小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

あまくささんの返信一覧。最新の投稿順228ページ目

元記事:怪獣の設定について

怪獣があの大きさで潰れず動き回れるのは、物質と反物質、暗黒物質で肉体が構成されているからと説明したいのですが、

なにぶん作者が馬鹿なので設定が破綻する未来しか見えないのです。

どうしたらうまく説明できるのか、知恵と知識を借りたいです。

よろしくお願いいたします。

上記の回答(怪獣の設定についての返信)

投稿者 あまくさ : 3 人気回答! 投稿日時:

設定が複雑なほど破綻しやすく、もっともらしい専門用語モドキを使うほどボロがでやすくなります。

エヴァの「天と地と万物を紡ぎ、相補性の巨大なうねりの中で自らエネルギーの凝縮体に変身させているんだわ」

まどマギの「希望から絶望への相転移」

「相補性」とか「相転移」とか「エントロピー」とかはちゃんとした科学用語ですが、上記の文章に意味はなく、そういう用語をそれっぽく使って演出しているだけです。ネットなどで「希望と絶望の相転移」は科学的に説明できるとか解説している人もいますが、専門家なら本気で科学的だと思って書いているはずはなく、はっきり言ってネタです。トンデモ科学ってやつね。

ですが、内容はいい加減とは言え、ある程度の知識は持っていないと上のような用語をそれらしく文章化することはできず、下手にやると分かる人には失笑されるようなかっこ悪いものになります。

「物質と反物質、暗黒物質で肉体が構成されている」くらいならわりと単純なので、無難な方だと思います。
もしくは「ミノフスキー粒子」みたいに架空の物質を作ってしまうとか。それがあるから潰れないのだと一回だけ誰かにさらっと発言させて、以後はいっさい説明しません。

なお、もっとリアルにしようとして勉強するのは、知識の披瀝をしたくなる誘惑に抗えなくなるのでお勧めしません。

   *   *   *

余談ながら、『映像研には手を出すな!』というマンガ・アニメをご存じですか? 主人公たちが全編、岡田斗司夫なみに世界観や設定に凝りまくる物語。あそこまでやれば楽しいでしょうが、ああいう素養のある人が本スレのような質問をするはずがないので。
踏み込んだら永遠に抜け出せないメイドインアビスみたいな世界だと思いますよ(笑

カテゴリー : ストーリー スレッド: 怪獣の設定について

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元記事:考察力の平均とは…?

小説を書いていて思うのですが、何処まで設定を書いていいのでしょうか。
とある小説を書いていました。最後、亡くなった父親と謎の少年の関係を明かすシーンにて、唐突に『あの少年は○年前に亡くなった父親の弟』と書いてしまうか、『主人公はとある推理をした。それはとても悲しいものだった』のように書くかを迷ってしまいました。時々伏線らしきものを張っていたので尚更です。
読者って普通はどのラインまで考察が出来るものなのでしょうか…?

上記の回答(考察力の平均とは…?の返信)

投稿者 あまくさ : 1 投稿日時:

ラストのテクニックとして、明言しないで仄めかすという手法はありますけどね。しかしそれは最後にくどくど説明することによって読後感がつまらなくなってしまうことを避けるためにやることで、

1)明言はしないが、何が起こっているのかはしっかり伝える。

2)スパッと着地させ、余韻と切れ味を感じさせる。

この二つを達成しないと、単なるわかりにく駄作になってしまいます。

ロード・ダンセイニ作『二瓶のソース』という短編をご存じですか? 江戸川乱歩が「奇妙な味の小説」と評した古典的な名作です。
この作品には衝撃的な真相が用意されているのですが、ラストでそれを具体的には明言せず、展開と数行の会話だけで読者にはっきりと悟らせるように書かれています。その手際が見事な典型例なので、参考にされることをお勧めします。

なお、日本の作家では、阿刀田高がそういうのうまいですよ。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 考察力の平均とは…?

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元記事:ジャンル的な質問

私は時々思います。漫画、アニメーションのような物語を小説として投稿していいのかと。
私のとある作品では、とある部屋で、とある少女が過ごしていて、そこに主人公が登場し、共に遊ぶ。そんな『日常アニメ』的な物語を小説として投稿するのは何か違うのでは?と思ってしまいます。
いいのでしょうか。自分のスタイルを突き通そう!とも思うものの、『漫画のようなお話…』と思われるのが嫌で仕方がないです。ズレていますでしょうか。

上記の回答(ジャンル的な質問の返信)

投稿者 あまくさ : 0 投稿日時:

>そんな『日常アニメ』的な物語を小説として投稿するのは何か違うのでは?と思ってしまいます。

>『漫画のようなお話…』と思われるのが嫌で仕方がないです。

そもそも、そう思う理由がよくわからないのですが。
ひょっとして、漫画やアニメは小説よりもレベルが低いというイメージをお持ちですか?
まあ、ジャンルの違うものをどちらが上かと議論すること自体不毛ですが、少なくとも漫画・アニメがこれほど多様な表現力を獲得した今、小説よりも程度が低いということはないと思いますよ。

「日常系」ということで言うなら起伏やインパクトが打ち出しにくい弱点は無くもないでしょうが、キャラの掛け合いなどが魅力的ならば成立する可能性はあると思います。
そういう例としては、『ちびまる子ちゃん』『あたしンち』『けいおん!』
長編でキャラを深掘りしてドラマ性を加味するなら、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』『弱キャラ友崎くん』
テレビドラマの『世にも奇妙な物語』とかにも日常系をベースに異様な要素を持ち込んだ話があったと思います。

何であれ、面白ければ正義。大切なのは、ジャンルではなく、作者に読者を楽しませようとする意識が有るか無いかですよ。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: ジャンル的な質問

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元記事:小説の冒頭、説明を後回しにてどこまで書くといいのか

小説の大筋が決まって、今はプロット(構成)を作っています。

冒頭〜本編開始の流れは下記のようになっています。
なお、世界はよくある中世ヨーロッパ風異世界で、悪役令嬢ものです。
主人公は20歳くらいの魔法使いの貧乏令嬢です。

1.顔見知りの男性(以下A男)が、ある要人の暗殺計画について話している場面に偶然出くわす。
 A男は暗殺計画がバレてしまったことに焦るが、下手に誤魔化すよりは、と説明する。
 A男はレジスタンスAに所属しており、今回の暗殺計画はレジスタンスBと共同である。
 なお、主人公の両親が要人のせいで殺されたことを調査済みである。
 だから今回の暗殺計画は静観してくれ、と頼まれる。主人公にとっても仇が死ぬことに異論はないだろう、と。
 主人公はそれを了承する。
 主人公はレジスタンスAの基地で、暗殺完了まで監視されることになる。

2.暗殺は成功するが、A男はレジスタンスBに裏切られ、拘束される。
 レジスタンスBのメンバーが、A男を人質に取ってレジスタンスAに無理な要求をする。
 その要求は到底、受け入れられるものではない(A男以外全員自死しろとかそのレベル)。
 このレジスタンスBメンバーはA男と因縁があり、逆恨みでA男を殺そうとしている。
 すぐに殺すのではなく、ショーのようにレジスタンスAに向けて実況中継する。
(良い返事がないなら、A男を5分後に殺すぞ。A男は涼しい顔をしているが、その顔が泣き顔になるまでもうすぐだ、とか)

3.主人公はA男を助けようとするが、レジスタンスAはA男を見捨てるように言う。
 実は主人公は特殊な力を持っており、それはレジスタンスAがずっと探していたものだった。
 A男は死んでも替えはいるが、主人公はそうではない。だから見捨ててほしい。
 A男もそれを望むだろう(実際に、A男はそれを望んでいる。)
4.主人公は迷うが、A男を助けに行く。
 なぜなら、主人公は10人がかりの魔法を1人で発動できるほど超強い魔法使いだから。このレベルの魔法使いは、二人といない。
 瞬間移動系の魔法もあるし、きっと何とかなるだろう。
5.結果、A男の救出作戦は成功する。
↑冒頭
↓本編
6.主人公とA男の出会いは半月前……

質問ですが、冒頭ってインパクトが大事ですが、その分説明は後回しになります。
説明が足りなさすぎると「何で???」がずっと続いて、せっかくインパクトある話なのに頭に入ってこない場合があります。
私が危惧しているのがそれで、「主人公は命をかけてA男を助けに行って救出成功する」という展開自体は緊迫感があって良いのですが、同時に「何で知り合い程度の男のために命をかける??」という疑問が常にあると思います。
一応、冒頭の中では「主人公が(戦闘経験はないけど)世界一レベルで超強いから」という理由が提示されています。
(本編では、もっと混み入った事情を提示しています。)

冒頭の一括りとしては「A男救出成功」までがワンセットだと思っていますが、
読者が「いや、命かけるか???」となって読み進められなくなるくらいなら、A男がピンチになる所で終わって、
本編を読んでもらった上で「それなら命かけて助けに行くよなぁ」と納得した上で主人公が助けに行った方がいいのかなと思ったり……。

冒頭について、どこまで書けばいいのか、逆に追加した方が良い情報などありましたら、アドバイスいただけますと幸いです。

なお、なろうに投稿する予定です。

上記の回答(小説の冒頭、説明を後回しにてどこまで書くといいのかの返信)

投稿者 あまくさ : 1 投稿日時:

確かに難しいところですが、私見では示していただいた展開なら(ご質問の案件については)問題ないと思います。

主人公や主要キャラの行動を読者に納得させることは重要ですが、重要性の度合いはストーリーが後半に進むほど強まるのだと考えています。

序盤の段階では読者はまだ主人公のことを知らないのだから、その行動の動機が十分に分からないのは当然で、読者もそれは受け入れてくれると思うんですよ。
あ、もちろん序盤の展開が意味不明すぎるのは、読者が迷子になってしまうから良くないと思います。
ただ、だいたい分かるけど多少疑問もあるという程度なら、読者は「ストーリーが進めば分かってくるのだろう」と想像してくれて、むしろ興味をかきたてる要素にもなり得るかと。
さじ加減は大事でしょうけどね。

繰り返しますが、序盤や前半の適度の「?」は必要なスパイスで、あった方が良いと思うくらいです。
その「?」が先に進んでもなかなか解消されないと、読者はイライラし始めてしまってマズイということなんじゃないでしょうか。

これはけっこう微妙なことなので、本当に個人的な見解ではありますが、一応まとめると。

冒頭は納得感よりもインパクト優先。後半はさらにインパクトも必要ですが、納得感との両立もはからないとダメ。
ただし、後半までには伏線や描写をふんだんに盛り込めるわけですから、インパクトと納得感の両立は十分に可能。

この呼吸が、プロットを立てるということの本質だと考えています。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 小説の冒頭、説明を後回しにてどこまで書くといいのか

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元記事:登場人物を一度に二人以上出してもいいのか

名有りのキャラを、一度に二人以上登場させてもいいのでしょうか?

私は今異世界転移ものの小説を書いているのですが、その冒頭で、主人公が二人のキャラクターに起こされるところから始まります。

二人は付近の村の幼なじみで、いつも一緒に行動している設定です。
なので出来れば同時に登場させたいと思っているのですが、読者からすると負担にならないでしょうか?

上記の回答(登場人物を一度に二人以上出してもいいのかの返信)

投稿者 あまくさ : 0 投稿日時:

横やり気味で失礼しますが、サタンさんへの返信から。

>その場合だと、最初に入ってくる描写は見知らぬ二人の外見描写です。
>二人もいっぺんに外見の説明があると、読者は覚えづらいかな? と危惧しています。

そもそも、一つの場面で何もかも覚えてもらう必要はありません。

二人の会話でもいいし、どちらか一人の容姿や仕草でもいいし、取りあえず、何か一つ印象に残りやすそうな部分にフォーカスしてサラッと描写します。伝えたいことの全体は、その後の流れの中でだんだん分かっていくように書けば大丈夫。

二人の関係性にしても、地の文で説明するのは三人称の場合でも良策ではありません。感覚的に何となく分かる程度で良いから、描写(仕草や会話、主人公への態度と、それによって引き起こされる感情など)によって印象的に伝えるポイントを探してみるのが良いかと。

これは、ご質問の案件に限らず、文章しか表現手段の無い小説全般に言えるコツだとい思いますよ。
平板に何もかも正確に伝えようとしても、読者の頭に入らないんです。だからまず1点に絞って印象づけ、全体像は場面を進展させながら少しずつ伝えていく要領が必要なんじゃないかと思います。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 登場人物を一度に二人以上出してもいいのか

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元記事:生身の人間とキャラクターの違いとは? キャラクターが成長するとは? どういうこと?

すみません。かなり根本的なことを聞いてしまいますが、生身の人間とキャラクターの違いとは何でしょうか?
ご意見をいただけるとありがたいです!

以下、私の考察です。

・人間
同じ状況でほぼ同じ行動をする。
変化する。
多面的で複雑

・キャラクラー
同じ状況で必ず同じ行動をする。
不変な存在。
人間の個性の一面を切り取って、それのみを全面に押し出し極端化した存在。
特定の役割を持つ。

例えば、ドラえもんののび太は、昼寝が大好きで勉強が嫌いなキャラです。。
彼が、突然勉強に目覚め、クラスで一番の秀才になってしまったら、それはもうのび太ではありません。

しかし、現実に存在する生身の人間では、勉強が嫌いな劣等生が何かの切っ掛けで東大合格を目指して猛勉強し、東大生になる、ということは起こりえます。
キャラクターとは不変の存在であり、生身の人間とは変化する存在である、と言えると思います。

時代劇で有名な『水戸黄門』では、必ずラストに印籠を出して悪人を平伏させるというシーンがあります。
しかし、一度だけ、印籠を出さずに事件を解決してしまった回があったらしいです。その時、視聴者からテレビ局に猛クレームが来たと言います。

同じ状況で必ず同じ行動をするのが、キャラクター。印籠を出さない黄門様など、水戸黄門ではない、ということです。

キャラクターは特定の役割を持った存在でもあります。
ライバルキャラ、お色気担当キャラ、お笑い担当キャラ、解説キャラ、ラスボスなどといった名称は、キャラクターが特定の役割を果たす存在であることを示しています。

例えば、なろう系ラノベでは、ヒロインは、処女で主人公を何があっても全肯定する、トロフィーガールに徹するのが役割であると言われます。
これは、なろう系ラノベの目的が、読者の承認欲求を満たすことであり、各キャラクターは、この目的に果たすために存在するギミックだからです。

もし、なろう系ラノベでヒロインが、非処女であり、主人公以外の男を好きになったりしたら、読者の自尊心を傷つけることになるので、ヒロインの役割を果たしていない、ヒロイン不適格となります。

●キャラクターが成長するとは、どういうこと?

例えば、進撃の巨人の主人公エレンは、第二部に入ったあたりから、性格がガラリと変わり、目的のために手段を選ばないラスボスっぽいキャラクターに変化しています。

最初は、母親を殺した巨人を憎み、巨人たちを駆逐してやる! 海を見に行くんだ! と少年っぽい純粋さがありましたが、仲間の裏切りや残酷な世界の真実を知って、すっかり人格が変わってしまった印象があります。

このようにキャラクターが成長すると、深い、文学的と高評価されますが、キャラクターの原則である「変化しない」に触れるので、かなり難しいと思います。

実は、ラノベ作家さんたちの話では、「キャラクターがブレるのはストーリーが破綻するより悪いこと」だそうです。
これは漫画編集者も言っているので、真実かと思います。

キャラクターがブレるのと、キャラクターが成長するのは違うと思いますが、どう違うのか、よくわかりません。

キャラクターが成長するとはどういうことなのか?
このあたりにまだ答えは出ていないので、教えていただけるとありがたいです!

上記の回答(生身の人間とキャラクターの違いとは? キャラクターが成長するとは? どういうこと?の返信)

投稿者 サタン : 0

端的に言えば、キャラクターは人間を記号化したもの、と思っています。
イラストで考えてみると、アニメキャラの造形は完全に人間離れしていて少女漫画のイラストなんて眼球が頭蓋骨に収まりきらないだろうってものもありますよね。
でも不自然ではない。
当たり前ですがこれは「人間」をデフォルメしたもので、可愛らしいという記号がわかれば良いので成立している絵なんだろうと思います。
それを文章で表現しているのが、小説におけるキャラクターでしょう。
もちろん、「目が大きいことを説明する」という見た目の話じゃありません。
人間の記号化を文字で表現する、という話。

だから、「成長」も「ブレ」も基本的には現実の人間基準。
正義を愛する完全無欠のヒーローが悪に染まるというのは、事情があればないことはない。
人間、どう転ぶかわからないものだしね。
でも、正義のヒーローが万引きとかカツアゲとかしょっぱい悪事を働く、親友の陰口を叩く、というのは「キャラじゃない」からキャラクターとしてはブレてると思う。
もちろん、そういうキャラですって前提があるならいいんだけども。
最初に設定した「記号」から外れてしまうと、それは「ブレてる」と思う。

一方、ドラえもんののび太が一生懸命勉強して頭が良くなりました、というのは確かにキャラではないけど「成長」だと思う。
二次創作でドラえもんを作ったのはのび太だってオチがあったけど、あれは良かったね。

ではこの違いは何かというと、あくまで持論でしかありませんが、
成長というのは「記号」そのものが変化している、と私は思っています。
のび太の場合、のび太は「バカで貧弱で意思が弱い」というキャラクターなので、基本的にはこのキャラから反れる行動は「ブレ」に当たる。
でも、その「バカで貧弱で意思が弱い」という記号自体が変化し(変化するという展開の物語がある前提)、「ドラえもんのために一生懸命勉強するんだ」となると、キャラクター自体は変化してないけどそのキャラに内在する「記号」がガラッと変わるわけですね。
すると、それ以降は「一生懸命勉強する、頑張る」という行動が真になり、これに反することこそ「ブレ」に当たるようになる。

まあ、簡単に言えば。
「ブレ」ってのは、一度変化したくせに元の位置に戻ったりする場合で、書き慣れてない人は意図せず作者の癖が展開に表れてしまうために、キャラじゃないことをキャラにさせてしまう。故によく言われることではないかなと。
一方で「成長」ってのは、「変化」なので、元に戻ったりしない。
例えば「漫画家を目指してたけど、今日から小説家を目指す!」と宣言した人が、翌日「やっぱ漫画家になりたいなー」なんて言ってたら「おまえブレブレじゃねーか」と言えるでしょ。
「変化」は良いものだけど、それが固まってないと「ブレ」になる。
だから、「小説家もやめて、いまは映画監督に興味あるわ」になると、これもブレ。でもそういう「移り気で飽き性なキャラ」は固まってるので、そういう視点で見ればかえってキャラが出てる。
同じ経過であっても、「小説家を目指しているけど、少し興味があるから今は映画脚本を書いている」だと、まあちょっと怪しいけど「成長」に当たると思う。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 生身の人間とキャラクターの違いとは? キャラクターが成長するとは? どういうこと?

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投稿日時:

元記事:社会派小説のネタ募集!ネタ探ししているそこの君!僕とディスカッションしよう!(あざらしさんが勧めてくださったレオンが発端のスレです)

 以前の僕の質問を見返すと、社会派小説の観点に立って話しているな、という自覚を覚えました。
 それならば、
 【現代文明における成人の儀の話】と、
 【核家族社会の黒歴史】や
 【理性や思考だけを育てる『頭脳教育』の是非】、
 あるいは、【家族形態の多様性について】や、
 【人間関係のオリジナライズ(固有種化)を促せる社会の実現】などの話題は、僕にとって至上命題であると思い立ちました。

 どうも、壱番合戦 仁です。ただいま、あざらしさんが勧めてくださった映画に感化されて、過集中状態です。
 これから、一つ一つ丁寧に解説していきますね。各議題に分けて投稿しますよ!これから僕の持論に対して、皆様の意見を募りたいと存じます。レッツ、ディスカッション!

 壱、【現代文明における成人の儀】

 以前、『人類文化史上において、書き手が紡ぐ物語が視聴者や読者にとって、奇しくも成人の儀の代わりとして機能している』という記述を、ある学術書にて見かけたことがあります。

 個人的には、今もなお、小説を始めとしたとした物語が、僕たち人類の心を育み続けている、とは思います。
 とはいえ、その機能は完全とは言えないでしょう。現状の社会を顧みても、ニートのオタクたちに《行きて帰りし物語》の系譜に属する本を読ませても、おそらく成長はしないでしょう。人によるとは思いますが、効果は非常に薄いと言わざるを得ません。なぜならば、《自分事としては捉えていない》からです。

 当たり前のことですが、多くの場合において、小説にせよ映画にせよ、『この本を購入したあなたは劇中の人物が起こした他人事を覗き見る立場に置かれます』、という不文律のもとに読者は存在します。
 これでは、成長することはおろか、娯楽作品の域を出ません。(エンタメ小説家のための場なのに、申し訳ない)

 少々脱線します。
 『新世界より』著/貴志祐介の漫画版のエンディングの様な手法をとることはできます。今までHEで語られた物語の主人公が、「どうせコイツ架空の人物だろ……。ケッ、ツマンネ」と高をくくっていた邪かつ健全なる感覚を持った読者たちに、「千年後のあなたへ」と告げて微笑みます。その言葉の裏に、物語そのものの重みを全部込めて読者に贈るのです。その発想力と鮮やかな手並みに僕は感嘆しました。一瞬、彼女が神の向こうの世界から話しかけてくれたのだ、と泣きそうになりました。
 でも、すぐに夢は覚めます。僕は、その本を一度閉じて、表紙を見返しました。
 なんてことはありません。【表紙に映し出された彼らは、最も本人たちにとって栄光ある姿のまま時を止め、命を得ることはありません】。
 僕は、強い悲しみを覚えました。嗚呼、物語に恋することのなんと虚しいこととか!
 だからこそ、誤解を恐れずに申し上げれば、娯楽の観点から言っても、《自分のためだけに作られた世界に行って、自分を主人公として生を謳歌し、峻厳なる試練を乗り越えて、その世界を去る》という体験を、生身で実感できる媒体を作ることができれば、物語はもっと面白くなる可能性を秘めています。
 この日本に限らず、皆誰もが『自らに精神的成長をもたらすかりそめの世界』を求めていると、愚考します。
 『事実は小説よりも奇なり』ということわざの裏には、「ある一面においては、現実は小説よりも奇妙さに優れている」=「小説並みの出来事は起きうるのだ(だから現実を悲観することはない。きっと楽しいはず)」→「でも、ぶっちゃけいうと、今年の年末休暇は俺tueee系のラノベ世界でバカンスしてェわぁ……ムナシィ」という願望が見え隠れしていると思います。(うがった解釈であることは自覚しています)

 では、これらの課題を現代技術で賄うとすれば、何があげられるか。
 今現在、可能性があるとすれば、古今東西の魔術の科学的実証や霊体の分析計測を通して『本物の異界』を探求するか。(その応用で世界創造の技術が開発されればめっけもん)
 もしくはフルダイブ技術、もしくはその代わりとなるVR技術を開発するか。
 いずれにしても、実現性自体は否定できませんが、将来の話とするしか冷静な見方がありません。

 僕だって、ここではないどこかを旅して成長したいし(異世界行きたい!)、一定の筋書きに沿ってスムーズかつドラマチックに凱旋したらかっこいいのに、と妄想しますよ。
 誰でも一度は物語を夢見ることはあると思います。
 前述のうちに『行きて帰りし物語』は、成人の儀の代わりだ、と申し上げました。
 この際です。出来るかどうかは別として、こう考えてはいかがでしょうか?
 「代わりなんて使わずに、本当に成人の儀をしちゃえ!ついでに社会制度もそれに合わせて変えた方がいいよな」と。

 皆さんなら、今の現代社会に成人の儀(または試練)は必要だと思いますか?
 もし必要なら、どんな試練を受けたいですか?また、自身の要望を別にした場合、社会全体から見てどんな成人の儀が必要だと思いますか?

 補足解説。

 我々人類は、「人間」というよくわからないものを演じてきました。
 ですが、「我々は、何という名前の生き物だったのでしょう?」

 思わず、「人間」と答えてしまった、そこのあなた。そう、それこそが社会にゆがみをもたらす元凶だと僕は考察しています。
 我々は、自然環境に適合するために道具や文化の発明を通して、「人の世」という、自然の摂理から引き離された隔離世界を作りました。そうしているうちに、自分が生き物、あるいは動物であることを誰もが忘れてしまいました。
 生物図鑑に自らを「ヒト」と記しつつも、サルに分類される自らを「万物の霊長の類」としてしまったり、絵図に書いたヒトに下着を履かせたりすることが、人が自分を動物だと思っている何よりの証拠です。

 断言しましょう。動物よりも偉いとされた「人間」は、『ヒト』という生物の在り方に立ち返って、あらゆる生命と対等になるべきです。その方がよほど健全だし、少なくとも僕はそういう立場をとります。
 僕は人間の尊性を過信してはいけないと思います。

 皆さんも、人生を生きていて一回は、自分の本能を抑えつけたことがあったかと思います。あなたが男性で、異性を目の前にしたことがあるなら、なおさら、覚えがあるでしょう。
 「そうした欲求を持つことは健全」とされているにもかかわらず、社会正義や世論、および小説を含むメディアは本能に関する事柄に対して強い嫌悪を表現します。
 いかにも食欲や性欲、自己承認欲求丸出しのキャラクターは、敵役の性格について語るとき、もはやテンプレートにすらなっています。

 ですが、ここで一度考えてください。
 「欲求を持つこと自体は健全と認めるのに、何で「お花を摘みに行っていいですか?」とわざわざ遠回しに聞いてから野糞するがごとく、人に隠れてこそこそさっさと済ませなきゃいけないの?」と。

 ヒトは、たくさんの必要不可欠で根源的な欲求をその遺伝子に刻んでいます。
 
 「気持ちいい」と感じることは罪なのでしょうか?
 本来、快感と幸福は不可分一体であったはずです。

 僕は、多くの「極端に【人間】になりすぎて、病気をこじらせた人たち」に出会ってきましたが、「禁欲しすぎたから壊れた」という方々は結構いらっしゃいました。
 キメたことがある人もいたし、イッている人もいたし、ミエテいる人もいました。
 あくまでも僕の主観ですが、彼らは非常に「人間」でした。少なくとも「ヒトらしさ」は見受けられませんでした。

 これを踏まえて考えても、おかしいですよね。
 僕らは、ご飯をたくさんおいしく食べている友達を前にして「獣みたい」と罵った、というたとえ話を聴かされても、「言い過ぎだ」とは思っても、「間違っている」とはなかなか言い出せません。

 セフレを何人も持っているけど、誰にも迷惑はかけていない。そんな幸福なチャラ男を前にして、「お前はケダモノか」とかいっても、それほど違和感はありません。
 でもよくよく考えてみたら、それはとても恐ろしいことだと思います。

 皆さんはどう思いますか?

上記の回答(社会派小説のネタ募集!ネタ探ししているそこの君!僕とディスカッションしよう!(あざらしさんが勧めてくださったレオンが発端のスレです)の返信)

投稿者 サタン : 1

私も、普段は自治みたいな真似は差し出がましいと思う方なんだけども。

えっとですね、この議題は、貴方にとっては創作に関係する相談なのだと思いますが、他すべての人にとっては創作とはまるで関係ない議題です。
要するにスレチです。
歴史作家が、江戸時代の庶民の暮らしを知りたいと資料を募ったとして、それは作家にとっては創作のためですが、他すべての人にとっては「ただの歴史の話」です。
よーするに、そんなもんは創作の場ではなくどっかの歴史の先生に聞きなさいよ。って話ですね。

ついでなので、議題の一つだけ、回答しておきます。
「現代文明における成人の儀」
そもそも大人になるまで思い違いをしてる人が多い。
成人の儀式は、古今東西「これをすれば大人ですよ」という儀式じゃない。
「これくらいはできるようになっただろ?」という、大人になったことを証明するための儀式。
すなわち、現代においては「20歳なんだから大人になれよ」と発破を掛ける儀式のことで、市長の演説を聞くような式典だけで、それは十分です。
「成人式に出たら大人」なのではなくて、「成人式に参加するなら、大人の振る舞いをしなさいよ」ということ。
「大人」ってのは、何かをしたらなれるものじゃなくて、「自分から努めて大人になる」もの。
「大人になりなさいよ」と言ってるわけです。

カテゴリー : 創作論・評論 スレッド: 社会派小説のネタ募集!ネタ探ししているそこの君!僕とディスカッションしよう!(あざらしさんが勧めてくださったレオンが発端のスレです)

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投稿日時:

元記事:主人公の正当化について

主人公の正当性、正当化について私が今考えている物語と合わせてご質問したいです。

主人公は性同一性障害気味の男の娘。彼は男の子であるせいで差別や偏見、性的外傷を受け性格が歪んでしまっています。そのうちに「好意を持ってもらえる」女性という生き物に対して嫉妬するようになり、次第に恨みになっていきます。

この物語の序盤から中盤にかけて段階的に感情の変化を重ねますが、結果的に問題は解決しません。そして、ついに耐えきれなくなった主人公は、物語の終盤で人々の前に「加害者」として現れます。

この一連のプロットの中で、どうにかして主人公を正当化できる内容を入れたいです。

言うなれば進撃の巨人のエレン・イェーガーのような、理由付けをして正当化をしたいです。といっても読者に「主人公が100%正しい」と思わせるのではなく、あくまで共感してもらう程度でいいです。

どのようにすれば、正当化して共感を誘えるでしょうか?

上記の回答(主人公の正当化についての返信)

投稿者 ふ じ た に : 0

もうすでにいい案が出ていますが、一応気が付いた方法をメモしておきますね。
その性同一性障害気味の男の娘を傍観する人を視点主とする方法。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 主人公の正当化について

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投稿日時:

ライトノベル作法研究所管理人うっぴー /運営スタッフ:小説家・瀬川コウ:大手出版社編集者Y - エンタメノベルラボ - DMM オンラインサロン

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