小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

奥 義 得 人 素人さんの返信一覧。最新の投稿順5ページ目

元記事:作品にインパクトを持たせるにはの返信の返信の返信の返信

まあそれならいいですが独りよがりになるくらいのとがりがないとインパクトにはならないこともあるので注意してね
それに自分が独りよがりになっていない気でも気づかないなんてよくあることです
特に作家の勉強なんて実際ほとんど学んでいないのに沢山やったから読んだから学んだなんて思い込むの勉強に対する独りよがり
勉強で何かを得て初めで勉強と成立し沢山書いた沢山読んだ沢山完結したから学べているなんて幻想です
どのような勉強にせよ作家の勉強はそこがないと数やることに意味を見出し数やっているだけでほとんど学んでいないのに俺は私はあれだけしたのに成果が見えないと筆を折り俺には私には才能が時間が数が足りなかったという根幹から失敗する作家志望は世の中たぶんたくさんいます
さらに困ったことにこれは一部の者にとっては嘘ではないので沢山書いて沢山読んで沢山完結させて感覚などで成果を得られる人もそれなりにいます
勉強のたび何かを得ることは誰しも確実に学ぶための技の一つです
まあ沢山やる系の適性があるなら別にいいかしれませんがこちらの方が多くの人にとって有益と断言できます
巷の作家志望の大半がはまるわなの一つです
私はあえて自分の中の黄金律を守っています
独りよがりに見えてどっちつかずの皆に向けた作品よりどちら一方にばちんと来た方が個性的ですしね
そこに技が乗ればいいわけです
私が持っている技はボーボボのギャグだげでないですし夏目友人帳の感動の技鬼滅の刃の密度の技ありますので
全ての人が面白いと感じる作品はまずありえません
だからこそ作品には多くのジャンルがある
ジャンルに応じた黄金律そこに技を加えるだからインパクトが出る
そこにはある程度の自分の黄金律に対する信念という独りよがりは時には必要ですよ
まあ黄金律がひどい間違いがあるとか質が著しく低くく技がないなら独りよがりの作品ほどつまらないのはありませんがね

上記の回答(作品にインパクトを持たせるにはの返信の返信の返信の返信の返信)

投稿者 奥 義 得 人 素人 : 0 投稿日時:

突っ込まれる前に一応のため言っておきますが
注意!これはプロアマ問わず一部の者にとって知りたくもない聞きたくもない意見かもしれません
沢山書く沢山読む沢山完結させることが万人の正解として疑う気さえない人は読まないほうがいいかもしれません

そもそも沢山読むにしろ
作家志望が小説一冊から学んだ量はほぼ全ての人は受験生が一冊の参考書から学ぶことの量とは比べのにならないはずです
しかし公的に発売された小説一冊は出だしから読み終わるまでセリフ運び展開描写含め細かく言えばそれを成り立たせるための参考書と同程度か以上の公式定義法則などの技が膨大に詰め込まれています
それをたくさん読むそれがどれだけの技を見て触れることか言うまでありません
流石に全ては無理でもそのほんの僅かな一握りでさえ相当な量と質は確実です
そのほんの僅かでも沢山読むことに足せばただ沢山読むより確実な成果が手に入り成果の量も桁違いになる
一回の勉強で読んでノートほとんど真っ白の中にたった数行で学んだことを入れ続ける
それだけで沢山読む成果は段違い
自分でよくわからない感覚や無意識的な学びあれば二度おいしく最悪それがなくても一回の勉強で読んで数行学んだことが確実に成果として手に入る
つまり確実に勉強から学ぶことができるわけです
勉強と学んだという確かな何かを得るはセット
それがないと勉強で確実な学びは手に入りません
沢山やるにしても自分で何学んだかわからないなら自分でよくわからない感覚や無意識的さえないならまさに勉強していないも同然
あれば別にいいかもしれないしかし自分でよくわからない感覚や無意識的学びの多くは本人には良くわかない
どんな成果を得ているかわからないけどひたすら沢山行うマラソンそりゃほんの一部の人しかまともな成果は得られない
プロや向上を目指すマラソンでもそんなことはしない
だからこそ確実に学び成長するためには勉強のたび学んだという確かな何かを獲るはセット
作家志望の多くおそらくまともな勉強として成立させていないのに勉強ということを成立させていないのに成立したと独りよがりに思い込み沢山書いて沢山読んで沢山完結させて学んだと称す
もしかしたらプロ作家や文章にかかわるプロでさえ自分は効いたから他の人やプロ言っているからと一部の人向きで成果のつかめない人も多いこれが万人の正解として独りよがりになっている人もそれなりにいるのか知れない
私のようにそういう一部から外れた者は基本的に彼らの方法ではろくな成果はつかめない
彼らの意見も正解の一つ私たちのようにそれに外れた者の意見も正解の一つ
大事なのは自分に合った正解を選ぶこと
人それそれ違うのだから正解ある程度違って当然作家の勉強も同じ
私がその一つとして提示しているのが学びとして正解
勉強するたびに何か確実に学ぶこと
それはおそらくどの道の勉強も同じ成立させれば確実に成果を得られるメソッドの一つ沢山やる系は無意識的か感覚で成立させているから勉強として成立し成果を得られる
そのため意図的に学びとして正解勉強のたび学んだという確かな何かを得るはセットを守ることは才能の有無能力の大小か変わらず有益なことといえる
普通に考えて受験生と作家志望の勉強の違いは異常すぎる
沢山読む沢山書けば沢山完結すれば上手くなる程度なんて受験生なら確実に落ちる
同じ時間受験生が勉強すれば受かる受からないは受けるところ次第としても少しではなく学力は相当上がることは簡単に予想できる
いくら畑違いとしてもこれはないわ
巷の作家の勉強は効率が悪すぎるから私のように始めた時点の実力と経験が著しく低いとそれだけで無理ゲーと化す
私か今回描いたのはその効率化の一つの技勉強するたびに確実に学び成長するための技の一つ
信じる信じないはご自由に当然効果を保証するものではありませんが効果と恩恵を意図的に得られる可能性は確実に高めてくれるはずですよ
私は確実に成長したいのでこの道しか行きまませんがね

カテゴリー : ストーリー スレッド: 作品にインパクトを持たせるには

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元記事:作品にインパクトを持たせるにはの返信の返信の返信の返信の返信

突っ込まれる前に一応のため言っておきますが
注意!これはプロアマ問わず一部の者にとって知りたくもない聞きたくもない意見かもしれません
沢山書く沢山読む沢山完結させることが万人の正解として疑う気さえない人は読まないほうがいいかもしれません

そもそも沢山読むにしろ
作家志望が小説一冊から学んだ量はほぼ全ての人は受験生が一冊の参考書から学ぶことの量とは比べのにならないはずです
しかし公的に発売された小説一冊は出だしから読み終わるまでセリフ運び展開描写含め細かく言えばそれを成り立たせるための参考書と同程度か以上の公式定義法則などの技が膨大に詰め込まれています
それをたくさん読むそれがどれだけの技を見て触れることか言うまでありません
流石に全ては無理でもそのほんの僅かな一握りでさえ相当な量と質は確実です
そのほんの僅かでも沢山読むことに足せばただ沢山読むより確実な成果が手に入り成果の量も桁違いになる
一回の勉強で読んでノートほとんど真っ白の中にたった数行で学んだことを入れ続ける
それだけで沢山読む成果は段違い
自分でよくわからない感覚や無意識的な学びあれば二度おいしく最悪それがなくても一回の勉強で読んで数行学んだことが確実に成果として手に入る
つまり確実に勉強から学ぶことができるわけです
勉強と学んだという確かな何かを得るはセット
それがないと勉強で確実な学びは手に入りません
沢山やるにしても自分で何学んだかわからないなら自分でよくわからない感覚や無意識的さえないならまさに勉強していないも同然
あれば別にいいかもしれないしかし自分でよくわからない感覚や無意識的学びの多くは本人には良くわかない
どんな成果を得ているかわからないけどひたすら沢山行うマラソンそりゃほんの一部の人しかまともな成果は得られない
プロや向上を目指すマラソンでもそんなことはしない
だからこそ確実に学び成長するためには勉強のたび学んだという確かな何かを獲るはセット
作家志望の多くおそらくまともな勉強として成立させていないのに勉強ということを成立させていないのに成立したと独りよがりに思い込み沢山書いて沢山読んで沢山完結させて学んだと称す
もしかしたらプロ作家や文章にかかわるプロでさえ自分は効いたから他の人やプロ言っているからと一部の人向きで成果のつかめない人も多いこれが万人の正解として独りよがりになっている人もそれなりにいるのか知れない
私のようにそういう一部から外れた者は基本的に彼らの方法ではろくな成果はつかめない
彼らの意見も正解の一つ私たちのようにそれに外れた者の意見も正解の一つ
大事なのは自分に合った正解を選ぶこと
人それそれ違うのだから正解ある程度違って当然作家の勉強も同じ
私がその一つとして提示しているのが学びとして正解
勉強するたびに何か確実に学ぶこと
それはおそらくどの道の勉強も同じ成立させれば確実に成果を得られるメソッドの一つ沢山やる系は無意識的か感覚で成立させているから勉強として成立し成果を得られる
そのため意図的に学びとして正解勉強のたび学んだという確かな何かを得るはセットを守ることは才能の有無能力の大小か変わらず有益なことといえる
普通に考えて受験生と作家志望の勉強の違いは異常すぎる
沢山読む沢山書けば沢山完結すれば上手くなる程度なんて受験生なら確実に落ちる
同じ時間受験生が勉強すれば受かる受からないは受けるところ次第としても少しではなく学力は相当上がることは簡単に予想できる
いくら畑違いとしてもこれはないわ
巷の作家の勉強は効率が悪すぎるから私のように始めた時点の実力と経験が著しく低いとそれだけで無理ゲーと化す
私か今回描いたのはその効率化の一つの技勉強するたびに確実に学び成長するための技の一つ
信じる信じないはご自由に当然効果を保証するものではありませんが効果と恩恵を意図的に得られる可能性は確実に高めてくれるはずですよ
私は確実に成長したいのでこの道しか行きまませんがね

上記の回答(作品にインパクトを持たせるにはの返信の返信の返信の返信の返信の返信)

投稿者 奥 義 得 人 素人 : 0 投稿日時:

みている皆さん
お分かりの通りこんなもん掲示板に晒そうものなら大大物議が巻き起こり何として否定したい人が大荒れすること間違いなしなのでこの一連の内容はここだけの話にしてください
皆さんだって変な恨みは買いたくないはずです
即興の内容だったので出してはいけないものが出ました
真実は時に人を傷つけますね
反省しています
なのでお互いのためにここ以外に晒したり広めないでください
これは多くの作家志望は知らないほうが幸せなのかもしれません
仮にさらされると二度とこの場では情報提供ができなくなりますので

カテゴリー : ストーリー スレッド: 作品にインパクトを持たせるには

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ライバル

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元記事:目が見えないキャラが総じてベタ目なのはなぜ?障害を持ったキャラの萌える造形やシチュエーションとは

 目が見えないキャラって、漫画に描かれるとベタ目として書かれますが、あれっていつ頃のどの漫画が発祥でしょうか。僕も目が見えない人にいくらかお会いしたことがありますが、瞳孔に光がある方はかなりいらっしゃった記憶があります。角膜が損傷していたり、虹彩に問題がある場合はその限りではないかもしれません。

 眼が見えないキャラが漫画に登場すること自体、あまり機会がありませんが、どうしてもベタ目のイメージが付きまとうのはなぜなのでしょうか。そして、ベタ目を使う理由というのは、やはりビジュアル的にわかりやすいというのがあるのかもしれないと愚考します。

 とはいえ、判然としないのもたしかです。皆様の見解をお伺いしたいと思います。

 二問目。

 ベタ目の盲目キャラって、女の子だと萌えると思います。とくに「見る」必要がないので、目をわざと閉じて微笑んでいるときの愛らしさと言ったら!たまりません。少なくとも僕は好意的にとらえています。ビジュアル的に言っても、女の子を書くときにあの描写の仕方をすると、無茶苦茶可愛いです。男の子でも変人キャラに合わせるとギャップがあって面白いと思います。

 個人的には、あんな感じの分かりやすく、かつ好意的な描写が他の障碍者を描写する際にもあれば、もっと受容されるのではないかと思います。(体ではない方に問題がある場合は、外見に一目で見て取れる特徴を安易につけるのは少し難がありますが、やり方さえ間違えなければ効果的だと思います。)

 そこで追加の質問です。
 各障害を微笑ましく描写するには、どうしたらいいでしょうか。ああ、深刻にならないでください。肩の力を抜いて、「こんな障害を持ったキャラがこんなことしたら萌える(あるいは尊い)」と思い付いた事を教えていただきたいのです。

 一例をあげます。

 僕は小学生のころ、スズちゃんという、下級生の女の子と支援級で同じクラスでした。(ちなみにそのクラスは当初僕のためだけに創設されたという曰く付きです。それゆえ、僕は第一期生なのです)
 その子は根っからの性格美人で、とても世話好きでおしゃべりな女の子でした。

 知的障害を持っているなんて気にもならないほど善い子で、ろれつが回らないながらもみんなと積極的に仲良くなろうとする姿は、今の僕が描くキャラクターの造形パターンの一つとなっています。もはや十八番です。

 ある日、彼女は床に転がしっぱなしの僕のランドセルを見つけました。それは自分の本意ではない投稿をしてしまったことへのささやかな反抗だったのです。そして、そこに鉢合わせた僕を見てこういうのです。
 「ぼー、そうがないなー。ばたしがかたつけるかんね(もー、しょうがないなぁ。私が片付けちゃうからね)」

 あの日のことは今でもはっきり思い出せます。彼女のひたむきな姿とお人よし加減にきゅん死しかけましたww

 皆さんも、もし、こういった障害を持ってい「そのひとだからこそ」、キュンキュンしたことがおありでしたら、そちらも教えてください。特にあざらしさん、読みせん。期待してますよ~w(この場合の名指しはいいんでしたっけ?)

 仕事の当事者でも、中間管理職とか、アイドルとか、とにかくどんな事柄や立場の当事者にも言えますが、「笑い話にできる範囲の好意的な誤解」や「微笑ましいフィクション」というのが、その立場に属する人々のイメージに寄り添っているだけで、世界はもう少し優しくれると思うのです。

 もし僕が周りから正しく理解されなかったとしても、どうせ誤解されるなら楽しく笑ってくれた方が、周りも自分も幸せです。それで、実際に出会ってから「もー、そんなのありえないってば~ww」っていつか誰もが笑い合えたらちょうどいいなって思います。

 最近は、小説の描写について考えることが多くなって、たどり着いたのが「デリケートな描写は少し誤解されても気にしなくていいんだ」ということです。肩の力が抜けたというか、一歩成長できたと思います。

 描写は正確に越したことはありません。ですが、僕も、そんな幸せな誤解を与えられる作者になりたいです。

 ですので、ぜひ、皆さんの回答をお待ちしたいと思います。

 それでは。

上記の回答(目が見えないキャラが総じてベタ目なのはなぜ?障害を持ったキャラの萌える造形やシチュエーションとはの返信)

投稿者 あざらし : 2

期待されるようなことは書けませんが、所感を。

>ベタ目なのはなぜ?

デフォルメであり漫画的記号でしょう。
目が見えないと一口でいっても原因は様々です。
加齢が重大な要因となるものを除いても、症状によって眼球の状態は変わります。
正しく表現するなら、ベタで塗ったような状態より、白濁したような眼球に見えることの方が多いです。(多い少ないで語るはなしではありませんが)
ベタで塗ったような目で表現するというのは、ある種の記号(漫画的)として成立している部分が強いように思います。

このベタで塗ったような目は、漫画的記号でいうと『無感情』も表します。
『目は口ほどにものをいう』とはよく言ったものですが、目というのは感情を表しますので『そこに光を宿さない=感情を宿さない』状態の漫画記号ですね。

>目をわざと閉じて微笑んでいるときの愛らしさと言ったら!たまりません。少なくとも僕は好意的にとらえています。

(目を閉じて)(微笑んでいる)というのが、そのままではないでしょうか。
(感情を表さない記号であるベタ塗りの目)と、(微笑み)という相反する状態を避けるために目を閉じるという状態にしているように思います。

ただ、目を閉じるという行為そのものは記号だけでもありません。
全盲の方が目を閉じるのは、大きくは『空気の乾燥(目が乾かない)』つまり楽だからだそうです。本人は笑って仰っていましたが「(目を)開けても閉じても景色は同じだから」とのこと。
もうひとつは『主に音に集中している』これは日常生活で我々も普通にやりますね。ピアニストは演奏に集中すると上を向いたり、目を閉じたりといった仕草を(おそらくは無意識に)しますが、音に集中するときに視覚が邪魔になるためでしょう。さほど特殊なことではなく、我々も全神経を集中させるレベルで小さな音を聞き逃すまいとするとき、自然と目を閉じます。

さて。
本題を書きますが、私としても大切な思い出ですので若干の躊躇があります。正しく伝わるか解りませんが、ご了承を。

萌えた訳でも、キュンキュンした訳でもなく、友人です。
小学生の時、特別支援学校の運動会に参加したことがあります。学校教育、授業の一環としてクラス全員で参加したのですが、出発前に態々校長先生が教室に来て訓示をしていたことから、おそらく特別に許可を得ていたはずです。
子供ながら感じたことは、担任教師が相手側の学校教師と親しげにしていたので、おそらく先生同士の繋がりが発端だったのでしょう。

先生からは「出来る範囲で手助け」ということを聞かされていましたが、おおよそは応援。
特別支援学校の生徒さんと席を同じくして応援するのですが、率直には楽しくはありませんでした。今思えば、そもそも初めて会った子供同士が教師という大人の介入で「仲良くやれ」というのも無理があります。子供なんて大なり小なり自然発生的に摩擦があり、そこから仲が良くなっていくものでしょう。そういった摩擦もなにもなく、けれど教師の指示で応援するというのは、子供心にスベった感覚だけが妙に強かったことを覚えています。
入学式直後のような、仲良くしようとは思うが、相手がどのような人物なのかと探るような状態が精一杯だったのは、多分クラスメイト皆が感じていたのではないでしょうか。

激しい運動には不向きな子が多いので、玉入れだとか、ダンスが多かったのですが、(おそらくは)メインイベントの徒競走、リレーが始まったときです。
その子は転倒時に危険がないようヘッドギアを被っていました。
ヘッドギアはこの学校の生徒さんでは珍しくありませんが、他の子はラグビー選手のような頭や耳部分だけを保護するタイプなのに、その子はボクサーがスパーリングをするときに付けているアゴまで衝撃をクッションできるものでした。
子供心にそのボクサースパーリング姿が「カッチョエエ」と思ったものです。
足も悪いらしく、バトンを受け取るスタートラインまで片足をずるずると引きずり、それなのに腕は何かを抱くように胴体にピッタリくっつけていました。
動く足の一本でケンケンをし、そのケンケン足と顔だけが前へ前へと急いている。残る不自由な手足は、まるで飼い主を必死で追いかける犬のようだと、不謹慎ですがそう思ったんです。
ほとんど惰性と義務感だったのですが「がんばれ」と叫んだ私の声に、その子は振り返りハッキリと満面の笑みを返しました。

当時から、声は、まあ人並み以上に大きかったので妙に目立ち、またこれが妙な位置関係で座っていた教師が振り向きざまに「おい」と呼び、私に目配せをしてきました。
狡っ辛いワルガキだった私は、クソガキならではの能力で教師の望む反応に敏感でもありましたので、担任が望んでいる展開も理解できます。
当時を思い返すと赤面の至りですが、私はその子に駆けよりましたが、手を引く事が出来ません。そうしようとしても両腕は胴にピッタリとくっつき、どうも手をとると痛みがあるように思えたのです。

手持ち無沙汰になった私は、その子の肩に手を回し、抱き寄せるようにしてスタートラインまで一緒に歩きました。
リレーといってもトラック半周ほどを数人交代で走る競技でした。
生徒によって障碍も、その程度も様々な学校です。速い生徒は既にゴールしていますし、⒉番手3番手の生徒も横を抜けていきます。正直なところ、どうにも居心地の悪さを感じますが、今更その子を放置するわけにもいかず、ずっと肩を抱いてバトンを待っていました。
その子のタスキと同じ色をしたバトンが手渡されたのは、他の全員がゴールしてしばらくしてからでした。

手渡された、と書きましたが、それはバトンで殴られたような具合でした。
前走者に悪気があったわけではありません。
バトンを手渡した前走者の子も、手が不自由で押しつけるようにぶつけるのが精一杯。
私に肩を抱かれてる子も、手で受け取ることができないというだけのことです。

その子が自分で立っていられることを確認し、私がバトンを拾いました。
もうこうなったら一緒にゴールするしかありません。
ところがその子は「んっ! んっ!」と不機嫌そうな声を出すだけで、一向にゴールに向かおうとしません。
目だけが必死に訴えてきましたが、なにがしたいのかサッパリ。それどころか肩を振り回して私の手をふりほどくと顔から地面に倒れ込みました。
慌てて助け起こすと顔の真ん中から下が真っ赤。
倒れたときに、したたか鼻を打ったらしく、噴出した鼻血が校庭にちっこい水たまりを作り、私はわけもなく「ごめん、ごめん」を連呼し、教師はかけつけクラスメイトはどよめき、リレーはそれで終わりました。

というのがあらまし。
これには後日談があり、学校に手紙が届きました。
その子からの手紙だったのですが、ぐにゃぐにゃの字で「うれしかった。ありがとう」あとは、その子の名前が書かれていました。
余計なのは担任教師が私をわざわざ教壇に呼び寄せ、クラスメイトの前でお褒めの言葉と、追加の両親からの手紙を紹介したこと。
要約すると『自分でゴールまでバトンを運びたく、それを持とうとして転んだ。本人は意固地になってしまったことを後悔し謝りたく思っている。相手の両親は大変に喜んでいる。出来れば逢いに来てやって欲しいらしい』
クソガキだった私は担任教師に”後々まで語るであろうネタ”を提供したことに苛立ちはしましたが、ちゃんと謝りたい気持ちの方が強かったので、担任と一緒に相手を訪ねることをその場で了承した次第。
気に入らんかったのは、女の子を訪ねることをクラスメイトが囃し立てたこと。

『できすぎ』と思われるかも知れませんが、本当なので仕方ない。
失礼ながら、手紙の名前を読むまで女の子だったことに全く気がついてなかったんです。
スパーリング用のヘッドギアの印象が強くて顔なんて見てなかったし、髪も短かったし、背もちっこいし、そもそも私自身が思春期前だったので男女をあんまり意識してなかった。
初恋は済ませてたが、これも二次元で、現実では恋知らずの時期。(なんと家にあった美術書に載ってたベアトリーチェ・チェンチの肖像(笑) 不幸な人だがメチャクチャ可愛い。理想のタイプです、はい)

その後、数年間短い手紙のやりとり、いわゆる文通ってのをやりましたが、大切な思い出で友人です。
彼女はお母さんのお腹で事故が起きて、手足と発語が不自由になったのですが、普通の女の子と同じように勝ち気で我が儘で優しくてぬいぐるみが大好きでした。

>ですが、僕も、そんな幸せな誤解を与えられる作者になりたいです。

頑張って下さい。
毎度、視点はよいと思うのです。

最後にお勧め作品を。
【リュックベッソン監督:レオン(完全版)】
完全版を名指ししたのは、この感覚。
公開時とは異なり、マチルダという12才の少女との愛情に踏み込んでます。
まぁ、普通に劇場公開しずらいわな。
『レオンはロリコンかよ!』と非難するのは簡単。
ですが、マチルダというヒロインと愛情を育んだのであって『マチルダがたまたま若かっただけ』という見方、この感覚を掴んで欲しく思います。
たぶん今後の壱番合戦仁さんに、一滴のヒントをくれるように思います。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 目が見えないキャラが総じてベタ目なのはなぜ?障害を持ったキャラの萌える造形やシチュエーションとは

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元記事:アニメとラノベの心情描写の違いは何ですか?

例えばアニメにおいて微細な心情の変化を間や表情、声の調子などによって表現することはよくありますが、ライトノベルで同じことはできないでしょうか。

三島由紀夫の文章読本には確か「小説では心情ははっきり書かないと違和感を残してしまう」というようなことが書かれていたと思います。自分もそう思うのですが、しかしながらキャラクターの心情をいちいち描写していたのではいわゆる「そのまんま」になってしまってつまらないのではないかと感じました。

個人的には、拙いながら設定やキャラクター、ガジェット等に関する直接的な説明はなるべく省いて、外見的なものや印象を重視した作風にしたいと思っているのですが、どうにかならないでしょうか。

上記の回答(アニメとラノベの心情描写の違いは何ですか?の返信)

投稿者 サタン : 1

>ライトノベルで同じことはできないでしょうか。
出来ないことはないと思うけど、それは、少なくとも私の回答では「かなり読者頼り」な方法ですね。
例えば、あるアニメを視聴した人が、そのアニメの内容をまんま文字に起こした文章を読んだとする。そのとき読者の脳内にはどのようなイメージが浮かんでいるか?
おそらく、アニメの内容とほぼ変わらないものでしょう。あるいは視聴した人の印象によって多少誇張されたものではないかと思う。
つまり間や表情や声の調子、ついでにダイナミックなアクションなど、文章が苦手とする表現をちゃんとイメージ出来てるって事になると思う。

でもこれは、当たり前だけど「そういう表現を伝えることが出来る文章が書けた」のではなくて、単に「読者が文章からアニメを思い出してる」というだけ。
だから「読者頼り」な方法で、作者としては「思い出しやすい環境を作る」ことで、そういう「微細な心情の変化」のための描写やら凝った文章やらは放棄しちゃう。
イメージは人それぞれ違うので、作者が感じた「こういうイメージ」を事細かに指定しちゃうと読者のイメージ(思い出し)の邪魔をしてしまうからですね。
そうなりゃ当然のこと文章は比較的シンプルなものになりますし、そもそも「読者がそういう前例を予め知っていること」という条件のもと成立する表現なので、本当に読者に丸投げ。

アニメと小説での表現の違いは、あまくささんの回答に詳しいけども、一つだけ補足というか横槍を入れると、
>逆にアニメで一人称視点をやるのは不可能です。
映像という意味で言うと、「カメラマン」を一人のキャラクターとして扱う作品なんかだと、視聴者はあまり意識してないけど、一応一人称だと思います。
たしかラノベ「氷菓」の一つのエピソードの中に「カメラマンが犯人だった」という作中劇(かな?)があって、アニメ版ではラストで登場人物全員がカメラ目線になる、という一種の叙述トリックですね、そういうのがありました。
これはけっこう搦め手だと思うけど、そう思うと一部のドキュメンタリー映画なんかじゃ該当するのもあるのかな、と。
そーなるとPOV形式のホラー映画なんかも該当しちゃいそうだけど、でも個人的にブレア・ウィッチ・プロジェクトとかカメラを自分に向けちゃうと一人称としてはナシなんだよなぁ。

まあ、何が言いたいのかっていうと、基本的にアニメと小説では表現方法が違う(このあたりあまくささんの回答が正確だと思います)ので、一人称に向いてない映像作品でやろうと思えば奇策を使ったり「ここまでが限界」ってものがある。
だから、小説に向いてない表現方法でも、一応は考えればやりようはある。けど「これ以上は無理だな」という限界も確かにある。
私個人の今の所の答えは前述したような「読者頼り」な方法。

>「小説では心情ははっきり書かないと違和感を残してしまう」
これは結局のとこ作風じゃないでしょうか。
三島由紀夫は「俺はこう思うからはっきり書いている」ということではないかなと。
これも完全な私見だけども、
悲しんでるキャラクターを書く場合、「悲しんでる様子」を書いてるだけだとそれが伝わらない場合も確かに往々にしてあるんですよね。
「◯◯が☓☓した、だから私は悲しいんだ」と。こんなダイレクトに書かんでもわかるだろうけど、あえてね。
で。
この傾向って、ぶっちゃけ読者層の年齢によるんですよ。
というか、読んでる人の教養の高さによる。
言ってしまえば「悲しんでる様子」から「この人物は◯◯が☓☓したことが悲しいんだな」と読み取れないと、そりゃ当然のこと伝わらないですよね。
でも、「◯◯が☓☓した、だから私は悲しいんだ」って書いちゃえばこの内容が伝わらないわけがないでしょう。
故に、はっきり書いたほうがいい、そのほうが違和感がない。と私も思う。
けど、再度言うけど、教養が高い人、自分で考え自分で読み取れる人、活字に読み慣れてる人が読者層の場合、そして前提として「作者に伝える能力が十分にある」という場合、この話はこの限りではない。
なので、作者の作風の話だと思う。

ま、逆を言えば「アマチュア作家で経験が乏しい」とか「ラノベすらあまり読まない」とか「Webで軽く読むだけ」とか「そもそも10~18歳がメイン読者」とか、ついでに「思想が偏ってて新しい価値観を受け入れにくい読者層」とかだと、そもそも「俺が書いた内容から意図を読み取れよ」ってのはハードル高いんで、ハッキリ書いたほうがいいでしょう。
そういう、読者層なんかを考えた上で、って事もあると思う。

>外見的なものや印象を重視した作風にしたいと思っているのですが
内面は端的にハッキリ書いて、外見的なものや印象に重点を置けば良いのでは。
どちらかって話じゃなくて、どっちに重きを置くかってことでしょう? そこはご自身の力量とセンスと、そして読者の反応から良い塩梅を探るしかないのではないかなと思います。
ただ、非常に難しいとは思う。
「彼は悲しんだ。」と端的に書いて、そっから外見的なものや印象で「彼がどう悲しんでいるか」を描写しなきゃいけない、というスタンスになると思うから。
つまり、内面で書けば良いことを外見や雰囲気から描写しなきゃいけなくなるので、難しそうだな、と。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: アニメとラノベの心情描写の違いは何ですか?

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投稿日時:

元記事:光属性を使うヴァンパイアはそんなにもおかしい存在なのか

どうも如月千怜です。いつもお世話になっております。
今回は前置きすることがないので、すぐ本題に入ります。

私は以前、鍛錬室に「渚の環境ミッドナイト」という作品を掲載したのですが、この作品は好意的な意見を多くいただき、自身でも世界観が気に入っている大変自信のある作品です。
ただマイナス点をつけた感想投稿者の方も今までで最多でしたので、私が今まで執筆した作品で最も賛否両論だったと言える作品です。

で、その作品に関する話なのですが、人間と吸血鬼のハーフの主人公が光属性の魔法剣を使うシーンがあるんですよね。
ところがこのシーンに対して、「日光が弱点のヴァンパイアが光魔法を使えるなんておかしい」「魔物特攻みたいな効果があるなら主人公自身にも有効じゃんこの魔法剣」みたいな意見があったんです。

ただ私はこれらの意見に対して「そんなにおかしいことなのか?」という疑問を感じているんですよね。
一応私はヴァンパイアでも使うことができる理由をある程度は作っています。
この魔法剣は月の魔力を使っているという設定になっていまして、これなら日光じゃないからヴァンパイアが使っていても全然おかしくない理由付けになると思ったんですよ。
ただ知人からは「その理屈はおかしい。そもそも魔物がそういう祝福みたいな効果を受けれること自体が考えられない。たとえ自身に害がないとしても」みたいな理屈をこねられて反論されました。

魔物特攻の効果があると明記してしまったのがいけなかったのでしょうか?
それとも原動力が月光だとしても光魔法を使えること自体がおかしいのでしょうか?
この主人公の物語に関して、私は続編を作るつもりです。
続編の方では本格的な攻撃魔法を使わせることを検討しているのですが……
魔物特攻が諸刃の剣になっているだけ、なら一応その効果を削除するつもりです。

上記の回答(光属性を使うヴァンパイアはそんなにもおかしい存在なのかの返信)

投稿者 読むせん : 0

あー・・・・そもそも月光は太陽光の照り返しよ?

 時代設定次第やけど、昔の人は太陽光と月光は別のもんだと思っていたから。
エレメンツなんて呼ばれる『火』『水』『風』『地』なんかは、化学でいうと火=錆び現象の強力版。水=あるいみ風みたいなもんだし。地=地球だろうから
 エレメントと言うには「余りに大間違いなギャグ」や「大失敗」なんよ?

本来そんなもんツッコミ入れている方がアホウです。
 スペシウム光線だのガンダリウム合金だの、アホすぎるだろ男の子の浪漫がすぎるだろ。光魔法とかアホだろ。光を何として考えとんねん。ってなる。

それを読者に【突っ込ませてしまった】【白けさせてしまった】点は大きいと思います。

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「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」
「 みじめったらしくうずくまるのはやめろ! そんなことが通用するなら お前の家族は殺されていない! 」
「奪うか奪われるかの時に主導権を握れない弱者が 妹を治す?仇を見つける? 」
「笑止千万!!」
「 弱者には何の権利も選択肢もない 悉く強者にねじ伏せられるのみ!! 」
「強者がお前の意思や願いを尊重してくれると思うなよ」
「 当然俺もお前を尊重しない 」
「それが現実だ!!!」

【鬼滅の刃】を見てこのセリフで爆笑した。
だよね!!わかる!!これチート展開に飽きてきた読者層と、チート酔いの弊害でドリーム男に迷惑かけられ倒した女性層からウケが良さそう。
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 如月さんは弱いし甘ったれていますね~。

決定権を読者に奪われちゃダメ。情けなく断筆しキャラの生殺与奪を他人に預け、殺さないで穢さないでと懇願しても、彼らはそんな甘くない。
 読者と戦え。物語を通じて批判意見を問答無用でねじ伏せてみせろ!ですよ~

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 光属性を使うヴァンパイアはそんなにもおかしい存在なのか

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