ご回答ありがとうございます。
・とあるヒロイン(親友)が主人公のことを誤解します(そのせいで主人公を殺したいと思うようになる)。主人公はそのことに対して「誤解は一生解けない(諦めている)」と思い込んでいます。物語の中でとあるヒロインが主人公と会話することで、主人公は「絶対に誤解を解いてやる」という気持ちに変わります。
これは成長と言えますか?
そのような内面の変化も成長と言えます。
その結果、誤解が解ければ尚良しといえるでしょう。
またまた来ました、バカモンです。女性主人公に関する質問への丁寧な回答、ありがとうございました!
で……ツリーにおける下読み経験者さんと他の質問者さんとのやり取りを読ませて頂きながら、更に疑問に感じた事を幾つか質問させて頂きます。
●質問1
>視点人物と地の文が乖離している
これってそんなにダメな事ですかね?「視点人物をカメラの焦点と割り切り、真の視点保持者であるカメラの解説として地の文を書く」書き方もアリだと思うのですが。
個人的な話ですが、僕は一人称寄り三人称ってどうもダメなんですよね。『薔薇のマリア』とか凄く読みにくいと感じました(作品に対する批判ではありません。単に相性の問題です)
●質問2
>必要なのは成長と呼ぶに相応しい変化です。
>主人公が物語りを通して何も変わっていないのは不味いです。
>主人公の成長は入れたほうが良いというものではなく、必須の部類です。
>何かしら成長させられる要素がないか考えてみてください。
これも絶対とは思えないんですよね。よくも悪くも既に完成されている主人公って結構いると思うんですよ。
そういう人物が主人公の物語だと、彼または彼女が世界を変えていく様子を描く(世界を変えると言ってもこれは必ずしも世直しを意味する訳ではなく、「Aさんは主人公に助けられました」「Bさんは主人公に殺されました」と言う風に主人公が作品内の状況をよくも悪くも変化させていく有り様を描いていくと言う事です)手法もアリなのではないかと思うのですが、どうでしょう?
何だか揚げ足取る様な質問ばかりでごめんなさい。でもやっぱり疑問をそのままにはしておけません(汗)
宜しくお願いします!
【質問1】
例えば東野圭吾などは客観描写が多いためカメラと視点人物の距離が離れているように感じますし、宮部みゆきなどは主観描写が多くカメラと視点人物の距離が非常に近く感じます。
後者は1人称に近い3人称だと言われたりしますが、バカモンさんはそのことを言っているのでしょうか?
もしそのことを言っているのでしたら、また違った問題になってきます。
【質問2】
大沢在昌という作家は「物語の始まりと終わりで主人公がまったく変わらないという小説は、まずない」と書いています。
「主人公に成長のない物語に価値はない」と言い切る人もいます。
それらの意見も絶対ではありませんが、私はこの意見に賛成です。
例えばドラマなどでも、最初から最後まで変わらない主人公というのはいましたでしょうか。
仮にバカモンさんのいうような手法があったとして、それは本当に物語として面白いと受け入れられるものなのでしょうか。
しかしバカモンさんの意見も確かに一理ありますし、貴重な意見だと思いました。
私自身も成長の必要性に関してはもう1度考えてみようと思います。
大沢在昌の言う「変化」とは、成長のことではないと思いますが……
登場人物ひとりひとりにリアリティーを与えることで、物語に厚みをだす
上のページ中を「人のいい草食系の、はっきりしない男の子」でページ内検索して、主人公の変化で読者を感動させることであり」あたりまで読んでください。
今までものをはっきり言わなかった男の子、すぐ人に流されていた男の子が、ある出来事をきっかけに、ひとつのことについてだけ、つまり、ヒロインのことについてだけ、はっきり意見を言い、主体的に生きようとする話が、例としてあげられています。
大沢在昌の言うことには納得できるし、自分もそういう物語を書いてみたいと思いますが、これって、変化ではあっても成長ではないですよね。
このイベント以降、この草食男子がはっきり意見を言う人間になったり、主体的に生きる人間になったりは、しないと思います。
あくまで、ヒロインだけ特別扱いだということです。
それも、必要に迫られて、そうしているだけです。
でも、それだけのことでも、充分に感動できます。
「気の弱いあの男の子が、ヒロインについてだけ、あんなにもはっきりと意見を言った?!」
という『意外性』と『落差』をともなった感動です。
ただ、下読み経験者さんが既に書かれている成長についての書き込みを読んでいると、どうやら、下読み経験者さんの言う「成長」とは、きわめて広い範囲をカバーしているようで……
はっきり言って、非常に混乱させられます。
まるで、「萌え」について書かれた解説のようです。
URLの方はこれから確認しますが、
>今までものをはっきり言わなかった男の子、すぐ人に流されていた男の子が、ある出来事をきっかけに、ひとつのことについてだけ、つまり、ヒロインのことについてだけ、はっきり意見を言い、主体的に生きようとする話
これを成長とは呼ばないのでしょうか?
もし「これは成長ではない」というのでしたら、単に私と夏水さんの間で成長の定義が異なっているだけの話ではないでしょうか。
>「気の弱いあの男の子が、ヒロインについてだけ、あんなにもはっきりと意見を言った?!」
ヒロインについてだけという限定がついているものの、恐らくそれまでは誰についても意見を言えなかったということだと思いますから、誰かについて意見を言えるようになったというのは成長とは言えないでしょうか。
ネットを巡回してれば出てくる情報ばかりな気がします。
一次落ちの文章を晒す、とか本当に下読みじゃなければできないことをして欲しいんです。
私が答えていることがネットを巡回していれば出てくる情報と同じなのであれば、問題ないのではないでしょうか。
まるっきり違ったことを答えていれば問題があるかもしれませんが。
創作論に関しては作家の出す本は参考にしますが、ネットは参考にしたことがありませんよ。
主に自分が楽しみたいが為に書いているので、とても審査の場に出せるモノではないので、この場を借りて聞いてみようかと。
地の文が無いと言われるほどの素人です。
偏屈で頑固な親爺な陸亀です。年寄りは引っ込んでろ! と言われた事も・・・懲りません。懲りたらこちらがツマラナイモノで・・・
専門用語はさっぱり判りません。地の文も言われて初めて知った位です。
文法自体も間違いが多いと指摘を受けます。
日本人ではない、と言われた事も多々あります。生粋の日本人ですが・・・
小学校からやり直せとも・・・勤め先が小学校なので通ってはおります。
では、面白半分な質問で申し訳ないのですが、主人公が極端な年齢の物はやはり弾かれますか?
こちらは自分が書ける物を書いて見た結果、子供主人公のモノしか書けそうもなかったモノで・・・
子供の可愛らしさ全開でしか書けません。
成長すると人気が下がりやがるので・・・実際、半分位にまで下がりました。
結果としてボーイ・ミーツ・ガールではなく、ベイビー・ミーツ・ボーイorガールorレディと言ったモノになりました。
幼い子供のイタズラに振り回される年長者達。
恋の要素はありませんが、親愛の要素だけはふんだんに盛り込みました。
主に子供視点なモノですから、頭が痛いと言われたり、狂ってると言われてしまったりする代物です。
ですが、それでも楽しんで頂ける方も多々見受けられます。
この様な物はありなのでしょうか?
また、そう言った作品を目にする事はありますか?
私は余り目にしなかったりするので、無いのなら自分で書いてしまえとばかりに書かせて貰っています。
己が好奇心を満たす質問ばかり並べて申し訳ありませんが、お応え願えれば幸いかと。
幼い子供は視点人物として書きにくいという問題があります。
これは特に地の文を書くにあたり出てくる難しさですので、地の文をあまり書かないということでしたら気にならなかったのかもしれません。
また、感情の動きなどの描写も難しくなってきます。
しかし小学校に勤務されているということですので、ここの部分は書きやすかったりするのかもしれませんね。
小学生以下が主人公なのであればライトノベルというよりは児童書向きかもしれません。
そちらも見てみてはいかがでしょうか?
●質問1
市販されているラノベでは読みやすくするために漢字をひらがなにしていますが、新人賞でそれをやると減点対象になりますか?
●質問2
ネットに投稿した(ラ研、なろう、アルカディアなど)自分の作品を新人賞に送った場合、ネットに投稿したからという理由で減点対象になったり受賞できなかったりすることはあるのでしょうか?
【質問1】
減点されません。
漢字が続くと読み難くなりますしね。
ただし特定の言葉をひらがなにすると決めたらそれで統一するようにしましょう。
【質問2】
Web投稿については各新人賞の注意事項に記載されていると思いますので、そこを確かめてみてください。
普通は問題ありません。
二回目の質問で申し訳ないのですが、下読み様が個人的に「凄いおもしろい」と思った作品はだいたいどこまで通過できるのでしょうか。
それとも必ず受賞するのでしょうか。
思っていたのと違った方が受賞することなどは結構あります。
ただ、これは流石に受賞出来るだろう、という作品も中にはあり、そのような作品ですと大体何処かしらには引っかかってます。
質問に答える形ですと、私が凄い面白いと思った作品は最終手前から受賞付近までいくことが多いです。
2次で落ちてしまったこともありましたが。