小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

サタンさんの返信一覧。最新の投稿順143ページ目

元記事:ラブコメ主人公の外見描写について

現在私は、新人賞に投稿するためにラブコメを執筆しているのですが、ふとあることが気になりました
それは何かというと「ラブコメの主人公って、ほとんど外見について触れられないな」ということです

たとえば主人公を
「身長175センチで中肉中背。髪は黒くてくせっ毛気味で、眉毛は濃いめ。顔は大きく丸顔。鼻は団子っ鼻で、目は奥二重でタレ目がち。鼻の横にシミが有り、歯は若干黄ばんでいる。顔立ちはお世辞にもカッコいいとは言えない」
という設定にしたとします。(ちなみにこの主人公のモデルは自分です)
しかし、ここまで細かく外見を描写しているラブコメ作品を、私は今まで一度も読んだことがありません。(もちろん、ヒロインでもここまで事細かに書くことはないと思いますが)
大抵の作品では
「俺の名前は山田太郎。身長175センチで中肉中背。どこにでもいる冴えない顔した男子高校生だ」
という具合に片付けられて、後は外見について触れられないことが多々あります。

もちろん、ラブコメは一人称視点であることが多いため、主人公の外見は描写が難しいことはわかります。
それに市場に出回っているラノベには挿絵というものがあって、そこまで詳しく語る必要はないということなんでしょう。
ですが、当然ながら新人賞に投稿する作品には挿絵なんて存在しませんよね?
なのに主人公の外見についてサラッと流してしまえば、下読みの方にどういう人物かまったく伝わらないと思うんです。

そこで質問なのですが
新人賞に投稿する作品の主人公は、どこまで小説内で外見を書くべきなのでしょうか?
市場に出回っている作品のように必要最低限でいいのか
あるいはある程度詳しく描写したほうがいいのか、教えて下さい。よろしくおねがいします。

上記の回答(ラブコメ主人公の外見描写についての返信)

投稿者 サタン : 3 人気回答! 投稿日時:

これは絵的映像的に考える人によくある事だと思うのですが、
端的に結論を言ってしまうと、そもそも必要がないため書かれていないだけです。
挿絵の有無は関係ありません。

というのも、仰るとおり挿絵がなければイメージするしかないので、そしてそのイメージは「作者が強要するもの」ではなく「読者が勝手に想像するもの」なので、事細かに外見を描写していく必要がないのです。
主人公だけでなくヒロインやサブキャラクターについても「誰々は金髪で白のメッシュが入ってて~」とキャラクターデザインかイラスト発注の字コンテがごとく考えてる人がおりますが、これは、むしろ読者にとってはイメージの邪魔でしかない説明文になってしまう事が多いです。
だから、例えば『灼眼のシャナ』においては「炎髪灼眼の討ち手」という表現があるため「普段は黒髪、戦闘時は赤い髪になる」という表現こそありますが、そうした事情や設定が無い限り、フワッと曖昧に書いて自由にイメージしてもらったほうがイメージしやすいわけです。

あるいは、「彼女の黒髪は綺麗な光沢を放っていて~」と外見についてある程度触れておいて、「実は貧乏で風呂に入ってないためテカってるだけだった」と展開すると、「彼女」のキャラクター描写として外見を扱うことが出来ます。こうしたテクニックとして考えると外見を書くことは有意義でしょう。
ですが、基本的に外見は、小説にはさほど重要なことではありません。

例えば「社会的弱者」というキャラを書く場合、漫画や映像ではパッと一目でわかるように「そういう外見」をしていますが、これは絵が映像あってこその表現。
小説にはソレが無いので、「外見」でキャラクター性を表現することはそもそも向いてないんですよ。
なので、「社会的弱者であろう展開・エピソード」をもってして「彼は社会的弱者である」と読者に認識してもらう。
すなわちこれが「キャラクター描写」というもの。
それを抜きにして外見を書こうというのは、まあ無意味とまでは言わないけれど、かえって読者のイメージを強要してしまい邪魔になる事も多いので、あまり推奨できることではないと思う。

で、質問に答えると、
>どこまで小説内で外見を書くべきなのでしょうか?
あまり触れない「どこにでもいる高校生だ」程度で十分でしょう。
ただ、前述した通りキャラクター描写として外見を扱う場合や設定や展開に関係ある事だったりするならしっかり書いたほうが良いと思う。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: ラブコメ主人公の外見描写について

この書き込みに返信する >>

元記事:人間とAIの恋愛について

現在練っている小説プロットで、主人公は高校生、ヒロインはAIで、二人がARゲームの中で知り合うんですよね。
それで徐々に惹かれていくんですけど、AIと人間の恋愛や人権についての意見があったら聞かせてください。
また、それについての面白い論文などがありましたら是非紹介してくれればと思います。よろしくお願いします。

上記の回答(人間とAIの恋愛についての返信)

投稿者 サタン : 0 投稿日時:

>AIと人間の恋愛や人権について
人権はないです。なぜなら「人」ではないからですね。
道徳的に人間扱いするかどうかで言うと、うーん。想像の段階では仲良くやってけそうに思えるけど、実際はおそらく不気味の谷やフランケンシュタイン・コンプレックスみたいな事が起こると思う。
例えば、すっごいリアルなCGって妙に不気味なところないですか? ある程度アニメ的にデフォルメされてたり必要以上に美女に作られてたりすると素直に「可愛いな」と感じるけど、架空のものが現実に近づけば近づくほど、些細な現実との違いが目立って不気味に思えてしまうんですよ。
言ってしまえば、その些細な違いが人には「生気がない」と感じられてしまうわけですね。
これはあくまで「外見」の例だけど、同じことが「内面」でも起こってくると「リアルな対話でないほうが、逆にリアル」という妙なことになったりしてくる。
そうした創造物に対する恐れってのは物理的な「ロボットが人に害をなすかも」という感覚以上に人は忌諱するんじゃないかなと。
まあ、神は自分に似せて人を作ったというのは聖書の文だけど、人は神にはなれないって事だな、って思う。
だから、AIが感情を持つないし持ったように自然に振る舞うことが出来る未来があったとして、でもそのAIは人から見て結構違和感のある対話や感性を持っている存在だろうと思います。
「自然に振る舞うことが出来る」というそれ自体が人にとって「違和感がある」という結果になるだろう、と。
今は技術が未熟だから「それっぽく」見えるだけで、「それに近づける」という未来があるなら、きっと人工的感情は不気味を感じることもある存在だと思う。

ちなみに、そもそも人間が持ってる感情自体が正確にわかってないので、コンピュータが感情を持つ未来は多分来ません。
個人的な私見で言えば「コンピュータが感情を持つ」というのは「お菓子で人が住める家を作る」と言ってるような感じで、出来そうだしそれっぽいのは出来るけど、実用的なものを作ることに意味がないし素材的にも不可能だよね。という感じ。

で。こっから創作の話だけども。
「そんなの作る意味がないし不可能だよね」って存在がいるからこそ、物語は面白いので、むしろ「人間っぽく話すNPC」とかを出して、「でも感情はない。再現することは不可能だ、それが常識」って世界観にしちゃうといいんじゃないかなと思う。
なのにヒロインって存在がいるから面白いわけで。
ヒロインはAIで、でもNPCとは明らかに違って感情があるとしか思えない。でもそれは常識的に考えて不可能だ。本当にAIなのか、だとしらた一体なんなんだ。という感じ。
少なくとも現状の科学では不可能なので、「それっぽく見せられるけどまあ不可能だよね」って内容の論文はけっこうあります。
例えば、ググってすぐ出てきた記事だけど
https://cloud.watch.impress.co.jp/docs/column/infostand/710267.html
コンピュータが怒った、という記事。これはディープラーニング関係の論文の紹介かな?
記事は「マシンが読み、理解する能力を持つために有効と考えられるという。「マシンが読む時代」が、遠からずやって来る」と最後に書いているけど、「感情を得る時代が来る」とは書いてない。あくまで「理解」が出来るようになるかもしれない、という記事。

ついでに。
AIとの恋愛というと赤松健の『AIが止まらない』って漫画を思い出す。
感情AIを作ってた高校生が、ひょんなことから実体化したAIとラブコメするって内容。
こちらの場合、たしかそれほど専門的な用語だとか論文だとかは出てこなかったと思う。
ヒロインはAIという設定なんだけど、あくまで設定なだけで、AIというかプログラムという特徴はキャラクター(個性)には出ておらず、いちキャラクターとして人間キャラと同列に描かれていた。
まあ、だから恋愛・ラブコメに違和感がなかったわけだけど、「人と機械の恋愛」とか「その愛とは情報データで表現できるのか」とか、少し哲学チックなのではなくあくまで「恋愛・ラブコメ」がテーマなら、『AIが止まらない』に習って、あんまAIを意識せず普通のキャラとして扱えばいいと思う。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 人間とAIの恋愛について

この書き込みに返信する >>

元記事:小説が書けません続の返信の返信の返信の返信の返信

サタンさんの書き込みで、
特に、
>書きたいものがあるなら、「水戸黄門のエピソードの中で、書きたいものをどうやって書こうかな?」と考えるもの。
>でもスレ主さんは「水戸黄門のイメージ」を書きたいかどうかで考えたでしょ?

>これはもう創作の話じゃなく、スレ主さんの物事への取り組み方の話だと思う。
これが自分の中でショッキングでした。小説が書けないことを的確に言い当ててます…。

>「黄門様が街の茶店に立ち寄る」この一行は物語じゃないでしょ? これは単に「そういう事実」を書いてるだけ。
>「黄門様が茶店に立ち寄りました」という事を書いてるだけ。
>だから、「新しい街に来ました」「長旅で疲れましたね」「そこの茶店で休憩しましょうか」そんな感じの事を1000文字程度で組み上げればいいだけ。
これに挑戦しようとして、40字ちょっとしか書けていません。
ある程度書けられたらまた返信しようとしましたが、そう簡単にうまくいきませんでした。
『とあるキャラに嫌がらせされて主人公が吃驚する』というシーンが思いつき、それでたった40字ちょっとです。
創作意欲が高まったときに、またやってみます。

上記の回答(小説が書けません続の返信の返信の返信の返信の返信の返信)

投稿者 サタン : 0 投稿日時:

まず、私はときより言葉がかなりキツく相手の気持ちを気遣ってないような物言いをすることがあるので、それを言い訳にするつもりはありませんが、精神的に傷ついたのであれば申し訳なく思います。

>『とあるキャラに嫌がらせされて主人公が吃驚する』というシーンが思いつき、それでたった40字ちょっとです。
コツは、この箇条書き一行の内容は「一つの要素」だけにするって事です。
スレ主さんの例題の場合、「とあるキャラに嫌がらせされる」「主人公がびっくりする」と2つの要素が入っています。
まあ、この場合は「とあるキャラの行動」と「それに対する主人公の反応」ってだけなので一行に詰め込むことは十分に可能ですが、慣れない頃は可能な限り、出来るようになるまで、「一つの要素」を守ったほうが良いと思います。

というのも。
これは個人的な物語を把握するコツのようなものなんだけども、あくまで私の個人的な考えね。
例えば「黄門様が、はぐれた八兵衛を探して街道を下ると小さな村を見つけ一行は村で一休みすることにした」とか情報をあれこれ入れちゃうと、何が要点なのかわからなくなっちゃう。
この場合の要素は「八兵衛がはぐれる」「街道を下って村を見つける」「村で一休みする」と、要素が3つもある。
まあ、この程度なら「この文章が言いたいことは何ですか?」と問うても楽々回答できるでしょうが、自分で考えたプロットだと設定やらいろいろ考えてることが多いので、自分で考えたくせに文章の主旨がわからなくなっちゃう事がある。
これはあえて悪い例として書いたけど、主旨は「黄門様が村で一休みする」という事。

この「主旨」が何故大事かというと、この「主旨」が物語のパーツだからです。
私の悪い例で言うと「八兵衛がはぐれる」「街道を下って村を見つける」この2点は物語を彩ってはいるけど、本筋を語る物語のパーツではありません。
つまり、この水戸黄門のエピソードの序盤は「黄門様が村で一休みする」という事が書ければOK。
黄門様が村で一休みする選択を取れば、その茶店か宿屋かで困ってる村人と話が出来るわけだから、話が進むでしょ?
この要素が、「物語を進行させるための要素」なわけです。
それ以外の要素は、実のとこ何でもいい、ただの賑やかし程度の彩り。だからこそ水戸黄門は同じテーマで何百ってエピソードを作っていける。

箇条書きにした一行に複数の要素が入ってしまうと、この主旨である物語を進行させるための要素が埋もれてしまい、作者が把握しにくくなる。
そのため、箇条書きの一行には「要素は一つだけ」と考えたほうが良いです。
そうすることで複数の要素を扱うようになっても、話の主旨は理解できるようになる。

例えば私の水戸黄門の例では
>「黒幕がわかって、店主の娘が誘拐されるなど引き返せない状況が起こる」
とか、
>「黒幕のところに押し入って立ち回り、印籠を見せる」
といった感じで複数の要素が入ってる。
けど、話の流れ、その主旨は読み取れますよね? それぞれ要素が2つある箇条書きだけど、どっちが優先度高い要素かは理解できる形だと思う。

対して、まあダメ出しみたいになってしまいますが、スレ主さんの例題は
>『とあるキャラに嫌がらせされて主人公が吃驚する』
物語にとって「とあるキャラに嫌がらせされる」という事が重要なのか、「それに対し主人公がびっくりする」という事が重要なのか、どちらが重要なのか少なくとも第三者にはわからないと思う。
たぶん「嫌がらせされる主人公」という絵が大事なシーンなのかな。
するとこれは「とあるキャラ」の嫌な面を描写するキャラ描写の場面か、その対応で主人公らしさを見せる「主人公」の描写場面か。と判断できますね。

ほんで、軽く返信しとこうと思ったら意外と書いてしまったけど、ようやく本題です。
結局のとこ、物語は「話が進む要素」さえ書けてりゃ流れはわかるので、究極的にはソレだけ書けりゃいいんですよ。
40字程度でも、それが書けりゃいいんです。
でも40文字じゃ少ないなと感じるのであれば、日記を毎日書きましょう、好きな作品を書きたいのなら、日記を書き続けて「書く」ことに慣れましょう。
それが最も簡単です。

さて。それじゃあ40文字で良いと仮定して、
最初に水戸黄門のエピソードみたく箇条書きでストーリーを考えましたよね?
では、箇条書きの最初の一行目は40文字書けたんで、次の行もまた40文字書いてみましょうか。
次の行もその次の行も。
全部書けたら、2・300字くらいの物語が書けました。という事になります。

そしたら、スレ主さんの問題点は「小説(物語)が書けない」って事じゃなくて、その書けた物語を「膨らませられない」って話になります。
これは前半で「悪い例」として書きましたが、「八兵衛とはぐれた」など物語を彩る部分。
前述した事ですが、これらは物語を彩ってるだけで、なんでもいいので、好きになんでも詰め込めます。
余談だけど、なんでもいい事であるため、ここに「作者が書きたいこと」を入れることが出来ます。
とはいえ、いくらプロ作家でもそんな無数に「書きたいこと」があるわけじゃないし、ネタが有り余ってるわけじゃないので、使えそうなネタはメモってストックしておいたり、書きたい事をそのつどリストにして吐き出してみたり、みんな色々やってると思います。
前半部分ではコレを悪い例としましたが、「物語」が作れる段階になれば次は「それを彩る」段階に入るので、今度はこうした部分を考えてゆくと良いと思います。
つまり、「八兵衛とはぐれた」という要素でまた40文字程度書ければ、本筋と合わせて序盤は80文字書けたって事になるでしょ? 箇条書き一行に対し要素を3つ増やしたら?
最初に本筋を書く。あとから都合に合わせて追加していく。内容の辻褄が合うように整形する。
どんどん増えていきますよね。

今更ですが、これは物語を理詰めで考えて単純化しての考えなので、感性で書いている人にはまったく向かない考えだと思います。
理屈で考えると答えを出しやすいので私はそうしていますが、まあ、どうしても書けないときに無理やり書く手段として、プロット(最初に示した水戸黄門のエピソードみたいな箇条書き)さえあれば何とかなる。という考え方。
理屈で書いてるので、「黄門様が村で一休みする」とか、こういう事実を文章に起こせるのなら、そういう日記でも書いてりゃ身につく普通の技術さえあれば、あとは根気だけで絶対誰でも書ける。
正直、根気ってのが曲者で、ぶっちゃけ小説書くのって面倒くさいですからね。
私は実はあんまり好きじゃない。私は物語が好きなんであって小説だけにこだわって活動してるわけじゃないですしね。
まあ、そういう理屈で考える事も出来るんだなって思ってもらえれば、そのうち気が向いたときにでも試してみりゃいいと思う。
それが一年先でも十年先でも、まったく別の考え方でも、小説じゃなくても、なんかのヒントになりゃいいんじゃないかな。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 小説が書けません続

この書き込みに返信する >>

元記事:ラブコメにドラマ性は必要なのか

小説投稿サイトでオリジナルのラブコメ を執筆している者です。
つい先日、こんな感想を読者様から頂きました。

ストーリーの最序盤から主人公の全てを全肯定する高感度マックスの彼女がいるのは如何なものか」

「ヒロインが主人公を好んだ理由が”一目惚れ“だけではドラマ性が薄い」

「主人公がヒロイン達とイチャイチャしてるだけの甘ったるいストーリーではドラマ性がちっともない」

そこでタイトルにもある通りの質問をさせていただきます。
ラブコメにドラマ性は必要なのでしょうか?
露骨にシリアスな展開を挟むと、ストレスに耐性のない読者様が離れてしまいそうな気がして……やはり主人公とヒロインが好きあっている甘々展開だけではダメなのでしょうか?

上記の回答(ラブコメにドラマ性は必要なのかの返信)

投稿者 サタン : 2 投稿日時:

あまくささんが指摘されていますが、「ドラマ性」を誤解していると思います。
例えば格闘ゲームで敵が棒立ちだったらどう思います? 面白くないですよね。
ちょっとは動くけどまるで相手にならないAIをしてたらどうでしょう。楽に勝てて楽しくないですよね。
ドラマの基本は「障害を乗り越える」といったところで、本質は違うんですが、基本形として最も広く使われてるドラマ性の形じゃないかなと思います。
格闘ゲームの例であれば「簡単に勝てないような強さのAI」だからこそ、「攻防のドラマ」がある、という感じ。
「勝利する」という目標に対して「そう簡単に勝たせない」という障害が置いてあります。
AIが弱かったらここにドラマがないよね、というたとえ話です。

なので、読者の感想は「露骨なシリアス展開」を言ってるわけではないでしょう。
例えば漫画「ToLOVEる」は、いまや古くなってきてる参考例かもだけど、まあラブコメの王道でしょう。
ToLOVEるは特にコレと言ってシリアスな展開はないけれど、構成や設計段階で結構ドラマを盛り込める形にしてある。
主人公はヒロインBの事が好きだけど、そこにヒロインAがやってきて主人公と暮らし始める。
この時点で「主人公の目標(ヒロインBと付き合いたい・告白したい)」に対して「ヒロインAという障害」が出てくる。
だから、ToLOVEるの序盤の展開はだいたい「ヒロインAが原因で主人公はヒロインBに誤解される」という形になる。
「障害を乗り越える」=「誤解を解く」で一話完結するエピソードけっこうあったんじゃないかな。
まあ、実際の序盤はヒロインAの従者が出てきて話題がラブコメからちょっとズレてるのだけど、どストレートにやったらこの場合「ヒロインA」がただの障害物になっちゃうから、そうさせないため従者キャラは印象操作に一役買ってる結構重要なポジションだと思う。

とはいえ、「ドラマ性」ってこの「障害」の深刻さで読者の印象を変えるから、深刻なほうが「ドラマ性がある」と認識されやすいとは思う。
つまり「シリアスなほうがドラマ性があると思われやすい」と思う。
でも実際はそこにある「障害」ないし「障害を乗り越える過程」がドラマで、乗り越える障害に大小はないので(簡単に乗り越えられる軽い障害でも遠回りさせて大きく見せることはできるし、大小は障害を持ってるキャラの主観の問題になるため、それを書く作者にとって大小はない。大きく書くか、小さく書くかというだけ)、「ドラマ性」にシリアスかどうかはまったく関係がないです。

例えば、「イチャイチャしてるカップル」に与えるなら「目玉焼きに醤油をかけるかケチャップをかけるかで意見が分かれる」というだけでも障害になりうる。
むしろイチャイチャしてるバカップルだからこそ、下らない理由のほうが面白い。
プレゼントを用意してるヒロインだけど、そこへ障害が発生して渡せず、障害を乗り越えてプレゼントを渡し、バカップルに戻る。
ぜんぜん「露骨なシリアス」じゃないでしょ?
ラブコメだとあまり「深刻な障害」は出しにくいし、よくある「クライマックスでヒロインの生みの親が現れ……」というラブコメなのに真面目な展開は私も好きじゃないけど、そういうものだけがドラマ性というわけではない、という感じ。

最初に少し触れたけど、この「障害」の本質は「衝突」で、よく「コンフリクト」って言われてるもののこと。
衝突があるとその衝突をどうするか衝突から何が生まれるかでキャラクターの行動に繋がるので、これがドラマになる。
その衝突の一番わかりやすい形が「障害」。
だから、究極的には別に障害を作らなくてもドラマを書くことは出来る。
例えばほのぼの系な日常ものなんかだと、程度によるけどそれこそ障害ですら「露骨」になってくる場合もありますから。
日常系じゃないけども「ただひたすら想い人を待ってるだけの話」とか、そこに障害を入れようがない場合もありますからね。
待ち合わせ場所に向かう人の話なら「行かせない障害」を作れますけど。
なので、こうした場合は「障害」以外の「コンフリクト」を考える必要があって、つまりは、本質は「衝突」であって「障害」はその手段の一つという話。

>やはり主人公とヒロインが好きあっている甘々展開だけではダメなのでしょうか?
ようするに、その「甘々展開」にドラマがないのではないかなと。
イチャイチャカップルが付き合うまでの過程を書いた話じゃなく、そのカップルのイチャイチャを書く話であるなら、最初から好感度マックスでも惚れた理由が一目惚れでも、問題ないと思います。
むしろ余計な過程をすっとばして本題である「いちゃいちゃ」を書けるので、良い判断だと思います。
でも、その本題である「イチャイチャ」にドラマが無かった場合、読者の期待は宙に浮いてしまうので、それは「好感度マックスが悪いんじゃないかな」「一目惚れじゃ味気ないだろう」と見えてしまうのではないかなと思います。

カテゴリー : ストーリー スレッド: ラブコメにドラマ性は必要なのか

この書き込みに返信する >>

元記事:冒頭の場面(ワンシーン)の長さ

いつも創作Q&Aを拝見しております。
早速質問させて頂きたいのですが、それは表題の通り「ワンシーンの長さ」についてのことです。
私は今書いているのは「勇者とお姫様が二人で冒険の旅をする」というコメディチックなお話です。
そんな物語の冒頭が「勇者がお姫様を牢獄から助け出す」という二人の馴れ初めのシーンなのですが、なんと42字×34行のページ設定で20ページ・2万5000字もあります(全部で150ページくらいの話にしようと思っています)。
このシーンの流れとしては「勇者が牢獄にとらわれたお姫様を見つける」→「勇者はお姫様を連れて牢獄の外へ向かう」→「外にはお姫様を捕まえた強いモンスターがいた」→「勇者は強いモンスターと戦い、なんとか勝利を収める」というストーリーになっています(あくまでも物語の「冒頭」です)。勇者とお姫様の掛け合い(ギャグ)を書いていたら長くなってしまいました。
この初っ端の20ページは時間も場所もほとんど変わりません。話の筋も「勇者がお姫様を助け出す」というもので、多少変化はありますが(「お転婆なお姫様は王国に帰らず勇者と旅をしたいと言い出す」)、基本同じ話です。

他の方のライトノベルを読んでいると、冒頭のシーンは軽めに抑えてテンポよく場面を切り替えてる気がします。
(例えば……「酒場」で仲間を集めて、「翌日の朝」に「ダンジョン」を探索し、手に入れた財宝を「町の宝石店」に売る……という感じです)
中盤やラストシーンならともかく、やはり冒頭から20ページもの同じ場面を続けると読者はうんざりしてしまうのでしょうか?
冒頭は2~3ページごとに「別の日」、「別の場所」となるようにプロットを練った方が良いのでしょうか?

とりとめもない質問となりましたが、よろしくお願いします。

上記の回答(冒頭の場面(ワンシーン)の長さの返信)

投稿者 サタン : 1 投稿日時:

うーん……
……読まなきゃわかんないかも。
というのも、別に「全体の割合」とか「ワンシーン何ページくらいが妥当」って話じゃないと思うためです。

あまくささんと似たような話になりますが、要するに読者の「興味」が問題になる話で、その興味が途切れる・飽きてしまう要因の一つに、スレ主さんが気になさってる「長過ぎる」という事があるわけですね。
で。
どうして読者は飽きるのかっていうと、「話に変化がない」というのが一つの原因になりえます。
じゃあ、その変化はどうやってつけるのかって言うと、単純に話を進めりゃいいわけで、つまり、

>このシーンの流れとしては「勇者が牢獄にとらわれたお姫様を見つける」→「勇者はお姫様を連れて牢獄の外へ向かう」→「外にはお姫様を捕まえた強いモンスターがいた」→「勇者は強いモンスターと戦い、なんとか勝利を収める」というストーリーになっています

こうやって簡潔に要約をまとめられる人は、ちゃんと書けてるしちゃんと話を進められてる人だと思うので、読んでる読者に「飽き」はあんまないと思う。
読者が少しでも興味を持てば最後まで読んでくれる。
あるとすりゃ、
>「勇者が牢獄にとらわれたお姫様を見つける」→「勇者はお姫様を連れて牢獄の外へ向かう」
こういう「要素A」→「要素B」の間に大きな変化が見られないと読者(比較的若い読者)は飽きやすいので、読者層と相談してこうした要約を考えてみると良いと思う。

ほんで、そのこの要約には4つの要素が入っています。
合計で25000字だというから、単純計算で平均一話約6000文字。
読者は6000文字読めば次の要素に入って、つまり物語が進んで飽きずに内容を楽しめるわけだから、
すなわち6000文字の間で読者を退屈にさせなければ良いってことになると思う。

で、冒頭の「読んでみなきゃわからない」って事なんだけど、
6000文字って言ったらだいたい42字×34行で4・5ページ程度。文庫本を読んでて「4・5ページ続くワンシーンが「長い」と感じるか?」と問えばそんなことは全然ないでしょう。
しっかり書けばもっと長くなってもおかしくない。
まあ、書かれてる内容にもよりますけれど。

でも、Web連載で「一話6000文字は多いかな?」と問われたなら、ちょっと長めかもしれない、と思う。
特に序盤は状況と設定だけわかればあとは流れで描写してポンポン進んだほうが入りやすいので、内容をあまり濃くする必要がない(Web連載ならの話)。

そこで考え方をかえて見ると
>「勇者が牢獄にとらわれたお姫様を見つける」
という要素は、別にこれだけを書いたわけじゃないと思うんですよね。
「勇者が牢獄へ入ることになった」「牢獄には不釣り合いなお姫様がいた」と、複数に分けて考えることもできる。
すると、Web連載でもこれは1話3000文字の8シーンになるわけで、同じ構成同じプロットでも「ポンポン進める」ような感じに書けるかなと思う。
「勇者」が「姫」と出会ってから物語の目標は一時的に「姫を牢獄から外へ連れ出すこと」になるわけですが、その目標を果たすための合計文字数が25000文字程度と考えると、妥当というか、少し少ないくらいじゃないかとも思います。

結局読んでみないとわからんけど、
こういう要約を簡潔に書ける人なら面白く書いてると思うし、25000字程度なんでもないんじゃないかな。
内容を要約したときの一つ一つの「要素」だけど、この要素の中で読者を楽しませているか(スレ主の場合単純計算で6000文字の中で)、そして要素から次の要素へ進むときに、そこに大きな変化など読者の興味を引きつけるものはあるかどうか。
この二点が完璧なら理想的で、でなくとも作者がそこを意識出来てりゃ、普通に面白く読めると思う。
場所が変わらなかったり話題が変わらなかったりすると、ここで変化をつけにくいので読者は飽きやすいですが、そうわかってりゃ別の変化をつければ良いだけの話なので、
>同じ場面を続けると読者はうんざりしてしまうのでしょうか?
こうしたお悩みも何とかなる問題だと思います。
例えば文庫本一冊分、ワンルームの部屋の中から一歩も外に出ないって作品もありますしね。
これは映画だけど『十二人の怒れる男』が有名で、そっから密室劇ってジャンルが流行った。
場所を変えず同じ場面で如何に面白く興味を惹きつけるかってのは、けっこう研究されてる事だったりします。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 冒頭の場面(ワンシーン)の長さ

この書き込みに返信する >>

現在までに合計1,591件の投稿があります。 5件づつ表示中。現在全319ページ中の143ページ目。

ランダムにスレッドを表示

面白い小説とつまらない小説の違い

投稿者 ぐーたろー 回答数 : 7

投稿日時:

質問です。 皆さんがそれぞれ読んでいて「面白いなー」と思う小説と「つまらないなー」と思う小説とではどんな違いがあると思いますか... 続きを読む >>

暇人なのですが昼間は物語の部分を書く気が起きないので

投稿者 悪魔ミュージック 回答数 : 2

投稿日時:

 昼間は物語の部分を書く気が起きないので自サイト二次創作のオリ主変身キャラクター原作一覧でも書こうかなと。  ただ、その記事に「ス... 続きを読む >>

魔法による、暴力という悪に残された犯罪目的以外の可能性について。

投稿者 一番合戦 仁 回答数 : 7

投稿日時:

 人の気持ちと空気が読めず、自己中心的な性格をこじらせて闇落ちした主人公に、暴力を用いたマインドコントロールで真人間に戻すという... 続きを読む >>

ランダムに回答を表示

元記事:「異世界転移・転生」を殆ど知らない人物がどう外国と納得するか

 結構身もフタもない話なんですけど、トラック轢死⇒「すてーたす・おーぷん」とか言うとウィンドウが出てくる系が異世界のテンプレ的イメージ。
 けど大前提として、創作がなければ基本異世界ってのは存在しないってのが理屈ではわかっているし、当然発動もしないでしょう。
 ↑そういう基本的価値観を持って普通に畳の上で食中毒になった人間が、目覚めたら国さえ特定できないトコにポイ捨てされてたら
 どういう経路を辿ってここに来たのかって整合性のある理由が思いつきません。肌感覚では外国なんだろうけど、やっぱり異世界が頭をよぎりませんか。
 けどコンセプト的には外国であることを大切にしたいですし……。
 散々なろう主人公とかって異世界やゲーム世界とリンクしたような環境下にあることって多いし(不遇とかゲーオタとか)
 主人公が異世界モノの作品となじみが薄く、かつ書籍頼みなところがあるからカンで無理やり外国と納得するのが一番。ただし理由なしなんでしょうけど、なんというか繋がりを持ちたいというか……
 誘拐されました。売られました。派遣されました。
 本当は、「妄想」の一言で片付く世界観だからこそこういったところをしっかりとしていきたいです。さて、生レバー食中毒とはいえ自宅の畳の上で苦しんでいる人間をどうやって外国へ運び出せばいいのでしょうか。

上記の回答(「異世界転移・転生」を殆ど知らない人物がどう外国と納得するかの返信)

投稿者 大野知人 : 1

こういうとこに変なもんぶっこむのもあれですけど……。
「死ぬ直前の記憶はあんま残らんらしい」ですよ。
脳科学の論文で見たと思うんですが、人間の記憶が定着するのには結構長い(十分ぐらい)タイムラグがあるらしいので、その時間中にサックリ死んじゃえば、記憶のこらないって。
俺も、『冬場に駅で貧血』と『早朝の大通りで交通事故』はやったことあるけど、病院で目が覚めた後状況を説明されるまで『何があった!?』って錯乱してましたし。

で、じゃあ『死んだ記憶』が合って『異世界という知識・概念』がない奴がどうやってそれを認識するか、ですけど。

どこで目覚めるかにもよりますが、あたりをフラフラ歩いているうちに『ここは日本じゃないらしい』と気付き、人とかかわってしばらく(二、三日くらいかかっても)で『ここは地球ですらないらしい』と気付けばいいと思う。

目が覚めてしばらくは『錯乱状態』になる以上、『ここは異世界であるらしい』と理解するまでは、いくらか無茶苦茶なこと言ってても、『こいつ、混乱してるんだなぁ』って読者は思うんじゃないかな。というか、思わせろ。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 「異世界転移・転生」を殆ど知らない人物がどう外国と納得するか

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

元記事:やり直しについて

よろしくお願いします。

小説を書いて約十年、幼い頃からの血の滲むような修正、添削、やり直しにて、元々苦手で嫌いであった日本語、国語という枠を克服し、妥協なく小説の執筆に取り組んで参りました。
最初はケータイも無く、ただ1ページ三十五行のノートに物語を書き連ね、酷使して紙は黒ずみ、手が鉛筆で汚れていく日々でした。それを一般の小説、童話などと比較し、物語の構成や文章の中にさりげなく入れる変化球のような単語、読みやすさなど到底そのレベルに達していないと判断してゴミ箱にシュートしていたのです。
しかしながら、自らの才能を見極める目はありました。私は書いたものの中で、キャラクターがどのように動きたがっているのか、どうすれば不自然ではなくなるのかなど、飲み込みが早いのです。
なので、自分で書いたものを読み返し、必ず改善点を見つけてしまう。妥協をしないから必ずゴミ箱に入れる。これが延々と繰り返されて来ました。
長編を書きたいが、今の自分では面白くない。長編を書き切ったが、見返して改善点を見つけ、これを世に出して良いはずがないと捨てる。
確かにやり直す度に面白くなってはいるが、上限なく面白くなるのだが、底がないのです。
今ではスマホがあり、アプリを入れて小説を書いてもやり直してばかりで未完の小説がゴミ山のように溜まっていくのみ。
私は一体、どこまでやり直せばいいのでしょうか……。

上記の回答(やり直しについての返信)

投稿者 手塚満 : 1

結論から申せば、ある種の幻想に囚われているということです。しかも、その幻想を強化する訓練を続けて、今に至っている恐れが強い。ですので、推敲、改稿はそこそこにして、作品の完成と公開を最優先にすべきでしょう。そこを少し説明してみます。

1.手より先に目が肥える

小説に感動して、読み手から書き手に変わろうと思い、いろいろ書いてみるわけですよね。そのとき何が起こるかって、当然、書くことが上達していきます。一説には長編10本くらいまでは、ただ書きさえすれば上達するとも聞いています。

が、文章を書く手だけが上達するのか。そんなことはなくて、書いているとき書いたものをは逐一追いながら考え、推敲するには改善ポイントを探せるよう、注意深く読むわけですね。それがまた書くことにフィードバックされる。

そうやっていると、確かに書く手は上達するけれども、その前提にはしっかり読む、しばしば分析的に読解することが必要なため、目が肥えても行きます。そしてほぼ間違いなく、手より目が肥える速度のほうが速い。

2.目が求めるものを手はこなせない

そうなりますと、自分が満足する文章を書くことが遠のきます。書き手としてより、読み手としての上達が早いんですから当たり前です。手を動かすと先に目が肥える。どうかすると、書くほどに下手になった気がすることさえある。その点はよく承知しておかねばなりません。実際には着実に上達しているのです。

しかし仰るように改善ポイントは見えてしまう。よく読めるようになっていくだけに、キャラの動き、気持ちを分かることが深くなり、そのために必要な言語化が不足していることだけは分かるようになる。当然、推敲や改稿をしたくなります。創作者としては当然の気持ちです。

3.やってみた気分に騙される

そして手を入れてみる。そこで罠が発動しがちな点は要注意です。「自分が作ったもの、自ら手を入れたものに高い価値を感じてしまう」という「イケア効果」です。鶴の折り紙実験などで知られています。自分が折った出来損ないの折り鶴は正しく折れた鶴より価値があると嘘偽りなく感じてしまう。他人は折る前の折り紙のほうが価値があると思っているにもかかわらず、です。

推敲、改稿でも同じことが発生します。手を入れてみると文章的に改善した気がする。しかし前より良いはずという感覚と、実際の文章は乖離してます。せいぜい数日前の文章のはずです。書き手が数日で格段の進歩を遂げるはずもなく、むしろ同じ程度でしょう。せいぜい、そのときどきのコンディションによる変化があるに過ぎない。

4.同じ自分で大差出せるわけがない

実際は推敲後、改稿後の文章は特によくなってはいない。それをまた読んで、同じように改善ポイントを見出してしまい、同じように気分だけの文章・描写改善に取り組んでしまうわけです。だからよく言われてるわけです。頭を真っ白にしてから推敲せよ、とか。あるプロの言では数か月放置するそうです。そうしないと自作を他人の文章同然に読むことができず、有効な推敲なんかできないから。

5.他での感動を自分の文章の感動と取り違える

スレ主さんのご質問文(やご回答文)を拝読しますと、まだ罠がありそうで危惧しています。それは「借り物の感動」とでも言うべきものです。どこかで見聞きして感動したものを、自分の文章に感じてしまう現象です。自分もよくやらかしますが、偉人の名言とか、有名な警句とか、口に出してみると、実にいい気分で自分が凄いこと言った気がしてしまいます。

しかし実際は、自分の言が自分で感動するほどには他人に感銘を与えたりはしない。せいぜい「ふーん、それで?」くらいの周囲の反応しかありません。上記のイケア効果(自分が言った)以外に、名言や警句を読んだり聞いたりしたときの自分の感動を再現しちゃってるんです。よくある、例えば銀英伝のキャラクターの名言なんかですと、銀英伝を鑑賞したときの感動まで加わっちゃってる。

6.決め台詞だけで感動が発生すると思う勘違い

スレ主さんのご質問文って、大仰な言い回しですよね。ここへは誰かを感動させに来たんじゃなくて、悩みを聞いて欲しくていらっしゃったはずなのに。例えば「幼い頃からの血の滲むような」とか「克服し、妥協なく小説の執筆に取り組んで」とか「酷使して紙は黒ずみ、手が鉛筆で汚れていく日々」とかとか。大仰であるだけでなく、どっかで聞いた、手垢のついた言い回しでもある。

おそらく、その手の言い回しで感動したことがあるはずです。そして、感動したものについては、その言い回しはうまく用いられていたのでしょう。文章の工夫は感動した文言そのものより、その前の段取り、後のフォローで作られていることが多い。決め台詞などと同じですね。決め台詞そのものより、決め台詞が発生する条件を整えるのが大事。

そこをよく読み取らず、いいと思った文言だけ覚えて使いまわしてしまうと、ちぐはぐなツギハギの感じがする文章になってしまいます。少なくとも、この掲示板に見えるスレ主さんの文章はそういう感じがしてしまっています。

7.書くべきことが分からないと悪いポエムになる

そういう文章は書くことがない、あるいは書くべき内容を整理できないときによく発生します。内容のなさをレトリックで補おうとしてしまうのです。しかも饒舌になる。内容がない、とは思われたくないので文章量を増やしたくなりますし、言い訳にも近いのでついくどくど言いたくなってしまうから。何を書いていいか曖昧なので、具体性を欠いて、情緒重視にもなってしまう。

8.もし未完成で推敲を重ねているならハイリスク

別の問題点としては、スレ主さんのご質問が具体的な説明を欠いていてはっきりしないのですが、もしかして未完成のうちに推敲、改稿を重ねていないかということがあります。

少なくとも、書き進めている最新の2割は有効な推敲はできません。文章は各部分が文脈、つまり前後の支えがあって読めるものになります。最新部分はまだ後があるのに、書いてない。だから推敲するにも、その後の文脈が支えてくれない。これではいくら書き直して納得するものにはなりません。最新部分に拘泥せず、さっさと書き進めたほうがいい。そうすれば戻って来て推敲が有効にできるようになります。

これは当然、書き始めの部分でも発生する現象です。よく言われるコツに「書いたら冒頭をバッサリ捨てろ」というものがあります。読者は嫌いなプロローグを作者は好みがち、なんて指摘があるように、最初の部分には無駄が入りがちだからです。捨てればスッキリする。

しかし書いてみた効果はあります。捨ててしまうとはいえ、新たに実際の書き出しになる部分にもしっかり冒頭より前の文脈が生じるから。そうしない場合でも、書き出し以前には何があるか、しっかり構想くらいはします。慣れればそれで充分に書き出し部分の文脈の支えになります。

ですので、もし未完成のうちに推敲、改稿を重ねて、満足できずに中途で全部捨てているのなら、よく考えたほうがいいでしょう。充分に推敲、改稿ができるのは最初と最後の2割ずつは無理で、その間の6割だけです。推敲すると、特に後に影響しがちで、さらに改稿の必要が出たりしますが、受け入れるべきでしょう。いくら推敲、改稿しても後に影響ない最新部分は書き直しが楽ですが、力を入れるのは無駄であり損です。

9.いわゆる純文学とエンタメ作品の文章の相違

これもスレ主さんのご質問が具体性を欠いていて、はっきりとは申せませんが、純文学とエンタメ作品の文章傾向の違いをはっきり認識しているか、ちょっと不安になります。

純文学では、仮に主人公の言動、行動が特に際立っていなくても、言い回し、視点、比喩などの文章技術で読み手を引き付けることを重視しているようです。朝起きて顔を洗ったとか、パスタを茹でたとかだけで、面白く読めるものに仕上げる技量ですね。

一方、エンタメ系では何が起こったかが大事。それがどう書いてあったかは問題ではありません。すらすら読めて、ぱっぱと分かればいい。読み手は何が起こったかは思えているけど、どう書いてあったかは忘れている。それくらいできれば上等です。念のためですが、それはそれで高等技術です。

どっちを書きたいかがはっきりしないと、どう書いていいか分からなくなりがちです。当然、推敲、改稿も不安定になり、無駄にやり直しするようになります。そのときどきの書き手の気分次第の面がありますので、要注意です。

10.最良の読み直し手は他人の読者

いろいろ工夫するとしても、書き手が自分一人でやっていては限界が低い。何を書こうとしたか分かってるし、文章判断の自分一人、つまり主観でしかない。小説は赤の他人に読んでもらうのが大前提です。

ですから、赤の他人の感想、批評を得る必要がある。これは自作を公開しないことには不可能です。そこで感想を得たら、読者の感想であることを大前提に(決して改善ポイントを指摘してくれないのが読者、たとえアドバイスの体裁であっても)、推敲、改稿に活かすことができます。

複数の赤の他人の批評ですから、きちんとまとめればある程度の客観性は得られます。書き直しに直接役立つだけでなく、自分の(主観的な)判断基準と他人とのずれを意識することにも役立ちます。あまり世間相場と乖離したくないなら必要といっていいでしょう。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: やり直しについて

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

元記事:小説の空想のキャラの名前を考えてください

オリジナルの小説の中で、命日は最初から決まっているものとしてその命日を勝手に伸ばすキャラクター(悪役寄り)の名前を考えています。人物名というよりかは「死神」などといった区分名(?)にしたいです。完全に創作のものでも、現に神話や漫画などの世界で存在するもので似通った役のものでも大丈夫です。

上記の回答(小説の空想のキャラの名前を考えてくださいの返信)

投稿者 サタン : 1

いくつか名前の考え方の参考として。

1.役どころから考える。
死神という例があるので、死を与える役どころなのかと思うが、神話や医学用語などから同じような意味合いの名前を拝借する。
神話なら、有名どころならタナトスとかだけど、天使であればサリエルかな。ただ司ってるものは死というより寿命っぽいので、運命の女神からモイライとか仏教用語で業を意味するカルマとか。
医学用語ならテロメアがまんま寿命に関するものだよね。
その存在がSFチックなら学術用語を、ファンタジーなら神話などをみたいな感じ。

2.名前を創作する。
継命者とか他の方が書いてた延命師もいいよね。時間が関係するならトキワタリとかあえてカタカナで書いたりとか。
これはもうイメージに合う造語を作るだけなので、イメージを決める材料が少ないとボヤっとしたネーミングしかできないけど、材料が多いほど良い案が浮かぶと思うよ。

3.設定から捻って考える。
そもそも詳細な設定を教えてくれんと回答できないので適当に仮定するけど、寿命と言えば蝋燭を思い浮かべるので、「命日を延ばせるキャラ」は蝋燭を伸ばしたり他人の蝋燭と入れ替えたりできるのかなと。つまり、その特徴の「手段」から命名する方法ね。このイメージの場合は蝋燭屋でいい感じだと思う。
あとは「寿命の糸を指で調整する」って設定の場合は指繰(サグリ)とか、ギャンブルみたくサイコロをふって寿命を延ばしたり縮めたりするんであれば賽割(サイワリ)とか。

こんな感じ。オススメは設定から捻って考える(手段から命名する)方法で、これをすると「自分のキャラだけの名前」になって自分でも気に入りやすいと思うよ。
こういう設定だからこういう名前のキャラって思えるから。名前だけでイメージしやすいしね。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 小説の空想のキャラの名前を考えてください

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

トップページへ

▼書き込みの検索

▼投稿者の検索

質問、相談をする!
コメントは4500文字以内。
返信通知設定(必要なければ外してください)

「私はロボットではありません」にチェックを入れてください。

ページの先頭へ

小説の書き方Q&A:創作相談掲示板の使い方・利用規約(必ずお読みください)。お問い合わせ