小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

あまくささんの返信一覧。最新の投稿順121ページ目

元記事:カゲプロのパクリをしたい場合の返信の返信の返信

>「総合芸術」と一般の小説とでは表現の方法が違うという事でしょうか。

当然違うでしょう。小説には映像と音がありません。確かに、

>小説は読者の想像力に働きかけている分、できないことはないと考えていて、「疑似的な別メディア」というのは小説内で作られた仮想的な映像や音楽のことです。

小説にそういう効果が有ることに異論はありませんが、仮想は仮想です。
小説の表現は文章しかなく、文章は文字という「記号」のみによって成り立っています。その記号の羅列を読者は脳内でイメージに変換するという作業をしていることを忘れてはいけません。それは文章芸術の弱点でもあり、強みでもあります。受け手の感覚に直接働きかける映像や音楽よりも刺激が弱いのが弱点、しかし受け手の脳に「記号をイメージに変換する」という能動的な作業を強いることによって、むしろ脳を活性化させる効果を持つことが強みなんですね。
その結果、読者が受け取るイメージの広がりが映像や音楽からのそれより勝ることも有り得るという見解に同意はします。しかし時として勝ることがあるとしても、文章表現が映像や音楽と質的に異なるということに変わりはなく、小説に実際の映像や音楽が無いという現実も動きません。

カゲプロは、小説がどう頑張っても仮想的にしか持つことのできない映像と音楽の強みを、最大限に活かそうとしているようにみえます。
そういう表現に対して映像や音楽の「まがい物」で対抗できるとは思えません。それよりも文章表現の本来の特質を最大限に活かすことを模索する方が本筋なのではないでしょうか?

本物のカニが手に入らないからカニカマで代用するよりも、新鮮な鮭でも食べる方が美味しいと思いますよ。

>具体的に言えば、例えば「場所を説明する場面」「キャラクターを説明する場面」……といったように、何らかの基準で場面を分類し、その場面を退屈させないために用意する演出部分に比喩や押印といったギミックを仕掛け、場面ごとに読者に与える(絵的、音的)印象を変えることで、クラス分けされた「場面」をあたかも別個のメディアのように扱うことができるのではないか。

具体的ねえ。
正直なところ、???という感じです。観念的に考えようとしすぎていませんか?
失礼ですが、これでは簡単で抽象的な説明が詳細で抽象的な説明に変わっただけで、少しも具体的ではありません。
スレ主様の理論には敬意を表しますが、実践が弱いのでは? ごくオーソドックスな文章表現のテクニックでも、過去形と現在形の使い分けによって読者に臨場感を与えることができるのをご存じでしょうか? 文章の力で読者に(絵的、音的)印象をヴィヴィッドに与えるためには、映像や音楽の模倣なんか忘れて素直に文章本来の技術についての研鑽をつむ方がずっとマシなんじゃないかと思います。

上記の回答(スタイリッシュな雰囲気)

投稿者 あまくさ : 0 投稿日時:

カゲロウプロジェクトに注目した視点自体は興味深い論点だと思います。なので、もう少し考えてみようかなと。
それと私自身はカゲプロのことをそんなによくは知らないので、ここまではスレ主様の文脈にしたがって意見をいくつか書き込みました。

スレ主様によれば、カゲプロの目的は、

>「中二病なネーミングの超能力者たちに中二なことをやらせる」

であると。しかし、その部分だけでは平凡なので、音楽と映像、及びそれらと物語の統一感によって斬新なオリジナリティを作り出している。

平易に翻訳すると、そういうことを仰っているように思うんですね。
取り合えず、ここまでは合ってます?

それから読むせんさんの意見を拝見すると、ブレア・ウィッチ・プロジェクトなどを引き合いに出しているから、カゲプロの本質はインディペンデント性とメディアミックスにあるとお考えのご様子。
かつ、あの方の文脈では小説だけに留まらずメディアミックスごと模倣(?)するにはどうすればよいかという方向になっています。
スレ主様は小説だけでやりたいと仰っているので、そこは根本的にすれ違っているかもしれません。

私自身はと言うと、創作について考える場合は、まず具体的なコンテンツに注目する方です。理屈っぽい奴だと思われているかもしれませんが、理屈は自分の考えたことを他人に説明する時に必要になるだけで、本来、理論はそれほど重視していないんです。
で、カゲプロをコンテンツとしてみた場合、素朴な解釈かもしれませんが、まずは「ボカロ」という印象が強いです。しかし短い曲にもストーリー性があるのも事実だし、断片をつなげて大きな物語(世界観)を作っているような感じもします。そして小説版があり、マンガ版があり、アニメもあると。
小説・マンガ・アニメは一つのまとまった商品である必要があるので、インディペンデントでメディアミックスなカゲプロが野生の植物としたら、剪定して盆栽みたいに仕上げてしまっているところはありますね。

この掲示板でときどき話題になる「三幕構成」って、ぶっちゃけ見栄えのよい盆栽の作り方と言っても過言ではありません。
別に私は盆栽を推奨したいわけではありませんが、プロを目指して公募に挑戦というような目的があるなら効率の良いツールだとは思うんですね。時代の最先端としてのメディアミックスなインディペンデント性なんて、見てる分には面白いし、できるのであればやるのも面白いでしょうが、つかみどころがなさすぎてとてもじゃないけど商品にはなりません。

でですね。
何を目指すのも人それぞれ。自由なわけですが、小説だけでやりたいという方向性は盆栽型だと思います。あ、盆栽型を批判しているわけじゃないですよ。

で、映像・音楽にしてもインディペンデント性にしても、単体の小説で直接使うことはできません。しかしストーリーだけを抽出すると平凡になってしまうなら、有効なのはそこに、「何となく時代の最先端っぽいスタイリッシュな雰囲気」をまぶすことではないかと。
アニメ版のカゲプロは、そういうのが上手いんじゃないかと思ったりします。
盆栽……と言うか、生け花ではなくフラワーアレンジメントと呼んでみただけ、みたいな。

カテゴリー : 創作論・評論 スレッド: カゲプロのパクリをしたい場合

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元記事:スタイリッシュな雰囲気

カゲロウプロジェクトに注目した視点自体は興味深い論点だと思います。なので、もう少し考えてみようかなと。
それと私自身はカゲプロのことをそんなによくは知らないので、ここまではスレ主様の文脈にしたがって意見をいくつか書き込みました。

スレ主様によれば、カゲプロの目的は、

>「中二病なネーミングの超能力者たちに中二なことをやらせる」

であると。しかし、その部分だけでは平凡なので、音楽と映像、及びそれらと物語の統一感によって斬新なオリジナリティを作り出している。

平易に翻訳すると、そういうことを仰っているように思うんですね。
取り合えず、ここまでは合ってます?

それから読むせんさんの意見を拝見すると、ブレア・ウィッチ・プロジェクトなどを引き合いに出しているから、カゲプロの本質はインディペンデント性とメディアミックスにあるとお考えのご様子。
かつ、あの方の文脈では小説だけに留まらずメディアミックスごと模倣(?)するにはどうすればよいかという方向になっています。
スレ主様は小説だけでやりたいと仰っているので、そこは根本的にすれ違っているかもしれません。

私自身はと言うと、創作について考える場合は、まず具体的なコンテンツに注目する方です。理屈っぽい奴だと思われているかもしれませんが、理屈は自分の考えたことを他人に説明する時に必要になるだけで、本来、理論はそれほど重視していないんです。
で、カゲプロをコンテンツとしてみた場合、素朴な解釈かもしれませんが、まずは「ボカロ」という印象が強いです。しかし短い曲にもストーリー性があるのも事実だし、断片をつなげて大きな物語(世界観)を作っているような感じもします。そして小説版があり、マンガ版があり、アニメもあると。
小説・マンガ・アニメは一つのまとまった商品である必要があるので、インディペンデントでメディアミックスなカゲプロが野生の植物としたら、剪定して盆栽みたいに仕上げてしまっているところはありますね。

この掲示板でときどき話題になる「三幕構成」って、ぶっちゃけ見栄えのよい盆栽の作り方と言っても過言ではありません。
別に私は盆栽を推奨したいわけではありませんが、プロを目指して公募に挑戦というような目的があるなら効率の良いツールだとは思うんですね。時代の最先端としてのメディアミックスなインディペンデント性なんて、見てる分には面白いし、できるのであればやるのも面白いでしょうが、つかみどころがなさすぎてとてもじゃないけど商品にはなりません。

でですね。
何を目指すのも人それぞれ。自由なわけですが、小説だけでやりたいという方向性は盆栽型だと思います。あ、盆栽型を批判しているわけじゃないですよ。

で、映像・音楽にしてもインディペンデント性にしても、単体の小説で直接使うことはできません。しかしストーリーだけを抽出すると平凡になってしまうなら、有効なのはそこに、「何となく時代の最先端っぽいスタイリッシュな雰囲気」をまぶすことではないかと。
アニメ版のカゲプロは、そういうのが上手いんじゃないかと思ったりします。
盆栽……と言うか、生け花ではなくフラワーアレンジメントと呼んでみただけ、みたいな。

上記の回答(アニメ視聴しました)

投稿者 あまくさ : 0 投稿日時:

amazonプライムでアニメ版のメカクシティ、最終話まで視聴してみました。
これ、評判が悪かったという話も聞きますが、私は面白かったですよ。このシナリオなら小説との相性は悪くなさそうですね。メデューサの悲しい想いが歪んだ世界を作り出してしまったという設定は個人的に好きだし、オーソドックスに小説的だと思います。

カテゴリー : 創作論・評論 スレッド: カゲプロのパクリをしたい場合

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元記事:視点主の移動に合わせて情景描写してしまう。結果情景描写が多くなってしまうが、それはいけないことでしょうか?

初めて投稿させて頂きます。ヤーマダと申します。よろしくお願いいたします。

相談はタイトル通りの事なのですが、自分は一つのシーンにおいてあまりに多くの情景描写をしてしまっているように思うのです。例を書いてみます。

「繁華街にAはいた。歩道橋の上で夕日に暮れる街を見下ろし呆然と立ち竦んでいる。
 風に流されて香ってくる食べ物の匂い。聞こえてくる喧騒は、彼がこれまで暮らしていた場所とは比べ物にならないほど鮮烈で僅かばかり怯んでしまう。だがこれから始まる新たな生活を思うと心は次第に昂っていった」

というシーンを書いたあと、何かイベントがあり場所を移動したとします。すると繁華街からは移動しているので、また移動先の描写をしてしいます。多分必要以上に。

「人並みを掻き分け走り続け、繁華街からは遠く離れた住宅街にまでAは来ていた。
 今や辺りには夜の帳が落ちて喧騒は遠のき、人の影は一つもない。ただ無機質な街灯いくつか建ち並び発光を続けているだけだった」

と、このように夕暮れの繁華街のシーンから移動して夜の住宅街のシーン。二つの場所を詳細に書くと冗長にすぎるのでは無いかとおもってしまいます。
どうでしょうか? 一つのシーンで複数の場所に移動してその都度情景描写をするというのは文章がだれてしまいすか? ちなみに即興で書いたので短めになりましたが、二番目の文章での情景描写はいつもだとこの1.5倍になってしまいます。
やはり移動先の描写は少なめの方がいいのでしょうか? ご回答よろしくお願いいたします。

上記の回答(視点主の移動に合わせて情景描写してしまう。結果情景描写が多くなってしまうが、それはいけないことでしょうか?の返信)

投稿者 あまくさ : 1 投稿日時:

何気に上手い描写ですね。

描写を入れるかどうかの判断は、そこに描写が必要かどうかで考えるべきものだと思いますよ。なので、前後の流れや何を伝えたいシーンなのかがわからないと、正確な判断はできません。
例文は即興で書かれたということでたぶん前後は無いのでしょうから何とも言えないところはありますが、素直に読んで特に多すぎるとも冗長とも感じられず、むしろこのくらいは書いてほしいと思いました。

>一つのシーンで複数の場所に移動してその都度情景描写をするというのは

そもそも、繁華街のシーンで何かイベントがあって別の場所に移動したのなら、それはもう一つのシーンではありません。二つ以上のシーンということになります。それが一つの流れとして繋がりがあるのならシークエンスと言います。
まあ用語はさておき、場所も変わり情景も変わったのなら、その都度描写するのはむしろ基本かと。移動しても大して情景が違わないなら省略した方がいい場合もあるでしょうが。

例文では、最初の描写でAがこれまで暮らしていた場所との違いに驚いていて、その印象が移動先でまた変化したことが叙述されています。ただの客観的な情景描写ではなく、Aの心情の移り変わりも表現されていたから、上手いと感じたんです。

スレ主様も「場所を移動した。何か描写しなくちゃ」ではなく、ひょっとすると無意識なのかもしれませんが、移動した場所が「どんな風景なのだろう?」と興味を感じて自然に描写したくなるのではないでしょうか?
そういう気持ちをキャラクターも共有し、読者も共有してくれることが期待できます。

それと、小説にはアニメと違って絵がありません。アニメだったらキャラクターが行動する場所の風景はすべて絵によって直接見ることができますよね?
しかし文章だけの小説はそういうわけにはいかず、キャラクターが見たものを描写することによって初めて読者も(脳内で)見ることができるのです。
だからキャラクターが移動しながら感じたことを軸にして適度な描写を入れるのは、とても良い方法だと考えています。読者がキャラクターに感情移入しやすく、心理描写にもなり、作品内の空気感を自然に受け取ってもらえるという、一石三鳥になります。

まあ、実際問題としてはやりすぎると冗長になってしまうことも有るでしょうから、コントロールは必要だとは思います。
例文の場合で言えば、Aの心情の移り変わりを示すという意味はあるにしても二回目の描写は一回目を受けての続きのような文章になっているので、繁華街と住宅地の雰囲気の違い自体にそれほど意味がないなら、二回目の方はさらっとした方がいいかもしれません。
ただしストーリーの流れによっては、繁華街から離れた住宅地の暗く閑散とした風景の印象が後の展開に続く伏線にでもなっていて、繁華街の賑やかな描写をそれを引き立てるための前振りにするという演出も有り得ます。その場合は二回目の描写の方を強く読者に印象付ける書き方が求められるかと。

そういったことを作戦的に考慮して、取捨選択するといいんじゃないかと思います。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 視点主の移動に合わせて情景描写してしまう。結果情景描写が多くなってしまうが、それはいけないことでしょうか?

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元記事:何故そのキャラクターがそういう行動をしているのか。それは全て説明しないといけないでしょうか?

 
質問はタイトルの通りです。
キャラクターが例えば変な行動をしていたとします。客観的に見れば何故そんな行動をしているか分かりません。地の文に記載していないので。それはいけないでしょうか?
 
例えばAという主人公が変わった行動をしていたとします。それは恐らく読者視点では何故そうしているのか分からないことです。地の文に説明がないので。
しかしBというキャラがいたとして、彼はAが何をしようとしているか理解しているとします。ただ地の文が三人称一元視点で書いているのでBの心情描写は表情やセリフでしか表現できません。Bは表情でAの行う行動に対しての表現はしますがセリフでは思わせぶりなことを言うだけです。
結果として、
 「Aという主人公が何かしようとしている」
 「読者には何をしようとしているか分からない」
 「しかしBの表情の描写や思わせ振りなセリフから何かをしようとしていることが伺える(たとえばBの表情が喜びなら良いこと、悲しみなら悪いこと)というように」

そうしてAがしようとしていたことが後々に解決されるならばこの様に最初は行動原理が分からないように書くのはありでしょうか? そんな感じで書いてみたのですが、何か読む方の視線を置いてきぼりにしているような気がして。
どうかご意見宜しくお願いいたします。

上記の回答(何故そのキャラクターがそういう行動をしているのか。それは全て説明しないといけないでしょうか?の返信)

投稿者 あまくさ : 1 投稿日時:

基本的にはあり。しかし、読者のための何らかの「道しるべ」は意識した方がいい。
端的に言えば、こんなところかと思います。

Aの行動が多少意味不明であっても、理由が後で知らされるのであれば、意味不明そのものは問題ありません。むしろ、読者に興味を抱かせるためには謎を仕込むのが有力と言われるくらいですから。

ただまずいのは、物語そのものがどこへ向かっているのか、読者が見失ってしまうことなんですね。
読者にしてみれば、ある程度は理解しながら先へ先へと進みたいということは有るだろうと思います。
Aは主人公なので、エンタメの場合、Aの行動はストーリーそのものという形になります。そこが分かりにくいなと感じさせてしまうと、読者は読む意欲を失いかねません。

なので解決策としては、Aの一つの行動は理解不能でも、最終目的がはっきりしていて、そこを目指してストーリーが進んでいるという大筋は崩さないことかと。
読者が大筋をしっかりつかんでいれば、Aの一つの行動が多少それに矛盾してみえても「きっと、何か理由があるんだろう」と勝手に想像してくれるから大丈夫だと思います。
不安があるならば、適当にフラグを立てて補強してやります。
仰っているように、

>「しかしBの表情の描写や思わせ振りなセリフから何かをしようとしていることが伺える(たとえばBの表情が喜びなら良いこと、悲しみなら悪いこと)というように」

これでいいんじゃないですか? 要は主人公はブレていないようだと読者を安心させてあげればいいだけなので、どうブレていないかまで具体的に説明する必要はありません。

そう考えると、OKだけれど、いくつか前提はあるということかなと。

1)ストーリーの大筋はしっかりと読者に理解させている必要がある。

2)Bの表情などで補強する場合は、暗示的でもいいけれど大筋と一致することを意識する。

あと、Aの行動の不可解さが比較的小さいか、わりとすぐに理由が明かされる場合は以上の処理でノープロブレムだと思いますが。
読者に大きな疑問を与えてしまい、それがストーリーのずっと先にならないと解明されないというようなことなら、それもやり方次第でまったく無しではないと思いますが、注意は必要かと。

エヴァンゲリオンは、あれほどの名作であっても謎が多すぎるのがマイナスになっているきらいが無きにしも非ずです。
あの作品はすでに評価が定まって絶大な支持を確保しているので、大きすぎる謎が逆に魅力になっているという幸福な事例です。
普通は通用しないと考えて、安易なマネはしない方がいいと個人的には愚考します。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 何故そのキャラクターがそういう行動をしているのか。それは全て説明しないといけないでしょうか?

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元記事:何故そのキャラクターがそういう行動をしているのか。それは全て説明しないといけないでしょうか?の返信

基本的にはあり。しかし、読者のための何らかの「道しるべ」は意識した方がいい。
端的に言えば、こんなところかと思います。

Aの行動が多少意味不明であっても、理由が後で知らされるのであれば、意味不明そのものは問題ありません。むしろ、読者に興味を抱かせるためには謎を仕込むのが有力と言われるくらいですから。

ただまずいのは、物語そのものがどこへ向かっているのか、読者が見失ってしまうことなんですね。
読者にしてみれば、ある程度は理解しながら先へ先へと進みたいということは有るだろうと思います。
Aは主人公なので、エンタメの場合、Aの行動はストーリーそのものという形になります。そこが分かりにくいなと感じさせてしまうと、読者は読む意欲を失いかねません。

なので解決策としては、Aの一つの行動は理解不能でも、最終目的がはっきりしていて、そこを目指してストーリーが進んでいるという大筋は崩さないことかと。
読者が大筋をしっかりつかんでいれば、Aの一つの行動が多少それに矛盾してみえても「きっと、何か理由があるんだろう」と勝手に想像してくれるから大丈夫だと思います。
不安があるならば、適当にフラグを立てて補強してやります。
仰っているように、

>「しかしBの表情の描写や思わせ振りなセリフから何かをしようとしていることが伺える(たとえばBの表情が喜びなら良いこと、悲しみなら悪いこと)というように」

これでいいんじゃないですか? 要は主人公はブレていないようだと読者を安心させてあげればいいだけなので、どうブレていないかまで具体的に説明する必要はありません。

そう考えると、OKだけれど、いくつか前提はあるということかなと。

1)ストーリーの大筋はしっかりと読者に理解させている必要がある。

2)Bの表情などで補強する場合は、暗示的でもいいけれど大筋と一致することを意識する。

あと、Aの行動の不可解さが比較的小さいか、わりとすぐに理由が明かされる場合は以上の処理でノープロブレムだと思いますが。
読者に大きな疑問を与えてしまい、それがストーリーのずっと先にならないと解明されないというようなことなら、それもやり方次第でまったく無しではないと思いますが、注意は必要かと。

エヴァンゲリオンは、あれほどの名作であっても謎が多すぎるのがマイナスになっているきらいが無きにしも非ずです。
あの作品はすでに評価が定まって絶大な支持を確保しているので、大きすぎる謎が逆に魅力になっているという幸福な事例です。
普通は通用しないと考えて、安易なマネはしない方がいいと個人的には愚考します。

上記の回答(追記)

投稿者 あまくさ : 0 投稿日時:

そもそも、どんな狙いがあってわざわざ主人公に不可解な行動をとらせるのかが問題ですが。
普通は真意がわかった時のサプライズを狙っているということになると思いますが。そのへんはきっちり考えられているでしょうか?

ちなみに、アメリカのエンタメ作家はそういうところから読者に揺さぶりをかけるのを好む傾向があるみたいですね。国民性の違いか伏線やドンデン返しのテクニックが明らかに日本人より巧い感じなので、参考になるかもしれません。
主人公の言動にしても、あれっと思わせる技をけっこう多用する作者がいますよ。ちょっとした会話の中にも、もう少し大きなストーリー展開の中にも、隙あらばと入れてきます。

そういう場合、明かされた時の納得感が大切。そもそも「ああ、そういうことだったのか」という効果を読者に与えるために仕掛けることなので、ちゃんとした狙いもないのに用いるのは避けた方がいいとは思います。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 何故そのキャラクターがそういう行動をしているのか。それは全て説明しないといけないでしょうか?

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元記事:原作レイプの被害を受けました

どうも皆さま、お久しぶりです。マリン・Oと申します。
まず本題に入る前に一言断っておかなければいけないことがありますが、本日の私はいささか精神が荒れています。
そのため知らず知らずのうちに皆様を不快にさせてしまう物言いをしてしまうかもしれません。
その際には遠慮なくお叱りの言葉を下さい。

前置きが長くなりましたが本題に入ります。
先日立てさせて頂きましたスレッド「プロットの作り直しについて」への書き込みでどうしても許せない書き込みがありました

その書き込みでは私が先日皆様に掲示したキャラクターが無残なほどに改悪されて書かれていたのです。
特に改悪が凄まじかったのはライバル役のベアトリクスでした。
そのプロットでのベアトリクスはどこを取っても短所しかないキャラクターにされてしまいました。
人目をはばからず自暴自棄になる、追加された弟子にはただただ高圧的、挙句の果てには人道に反する振る舞いをする。
皆さまはこのようなキャラクターに魅力を感じるでしょうか?少なくとも私は一片も感じませんでした。
ただ悪辣なだけで印象の良い長所が一つも書かれていないからです。
普通こんなものを原作者の許諾を得ずに作るでしょうか?

正直に言って、素人の同人活動の範疇で原作レイプの被害に遭うなんて思ってもいなかったです。
私はこの勝手な解釈を許せません。我が子同然の思い入れで作っているキャラクターをこんな無残な形に改変されたら誰でも怒って当然だと思います。
その後なぜこのような解釈をしたのか考案者に説明を求めたのですが、納得できる回答は得られませんでした。

皆様はこのような被害を受けたらどう対処されるのでしょうか?
どうか怒りと憔悴でボロボロになった私に立ち直る力を下さい。

上記の回答(原作レイプの被害を受けましたの返信)

投稿者 ヘキサ : 2

……いろいろ思うところあってカナ表記にすることにしましたhexa改めヘキサです。いや自分でもたまに打ち間違えたり半角英字変換めんどいなとか思ってたのに、わざわざ皆さんにもそう呼ばせてるのが申し訳なく思ったりしまして。

で、その、スレタイトルの件はおおむね落ち着いたのかなーというところで、カミングアウトします。
実は、前のスレッドでは、私はtさんの意見にイイネ!を入れておりまして、私は回答の必要なしと思って見送るつもりでした。理由は、マリンさんの前作の問題点を短く言い切っておられたので、そこに集中してほしいと思っていたからです。

で、様子を見ていたらそこをスルーして他の方の意見に反応していたので「ここたぶん落ち着いてもらわんとそっちに目を向けてもらえそうにないわー……」と思っての雑談入れーのであんな感じになりまして。

やり取りしながらマリンさんのストライクゾーンの狭さはなかなか厳しいな、と思っていたのですが、これはある意味当たり前で、マリンさんが影響を強く受けているジャンプ黄金期の作品ってのは、漫画史上、最も恐ろしい激戦地帯だったからなんです。作家たちがアンケート人気投票で生き残るためにあらゆる手段を駆使し、影響し合いされ合っていたそうです。

なので、今回たまたまストライクゾーンに入りそうな前例を掘り起こしてみましたが(厳密には遊戯王はジャンプ黄金期から外れた作品ですが、黄金期の主人公レギュラー4~5人より少ない3人でメインキャラが構成されている、かつTVシリーズでこの「基本の3人」が初代のオマージュが入りつつ微妙なバリエーションがあって「微調整」の参考になると思ったので、そういう意図がありました)……こういう答えを毎回求めないでね! あと、これに届かない案が他の人から出ても変に思わないでくださいね。ジャンプ黄金期とか、特撮ヒーローものってのは、日本における王道熱血ジャンルの「最高峰」なんです。このランクのアイディアがそうそう簡単に出るとは思わないでくださいね。

……で、話を戻しまして。うまく動いてくれそうなキャラが用意できたと思ったら、tさんの仰る「背景」をしっかり考えましょう。短い指摘だからって、その方がいい加減に考えてるってわけじゃないんですよ。この板で返信は強制ではありませんが、苦手な分野から目を背けるような振る舞いをしてしまうのは損ですよ。

カテゴリー : その他 スレッド: 原作レイプの被害を受けました

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投稿日時:

元記事:面識もない読者に作者の人生経験の有無や生の実感まで透視するような物言いをされないためには

「君の名は。」の作者の人が池袋ウエストゲートパークの作者の人に「作者は楽しい恋愛を高校時代にしたことがないからこんな作品作るんだろ」という批評をされたことがあるらしいですが、このように面識もない読者に作者の人生経験の有無や生の実感まで透視するような物言いをされないためには何を気をつけたらいいんでしょうか?
「この作品の作者は○○で××な素晴らしい人生を送ってるから、こんな素晴らしい作品が描けるんだな」みたいに褒める方向なら間違った推測だろうと言われてもいいですが、「この作品の作者は○○で××なしょうもない人生を送ってるから、こんなしょうもない作品を描くんだな」みたいな貶す方向なら間違った推測だろうと言われるのは我慢なりません。
原始人や宇宙人や妖怪と言った現代の一般人とはかけ離れた存在を主人公に据えれば、こんなこと言われないんですかね?

上記の回答(面識もない読者に作者の人生経験の有無や生の実感まで透視するような物言いをされないためにはの返信)

投稿者 手塚満 : 2

結論から言えば「そんなことを避けるな」です。赤の他人の読者が(作品を読んでくれたうえで)作者をこき下ろすのを避ける工夫なんてやり出したら、作品がつまらなくなるだけです。そんな無難を求めたら面白さが消えます。

大事なのは「作品を楽しんでくれる/好きになってくれる/感動してくれる人」です。そちらを大事にすべきです。楽しんでくれた感想をもとに、もっと作品を尖らせてもいい。その結果、作品を楽しんでくれた人と別の傾向を持つ人に嫌われても仕方ないのです。

1.好きと嫌いは表裏一体

ある作品を好きな人がいるなら、嫌いな人もいるのは必然です。作品を嫌いだ、不快だと思ったら、その原因を作者に求める人が出るのも必然だと思ったほうがいいでしょう。かつ、作者を知らないからこそ(普通、分かるわけない)想像でモノを言うのも必然です。作中のキャラを実在するかのように想像して読めるのが読者ですから、作者だって想像できてしまうのです(たとえ当たってないとしても)。

作者まで貶されるのが我慢ならないなら、書くのをやめたほうがいい。少なくとも発表すべきではありません。嫌われないなら好かれない。毒にならないなら薬にもならない。

2.たった一人の読者ですら好き嫌いが揺れるもの

そのことは複数の読者ごとの差異だけではなく、たった一人の読者の心中にすら生じます。当たり前ですよね。たとえば主人公が嬉しくなる結末にするとします。最初から最後まで主人公が嬉し気だったら、読者は「主人公はラストで嬉しいんだな」と思いません。単なる定常運転でしかない。

ですので、下げを入れますよね。例えば「嬉しい」という結果を得るための試練が入ります。主人公が意中の人と最後に結ばれるとして、主人公告白しました、ヒロインは即座にOK出しました、では感動できる物語になりません。親同士が対立してるとか、主人公がヒロインから誤解されてるとか、ヒロインには親が勝手に決めた婚約者がいるとか、そういう難関を設けるのが普通です。

その困難を乗り越えるからこそのカタルシスであり、それは困難を乗り越えるまでの期待に支えられています。しかし難関を突破するまでは不快であるわけですよね。不快だからこそ快の結果との落差を作り出せる。楽あれば苦あり、と言いますが、快感の大きさは快不快の落差が大きさな面があります。

ある読者がその作品に感動したとして、おそらくラストの印象ゆえでしょう。しかし読者は常に変化します。別の気分のときに作品を思い出し(あるいは読み返し)、快のための不快の部分の印象が強くなったら、「嫌い」という感情を呼び起こされる可能性は多々あります。「あのときは好きだったけど、今となっては嫌い」というのはよくあることです。しかし、その逆もある。嫌っていたけど、そうでもないと思い、逆にハマるというのもよくあることです。

3.好きになってくれる人優先、嫌いな人は放置

ましてや複数の読者です。いろんな気分で読んで、いろんな反応が出るのは必然であり、作者が制御できるものではないし、制御しようとしてもいけないのです。多数の赤の他人であり、その個々人ですら時々刻々気分が変化しているのですから。

ですので、嫌われることを避ける徒労はいけないわけです。嫌われない工夫をしたら、好きになってくれる読者を逃がしますし、いったん嫌いと思った読者に好きと思ってもらえるチャンスも逃がします。

4.作者まで事実無根に貶すのは理由がある

ただ作者まで貶すのは嫌というのも分からなくはありません。しかし受け入れるべきです。「嫌い」という感情はやっかいなもので、不快ですから何とか解消したくなる。「ある作品が嫌い」となったとき、その作品内だけで解決できることは稀です。だって、作品が不満だから嫌いなんであり、解消法が作品内に見いだせるなら、嫌いになんかならないわけですから。

ですので、どうしても読者は「嫌い」を理由づけるのを作品外に求めてしまう。最も直接的なのは作者ですね。作者の感情、思考を表したのが作品ですから当然です。しかも、読者は作品の不満から作者を想像するわけです。そりゃこき下ろしたくなる人格、性分を想像するに決まっています。なにせストレス解消であるわけですから、悪役をやっつけたい気分になってるわけです。

5.罵倒は無視、できないなら筆を折るべき

作者として不本意ではあるでしょう。事実無根の悪口なら反論したくなるし、反論してもいいでしょう。しかし作品で予防しては駄目です。繰り返しですが、嫌いになった人の裏返しで好きな人がいるから。嫌いな人を納得させようとするのは、好きになる人への裏切りです。作者にまで及ぶ悪口雑言が出たら、それだけ刺さる作品が書けたということです。

それで納得すべきです。それでも、どうしても作者にまで悪口を言われるのが我慢ならないなら、繰り返しですが物語を書くのを避けることです。でも、それって読者に作者までこき下ろされるより嫌なことではないですか?

カテゴリー : その他 スレッド: 面識もない読者に作者の人生経験の有無や生の実感まで透視するような物言いをされないためには

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投稿日時:

元記事:名前について

カテゴリーがあっているかも分からないけれど、どうも。飴井凛です。
私には悩みがあります。
「名前」についてです。
名前を聞けば「あーあいつね」となる方もいるのでは無いでしょうか。
神崎菊
柴村果汁
柚木要
柚木仮名
簪椿
神木果音
神木京都
始音千尋
そして、飴井凛。
急に何?と思った方もいましょう。これは全て私が今まで使ってきた名前です。改名厨です。新しい名前をつけて、数日経つとその名前に嫌悪感を抱きます。「うわぁ、誰にも読んでもらえない小説家のなまえだぁ。」とか、「うわぁ、どうせ思考おかしいんだろうなぁ。」とか自分の短所を名前に詰め込んでしまいます。どうしたら、飴井凛のままでいられるでしょうか。嫌悪感に振り回される私が悪いのですが、振り回されないように何をすれば良いでしょうか?

上記の回答(名前についての返信)

投稿者 ふんどし幼女 : 0

本名使え。
嫌ならイニシャルとかでいい。
絶対に不動のものを使えば早々改名するようなことにはなんねぇよ。

カテゴリー : その他 スレッド: 名前について

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