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あまくささんの返信一覧。最新の投稿順60ページ目

元記事:陰キャの成長は陽キャとなることなのか?

こんにちは、サイドです。
普段は掌編などでお世話になっている者です。

質問についてですが、タイトルの通り「陰キャの成長は陽キャとなることなのか?」です。

今、応募を目指した学園ラブコメを書いており、物語としては、
「カースト最下位の陰キャ主人公が、トップスリーの陽キャヒロイン達と出会い、ある事件を経て成長する」
がテーマになっています。

最初に作ったプロットの最後は、
「殻に閉じこもりがちだった主人公が、ヒロイン達を大切にし、視野を広めて前向きになる」
でした。

しかし、執筆が終盤に差し掛かり、「陰キャが陽キャへ変化する(陰キャの記号を陽キャのそれへ入れ替える)=成長」ではないのでは? と思う様になりました。
「陰キャ」と「陽キャ」という言葉が使われるようになったのは、ここ数年のことだと思います。
ですが、少し古い小説やアニメを見ても、「内向的な少年が、成長して前向きになる」は存在するので、物語の形としては王道だと理解もしているつもりです。

ここでどうして主人公が陽キャの属性に近付くことに違和感を持ったのかというと、

〇上記した「ある事件」とその解決法が、ヒロイン達といることで広まった妬み、嫌がらせなどの悪い噂の原因を見つけ、対処、解決することに比重が置かれているから

だと、考えました。

もしも、それらの悪い噂にはっきりとした犯人(例 カースト十位の嫌味な優男など)が存在し、それを打ち負かし、成り上がっていく作風であれば、主人公の成長が陽キャへ近づくのは納得できると思います。
しかし、書いていくにつれて主人公の行動指針は「悪い噂の解明と対応、及び解決」だけであり、成り上がりには興味のない人物になっていきました。
結果、競争心のない人物像となり、ラノベらしくないのでは? と感じています。

そこで、最後に辿り着く二つの主人公像を考えてみて、その判断をお聞きしたいと思っています。

一 他と関連、比較させてみて、初めて自身の存在をとらえ、最下位という劣等感を克服しようとする、相対的な判断をする主人公 
(比較という性質を持つため、競争や成り上がりへの意識が強い)

二 他と関連、比較などはせず、出会いを経てカースト最下位という自身の存在をとらえ、劣等感を持っている自分も自分だとする、絶対的な判断をする主人公
(優劣の意識があまりない為、ありのまま気楽に構えていればいいやと割り切っている)

個人的には、僕自身の性格が「二」寄りなので、そちらの方が書きやすくしっくりきます。
繰り返しになりますが、物語に「カースト十位の嫌なやつ」(この場合、悪い噂を流した張本人)などの明確な「敵」が存在せず、交流を経た内面の成長に比重を置き、成り上がりの性質は少ない為、話の流れとしても「二」が納得できると感じています。

ですが、ラノベ的にはカーストというランクがあるのなら、ヒロイン達の助けを借りつつどんどん駆けあがって行く、「一」の様な性格になる方が王道のような気もしています。
また、先に挙げたような「絶対的な評価」の主人公像をラノベ業界であまり見た事がないので、自分の書きたいものを書いているだけで需要や王道を無視しているのでは? とも感じています。

この二つの主人公像や現在の需要、自分としては違和感があっても多くある王道へシフトする方がいいのか? に悩んでいるので、何か助言をいただければ幸いです。

上記の回答(陰キャの成長は陽キャとなることなのか?の返信)

投稿者 あまくさ : 1 投稿日時:

>陰キャの成長は陽キャとなることなのか?

それは違うでしょう。もしそうだとしたら陽キャは陰キャよりも優れているという前提が必要になりますが、そんなこともないわけで。

ただ、ご質問の趣旨はむしろ次の二択についてのようです。

>一 他と関連、比較させてみて、初めて自身の存在をとらえ、最下位という劣等感を克服しようとする、相対的な判断をする主人公 
>(比較という性質を持つため、競争や成り上がりへの意識が強い)

>二 他と関連、比較などはせず、出会いを経てカースト最下位という自身の存在をとらえ、劣等感を持っている自分も自分だとする、絶対的な判断をする主人公
>(優劣の意識があまりない為、ありのまま気楽に構えていればいいやと割り切っている)

この二つの主人公像について、成長ということにからめて意見がほしい。要するにそういうことですね?

わかりました。じゃ、私見を書きます。

前者は成長ではなく、外面的な「成功」を目指しているにすぎません。

後者はより主人公の内面性に焦点があたっていますが、最初からふっきれた性格なので成長はしそうもありません。

>しかし、書いていくにつれて主人公の行動指針は「悪い噂の解明と対応、及び解決」だけであり、成り上がりには興味のない人物になっていきました。
結果、競争心のない人物像となり、ラノベらしくないのでは? と感じています。

ラノベらしいかどうかはともかく、なんだか名探偵が事件の解決に取り組んでいるような感じですね。「名探偵」というのは事件に対して利害関係がありません。すなわち当事者ではないわけです。

しかし御作の場合、

>「ある事件」とその解決法が、ヒロイン達といることで広まった妬み、嫌がらせなどの悪い噂の原因を見つけ、対処、解決することに比重が置かれている

ということですから、どう考えても当事者そのものです。にも関わらず、自分の利害よりもクエストをクリアするような感覚で行動する。
そんなキャラクターになっているのではないでしょうか?

ある意味、面白い性格だと思います。いっそのこと、そういう根っからのアウトサイダー気質みたいな主人公像に振り切ってしまう方がサイドさんには向いているんじゃないかと思わないでもありませんが。
ただまあ、それだと主人公が成長するストーリーにはなりませんね。

そこで、もう一度考えてみてほしいのですが。

サイドさんは、本当に主人公が成長するストーリーを書きたいのでしょうか?

もしそうであれば、

>一 他と関連、比較させてみて、初めて自身の存在をとらえ、最下位という劣等感を克服しようとする、相対的な判断をする主人公 
>(比較という性質を持つため、競争や成り上がりへの意識が強い)

>二 他と関連、比較などはせず、出会いを経てカースト最下位という自身の存在をとらえ、劣等感を持っている自分も自分だとする、絶対的な判断をする主人公
>(優劣の意識があまりない為、ありのまま気楽に構えていればいいやと割り切っている)

仮に私が書くとしたら、主人公の心境をストーリーの前半では一、後半では二へと変化させます。
カーストを登りつめることが成長だと考えていた主人公(一)が、本当の自分らしさに目覚める(二)みたいな話にすれば、オーソドックスな成長ストーリーにはなると思います。
サイドさんの二の発想だと最初から吹っ切れているから成長のしようがないんです。成長させたいのなら、ストーリーのスタート地点では吹っ切れていないことにするのが当然の定石でしょう。

ところで、『弱キャラ友崎くん』は読まれたでしょうか?
成長ストーリーなら「一 → 二」がオーソドックスだと書きましたが、『弱キャラ友崎くん』は真逆。主人公は二タイプのキャラなのですが、あるヒロインとの出会いをきっかけとして一に取り組むようになり、その過程を通じて主人公の真の成長が予感できてしまうという驚くべき大技が進行しています。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 陰キャの成長は陽キャとなることなのか?

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元記事:陰キャの成長は陽キャとなることなのか?の返信

>陰キャの成長は陽キャとなることなのか?

それは違うでしょう。もしそうだとしたら陽キャは陰キャよりも優れているという前提が必要になりますが、そんなこともないわけで。

ただ、ご質問の趣旨はむしろ次の二択についてのようです。

>一 他と関連、比較させてみて、初めて自身の存在をとらえ、最下位という劣等感を克服しようとする、相対的な判断をする主人公 
>(比較という性質を持つため、競争や成り上がりへの意識が強い)

>二 他と関連、比較などはせず、出会いを経てカースト最下位という自身の存在をとらえ、劣等感を持っている自分も自分だとする、絶対的な判断をする主人公
>(優劣の意識があまりない為、ありのまま気楽に構えていればいいやと割り切っている)

この二つの主人公像について、成長ということにからめて意見がほしい。要するにそういうことですね?

わかりました。じゃ、私見を書きます。

前者は成長ではなく、外面的な「成功」を目指しているにすぎません。

後者はより主人公の内面性に焦点があたっていますが、最初からふっきれた性格なので成長はしそうもありません。

>しかし、書いていくにつれて主人公の行動指針は「悪い噂の解明と対応、及び解決」だけであり、成り上がりには興味のない人物になっていきました。
結果、競争心のない人物像となり、ラノベらしくないのでは? と感じています。

ラノベらしいかどうかはともかく、なんだか名探偵が事件の解決に取り組んでいるような感じですね。「名探偵」というのは事件に対して利害関係がありません。すなわち当事者ではないわけです。

しかし御作の場合、

>「ある事件」とその解決法が、ヒロイン達といることで広まった妬み、嫌がらせなどの悪い噂の原因を見つけ、対処、解決することに比重が置かれている

ということですから、どう考えても当事者そのものです。にも関わらず、自分の利害よりもクエストをクリアするような感覚で行動する。
そんなキャラクターになっているのではないでしょうか?

ある意味、面白い性格だと思います。いっそのこと、そういう根っからのアウトサイダー気質みたいな主人公像に振り切ってしまう方がサイドさんには向いているんじゃないかと思わないでもありませんが。
ただまあ、それだと主人公が成長するストーリーにはなりませんね。

そこで、もう一度考えてみてほしいのですが。

サイドさんは、本当に主人公が成長するストーリーを書きたいのでしょうか?

もしそうであれば、

>一 他と関連、比較させてみて、初めて自身の存在をとらえ、最下位という劣等感を克服しようとする、相対的な判断をする主人公 
>(比較という性質を持つため、競争や成り上がりへの意識が強い)

>二 他と関連、比較などはせず、出会いを経てカースト最下位という自身の存在をとらえ、劣等感を持っている自分も自分だとする、絶対的な判断をする主人公
>(優劣の意識があまりない為、ありのまま気楽に構えていればいいやと割り切っている)

仮に私が書くとしたら、主人公の心境をストーリーの前半では一、後半では二へと変化させます。
カーストを登りつめることが成長だと考えていた主人公(一)が、本当の自分らしさに目覚める(二)みたいな話にすれば、オーソドックスな成長ストーリーにはなると思います。
サイドさんの二の発想だと最初から吹っ切れているから成長のしようがないんです。成長させたいのなら、ストーリーのスタート地点では吹っ切れていないことにするのが当然の定石でしょう。

ところで、『弱キャラ友崎くん』は読まれたでしょうか?
成長ストーリーなら「一 → 二」がオーソドックスだと書きましたが、『弱キャラ友崎くん』は真逆。主人公は二タイプのキャラなのですが、あるヒロインとの出会いをきっかけとして一に取り組むようになり、その過程を通じて主人公の真の成長が予感できてしまうという驚くべき大技が進行しています。

上記の回答(補足)

投稿者 あまくさ : 0 投稿日時:

乗りかかった船なので、もう少し補足します。

>一 他と関連、比較させてみて、初めて自身の存在をとらえ、最下位という劣等感を克服しようとする、相対的な判断をする主人公 
>(比較という性質を持つため、競争や成り上がりへの意識が強い)

「他との関連、比較」「相対的な判断」「競争や成り上がり」という言葉があることから「それは成長ではなく成功を目指しているだけ」とコメントしたのですが。

ただ。

「最下位という劣等感を克服しようとする」という一文がちょっと気になります。この一文だけ切り出すと普通に内面的な成長ということになりますから。

あくまで個人的な感覚ですが、ロジックがおかしくないかなあ? 相容れないものを結び付けてしまっているような気がするのですが。
というのは、この文脈の中での「相対的な判断」というのは、自らをカーストの中に位置づけようとしているだけに見えるからです。
自分と他を比較し、相対的に判断することによって自身のあり方を正確に見つめる → そこからつかんだ確かな自分を土台として人間関係を再構築する。
そういうことではなく、単に「競争や成り上がり」が目的化してしまっている感じがします。そこから得られるものは成長ではなく、空虚な成功ではないでしょうか?

>二 他と関連、比較などはせず、出会いを経てカースト最下位という自身の存在をとらえ、劣等感を持っている自分も自分だとする、絶対的な判断をする主人公
>(優劣の意識があまりない為、ありのまま気楽に構えていればいいやと割り切っている)

絶対的な判断、というのはかなりの強さですよ。

>(優劣の意識があまりない為、ありのまま気楽に構えていればいいやと割り切っている)

いや、ありのままというのは大変なことです。気楽に構えてできることではありません。気楽に構えていればいいやと割り切っているのだとしたら、それは「ありのまま」でも何でもなく、現実を直視することから逃げているだけです。

「他との関連、比較などはせず」「劣等感を持っている自分も自分だとする絶対的な判断」をしているのなら、その人はカースト最下位にいるのではなく(他人の目にはそう見えるかもしれないけれど)、カーストの外にいるんです。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 陰キャの成長は陽キャとなることなのか?

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元記事:補足

乗りかかった船なので、もう少し補足します。

>一 他と関連、比較させてみて、初めて自身の存在をとらえ、最下位という劣等感を克服しようとする、相対的な判断をする主人公 
>(比較という性質を持つため、競争や成り上がりへの意識が強い)

「他との関連、比較」「相対的な判断」「競争や成り上がり」という言葉があることから「それは成長ではなく成功を目指しているだけ」とコメントしたのですが。

ただ。

「最下位という劣等感を克服しようとする」という一文がちょっと気になります。この一文だけ切り出すと普通に内面的な成長ということになりますから。

あくまで個人的な感覚ですが、ロジックがおかしくないかなあ? 相容れないものを結び付けてしまっているような気がするのですが。
というのは、この文脈の中での「相対的な判断」というのは、自らをカーストの中に位置づけようとしているだけに見えるからです。
自分と他を比較し、相対的に判断することによって自身のあり方を正確に見つめる → そこからつかんだ確かな自分を土台として人間関係を再構築する。
そういうことではなく、単に「競争や成り上がり」が目的化してしまっている感じがします。そこから得られるものは成長ではなく、空虚な成功ではないでしょうか?

>二 他と関連、比較などはせず、出会いを経てカースト最下位という自身の存在をとらえ、劣等感を持っている自分も自分だとする、絶対的な判断をする主人公
>(優劣の意識があまりない為、ありのまま気楽に構えていればいいやと割り切っている)

絶対的な判断、というのはかなりの強さですよ。

>(優劣の意識があまりない為、ありのまま気楽に構えていればいいやと割り切っている)

いや、ありのままというのは大変なことです。気楽に構えてできることではありません。気楽に構えていればいいやと割り切っているのだとしたら、それは「ありのまま」でも何でもなく、現実を直視することから逃げているだけです。

「他との関連、比較などはせず」「劣等感を持っている自分も自分だとする絶対的な判断」をしているのなら、その人はカースト最下位にいるのではなく(他人の目にはそう見えるかもしれないけれど)、カーストの外にいるんです。

上記の回答(一の主人公がかかえる根本問題について)

投稿者 あまくさ : 1 投稿日時:

一について。

どこか話が変だなと思って、もう少し考えてみたのですが。

>他と関連、比較させてみて、初めて自身の存在をとらえ、最下位という劣等感を克服しようとする、

これは、心の抑圧からの解放、ということを仰っているのでしょうか? だとしたら、そこから考察した人間心理への理解がキャラ造形とうまくかみあっていない気がします。

心の抑圧というのは、まず出発点としてその人が絶対に自覚したくない何かがあるんですね。それは幼少時の忌まわしい経験だったり、理想とかけ離れすぎているため認めたくない現在の自分がおかれた状況だったりします。で、そうした要因がその人の性格や行動に強い影響を与えているのに、自分で気がついていない。そういう状態を抑圧といいます。自分の心の根本から目を背けてしまっているために、思考や行動に歪みが生じるわけです。

なので心理学の偉い人とかは、「自分を直視し、自分にとって真につらい何かを認める勇気を持てば、人間は抑圧から解放される」みたいなことを言います。

それはまあ正しい概念なのでしょうが、それって抑圧状態にある人が自己診断して実行するのは無理です。だって正しい自己診断ができなくなっていることそのものが抑圧なんですから。それはほとんどの場合、他人にサポートされなければ解きほぐせない状態で、すなわちカウンセラーの仕事です。

たいへん失礼ですが、サイドさんは物事を概念的に解釈しようとしすぎるのではないでしょうか?
しかしその概念の意味を十分につかみきれないまま、人間心理などの不完全な理解をむりやり作品に当てはめて「操り人形」のようなキャラを作ってしまっているように見えます。

偉そうに言ってごめんなさい。

一にもどります。
端的に言えばこの主人公は劣等感を克服できていないし、それだけでなく克服しようとして間違った方向に走ってしまっています。劣等感による自らの心の歪みを解消しなければいけないのに、カースト最下位に置かれているという「不快な外的状況」だけを解消しようとしています。

一がかかえる根本問題はそういうことだと思うのですが、いかがでしょうか?

カテゴリー : ストーリー スレッド: 陰キャの成長は陽キャとなることなのか?

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元記事:陰キャの成長は陽キャとなることなのか?の返信

うーん、タイトルの内容についていろいろ考えていて、否定する方向で論じてみようと思ったんですが、上手くいきませんでした。

>陰キャの成長は陽キャとなることなのか?

これですね。
これ、掌編でも少し触れたので「それは違います」と言い切ろうと思ったんですが、色々考えてみるとなるほどここで迷ったのかな、というのが私の中にも浮かんできたのでちょっと書いてみます。

まず、陰キャというものについて自分自身誤解している可能性を考えてちょっと調べてみましたが、やはり陽キャ陰キャについて上位互換であるような記述はなく、スクールカーストとセットで語られることが多い相対評価……って感じで、概ね自分の理解と齟齬はないようでした。

ってことで、それは違うのでは、という方向で考えていたんですが……引っかかりを覚えたのがスクールカーストを猿山に置き換えて考えていたときです。
実際に猿山のトップに立つのって、優れた猿なんですよね。
となれば、陽キャは優れていて、陰キャは劣っている……確かにな、と思ってしまったわけで。
でも、実際に違うという気持ちもあったわけで。何が問題なのかと俯瞰してみましたが、おそらくはどの枠組みで見ているかが問題なんだと思うんですね。

スクールカースト=猿山=「クラスという小集団としてみた場合」、人心掌握術や気の強さ、力の強さ、体の大きさ、などなど。そのクラスごとの発言力の基準というものがあって。
そのクラス単位の枠組みで見ると、より上位のカーストに登っていく=陽キャ化する、というのは確かに成長と言えるかと思うんですね。

ただここで問題なのは、別の枠組み……「一個の人間的な実力や性質」の枠組みで見た場合、それは成長と言えるのか、ということです。
例えば割とあると思うんですが、勉強やスポーツが出来るわけじゃないけど、話が上手くて明るい性格のムードメーカーってのがカースト最上位よりちょっとしたあたりにいたりしますが、元々全く性格的に違う人間がそうなるってのは考えにくいですし、成長じゃないですよね? それって、変貌とか変質とか、正常じゃない成長だと思うんですよね。
あと、陽キャにも色々あって、必ずしも人間的に優秀でない……というか、割と無能な人間が陽キャカテゴリに入るであろう場合もあるわけで。
えーと、アニメSIROBAKOのソフトモヒカンとか、月刊少女野崎くんの前野さんとか?(どっちもスクールじゃないですけど)
そんなわけで、言葉の上では必ずしも陽キャになるのは成長とは呼べない、なんてケースにもありえますね。

そんな感じに、陰キャと陽キャの意味合いにおいて二つ以上の価値基準(クラスカーストカテゴリと、人間的な意味合いカテゴリ他)を混同、あるいは同一視してしまったために迷われたのではないでしょうか?
そう考えると、回答としては「条件付きで正解」とか、「どちらとも言えない」とか、「どの側面で見るかによる」、という答えになるかと。
そのように思いました。

ただ、一個だけどちらのカテゴリにおいても陽キャになることが利点、または成長と言えるであろう点を挙げますと、「行動力」ですかね。
「前向き」とかでも良いですけど、陰キャはとにかくなにかにつけて行動しない。口だけだったり、頭の中だけで完結している……そんな傾向が強い気が(そうでない人はごめんなさい)。
で、行動しないから失敗しないんだけど、成功もしないって感じが強くて、その点においては明らかに陽キャに軍配が上がる……と思ってます。
このあたりは私の体験も含めてそうですね。
(私自身が二型陰キャですけども)
なので陰キャはあえて陽キャになる必要はないですし、なってみても凄い疲れますが、行動力だけは見習って損はないですし、得るものは多いかと。

つまりは、陰キャは陰キャやってるときが一番落ち着きます(ホントに)w でもそれだけじゃ得られないものは確実にある、って感じですね。

ちなみに。
既出ですが、弱キャラ友崎くんは面白いのでオススメですね。
転生系は面白いは面白いけど、タナボタ的スキルとか人生リセットしたい、努力したくないって読者の下心まで見えてしまうので私的には微妙に忌避感が。
その点友崎くんは純粋に今の人生を頑張りたい、良くしたい、って感じがあってすごく好きです。
こんな作品ばかりになれば良いのになぁw
(人生良ゲー説支持派)

上記の回答(陰キャの成長は陽キャとなることなのか?の返信の返信)

投稿者 あまくさ : 0 投稿日時:

私の言いたかったことの一部をたいへん丁寧に説明してくださっているので、一言付言します。
むろん、よい意味で陽キャになることは何らかのスキルが向上することなので、広い意味で成長だと思います。
ただ、ストーリー作法という観点からよく推奨される「成長」というのは、内面的に一皮むけるみたいなことを重要視する傾向が強いじゃないかと思っていまして。まあ価値観の問題として、スクールカーストの上位を目指す的なことは本当の成長じゃない的な方向に話を持っていくことが多いと思うので、その考え方に同意するにしてもしないにしても違いは理解しておく必要があると思うんですよ。
私の上の書き込みはそのへんを強調しすぎたきらいはあるので、これだと誤解されるかな? と少し気にならないでもありませんでした。

勝手に他人を巻き込むのも失礼かもしれませんが、ハイさんのご意見を合わせて参考にしていただけると嬉しいかなと思ったりしました。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 陰キャの成長は陽キャとなることなのか?

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元記事:長編の書き方を教えてください。

 どうも、壱番合戦 仁です。

 サタンさんのアドバイスに沿って、一度ものすごくシンプルなお話を書いてみました。それは、ぐちゃぐちゃになったお話の原作の原作とでも呼ぶべき、一番初歩的なお話です。習作となる予定だったのでこれでいいのだと思いました。

 今回、ご相談したいことは、第一に「どうやったら、きちんとお話を背骨が通ったものにできるのか?」。第二に「どうすれば、感情表現を豊かにできるのか?あるいはボキャブラリーを増やせるのか?」です。

 以前お話したしぐれんさんにも言われたことなのですが、僕は局所局所での演出がうまいらしいのです。ですが、全体を通しての作品作りができていないとも言われました。それは僕も痛感するところで、場面ごとの展開に目を奪われすぎて大局観が無いということは以前から自覚していました。
 作品を一貫して貫くテーマを掲げることで、エンディングを派手に演出しなくても、物語を通して伝えてきたメッセージの集積が結実することで、感動的な結末にできるという手法は、かねてから多くの作品で読み取ってきました。
 例えば、東野圭吾/作「秘密」の海浜公園でのワンシーン。あれが演技だった事を知って、自らの肉体の代わりに娘の魂と引き換えに体を得た彼女が、自ら選んだ結末だったのだ、と気づいたときには、一本取られた気分になりました。
 内容はともかくとして、ああいう仕組みの作品を書いてみたいです。
 
 また、全体を見通す目がなっていないので、一人ではプロットが書けません。代わりにアイディアはポンポン浮かんでくるので、書きながら先をある程度見通して切り抜けています。なので、割とカッチリとプロットを組んでも、あとでグダグダになりやすいです。

 さらには、感情表現がワンパターンになりつつあることにも気が付きました。手塚治虫先生と比べるのはおこがましいですが、彼方の感情表現がパターンが少なくても問題ないのと同じように、記述の内容とシチュエーション、あるいは発言者の口調や性格を変えることで飽きさせないようにはしています。(手塚先生が晩年提唱した、漫画記号論を真似しています)

 ただ、それでいいのかといわれると疑問です。文学とライトノベル、どちらにも言えることがあります。僕の一意見でしかありませんが、感情表現や情景描写、大道具小道具の描き方は、なるべく豊かであった方がいいと思うのです。(パターンが多くないと、漫画記号論のシステムが成り立ちませんし、応用云々以前の問題です)

 ただ、僕は感情の機微に疎いので、どうしても表現に限界が出てきます。普段から自分の感情表現は単純極まりないな、と振り返ることがしばしばあります。
 というか、単純というよりは直情的なのです。
 言葉ではレトリックマシマシの文学的なセリフを吐いてカッコつけても、その感情表現のいちいちが単純になってしまっています。組み合わせのパターンもそれほどレパートリーが無いので、困っています。

 昔の友人から贈られた小説の書き方を記した本に、『文学少女シリーズ』の一節が例題として挙げられていました。
 天野ちゃんだったかな?あの子が、告白したい気持ちを抑えきれずに心葉くんの手を噛んで、こてんと眠ってしまうシーンがありました。

 『こ、これは……、すごいな』と思いながらも、真似できないとも思いました。同時に、医学的にあり得るのかが気になってしまって、書こうと思ってもかけないだろうなとも思いました。しかし、やはり僕には理解しにくい表現法でした。

 これとは少し毛色が違いますが、キングダムハーツの名言などを通し読みしてみると、どれもこれも珠玉の名シーンぞろいで、見習いたいけど見習えない歯がゆい思いをしています。「うらやましいよ、ソラ。俺の夏休み終わっちゃった」なんて、一度は見習いたいです。僕が同じシーンを書くとしたら、ロクサスが喚き散らしてかなり見苦しくなります。そんなの、僕だって願い下げです。

 特に最近衝撃的だったのは、あの『リゼロ』の作者が、WEB版原作で、キングダムハーツⅡをオマージュしたことでした。あの引用はさすがに今思い出すだけでも鳥肌が立ちます。おなじ引用でも、素人とプロではここまで差が出るのか、と頭が下がる思いです。

 しぐれんさんから、「読み込みが足りていない」と言われたこともあって、この通り相当読み込んできたつもりです。それでも得られたものはありました。ただ、それを自分のモノにできていないのです。

 色々ととっ散らかってしまいましたが、諸々の問題に困っています。

 皆さんの知恵を貸していただけませんか?どうかよろしくお願い申し上げます。

上記の回答(長編の書き方を教えてください。の返信)

投稿者 あまくさ : 4 人気回答! 投稿日時:

>どうやったら、きちんとお話を背骨が通ったものにできるのか?

ごく簡単に説明するなら。

1)物語を序盤・中盤・終盤の3つにわける。

2)序盤=主人公の第1状態、中盤=主人公が経験する出来事、終盤=主人公の第2状態、と考える。

中盤で何か経験することによって、主人公が第1状態から第2状態に変化するわけですね。変化の方向性がポジティブなら主人公が「成長した」ということになりますが、悪い方向に変化するストーリーもありです(バッドエンド型)。

3)成長型なら、序盤と終盤に対になるエピソードを作り、序盤ではできなかったことが終盤ではできるようになったという形にするとわかりやすい。

4)中盤のストーリーは、「主人公がこういう経験をした結果、序盤でできなかったことができるようになった」という因果関係をきっちりと意識して作る。

まずは、こんな感じですが、これだけだとちょっと単純すぎて面白くありません。「何かができなかった」→「何か経験した」→「できるようになった」の流れがストレートすぎるんです。

そこで一工夫。中盤の流れに起伏をつけてやります。
どうするかと言うと、

5)中盤をさらに2分割する。

6)序盤で示された課題を中盤1で一応乗り越える。しかし、それは完全な解決ではない。主人公の未熟ゆえに間違った方向に努力してしまったか、間違ってはいないにしても他人の助けを借りてどうにかこうにか課題を切り抜けたのか、そんな展開にする。

7)6の結果、問題が一旦解決したように見えても、その後何らかの陥し穴に主人公は落ち込む。そして、中盤2で最大のピンチに直面する。

8)これまでのすべての経験を生かして、「たった一人の力」でピンチを克服する方法を発見する。

主人公一人の力で、ということがけっこう重要です。仮に他のキャラの助力を得るにしても、中盤1ではその助けに頼っていたところを、中盤2~終盤では大きな決断をしたり局面をリードしたりは主人公にさせるのが大きな違いです。

9)終盤で本当の解決に至る。

10)伏線の検討。

1~9の流れがうまくつながるように考えながら、序盤と中盤1に伏線を散りばめていきます。

ポイントとしては。

中盤1は不十分な解決への道、中盤2は本当の解決への道であることを意識してください。
そして、中盤2で主人公に何をさせるかが物凄く物凄く重要です。

ちなみに、だいたいこんな感じのストーリー構成法を「ハリウッド式三幕構成」といったりします。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 長編の書き方を教えてください。

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元記事:一人称での戦闘シーンの書き方について

具体性がなく漠然とした質問で申し訳ないのですが…
戦闘シーンは一般的に三人称で書くのが良いとされていると思います。
しかし今書いてるラノベで戦闘シーンが出てくるのですが、一人称という視点統一をしているので可能であれば三人称を使いたくないです。
ということで知りたいのは以下の点です。
・一人称と三人称での戦闘シーンでは、描写という観点で書き方にどのような違いが生じるのか
・一人称で書く場合の注意点
・私が書いている作品の中に登場してくる武器は槍や剣、斧、銃器ですが、どういうシーンなら場が盛り上がるか
(魔法は存在しない世界です)
・最悪三人称にする予定ですが、視点の移動についてラノベ新人賞ではどこまでが許容範囲と思われるか(当方、戦闘シーンは数回で、その時のみに三人称にする予定です)

少し質問量が多いですが、答えて頂けると助かります

上記の回答(一人称での戦闘シーンの書き方についての返信)

投稿者 ごたんだ : 0

最近のスキップ作品は、やけに文芸臭い…

あそこの作者開示情報の出し入れは紙掛かっている。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 一人称での戦闘シーンの書き方について

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投稿日時:

元記事:過去描写全般について

タイトルの通りですが、過去描写について相談があるので質問させていただきます

現在過去描写を書き終わっている段階です
しかしボリュームが少し多く(wordページでは5,6ページ、本のページ数的に10ページちょっと)、ラノベ新人賞に送るもの(応募規定ではpdf形式の150ページ以内)にしては少し占め過ぎているような気がして悩んでます。一般に過去より現在・未来を重点的に書くものだと思うのですが。
そこで、いくつかの案を用意しました。
以下具体性を持たせないと回答しづらいと思うので、共有させていただきます。

前提
①過去描写をしたいのはヒロインについてで、ヒロインは人外キャラ
②ヒロインの頭は非常に賢く、対して主人公は凡人並み
③ヒロインはある出来事で不死身になり、それ以降人間に対してあまり良い思いを抱かなくなっていく
④またヒロインはストーリーのテーマともなってくる弊害(作品の非常に重要な部分なので伏せさせていただきます)を被っている
⑤ストーリー上の最重要な目的物(上記④を治すもの)を探すために、ヒロインは主人公に一緒に旅に出ることを提案する
⑥作者の私自身としては、ドラマ性がある等の観点から案1を推している
⑦ヒロインに頭が良い理由を聞くのは、過去描写をするための口実(ほかの部分で描写するようなタイミングが思いつかなかったので)

案1(現在)
旅に出ることを提案されるが、その時点で主人公はヒロインの何の役にも立たないと思い、断る
→主人公がヒロインに頭が良い理由を聞く
→その理由含めて、過去を知る(過去の出来事が大いに関係あり)
→ヒロインとのすれ違い(その後主人公が、ヒロインの過去を知ったことで思いが溢れていき、やっぱり行きたいと言い、これにヒロインは不満を爆発させる)
→本気さが伝わり、旅に一緒に行くことになる

案2
旅に出ることを提案されるが、その時点で主人公はヒロインの何の役にも立たないと思い、断る
→主人公がヒロインに頭が良い理由を聞く
→その理由だけを知る(この時点で過去描写無し)
→以下案1と同様(ただし、主人公がやっぱり行きたくなるような、案1とは異なる理由が必須)

案3
頭良い理由を聞かない
→そのままヒロインの提案を承諾
→それ以降の部分でヒロインの過去描写(or書かない)

案1,2と3の順序が少し異なっています

過去描写の役割
①弊害を被るようになった経緯及びその弊害について説明
②①により受けたヒロインの精神的苦痛の説明
③②によりヒロインが人間に対してどのように思っているのかを説明

まとまりのない文章になってしまいましたが、過去描写は非常に重要な役割を持っており、外し難いです。
役割①に至っては、主人公たちが旅に行く重要な理由になるので後半の方で説明するのは厳しいです(物語は冒険モノです)
そこで、案1にする場合、どのようにすればコンパクトあるものになるのか、はたまた文章が長くても書くべきでしょうか?
(現在具体的には、弊害を被るようになった前後の出来事→長い時代を経ての精神的苦痛→現在に至る、といった流れです。不要な部分とかあれば仰って下さい)
それ以外に良い案がある場合は教えて頂けると幸いです

上記の回答(過去描写全般についての返信)

投稿者 サタン : 4 人気回答!

ようは、
1.どうしてもヒロインの過去描写をしたい。
2.過去描写は話が進まないから、現在を書くべきだとはわかってるので不安。
3.ヒロインの過去の事情を知った上でスマートに展開させる手段はないだろうか?
という感じでいいのかな。
情報としては、 そのシーンは主人公とヒロインが旅に出る切っ掛けになる場面(てことは序盤?)である、ってことがわかるかんじか。

この解釈で良いと仮定して答えると、
まず「過去描写は話が進まないから良くない」という認識は正しいと思う。けど、これで大事なのは「話が進まないから良くない」って部分で、ようは「話が進んでるような展開」であれば別に過去描写は何も問題ないです。
なので「ヒロインの過去描写をしたい」という考えは問題ないです。
では、どうすれば「話を止めずに過去描写が出来るか」ですが、単純な解決策としては「過去の話題に主人公を巻き込む」というのがあります。
例えば何らかの魔法で主人公がヒロインの精神世界へ行って過去を追体験するとか、ヒロインの過去と同じ状況を作って進行形で過去の話題を振っていくとか。
まあ、これは状況や環境が限定されるでしょうから、構成だけで解決策を考えると、「いっそ話をぶった切る、ぶった切っても問題ない場所に過去描写を配置する」というのが楽かな。
例えば、これは序盤のようだから、別途プロローグないし1章まるまるをヒロインの過去描写にしてしまう。
最初から読んだ読者は当然のこと「ヒロイン」の物語だと認識するので、それが過去描写であることはわからない。
場面が転じて主人公が出てきて、省略するなりして数行で「ヒロインが主人公に事情を話したテイ」にして、読者はそこで「ああ序盤の話はヒロインの過去の話なんだな」と察することができる。
関連性もなにもないようなものをプロローグなどのド頭に置くという形。

「話が進まないから良くない」というとこで少し書いたけど、つまりは、それってヒロインのキャラを掘り下げるものでもなくただただ「話の設定や前提条件を解説するためだけのシーン」になってる、という状態じゃないのかなと感じる。
問題なのは、過去描写とか構成とかじゃなく、そこ。
少なくともド頭に置けば、掌編みたくその過去シーンのみでまとまってる話を用意しようと考えると思うので、無理に「ヒロインが過去を語ってる場面」を作るのではなく「ヒロインの過去というテーマで掌編を書いてみる」と考えたほうが良いのではないかな。
それと、「主人公に知ってもらわなきゃダメな情報」なのか「読者に伝われば良い情報」なのか、そこを改めて考えたほうが良いと思う。

あとは、案1の最後
>→本気さが伝わり、旅に一緒に行くことになる
「本気さが伝わり」というのは意外と表現するのが難しい。けど、「その過程」を具体的に考えることが出来ないOR面倒くさくて「相手の本気さが伝わって」とプロットなり設定なりに書く人が割りといる。
ドラマ的エンタメ的に考えると、そこは「主人公が同行せざるをえない事情」を考えて、「ヒロインの事情もわかって同情もあるし、仕方ない」って流れのほうが良いと思うよ。
「本気さ」とか感情って、プロットには数文字で軽く書けるけど小説でそれを表現するのって(読者が納得できるレベルにまでするのは)コツがいるし大変。
感情じゃなく、ちゃんと展開で転がした方がいい。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 過去描写全般について

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投稿日時:

元記事:やり直しについて

よろしくお願いします。

小説を書いて約十年、幼い頃からの血の滲むような修正、添削、やり直しにて、元々苦手で嫌いであった日本語、国語という枠を克服し、妥協なく小説の執筆に取り組んで参りました。
最初はケータイも無く、ただ1ページ三十五行のノートに物語を書き連ね、酷使して紙は黒ずみ、手が鉛筆で汚れていく日々でした。それを一般の小説、童話などと比較し、物語の構成や文章の中にさりげなく入れる変化球のような単語、読みやすさなど到底そのレベルに達していないと判断してゴミ箱にシュートしていたのです。
しかしながら、自らの才能を見極める目はありました。私は書いたものの中で、キャラクターがどのように動きたがっているのか、どうすれば不自然ではなくなるのかなど、飲み込みが早いのです。
なので、自分で書いたものを読み返し、必ず改善点を見つけてしまう。妥協をしないから必ずゴミ箱に入れる。これが延々と繰り返されて来ました。
長編を書きたいが、今の自分では面白くない。長編を書き切ったが、見返して改善点を見つけ、これを世に出して良いはずがないと捨てる。
確かにやり直す度に面白くなってはいるが、上限なく面白くなるのだが、底がないのです。
今ではスマホがあり、アプリを入れて小説を書いてもやり直してばかりで未完の小説がゴミ山のように溜まっていくのみ。
私は一体、どこまでやり直せばいいのでしょうか……。

上記の回答(やり直しについての返信)

投稿者 手塚満 : 1

結論から申せば、ある種の幻想に囚われているということです。しかも、その幻想を強化する訓練を続けて、今に至っている恐れが強い。ですので、推敲、改稿はそこそこにして、作品の完成と公開を最優先にすべきでしょう。そこを少し説明してみます。

1.手より先に目が肥える

小説に感動して、読み手から書き手に変わろうと思い、いろいろ書いてみるわけですよね。そのとき何が起こるかって、当然、書くことが上達していきます。一説には長編10本くらいまでは、ただ書きさえすれば上達するとも聞いています。

が、文章を書く手だけが上達するのか。そんなことはなくて、書いているとき書いたものをは逐一追いながら考え、推敲するには改善ポイントを探せるよう、注意深く読むわけですね。それがまた書くことにフィードバックされる。

そうやっていると、確かに書く手は上達するけれども、その前提にはしっかり読む、しばしば分析的に読解することが必要なため、目が肥えても行きます。そしてほぼ間違いなく、手より目が肥える速度のほうが速い。

2.目が求めるものを手はこなせない

そうなりますと、自分が満足する文章を書くことが遠のきます。書き手としてより、読み手としての上達が早いんですから当たり前です。手を動かすと先に目が肥える。どうかすると、書くほどに下手になった気がすることさえある。その点はよく承知しておかねばなりません。実際には着実に上達しているのです。

しかし仰るように改善ポイントは見えてしまう。よく読めるようになっていくだけに、キャラの動き、気持ちを分かることが深くなり、そのために必要な言語化が不足していることだけは分かるようになる。当然、推敲や改稿をしたくなります。創作者としては当然の気持ちです。

3.やってみた気分に騙される

そして手を入れてみる。そこで罠が発動しがちな点は要注意です。「自分が作ったもの、自ら手を入れたものに高い価値を感じてしまう」という「イケア効果」です。鶴の折り紙実験などで知られています。自分が折った出来損ないの折り鶴は正しく折れた鶴より価値があると嘘偽りなく感じてしまう。他人は折る前の折り紙のほうが価値があると思っているにもかかわらず、です。

推敲、改稿でも同じことが発生します。手を入れてみると文章的に改善した気がする。しかし前より良いはずという感覚と、実際の文章は乖離してます。せいぜい数日前の文章のはずです。書き手が数日で格段の進歩を遂げるはずもなく、むしろ同じ程度でしょう。せいぜい、そのときどきのコンディションによる変化があるに過ぎない。

4.同じ自分で大差出せるわけがない

実際は推敲後、改稿後の文章は特によくなってはいない。それをまた読んで、同じように改善ポイントを見出してしまい、同じように気分だけの文章・描写改善に取り組んでしまうわけです。だからよく言われてるわけです。頭を真っ白にしてから推敲せよ、とか。あるプロの言では数か月放置するそうです。そうしないと自作を他人の文章同然に読むことができず、有効な推敲なんかできないから。

5.他での感動を自分の文章の感動と取り違える

スレ主さんのご質問文(やご回答文)を拝読しますと、まだ罠がありそうで危惧しています。それは「借り物の感動」とでも言うべきものです。どこかで見聞きして感動したものを、自分の文章に感じてしまう現象です。自分もよくやらかしますが、偉人の名言とか、有名な警句とか、口に出してみると、実にいい気分で自分が凄いこと言った気がしてしまいます。

しかし実際は、自分の言が自分で感動するほどには他人に感銘を与えたりはしない。せいぜい「ふーん、それで?」くらいの周囲の反応しかありません。上記のイケア効果(自分が言った)以外に、名言や警句を読んだり聞いたりしたときの自分の感動を再現しちゃってるんです。よくある、例えば銀英伝のキャラクターの名言なんかですと、銀英伝を鑑賞したときの感動まで加わっちゃってる。

6.決め台詞だけで感動が発生すると思う勘違い

スレ主さんのご質問文って、大仰な言い回しですよね。ここへは誰かを感動させに来たんじゃなくて、悩みを聞いて欲しくていらっしゃったはずなのに。例えば「幼い頃からの血の滲むような」とか「克服し、妥協なく小説の執筆に取り組んで」とか「酷使して紙は黒ずみ、手が鉛筆で汚れていく日々」とかとか。大仰であるだけでなく、どっかで聞いた、手垢のついた言い回しでもある。

おそらく、その手の言い回しで感動したことがあるはずです。そして、感動したものについては、その言い回しはうまく用いられていたのでしょう。文章の工夫は感動した文言そのものより、その前の段取り、後のフォローで作られていることが多い。決め台詞などと同じですね。決め台詞そのものより、決め台詞が発生する条件を整えるのが大事。

そこをよく読み取らず、いいと思った文言だけ覚えて使いまわしてしまうと、ちぐはぐなツギハギの感じがする文章になってしまいます。少なくとも、この掲示板に見えるスレ主さんの文章はそういう感じがしてしまっています。

7.書くべきことが分からないと悪いポエムになる

そういう文章は書くことがない、あるいは書くべき内容を整理できないときによく発生します。内容のなさをレトリックで補おうとしてしまうのです。しかも饒舌になる。内容がない、とは思われたくないので文章量を増やしたくなりますし、言い訳にも近いのでついくどくど言いたくなってしまうから。何を書いていいか曖昧なので、具体性を欠いて、情緒重視にもなってしまう。

8.もし未完成で推敲を重ねているならハイリスク

別の問題点としては、スレ主さんのご質問が具体的な説明を欠いていてはっきりしないのですが、もしかして未完成のうちに推敲、改稿を重ねていないかということがあります。

少なくとも、書き進めている最新の2割は有効な推敲はできません。文章は各部分が文脈、つまり前後の支えがあって読めるものになります。最新部分はまだ後があるのに、書いてない。だから推敲するにも、その後の文脈が支えてくれない。これではいくら書き直して納得するものにはなりません。最新部分に拘泥せず、さっさと書き進めたほうがいい。そうすれば戻って来て推敲が有効にできるようになります。

これは当然、書き始めの部分でも発生する現象です。よく言われるコツに「書いたら冒頭をバッサリ捨てろ」というものがあります。読者は嫌いなプロローグを作者は好みがち、なんて指摘があるように、最初の部分には無駄が入りがちだからです。捨てればスッキリする。

しかし書いてみた効果はあります。捨ててしまうとはいえ、新たに実際の書き出しになる部分にもしっかり冒頭より前の文脈が生じるから。そうしない場合でも、書き出し以前には何があるか、しっかり構想くらいはします。慣れればそれで充分に書き出し部分の文脈の支えになります。

ですので、もし未完成のうちに推敲、改稿を重ねて、満足できずに中途で全部捨てているのなら、よく考えたほうがいいでしょう。充分に推敲、改稿ができるのは最初と最後の2割ずつは無理で、その間の6割だけです。推敲すると、特に後に影響しがちで、さらに改稿の必要が出たりしますが、受け入れるべきでしょう。いくら推敲、改稿しても後に影響ない最新部分は書き直しが楽ですが、力を入れるのは無駄であり損です。

9.いわゆる純文学とエンタメ作品の文章の相違

これもスレ主さんのご質問が具体性を欠いていて、はっきりとは申せませんが、純文学とエンタメ作品の文章傾向の違いをはっきり認識しているか、ちょっと不安になります。

純文学では、仮に主人公の言動、行動が特に際立っていなくても、言い回し、視点、比喩などの文章技術で読み手を引き付けることを重視しているようです。朝起きて顔を洗ったとか、パスタを茹でたとかだけで、面白く読めるものに仕上げる技量ですね。

一方、エンタメ系では何が起こったかが大事。それがどう書いてあったかは問題ではありません。すらすら読めて、ぱっぱと分かればいい。読み手は何が起こったかは思えているけど、どう書いてあったかは忘れている。それくらいできれば上等です。念のためですが、それはそれで高等技術です。

どっちを書きたいかがはっきりしないと、どう書いていいか分からなくなりがちです。当然、推敲、改稿も不安定になり、無駄にやり直しするようになります。そのときどきの書き手の気分次第の面がありますので、要注意です。

10.最良の読み直し手は他人の読者

いろいろ工夫するとしても、書き手が自分一人でやっていては限界が低い。何を書こうとしたか分かってるし、文章判断の自分一人、つまり主観でしかない。小説は赤の他人に読んでもらうのが大前提です。

ですから、赤の他人の感想、批評を得る必要がある。これは自作を公開しないことには不可能です。そこで感想を得たら、読者の感想であることを大前提に(決して改善ポイントを指摘してくれないのが読者、たとえアドバイスの体裁であっても)、推敲、改稿に活かすことができます。

複数の赤の他人の批評ですから、きちんとまとめればある程度の客観性は得られます。書き直しに直接役立つだけでなく、自分の(主観的な)判断基準と他人とのずれを意識することにも役立ちます。あまり世間相場と乖離したくないなら必要といっていいでしょう。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: やり直しについて

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