小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

サタンさんの返信一覧。最新の投稿順52ページ目

元記事:皆様ありがとうございます

私もhexaさんと同じくのめり込むタイプです。学生時代から毎日書いていましたから。流行りに乗っかっているのは、まあ絵画でいう習作みたいなもので試験的な意味(まあそこに書きたいものも入っているから、今書いているんですけどね)

そうですねえ私もダブルマイノリティですから、そう行った側面を書きたいのは事実です。

ただ、この空虚な気持ちは創作のあらゆる達成でどうにかなるものではないと思います。文豪の様に作品を残して、本にすれば不死になれる! 光が消えない!と思っている人間なので(何行ってるんだと思った方は受け流して貰えたら)

私の小説の良い所ってなんでしょうか?
読んだ方いたら教えて下さい。

今まで批判はあれど、本当に褒められたことがないものですから、わからないのです

上記の回答(皆様ありがとうございますの返信)

投稿者 サタン : 2 投稿日時:

>私の小説の良い所ってなんでしょうか?
>読んだ方いたら教えて下さい。
>今まで批判はあれど、本当に褒められたことがないものですから、わからないのです
……えっ!?
いやいやいや。本気で言ってますか。
確かに「批評」だから目についた点は指摘してるけど、良いところも書いたでしょうに。私だけでなく、他の方も。
批判部分に目が行ってしまって、褒めてる部分は目に入らなかったのかな。
一人は「読みやすいよ」と書かれてたし、一人は「あの話題は面白かった、大作だったよ」と書かれてたし、私も「説明が不足してるけど描写は長所だね」と書いてるっしょ。

あれで批判ばっかで褒められたこと無いと言うのなら、たぶんこれまでにもらった感想すべてを読み間違えてるんじゃないかと思います……。
批評なんで良い点悪い点が半々あるのは当然だし、批評書いてるのが論評の素人なんでやや悪い点に偏ってしまうのは無理からぬ事。人間、良いところよりも悪いところのほうを目ざとく見つけてしまいますからね。
そこをくんで読み取れば、前回のキリシタンの話は割と好意的な感想ばかりではありませんでしたかね……?

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 小説を綴る意味とは

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元記事:すぐに新しい作品を書きたくなる

最近小説を書き始めたのですが、起承転結のうち「起」ぐらいを書いたところで書く気が低下し、新しい作品に移る……ということを繰り返しています。
どこかで「プロットを用意する(結を考えておく)のが大事」と見たので、一応は起承転結を考えてから書き始めているのですが、やはり結になるにつれてプロットも薄く抽象的になってしまいます。
どうやら自分は設定や冒頭部分を考えるのが好きなようで……。

きちんと作品を完成させたいと思うのですが、どのようなやり方があるでしょうか?
同じような方が「こうしたら上手く完結させられるようになった!」という体験談などあれば、是非教えていただきたいです。

また、完結させたいと思う反面、「初心者なのだからとにかく量を書くことを重視したほうが良いのでは?(新作書き出しちゃえよー)」と思うところもあります。
こちらについても、ご意見いただければと思います。

上記の回答(すぐに新しい作品を書きたくなるの返信)

投稿者 サタン : 2 投稿日時:

まずプロットについては、全体を考えるのが大事です。
オチを決めると良いというのは、「おわり」を決めれば半ば自動的に「はじまり」が決まるので、「はじまり」と「おわり」が決まれば全体が出来る。という話です。

これはイラストで例えるとわかりやすいかなと思うんだけど、絵描きを知らなければ逆にわかりにくいかな……。まあいいか。
絵を書こうとする初心者は、まず漫画とかを参考にして「目だけ」を描いたり「斜め顔だけ」を描いたりするんですよ。
そういう「一部だけ」をしっかりと自分が納得できるように描いて、できたら次のパーツに手を付けたりする。
コレだとまずまともな絵は描けなかったりします。パーツごとでは上手く描けたとしても、全体のバランスがおかしいんで違和感しかないし、「気合の入ってる部分」と「興味がなくて適当な部分」が無計画に混在してるのでどうあっても見栄えが悪い。
注目させる部分とさせない部分で意図的に雑に描くんであれば、同じくらいの画力でもまとまって見えるんですけどね。

それで、慣れた人の描くイラストというのは、まず全体を描きます。いわゆる「ラフ」ですね。構図やポージング、光源なんかも意識しつつ、全体を描く。
もちろん「しっかりと描く」わけじゃなくアタリ程度に簡易的な感じで。
この全体図が出来たら、それを細かく「書き込んでいく」わけです。

プロットで「全体を書く」というのは、イラストで言う「アタリ」や「ラフ」のことで、「単純な全体の流れ」のこと。
なにも、序盤から終盤までのシナリオを「しっかりと」書き起こすって事じゃありません。
なので、冒頭から作ってく必要というのもありません。
私はこうした「物語を作る」という事に気がついてから一気に書けるようになりましたが(それまではやっぱ序盤しか書けない、設定のアイディアだけはある状態)、ぶっちゃけ、他人に教わったり言われたりしても、自分で気が付かないとわかんないと思う。
「物語」は目に見えないので、感覚でとらえるしかないので。

>完結させたいと思う反面、「初心者なのだからとにかく量を書くことを重視したほうが良いのでは?(新作書き出しちゃえよー)」と思うところもあります。
一般論で言えば完結させたほうが良いです。
完結させることで得られるメリットは数あれど、デメリットはありませんから。
ただ、あくまで個人的な意見として付け加えるならば、
「すぐに別のを書きたい気持ちになっちゃう」とか「別のアイディアが浮かんでくる」ってのは、単純にアウトプットが足りてないってことなので、どんどん吐き出していったほうが良いと思う。
例えば以前書いたネタと同じネタをもう一度ゼロから書いてみて、と言われたら、正直筆が重いですよね。だってすでに書いたことだしさ。
一度吐き出しちゃえば、「同じネタが思い浮かぶ」「それを書きたくてしょうがない」って事はあんまないです。
書き始めの初心者の頃は、当たり前ですが書いてきた作品の数が少ないので、アイディアが脳内で詰まってるんですよね。それを吐き出したくてしょうがない。けど身体は一つなので、蛇口が狭くてなかなか吐き出し切れない。
そしてそのアイディアのカオスが脳内でグルグル回って、いま書いてるネタの考えがまとまらない、なんてことになる。
なので、「物語として書き上げること」を目的とするのではなく、「脳みそをスッキリさせること」を目的として、とにかく雑でも冒頭だけでも適当でも、なんでもいいから思いついたことはガンガン吐き出しちゃって頭をスッキリさせるのも手だと思う。

とはいえ、それでもやはり完結させないと「物語を作る能力」としての技術向上はほぼ無いと思います。
なので、基本は完結させたほうが良いと思う。
上で言ってるのはあくまで「頭をスッキリさせる」という事だけですから。

ほんで、コレを両立させる手段としては、プロットとして吐き出す、というのがオススメです。
プロットは起承転結の最後まで書くわけだから、一応は完結させられてるし、プロットなのでページ数もさしてかからず、かかっても原稿用紙10枚程度でしょう。
プロットがダメならあらすじでも良いと思う。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: すぐに新しい作品を書きたくなる

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元記事:ラストシーンを引き立てるシーンが書けない

はじめまして、今回初めて利用させていただくブックと言う者です。

私は某文庫の新人賞に向け、小説を書いているのですが、どうもラストシーンまでの話が上手く書けません。
構成自体は浮かんでおり、キャラクターも固まり、後は書くだけなのですが、終盤までのシーンが全て作品の中で舞台装置を動かしているだけで、全く感情移入の出来ない「だからどうしたの?」と言われてしまうような作品になってしまいます。
ラストシーンばかり想像を膨らませ、中盤の話が思い浮かばず、無難なイベントで文字数を稼いでしまっているのが現状です。

そこで序盤、中盤の書き方のコツを教えて頂きたいです。
ご教授お願いします。

上記の回答(ラストシーンを引き立てるシーンが書けないの返信)

投稿者 サタン : 0 投稿日時:

うーん……。
質問がしっかりしてるようで漠然としてるので、答えるのに難しい感じがあります。
本当に「キャラ」も「構成」も決まっててラストも作れてて、後は書くだけって状態なら、構成に沿ってキャラを自由に動かせばラストまで問題なく書けると思うから、多分、構成に問題があるんじゃないかなと思います。

邪推になるけれど、「ラスト」つまりオチを決めたら後はそこへ向かって突っ走ればいい、という感じで考えてないかな、と感じます。
物語におけるオチというのは、要するに「結論」ですから、「こういう切り口で話を始めて、関係ありそうな話題を突っ込んで、最終的にこの結論を出せばOK」みたいな事をすると、その「関係ありそうな話題」にまとまりがないので、むちゃくちゃな内容になりそうじゃないですか?
「その結論と、前の話題は何か関連性あったっけ?」みたいな。
似たような別のパターンでは、「言いたい結論」のためにロジックを考えて多少無理があっても強引に「結論」に持っていく、みたいな。
要するに「キャラがシナリオ通りに動いてるだけ」という感じで、多分こういう部分で悩んでるのかなと思います。
つまりは、「どうやって物語を結論に持っていくか」という構成の知識・技術の問題ではないかなと思います。

持論ではありますが、物語というのは「はじまり」という状態が「おわり」という状態に変化する、その過程を指すので、「はじまり」という状態と「おわり」という状態には大きな落差が求められ、その落差が大きかったり興味深いものだと面白味を感じやすいものです。
金持ちが貧乏になる、温和な人が殺人鬼になる、弱い子が強くなる、といった具合ですね。
「はじまり」と「おわり」には大きな落差があるので、これが何の衝突もなく唐突に「はじまり」が「おわり」の状態に変化することはありえません。
弱い子が理由もなくいきなり強くなったりはしない。
すると「はじまり」と「おわり」の間にある「なか」というのは、基本的に「はじまり」の状態と「おわり」の状態の衝突が描かれる事になります。
つまり。
例の場合、「弱い」という状態と「強い」という状態の衝突を書くのが正しい構成になります。
例えば「道場娘のヒロインに山籠りだと拉致られた主人公が、そこから逃げ出そうとしつつヒロインに実力で阻止されたりしながら、ヒロインが出した課題をかろうじてクリアする」となる。
主人公が「弱い」の象徴で、ヒロインが「強い」の象徴と考えれば、二人の行動は「弱い」と「強い」の衝突として書けてますよね。

まず、「はじまり」と「おわり」の間にある「なか」というのは、単にラストシーンへ持っていくための過程ではなくて、こうした「衝突」を書く場所になります。

そして、これを理解した上で次に進むと、
三幕構成においては物語の真ん中に「ミッドポイント」というのがあるとされています。
ミッドポイントというのは、一言で言えば「話を収束させるためのポイント」で、わかりやすく言うと「物語の落とし所を読者に提示する場面」です。
例えばバトルものなんかだと、だいたい「倒すべき敵」や「倒すための手段」なんかが判明するのは中間地点です。「話の終わりが見えてくる場面」なので、テーマ次第で内容は「新事実の判明」など違ってきますが。

すると、「なか」の中間地点には「ミッドポイント」という収束させるポイントがあり、そこを境に「なか」は二分できます。
「なか」の前半は物語を広げるための展開。
「なか」の後半はミッドポイントから物語を収束させていく展開。
こうすると、「だからどうしたの?」という事にはなりにくいでしょう。
なにしろ「ミッドポイント」というのは「話の落とし所が見える場面」なので、「だからどうしたの?」の答えは「だから落とし所が判明した」という内容になるし、その後も「だから話が収束する」という内容になる。
そしてオチへたどり着く。

とりあえずは「中盤は「衝突」を書く場所だ」という事を理解し、その内容、すなわち「はじまり」と「おわり」の衝突の内容を吟味してみると良いと思う。
三幕構成のミッドポイントとかはあんま考えなくても、とりあえずはそれで現状の悩みからは抜け出せるでしょう。
ミッドポイント云々は、コツとして「中間に落とし所になるシーンを考えると読者離れを招きにくいよ」という、あるいは「中間ポイントを考えると物語が小分けできるので思考が楽になるよ」という感じの話なので、たぶん次のステップで理解すべき話かもしれないです。

もっと詳しい物語の構成については、三幕構成は曖昧な物語というモノを論理的に噛み砕いた理論なので調べてみると良いかもしれません。
ただ、三幕構成は「物語がどういう構造をしているか」を紐解いた理論であって、「どうやって物語を作るのか」という創作論ではないので、「何をどこからどのように作る」という「作り方」の疑問には答えてくれないため注意が必要です。

カテゴリー : ストーリー スレッド: ラストシーンを引き立てるシーンが書けない

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元記事:すぐに新しい作品を書きたくなるの返信の返信

返信ありがとうございます!

申し訳ないのですが、前半のところがよくわかりませんでした……。
「物語を作る」ように意識すれば良いとのことですが、設定や冒頭から妄想を膨らませるやり方だと上手くいかないということでしょうか?
また、恥ずかしながら私のプロットは起承転結を書き出しただけのもの(10行程度)で、一応最後まで考えてはいるのですが、これではラフに足らないということでしょうか……?
質問で返すことになってしまい、申し訳ありません。

後半の、完結とアウトプットのメリットについては、とても納得させていただきました。
新作はプロットやあらすじで欲を発散させつつ、できるだけ一作にとりかかるようにしてみます。
アドバイスありがとうございます。

上記の回答(すぐに新しい作品を書きたくなるの返信の返信の返信)

投稿者 サタン : 0 投稿日時:

>設定や冒頭から妄想を膨らませるやり方だと上手くいかないということでしょうか?

物語の作り方は人それぞれなので、安易に「それは違うぞ」とは言えないです。なので起承転結が作れてるならそれで問題ないんじゃないのかな、と思います。
でも、例えば、そうだな……童話「桃太郎」の作成例でもやってみましょうか。

まずは私が以前やってて完結しなかった、もしくは出だしは良くとも完結しにくかった作り方。
・桃太郎は桃から生まれる。桃には退魔の力がある。
・犬、猿、雉を仲間にする。
(中略)
・鬼ヶ島には悪い鬼が住んでいる。
など、設定をごっちゃに考えて、それを形にしようとする。
別にこれで作れないこともないけど、おそらく慣れない人には向かないでしょう。
というのも、「桃には退魔の力がある」は「そういう設定」で、物語を彩る仕掛けです。一方で「犬を仲間にする」というのは、正確には設定ではなく「展開」です。
イメージしたものを片っ端から「設定」として書いてるので、脳内ではちゃんと形になってどういう感じか把握できますが、いざ出力しようとすると、何がどうなってるのか混乱しちゃうって事が多いです。
どのタイミングで何を書けばいいのかわからないし、そもそも「設定」は「物語」ではないので、「こういう流れの話」を曖昧に把握はしてるけど、実際「どういう話なのか」というのを自身で理解できていません。

次はあらすじで流れを書く方法。
「老夫婦が拾った桃から生まれた桃太郎は、きび団子を手に犬猿雉を仲間にして鬼退治に向かう。道中で困ってる村を助けつつ鬼ヶ島へとたどり着き、跋扈してる鬼たちをなんとか退治する」
これだと、「物語」は作れているので設定から作るよりも上等だと思いますが、あらすじという性質上、物語を省略してしまうので肝心なところが考えられておらず、そこで筆が折れる事が多々あります。
例えば「桃太郎が鬼退治を決意した切っ掛け」とか「犬猿雉を仲間にする経緯」とか、肝心の「鬼退治」でさえ「なんとか退治」と曖昧だったり。
そもそもこうした「ざっと起承転結の流れを書いて執筆」という手段は、「そのあらすじを読んで、どこを盛り上げどのように設計するか」というのが読み取れる人でないと難しいと思う。
「あらすじ」という方法は物語を考えているので間違ってはいないのですが、漠然としてるので「どこをどのように書くか」という設計・構成が出来てないんです。

人間、基本的に物事を頭から考えようとします。
常識的に「時間」という概念があるので、0時から6時までの出来事なら「0時から」をまず考えるでしょう。
そうすると、書き始めの「0時」付近は良く書けると思う。それより前のシーンはないので何にも縛られないし、自由に書ける。
でも、時間が経過するに従って、物語の辻褄を考えたりなど余計な事ないし書かなきゃいけないことが増えるので、自由が効かなくなる。
「6時」に近づく頃にはもう尻すぼみして、事前に考えたオチに繋がればいいや、という感じで、まあ言ってしまえば適当になるんですよね。
それは多分、「あらすじ」の時点で片鱗が見えてるんじゃないかな。
「桃太郎はなんとか旅に出る」とはまず書かないけど、「なんとか鬼を退治する」とは何の疑問もなく受け入れちゃってるでしょ。
よくあるのが「成長譚」を書いてる人の要約ですね。
「冒険の中で成長する」とか設定やあらすじで書いてるんだけど、どうやって成長するか書いてないので、そのあたりで筆が止まる。
「成長譚」だから成長するのがメインの話なわけで、すると成長し始める序盤が終わったあたりで「成長ってどうやって書けばいいんだ?」と書けなくなる、という具合です。
「成長する話」なのに、「どうやって成長していくか」はほとんど考えておらず「成長したいと思った理由」とか「こういう世界観でこういう過去がある」とか「強くならなきゃいけない事情」とか、「そうなるに至った理由」つまり「スタートラインに立つまでの事」を考えやすいので、つまりは「序盤は上手く書ける」という人は実際かなり多いです。
成長譚を書く場合、大事なのは「そうなった経緯」ではなくて「どうやって成長するか」というのが本質なので、言ってしまえば「どうして成長したいと思ったか」みたいな経緯は、ぶっちゃけどうでもいい内容です。成長する展開に進めりゃいいんだから。
でも人間的常識から「時間」に思考が縛られるので、普通はそうやって頭から考える思考になっちゃってると思う。

軽く失敗談から入るつもりがえらい書いてしまった……。
知りたいのはこの後の成功させるための方法だろうけど、最初に書いた通り人それぞれなので「全体の流れ」が書けていれば基本的には問題ないと思います。
これから書くことはあくまで私個人の方法ね。

「桃太郎」は要約すると「桃太郎が鬼退治する話」なので、結局はコレが書けりゃいいわけです。
設定を考えたりあらすじを考えたりしても、そこからまず考えるのはこうした一文です。
何故なら、この一文が「これから書く物語の本質」となるためです。
いろいろ妄想して話を膨らませる場合、この「本質」から反れたことをしてしまうと話が脱線してしまうし何の話かわからなくなるので、例えば「桃太郎が都で女郎にハマって豪遊する」なんてサブエピソードを作ると話が変な方向に行っちゃいます。
そういう話があってもいい、なんて考えで安易にやる人も多いですが、この場合、本質「鬼退治」を考えると「桃太郎がハマった女郎は、鬼が化けたものだった」というオチにしたほうが良いことがわかります。
このように、物語の本質を理解し、把握することは物語の方向性を決定付けることができるので非常に重要です。
いちいち考えなくても感覚で理解してる人もけっこういるけどね。
それでこの「桃太郎が鬼退治する話」という一文を膨らませる方法ですが、実は私は恥ずかしげもなく何度も得意気にこの板で詳細を書いてるので、すでに長文書いてるし、ざっと書くだけにしておきます。

「桃太郎が鬼退治する」これを主語と述部で切り分けて、そこに新しい要素を追加する。
「桃太郎が」「犬猿雉を仲間にして」「鬼退治する」もう一度切り分けた部分に新しい要素を追加する。
「桃太郎が」「きび団子を手にして」「犬猿雉を仲間にし」「鬼ヶ島へ行って」「鬼退治をする」
5つの要素が出来たので、この時点で三幕構成に照らし合わせて考えることができます。
すると「桃太郎が」という部分は第一幕で、第一幕は状況や世界観を書き読者に「どんな話か」を理解してもらう場所なので、基本的には「桃太郎」について書くことになります。主に主人公のキャラ描写や主人公が置かれてる状況などですね。
なので「桃太郎が」という言葉を噛み砕き、「どんな人物か」を列挙していく。
・桃から生まれた。
・退魔の力がある。
・村外れの老夫婦に育てられた。
といった感じでしょうか。
そしたら、「村外れの老夫婦が拾った桃から桃太郎が生まれた」というワンシーン、「村で問題になってた怨霊を桃太郎が触れるだけで祓った」といったシーンを書けば、列挙した設定を書けた、と言えますよね。
こんな感じで5つの要素を噛み砕き、設定を拾ってシーンを作っていくと、5つの要素を全部噛み砕けば「小説」としての一個の物語が出来上がります。

これ、「全体を作ってる」って事がわかりますかね。
最初に「桃太郎が鬼退治をする」という全体図を作って、それを噛み砕き、広げただけで、「頭から物語を作ってる」というのとは違うため、終盤「鬼退治をする」から作ることも出来るし、「仲間にする」を先に作ることもできる。
内容も「村外れの老夫婦が拾った桃から桃太郎が生まれた」という概要だけなので、その中でキャラをどう動かすか、どういう組み立てをするかというのは自由で、極端な話、シリアスな内容にもコメディな内容にも、この時点ではどっちでも許容できます。
それでいて「どう展開するか」というのは決められているので、それさえ外さなければしっかり書けます。
「全体を作ってる」ので、終盤へ進むに従い内容が薄くなるという事はありません。

これはあくまで自分の方法ってだけですが、「村外れの老夫婦が拾った桃から桃太郎が生まれた」といったワンシーンを書き上げるだけの実力がある人なら、この方法は基本的のそのワンシーンの集合体で長い物語を作ってるので、理論上どんな物語でもどんな長い話でも書けます。
要素を細かく増やしていけば長くなるし、少なく済ませれば短くなる。
序盤のシーンは「桃から生まれた」「退魔の力がある」「村外れの老夫婦に育てられた」の3点がわかれば良いので、「村外れの老夫婦が拾った桃から桃太郎が生まれた」「村で問題になってた怨霊を桃太郎が触れるだけで祓った」という2つのエピソードでこれを表現しましたが、別に「流れ着いた桃に悪霊が近付こうとせず、退魔のお守りとして持ち帰ると桃の中から桃太郎が生まれた」というシーン一つでも3つの要素を語れます。
要素を語れればなんでも良いので、シーンを作る足がかりにもなります。
もりもりさんの手段が間違いだという指摘ではなく、全体を考えたほうが良いという話で、その考え方のうち私なりの方法を示しただけです。
設定だけで粗筋だけで一本作れる人もいますし、まあ、なんだ、言ってしまえば私の方法はバカ向きです。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: すぐに新しい作品を書きたくなる

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元記事:学園物の主人公を平凡、凡人にしたくない

学園物や現代物の男主人公は顔はイケメンではない普通、勉強も運動も特別得意ではないということが多いです。

凡人が泥臭く頑張るのも一つの魅力かもしへませんが、そういう主人公は馬鹿だったり、嫌な奴に喧嘩に負けてヒロインに助けられ、取り柄はいざというときの機転と発想「だけ」で私は好きではありません。
学園物での主人公が凡人なのは必須条件なのでしょうか。
どなたかご意見をお願いします。

上記の回答(学園物の主人公を平凡、凡人にしたくないの返信)

投稿者 サタン : 1 投稿日時:

意見としてはオミクロンさんとだいたい同じなので特に新しいことは書けないかと思いますが、言いたいことが出てきたのでちょいと返信してみようかなと思います。

まず、
>学園物や現代物の男主人公は顔はイケメンではない普通、勉強も運動も特別得意ではないということが多いです。
この分析は間違いではないと思うけど、「現代モノ」「学園モノ」とジャンルを限定してしまうと人気を得られそうな主人公像も限定されていくので、ある程度はしょうがないことです。
ちなみに「人気だからよく使われる」という事じゃなくて、「人気だからそういう主人公が残る」という話であって、広く見れば「ごくごく普通の高校生」という主人公像はそんな多くないかと思います。
まあ、これも「主人公の時点で平凡ではない」という意見に通じてしまうんですが、もともと「平凡な高校生」という主人公の流行りはエロゲの主人公が走りでした。でも、エロゲ主人公だから異様にモテるわけで、この時点で平凡じゃないんですよね。
そういったものを除外して、強いて言うのであれば、「涼宮ハルヒの憂鬱」に出てくる主人公「キョン」のようなタイプが「平凡な主人公だ」と言えるでしょう。
ツッコミしか取り柄がないけど、これは物語進行上の役割でしかないし、個性的なツッコミをするわけでもないし。
ただ、「涼宮ハルヒの憂鬱」は正確には主役はヒロインである「ハルヒ」で、主人公として見える「キョン」は物語の語り部であるだけなんだよね。
こうした「主役をサブキャラ視点から語る物語」というのは古くからあって、有名所ではコナン・ドイルの「ホームズ」なんかがそうですね。
語り部であるワトソンの視点から超天才のホームズの活躍を書いていく、という物語。これも言ってしまえばワトソンは凡人の域を脱しない「普通の人」を代表するキャラクターになります。
つまり、「平凡な主人公」というのは実際こうしたモデルの物語以外にはほとんど無いので、今問題にされてるいわゆる「自称平凡主人公」というのは「設定でそう言ってるだけ」の存在でしかないわけです。

そんなわけで、極端な話、「俺は秘密組織でNo1のエージェントで女の子にモテモテだけど基本的には平凡などこにでもいる高校生さ」とか言ってるのと何も変わらないんですよね。
原作エロゲから一般に入ってヒットした有名作で言うとFateシリーズの主人公「衛宮士郎」が、物語開始時には「平凡な人物」として描かれてるけど、実際ぜんぜん平凡じゃないんですよね。
設定的な魔術云々って話を抜きに考えても、「両親はおらず、広い武家屋敷で一人暮らし。近所付き合いのある若い担任のお姉さんが毎日のように入り浸り、後輩が朝食を作ってくれる」という時点でツッコミ入りまくりの「特殊性」を持ってます。
それで何が凄いのかというと、そんな「ありえないほど特殊な人物」を、「平凡」として書いてる書き手が凄いんよ。

ええっと、わかるだろうか……。
「平凡であることが必須」なのではなくて、「そう見せる」ことが大事なんです。
「平凡でどこにでもいるような男」が、「異様にモテる」という展開になるから面白いわけです。
「凡人と思ってた人物」が「活躍して頼られる」から面白いわけです。
凄いヤツが凄いことしても、これは当たり前の結果なのでなんも面白くないでしょ。
だから、世にある「自称平凡」という主人公は、その特徴を抽出してみるとぜんぜん平凡じゃありません。むしろ特殊性の塊です。

物語のロジックの話をすると、そもそも物語というのは「変化」があることが面白味を得やすいです。
例えばジャイアンが敵をぶんなぐっても、大して面白くない。ジャイアンなら殴りそうだし、ジャイアンにとって普通の行動じゃん?
でも、のび太が敵の前に立ちふさがると、何故か盛り上がる。それでのび太が負けたとしても「のび太のくせによく頑張った」みたいな感じになる。
これは「弱者」の象徴であるのび太が「強者」に挑むから面白いわけで、「弱い」から「強い」の変化、「勇気がない」から「勇気ある行動」への変化、そうしたものに人はカタルシスを得やすいので、面白い、という事になる。

で。話を「平凡」に戻すと、
物語の結論として、つまりオチを考えてみると、恋愛モノなら「勇気をだして告白」とか戦闘モノなら「強敵に打ち勝つ」とか、そういう感じなわけです。
じゃあここで「のび太の例を取ってカタルシスを考えてみた場合、序盤で主人公はどのような人物像が適切か?」という命題に答えた場合、その多くの回答は「平凡」になりませんかね?

ただ、この話だけを真に受けると「主人公は平凡なのがベストなんだ」って誤解される人もいるかもしれないので念の為書くと、
この話は「物語モデルの一つとして、こういう考えもある」というだけです。
例えば「僕は友達が少ない」など「平凡な主人公と個性的なサブキャラ」という図においては、これはどっちかっていうと主役は個性的なサブキャラで「個性的なサブキャラに振り回される主人公」を楽しく読む物語なので、この手の主人公は終始変化なく平凡であることが多いです。
変化あるのは主旨である個性的なサブキャラの方って事が多いですよね。主人公像は問題ではないし、サブキャラを立てるために主人公を無個性にしてるだけですから。
この話題もオミクロンさんの回答の焼き増し的な感じになりますがw
あるいは「ひぐらしのなく頃に」の主人公は特殊性なんてほとんどありませんが、別に「強者に打ち勝つ」など「凡人から変化するポイント」にカタルシスを置いてるわけじゃないので、逆に凡人でも超人でも問題ない、という感じです。単に超人だったらすぐに事件が解決しちゃうので凡人になってるだけであって。

まあ、もっと漠然とした話を無責任に言ってしまうと、主人公無双や転生モノなど主人公の特殊性を押し出したモノが流行っているのは事実なので、「自称平凡」という特殊性を隠す(無いのではなく隠す)主人公像は正直なとこ相当古いんじゃないかなと感じます。
それこそ学園モノや創作部系が流行った「涼宮ハルヒの憂鬱」の時代がピークで、今は、そのノリが好きな読者だけが残ってるってのが現状ではないかなと。
だから、主人公無双や転生モノはファンタジーが主流だけど、別に学園モノで似たようなことをして特殊性を押し出す主人公像でもウケると思いますよ。
「30代のオッサンが事故で死んで、気がついたら中学生に戻ってた」なんて設定の話は昔からありましたし、超強い不良の主人公が無双する不良漫画とかテーマが不良だから無双に見えないだけで実際無双してますよね。
そういう学園モノ、現代モノのラノベは確かに最近あんま見かけないので、狙い所じゃないでしょうか。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 学園物の主人公を平凡、凡人にしたくない

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元記事:新作と過去作の推敲、どちらを優先するべきか

どうもこんにちは。捨てゼリフを吐いておきながら結局戻ってくる根性なしです。
現在私はある課題に直面していて、どう対処するかで悩んでいます。
というのも、去年執筆した作品の多くが文法面で拙い作品が多くなってしまいました。
(主に情景描写の不足などが深刻な結果になりました)
理由は色々あって、全部の作品が一概に該当するわけではないのですが……

・一昨年はほとんど使用していない三人称を採用した作品が多かった
・連載中のストーリーを進めることばかりに意識が向き、描写面の演出をおろそかにしすぎた
・公式コンテストや個人コンテストなどの締め切りによって、環境的に推敲をする余裕が満足に取れなかった

このような感じの理由です。
これらの環境で地の文が適当になった作品達を放置して新作を作り続けるか、推敲に集中するかで悩んでいます。
一番まずいのが今後作る新作が、去年の作品達と同じ失敗をすることだと思います。推敲するにしろ放置するにしろ、同じ失敗をしないように気を付けなければいけません。
次に失敗しないために推敲するか、次に労力を向けることを優先するか、皆様はどちらを選びますか?

上記の回答(新作と過去作の推敲、どちらを優先するべきかの返信)

投稿者 大野知人 : 1

 お帰り~。今回の家出は短かったっすねぇ。

 文章面が拙いと感じているなら、それはもう全くもって技術面の問題でしょう。
 俺個人としても、如月さんの文章は若干読みにくいように感じる部分がチラホラあります。

 さてその上で。
 ご質問の答えとしては、『旧作を徹底的に見直して、「自分がやりがちなミス・気を付けなければいけない点」リストを作り上げ、その上で新作を作る』でしょうか。

 まあ、一案ではありますが。
 「問題点が多かった」と感じるのであれば、問題点を追及し、分析し、次に生かせる何らかの知識を編み出すことが重要でしょう。
 一方で、「既にある物を直す」と言うのは「新しくものを作り出す」と言うのとは全く別の仕事なので、旧作を作り直したとしても、それ以降の作品に生きる技術をつかみ取ることは出来ません。

 ですから、まず旧作を徹底的に見直し、その過程で見えた問題点・陥りがちなミスをリストアップし、その上でリスト項目に気を付けながら新作を作る。
 これが一番ではないでしょうか?

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 新作と過去作の推敲、どちらを優先するべきか

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元記事:はじめまして。相談いいですか。

昨年から、俺もライトノベル書いてみようと思いたって色々やってる者です
最初はアイデアとか全然浮かばなかったんですが、ふと思いついて主人公とヒロインは決まりました
舞台も大まか決まって、現代バトルファンタジーにしようとも
本題はここからなんですが、敵役が思いつかないです
俺もそれなり社会人やったんで嫌な奴には会ってきたし、エンタメ作品の悪役も結構見てきたと思います
でもこれ、という悪役が思い浮かばないです
皆さんどうやって考えついていますか?

※そうすっね、鬼滅の刃の鬼達とかやっぱ感じ入るもんあったです
鬼滅を例えにしたのも、ヒロインと敵を鬼にしようて思ったんで

上記の回答(はじめまして。相談いいですか。の返信)

投稿者 大野知人 : 1

 はじめまして。大野と申します。
 先に予防線を張って申し訳ないですが、俺は基本的に『やられ役』はともかく『悪役』は出てこないように物語を作るので、これから述べる意見は経験談ではなく、『自分ならどうするか』という話になるので、そのことをご了承ください。

 さて、『悪役』キャラの作り方アイデアですが、基本的には『主人公に対しての対比性/共通性』を軸に考えて固めていくといいと思います。

 なんでかというと、ラストシーンでの会話をやるときに、ラスボスと主人公の思想がほぼ同じだったらどうなるでしょうか?
 『なんでおめえら戦ってんの?』と読者が冷めてしまいませんか?
 
 逆に、『ラスボスの言ってることが全く全部めちゃくちゃで、ほぼ何もわからんけど倒します』という展開。これも、経過がどうあれ『相手を理解しようともせず無慈悲に敵を殺した』みたいで、ラストバトルとしては盛り上がりに欠けるし、ともすれば落胆するでしょう。

 つまり、ラスボスというのは『ほどほど理解できるけど致命的に主人公と対立する』要素があってこそラスボス足り得ると言えるでしょう。

 僕は鬼滅は読んでないのであんまよく知らんのですが、あの作品の鬼たちは生物的に『人間の天敵』と言わざるを得ない性質を持ってましたよね?
 そのうえで、『だから人間に迫害されても仕方ない』という点があり、ともすればその生い立ちについては同情する余地があるんだけど、しかし結果として本人たちの人格的な悪性が強いので倒さざるを得ない、という結論に主人公たちは至るわけです。
 つまり『鬼だから殺す』という状況に対しての主人公の反発・同情があったうえで(無いと禰豆子を庇わないわけですから)、『何で人を襲うのか/人を襲うのを我慢出来ないのか』という問いかけに対して我慢ならない答えを示す悪役だからこそ、主人公と対立しうるということです。

 このように主人公の納得できる要素と、納得できない要素を組み合わせて、『戦う理由』足りうるキャラ性を決めるといいと思います。
 あとはそこに肉付けすれば何とかなるんじゃないでしょうか。

カテゴリー : キャラクター スレッド: はじめまして。相談いいですか。

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元記事:ファンタジーやメルヘンでのリアリティの度合いの決め方を教えてください。

SFが「嘘っぽくない」ようになるため、あらゆる論理性によって本当のように見せているのに対し、ファンタジーはそもそもそうした努力をしているのでしょうか。

ファンタジーの「嘘っぽくなさ」は、おそらくは形相によって保障されています。
つまり、石を削って彫刻を作る際には、その目的としての対象が存在しているのであって、作者が想像したり、観客がそれを見たりする以前からそこに存在し、作者はいわば観測者に過ぎないという考えです。
であればSFもまた、このような作り方でもいいはずです。「未来少年コナン」が「あり得ない動作を現実の動作の延長のように見せることで本当のように見せている」のは何故でしょうか。

SFがこのような手法を取る理由としては、たとえば読者に「自分にもできるかもしれない」「もしかしたらあの時こういう結末になっていたかもしれない」といった同一化を生む機能や、主人公の行動パターンを論理的にすることによって、推理に合理性を与えたり、あるいはその社会が持つ限界を明らかにして風刺等を行ったりする、といったことが考えられますが、そうした理由がなくとも有名なSFでこの手法を使っているものは少なくないように思えてなりません。

また、ファンタジーの方としても、ある部分はそうしたSF考証を行うことで「嘘っぽくない」ように見せながら、またある部分では、読者や視聴者には明らかに嘘であると明らかなものを見せることもあります。「精霊の守り人」において、序盤から幻想的な世界観が広がっており、読者にもこれが虚構の世界であると理解されますが、中盤には文化人類学的な「類感魔術」の要素が入っています。これらの描写の違いを決める線引きは何でしょうか。

さらに言えば、作品が本の中の出来事であると改めて明示することもあります。M・エンデの作品は言うに及ばず、絵本に描かれるファンタジーなどもそうです。ファンタジー以外でも、「この世界の片隅に」などは鉛筆を使った描写やコマが紙のようにめくれる手法などによってそれがなされています。これは一見、読者が作品から現実世界へと引き戻され、「嘘っぽくなさ」としても「形相」としてもマイナスの効果になると思うのですが、実際にはどのような効果を狙ったものでしょうか。

上記の回答(ファンタジーやメルヘンでのリアリティの度合いの決め方を教えてください。の返信)

投稿者 サタン : 4 人気回答!

>SFが「嘘っぽくない」ようになるため、あらゆる論理性によって本当のように見せているのに対し、ファンタジーはそもそもそうした努力をしているのでしょうか。
こういう言い方はバカにしてるように聞こえもするんですが、ぶっちゃけ初心者ほどそういう努力をしてると思います。
魔法や世界観の設定をえらい細かく考えたりするでしょ。
書きなれてる人ほど、SFでも設定を考えこそすれあまり設定設定で書いたりしない。
というのも、物語にとって大事なのはそういう設定ではないし物語への没入感は「現実的にありえるかどうか」で得られるものではないためですね。
虚構だからこそ、作ってる人には最初から虚構だとわかってるからこそ、慣れてない人ほど虚構を覆い隠そうと「現実的な」という部分を必死になって考える。

物語への没入感を得るのは、単純にドラマ性の有無でしょう。
物語からドラマ性を極力排除して流れを作ると、これは歴史の教科書みたいになる。歴史は学術的に事実であると裏付けされた出来事なので、「嘘っぽくない」という事であればダントツなはず。
じゃあ、スレ主さんは歴史の教科書に対して、嘘まみれのラノベよりもずっと熱中して読めますか、ってこと。
「嘘っぽくない・事実のように書く」というのは実はあんまり大事なことではないのですよ。

ただ、SFってのはつまりサイエンス・フィクションであるので、科学的な要素に関して嘘っぽくちゃ話にならないってだけ。
だから紐解けば、本質的にはSFもファンタジーも割とおんなじよ。
「能力・機能」と言えばSFっぽくて、「魔力・魔術」と言えばファンタジーっぽいというだけ。
それを説明するガワの解説文で「能力(アビリティ)はパーソナルな認識によって発現する形が変わる」とか、「魔術の個性は血筋によって決まっている」とか、そういう「設定・テーマに対する色」がついて、それっぽくなっていく。

じゃあ、同じものであるなら何でSFのほうが説得力がある設定に見えるのかつったら、
これは単に作者にも読者にも科学的な基礎知識があるから、もともと持ってるイメージすなわち先入観によるところでしかない。というのが私の考え。
そういう前提知識が無い状態、読者の中にそれを作るところから始めなきゃならないファンタジーは、だから最初に躓くと「嘘っぽく」というか「初心者臭く」なる。
でも、最初に書いたけども、別にそれが物語への没入感に直結することじゃないから、例えば素人作品の なろう系 なんてのはそれでも受け入れられてますよね。

大事なのはドラマ性、物語性なので、つまり読者はキャラクターの活躍や衝突を読んでるわけで、形成する世界の非現実性は割とどうでもいいんですよ。
それはドラマを彩り舞台を支える要素の一つである大切な要素ではあるけど、そういうところが物語の没入感に直結するわけではない。
つまり
>作品が本の中の出来事であると改めて明示することもあります。
こういう作品は、世界観の舞台を「舞台」として利用してる作品ってこと。
演劇の舞台って、当然のことお芝居だってわかってて見るわけだけど、楽しめるでしょ。
舞台用語で第四の壁ってのがあるけど、舞台を飛び降りたり舞台から観客に問いかけたり、舞台が「舞台」であることを利用しての演出があったりする。
このあたりは理解を深めるのに大変役立つと思うけど、そもそも物語としての本筋はそっちじゃないと思うのでほどほどが良いかなと思います。

ぶっちゃけ、虚構を虚構でないように見せる「嘘っぽい・嘘っぽくない」という発想が、若い。
読んでる人が虚構を楽しめるようにしなきゃ。

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ライトノベル作法研究所管理人うっぴー /運営スタッフ:小説家・瀬川コウ:大手出版社編集者Y - エンタメノベルラボ - DMM オンラインサロン

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