小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

ミヤゾノ ツバサさんの返信一覧。最新の投稿順1ページ目

元記事:小説が書けません続

プロになりたいわけではありません。好きなものをなかなか見たことがないもどかしさにより、自分で生み出したいので小説を執筆したいのです。
しかし本編を一文字も書けず、設定もふわっとしたものだけ。
私は小説をろくに読まないのですが、小説を読めばいつかは改善できるでしょうか?活字が苦手で読んでません。
質問になっていなかったらすみません(二回目)。とても深刻に悩んでいます。

上記の回答(小説が書けません続の返信)

投稿者 ミヤゾノ ツバサ : 0 投稿日時:

こんばんは。
微力ながら書かせていただきますね。

私もわさびさんと似たような悩みを持っていました。
で、一度、小説を書くのを辞めてしまったんです。
ですが十数年のブランクを経て、気づいた事が2つあります。

①小説を読めば表現が自然と降ってくる。
②最初から無理にレベルの高いものは書かない。

①に関しては、実は私も活字が嫌いなのでお気持ちはよぉ〜く分かります。
ではなんで①に気づいたかというと、好きなアニメのノベライズが出ていて、アニメの世界観をもっと深く知りたいがために読んだら面白くて……というのがきっかけで、それからよく読むようになりました。

最近ですと鬼滅の刃のノベライズが流行っていて、読む人が多いと聞きますます。
(ちなみに私は、攻殻機動隊と世界観が同じと言われる、東のエデンという小説です)

また最近では、小説の読み聞かせもありますし、試してみてはいかがでしょう?
YouTubeでも、昔の文豪とかの作品なら合法的にアップされています。

②なんですが、執筆初心者がいきなり空想の世界を書こうとするとつまづきやすいのかなと思います。

これも私の経験談なんですが、久々に小説を描こうと思い、リハビリで実話を元にした小説を書いてみたらよく書けました。
なのでわさびさんも一度、慣れるつもりで経験したことを書き起こしてみると、どこをどういう風に書けばいいのか、勝手が分かってくると思います。

個人的な意見ですが、参考になれば幸いです。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 小説が書けません続

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元記事:jkm10133@gmail.com

こんにちは
私の場合は小5の時になろうで書き
その後スランプに陥り

いま、新中一で、もう一度書きたくなりました

12さいです

上記の回答(jkm10133@gmail.comの返信)

スレ主 ミヤゾノ ツバサ : 0 投稿日時:

このここのここさん、レスありがとうございます!
12歳なんですねーこれからもっともっと楽しいじゃないですか。
10代の頃しか得られない、感性や感覚を大切にしてください。

カテゴリー : その他 スレッド: 皆さんは何歳ですか?

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元記事:皆さんは何歳ですか?の返信

2007年ですか。
私が最初にここに来たのは確か2009年の終わり頃です。なので、ここではVedaさんの方が先輩ということになりますが、年は私の方がだいぶ上とだけ言っておきます。

0年代は知りませんが、10年代初め頃のラ研には猛獣みたいな人がいましたよね。あのころの投稿室や旧掲示板はけっこう殺伐としていました。

私はずっといるのですが、Vedaさんはラ研から離れていた時期があるのでしょうか?
ある時期の投稿室で、酷評批判派VS甘い感想批判派の対立が長く続いたことがあって、今は何巡かして落ち着いてきた感じ。私なんかは時々、昔の調子でやってみたい誘惑にかられることがあったりします(笑  ←老害

>例えば、10代の方に、黒電話を説明もなしに出しても分かりにくいかと思ったので、大体の指標が欲しいなぁと思いました。

古臭い感じがするのはガラケーあたりで、黒電話ならもう歴史小説ですよ(笑

上記の回答(皆さんは何歳ですか?の返信の返信)

スレ主 ミヤゾノ ツバサ : 0 投稿日時:

あまくささん、レスありがとうございます!

私と同じぐらいから利用されている人がいてホッとしました(笑)
私は2007年が主で、徐々にフェードアウトしていき、10年代はまったく出て来ていません。
なので、あまくささんの言うような論争(?)があったのは全然知らなかったです。

07年ごろはたしか、ラ研のウィキペディア的なものを誰かが(おそらく無断で)別サイトで作ってしまった、なんてこともありました。
内容が主に作者紹介(批評)だったので、そこで結構荒れていましたね。
面白くない作品ばかりを書く人は、すごく叩かれていました……

他には、酷評ばかり受けている(のに逆ギレしつつ投稿を続けている)作者が、何を思ったのか、星新一の1話をまるまるそのまま投稿してしまったこともあったんです。

皆、星新一だと気づかずに最初はいつもの作者だと言うことで酷評ばかり付けていたんですが、ある人が星新一の◯◯という小説じゃないかと指摘した途端、盗作するなんてなんてヤツだとさらに炎上。
同時に、世間一般に認められている星新一の作品を酷評するなんで、本当はよく読んで評価していないんじゃないか。
人で判断していないかという論争も過熱していましたね(笑)

と、まあ、私がいた時代(?)はこんな感じです。

ちなみに黒電話ですが、今書いているホラーに黒電話を登場させてみようと思ったので、ちょっと一例で出してみました。
でも、もう、古臭いというレベルじゃなくて、歴史なんですよね……歴史
祖父母の家にあって、使っていたのも随分昔なんですよね……(遠い目)

長々と失礼しました。

カテゴリー : その他 スレッド: 皆さんは何歳ですか?

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元記事:時間の捻出方法

毎度お世話になっております、甘粕です。

なんとなくラ研のブログ記事を読んでいましたら

これを毎日やれば7割はプロ作家になれるという項目で

毎日、5000~一万文字小説を書く。ネタがなくても無理やり書く。内容はダメダメでも、下手でも良い。量をこなせば、質的な向上が必ず起きる。
毎日、一本映画を見る。

とありました。

本格的にプロになる事は今のところ考えていないのですが
質を向上させるために上記の事をやってみたいと思います
(特に映画)

そこでこの方法を実践している人や近い事をしている人など、映画をじっくり観る時間や執筆の時間はどの様に捻出しているのか、参考程度にお聞きしたいと思いました。

どうしていますか?

上記の回答(時間の捻出方法の返信)

投稿者 ミヤゾノ ツバサ : 0 投稿日時:

こんにちは。
私は働いていますし子供もいるので、なかなか映画を観るという時間は取れません。
ですが空いた時間に
・本を読む
・在宅の仕事をしながら本の朗読を聞く
・ご飯作っている時にNetflixでちまちま映画を見る、もしくはYouTubeを見る

などをしています。

カテゴリー : その他 スレッド: 時間の捻出方法

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元記事:妹を殺さざるを得ない時

国が内戦で難民になった、それでも追ってくる兵隊たちから逃れる為に、連れてきた嬰児の妹の泣き声を消す為に、主人公は彼女の口を塞ぎ、殺すことにした。
内戦終結後、妹そっくりの同級生の妹に出会う。
去来する思いはどんなものでしょうか?
後悔、懺悔、知りたいゆえのストーカー行為、恨みつらみ、もう二度と逢いたくない? 貴方は他人だもの、私達親子に係わらないで、どうしてそんなに責めるんだ(の)、どんな思いが湧き出るのでしょうか? 
もちろん人間性でも答えは違います。
難しく、複雑な、解に至る前でも何かしら、指に触れることばを下さい。

上記の回答(妹を殺さざるを得ない時の返信)

投稿者 ミヤゾノ ツバサ : 1 投稿日時:

こんにちは。
私はパクトボーさんの意見とは反対の意見になってしまいますが……
いえ、パクトボーさんの意見を批判しているわけではないんです。
立場が違えば感じる事も異なってくるんです。

私には来月3歳になる息子がいます。

息子が生まれてから、幼い子供が虐待などで不幸な目にあったり、亡くなったりすると、息子と投影し、“胸が張り裂けそうになるほど” 悲しくなり、やり場の無い怒りも湧いてくるんです。
(「胸が張り裂ける」という感覚って、こういう感じなんだと初めて感じたぐらい)

それまではそのようなニュースを見ても、悲しみや怒りは感じても、どこか他人事のように思っていたんですが、ある意味当事者になると、沸き起こる感情も全く異なってくるんです。

これは現代でも実際にあることなんですが。
子供を亡くした母親が、子供を火葬するときに、子供の亡骸と一緒に(扉が閉まろうとする)火葬炉に飛び込もうとするのを、火葬場職員が必死に止めるという話もちらほらとあります。
また、数年前、木製のジャングルジムが炎上し、中に取り残された子供を助けるために、父親が飛び込んで全身やけどを追った事故もありましたね。

その母親や父親の気持ちも私は理解できます。

では、兄妹ではどうか? というと、私はアリだと思います。
例えば、「はだしのゲン」という、ヒロシマ原爆を描いた古い漫画では、主人公のゲンが生まれたばかりの友子という赤ん坊をとても可愛がります。
結果的に、友子は栄養失調で数ヶ月後に亡くなってしまいますが、ゲンはすごく悲しみましたし、ずーっとその事を心に抱えて生きていきます。

つまり、それまでの背景や主人公の性格をチキンと書ければ、問題ないと思います。

もし、主人公が赤ん坊の妹をもともと疎ましく思って殺したのならば、妹に似た人に会ったとき、恐怖を感じるでしょう。

とても大切に思っていたのならば、会ったとき懐かしさや哀しみを感じるでしょう。
後悔の念に駆られるかもしれませんが、少なくてもこの場合は恐怖は感じません。
ですが、殺す時にそれ相応の理由が必要になってきます。
(誰かに殺された、もしくは誰かに殺されるぐらいならば、自分の手で殺そう等)

そこをちゃんと書いて土台をしっかりすれば大丈夫だと思います。

ちなみに、赤ん坊の顔ですが、確かに生まれたばかりはどの赤ん坊も似たような顔で区別はつきません。
ですが、生後10ヶ月ぐらいになると人相はある程度決まってきます。

個人差にもよると思いますが、そのまま大人になっても、生後10ヶ月ごろの面影を残している人は中にはいます。
例えば鈴木福くんは生後10ヶ月頃から子役をやっていますが、赤ん坊の頃の福くんはそのまま小さくしただけで、人相は今とほとんど変わっていません。

ちなみに一般的に生後10ヶ月ぐらいの子供は、一人立ちがようやくできるぐらいです。
メインはハイハイです。

個人的な意見ですが、参考になれば幸いです。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 妹を殺さざるを得ない時

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元記事:人称について 一人称と三人称、どちらか片方に特化すべきか 両方とも書けるようになるべきか

初めましての方は初めまして。これまでのスレッドに書き込んでいただいた方々はお久しぶりです。マリン・Oと申します。
今回の質問は題名通りです。一人称と三人称のどちらか片方に特化すべきか、あるいは両方とも書けるようになるべきか、という質問です。

私は小説を書き始めてから今までずっと三人称で書いてきたのですが、たまには息抜きという形で一人称の小説を書き始めました。
ただ、一人称のルールに則った上で書くとどうしても似たような文が続きがちになります。
似たような文が続きがちになってしまうというのは、一人称では自然なことなのでしょうか?
一人称で普段書いている方、ご教授お願い致します。

上記の回答(人称について 一人称と三人称、どちらか片方に特化すべきか 両方とも書けるようになるべきかの返信)

投稿者 サタン : 0

一人称は極めようと思ったら三人称よりずっと難しい上にセンスも必要になってきます。
気晴らしで書くだけなら、ある程度妥協したほうが良いでしょう。

また、一人称の「センス」の部分を考慮に入れなければ、基本的に一人称も三人称も大して変わりません。
イラストの描き方を覚えれば、色鉛筆で描くのもクレヨンで描くのも、大して違わないでしょ? 表現方法が変わるだけ。
慣れれば「どっちが」という話にはならないです。どっちも同じ。変わらない。

でも、確かに「表現方法」は変わるので、これまで三人称で書いていて三人称に慣れてきたというのであれば、一人称の表現方法に触れることで「これまで気づかなかった表現方法」にも気がつくかと思います。
あるいは、三人称で上手く書けてると思っていた部分に穴を見つけてしまったりとか。
おそらくその一つが、
>一人称のルールに則った上で書くとどうしても似たような文が続きがちになります。
ではないかなと思います。

ぶっちゃけ、「似たような文章が続く」という意味では一人称より三人称のほうがそういう悩みを耳にしやすいです。
「一人称で似たような文章」というと、「俺は◯◯した」とか「俺が☓☓すると」とか、主語である「俺」が出やすいというのが思いつきます。
一人称である以上主語には「主人公」が来ることが多いので、このようになりやすいわけですね。
もし、こういう問題に当たってるのだとしたら、それは三人称で書いていても同じような問題が潜在的にある、と考えて良いと思う。
主語の扱いが上手く出来てない、みたいな。
「文章」という意味で言えば一人称も三人称も同じ日本語の文章ですから、大した違いはないハズです。

一人称は主人公に視点を固定して書けば良いだけで、そのルールがあるから文章が似たり寄ったりになるという場合、逆に三人称で視点の扱いを理解できてない可能性があります。
三人称も、ワンシーンでコロコロ視点を変えた文章を書いていたら訳がわからないので、基本的にはシーン内では視点を固定して書きます。
つまり、同じ話であるハズです。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 人称について 一人称と三人称、どちらか片方に特化すべきか 両方とも書けるようになるべきか

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投稿日時:

元記事:ファンタジーやメルヘンでのリアリティの度合いの決め方を教えてください。

SFが「嘘っぽくない」ようになるため、あらゆる論理性によって本当のように見せているのに対し、ファンタジーはそもそもそうした努力をしているのでしょうか。

ファンタジーの「嘘っぽくなさ」は、おそらくは形相によって保障されています。
つまり、石を削って彫刻を作る際には、その目的としての対象が存在しているのであって、作者が想像したり、観客がそれを見たりする以前からそこに存在し、作者はいわば観測者に過ぎないという考えです。
であればSFもまた、このような作り方でもいいはずです。「未来少年コナン」が「あり得ない動作を現実の動作の延長のように見せることで本当のように見せている」のは何故でしょうか。

SFがこのような手法を取る理由としては、たとえば読者に「自分にもできるかもしれない」「もしかしたらあの時こういう結末になっていたかもしれない」といった同一化を生む機能や、主人公の行動パターンを論理的にすることによって、推理に合理性を与えたり、あるいはその社会が持つ限界を明らかにして風刺等を行ったりする、といったことが考えられますが、そうした理由がなくとも有名なSFでこの手法を使っているものは少なくないように思えてなりません。

また、ファンタジーの方としても、ある部分はそうしたSF考証を行うことで「嘘っぽくない」ように見せながら、またある部分では、読者や視聴者には明らかに嘘であると明らかなものを見せることもあります。「精霊の守り人」において、序盤から幻想的な世界観が広がっており、読者にもこれが虚構の世界であると理解されますが、中盤には文化人類学的な「類感魔術」の要素が入っています。これらの描写の違いを決める線引きは何でしょうか。

さらに言えば、作品が本の中の出来事であると改めて明示することもあります。M・エンデの作品は言うに及ばず、絵本に描かれるファンタジーなどもそうです。ファンタジー以外でも、「この世界の片隅に」などは鉛筆を使った描写やコマが紙のようにめくれる手法などによってそれがなされています。これは一見、読者が作品から現実世界へと引き戻され、「嘘っぽくなさ」としても「形相」としてもマイナスの効果になると思うのですが、実際にはどのような効果を狙ったものでしょうか。

上記の回答(ファンタジーやメルヘンでのリアリティの度合いの決め方を教えてください。の返信)

投稿者 手塚満 : 1

結論から申せば、リアリティを「大枠の理屈でくくった中にあると思わないほうがいい」です。

理論的な枠組みの中にリアリティの出し方があり、その理論が分かれば。自分もそう思いたいのはやまやまですが、ないんです。作品ごとに作り出すしかありません。

それだけでは何のことやらですんで、以下、多少説明してみます。

1.SFは1つのジャンルではない

SFを、何らかの点で共通かつ固有的性質を持つジャンルと考えてはなりません。例えば「未来の二つの顔」(ホーガン)と、「キャプテン・フューチャー」(ハミルトン)は、直接的な比較は難しい。ですので、前者はハードSFに分類され、後者はスぺオペ分類で、要は別ジャンル扱いです。「キャプテン・フューチャー」の科学考証が「未来の二つの顔」より雑だから駄目、なんて批判はしません。混ぜるな危険、ごっちゃにすると混乱します。

2.未来少年コナンのリアリティの目的と手法

「未来少年コナン」の主人公コナンが、ラナを抱えて高所から飛び降りて無事だったり、拘束具の鋼を引き千切ったりするのは、観客/視聴者が「おお!」と驚いて見入るからです。感心して見入るように作ってある、というほうが正確かもしれません。

コナンは人類であるのに、あからさまに超人的なアクションを見せて、観客/視聴者に嘘っぽいとしてしらけさせることがないのはなぜか。まず第1話からの準備がありますね。それほどぶっ飛んではないくらいの力持ちと示しておく。以降、それを徐々にインフレさせる。強さのインフレのポジティブなものといってもいいかもしれません。

それだけでは単に目を引くくらいです。が、ドラマ的に「ここはコナンに解決して欲しい」という流れを作る。観客/視聴者に欲しがらせておいてから、与えるといってもいいでしょう。コナンがして欲しいことをしたなら、ちょっと無理でもなんとなく納得できるわけです。むしろ快感ですらある。落ち着いて考えたらおかしいかもしれないけれど、観ていて興奮できたらいいのです。フィクションですから。

まだあって、リアリティ(迫真性)は細部に宿るということ。全体は大嘘、細部はリアルというコツです。コナンが鋼を引き千切るとき、まずちょっと歪み、続いてネジが飛んだりする。これは壊れるか、と思ったらコナンがいったん力を緩める。疲れちゃった感じですね。そこからもう一度踏ん張る。そういう描写です。リアルでもよくあるような細部を見せておいて、「人間が鋼を引き千切れるわけがない」という常識を覆い隠すわけです。

3.欲しいと思うものは納得しやすい

しかし、それだけではまだまだ目を引くだけに過ぎません。コナンに(制作者が)そこまでさせるのは、例えばコナンの敵対者の裏をかくため。敵対者はコナンが死んだと思っている。しかし視聴者はコナンが脱出したことを知っており、コナンが現れたのを見た敵対者は唖然とする。敵対者は既に憎たらしく描かれているため、その慌てぶりを見るとスカッとするわけですね。

要は、観ていて気持ちいい。だから嘘を忘れる、あるいは許せてしまうわけです。
(宮崎駿監督のコナンのそういうアクション面は、ルパン三世・カリオストロの城でも発揮され、ガス切れっぽい百円ライターを見せておいて、ルパンの屋根駆け降り→大ジャンプにつなげる。その先にはクラリスがいる。)

4.リアリティという大枠はない

コナンの「あり得ない動作を現実の動作の延長のように見せることで本当のように見せている」について、ある側面を説明し出しただけでも上記くらいのことがあります。これでも語り尽くせたわけではありません。いくら語っても終わらないでしょう。こないだ、TVで再放映がありましたが、未だに語り尽くせてない様子はネット上の意見交換などを見ても明らかではないかと思います。

それでも1つの作品がリアリティのどうなっているかというのは、まだ語りようもあるでしょう。しかしたとえファンタジー、あるいはSFに限定しても、そういう大枠で「リアリティはこうなっている」という議論は不可能でしょう。創作論、特に実践的なものは古代ギリシアから行われていますが、決定的なものは出ていません。むしろ、未だに「あーでもない、こーでもない」状態です。その証拠に「これさえ読んで身に着ければ、ヒット作が出せる」なんて教科書はありません(著者、出版社の売り文句は別として)。

形相がどうこう、それなら質料は、いや現実態と可能態が、とか、いくら論じても始まりません。何千年も多数が追及して、今なお分かっていないような大枠はいったん捨てるべきです。

5.リアリティは細部に宿るゆえに個別的

リアリティは細部に宿ります。オリジナリティはその細部で隠された大嘘にあります。大嘘を発想しておいて、いかにもありそうに細部で見せかけるのが作者の腕前です。物語の感動は大嘘から来ますし、リアリティをもたらす実在感は細部にあります。リアリティは細部なのですから、線引きなんてありません。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: ファンタジーやメルヘンでのリアリティの度合いの決め方を教えてください。

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投稿日時:

元記事:既存作品のパッチワーク度合いを世間はどこまで許すのか

 パクトポーさんにあれこれ言っておいてなんですが、実際の類似具合を世間はどこまで許すのかという一種の絶対相対的基準が欲しいです。(必要十分条件と近い言い方になってしまいましたが)
 一種の初心者病(オリジナリティクレクレくん)が長引いた理由の一つに、数年前に開いた某作品のアンチスレの調査具合が凄くて、尻込みしてしまったというのがあります。
 上手くぼかせるかはともかく、このレベルの消化具合はどういった線なのかもう少し人の意見を伺いに参りました。
https://docs.google.com/document/d/1va6za33Gscl-a4GsLBm1V1★aKNir★ZKKa86cykSmuhs/edit?usp=sharing
★をQに変換すると編集した文書が出てきます

 根本はこれなので、以降パクリ関連の質問は行いません。

 

上記の回答(既存作品のパッチワーク度合いを世間はどこまで許すのかの返信)

投稿者 サタン : 0

ハッキリと正確なことを言えば、これは答えが出ない話です。
なぜなら感覚の問題だからですね。
ただの感覚の問題であるなら、何かしら定義を考えれば少なくとも一個人の中で答えは出せるので、その手伝いをする助言ならば出来ます。
つまり「貴方なりの答え」を出す手伝いですね。

ところが厄介なのは、こうした類似性の問題は「書き手側の感覚」と「読み手側の感覚」というタイプが違う二つの視点の話になるので、「作者個人の答え」を出したところで解決しない話なわけです。
作者がどう考えていようが、読者が類似性を感じてしまえば「パクリだ」と言われてしまうわけですから。

「どこからがパクリか?」というのは、極論「パクリだと思う」という感覚、すなわち「その人がそう思ってるだけ」の事なので、それ以上でもそれ以下でもない、「それだけの話」なんですよ。
わかりますかね、まさに感覚の話でフワッとした事しか言えてませんが。

例えば、江戸時代に起こった面白いエピソードなどをテーマに物語を作ると、これは「物語の骨格を自分で作っていない」としてパクリだと指摘される恐れがある。だから「参考にする」=「よく似た別エピソードに仕上げる」として改変しなきゃいけない。
ーーと、考える人もいる。
私の場合は、物語の骨格を利用する程度の事、パクリでもなんでもない。そういう道具を使ったまでのこと。と考える。
これから家をつくろうって時に、ノコギリやらカナヅチやら道具から作るバカはいないだろ、というのが本心。
ところが、オリジナル至上主義な人は、ときより「使う木材も種から育てろ」と言うような人もいるわけですよ。

なので、私がパクるときは参考元が「道具」になるまで砕いてから使います。
まあ、既存作の物語やキャラクターの面白さを分解して分析してりゃ自然とそこまで砕けるので、わざわざ意識していませんが。

話を戻すと、「木材すら種から育ててこそオリジナル」と思ってる人が「パクリだ」と言ってるだけであるし、一方作者は「道具利用をしてるだけ」と思っているのでパクリではないと思っているし、
ならば、どんなツッコミがあっても言い返せるように万全の体制で「その種すら自分で作ってから創作をします」なんて人もいるわけですよ。
これはモノの例えだから「神かよ」と突っ込めますが、ぶっちゃけスレ主さんも覚えがあるんじゃないですかね。異世界の文化そのものを作ろうとしてた時期あったでしょう。

「種から作る」はさすがに行き過ぎだし、私のように「道具は流用する」だと指摘されるかもしれなくて怖いと考えるのであれば、自然と「ではその平均値はどこだ?」という疑問になるでしょう。
で、最初の言葉に戻ります。
これは「感覚」の話なんで、平均値なんて出しようがないんですよ。
創作の知識が少しでもないと「物語の骨格を流用してます」なんて事、読者にわからんだろうし、ある程度の知識がないと「江戸時代のエピソードを参考にしてます」なんて事わからんでしょう。
知ってる人もいるし知らない人もいる不特定多数の読者相手に、同じ条件で感覚の平均値を測るなんて不可能です。
「書き手側の平均値」はある程度求められると思うけど、「読み手側の平均値」はたぶん無理でしょう。

それに、平均値ってのは半数のことだから、「必ず半数からは否定される答え」になるわけで、それはきっと「パクリだと指摘されそうで怖い」と考える人が求める回答ではないでしょう。

で。スレッドタイトルの「世間はどこまで許すか」に答えるなら、まあ人それぞれの感覚の話だから答えは出ないと最初に書いたのだけど、強いて答えるなら。
読んだ時の「印象」が既存作と似ているとパクリと言われてしまう。
ただそれだけの印象論でしかないです。
不特定多数の「ぼくはこう思いました」という事に絶対的基準はありません。

そして「似ている理由」って後付けされてしまうので、理由自体は何でも良くて、ただ指摘されます。
何故かと言うと、まず「似てる」という印象があって、「それは何故だろう?」という疑問があって、「こういう理由に違いない」と答えを出して、これを指摘するので、類似性の指摘ってのは印象論と後付けの理由なわけですね。
正直、こんなんどーとでも言えますよ……

まあ、そのため「似ているな」という印象を持たれない程度なら許容される。
はい。フワッとした回答です。
「こうなると似てると言われてしまう」という一種のロジックはありますが、状況やモノによっていろいろ違うので、一概に対策は言えないかと思う。

ただ。ぶっちゃけた事を言ってしまえば。
「これパクリかな?」と作者が気にする場合は9割がた、それは作者の思い込みだって事です。
アンチが言う言葉は印象論に後付で理由を書いてるだけなんで、何でも言えます。だからそれを真に受けて「こういうのは叩かれるからダメなんだ」というのは考えすぎの早合点です。
アンチはその作品が嫌いだから「こういう理由」と後付で書いているだけ。
そして、それは別にアンチでなくてもよくある事です。
すなわち、まだ作品イメージすら曖昧な作者がふと既存作を連想してしまい「似ているという印象を持ってしまった」ことで「その理由はこれ」と後付で考えてしまうことです。
似ている「原因」は、イメージが曖昧でありそれを補強するために類似作品をイメージした、というところにあって、作り上げた作品の方に問題があるわけではないです。
だから、この問題は「作者が似ていると思ってしまった」ことが何よりの問題。

リンク先のまとめ、半分くらい読んだけども、ただのダメ出しで類似性の話ではないと思う。
正直、言いがかりや、作品の設定を把握してないんじゃないかと思える箇所がいくつもあった。
それと、ぶっちゃけ「パッチワーク(継ぎ接ぎ?)度合い」の意味するところが類似性の問題やリンク先のダメ出しと繋がらなくて、適当解釈で回答しました。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 既存作品のパッチワーク度合いを世間はどこまで許すのか

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