事なことなので繰り返しますと、興味が先、知識欲が後です。興味→好奇心→考察、なのであり、逆コースはありません。読者にテスト問題を与えるがごとき態度で作品書いたら、途中で見捨てられるでしょう。

ご質問各項目についても考えてみます。

> ①作品によって異なると思いますが、どういった内容が読者にとって考察し甲斐のあるものになるのでしょうか?

上記で説明した通り、面白いものです。

> ②どういった点(例えば、登場人物の言動、舞台の背景等)に考察させる要因を入れたらいいのでしょうか?

(超上級者でない限り)入れてはなりません。どうせ全てを描き尽くすことはできないのです。考えたくなる要素は勝手に、必然的に発生します。特に文章作品はそうです。言葉は、例えば絵に比べて圧倒的に情報量が少ない。精一杯、精密、正確に描写したところで不完全なんです。描けば描けるのに、わざと削って分からないようにしようなんて気を起こしたら、描写不足に陥ります。下手に見えるだけです。

> ③読者に考察させるので、作者側であらかじめ答えを用意しておいたほうがいいのでしょうか?ただ、私としては答えを用意して作品を書き、考察させるとなると、その答えに導かせる作品になってしまい、読者の考察の答えが1つだけになりそうで不安です。

「答え」ってなんだろう、ということになります。作者としては、普通は「正解」と思うものです。ですが「正解」の実態は、作者がたまたま選択したものに過ぎません。例えば、作者は「このシーンで主人公は黙っているが、内心では怒っている」と思って書いたとします。読者が語義などを誤らずそのシーンを読んで「主人公は悲しんでいそうだ」と思ったとします。

作者と読者、どちらが正しいともいえません。作者が「このシーンはこういうつもりで書いてあるんだ」と後で説明したとしても、読者の判断が間違っていることにはなりません。何が書いてあるかだけが問題で、書いてない作者の心づもりなんて判断材料ではないからです。

後のシーンで主人公に「あのとき、実は怒ってたんだ」と言わせても同様です。作者が選択したに過ぎません。読者は「悲しんでいるように見えたけど、実は怒っていたのか」とイメージを修正して読み進めますが、該当するシーンの判断が間違っていたと思うわけではありません。その時点では怒っていると判断できる情報がなかった、主人公が怒りを(読者にも)隠していた、作者が話の都合で伏せた、などと思うだけです。

ただし、どうせ読者の判断は確定できないし、正解も存在しないんだからといって、作者が想定しなくていいということではありません。細部に至るまで考えておくのは必須です。でないと、描写や台詞が一貫してきません。矛盾も生じやすくなってしまいます。そうまでしても、(上述した言葉の情報量の少なさなどにより)書かれたものには種々の解釈が生じがちだということです。

> ④そもそも、今の読者に考察させるような作品を好むひとはいるのでしょうか?

昔から少ないと思います。読者は作者から試されたと思ったら、不愉快になってしまいます。繰り返しになりますが、面白いから考察するんであり、考察させる、言い換えれば、考えることを強いたら面白くなるわけではありません。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 物語の考察のさせ方について

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元記事:中世ヨーロッパで剣と魔法の世界が書きたい

タイトル通りです。ネットで色々と調べているうち、ちょうどナーロッパなる言葉があることを知り、そうなることは避けたいと考えています。
良い資料や小説(漫画やアニメ、映画もいいことにはいいんですが、活字に慣れるためなるべく小説がいいです)がありましたら、厚かましいようですがよろしくお願いいたします。

上記の回答(中世ヨーロッパで剣と魔法の世界が書きたいの返信)

投稿者 サタン : 3 人気回答!

まあやっぱ古典の指輪物語だねぇ。エルフやドワーフやオークやもろもろ、今の日本人が考える「西洋ファンタジー」の文化を最初に作った作品。
ただまあ、自分は映画とオペラでしか知らんので、原作や翻訳を読んだわけではなかったりする。
不安になって調べてみたら、オペラのほうは指輪物語じゃなくてニーベルングの指環だったのかも……。

>ちょうどナーロッパなる言葉があることを知り、そうなることは避けたいと考えています。
なんで避けたいと思ったのかがわからんと、どんなのを書きたいのかわからんかな。
ナーロッパ批判は、言ってしまえば時代考証皆無な歴史ドラマみたいなモンのことで、時代・世界観に合わないモノや文化的にあり得ないモノ・言葉など、作品や作者にとって都合のいい世界観をしてるファンタジー作品のことを言う。
でも、なろう系によくあるレベルやスキルなど「ゲーム表現」で言うと、でも古い作品の「魔法陣グルグル」で既にレベルやスキルの表現はあった。
「魔法陣グルグル」は、「中世ヨーロッパ風の世界観」ではなくて「RPG的な世界観」だから、ここに「ナーロッパだ」という指摘は当たらないんだよね。
別の言い方をすると、「ナーロッパ」でも、ギルドなりレベル・スキルなりそこに深い設定考証がありゃ、またそれがちゃんと物語の中で機能していりゃ、「ナーロッパ」という蔑称はないと思うよ。
そういうゲーム的ファンタジー世界観が悪いんじゃなくて、都合と流行だけで考えて適当だからナーロッパって言われちゃうわけ。
だから魔法陣グルグルの場合は設定考証とかほぼないと思うけど、そもそも「そういう世界観を描いてる」からありなのよ。「ゲーム的世界観」に対して適当ではやってないからね。モノローグもメッセージウィンドウ風にしたりゲーム的お約束展開を用意したり「ちゃんとゲーム的世界観をやってる」から。

だから、まず書きたいのなら世界観ではなくて、どんな話を書きたいのかを明確にして、それに合う世界観を「ちゃんと」作ればいいだけ。
ほんでその資料だけど、ぶっちゃけ なろう でもどこぞのレーベルの新人賞でも、ぽっと出の人気作品でも、人気になるだけの魅力があるから人気なわけで、売れてる作品はたいがいちゃんと世界観作ってあると思いますから、どれでも資料になるんじゃないかなと。

最近アニメやってるなろう系の「無職転生」も、これ実は結構作り込まれてますよ。
原作のなろう連載時にはかなり端折ってたり裏設定になってて語られてなかったりするけども、もともと六面世界って6個の世界がある世界観の話の中の一部の、その本編が始まる前の出来事が「無職転生」なので、無職転生には関係ない裏設定がすげーいっぱいあったりする。

でもね。
はっきり言って、そういう設定設定で考えてると物語は一切書けないので、最初は「都合のいい世界観」で書いたほうがいいですよ。
ナーロッパ? そりゃ初心者なんだから適当な面があるのは当然でしょ。
「ちゃんと作れ」とは書いたけど、それは一作二作書いたあとで、何をどう作ればいいのか知ったあとで、ようやっと出来る話。
最初から無理しちゃダメよ。適当に作って。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 中世ヨーロッパで剣と魔法の世界が書きたい

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元記事:天皇について作中で触れることの可否

 お久しぶりです。大野です。

 質問内容は大体タイトル通りなのですが、いくつか補足をば。
 俺はいま、『現実世界を舞台にしたファンタジー物』を書いているのですが、オリジナリティを出来るだけ削って、実在の伝承・神話そのままの魔術・魔法・妖怪・神などが登場する作品を考えています。
 ただ、日本全体にやや右傾化の風を感じているので、天皇をどこまでネタにして良いのか、という所。

 その中の一環として、主人公に乗り越えさせる壁が大きすぎる場合に『それ、神様が解決すればよくない?』となるのを回避するため、『天皇は神ではない』というのを書こうと思っています。
 ただ、俺は実家単位でリベラルーーっていうか左寄りの界隈の人間なので、『別に左寄りではない読者』に受け入れうる展開・内容であるかに結構自信がありません。以下のような内容は受け入れられるのでしょうか?

①天皇について作中で触れる事。
②っていうか、まあ正直アホみたいだと思ってるけど『陛下』ってつけないこと。
③天皇が神ではない理由:『古事記』において『ニニギ(漢字は読みづらいので略)が石長比売を追い返したため、永遠の命を失った』という項目を、『人間にされた』と拡大解釈。憲法については触れない。

 ここまで三つは比較的受け入れられるかな、と俺は思っています。

④天皇制についての批判。主人公(及び作者)が捻くれているため、キャラ的に言うと挟まざるを得ないが、許されるのか。
 ④-A 批判内容としては、『天皇個人は尊敬するが、制度そのものについて言うと人権を踏みにじるような物である』という程度の事。
 ④-B 副次的に、主人公が『陛下』と尊称を付けないことについて、『「陛下」というのは王につける言葉だ。そういった押し付けをするのは、天皇に勝手な義務や期待を押し付ける言葉であって、民主主義社会の人間としてふさわしくない』と言う事。
⑤並びに、制度そのものに問題を感じている主人公が制度擁護派を『正直馬鹿だと思う』と言う事。

 以上、五点です。
 身内であれば政治家だろうが金持ちだろうがスパスパ悪口を言うのですが、当然表の場に出せないことは承知しています。その上で、皆さんだったらどこら辺まで受け入れられるか、というのを聞いてみたいです。

上記の回答(天皇について作中で触れることの可否の返信)

投稿者 鬼の王の墓標 : 0

文中を読んでいて感じた感想としては「史実の悪人を美化するよりはマシ」くらいだと思います。
私の場合そもそも政治にあまり興味がないので、毒にも薬にもならない設定だと思います。

ただ私と同様に政治問題、今回の場合天皇制度の問題点にあまり興味がない人達が面白がって読んでくれるかと言ったら絶対NOだとは思います。
積極的に賛成できる設定ではないですね。生類憐みの令や禁酒法のような「歴史に名を残した最悪の悪法」クラスに悪いとわかるような制度を悪役にしているならともかく……みたいな感じです。
少なくとも自分で不安ならオミットした方がいい気がします。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 天皇について作中で触れることの可否

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投稿日時:

元記事:無才だけど頑張る恐竜人主人公を登場させるために!

 お邪魔致します、長巻守宮と申します。

 実は、現在プロット作成中の作品の主人公の生い立ちの設定で悩んでおりまして、皆様のお知恵やご意見をたわまりたいと思い投稿しました。

 さて前置きはそこそこに、私が現在考えてるものは宇宙モノで、主人公は地球から遠く離れ実在するーーという設定の惑星系の星に生まれるのですが、主人公の生まれた星というのが所謂ロストワールドーーもといロストプラネット的な惑星で、その星にはファンタジーの定番である、ドラゴンーーから進化した竜人達の国があります。

 主人公はそこで竜人の皇子として生まれるのですが、なんと主人公はドラゴンではなく、ダイナソー、恐竜人だったのです。

 この竜人族は翼や角、蛇のように自由に動く尾を持ち、更に魔法のように、炎や冷気、雷、あるいは光等を吐き出し、あるいは手から放つ、他の星の住民達から警戒される戦士種族なとですが、主人公はそういった能力は一切持たず、
皇子でありながら無能無才と父からも諦められ、民にも密かに見下される幼少期を過ごします。

 しかし腐らず、一日も欠かさず訓練を続け、同族最強とされる竜人を圧倒するまでの強い戦士に成長しますが、結局認められず星から追放されてしまいます。

 とここまでは本編以前の過去の話なのですが、この部分こそ私の悩みの種でもあります。

 厳密には、ドラゴンとダイナソーは似てはいるかもですが、全く違う生き物な訳で、竜人から恐竜人が生まれるのは、やはり矛盾になってしまうのではないかと感じてしまっています。

 一応、竜人族はかつて、我々地球人と似通った異星人によって作り出された生物兵器であり、製造の際に恐竜を用いたーーという裏設定があります。

 なので、主人公はいわば先祖帰りをし、恐竜人として生まれたのですが、だとしたら、竜人達が魔法的な力を駆使できるのも矛盾しているような気がしてしまうのです。

 私自身恐竜が好きなのと、主人公を竜人にしてしまうと、ただのチート、俺ツエーになってしまうので、主人公は恐竜人にしたいのですが、
ここまで読んでいただいて、皆様に意見や、もしくは主人公を恐竜人として登場させる良い案がありましたら、是非とも教えて頂きたいと思い投稿させていただきました。

 なお余談ですが、作中では主人公の他にもメスケモがヒロインとして登場したり、主人公同様の獣頭人身のキャラが出たり、自我のあるロボットが登場したり、人間同士の政争があったり、はたまたファンタジーの悪魔や魔王的な敵が出てきたりと、 その中で、主人公は突然固有の力を誰かから授かる事もなく、ひたすらに身体能力と手にした武器、あるいは爪と牙や、戦闘勘のみで戦い生き抜いていくという、シリアスではありますがなんでもありな感じの作品に仕上げる予定です。

 たかたが主人公の過去でこんなにも思い詰めてしまいお恥ずかしい限りですが、何卒よろしくお願い致します!

上記の回答(無才だけど頑張る恐竜人主人公を登場させるために!の返信)

投稿者 あまくさ : 0

>厳密には、ドラゴンとダイナソーは似てはいるかもですが、全く違う生き物な訳で、竜人から恐竜人が生まれるのは、やはり矛盾になってしまうのではないかと感じてしまっています。

>一応、竜人族はかつて、我々地球人と似通った異星人によって作り出された生物兵器であり、製造の際に恐竜を用いたーーという裏設定があります。

>なので、主人公はいわば先祖帰りをし、恐竜人として生まれたのですが、だとしたら、竜人達が魔法的な力を駆使できるのも矛盾しているような気がしてしまうのです。

別に矛盾はしていないように感じます。

1)恐竜に特殊能力が付加され、竜人が生まれる。

2)竜人が進化する。

3)主人公が能力を付加される以前の恐竜に先祖返りした状態で生まれる。

こういう流れですから竜人と恐竜人はルーツを同じくする種族ということになります。姿が似ているだけの全く違う生き物ではありません。
また(3)の事情がありますから、能力に格差があってもおかしくはないでしょう。

強いて言えば恐竜人と竜人発生の関係性を上手く読者に伝えないと少し分かりにくくなるかもしれないとは思いますが、そこは設定と書き方を多少工夫すれば解決する問題かと思います。根本的な矛盾ではないでしょう。

   *   *   *

もう少し踏み込んで私見を述べるなら、設定に矛盾があるかどうかよりも、竜人族と恐竜人の関係についての「物語的な意味」を意識してほしいかな。むしろ、そっちが重要かと。

具体的には、

>皇子でありながら無能無才と父からも諦められ、民にも密かに見下される幼少期を過ごします。

>しかし腐らず、一日も欠かさず訓練を続け、同族最強とされる竜人を圧倒するまでの強い戦士に成長しますが、結局認められず星から追放されてしまいます。

ここが肝ではないでしょうか?

ぱっと思ったのは、「みにくいアヒルの子」ならぬ「みにくい竜人の子」だなということ。
あの童話の本筋は、親や兄弟と異質に見えた主人公が、それゆえ「アヒル以下」とみなされてしまった。しかし本当は「アヒル以上(白鳥)」だったという逆転のストーリーなんですね。それによって、主人公に感情移入した読者は満足感を得ることができるという仕組みです。

もちろん、スレ主様が御作で目指す方向がそれと同じでなくてもかまいません。

ただ、分かりやすい例だと思うので一応「みにくいアヒルの子」型にあてはめて考えると、主人公が竜人の能力を持たないことの「ポジティブな意味」を見つけていく物語にする感じです。

ポイントは、

◎主人公がなぜ先祖返りしてしまったのか?

そこに意味を持たせることかもしれません。
あくまで一例ですが、竜人の起源は兵器だったということですから、それによって何か悪しき要素も抱え込んでしまったということにしてみます。それによって生じる竜人社会の歪さや衰退の状況に対し、主人公が純粋な恐竜種だからこそ打開できる道を見つける、みたいなイメージです。

繰り返しますが、以上は分かりやすい一例として書いただけですので、まったく違うストーリー展開でもかまいません。

ただ、主人公が純粋な恐竜として生まれたことの前向きな意味を意識し、それを中盤~終盤のストーリーに盛り込んでいけば、恐竜人と竜人をめぐる設定も意味を持ってくるのではないかということです。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 無才だけど頑張る恐竜人主人公を登場させるために!

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