小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

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元記事:主人公が得た力を無意味にしたくないです

バトル系の作品で、主人公は物語を進めるうちに強くなります。
強くなる形は新しい能力が主流です。
スピード特化の能力、パワー特化の能力を手にすることで色んな敵に対抗できます。

そして、そういった主人公はすべての能力を併せ持つ最強フォームというものを手に入れます。
スピードもパワーも今までの形態を凌駕する最強の力です。

この力を手にしたら、以前の形態になる必要はなく、それらはお払い箱になります。

仮面ライダーではそういうことが多いです。

最強の力を手に入れても、以前の力を使うのに納得のいく理由を付ける方法はあるのでしょうか。

すぐに思いついたのが、最強フォームは負担が大きいというものです。

他にもなにかあればご意見をお聞かせください。お願いします。

上記の回答(主人公が得た力を無意味にしたくないですの返信)

投稿者 にわとり : 0 投稿日時:

 そんな、"伝説の聖剣を手に入れるとひのきの棒の用途がなくなってしまうのが勿体ないです"みたいなこと言われても、ひのきの棒に執着し過ぎなんじゃないかとしか……。
 そんな状況であえてひのきの棒を使わなければいけない状況があるとするならば、
1.伝説の聖剣は厳密にはひのきの棒の上位互換ではない。
2.伝説の聖剣が何らかの理由で使用不可能になっている。
 このどちらかですね。2.伝説の剣とひのきの棒を選べる状況で、1.伝説の剣のほうが使い勝手がよかったら伝説の剣を使う以外の選択肢はありえないので。

 1.の具体例としてはまず、あなたが挙げた『最強フォームは負担が大きい』がありますね。つまり最強フォームのほうが通常フォームに比べてコスパで劣るということですよね。他にも、時間制限があるとか扱いが難しいとか攻撃は強いけど防御が弱いとかいくらでもバリエーションが考えられます。ようするに、勝負の切り札になりうるから最強と呼ばれているけど実質的には最強でもなんでもなくて適切な場面で適切に活用しないと普通に弱い、みたいなやつ。
 あるいは物語の展開次第では、敵の最強フォーム対策が完成していて、意表をついて通常フォームをつかっていくしか活路がないとか。これも特定の敵に対しては通常フォームが有効という意味で、最強フォームが常に上位互換ではなかった、というパターンですね。

 2.はたとえば今後もっと重要な局面で使うために最強フォームを温存しておかなければならないとか、最強フォームを別の仲間に貸していて自分は使えないとか、最強フォームをなんらかの別用途で現在使用中なので余裕がないとか、故障なり敵の攻撃の影響なりコンディションの問題なりで最強フォームが単純に発動できないとかが考えられます。これもまあ展開次第でしょう。

 どっちかっていうと質問を読んで気になったのが、
>強くなる形は新しい能力が主流です。
 これ、どうなんですかね。表面的にみていかばたしかにそういう物語は多いのだけれど、そういう単純な理解でいいのかな……。杞憂ならばいいのだけれど、主人公の成長物語を"能力を手に入れる物語"と読み替えているんだとしたら気をつけたほうがいいと思う。大半の読者が求めているのは多分それじゃないと思うから。
 余計なことを書いたかもしれない。気に触ったのならば申し訳ない。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 主人公が得た力を無意味にしたくないです

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元記事:タイトル詐欺にならないか?

最近、「悪役令嬢」というものがブームだと聞きました。(ちょっぴり情報網が周回遅れなので、もしかしたら過ぎたブームなのかもしれませんが…)
そろそろどこかの小説サイトに投稿しようかな、と考えているお話があるのですが、その作品のヒロインになかなかぴったりな表現に思えました。「他人の悲鳴が大好きなお姫様」という自分の趣味をヒロインに当てはめれば、ガンガン書き進められると思っているからです。とりあえず目的は長編完結。今まで二次エロ短編ばかり書いていたので、そろそろ長いお話をまとめる経験も必要かな、と。
で、この加虐趣味の女の子をヒロイン(not主人公、not転生)に据えた場合、タイトルに「悪役令嬢」の単語を入れるのはどうなのだろう?と不安になりました。
さくっと調べて見たら、ネット上の「悪役令嬢もの」は基本的に異世界転生の要素があるらしいです。つまり、ネットに「悪役令嬢」をタイトルに入れた作品を投げた場合、作品の中身に異世界転生が必須になるのでは? タイトルを見て「おっ異世界転生した悪役令嬢が奮闘する話だな」と思われると、端的に言って困るのです。転生じゃないし、主人公でもないので。需要と供給の不一致は誰も幸せになりません。
なんだかんだでブームならタイトルに入れて多くの人の目に止まりたいし、ヒロインの設定的にも「悪役の」「令嬢」であることは確かなのですが、果たしてこの単語にスコッパーの方々は何を期待してやってくるのでしょうか? もし異世界転生要素含むものでないとマズイ場合、何か一般的で一目で理解できる言いかえはないでしょうか?(すっかり単語の語感でイメージが固まってしまって、満足な言いかえが思い浮かびません)
あと、「これさえ読めば、あなたも今日から悪役令嬢!」とすら言えるような金字塔的作品がありましたら、後学のためにご教示ください。よろしくお願いします。

上記の回答(タイトル詐欺にならないか?の返信)

投稿者 にわとり : 0 投稿日時:

悪役令嬢ものにはあまり詳しくないのであれなんですが、ニコニコ大百科の記事( https://dic.nicovideo.jp/a/%E6%82%AA%E5%BD%B9%E4%BB%A4%E5%AC%A2 )やピクシブ百科事典の記事( https://dic.pixiv.net/a/%E6%82%AA%E5%BD%B9%E4%BB%A4%E5%AC%A2 )を読むかぎり、悪人というよりも悪"役"になってしまうというところが物語的な肝なんじゃないかなという気がする。ただの悪人ならそこらへんにごろごろしてるけど、悪"役"になりたくてなる人間なんて普通はいないわけで、そのへんの生きづらさが主題のひとつなんじゃないかという印象。かならずしも『正当性の主張』じゃなくて、本質は生きづらさなのでは……? うん、そんな感じがする。以上、ジャンルにたいして素人なので全部印象論です。

カテゴリー : 著作権・オリジナリティ スレッド: タイトル詐欺にならないか?

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元記事:戦闘シーンについて

私は今書いている小説の中で戦闘シーンがあるのですが、自分の書いた文章がどうにもテンポの悪い文章に思えてなりません。
描写も単調で同じような表現ばかりになってしまっているような気がします。
そこで是非とも参考にしたいので、戦闘シーンの描写が素晴らしい作品を教えていただけないでしょうか?
世界観はファンタジー物で剣や魔法での白熱する戦闘シーンがある作品だとありがたいです。
よろしくおねがいします。

上記の回答(戦闘シーンについての返信)

投稿者 にわとり : 1 投稿日時:

 剣と魔法ファンタジー、全然読まないんだよな……。ファンタジーじゃなくていいのなら、結城充考『躯体上の翼』、月村了衛『機龍警察』、秋山瑞人『おれはミサイル』。個人的にテンポがいい戦闘シーンと言われて思い浮かぶのはこの3つ。どれもSFだけど、SF的なガジェットを魔法に置き換えれば割とそのまま応用がきくんじゃないかと思う。
 テンポがいい戦闘シーンって動きよりも心理描写が優れていると思うんですよね。動きを描写しているだけなのに、動きの背後にある意図とか、一瞬の感情の動きが同時に過不足なく伝わってくるっていうか。心理描写をそれと意識させることなくどれだけ盛り込めるかが勝負なんじゃないかという気がする。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 戦闘シーンについて

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元記事:社会派小説のネタ募集!ネタ探ししているそこの君!僕とディスカッションしよう!(あざらしさんが勧めてくださったレオンが発端のスレです)

 以前の僕の質問を見返すと、社会派小説の観点に立って話しているな、という自覚を覚えました。
 それならば、
 【現代文明における成人の儀の話】と、
 【核家族社会の黒歴史】や
 【理性や思考だけを育てる『頭脳教育』の是非】、
 あるいは、【家族形態の多様性について】や、
 【人間関係のオリジナライズ(固有種化)を促せる社会の実現】などの話題は、僕にとって至上命題であると思い立ちました。

 どうも、壱番合戦 仁です。ただいま、あざらしさんが勧めてくださった映画に感化されて、過集中状態です。
 これから、一つ一つ丁寧に解説していきますね。各議題に分けて投稿しますよ!これから僕の持論に対して、皆様の意見を募りたいと存じます。レッツ、ディスカッション!

 壱、【現代文明における成人の儀】

 以前、『人類文化史上において、書き手が紡ぐ物語が視聴者や読者にとって、奇しくも成人の儀の代わりとして機能している』という記述を、ある学術書にて見かけたことがあります。

 個人的には、今もなお、小説を始めとしたとした物語が、僕たち人類の心を育み続けている、とは思います。
 とはいえ、その機能は完全とは言えないでしょう。現状の社会を顧みても、ニートのオタクたちに《行きて帰りし物語》の系譜に属する本を読ませても、おそらく成長はしないでしょう。人によるとは思いますが、効果は非常に薄いと言わざるを得ません。なぜならば、《自分事としては捉えていない》からです。

 当たり前のことですが、多くの場合において、小説にせよ映画にせよ、『この本を購入したあなたは劇中の人物が起こした他人事を覗き見る立場に置かれます』、という不文律のもとに読者は存在します。
 これでは、成長することはおろか、娯楽作品の域を出ません。(エンタメ小説家のための場なのに、申し訳ない)

 少々脱線します。
 『新世界より』著/貴志祐介の漫画版のエンディングの様な手法をとることはできます。今までHEで語られた物語の主人公が、「どうせコイツ架空の人物だろ……。ケッ、ツマンネ」と高をくくっていた邪かつ健全なる感覚を持った読者たちに、「千年後のあなたへ」と告げて微笑みます。その言葉の裏に、物語そのものの重みを全部込めて読者に贈るのです。その発想力と鮮やかな手並みに僕は感嘆しました。一瞬、彼女が神の向こうの世界から話しかけてくれたのだ、と泣きそうになりました。
 でも、すぐに夢は覚めます。僕は、その本を一度閉じて、表紙を見返しました。
 なんてことはありません。【表紙に映し出された彼らは、最も本人たちにとって栄光ある姿のまま時を止め、命を得ることはありません】。
 僕は、強い悲しみを覚えました。嗚呼、物語に恋することのなんと虚しいこととか!
 だからこそ、誤解を恐れずに申し上げれば、娯楽の観点から言っても、《自分のためだけに作られた世界に行って、自分を主人公として生を謳歌し、峻厳なる試練を乗り越えて、その世界を去る》という体験を、生身で実感できる媒体を作ることができれば、物語はもっと面白くなる可能性を秘めています。
 この日本に限らず、皆誰もが『自らに精神的成長をもたらすかりそめの世界』を求めていると、愚考します。
 『事実は小説よりも奇なり』ということわざの裏には、「ある一面においては、現実は小説よりも奇妙さに優れている」=「小説並みの出来事は起きうるのだ(だから現実を悲観することはない。きっと楽しいはず)」→「でも、ぶっちゃけいうと、今年の年末休暇は俺tueee系のラノベ世界でバカンスしてェわぁ……ムナシィ」という願望が見え隠れしていると思います。(うがった解釈であることは自覚しています)

 では、これらの課題を現代技術で賄うとすれば、何があげられるか。
 今現在、可能性があるとすれば、古今東西の魔術の科学的実証や霊体の分析計測を通して『本物の異界』を探求するか。(その応用で世界創造の技術が開発されればめっけもん)
 もしくはフルダイブ技術、もしくはその代わりとなるVR技術を開発するか。
 いずれにしても、実現性自体は否定できませんが、将来の話とするしか冷静な見方がありません。

 僕だって、ここではないどこかを旅して成長したいし(異世界行きたい!)、一定の筋書きに沿ってスムーズかつドラマチックに凱旋したらかっこいいのに、と妄想しますよ。
 誰でも一度は物語を夢見ることはあると思います。
 前述のうちに『行きて帰りし物語』は、成人の儀の代わりだ、と申し上げました。
 この際です。出来るかどうかは別として、こう考えてはいかがでしょうか?
 「代わりなんて使わずに、本当に成人の儀をしちゃえ!ついでに社会制度もそれに合わせて変えた方がいいよな」と。

 皆さんなら、今の現代社会に成人の儀(または試練)は必要だと思いますか?
 もし必要なら、どんな試練を受けたいですか?また、自身の要望を別にした場合、社会全体から見てどんな成人の儀が必要だと思いますか?

 補足解説。

 我々人類は、「人間」というよくわからないものを演じてきました。
 ですが、「我々は、何という名前の生き物だったのでしょう?」

 思わず、「人間」と答えてしまった、そこのあなた。そう、それこそが社会にゆがみをもたらす元凶だと僕は考察しています。
 我々は、自然環境に適合するために道具や文化の発明を通して、「人の世」という、自然の摂理から引き離された隔離世界を作りました。そうしているうちに、自分が生き物、あるいは動物であることを誰もが忘れてしまいました。
 生物図鑑に自らを「ヒト」と記しつつも、サルに分類される自らを「万物の霊長の類」としてしまったり、絵図に書いたヒトに下着を履かせたりすることが、人が自分を動物だと思っている何よりの証拠です。

 断言しましょう。動物よりも偉いとされた「人間」は、『ヒト』という生物の在り方に立ち返って、あらゆる生命と対等になるべきです。その方がよほど健全だし、少なくとも僕はそういう立場をとります。
 僕は人間の尊性を過信してはいけないと思います。

 皆さんも、人生を生きていて一回は、自分の本能を抑えつけたことがあったかと思います。あなたが男性で、異性を目の前にしたことがあるなら、なおさら、覚えがあるでしょう。
 「そうした欲求を持つことは健全」とされているにもかかわらず、社会正義や世論、および小説を含むメディアは本能に関する事柄に対して強い嫌悪を表現します。
 いかにも食欲や性欲、自己承認欲求丸出しのキャラクターは、敵役の性格について語るとき、もはやテンプレートにすらなっています。

 ですが、ここで一度考えてください。
 「欲求を持つこと自体は健全と認めるのに、何で「お花を摘みに行っていいですか?」とわざわざ遠回しに聞いてから野糞するがごとく、人に隠れてこそこそさっさと済ませなきゃいけないの?」と。

 ヒトは、たくさんの必要不可欠で根源的な欲求をその遺伝子に刻んでいます。
 
 「気持ちいい」と感じることは罪なのでしょうか?
 本来、快感と幸福は不可分一体であったはずです。

 僕は、多くの「極端に【人間】になりすぎて、病気をこじらせた人たち」に出会ってきましたが、「禁欲しすぎたから壊れた」という方々は結構いらっしゃいました。
 キメたことがある人もいたし、イッている人もいたし、ミエテいる人もいました。
 あくまでも僕の主観ですが、彼らは非常に「人間」でした。少なくとも「ヒトらしさ」は見受けられませんでした。

 これを踏まえて考えても、おかしいですよね。
 僕らは、ご飯をたくさんおいしく食べている友達を前にして「獣みたい」と罵った、というたとえ話を聴かされても、「言い過ぎだ」とは思っても、「間違っている」とはなかなか言い出せません。

 セフレを何人も持っているけど、誰にも迷惑はかけていない。そんな幸福なチャラ男を前にして、「お前はケダモノか」とかいっても、それほど違和感はありません。
 でもよくよく考えてみたら、それはとても恐ろしいことだと思います。

 皆さんはどう思いますか?

上記の回答(社会派小説のネタ募集!ネタ探ししているそこの君!僕とディスカッションしよう!(あざらしさんが勧めてくださったレオンが発端のスレです)の返信)

投稿者 にわとり : 1 投稿日時:

 通報するとか剣呑なことを言ってるレスのおかげでスレが浮上して存在に気づけたわ。これは感謝すべきなんだろうか。こういうの、いいと思う。半年に一回くらいならあってもいい。

>おそよ英雄的ならざる人間しか描こうとしない小説というものは、もっぱら人間の卑しい部分、弱い部分、女々しい部分、小児的な部分に訴えるもの、つまりは精神的婦女子の読物だといわざるをえないのです。(三島由紀夫)

 作家志望、とくにエンタメ作家志望はさ、もっと自虐を大切にしたほうがいいと思うんだ。社会不適合者が社会不適合者に妄想を売っているのが文学で、われわれはそういうイカれた数寄者にみずからなりたがっているクズ中のクズだという自覚。この感覚が共有できなければ何言っても虚しい。自分たちは小説というものに心惹かれてしまっている時点でゴミクズだ。これだけは忘れないようにしたい。選民思想に囚われた読書家や創作者ほど鼻持ちならない人種はいないからね。あれにだけはなりたくない。

 スレチという意見もあるだろうけど、あくまで創作やってる人らの意見が知りたいということであれば、こういうスレもあっていいと個人的には思う。創作相談掲示板はすべからく技術論をやるべしっていうのも、それはそれで一つのイデオロギーでしかないだろうし。アプローチのしかたはもっと自由でいい。変な質問したところで受け入れられなければ回答がつかなくて淘汰されるだけのこと。
 とはいえ事実ベースの議論やアカデミックな話がしたいということであればまじでこの板でやるべきことじゃないし、早くどっか行けって話。ここにいる人達は議題について半可通ではあるかもしれないけれど専門家ではないし、それっぽいことは言えても本当のところは誰も分からない、何も保証できないというのが大前提。それでいいならレッツ・ディスカッションもありなんじゃね? お互いに相手の言うことを真に受けすぎないようにやっていきましょう。
 ……あ、最後にいちおう念押ししておきますが、これはあくまでにわとり個人の意見です。これで許されたと思って今後似たようなスレを乱発した場合、あなたは普通に通報されてこの板から消されることになろうかと思います。でも、たとえそうなったとしても自分は関知しないし責任も取らないからそこのところはよろしく。

>あざらしさんが勧めてくださった映画に感化されて、過集中状態です。

 レオン名作だよね(さっき過去スレ遡って読んだ)。マチルダとジャン・レノの関係性がひとことでは表せない多層的なところがすごく好き。というか映像のスタイリッシュさがもうすでに好き。刑事役のゲイリー・オールドマンがフィフス・エレメントでもまた良い悪役を演じているので、機会があったらぜひ観てほしい。あれも少女とおっさん(=ブルース・ウィリス)が力を合わせて巨悪に立ち向かう話。そういう意味ではレオンに似てるかも。ゲイリー・オールドマンがバカみたいな髪型してるのにちゃんとラスボスとしての存在感があってかっこいいのをしっかり観てほしい。ゲイリー・オールドマン好きなんだ……(ただのファン)。

>壱、【現代文明における成人の儀】

 壱弐参肆みたいにとりあえず大字つかってみましたみたいなのダサくね?(個人の感想です)。人によってはこういうの好きなのかもだけれど。ひとのHNにあれこれいうべきじゃないのは重々承知だけど、あくまで個人的な好みとしては壱番より一番が好きだな。カレー屋じゃないんだから。

>この日本に限らず、皆誰もが『自らに精神的成長をもたらすかりそめの世界』を求めていると、愚考します。

 うっそでしょ? 多くの人々が望んでいるのは精神的停滞を許してくれる物語だよ。われわれは物語で成長したくなんかない。そんなお説教はいらない。そういうのは道徳の教科書だけで十分だ。反吐が出る。
 われわれは物語で成長なんてできない。できるのは物語に耽溺して成長から目をそらすことだけだ。フィクションの過剰摂取は人間を腐らせる。幼少期の情操教育にはいいかもしれないが、それはいずれ卒業しなければいけないものだ。長じてなおフィクションの魔法から抜け出せない人種は立派な中毒者だよ。われわれはみんな病人だ。病人なのに下手に文学をかじっているせいで弁が立つのが他者からみたら余計に憎らしいのだけれどね。われわれは言葉を扱えるだけのクズだ。あるいは言葉を扱えると思いこんでいるだけのクズだ。これ大事。忘れちゃいけない。

>『事実は小説よりも奇なり』ということわざ

 これはさ、小説ではフラグがないと「超展開乙w」ってバカにされるけど現実にはそれがあるんだよって話でしかないと思う。現実世界、明確なストーリーラインがないのがきつい。ストーリーラインってすべてが終わったあとから過去を回想したときに初めて形式的に現れるもので、リアルタイムでは原理的に感知しようがないからね。
 いままさにあなたがここでスレを立ててこういうレスを貰ってるのがあなたの人生において何の意味を持つのか、今この瞬間にはわからないでしょ。怖いね。そういうことだよ。
 うがった解釈なんていらない。現実ははじめから底なしに怖い。

>今現在、可能性があるとすれば、古今東西の魔術の科学的実証や霊体の分析計測を通して『本物の異界』を探求するか。(その応用で世界創造の技術が開発されればめっけもん)
>もしくはフルダイブ技術、もしくはその代わりとなるVR技術を開発するか。

 結局小説を諦めてるじゃん。活字の力を信じてないじゃん。
 活字という媒体の限界を感じてなおラ研にいる理由is何? 楽だから? 他ジャンルに比べて創作が楽だからなのか?
 まあいずれにしても自分としては物語にそこまでの"力"が与えられるべきだとは思わないな。自分は小心者だからそんな強大な力の責任は負いたくない。自分が作ったフィクションで人間を洗脳したいっていうエゴはわからなくもないのだけれど、それを本気で実現しようとするなら作家じゃなくて政治家になってください……こっちに変な迷惑はかけないでください……っていうのが正直なところ。いずれにしても人間の精神的成長を定義して促すということになればそれはもう政治の話でしかないわけだし。

 っていうか精神的に成熟した理想の大人、みたいな人間観を打ち立てた瞬間そこから真っ先に振り落とされるのはあなたみたいな障害者じゃないのかよ(んでその次は小説家と小説家志望ね。まっとうな大人だけの世界に芸術なんて不要だから)。
 なんでそういう出自でありながら体制側を利するようなことをぬけぬけと言えるのか理解に苦しむ。自分より程度がひどい障害者を売って名誉健常者になりたいの? そうじゃないよね? 成人の儀って成人になれなかったゴミクズを差別してもすでに大人の皆さんの良心が痛まないようにするための制度だよ? そんなものに加担するの? 障害者であることを隠すわけでもなくアイデンティティの一部にしているあなたが?
 ……疑問が尽きない。ちょっとおせっかいかも知れないけれどあなたはもっと健常者の小狡いところを疑ったほうがいいんじゃないかという気がする。奴ら(まあ自分も含めてだけど)はなんも責任取る気ないよ。何が起こっているのか知る気すらないよ。全部自分たちとは関係ない世界の出来事だと思ってる。よかったね。許せるの? 腹たたない? 殺してやりたいって思わない?

>皆さんなら、今の現代社会に成人の儀(または試練)は必要だと思いますか?

 上で書いた通り。まああってお自分は困らないけど、それは障害者を始めとする社会に適合しきれない人間を文字通り抹殺するようなものになるだろうね。とくにあなたみたいな人間はまっさきに排除されるだろう。それでも成人の儀が必要だと思いますか? 自分はね、たとえ健常者の側だったとしてもそんな残酷な仕組みを待望するほど落ちぶれたくはないな。これでも人権という理念を信じているんだ。

>断言しましょう。動物よりも偉いとされた「人間」は、『ヒト』という生物の在り方に立ち返って、あらゆる生命と対等になるべきです。

 動物倫理を本気でやるならピーター・シンガーの『動物の解放』は必読。ついでに胎児の権利(とくの欧米のプロライフ、プロチョイス派の論争)とか植物状態の人間のもつ権利について調べると、人間至上主義の暗黒面が見えてきますよ。おすすめです。
 近代社会は人間が合理的に思考することを暗黙の前提にしすぎたと個人的には思う。人間、そんな高尚な生き物じゃなくて不合理な異常行動ばっかりしている。そのなかでもとくに社会の周縁部にいてまともな行動ができない障害者や老人や胎児や犯罪者や病人がいて、いつも彼/彼女らから切り捨てられていく。創作者という人種もどちらかといえば炭鉱のカナリアみたいなものだろう。これからも空気を読んで死なないように気をつけて生き抜いていきましょう。

>「そうした欲求を持つことは健全」とされているにもかかわらず、社会正義や世論、および小説を含むメディアは本能に関する事柄に対して強い嫌悪を表現します。

 これは単純に欲求を持つことと欲求を表出することの違いを区別してないだけじゃね? 万民の万民による闘争を良しとしないのであれば自然法は必須でしょ。ある種のタブーはまさに自然の摂理から要請されたもののように思うけれど。
 人間が人間らしく生きるっていうのはいくつかの虚構を内面にインストールするってことにほかならないと思います。紙幣や電子マネーをただの紙屑や磁気情報ではないとみんなで信じることによってお金が使えるようになる。愛や友情という実態のない文化的構築物を本物だと信じることによって人間関係が成立する。紙についたインクの染みに音や意味を割りふって共有することによって物語を共有することができる。そういうバカみたいな嘘を何億人規模で大真面目にやっていくことによって"ほんとう"にしてしまうことこそが人間に固有の能力、人間らしさの本質なんじゃないでしょうか。

カテゴリー : 創作論・評論 スレッド: 社会派小説のネタ募集!ネタ探ししているそこの君!僕とディスカッションしよう!(あざらしさんが勧めてくださったレオンが発端のスレです)

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 通報するとか剣呑なことを言ってるレスのおかげでスレが浮上して存在に気づけたわ。これは感謝すべきなんだろうか。こういうの、いいと思う。半年に一回くらいならあってもいい。

>おそよ英雄的ならざる人間しか描こうとしない小説というものは、もっぱら人間の卑しい部分、弱い部分、女々しい部分、小児的な部分に訴えるもの、つまりは精神的婦女子の読物だといわざるをえないのです。(三島由紀夫)

 作家志望、とくにエンタメ作家志望はさ、もっと自虐を大切にしたほうがいいと思うんだ。社会不適合者が社会不適合者に妄想を売っているのが文学で、われわれはそういうイカれた数寄者にみずからなりたがっているクズ中のクズだという自覚。この感覚が共有できなければ何言っても虚しい。自分たちは小説というものに心惹かれてしまっている時点でゴミクズだ。これだけは忘れないようにしたい。選民思想に囚われた読書家や創作者ほど鼻持ちならない人種はいないからね。あれにだけはなりたくない。

 スレチという意見もあるだろうけど、あくまで創作やってる人らの意見が知りたいということであれば、こういうスレもあっていいと個人的には思う。創作相談掲示板はすべからく技術論をやるべしっていうのも、それはそれで一つのイデオロギーでしかないだろうし。アプローチのしかたはもっと自由でいい。変な質問したところで受け入れられなければ回答がつかなくて淘汰されるだけのこと。
 とはいえ事実ベースの議論やアカデミックな話がしたいということであればまじでこの板でやるべきことじゃないし、早くどっか行けって話。ここにいる人達は議題について半可通ではあるかもしれないけれど専門家ではないし、それっぽいことは言えても本当のところは誰も分からない、何も保証できないというのが大前提。それでいいならレッツ・ディスカッションもありなんじゃね? お互いに相手の言うことを真に受けすぎないようにやっていきましょう。
 ……あ、最後にいちおう念押ししておきますが、これはあくまでにわとり個人の意見です。これで許されたと思って今後似たようなスレを乱発した場合、あなたは普通に通報されてこの板から消されることになろうかと思います。でも、たとえそうなったとしても自分は関知しないし責任も取らないからそこのところはよろしく。

>あざらしさんが勧めてくださった映画に感化されて、過集中状態です。

 レオン名作だよね(さっき過去スレ遡って読んだ)。マチルダとジャン・レノの関係性がひとことでは表せない多層的なところがすごく好き。というか映像のスタイリッシュさがもうすでに好き。刑事役のゲイリー・オールドマンがフィフス・エレメントでもまた良い悪役を演じているので、機会があったらぜひ観てほしい。あれも少女とおっさん(=ブルース・ウィリス)が力を合わせて巨悪に立ち向かう話。そういう意味ではレオンに似てるかも。ゲイリー・オールドマンがバカみたいな髪型してるのにちゃんとラスボスとしての存在感があってかっこいいのをしっかり観てほしい。ゲイリー・オールドマン好きなんだ……(ただのファン)。

>壱、【現代文明における成人の儀】

 壱弐参肆みたいにとりあえず大字つかってみましたみたいなのダサくね?(個人の感想です)。人によってはこういうの好きなのかもだけれど。ひとのHNにあれこれいうべきじゃないのは重々承知だけど、あくまで個人的な好みとしては壱番より一番が好きだな。カレー屋じゃないんだから。

>この日本に限らず、皆誰もが『自らに精神的成長をもたらすかりそめの世界』を求めていると、愚考します。

 うっそでしょ? 多くの人々が望んでいるのは精神的停滞を許してくれる物語だよ。われわれは物語で成長したくなんかない。そんなお説教はいらない。そういうのは道徳の教科書だけで十分だ。反吐が出る。
 われわれは物語で成長なんてできない。できるのは物語に耽溺して成長から目をそらすことだけだ。フィクションの過剰摂取は人間を腐らせる。幼少期の情操教育にはいいかもしれないが、それはいずれ卒業しなければいけないものだ。長じてなおフィクションの魔法から抜け出せない人種は立派な中毒者だよ。われわれはみんな病人だ。病人なのに下手に文学をかじっているせいで弁が立つのが他者からみたら余計に憎らしいのだけれどね。われわれは言葉を扱えるだけのクズだ。あるいは言葉を扱えると思いこんでいるだけのクズだ。これ大事。忘れちゃいけない。

>『事実は小説よりも奇なり』ということわざ

 これはさ、小説ではフラグがないと「超展開乙w」ってバカにされるけど現実にはそれがあるんだよって話でしかないと思う。現実世界、明確なストーリーラインがないのがきつい。ストーリーラインってすべてが終わったあとから過去を回想したときに初めて形式的に現れるもので、リアルタイムでは原理的に感知しようがないからね。
 いままさにあなたがここでスレを立ててこういうレスを貰ってるのがあなたの人生において何の意味を持つのか、今この瞬間にはわからないでしょ。怖いね。そういうことだよ。
 うがった解釈なんていらない。現実ははじめから底なしに怖い。

>今現在、可能性があるとすれば、古今東西の魔術の科学的実証や霊体の分析計測を通して『本物の異界』を探求するか。(その応用で世界創造の技術が開発されればめっけもん)
>もしくはフルダイブ技術、もしくはその代わりとなるVR技術を開発するか。

 結局小説を諦めてるじゃん。活字の力を信じてないじゃん。
 活字という媒体の限界を感じてなおラ研にいる理由is何? 楽だから? 他ジャンルに比べて創作が楽だからなのか?
 まあいずれにしても自分としては物語にそこまでの"力"が与えられるべきだとは思わないな。自分は小心者だからそんな強大な力の責任は負いたくない。自分が作ったフィクションで人間を洗脳したいっていうエゴはわからなくもないのだけれど、それを本気で実現しようとするなら作家じゃなくて政治家になってください……こっちに変な迷惑はかけないでください……っていうのが正直なところ。いずれにしても人間の精神的成長を定義して促すということになればそれはもう政治の話でしかないわけだし。

 っていうか精神的に成熟した理想の大人、みたいな人間観を打ち立てた瞬間そこから真っ先に振り落とされるのはあなたみたいな障害者じゃないのかよ(んでその次は小説家と小説家志望ね。まっとうな大人だけの世界に芸術なんて不要だから)。
 なんでそういう出自でありながら体制側を利するようなことをぬけぬけと言えるのか理解に苦しむ。自分より程度がひどい障害者を売って名誉健常者になりたいの? そうじゃないよね? 成人の儀って成人になれなかったゴミクズを差別してもすでに大人の皆さんの良心が痛まないようにするための制度だよ? そんなものに加担するの? 障害者であることを隠すわけでもなくアイデンティティの一部にしているあなたが?
 ……疑問が尽きない。ちょっとおせっかいかも知れないけれどあなたはもっと健常者の小狡いところを疑ったほうがいいんじゃないかという気がする。奴ら(まあ自分も含めてだけど)はなんも責任取る気ないよ。何が起こっているのか知る気すらないよ。全部自分たちとは関係ない世界の出来事だと思ってる。よかったね。許せるの? 腹たたない? 殺してやりたいって思わない?

>皆さんなら、今の現代社会に成人の儀(または試練)は必要だと思いますか?

 上で書いた通り。まああってお自分は困らないけど、それは障害者を始めとする社会に適合しきれない人間を文字通り抹殺するようなものになるだろうね。とくにあなたみたいな人間はまっさきに排除されるだろう。それでも成人の儀が必要だと思いますか? 自分はね、たとえ健常者の側だったとしてもそんな残酷な仕組みを待望するほど落ちぶれたくはないな。これでも人権という理念を信じているんだ。

>断言しましょう。動物よりも偉いとされた「人間」は、『ヒト』という生物の在り方に立ち返って、あらゆる生命と対等になるべきです。

 動物倫理を本気でやるならピーター・シンガーの『動物の解放』は必読。ついでに胎児の権利(とくの欧米のプロライフ、プロチョイス派の論争)とか植物状態の人間のもつ権利について調べると、人間至上主義の暗黒面が見えてきますよ。おすすめです。
 近代社会は人間が合理的に思考することを暗黙の前提にしすぎたと個人的には思う。人間、そんな高尚な生き物じゃなくて不合理な異常行動ばっかりしている。そのなかでもとくに社会の周縁部にいてまともな行動ができない障害者や老人や胎児や犯罪者や病人がいて、いつも彼/彼女らから切り捨てられていく。創作者という人種もどちらかといえば炭鉱のカナリアみたいなものだろう。これからも空気を読んで死なないように気をつけて生き抜いていきましょう。

>「そうした欲求を持つことは健全」とされているにもかかわらず、社会正義や世論、および小説を含むメディアは本能に関する事柄に対して強い嫌悪を表現します。

 これは単純に欲求を持つことと欲求を表出することの違いを区別してないだけじゃね? 万民の万民による闘争を良しとしないのであれば自然法は必須でしょ。ある種のタブーはまさに自然の摂理から要請されたもののように思うけれど。
 人間が人間らしく生きるっていうのはいくつかの虚構を内面にインストールするってことにほかならないと思います。紙幣や電子マネーをただの紙屑や磁気情報ではないとみんなで信じることによってお金が使えるようになる。愛や友情という実態のない文化的構築物を本物だと信じることによって人間関係が成立する。紙についたインクの染みに音や意味を割りふって共有することによって物語を共有することができる。そういうバカみたいな嘘を何億人規模で大真面目にやっていくことによって"ほんとう"にしてしまうことこそが人間に固有の能力、人間らしさの本質なんじゃないでしょうか。

上記の回答(社会派小説のネタ募集!ネタ探ししているそこの君!僕とディスカッションしよう!(あざらしさんが勧めてくださったレオンが発端のスレです)の返信の返信)

投稿者 にわとり : 0 投稿日時:

>弐、【核家族社会の黒歴史】

>高度経済成長期という時代における資本主義は、【核家族を前提とした社会体制を根本から覆しました】。

 ん? 違くね? 高度経済成長が破壊したのは大家族制でしょ。
 家業を継いで生計を立てていくようなシステムが消滅して、就職したい人々が都会に出稼ぎに行く状況になったから、旧来のイエが分断されて核家族化が進行したんでしょ。資本主義と核家族の相性は知らん。資本家と労働者の相互関係という資本主義の中心的な枠組みには家族とか被扶養者がいないから、家族制度や社会福祉そのものと相性が悪いのかもしれないな。少なくとも教育と介護が家庭の役割になっているのはおかしい。資本主義を徹底するならそういうのは全部資本家が子供や老人への投資として行うべきことのはずだ。

>そうです。「家」という場所は、現代社会において「閉鎖された環境」であり、「ばれなきゃ何をやってもいい」がまかり通ってしまう危うさをはらんでいるのです。

 これはまあ同意。家制度の問題というよりは家制度にプライバシーの概念が掛け算された結果として、家庭が一種の治外法権状態になってしまったと自分は見ているけど。いずれにしても家庭はこの世界で最後の密室になると思う。
 これは根拠のない漠然とした予感なのだけれど、これからの時代、戦争でも起こらないかぎりは家庭を舞台にした物語の比重が増していくんじゃないかな。人の世の不幸にこそ物語の芽はあるわけで。

>「もっと妄想すればいいのに」と。

 ガリヴァー旅行記のリリパットはたしか家制度を諦めてたような。小学生くらいのときに福音館の児童文学のシリーズで読んだうっすらとした記憶なので別の作品と混ざってるかもしれないけど。
 家族、人々がいろんな幻想を投影しすぎているので闇鍋みたいな概念になっているけれど、個人的にはまずもって社会保障の最小単位だと思っている。これより優れていてかつ実現可能性が十分にある社会システムが考案されたなら、もう家族なんていらないや。まあそれが簡単にできるとは思えないけど。

>参、【理性や思考ばかりを育てようとする『頭脳教育』の是非について】

>問題は、「ヒトという生き物を、どこまで【人間】という獣ではない尊いとされる何らかの存在として振舞わせるか?」

 人間なんて所詮、みずからを獣ではないと思いこんでいるだけの滑稽な獣にすぎませんね。ただそれと同時に、人間はみずからを獣ではないと思いこむことによって連帯し、その力を強めてきた歴史があるとも思う。つまり、たとえわれわれが滑稽な獣であったとしても、それを認めたところでわれわれには何のメリットもない。だからいずれにしても人間をやっていくしかないのだと思いますね。
 ただ、ここからはちょっと真面目な話なのですが、人間概念の範囲がある日突然狭まって畜生にされてしまう可能性などが残っているので、なるべく人間というもののレンジを広めにとっておくように意識することは大事かなと思う。ナチスドイツはユダヤ人の前に障害者を虐殺していました。社会の役に立たない連中は人間以下の非国民というわけですね。社会情勢が不安定になったときにこれをされてしまわないようにわれわれは踏ん張っていく必要があります。

>「または当事者として、どこまでヒトらしく生きて、どこまで人間らしく生きるか?」

 社会が"合理的人間"を壱単位として動いているから、社会を講釈していくためには社会規範をインストールして合理的人間をロールプレイングしていかないといかないみたいな、素朴な生存戦略の話でしかないんじゃないの? 社会システムがどうあるべきかみたいな論点はあると思うけれど、個人の側からしたらどこまで行っても"どうやって社会をサバイブするか"でしかないと思う。
 つまり人前では人間らしく、人目につかない場所ではヒトらしく生きるのがよいということになりますね。うん、それ以上でも以下でもないんじゃないかな。

>肆【人間関係のオリジナル化について】

>絆というのは基本的には「人と人」同士、応用的には「人と物」か、「人と獣」あるいは「人と霊」の間に生まれるものですから、実に様々で十人十色です。

 応用的っていうか所詮相手を擬人化してるだけじゃね? と思う。もっというと人と人の絆なんてものも虚妄で、相手が人間のカテゴリに入っているというだけの理由で自分自身の心象を安直に投影してしまう結果として、絆らしきものを錯覚しているにすぎないんじゃないかという疑念がどうしてもある。
 将来的にAIとかロボットとかの技術が進歩して本当に生身の人間と区別がつかなくなったときに、人類は絆なんでものが自分の脳内にしかないことに改めて気づくのかもしれない。もしかしたらそれが『《自分のためだけに作られた世界に行って、自分を主人公として生を謳歌し、峻厳なる試練を乗り越えて、その世界を去る》という体験』(No.1)なのかもしれないな。やっぱそんなフィクションは嫌だよ。『その世界を去る』ってつまり、ぬいぐるみに魂がないことを子供に理解させることに他ならないんじゃないの? たかがフィクションでそんな思いはしたくない。

>「博士が愛した数式」「狼と香辛料」「レオン」「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」
>きわめて際どく、特殊な人間模様を描いたこれらの作品は、いずれもベストセラーの誉れをほしいままにしています。

 特殊な人間関係といえば確かにそうだけれど、結局愛とか恋とか(疑似)家族の絆とか、そういう普遍的な枠組みに落とし込んだのがヒット要因な気がする。結局みんなベタな話を欲しているんだろうなっていう。読者開拓するならフロンティアより地固めじゃないの?
 あと小川洋子はいつもはわりと言葉では簡単に表せない微妙な人間関係を描くタイプの作家なので、博士の愛した数式のあの爆発的な売れ方はもしかしたら本意ではなかったんじゃないかという気がしている。まあ実際のところはわからないけど。

>粘膜王女三世/作「白瀬千春は献身的で平等な性の女神です」という、幻の名作についてです。

 以下のレスを見たら粘膜氏は普通に怖がりそう(笑)。Twitterで芸能人に愛が重いリプを送ってブロックされる人と似た匂いを感じるな。小説の上手さにはいくつかの評価軸があるけど、粘膜氏の文章はなんていうか、積み上げていく上手さじゃなくて場面場面で急に瞬間最大風速がくるみたいな感じだよね。

>「友達でも、今のまま好きでいていいよね……?(性的な意味で)」

 "ステレオタイプな言葉に簡単に要約できてしまうような内容ならわざわざ長編小説に仕立てたりなんかしない"という意味では、大半の表現者が本当はこういうことを書きたいと思っているんじゃないですかね。固有種化とか大層な名前をつけなくても、固有の人間の固有の感情を描いてきたのがそもそも小説というジャンルでしょ。
 ただ、そういう微妙な含みはマスには届きにくいっていうのはあって、それは難しいところだと思う。内容を一行でスパッと説明できる小説がエンタメとして強い、みたいなのは実際問題としてあるわけで。上でも名前が出た博士の愛した数式もたしかに変な人間関係を描いているんだけど、あれ、"シングルマザー家庭に(訳ありではあるが)知的な男を足すことでいろいろ円満になる話"みたいに読まれてない? つまり何がいいたいかというと"両親が揃ってる家庭がいいよねやっぱり"っていう家族観のステレオタイプを逆に強化してない?

>皆さんは、大切な誰かと特殊な、または固有の関係を結ぶなら、どんな関係がいいですか?

 どんな人間関係もそれ自体は固有のものだよ。それを乱暴に言葉でカテゴライズしようとした瞬間に陳腐化するだけのことで。
 
 以上。こんなところでどうですか? トピックはだいたい満遍なく拾ったつもり。何かあれば返信どうぞ。ただ個人的には、創作よりレスのほうが面白いパーソンをみるともったいない気持ちになる。あ、ここでいう"面白い"はあんまり文字通りに受け取らないでほしいんだけど。とにかくこんなとこで遊んでないで、しばらく潜って執筆に集中したほうがいいのでは。
 この間の長編はあまりおもしろいと思えなかったのだけれど、いくつか前のスレの座座座座~のやつは勢いがあってちょっと良かったし、コメントに返信を書くような気持ちで執筆できたらもっと上手くなるのかなーとか横から見てて思った。ではまた。

カテゴリー : 創作論・評論 スレッド: 社会派小説のネタ募集!ネタ探ししているそこの君!僕とディスカッションしよう!(あざらしさんが勧めてくださったレオンが発端のスレです)

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元記事:主人公の弱点などについて質問があります

私は別サイトでこっそりと小説を書いています。
ジャンルは異世界転移ものです。
主人公の設定に関しては善人で天才と言う事にしてるのですが。
多分弱点ないとつまらないんで自分なりに弱点考えてみました。

結論から言うと、弱点として機能してるか教えてほしいです
また、おすすめの弱点も教えて下さい。

では弱点を紹介します。
まず、優しすぎて敵を殺せないです。
それと、ナチュラルに失礼な事を言ってしまう。(一応謝ります)
あと低身長がコンプレックス。
意外と頑固

一応良いところもあげておきます
リーダーシップがある。
天才なので覚えは早い。
優しい。

読みづらかったらごめんなさいm(_ _)m
また来ると思うんでそのときはまたお願いしますね

上記の回答(主人公の弱点などについて質問がありますの返信)

投稿者 あまくさ : 1

>私は別サイトでこっそりと小説を書いています。

こっそりと言わずに堂々と書いてください(笑

で、ご相談の件ですが。
弱点以前の問題として、善人で天才というのは抽象的すぎて、どういうキャラなのかよく分かりません。
後半ではいくつか具体的な特徴が書かれてはいるのですが、依然としてイメージが浮かびにくい感じがするんですね。弱点を付加することに気を取られすぎて、性格の芯の部分を十分に考えていないからではないかと。
なので、弱点よりもまず「個性」を与える方がいいです。

そもそもその主人公は、何の天才なのでしょうか?

>天才なので覚えは早い。

覚えが早いというのは単に「記憶力のよい人」というだけで、天才という感じはしません。
頭が良くそつがない人間を秀才と言います。しかし、そつがないというのは物語の登場人物としては面白くないんですね。まんべんなく優れているのも、逆に言うと突出した部分がないということです。
天才というのは全体としてはバランスが悪く、むらがあり、しかし何か一つのことに関しては強烈な能力があるという感じなんじゃないかと。

それと。
記憶力や頭のよさよりも、好奇心の強さが重要かなと、わりと思います。
何か好きなことがあって、それのことになると周囲がハラハラするほどのめりこむというような部分を作ると、弱点にもなりますよね?
無分別に暴走して罠に飛び込んでしまうような危うさを持つ反面、強烈な強さと突破力も発揮する。
そんな方向で考えてみるといいような気がします。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 主人公の弱点などについて質問があります

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投稿日時:

元記事:バトルのリアリティと見た目の良さを両立するにはどうしたらいいでしょうか?

こんにちは。
竹牟礼と申します。
アニメを見ていていつも思うのですが、 どこのアニメはなぜ「戦闘にリアリティを追求しないんだろう?……、なんか違う」 と違和感を禁じ得ませんでした。
その違和感をヒントに 自分の作品に落とし込んでみたのですが、戦闘について想像以上に執筆は困難を極めました。
僕が現在書いている小説に、重力魔法を使える古流空手家の少年が登場しているのですが、 リアリティを追求しすぎた結果、 見栄えが悪くなってしまったのです。
本来空手というのはちゃんと描写すればそのままでもカッコ良いものだと思うのです。
想像してみてください。
迫り来る人型魔物たちの攻撃を次々に夫婦手(めおとーでぃ)、つまり 引手を使わず両手でスパパァーン!!と捌きまくり、『崩し』を使って薙ぎ倒す姿を。
あらましを語るのは簡単ですが 描写するのは難しいです 。
これもひとえに僕の空手の経験不足による
ボキャブラリー不足 が原因だと思うのですが、どうすれば補えると思いますか?
またアニメを見て「この戦闘シーンはいくらなんでも荒唐無稽すぎるだろ……」と 思った方は 是非ともご意見をお聞かせください。
何卒よろしくお願いします。

上記の回答(バトルのリアリティと見た目の良さを両立するにはどうしたらいいでしょうか?の返信)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 0

 以下、いわゆる「個人研究」です。一般に言われていることと相違があるとは思いますが、「自分なこんな風な考えです」で回答しているもので、予めお詫びしてご了解をお願いします。

1.フィクションにおける嘘

 フィクションについては、リアルとリアリティは(英語の)原義とは異なる意味で用いられることが多いようです。原義だと形容詞リアルの名詞がリアリティですので、本来は意味が大きく異なるはずはない。

 だけど、フィクションについては対立的な概念となっています。不正確になるのは承知で、短く、単純化してみます。以下のような違いがあります。

 リアル:現実
 リアリティ:迫真

 リアルは現実にあるものをそのまま描けばいい。問題はリアリティです。迫真、すなわち「真に迫る」。真=現実と考えてよく、ではなぜ現実に迫る必要があるのか。嘘だからです。嘘を本当にあるかのように思わせることがリアリティとなります。

 嘘については格言的なものをいろいろ目にします。

> 「大きな嘘はついてもいいが、小さな嘘はつくな」が脚本の鉄則。(三宅直子)

> 「驚き」を作り出すときは、「信じられないけれども可能である」ことがらよりも、「ありそうでありながら実際には不可能である」ことがらのほうを選ぶべきである。(アリストテレス)

> 出来すぎだとか嘘だとかそんなバカな話があるわけないだろうと言われるところを、いや、あるんだよ、と見せる手立てが「リアリズム」なんだよ。(笠原和夫)
(この「リアリズム」は、リアリティ(迫真)を成立させる手法、の意味だと思う。)

> 小説は事実ばかりで書くのではなく、嘘を混ぜたほうが、より真実に近いのではないか、と考えます。事実と真実は別のものです。真実の中には半分嘘が混じっているのです。(車谷長吉)

 フィクションでは、信じ難い大嘘をついてしまえ(しかし、つじつま合わせの嘘は見破られるからダメ)、その大嘘をもっともらしく見せろ、だって嘘を交えないと真実と感じられないから。といった感じです。なんと申しますか、フィクションでは大嘘で騙すのが正義、みたいな感じですね。

2.竹牟礼さんが抱いておいでの違和感

 とはいえ、アニメなどでリアリティを感じないことが多くなられたわけですね。私ですと、今時点で放映中のだと「牙狼〈GARO〉 -VANISHING LINE-」は、バトルに凝って作った回限定ですが、大いに満足できる戦闘描写があります。でも、あの戦闘は実際にはあり得ないことも分かります。そう承知していながら、面白がれます(実写の牙狼シリーズも同様)。

 ご質問からしますと、沖縄空手に魅力を感じてお出でのようですね。夫婦手という技(各種技法の複合技にして精髄でもある?)について、仰る内容からどういうアクションかは分からないものの、魅力を感じておられることは伝わってきます。
(余談ですが、よく分からない複合技といえば、以前に「八極拳に伝わるとされる『猛虎硬爬山』ってどんな技?」と思って調べようとしたら、いくつも違う説明があって、結局分からなかったことも。)

 荒唐無稽(大嘘)が真に迫って感じられない理由は、非常に現実的な動きでの格闘技をよくご存じで、良いと感じており、大好きであるから、ではないでしょうか。ですので、格闘戦について、リアルなものが観たいと感じているのかもしれませんね。リアリティ(迫真)の対極のリアル(現実)ですから、アニメなどのリアリティに魅力を感じない、違和感があるのも無理からぬことかもしれません。参考にもならないでしょう。

 しかし、フィクションを作るにあたっては沖縄空手そのものでは相対的に見栄えがしない(他のフィクションでは派手だし、格ゲーでも同様)。そこで、異能をプラスしようとされたのでしょうか。対する敵もリアリティのバランスを取って魔物(人型であるのは格闘戦を成立させるのに必要)。

 ご自身がバトルでお求めなのは、「大嘘からのリアリティ(迫真)ではなく、リアル(現実)がベースである」ことを、きちんと認識するところが出発点になるような気がします。そこに加味する異能と魔物敵については、リアリティを適用するという段取りになりそうです。

 リアルから発想した作品では、かなり古く、中国拳法コミックですが「拳児」(原作:松田隆智、作画:藤原芳秀)があります。全て現実の格闘技法に基づいており、あり得ない技や体術は出て来ません。ボクシングの「はじめの一歩」(森川ジョージ)もリアルベースらしいのですが、未読でよく分かりません。格闘描写がリアルでも、人気が取れる作品はあるわけですね。

 なお、同じボクシングでもさらに古典な名作「あしたのジョー」(原作:梶原一騎、原作、作画:ちばてつや)だと、現実にはあり得ない必殺技が多用され、「リングにかけろ」(車田正美)だともう、人類の戦いじゃない(だからいい、でもある)。夢を見るなら大嘘がやりやすい、ということ以外に、「子供がうっかり真似できない」というメリットもありそうな気がします。すみません、脱線しました。

3.アニメ、コミック、文章で描写できることの違い

・アニメ(実写も同様):アクションをそのものずばりの動きで見せる。
・コミック:アクションの極め部分を止めて見せ、読者がその前後を補完する。
・文章:アクションを説明し、読者が脳内で映像イメージ化する。

 こうなってしまうのは、「絵」の情報量の多さに比べ、文章は圧倒的に情報量が少ないからですね。単語は記号でしかありません。だもんで、言葉から記憶をたどってイメージ化するしかない。かつ、必然的に読者側に知識がないとわけが分からない描写になってしまう。「夫婦手」と書かれても、(夫婦+手、という単語分解からの連想は利かないため)知らなかったら何のイメージも想起できない。

 などと書いていて思い出したのが、「とある魔術の」アニメです。一部の批評では「バトルが舌戦主体、アクション少なめ」でした。確かにそういう面があったかも、と思います。おそらく、原作が文章作品だからなんでしょうね。相手に勝てる理由を説明→その通りになる(順序が逆のこともある)、という流れなわけで、論理と心情を表すのが得意の文章ならではのことだったんだと思います。しかし、絵にしたら、絵が原作で動きの激しい、例えばドラゴンボール等の迫力は出しにくかった。

 まず間違いなく、文章で絵的な見栄えを際立たせようとしても、結局はアニメ、コミックに太刀打ちできないと思います。下手すると、読者視点からは「絵が描けないから、仕方なく文章でやっている」になりかねません。絵的なことは譲歩し、読むのが楽なようにアクションはシンプルに、その代り、戦う/勝つ仕組みと気持ちを織り込んだ描写にする、みたいな方針が必要になると思います。

 しかし、やはり決め技はきちっと描きたい。シンプルな、例えば「正拳中段突き」では物足りない。見栄えする必殺技が欲しい(現実にある、夫婦手でもいい)。特にラストの決着などですね。その場合は、いろいろ方法があると思いますが、例えば「必殺技を習得する過程を描く」があると思います。修行シーンですね。

 技を会得していく描写ですから、自然と技の説明になります。コミックですが、上述の「拳児」でも、そのことがうまく用いられていたように思います(中国拳法を紹介する意図もある作品だからではあるけど)。

 敵に負ける→こういう技があれば勝てるかも→その技はこういうもの→こう修行する、となるわけです。必殺技が強力であることも、自然と描けますね。非常に苦労して習得する描写が入るわけですから。

カテゴリー : ストーリー スレッド: バトルのリアリティと見た目の良さを両立するにはどうしたらいいでしょうか?

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元記事:主人公がいない!

ヒロインはいて、細部まで作りたいと思っているんですが、主人公がいないのです。主人公は、多分男の子になると思うんですが、彼に何をさせたいのか? 何を思わせたいのか? 私自身よく分からないモヤモヤした感じがあって、早く物語の執筆に着手したいんですけど、主人公がいないと書けない状態です。

ヒロイン以外にも、序盤ボス、中盤ボス、ラスボスと敵側の人物は一応作ってて、ヒロインが執着して憧れている存在や、その人の憧れの人、政治家なども一応作れる状態です。でも主人公がいないっていうおかしな状態です。こんな人物を描きたいと思えるキャラはすべて、主人公以外で、他に書きたい個性を思いつけないです。その他大勢は、なんなら適当にでも描けるんですが、主人公となると手が止まってしまいます。やっぱり一番重要なキャラクターですから、変に勢いでは書けなくて。

まず、舞台設定、世界観を説明しますと、超能力のようなものが発生した世界が舞台です。その力によって古い秩序はなくなってしまい、思想信条が理由で日本は三つに分断されます。(外国も無事では済んでません。)そのうちの一つ、比較的自由で資本主義的な「東側」のある学園が最初の舞台です。ヒロインはそこに通う才色兼備な一匹狼のような女の子で、主人公もここの学生という設定にするのが自然だと私の中では思っています。主人公について、そこまでしか決まっておらず、個性や経歴、考え方などは一切構成していません。

上記の回答(主人公がいない!の返信)

投稿者 ヘキサ : 4 人気回答!

絶対に欲しいのは「物語に関わる動機」「ラスボスを倒せる能力」ですかね。
それ以外はいらんくらいですよ。他を犠牲にしてでもこの二つを用意しましょうか。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 主人公がいない!

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