>そして、そういう『人間尺度に合わせて、局面を切り抜くやり方』を俺は傲慢だと批判しているのです。
どうしてさ?(笑
前提が違えば結果も違うんだから、ある尺度に合わせて局面を切り抜くのは当たり前だと思うんだけど。私に言わせれば、そういう考え方をしない方がおかしいと思う。
で、そこでね。
私は「ある尺度に合わせているだけ」と何度も言っています。人間尺度に合わせているわけじゃない。(註1)
こちらがフラットに言っていることに、無意識に価値観を当てはめてませんか?(註2)
(註1)
こういう思考をしているのが人間であるあまくさだから、思考の枠組みが人間の限界を超えられていないという意味なら認めますよ。
しかし、論法として人間基準を良しとはしていません。
(註2)
価値観を排除することがあまくさの価値観だというなら、それも認めます。
個人的には、そういうのは考え方の流儀であって(まあ、多少卑下するならクセと言ってもいいけど)、価値観じゃないと思うけどね。
うーん、『前提が違えば結果も違う』のは当然のことだし、『特定の尺度に合わせて局面を切り抜く』のも当然でしょう。
ですが、『尺度の基準』を人間に合わせてから『人間と動物』を論じるのであれば、論じ方として人間側に偏り過ぎている。
当然だけれど、『人間、或いは動物』のどちら側にも寄せない、つまり『絶対的』な尺度を用意することは限りなく難しいし、出来ない。
これがもし、人間同士の事であるならば、社会規範とか、『理想』と言う大雑把な物を尺度に当てて論ずることは出来るでしょう。
或いは、個人や国家同士の比較において、事態を分かりやすくするために比較対象の片側を基準に持って来ることも理解できます。
ですが、そもそも『人類の社会における善悪』の議論をしている時に
>人間の特徴の一つに社会を作るということがあります。
ミツバチやアリも社会を作る生き物ですが、やつらはたぶん思考も学習もしないで本能だけで社会が作れるのだと思います。
しかし人間にはそれができないので、長い歴史を経て、思考し、経験を重ねながらルールを作りあげてきました。
と仰られれば、『人類の社会を基準にした時の動物の社会の話をしている』『人類の学習や思考を前提に、動物の思考や学習を考えている』ととられかねないとは思いませんか?
そういう意図はなかった、と仰られるのであればそれでも良いのですが、俺にはどうも『人類の善悪の話をしているところに、他の動物の社会性に関する話を抱き込んだ』ように見えた訳です。
その上で、『ある尺度に合わせているだけ』とのことですが、そも人間の話をしているところに動物の話を入れているのですから、俺からすればむしろ『人間尺度で話して居ない方がおかしい』ように見える訳です。
大本のところが、人間の善悪論に帰結するわけですから、『人間の社会に比べて動物の社会はどうか』と言う話にならざるを得ない訳ですし、実際あまくささんもそのような書き方をされています。
ですが、例えばミツバチやアリが社会を作るという話ですが、アレだって厳密に言えば『人間尺度』です。彼らの生活は社会を作るだけが全てではない。
はぐれる事も、巣の移動も、社会同士の対立も、それぞれあります。人間から見て、人間の作る『社会』に似ているから『社会』と呼ぶだけで、人間社会と比較しうる物では無い。
二番目に上げられていた猿の実験の件もそう。
動物行動学ではわりと頻繁に似た実験をするので、あまくささんの知っているソレに携わった猿がどのような成長をした個体かによる影響もうけますし、逆に野生における猿がどういう成長をするかを示す結果でもありません。
あくまで、単純化した状況における学習能力の問題であります。
大体、人間の学習能力の何割かだって、パブロフ的刷り込みに依存している訳で、この実験結果のみをもって人間と猿の思考能力の違いを立証しようとするのは些か性急すぎます。
例えばカラスは自動車を使って木の実を割ることが有ります。これは偶発的な現象ではなく、学習によって習慣化されたものとして、です。バードウォッチャーたちによって、ある程度離れた森林から木の実を運んでくることも確認されています。
一方、狼の実験の方ですが、これ確かヤマネコかハイエナによる群れ同士の抗争の観察結果として、反証に値する――つまり『復讐を避ける/同業他社になりかねない相手を削ぐ目的で、同族殺しを行う』という結果が出ているはずです。
また、狼にあっても、彼らには根本的に『身内同士で喧嘩をしあって、伴侶を決めたり、群れの中での順位を決める』という習慣がある種類も多いため、そもそも『どういう種類の戦闘』であったかの性質によるため、これも『洞察力』の有無を測るテストにはなりません。
人間だって、プロレスや大相撲で相手を殺すまで戦わないでしょう?
そしてここら辺を、俺が『人間の尺度』と呼ぶ部分なんですが、あまくささんの比較実験として出す動物の情報は、凄くピンポイントに過ぎる。
その動物の生態や、社会性、生存環境を無視して、細かな実験結果を人間の社会性・思考能力と比較しているので、『傲慢だ』と言うのです。
注1について。
人間を超えた思考の枠組みを持て、とは言ってません。まず俺はそんなもの持ってないし、俺が持っていない以上、あまくささんが『人間を超えた思考の枠組み』を持っていても、議論にならないでしょう。
そんな難しい事ではなく、もっと単純に『動物を比較対象にするなら、動物の事をもっとよく見てから話して欲しい』という事です。
>こちらがフラットに言っていることに、無意識に価値観を当てはめてませんか?(註2)
『誰の』価値観かにもよりますが。
フラットに物事を語る時、その根底にある価値基準の事を『価値観』と言います。あまくささんが何かを語る時、それを見ている俺は、『あまくささんの価値観』を考えるように意識的に見ています。
何せ、俺とあまくささんの価値観が違う可能性はそこそこ高いですからね。『価値観』の事を考えない訳にはいかないでしょう。
俺が勝手に『俺の価値観』をあまくささんの発言に重ねているんじゃないか、と言う意図でしたら、『そうしないように努力しています』としか言いようがないですね。まあただ、俺が『こう見える』と書いている場合は、明確に価値観を重ねていますよ。
注2について。
俺の言葉で意訳させてもらいますが『価値観や先入観を出来るだけ排除して考える』っていう意味合いの事ですよね?
価値観を排除する、と言うのはすごく難しい事なので、それが出来るんだったら凄いなぁ、としか。
俺はそんなこと出来ないので、『他人の言葉を、自分だったらどう表現するか考えて、バイアスを掛けないように気を付けて翻訳し、自分の価値観で考える』って所かなぁ。
勿論、外側に出力する時は『出来るだけ相手にも通じる価値基準で表現する』努力はしてるけども。
カテゴリー : その他 スレッド: どういう人が嫌いですか?
この書き込みに返信する >>
困ったな。
途中から大野さんの反論が、かなり「反論のための反論」になってしまっていると思う。私の主張はわりと一貫しているはずなのですが、それについては後述します。
(1)
>ですが、『尺度の基準』を人間に合わせてから『人間と動物』を論じるのであれば、論じ方として人間側に偏り過ぎている。
それは当然です。
だって、このスレはもともと人間の話をしていたんでしょう?
私が「人間尺度に合わせているわけではない」と書いたのは、「人間のに都合の良い尺度に頭がとらわれているわけではない(人間が複雑だから動物より優れているとは思っていない)」と言っているだけです。
・人間に都合のいい考え方をする。
・(人間の話をしているのだから)人間を軸にして、議論を進める。
この二つを混同していないでしょうか?
もしくは、この二つをゴッチャにして反論してきているようにみえます。
(2)
>『人類の社会を基準にした時の動物の社会の話をしている』『人類の学習や思考を前提に、動物の思考や学習を考えている』ととられかねないとは思いませんか?
>『人類の社会を基準にした時の動物の社会の話をしている』
これはYES。
>『人類の学習や思考を前提に、動物の思考や学習を考えている』
こちらはNOです。
私は最初から一貫して人間社会の話をしていて、動物を持ち出すときは比較対象として出しているだけです。
だから、『人類の社会を基準にした時の動物の社会の話をしている』のは当然です。あくまで論点は人類社会であって、動物の社会は主題ではないからです。
>『人類の学習や思考を前提に、動物の思考や学習を考えている』
これがなぜNOかと言うと、論旨に即して人間を軸として語ることと、それ以前に私が人間寄りに偏った思考の持ち主であることは違うからです。
>『人類の善悪の話をしているところに、他の動物の社会性に関する話を抱き込んだ』ように見えた訳です。
それのどこがおかしいのですか?
私も一貫して「人類の善悪の話」をしています。繰り返しますが、比較対象として有効だと考えたから他の動物の話を持ち出しただけです。
>大本のところが、人間の善悪論に帰結するわけですから、『人間の社会に比べて動物の社会はどうか』と言う話にならざるを得ない訳ですし、
そうではなく、『動物の社会に比べて人間の社会はどうか』という話をしています。
(3)
まあ、(2)のような議論の混乱は、私の説明がヘタだから生じている面もあるのだろうから、その点については謝罪します。
ただ、流れとしては(1)の齟齬を引きずったままやりとりして、その結果齟齬がまとまらず逆に増幅するような感じになっています。
だから、話をもどしますね。
(4)
人間という動物が、かなり奇妙で不安定な生き物であることは確かだと考えています。
奇妙な点は、
・脳が発達しすぎている。
・本能がこわれているのではないかと見る説がある。
・脳が発達しすぎた結果本能がこわれたのか、本能がこわれているため、それを補うために脳が発達したのかは分からない。
・脳の発達も人間という生物の「自然」であり、「本能」に根ざしているのかもしれないが、他の多くの動物が「本能」の比較的直接的な作用(こう簡単に言ってしまうと語弊があることは承知。しかし、そんなに間違ってはいないと思う)によって自然とやりとりするのに対し、人間はそれとは違う方法を複雑に発達させて自然と対応している。
*こういう部分で、ときどき動物の話を持ち出したわけですが、そちらは論点ではないわけです。まあ、話を分かりやすくするための譬え話に近いものと考えてください。
ただ、人間は特殊で不安定な生物なのではないかという視点で話をしているので、動物の話もある程度せざるを得ないわけで。
・上記のような形で、人間は生物としては特殊な部分を大きく複雑に肥大化させて社会を作っている。
・そのような社会の仕組みやルールは直感だけで体得できるものではないので、人間は20年以上かけてそれを学習しなければならない。
・その学習の体系は別に神が作ったわけではなく、やはり人間という不完全な存在が長い歴史の試行錯誤の果てに何とか作り上げてきたものなので、これ自体がそうとう不完全で欠陥が多い。
・人間はそういうシステムの中で学ばざるを得ないので、一人前になるまでに余分で雑多な情報も大量に受け取ってしまう。
・余分で雑多な情報の受け取り方にも個人差があるので、良くも悪くもそこで人間の個性が形成される。
だから余分で雑多な情報が常に悪いわけではないが、争いやトラブルの原因となることも多い。
・先に「神が作ったシステムではない」と書いたが、いわゆる「神の見えざる手」という仮説がある。事象間の調整がいたるところで起こる結果、全体がしだいに調和に向かうものらしいという仮説です。
・神の見えざる手が働いた結果かどうかは分からないが、現状の社会はトラブルや悲惨なできごとの坩堝である反面、部分的にはそう悪くもないと思える状態を維持してもいるようです。
(5)
で、最初の、「どういう人が嫌いですか?」にもどります。
上記のような人間観でまわりを見ていると、倫理的な理由で誰かを嫌いになることはあまりないんですよ。
むしろ、理由もなく何となく虫が好かない、ということの方が強いです。
言ってしまえばそれだけなのですが、最初の方で「生まれつき悪い人間はいない」と書いたところ理想論としての性善説を述べたと誤解されたフシがあったので、私の基本的な人間観について説明させていただきました。
こんなところで、どうかな?
うーん、俺としては生物学の解釈でもめてるだけのつもりだったんだが、なんか壮大なことになって来たなぁ。
そうですね、俺自身ヒートアップしてしまった感があるのは否めないので、ちょっと時系列を追って整理したいです。お手数ですが、俺視点でまとめるので、『それ違うぞ』って所はツッコんでください。
0 そもそもの発端は、善悪論の中で動物の例え話を出したあまくささんに、『ちょっと横道にそれるけど、違うんじゃない、ソレ?』と俺がウンチクを言い出したところでしたよね?
この時点で俺が言いたかったこととしては、
①そもそも、その例え話に登場する解釈・理解が間違いを含むものである事
②その結果として、例え話を内包している一通りのセンテンスの意味合いが分からなかった事への確認
の二つだったと思います。
1その後、それに対してあまくささんからの返信がありました。
内容としては、
①大野が書いた『人間の本能ってそんなに簡単に表現できるもんじゃないねん』っていうのは、あまくささんが元々のスレで既に書いていた。
②大野の言っている『人間の行動が本能に根ざしていないとは言い切れない・動物の行動は本能の一言で説明しきれない。』と言うのは、理屈としてループしている。言ってることおかしくないか?
③と、他2件ほどの動物ウンチク。
④あまくささんが、『悪という概念自体が大いなる誤謬、科学的に存在しないものだと考えている』と言う話。
⑤善悪論については、『信じざるを得ないから信じているだけ』であり、その事に気付いている物は少数だ。
で、それに対する大野の返信が
①あまくささんの文章の中に『人間は理性的な生き物、動物は本能的な生き物』という感性があるように見えたから、そこまで区別できるものではない、『動物』と言うくくりから、特段人間を抜き出して話すのはおかしいだろう。
②大野としては、『科学』と言うのも人間が世界を見る尺度・物差しに過ぎないから、『科学』をそこまで信頼できると思うのはおかしいと思う。
③(人間と動物では複雑さのレベルが違う、と言う発言を『人間上位』の物と取ったため)『人間だけが一方的に複雑だ』という考えは傲慢に見える
④『科学』や『善と悪』と言うのは、人間がそう信じたいから信じている、一種の宗教のような物だと思う。
その後のあまくささんの返信。
①(『人間だけが一方的に複雑だ』という考えは傲慢じゃないだろうか、と言う発言に対し)あまくささん自身としては、『全ての局面において人間が複雑だ』と言ったつもりはないし、『複雑だから高尚だ』と言っているつもりもない。
対して大野。
①局面を限ったとしても、人間だけが複雑だというのは難しい。それこそ、とても細かい単位まで砕けば比較しうるだろうが、『社会』について論じるのであれば、比較はできないと思うし、すべきでないと思う。
②もし、局面を切り分けて比較をしたというのであれば、その切り分けは人間の尺度によっているように見える。そのやり方が傲慢ではないかと、批判したつもりだ。
③『複雑であることが高尚ではない』とあまくささんが思っていることは理解した。
その次のあまくささんの返信。
①前提が違えば結果も違うんだから、ある尺度に合わせて局面を切り抜くのは当たり前だと思う。
②何度も言っているが、『ある尺度に合わせているだけ』。
③むしろ大野が、自分の価値基準を当て嵌めて考えて、あまくささんの発言を曲解しているんではないか。一度冷静になった方が良いのではないか。
その次の大野
①『前提が違えば結果も違うんだから、ある尺度に合わせて局面を切り抜くのは当たり前だと思う』と言うのはもちろん当たり前であるが、それでもあまくささんの表現は人間尺度によっているように見える。
②と言うかむしろ、『人間や動物を超越した絶対的な評価基準』を用意できないのだから、根本的に『人間の尺度』によらない評価をするのは無理だろう。
③だが、(大野には動物を比較対象に持ち込むのは無理があるように見えるので)やはり動物を議論に入れたのは間違いだったと思う。
④その上で、人間の話をしているところに無理やり他の動物の話を入れた訳であるから、文脈的にはむしろ『人間を基準とした話』でなければ通じないであろう。だから、そういう前提で聞いていた。
⑤あまくささんの例え話は動物学・行動学的にすごく一部の物だけを抜き出したものに過ぎない、よってそれを人間の社会や学習などと比較するという事が、『人間基準の尺度』であろう。
⑥(あまくささんの発言に対し)そもそも、人間が「価値観」という物から脱するのは、凄く難しいと思う。その上で、『出来るだけ自分の価値観を省いて話すためにどうしているか』って話。
と言う感じに見ていたんだけど、あってますか?
その上で、『いったん話を戻してみます』の返信はまた別に書かせていただきます。
カテゴリー : その他 スレッド: どういう人が嫌いですか?
この書き込みに返信する >>
困ったな。
途中から大野さんの反論が、かなり「反論のための反論」になってしまっていると思う。私の主張はわりと一貫しているはずなのですが、それについては後述します。
(1)
>ですが、『尺度の基準』を人間に合わせてから『人間と動物』を論じるのであれば、論じ方として人間側に偏り過ぎている。
それは当然です。
だって、このスレはもともと人間の話をしていたんでしょう?
私が「人間尺度に合わせているわけではない」と書いたのは、「人間のに都合の良い尺度に頭がとらわれているわけではない(人間が複雑だから動物より優れているとは思っていない)」と言っているだけです。
・人間に都合のいい考え方をする。
・(人間の話をしているのだから)人間を軸にして、議論を進める。
この二つを混同していないでしょうか?
もしくは、この二つをゴッチャにして反論してきているようにみえます。
(2)
>『人類の社会を基準にした時の動物の社会の話をしている』『人類の学習や思考を前提に、動物の思考や学習を考えている』ととられかねないとは思いませんか?
>『人類の社会を基準にした時の動物の社会の話をしている』
これはYES。
>『人類の学習や思考を前提に、動物の思考や学習を考えている』
こちらはNOです。
私は最初から一貫して人間社会の話をしていて、動物を持ち出すときは比較対象として出しているだけです。
だから、『人類の社会を基準にした時の動物の社会の話をしている』のは当然です。あくまで論点は人類社会であって、動物の社会は主題ではないからです。
>『人類の学習や思考を前提に、動物の思考や学習を考えている』
これがなぜNOかと言うと、論旨に即して人間を軸として語ることと、それ以前に私が人間寄りに偏った思考の持ち主であることは違うからです。
>『人類の善悪の話をしているところに、他の動物の社会性に関する話を抱き込んだ』ように見えた訳です。
それのどこがおかしいのですか?
私も一貫して「人類の善悪の話」をしています。繰り返しますが、比較対象として有効だと考えたから他の動物の話を持ち出しただけです。
>大本のところが、人間の善悪論に帰結するわけですから、『人間の社会に比べて動物の社会はどうか』と言う話にならざるを得ない訳ですし、
そうではなく、『動物の社会に比べて人間の社会はどうか』という話をしています。
(3)
まあ、(2)のような議論の混乱は、私の説明がヘタだから生じている面もあるのだろうから、その点については謝罪します。
ただ、流れとしては(1)の齟齬を引きずったままやりとりして、その結果齟齬がまとまらず逆に増幅するような感じになっています。
だから、話をもどしますね。
(4)
人間という動物が、かなり奇妙で不安定な生き物であることは確かだと考えています。
奇妙な点は、
・脳が発達しすぎている。
・本能がこわれているのではないかと見る説がある。
・脳が発達しすぎた結果本能がこわれたのか、本能がこわれているため、それを補うために脳が発達したのかは分からない。
・脳の発達も人間という生物の「自然」であり、「本能」に根ざしているのかもしれないが、他の多くの動物が「本能」の比較的直接的な作用(こう簡単に言ってしまうと語弊があることは承知。しかし、そんなに間違ってはいないと思う)によって自然とやりとりするのに対し、人間はそれとは違う方法を複雑に発達させて自然と対応している。
*こういう部分で、ときどき動物の話を持ち出したわけですが、そちらは論点ではないわけです。まあ、話を分かりやすくするための譬え話に近いものと考えてください。
ただ、人間は特殊で不安定な生物なのではないかという視点で話をしているので、動物の話もある程度せざるを得ないわけで。
・上記のような形で、人間は生物としては特殊な部分を大きく複雑に肥大化させて社会を作っている。
・そのような社会の仕組みやルールは直感だけで体得できるものではないので、人間は20年以上かけてそれを学習しなければならない。
・その学習の体系は別に神が作ったわけではなく、やはり人間という不完全な存在が長い歴史の試行錯誤の果てに何とか作り上げてきたものなので、これ自体がそうとう不完全で欠陥が多い。
・人間はそういうシステムの中で学ばざるを得ないので、一人前になるまでに余分で雑多な情報も大量に受け取ってしまう。
・余分で雑多な情報の受け取り方にも個人差があるので、良くも悪くもそこで人間の個性が形成される。
だから余分で雑多な情報が常に悪いわけではないが、争いやトラブルの原因となることも多い。
・先に「神が作ったシステムではない」と書いたが、いわゆる「神の見えざる手」という仮説がある。事象間の調整がいたるところで起こる結果、全体がしだいに調和に向かうものらしいという仮説です。
・神の見えざる手が働いた結果かどうかは分からないが、現状の社会はトラブルや悲惨なできごとの坩堝である反面、部分的にはそう悪くもないと思える状態を維持してもいるようです。
(5)
で、最初の、「どういう人が嫌いですか?」にもどります。
上記のような人間観でまわりを見ていると、倫理的な理由で誰かを嫌いになることはあまりないんですよ。
むしろ、理由もなく何となく虫が好かない、ということの方が強いです。
言ってしまえばそれだけなのですが、最初の方で「生まれつき悪い人間はいない」と書いたところ理想論としての性善説を述べたと誤解されたフシがあったので、私の基本的な人間観について説明させていただきました。
こんなところで、どうかな?
『反論のための反論』にはしないつもりでいたし、俺もかなり一貫した主張をしてきたつもりなんだけど……。
往々にして、客観性や冷静さってのは失いやすい物なので、一度見直しつつ、もう一度言いたかったことを再整理します。
が、その前に返信。
>だって、このスレはもともと人間の話をしていたんでしょう?
私が「人間尺度に合わせているわけではない」と書いたのは、「人間のに都合の良い尺度に頭がとらわれているわけではない(人間が複雑だから動物より優れているとは思っていない)」と言っているだけです。
はい、そこは存じ上げております。
あと、割と早い段階で、『人間と動物のどちらが優れているか』の話は、お互い論じていないという事で決着してませんでしたっけ?
俺が言いたいのは、
①あまくささんの上げた例は極めて限定的な実験を拡大解釈しているように見える。それを抜き出して、人類との比較に持ち出すのはおかしい。
②上の『限定的な実験を拡大解釈する事』こそが、『人間的な尺度』ではないのか。
③それはそれとして、大本では人間の話していたんだから、人間を比較対象にするのは分かるし、人間の話に動物を登場させようとしてるんだから、むしろ『人間的な尺度』で比較せざるを得ないんじゃないかなぁ。
と言う話。
要は、『そうなるのも無理は無いけど、その例え話はおかしいんじゃないか?』ってことです。色々端折ると。
(2)
動物を持ち出すときに、比較対象としてしか出していない事は、理解しました。
ただ、(1)のところでも書きましたが、根本的に比較の仕方がおかしいと思う、と言うのが俺の論旨です。
そういう意味では『人類の学習や思考を前提に、動物の思考や学習を考えている』と言うのは表現が悪かったです。ごめんなさい。
言いたいこととして言うと、『動物の思考や学習を、人間のソレと安易に比較できるとは考えない方が良い』と言う話でした。
>『人類の善悪の話をしているところに、他の動物の社会性に関する話を抱き込んだ』ように見えた訳です。
それのどこがおかしいのですか?
むしろ、『それがおかしい』と言う話です、最初から。
第一に、比較の仕方に無理があり。
第二に、例え話として破綻しているように見える。
よってそもそも他の動物の社会について語ることが間違っていたんじゃないか。
まあ、最後の奴は割と後になってからしか言ってませんでしたが、言うまでもないと思っていました。(例え話に『だってそれおかしいよね』って難癖付けた時点で、大元の発言が間違っていると言っているも同然ですからね。)
>そうではなく、『動物の社会に比べて人間の社会はどうか』という話をしています。
そうでは無く、そもそも動物の社会と人間の社会を比べるのはおかしい、と言う話をしています。
ちなみに俺は途中から、一貫して『あまくささんの例え話は間違ってると思う』と言う話をしています。
貫性が無い、と仰るのであれば、『これはそもそも人間の善悪を語るスレじゃないぜ』と返させていただきます。あくまで、『嫌いな人』を語るスレですからね。善人が嫌いだろうが、善悪関係なく金持ちが嫌いだろうが、何でも良いのです、大元を言えば。
(3)
(2)のような議論の混乱は、俺が『あまくささんの例え話は間違ってると思う!』と最初に言わなかった事も大きな原因でしょう。これについては、本当にごめんなさい。迂遠な言い回しをして、事態を引っ掻き回してしまいました。
俺としては、むしろ『あまくささんの例え話は間違ってると思う』が本旨であるので、No30くらいからこっちの発言には『あまくささんの例え話は間違ってると思う』以上の事は書いてないです。ってか、まず間違いなくそれが議論のズレだ。
(4)さてついに帰ってきた人間の善悪論。
ちなみに事ここに至っても粘菌のアルゴリズムの事とかを語ってやろうと思っちまったぜ。
本能については俺は上述の通り、『学習・思考する本能』という物があると思っています、通俗的に『理性』と呼ばれるソレとは、明確に違う形で。
よって、『脳を発達させる本能』があり、『本能以外の物』が増えた結果、相対的に『本能』が薄れたように見えていると考えます。
最後の奴も違うんじゃないかな。都市部で自然が減っただけで、農村部に生きてる人間はちょくちょく超能力的本能を発揮しますよ。あと、ド素人でも山登りとかさせると、『ツアーからはぐれたにもかかわらず、何故か沢・川に近付いてったり』します。それは本能ではないですか?
特定の病気の時に、喉が渇くやつも本能っちゃあ本能ですね。まだまだありますが、人間の本能はそんなに衰退してないですよ。
こういう時に持ち出した動物例え話がおかしい、と言うのが俺のメインのツッコミです。
確かに、人間は他の動物としては特殊に成長し、そして社会を作っているのは事実です。
人間社会のルールの学習に関しては、これは程度差があると思います。
教育学・発育学は専門外なのですが、学習環境や個体の素質に依存するところが大きいので、掛かる時間は何とも。
人間の学習内容にあっては、例えば『物を食べる』とか『アルファベットや五十音を覚える』などの部分は、大きく本能に依存する部分のある刷り込み型の学習なので、『人間の努力が生み出した』と言う表現は事実からズレると思います。『人間の本能と、ちょっとの文化が生み出した』と言う所でしょうか。
『一人前になるまでに余分で雑多な情報も大量に受け取ってしまう』と言うのは、個人的には受け入れられません。まあ、『人類の理想像』みたいなのを仮定すれば確かに『余分で雑多』なのですが、ロマンを愛するファンタジー
マニアとしては、『必要な個性』であり『機能外の拡張』の範疇だと思います。
あまくささんの言う『神の見えざる手』が、俺の言う所の『思考・学習する本能』に近いかもしれません。要するに、『なんとなく、上手くいく方向に近付いていく』と言う話ですよね?
まあここら辺、進化論における『自然選択(環境に適応した者だけが生き残る事)』が起こってるだけじゃねぇかともおもうんですが。
『現状の社会はトラブルや悲惨なできごとの坩堝である反面、部分的にはそう悪くもないと思える状態を維持してもいる』のは、徹頭徹尾政府の陰謀にしたい所ですが、そんな陰謀は多分実在しないので、『なんでか知らんけどそうなったよねー』と思っております。
ちなみに、俺の『価値観』としては、『善悪の価値基準』そのものも、『人類』全体の進化過程にあって、内部の異端者(=悪)を自然選択から弾き飛ばすために出来た、本能的なルールなんじゃないかとも考えてます。
同時に、凄く規模のデカい上に、大概の人にとっては無自覚な『宗教』であるとも。
(5)
うーん。あまくささんの言うような人間観をインプットできるのが、まずすげーなって。色々文句付けたけど、あまくささんが何を考えてるかは大雑把に伝わったつもりです。
正直、あまくささんからそこそこズレるけど、でも『似て異なる』程度には近い思想を俺も持ってるけど、『なんとなく好きじゃない人間』って結構いるもん。で、そいつら見て、特徴探すと、『ああ、俺こういう人間が嫌いなんだな』ってわかんのよ。
だから、そうならない、つまり大概の人間に対して『好き』ないし『無関心』でいられるのがすげーなと思います。マジで。
そして最後の最後にもう一つ誤解!
あの時俺が『俺は性悪説で考える人間なんで』って書いたのは、マジでそれ以上の意味無いから。
俺は別に『性悪説か性善説のどっちかしか認めんぞ我ェ!』みたいな性悪説ガチ勢じゃないし、性悪・性善以外の見方があることは承知しておりますよ。勿論。
ただまあ、結果としてあまくささんのよりディープな所を見られて、勉強になったんだ結果オーライかな。
ロマン大好き人間としては、出来ればもう少し感情的に生きている人間が見たい所ですが、世の中には色んな人間が居るんだなぁ、って所でこれはこれでためになる話が聞けました。
ありがとうございました。
P.S. 今度こそ最後。不謹慎かもしれませんが……。
ああー! 議論たんのし―!
話が噛み合わなかったり、誤解とくために色々考えたり、全然噛み合わなくても『そういう考えの奴居るんだな』ってわかるの、滅茶苦茶楽しー!
カテゴリー : その他 スレッド: どういう人が嫌いですか?
この書き込みに返信する >>
>①あまくささんの上げた例は極めて限定的な実験を拡大解釈しているように見える。それを抜き出して、人類との比較に持ち出すのはおかしい。
これについては、まあ、多少卑怯な弁解になるかもしれないけど、話をわかりやすくするために単純化して提示したのです。
私が最初に「動物」を持ち出したのは、№27の、
(再掲)
ミツバチやアリも社会を作る生き物ですが、やつらはたぶん思考も学習もしないで本能だけで社会が作れるのだと思います。
しかし人間にはそれができないので、長い歴史を経て、思考し、経験を重ねながらルールを作りあげてきました。
(再掲、終わり)
これですよね。
これは大雑把すぎるとは自分でも思いますが、主旨としてはそれほど間違っているとは今でも思いませんよ。
これに対して、大野さんは、
>・ミツバチやアリの思考・学習
> これについては、学術上『そこそこ高レベルの物を持っている』事が判明しています。
(以下、略)
と返してきましたが、私としては率直に言えば、
「だからどうした?」
としか思いませんでした。
そこそこ高レベルだろうと、人間の思考の複雑さとは隔絶した差があることは間違いないと思うのですが、どうでしょう?
1と100に連続性があろうと、1と100くらい隔たりがあれば、それはもう別物といって差し支えないと思います。
他にもいろいろ言いたいことはありますが、取りあえずこの点についてはどうお考えでしょうか?
うーん、まあそこら辺いる派閥の違いなのかもしれませんが。
まず、動物と人間の知能を数値比較しようというのがナンセンスです。
『タンパク質』とか『細胞』の単位であれば確かに同じ構造体ですが、『脊椎動物か無脊椎動物か』の時点でそもそも神経構造に隔絶が有りますし、社会と呼びうるシステムにしたって、一部の学者が『集団による個』と表現するぐらい人間とは別の在り方をしています。
これはアリやハチの話ではありませんが、脊椎動物の一部には『地震や気候異常に対する予知じみた先見能力』があるとされています。
人間の頭脳で理解しえないために研究が遅々として進んでいないのは事実ですが、観測上『何か』が存在しているのも確かです。
この場合にあって、それを『人間には観測不可能な何かを「本能」によって察している』と表現するのは非科学的です。解剖学上、それを可能とするであろう、或いはそれに特化したであろう器官が見つかっていないですからね。何らかの『理性』或いは、人間に理解不可能な『考察』が働いた結果で判断しているはずなのです。
ミツバチが行う『熱殺蜂球』と呼ばれる行動をご存じでしょうか? 少年漫画の必殺技のような名前ですが、『天敵であるスズメバチ(など)に数匹~十数匹で特攻を仕掛け、体温で焼き殺す』という少年漫画みたいな行動です。
これに対し、『それはそういう本能なんだろ』と言うのも非科学的です。
まず第一に、ミツバチはスズメバチに対して複数の対処手段を持っていて、『数匹のミツバチを囮にして巣から離れた場所に誘導する』とか、『集団で近付いて威嚇する』などの方法を使います。『集団による威嚇』が有効なのは、スズメバチ側が本能的に『熱殺蜂球』を恐れているからだとしても、その対処手段をミツバチ側がどう選択しているかについては、『本能』の一言で済ませられるものではありません。
第二に、ミツバチ側の判断能力・伝達能力の問題が挙げられます。ここを、俺は『人間より複雑、或いは優れた何かを持っている』と思っている部分なのですが、ミツバチの集団行動にあっては、『司令塔』と呼びうる物が確認されていません。
勿論、スズメバチ発見の第一報自体は、外でスズメバチと遭遇したミツバチによるフェロモンや羽音による警戒姿勢で他のミツバチにも連絡がいくものですが、他方で『第一に』で上げたいくつかの手段をどうやって行うかという選択は、個々の個体が行っていると推察されます。
人間の民主主義のようにグダグダと話し合う訳でもなく、特定のリーダーが居る訳でもなく、命が掛かった状況下で飛行状態を維持しながらハイスピードでいくつもの手段を模索し、場合によっては『巣の位置と他の方角を意識しながら囮になる』などの手段もとります。
熱殺蜂球による特攻時も鮮やかで、特攻を行う個体と、特攻から避難する個体でサッと分かれるんです。特定の脅威が訪れた場合の状況判断能力や、所謂『察する』能力にあっては人間を超えていると思いますがね。
勿論、今あげたすべてを『本能』の一言で済ませてもらっても構いません。或いは『複雑なことを考えられないから、結果として判断が早いだけだろう』と仰っても構いません。
ただし、集団単位での状況判断・各種伝達面に関しては、これは確かに人間よりも複雑な物を持っていると、ご理解いただけますよね?
で、しかもこいつ等は基本的には『働きバチ』です。
普段は分業して花の蜜を取りに行ったり、それを巣の中で貯めたり、巣の中で幼虫にエサの分配をしたり、巣の拡張工事をしています。
花の蜜取りに関しては以前にも書きましたが、奴らは高度なマッピング能力を持っています。その上で、『ダンス』などと仇名されるような特殊な動きで花畑の位置を他の個体に伝達することも出来ます。
で、ここで注目して欲しいんですが、さっきのスズメバチとの戦い方のところで『フェロモンなどによる伝達が確認されている』『羽音などによって、警戒を仲間に伝える』と言う表現をしました。
警戒フェロモン、羽音に関しては、確かちゃんとした実験結果がそれぞれ存在しています。
フェロモン、羽音、ダンスの三種類の伝達方法に関して、これを人間にあてはめて『三種類の言語』などと表現するのは些か無理でしょう。
ただ一方で、ここまで複雑化した情報伝達を状況に応じて行い、或いは受信して次の行動に繋げるという技能は、人間にはまずできません。
巣の中での貯蔵についてもそう。超密閉型の奴らのコロニーにあって『蜜を取って来たけど、既に満タンだったからあふれ出しちゃった、テヘ☆』みたいなのは許されません。動線どころか、酸素供給が滞って大量に死にかねないからですね。
巣の中の在庫管理を行う担当の働きバチが居る、と言うのも事実です。ですが、奴らの記憶能力では、巣の構造を覚えることは出来ても、蜜のたくわえや幼虫の状態把握は容易ではありません。
その状況下で、判断を行う能力、特定の順番に習って整理する能力があるのは間違いないでしょう。
『巣の形が一定だから出来るんだろう』と言う言葉も聞きますが、そもそも人間が用意する養蜂箱が無ければ、ミツバチはもっと独創的なデザインの巣を平気で作りますし、それでも生活は成り立っています。
そして次に巣の建設問題です。
まあ、この一世紀弱でよくスズメバチの被害を聞くようになったので、奴らの巣を見た事が無い人はほとんどいないでしょう。
ミツバチにあっても、スズメバチに近い構造の巣を持っているとされます。彼らの巣は、女王バチによる卵の植え付けと、そこから生まれた幼虫への餌やりを主な機能とした巣ですが、一方で『巣を作っている位置に合わせて、壁沿いや木などの外周に沿うように巣をつくる』ことが出来ます。
当然ですが、総当たり的に『作ってみたけど、やっぱ無理だったから壊そー』と言うことは出来ません。女王バチが卵を産める期間は限られている上に、ミツバチは越冬の事も考えねばならないため、時間はそう多くない訳です。
巣の拡張タイミングに関しては、『女王バチがこれぐらいの頻度で卵を産むだろう』と言う本能があるのでしょう。
ですが一方で、建物などに沿う形で巣を作るのはとても難しいです。
あまくささんも、見た事があるのではないでしょうか。『雨どいや、速攻を取り込む形で、やたら複雑化したハチの巣』を。まあ、今の日本で人家に巣をつくる物の大半はスズメバチなんですが、ミツバチだって似たようなことは出来ます。
海外のニュースとかで、養蜂家が言えの軒先に巣を作られてしまった、なんてニュースもたまにあったりします。
奴ら元々、木のうろなんかに巣を作りますからね、特に雨どいなどは格好の場所でしょう。
彼らの建築工事もまた、本能で済ませるには無理があるでしょう。場所に合わせて作る以上、どうしたって構造は多様化せざるを得ません。
例え単純な構造体を適当に組み合わせる、いわばレゴのような作り方をしているとしても、卵を産んだり餌やりをするためには、ある程度『総体』を把握する必要性が出てきます。
ところで、ミツバチには『女王バチ』『オスの働きバチ』『メスの働きバチ』の三種類しかいません。
ちなみに、メスの働きバチの仕事分担が一番多く、上に挙げたうちの大半は彼女らの領分です。
勿論、『それのみに特化して成長しただけだろ』と思ってもらっても構いません。ミツバチは数十から数百のコロニーで生活しています。勿論、分業なのは事実です。
やった仕事の大きさ事態で言えば、人間には遠く及ばないでしょう。
ですが、集団単位での彼らの行動能力、作業能力、そしてそれらの際の伝達能力の中には、決して人類では敵わない面も多いでしょう。そしてそれは判断の早さとか、複数の物を同時に考える能力だとか、すごく早い伝達能力だとかも含まれるわけですが……。人間に出来ますか?
あまくささんは『1と100に連続性があろうと、1と100くらい隔たりがあれば、それはもう別物といって差し支えないと思います。』と仰いますが、ハチの知能と人類の知能には、根本的に連続性はありません。
『脊椎動物と無脊椎動物の段階で系統樹が分かれたから』と言う話ではなく、単純に生活形態も、種族内における『個』と『集団』の意味合いも、伝達能力も、活動の在り方も、全てが異なっているからです。
それを、連続性のある数値として比較しうる物だと考えているのが、まず間違いだと言っています。
あと、偏った実験の解釈と呼んだものの中には猿や狼の実験に関する批判も書いて置いたと思うのですが、そちらはどう考えますか?
再掲
>二番目に上げられていた猿の実験の件もそう。
動物行動学ではわりと頻繁に似た実験をするので、あまくささんの知っているソレに携わった猿がどのような成長をした個体かによる影響もうけますし、逆に野生における猿がどういう成長をするかを示す結果でもありません。
あくまで、単純化した状況における学習能力の問題であります。
大体、人間の学習能力の何割かだって、パブロフ的刷り込みに依存している訳で、この実験結果のみをもって人間と猿の思考能力の違いを立証しようとするのは些か性急すぎます。
例えばカラスは自動車を使って木の実を割ることが有ります。これは偶発的な現象ではなく、学習によって習慣化されたものとして、です。バードウォッチャーたちによって、ある程度離れた森林から木の実を運んでくることも確認されています。
一方、狼の実験の方ですが、これ確かヤマネコかハイエナによる群れ同士の抗争の観察結果として、反証に値する――つまり『復讐を避ける/同業他社になりかねない相手を削ぐ目的で、同族殺しを行う』という結果が出ているはずです。
また、狼にあっても、彼らには根本的に『身内同士で喧嘩をしあって、伴侶を決めたり、群れの中での順位を決める』という習慣がある種類も多いため、そもそも『どういう種類の戦闘』であったかの性質によるため、これも『洞察力』の有無を測るテストにはなりません。
人間だって、プロレスや大相撲で相手を殺すまで戦わないでしょう?
これについての回答も、頂ければ幸いです。
カテゴリー : その他 スレッド: どういう人が嫌いですか?
この書き込みに返信する >>