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元記事:キャラクターに関して 復讐物、ざまぁ物における主人公の性格設定

こんにちは、silicaです。私は、興味があるのと、とりあえず練習兼ねて作ってみよう、ということで色々な類型の作品を作ってみようとしています。

そうした中で、私の中で、どうにも書けないタイプの話が、「ざまぁ」物などと呼ばれる代物です。それで、自分の中で分析したところ、私の作る主人公は概ね、そういう作品において必要とされる、ざまぁされる人物、主人公を貶める人物を無視してしまいます。無視していない時は、主人公にとって面倒くさい扱いなので、サクッと逃げるなり適当に吹っ飛ばしたりしてしまいます。そのために、それらの基本となる逆転劇の様相を全く呈さなくなります。

と、そこまで考えたところで、こういうタイプの話の主人公がどんな性格をしていたか分からなくなってしまったのもあって、タイトルとなっています。
つまり、ざまぁ物や、それに限らず復讐物の主人公とは、どのような性格・人物設定が為されているのでしょうか? また、皆さまはどのような設定をしていますか?
どうぞよろしくお願いします。

上記の回答(キャラクターに関して 復讐物、ざまぁ物における主人公の性格設定の返信)

投稿者 手塚満 : 4 人気回答! 投稿日時:

ざまぁ系って、カタルシスを得るパターンの1つですよね。下げてから上げる。半人前の成長物語ですと、最初は無能な主人公をストレートに成長させて勝利条件を満たすようにする。単調に上げて行く。

半人前主人公と違い、ざまぁ系主人公は最初から潜在能力の高さが、少なくとも読者/視聴者/観客に明かされることが多い気がします。だけど主人公は我が道を行かず、低評価してくる連中に固執するわけですね(あるいは読者に固執させる運びにする)。

1.主人公の不遇で読者の共感を得る

つまり、主人公の能力に比べて周囲の扱いが悪いことがよく見える演出を最初からする。これは冒頭から不公平感が出ます。似たパターンは不遇な善人の物語ですね。最後は神とか神の思し召しなどで救われる。シンデレラですと、みすぼらしいけど実は美しいという主人公設定があり、継母や意地悪姉さんがそこを隠しても、魔法使いとガラスの靴で王子に見いだされてハッピーエンド。そうなったシンデレラは継母たちを一顧だにしません。

2.主人公は敵の立場と入れ替わりたい

ざまぁ系ですと、文字通り、虐げていたりバカにしていた連中を主人公が「ざまぁみろ」見返すことが勝利条件となります。屈辱を与えた連中が主人公に負けたと思ったことが、読者にあからさまである必要があります。主人公が味わった悔しさを、虐げた連中が倍悔しがるさまを主人公が間近で見ることで解消する。だから復讐的な話も多くなるわけですね。

3.主人公は他人の評価に依存している

となると、どんな主人公なのかは、部分的ながら見えてきます。主人公が納得するためには、虐げた連中が悔しがるのが必要。ということは、主人公の納得する要因は主人公の外にあります。つまり、主人公は他人の評価を気にしている。特に虐げた連中の評価ですね。

虐げた連中は最初、主人公を低評価する。そこが主人公の不満の核心です。だから、虐げた連中が高評価して初めて、主人公は満たされる。これは半人前主人公の成長物語でも発生します。が、ざまぁ系で必要なのは立場の逆転です。例えば、厳しいが親身な剣の師匠の稽古に主人公は耐え、ようやく免許皆伝と言われ、これからは独り立ちしてより強くなることを決意、ではいけません。

4.主人公は敵のポジションになることで敵からの承認が欲しい

虐げてくる奴らが悔しがることで実質的に褒められたい、という承認欲求が大事です。例えば、えこひいきしてロクに剣を握らせてもくれない師匠のもと、主人公は隠れた素質を開花させ、木の枝一本で師匠にえこひいきされていた師範代を打ちのめし、それを見て恐れる様子の師匠から「ぜ、せひ師範代に」と乞われ、しかし「師よ、もうあなたに興味はない」と言い捨て、道場の看板叩き割って出ていく(面目丸潰れの師匠は没落)、みたいな段取りになります。

これは独立独歩の主人公ではできません。師匠から不遇に扱われたら他所に行くからです。自立心が強い主人公なら、自分の最大の評価者は自分自身です。他人からの低評価なんぞは参考程度にしか思わず、自己評価と欲求の通りに振舞います。他人に依存する主人公だからこそ、「見返してやる」が勝利条件となり、カタルシスも発生するわけです。それも、主人公自らが見返したい他人を評価する側に回ることによって納得するわけです。

5.まとめ:ざまぁ主人公は他者への依存から脱却する

まとめますと、ざまぁ系の主人公の基本的性質は以下の感じ。

・依存心があり、他人の評価で自分の価値や存在意義を感じたり知ったりする。
 →特に不当な評価に敏感で名誉挽回にのめりこみやすい。
・だからこそ、他人を評価することに憧れる。
 →自分が他人の値打ちを決める存在になりたい。
  →そうなると自己評価で納得できるようにもなる。
・それも他人を見下すことによって得られる快感≒勝利条件が最も大きい。
 →自分の優位性を確認できる
  →これも自己評価で納得できるようになる要因。

こう書くと、とても嫌な主人公に見えるかもしれませんが、そうではありません。虐げてた連中を見返した後、たいてい主人公は気持ちから連中を切り捨て、自信を得て独立独歩となります。最後にドカンと大成長(した結果)を見せるわけです。本当のカタルシスは、そこにあるのかもしれません。

カテゴリー : キャラクター スレッド: キャラクターに関して 復讐物、ざまぁ物における主人公の性格設定

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元記事:エロ描写の線引きについて

TS物で主人公が女の子になって、自分が自分の胸を触って、快感を感じてしまうシーンと言うのはR18ですか? 官能小説に見えます?
それともそれくらいならR15で描いてもいいですか?

上記の回答(エロ描写の線引きについての返信)

投稿者 手塚満 : 1 投稿日時:

結論から申せば「どう描写するか次第」です。仰るような大雑把な説明で決まることではありません。

これが視覚情報で描くコミック、アニメ、実写ですと、例えば「何が見えているか」で一応の線引きすることもあります(もちろん、他の条件も存在する)。一定の年齢以上の女性の胸が乳首まで見えていたら原則R15以上とかです。

従って、例えば「入浴シーンで乳首を隠せば全年齢向き」とかできます。が、文章だとどうか。「ヒロインがシャワーを浴びている」と書いたとして、それってR15以上なのか。文をイメージすれば、乳首等が見えていて普通です。R18で規制される部分すら見える。

だけどどうしようもないですよね。隠す方法がない。文章では見えないからです。まさか「ヒロインは胸を手で覆いつつ」なんて書くわけにはいかない(バカバカしいから)。

胸をボディソープで洗った、と書いたとして性的なニュアンスが生じるかどうか。読者次第ですし(非R18をR18で消費する人もいる)、作者がそこに性的なニュアンスを込めたとはっきり読み取れない限り、年齢規制がかかるようなものではありません。

以上は分かりやすい例ですけど、「自分が自分の胸を触って、快感を感じてしまう」のも書きようです。循環論法のようですが、「R18のように描けばR18、全年齢のように描けば全年齢」です。

単語レベルで申せば、「乳首で自慰」と書けばR18判定されやすいでしょう。ただしストレート過ぎて、いわゆる劣情を催しにくい。「乳首をくすぐった」は非該当になりやすいでしょう。しかし、ぼかすからこその色気も生じやすい。描写を重ねれば、R18語句を避けたからこそR18になっている、と感じることも多々です。

R18/R15/etcか否かは、そういう細かいところでも生じます。だから繰り返しですが「どう描写するか次第」なんです。パッと見て分かるような事前のガイドラインはありません。完成した作品やシーンがあれば、おおむね判断できるんですけどね。
(確かこの掲示板はR18の深入りはまずいはずなので、これくらいで。)

カテゴリー : ストーリー スレッド: エロ描写の線引きについて

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元記事:非オタクコンテンツをバカにするオタクについて

 半分グチのようなものなので迷ったのですが、どうしても気になることがあり質問します。

 まず、ここでは分かりやすくするために、アニメやライトノベルなどが好きないわゆる二次元オタクを「オタク」、オタクが好むコンテンツを「オタクコンテンツ」、それ以外を「非オタクコンテンツ」とします(あくまでこの場での定義です)。

 私は主に実写映画や一般文芸が好きで、アニメやライトノベルも区別せず楽しんでいます。そのため、ネット上のオタクの集まる界隈ものぞいています。そこで近年「アニメはすごい。それにひきかえ実写はクソ」のような意見を目にすることが増え、嫌な気分になることが多くなってきました。

 以前からもオタク界隈では、オタクコンテンツを持ち上げるために一般に受け入れられている非オタクコンテンツをバカにするのを目にしてきました。

アニメを持ち上げるために実写をバカにする
ライトノベルのために純文学や一般文芸を
アニソンのためにJポップやクラシックを
声優のために俳優やアイドルを
など
 ですが、アニメ人気のせいか、近年、特によく目にするようになった気がします。

 最近も、よく視聴していたアニメを紹介するユーチューブチャンネルで配信者が
「日本が誇れる映像コンテンツはアニメだけ。実写はオワコン」
と主張しだして、すぐチャンネル登録を外しました。
(ちなみに、日本の実写映画はぱっと浮かぶところでは、是枝裕和監督、黒沢清監督、北野誠監督は長年評価され続けていますし、園子温監督はカルト的な人気がありますし、若手では滝口竜介監督は今年を含め3年連続で世界三大映画祭で受賞しています。「日本の実写はオワコン」という意見は全くの誤りです。こういうよく知りもしないでイメージだけで批判するって、それこそオタクが長年受けてきた仕打ちのはずなんですけどねえ)

 私が実際に付き合いのあるオタクは皆、他者の好みを尊重できる人達なので、こういう意見を言うオタクはノイジーマイノリティなのか? とも思いますが、実態は分かりません。

 そこで質問ですが、
1、非オタクコンテンツをバカにするオタクをどう思いますか?
「同意見だ」「彼らこそ正しい」といった意見もご遠慮なく。

2、(一部の?)オタクがそうした行為に及ぶ理由は何だと思いますか?

 どの程度の割合でそういう人がいるのか、も知りたいので、1について「私は賛成(反対)だ」の一言だけでも結構です。

上記の回答(非オタクコンテンツをバカにするオタクについての返信)

投稿者 手塚満 : 2 投稿日時:

オタクとて、非オタクから常に攻撃を受けてますよ。「アニメ好き?」→「はい」→「ロリペドめ」みたいなことは日常茶飯事です。

少し枠を広げると、メインカルチャーからサブカルへの攻撃です。サブカルは、低俗、非道徳、幼稚、芸術性皆無等々と言われます(自分としては「だからいい」のですけど)。

> アニメを持ち上げるために実写をバカにする
> ライトノベルのために純文学や一般文芸を
> アニソンのためにJポップやクラシックを
> 声優のために俳優やアイドルを

これらは逆方向の非難、罵倒も存在するわけです。そのことは、スレ主さんが「それこそオタクが長年受けてきた仕打ちのはずなんですけどねえ」と仰っているので、ご存じのはずです。

ですので、とりあえずご質問2つに回答しておきます。

> 1、非オタクコンテンツをバカにするオタクをどう思いますか?
→オタクコンテンツをバカにする非オタクと同類。

> 2、(一部の?)オタクがそうした行為に及ぶ理由は何だと思いますか?
→非オタクがそうした行為に及ぶ理由と同じ。

1.分類がおかしくないか?

アニメについて考えてみます。アニメって何でしょうか。絵が動く表現ですよね。実写を対照させるとしたら、写真が動くとしておきましょう。それらで表現される物語内容に、アニメか実写かは有意に影響するんでしょうか。

例えば、小説原作で映画化がされた「君の膵臓がたべたい」は実写版、アニメ版があります。どちらかが原作と違う物語になってたりしますかね。そんなことはないですよね。アニメ「だから」低俗だったり、実写「だから」つまらなかったりしますかね。そんなことあり得ないですよね。

そもそも論で言えば、分類が間違っているのです。アニメだから内容がこうなっているはずとか、実写だからキャラクターがこうなるはずとか、妙なことを思い込んでいる論が散見されます。繰り返しますが、絵が動くか写真が動くかだけの違いです。物語部分のコンテンツを左右するはずがないわけです。

2.すごいもクソも手法では決まらず、個々の作品に生じる好き嫌い

ですので、仰ることのうち例えば、

> 「アニメはすごい。それにひきかえ実写はクソ」

は、善意で考えるなら「アニメ作品ですごいのがあった。それにひきかえ実写作品で面白いものがなかった」という視聴体験と受け取るべきでしょう。動かすのが絵か写真の違いだけで、天下りに「すごい」か「クソ」かなんて決まるわけないですから。

その「すごい」「クソ」も「自分にとって好き」「自分にとって嫌い」でしかありません。もし、例えば興行成績で比べているとしたら、好き/嫌いですらありません。こけおどしか何かです。言ってる本人は何も楽しんでない。

3.批判に客観性や分析はあるか

もし「手法としてのアニメはこういう可能性を秘めており、それは実写にはなく」といったことを言い出す人がいたら、話を聞いてみてもいいでしょう。一応は客観性もある論や考察の可能性があります。例えば「アニメなら日常から広大な宇宙まで、同じ手間で表現できるから」とか「実写では人間そのもので、映像の情報量が半端ないから」とか。

そうでじはなく、例えば「みんなアニメがすごいって言ってるし、見てて興奮したし」みたいな話なら聞き流せばいいのです。単なる個人の感想です。アニメか実写かに関係なく、実のある作品ならその程度の感想で左右されたりしません。ましてや、大雑把な大枠「アニメか実写か」で個々の作品の値打ちが決まったりするわけがない。

4.いくら貶しても作品自体は不変

それどころか、誰が何を言おうが、作品そのものは少しも変わらないわけです。自分が見る/読むとして、他人が何を言ったかは全く作品に反映などされず、作品そのものを楽しむだけでしょう。もし他人の感想で作品が楽しめないとしたら、見る/読む人自身の心の中の雑音のせいでしかない。貶した人のせいですらないわけです。

5.貶す人に出てくる特徴

で、その貶す人なんですけど、強い特徴ありますよね。なんというか、偉そうです。おずおずと遠慮がちに欠点めいたものを指摘するって、ほとんど見ません。もし、そういうのがあったとしても気にならないはずです。

なぜ偉そうなのかと申せば、実際に偉いと思ってるから。(批判、論評等と称して)貶すって、麻薬的な魅力があります。その作品(及びクリエイター)より、自分がすごくなった気がするからです。批判する作品よりすごい論を展開していると思えなければ、なかなか批判を公言できるものではありません。

そして同調を求めてますよね。自分がすごいという確認が欲しい。それって自信がないのが根底にあります。貶してはみたけど、本当に大丈夫だろうか、間違ってないだろうか。公言してみないと分からないし、公言した以上は賛同が欲しい。それが批判対象の作者やファンの悔し気な様子であってもいい。

そうなるとどうしても批判のトーンやテンションも上がってしまいます。自信ありげに見えないと、賛同も得にくいと思うから、ますます尊大にもなるでしょう。自分は絶対無誤謬であり、批判対象こそが間違いだらけ。そういう雰囲気出したいわけです。自信がないから。

6.貶し続ける人に起こる劣化

ところが、そういうことを繰り返す人の言うことって、だんだんつまらなくなります。具体性がなくなっていったり、いつも同じようなことを言っているとしか思えなかったり。しまいには「そもそも作品を実際に見た/読んだのか」と言いたくなるような話しかしなくなったり。

そうなるのも理由がありまして、やったことは好むと好まざるにかかわらず学習してしまうから。つまらないから貶すわけですが、貶すにはつまらないところをよく見ないといけないわけですよね。あるいは嫌いだからよく見ず、「つまらないはずだから、こうなってるはず」の思い込みで考えるとか。

つまり、つまらないところばかり見たり、よく見ないことを繰り返す。結果、つまらないところばかり見る力と癖がついたり、作品が見えなくなって想像したイメージしか見なくなる癖がついてしまうのです。作品を楽しめないよう、自分を訓練してしまっているわけです。

7.スレ主さんも貶す人になってないか

言いにくいことですが、スレ主さんのご質問もそうなってないですか? なぜ貶す人をそんなに気にするんでしょう? 自分が作品を楽しむのに、全く関係ないはずです。しかし作品よりも貶す人に注意が行ってしまってないしょうか。批判が気になって、作品を楽しめなくなっていってないでしょうか。

もしそうなら大変に危険です。批判にかける手間、時間、労力を、是枝裕和監督、黒沢清監督、北野誠監督、園子温監督滝口竜介監督の作品を楽しむほうに使ったほうが楽しくないでしょうか。楽しめなくなるほうに努力するのは損ではないでしょうか。

8.批判へのカウンターで面白さを語れば己も高める

それでももし、どうしても批判に反論したいなら、スレ主さんがどう楽しんだかを述べればいいでしょう。面白くないという意見を封じるのは非効率ですし、下手すると相手の自由を否定します。作家志望者としては表現、言論の自由は重視のはずです。自分の大事にするものを否定しかねません。

ですから、面白さを語る。つまらないという意見に対する、最も有効なカウンターです。第三者として、「これはつまらない」→「いや、そんなはずはない」と、「これはつまらない」 vs 「これはここがこう面白い!」のどちらが刺さるか。後者ですよね。だって、どこがどう面白いか分かるんですもん。それに、面白がる人がいたら、何に面白がってるか興味が湧くのが人情です。口コミで人気が出るって、そういうパターンですよね。

そして何より、面白さを語っていると、面白さを見出す能力が高まります。面白いところに自然に目が行く癖もつきます。もし創作者になりたいなら、とても役立つ能力と癖です。

9.批判精神も必要だが控えめに

それでも、批判精神も大事ではあります。面白がってばかりいて、欠点が見えなくなるのもまずい。ですから、比率としては8:2くらいでしょうか。楽しむ手間暇8に対して、その1/4=2くらいを欠点を分析する手間に振り向ける。それくらいなら害はなく、むしろバランスのいい作品の見方ができるようになると思います。

カテゴリー : その他 スレッド: 非オタクコンテンツをバカにするオタクについて

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元記事:女子キャラの設定をどう作れば良いだろうか…

中々異性の設定が上手くいかず、名前はどうにかなるが口調や仕草、女性(女子)が感じる物の感覚がうまく決められません。
皆さんどう言ったように異性のキャラクター設定を作っていますか?

上記の回答(女子キャラの設定をどう作れば良いだろうか…の返信)

投稿者 手塚満 : 2 投稿日時:

こういうご質問は割とあるんですけど、ほぼ根っこから間違っているのが通例でしょうか。このご質問では「口調や仕草、女性(女子)が感じる物の感覚」に表れています。そういうものから発想しようとすると詰まると思います。

結論を先に申せば、「設定はキャラの個性を表すもの、個性から設定が出てくるもの」なので「各キャラの物語上の役割が先、性別等の属性や特徴は後回し」となります。以下、少し説明してみます。

1.性別等のキャラ属性はキャラの個性ではない

「女性/女子」は人類の約半数にもなる大枠の分類の1つですけど、そんな大分類から1人の個人/キャラクターを規定することは不可能です。仮にスレ主さんが男性だとして、「男性(男子)が感じる物の感覚」って、説明できますか? 具体的に考えようとすると、「自分はこれをこう感じるが、あいつは同じものでも違うように」とかなりませんか?

これが例えば平均的などの統計的にどうか、ということなら説明可能かもしれません。例えば「ここにある重い岩を持ち上げられるのは、男が多いだろう」とか(第2次性徴で男性は骨格筋が発達する等の理由)。

2.個々のキャラは平均的なものではない

しかし、考えようとしているのは個々のキャラクターのはずですよね。すると「この大岩は自分には無理だ、しかしレスリングメダリストの吉田沙保里(元)選手ならできそうだ」みたいになります。「吉田沙保里(元)選手は女性だから力が弱いはず」なんて考えられません。統計的な大枠から個々は規定できないわけです。

フィクションでも同じです。まず個々の個性あるキャラクターがあって、その個々のキャラクターに属性の1つとして性別があるに過ぎません。キャラクターは物語上の必要あって登場しますから、役割/機能がある。その役割/機能に沿って設定します。

3.性別などのキャラ属性は演出にすぎない

性別は例えば別のキャラとマッチングさせるなら、そのキャラの異性としておく。これはキャラの役割/機能に属しますが、そこから個性が出てくるわけではありません。カップルにするために必要だから性別を違えておくに過ぎない。

そうでもないなら、もうただの演出です。キャラをイメージしやすいよう、多少の具体化をするに過ぎません。それも作者が与えるのはいくつかの記号に過ぎず、具体的なイメージは読者が作ります(文章作品だから)。作者から性別で個性を打ち出してはいない。なぜなら具体的にイメージしているのは読者だから。

4.キャラの個性は物語上の要請から導き出される

作者が与えるのはキャラの機能、役割です。そこからしか個性は出せません。このイベントのこの役割をこなすにはこういう性格要素がないといけない、とか出てきます。それで個性が規定されていき、次第に具体化されます。例えば、サブキャラAが主人公の行動を起こす役割があるとして、「ドジでハプニング起こして主人公にフォローさせる」のか「賢明で主人公を善へ導くためにアドバイスする」のか、といった選択でサブキャラAは具体化されていきます。

5.性別等の属性はキャラの見える化のための特徴や演出

そのうえで、サブキャラAが読者に視覚イメージを喚起しやすいよう、女性→10代後半→可愛い→ロン毛→…と特徴を与えていくわけです。その部分は演出です。個性ではありません。繰り返しますが、作者の与えた言葉=記号から具体的イメージを喚起するのは読者だからです。読者に想像してもらう部分で、作者がキャラの個性を出すのは不可能です。

台詞とて物語のストーリー進行やドラマ展開、シーン作りの要請から出てくるものです。台詞に持たせる情報で、喋るキャラの個性が形作られていきます。キャラが女性だとして「女性らしさ」はせいぜい役割語をどうするか程度です。末尾が「よ/わ/の」等で終わることが多い、とかですね。もちろんそんなことでキャラの個性が作れるわけではありません。個性でないところから、キャラの行動、言動を決められるわけではありません。

6.読者の利便性のためなら属性の演出すら捨てる

役割語どころか、ぶっ飛んだ話し方、癖を付与することだってありますね。例えば「とある魔術の禁書目録」シリーズでは、極めて奇異な台詞の言い方をする重要サブキャラが頻出します。その話し方が男っぽいか女っぽいかみたいなことを超越している感じです。

これは台詞を発した途端、どのキャラか分かる工夫です。性別よりも誰かが大事ですから。なにせ文章作品では絵が見えてませんからね。絵を作るのは読者です。その読者がイメージするに便利なら、役割語等で性別感出すよりは、「誰なのか」が大事なわけです。つまり、やっぱり個々のキャラ自体が、その属性より優先ということです。

7.まとめ

まとめますと、

・各キャラの物語上の役割、機能で設定を作る(キャラの主要部分)
・各キャラの視覚等のイメージ演出としての性別などの属性を設定に付与する(補助的な部分)

ということになります。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 女子キャラの設定をどう作れば良いだろうか…

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元記事:SF小説の現実性

質問です。

ここのサイトはライトノベル向けの質問が多いのでこういった内容の質問をするべきかどうか悩みましたが一応投稿させていただきます。


現在、長編のSF小説を書いているのですが、書いててある疑問が浮かびました。

「物語にSF要素を盛り込む場合、どこまで詳しく書けばいいのか」と。

例えば、作者しか聞いたことが無いマイナーな専門用語ならともかく、物語の展開上どうしても「相対性理論」という誰もが一度は聞いたことがあるようなワードを入れなければならない場合、「あーはいはい、あの有名なアインシュタイン博士の理論ね」と分かっている読者と、「えっ、待って。相対性理論? 何それ、初めて聞くんだけど」と読んでいて戸惑う読者がいると思います。

そうすると、物語の流れを優先して読者が「相対性理論」を分かっている体で説明を省略して書くか、初めて聞く読者の為にも説明を入れておくべきか。説明を書くとして、どこまで詳しく書いた方が良いのか……

どちらの読者を対象にするのかで物語の内容と言うか流れも変わってくると思うんです。

皆さんだったらどうしますか?


これは質問①と関連する内容ですが、SF小説を書く場合、現実に存在する物理法則に忠実に則って書いていかないと駄目なのでしょうか?

「万有引力」、「ドップラー効果」、「慣性の法則」etc...こういった(物語の展開上必要な)物理法則を調べた上で書いていった方が望ましいのか、それとも内容が面白ければこういった物理法則を完全無視したご都合主義でも読者に納得してもらえるのか。

また、現実の物理法則に忠実に則って書いていくと、それってSF(サイエンスフィクション)ではなくSNF(サイエンスノンフィクション)になってしまうのではないでしょうか?

皆さんの意見をお聞かせください。
よろしくお願いします。

上記の回答(SF小説の現実性の返信)

投稿者 手塚満 : 1 投稿日時:

結論から申せば、設定や理屈はできるだけ書かないことが大切です。(書いてて面白いかもしれないけど)読んでつまらないですから。また、架空の理論や技術を作中で使わなくても、出来事が架空ならノンフィクションとはなりません。

以下、少し説明してみます。

1.相対論を説明しない、相対論とすら言わないのがベター

相対性理論が必要なSFであれば、相対性理論が初耳の読者層は切り捨てるべきでしょう。SFという時点で相対論くらいは知ってる層が興味を示しますんで、メインターゲットは相対論くらいは知ってる層です。にもかかわらず「相対論っていうのはね」とか、地の文あるいはキャラ説明台詞なんか入れたら、せっかくのターゲット層には不満となります。

例えば宇宙で長距離移動をするに、もう「ワープ」とか当たり前です。いちいち「どんなに加速しても光速度は超えられないから、空間を歪曲して」とか説明しません。そのほうがいいのです。その部分に関してはですが、相対論知らない層にも受け入れてもらうことができます。なにせ「近道する」って話ですから。「宇宙は広すぎるから近道するんだ」ってな分かりやすい話になるわけです、相対論と言いさえしなければ。

2.「トップをねらえ」はウラシマ効果で起こる結果を重視

あまくささんがいい例を挙げておいでで、「トップをねらえ!」ですね。もう古い作品ですが(1988~89年)、確かにウラシマ効果が物語の重要な演出やドラマに関わってきます。例えば主人公の父親は宇宙で敵に襲われ死亡する。10年後、宇宙に出た主人公は父親の乗った宇宙船を発見する。限りなく光速度に近いため、その船内では2日しか経過していない。

主人公は一縷の望みで宇宙船に追い付き、船内を捜索する。という展開があります。船内は荒れ果てて生存者なしで、1時間も経たずに主人公は失意で帰還するんですが、帰還した先では数か月経っているわけです。さっき父親の死を確信したばかりの主人公と、数か月帰還を待っていた仲間との温度差が描かれます。

さらに主人公とバディとなる先輩。最初は1~2歳差です。その2人がしっかり結びついてから、いったん離れる。地球に残る先輩と宇宙航行を続ける主人公。ウラシマ効果で年齢差が10歳以上となります。先輩は主人公とは10年会ってないけれど、主人公はつい先日別れた先輩が、すぐに帰って来て、しかし歳がはっきり離れてしまっている。そこでも2人に温度差が生じます。

その温度差がドラマを動かす重要な部分になっています。ウラシマ効果がどういうもので、なぜ起こるかなんてことは大事じゃないし、興味が湧きもしません。大事なのはキャラクターの気持ちであり、キャラクター間に発生するドラマであるわけです。相対論ではこうなっている、なんて地の文の解説ないしはキャラの説明台詞なんぞが挟まったら台無しになります。

3.仕掛けの理屈や種類ではなく、仕掛けの結果が面白い

なぜなら、キャラの時間が離れるというドラマの仕掛けは、ウラシマ効果でもいいし、冷凍睡眠でもいいわけですから。問答無用に「時間の流れが異なる世界に行ってきた(浦島太郎の竜宮城)」とか、なんでもいいんです。とにかく、主人公とサブキャラがいて、どちらかだけが時間が止まっていた、という状況さえ作ればいいわけですから。それらしければなんでもいいのです。

説明しないといけない設定(考証を含む)はできる限り少ないほうがいいのです。読者の負担が減りますから。設定って作者的には作ってて面白いんですが、読むのは退屈です。作者が何して遊んだかなんか、読者としては関係ないですから。

ですので理屈は説明しない。ウラシマ効果や双子のパラドクス等の特殊相対論的効果とか、ブラックホールやその蒸発、ラプラスの悪魔、マクスウェルの悪魔、タ―ディオン/ルクソン/タキオン、多世界解釈、反物質、エキゾティックマター、ワームホール、反粒子の時間反転、先進波、母親殺しのパラドクス、時間のループ等々、全て理屈の説明・紹介は避けるべきです。読んでつまんないですから。

4.設定そのものではなく、設定によって何が起こるかが大事

見せるべきは、それで何が起こるのか、というほうです。ウラシマ効果なら上述の通り、キャラの時間や歳がいきなり離れるドラマとか。多世界解釈なら(実際は理論的にエラーだけど)似ているが違う世界に行っちゃったとか。母親殺しのパラドクスなら、過去の世界で何かしようとすると自分が消えそうになるとか(バック・トゥ・ザ・フューチャー)。

これはこういう理屈でして、とか言われるより、それで起こることにキャラが巻き込まれるほうが面白いのは当然です。読者は勉強したいんではなく、楽しみたいんですから。それに、読者が複数寄れば、たいてい作者より賢いものです。下手な解説は知識自慢となり、知識比べで読者に負ける、バカにされるリスクは低くありません。キャラがどう思って、どういう気持ちで何をするかを面白く描くことは作者の独擅場です。読者は文句を言わず/言えず、キャラの動きに夢中になってくれます。

5.ハードSFだって理屈は少ないほうがいい

ハードSFだと、それでも解説は必要になってきます。あまり知られていないことも多くなりますし、読者が知っていそうなことでも、使い方がややこしくなることが多いですから。それでも理屈を最低限にする工夫が大事なことは変わりません。作者が知っていること、苦労して調べてきたことは書きたくなりますが、ぐっとこらえることが大事です。繰り返しですが、読者は勉強したいのではなく、作者の知識自慢を聞きたいのでもないからです。作者が知識をいかに面白くドラマに生かすかに期待しています。

6.設定が既存だからノンフィクションなのではない

それが現実の物理法則に忠実に則っているかどうかは問題ではありません。そこは科学考証とSF考証の問題です。大雑把に言えば、科学考証は「ここまでは嘘はない」と設定的に保証するものであり、SF考証は「ここからは作品固有の嘘」と作者が自覚するラインを決めるものです。

SF考証部分では、主に「既に知られている法則を破る」と「まだ未知の部分をでっちあげる」の2通りがあります。面白ければ既知の法則に反してもいいのです。例えばワープなんてものは、ほぼ確実に因果律を破りますが、たいてい作者は知らんぷりで黙ってます。

しかしSF考証という嘘がなくてもSFは成立します。既存の物理法則の範囲内で書いてもいい。それがノンフィクションということはありません。全て既知の物理法則通りでも、架空のキャラの架空の出来事ですから、ノンフィクション扱いにはなりません。

例えば「アポロ13号」の事故と帰還を事実を徹底調査して克明に描いたら、いかに物語風でもノンフィクションでしょう。しかし、例えば今放映中の「月とライカと吸血姫」(ライトノベル原作、牧野圭祐著)は、ロケットや宇宙船については1950年代の技術に基づいて描いたとしても、純然たるフィクションです。ヒロインが吸血鬼だからではありません。登場人物も出来事も架空だからです。

カテゴリー : ストーリー スレッド: SF小説の現実性

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投稿者 悪魔ミュージック 回答数 : 1

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 古代中世近世近代現代地球という世界を創作内で作ったのですが、架空国名の作り方のコツって何かありませんかね?  ググってもいまいち... 続きを読む >>

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元記事:頭脳戦を書きたい

はっきり言って私は頭が悪いです。
それでも頭脳戦を描いた小説を書きたいです。
カイジや賭ケグルイやノーゲーム・ノーライフのような作品はよく読みますし大好きです。
どうすれば頭脳戦や心理戦を書けるようになるでしょうか。

上記の回答(馬鹿のマイナス合戦)

投稿者 ごたんだ : 1

そもそも、頭脳戦、心理戦の頭良いキャラは噛ませポジか狂言回しやないか?

カテゴリー : ストーリー スレッド: 頭脳戦を書きたい

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投稿日時:

元記事:セリフの繋げ方について

文章を書く時に気になったことを質問します。あまりに初歩的過ぎる気もしますがご容赦ください。

セリフへの繋げ方、セリフからの繋ぎ方というのは決まっているのでしょうか。
例えば、

 彼は得意げにこう言った。
「俺は毎日5キロは走ってるからね」
 僕は10キロ走っているが、彼の笑顔を奪いたくないので敢えてそれを言わなかった。


 彼は得意げに、
「俺は毎日5キロは走ってるからね」
と言った。
 僕は10キロ走ってるが、彼の笑顔を奪いたくないので敢えてそれを言わなかった。


 彼は得意げに、
「俺は毎日5キロは走ってるからね」。
 僕は10キロ走ってるが、彼の笑顔を奪いたくないので敢えてそれを言わなかった。


 彼は得意げに、
「俺は毎日5キロは走ってるからね」
 僕は10キロ走ってるが、彼の笑顔を奪いたくないので敢えてそれを言わなかった。

の四つの場合どれが正しいと言えるのでしょうか。(セリフの繋げ方だけ見た時)
どうか教えてください。お願いします。
また、この他に違う表現があるならぜひ教えてください。

上記の回答(セリフの繋げ方についての返信)

投稿者 手塚満 : 1

どれも大差ない、ということは押さえておきたいと思います。奇異な感じがしない、分かりやすいのであれば、気にせず書き進めてしまうのが得策です。大事な部分のみ、効果を考えて推敲のときにちょっと工夫を試みるくらいでしょうか。

細かい差ではあるんですが、差は差です。以下、少し説明を試みてみます。

> ①
>  彼は得意げにこう言った。
> 「俺は毎日5キロは走ってるからね」
>  僕は10キロ走っているが、彼の笑顔を奪いたくないので敢えてそれを言わなかった。

> ②
>  彼は得意げに、
> 「俺は毎日5キロは走ってるからね」
> と言った。
>  僕は10キロ走ってるが、彼の笑顔を奪いたくないので敢えてそれを言わなかった。

この2パターンが基本でしょう。動詞が「言った」だから2つの差は目立たないんですが、動詞を変えると印象が異なるようにできます。

> ①’
>  彼は得意げに笑った。
> 「俺は毎日5キロは走ってるからね」
>  僕は10キロ走っているが、彼の笑顔を奪いたくないので敢えてそれを言わなかった。

> ②’
>  彼は得意げに、
> 「俺は毎日5キロは走ってるからね」
> と笑った。
>  僕は10キロ走ってるが、彼の笑顔を奪いたくないので敢えてそれを言わなかった。

②’はこのままではちょっと不自然で、次のように直したくなるでしょう。

> ②’’
>  彼は、
> 「俺は毎日5キロは走ってるからね」
> と得意げに笑った。
>  僕は10キロ走ってるが、彼の笑顔を奪いたくないので敢えてそれを言わなかった。

台詞と動作が一致している場合、台詞と動作の順序でインパクトなどが異なります。

――――――――
「出ていけ!」
 彼はさっとドアを指さした。
――――――――
 彼はさっとドアを指さした。
「出ていけ!」
――――――――

おおむね、動作が先になるほう(上記の後者)がインパクトが強まります。強いほうが必ずしもいいわけじゃなくて、例えば、上記の「さっと」を「おずおずと」にするなら、台詞を先にしたほうが緩い雰囲気が出るでしょう。台詞も「おずおず」向きに少し変えるとこんな感じ。

――――――――
「出ていってくれないか?」
 彼はおずおずとドアを指さした。
――――――――
 彼はおずおずとドアを指さした。
「出ていってくれないか?」
――――――――

この効果は上記①②(ダッシュつけた改変文も含む)でも現れると考えて差し支えありません。それに加えて、「彼」の演出効果の差も出てきます。一瞬ですが、「彼」の感情が読者に伝わるタイミングが変わるわけです。

それがあるので「言った」では目立たないと申し上げました。「得意げに笑う」ですと、台詞の前に入れれば、「彼」の感情がまず確定し、続く台詞のニュアンスも確定します。紛れがなく直截な印象を出しやすい。

逆に台詞の後で「得意げに笑う」ですと、台詞時点では「彼」の感情は曖昧で、台詞の後で確定し、それが直前の台詞に波及していきます。ちょっとした謎が解ける、みたいな感じですね。

どちらもシーン的な進行や意味合いに大差はないですが、インパクトの強さや、ちょっとした揺らぎをどうしたいかで決めることになると思います。

> ③
>  彼は得意げに、
> 「俺は毎日5キロは走ってるからね」。
>  僕は10キロ走ってるが、彼の笑顔を奪いたくないので敢えてそれを言わなかった。

これは記法として通常は使いません。読者としては「なぜ台詞の直後に句点がついてる?」と疑問に思い、「書き間違えたんだろう」くらいに思うでしょう。避けるべきです。
ただ、台詞を開業しないときは、そう書きたくなることがあります。

>  彼は得意げに、「俺は毎日5キロは走ってるからね」。

こういう書き方(台詞で改行しない)、ときどきあります。あまり台詞を台詞として重視しないときなどですね。しかしやはりおさまりが悪い。最後に「と言った」は必要でしょう。

> ④
>  彼は得意げに、
> 「俺は毎日5キロは走ってるからね」
>  僕は10キロ走ってるが、彼の笑顔を奪いたくないので敢えてそれを言わなかった。

これらは③同様、変則的でおさまりが悪く(文になってない)、あまり用いるべきではありません。「得意げに、」で読者が期待する「それでどうした?」が解決されないからです。「言った。」でもいいから文を書ききることが大事です。

ただ、上述のように書きたくなることがないとは申しません。例えば「台詞主が分かりにくいが、「僕」の反応を台詞の直後の地の文で出したい」とかです。地の文ではなく「僕」の台詞が続くケースでは、さらに起こりやすくなります。

――――――――
 彼は得意げに、
「俺は毎日5キロは走ってるからね」
「僕なんか……、いやそうか、5キロは凄いな」
 実は10キロ走ってるけど、彼の気分に水を差さなくてもいいか。
――――――――

やはり台詞の直前の地の文は文として確定させるべきでしょう。「得意げに、」が浮いたままで、読者の期待(得意げにどうした?)を外しています。この文例に即して最短で直すなら以下の感じでしょうか。

――――――――
 彼は得意げだ。
「俺は毎日5キロは走ってるからね」
「僕なんか……、いやそうか、5キロは凄いな」
 実は10キロ走ってるけど、彼の気分に水を差さなくてもいいか。
――――――――

繰り返しですが、細かい差でしかないと言ってもいいでしょう。あまり気にする必要はありません。基本は奇をてらわず、分かりやすく、おさまりが良いように書けば充分です。そのうえで、大事な部分はときどき効果を考えて、細かい調整をしてみればいいと思います。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: セリフの繋げ方について

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元記事:最強厨になってしまう

私は元々地に足の着いた強さの主人公達が途方もない強さのモンスターに四苦八苦しながら戦う、というコンセプトで作品を作っていました。

しかし最近のなろう系の最強主人公達やスケールのインフレしたSF作品を見ているうちに「こんな奴に負けたくない」「強さに説得力を持たせないと」とどんどん話のスケールや主人公の強さが膨らんでいってしまい、話が破綻してしまっています。

しかし「鬼滅の刃」や「モンスターハンター」を指して「○○太郎様なら鬼や古龍なんて瞬殺ww」などと言えば「キモイ」の一言で追い返されてしまうでしょう。ゴブリンスレイヤーなんて弱い所に魅力があります。実際ちゃんとした作品は他作品との比較などされず作品内でちゃんと敵の脅威や世界観の大きさを表現できています。
実際クロスオーバーされた場合でも、例えばスーパーロボット大戦で原作では街一つの中でウダウダやっているビッグオーが惑星間規模の戦いをするクアンタよりもダメージを稼いでも誰も文句は言いません。

そういう風に考えたいのですが、どうしても「この敵も主人公も○○の主人公や敵なら楽に倒せるだろうなあ」という考えが頭によぎり、どうしても主人公や世界観を、自分の想像力の及ばないところまで広げてしまいます。

こういう風に、他作品と自分の作品のスペックを比べてしまう癖がついたらどうすればいいでしょうか?同じような症状をお持ちの方、昔は持っていた方は少なくない筈です。そういった方はどうやって克服したのでしょうか?

上記の回答(最強厨になってしまうの返信)

投稿者 mika : 0

あの・・・すみませんが、
物語の作り方に関する考え方を変えて、
「主人公チームvs敵チームで、お互いを戦わせる方向性」にこだわるのではなく、
「主人公チームvs敵チームで、お互いに【特定のアイテム(どんな物にするのかは自由に決めてOK)】を奪い合う方向性」にしてみるのはどうでしょうか?

これなら、例え主人公が最強であり敵に負けなかったとしても、
アイテムが敵に奪われてしまったのであれば、
その時点で主人公の負けは確定となり、
「敵に勝って、勝負に負けた」という状況を作る事が可能です。

で、先程挙げたその作品を作りたい場合は、
例として挙げるなら、
「世界忍者戦ジライヤ」、
「轟轟戦隊ボウケンジャー」、
「仮面ライダーオーズ」、
「ドラゴンボール(少年期時代)」、
「犬夜叉」、
「仮面ライダーX(3クール目であるキングダーク編)」、
「仮面ライダーゴースト」
などがありますので、
参考にしてみればいかがでしょうか?

その作品達は、
「ジライヤ」の場合は、「パコの秘宝の行方がわかる粘土板」を奪い合っています。
「ボウケンジャー」の場合は、「プレシャス」という宝を奪い合っています。
「仮面ライダーオーズ」の場合は、「オーメダル」というメダルを奪い合っています。
「ドラゴンボール(少年期時代)」の場合は、「七つのドラゴンボール」を奪い合っています。
「犬夜叉」の場合は、「四魂の欠片」を奪い合っています。
「仮面ライダーX」の場合は、「RS装置の設計図の切れ端」を奪い合っています。
「仮面ライダーゴースト」の場合は、「15個の眼魂」を奪い合っています。
先程挙げたその作品達は、特定のアイテムをお互いに奪い合っている系の作品達です。
お好きな作品をどうぞ。

ちなみに僕が、参考資料としてオススメするなら、
「ジライヤ」と「ボウケンジャー」と「仮面ライダーオーズ」をオススメします。

あなたが参考資料にするしないを考えないのであれば、
個人的に作品としてオススメしたいのは、
「ジライヤ」と「仮面ライダーオーズ」と「仮面ライダーゴースト」と
「仮面ライダー555」と「新竹取物語1000年女王」
という作品です。

と、いうわけで、
少しでも力になれたのであれば幸いです。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 最強厨になってしまう

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