小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

にわとりさんの返信一覧。得点の高い順1ページ目

元記事:セリフの中に地の文を入れるタイミング

小説を書いているのですが、セリフとセリフの間に地の文をはさむタイミングがよくわかりません。(特に三人以上が入り乱れるとき)
セリフ多めだと、誰が何を言っているのかわからなくなるし、逆に地の文多めだとくどくなりすぎて読みにくいです。
コツというか、どういうときに挟むとよいかみたいな心得はあるでしょうか。

上記の回答(セリフの中に地の文を入れるタイミングの返信)

投稿者 にわとり : 12 人気回答! 投稿日時:

 四人分のハンバーガーをトレイに乗せて戻ってきた田中が口を切った。
小説を書いてるんだけど、台詞と台詞の間に地の文を挟むタイミングって難しくね?」
 吉田が腕を組んで頷く。
「とくに三人以上が入り乱れるときな」
 加藤が受け取ったハンバーガーの包装をはがしながら話に乗ってくる。
「わかるわ~。台詞多めだと、誰が何を言っているのかわからなくなるし、逆に地の文が多めだとくどくなりすぎて読みにくいんだよな」
「それは話が違うんじゃね?」
 と疑問を挟んだのはそれまでただ一人黙っていた高橋だ。
「誰が何言ってるかは地の文に明示すればいいだけのことだし、地の文が多くてくどくなるかどうかは文章の内容次第だろ」
「高橋お前、簡単に言ってくれるけどなあ、それが出来たら俺たち苦労しねえんだよ」
 田中が突っ込むが、高橋は引かない。
「出来ないなら出来るようにすりゃいいだけだろ。難しいことなんてみんな分かってんだよ。そんな泣き言を言って傷を舐め合うために今日は集まったのか? あ?」
「おい、そういう言い方はねえだろ?」
 吉田がテーブルを叩く。高橋が鬱陶しそうに睨み返した。場にピリついた空気が流れる。
「まあまあ、二人とも落ち着いて」
 四人の中で一番年長の加藤が助け舟を出す。
「田中が言いたいのはさ、こういうことだと思うんだよ。地の文を会話の中に挟むとしてさ、その時のコツというか、どういうときに地の文を挟むといいかっていう心得の話がしたかったんじゃないかな? そうだろ、田中?」
 急に話を振られた田中は、目を白黒させつつ咀嚼していたチーズバーガーを無理やり飲み込んだ。
「そ、そうだよ、そういうことが言いたかったんだ」

 ってな具合でどうでしょ。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: セリフの中に地の文を入れるタイミング

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元記事:アイデアはあるが小説が書けない/繋ぎの場面が書けない

タイトルにも書いた通り、(自分の中では)良いアイデアが沢山浮かびます。ですがそれをうまく文章に出来ません。妄想、というか頭の中では情景やストーリーが映像のように思い浮かべられるのですが、いざ書こうとなると筆が進まなかったり、書けても一行くらいだったりします。
また、重要な転換点や戦闘シーン、盛り上がるような場面は書きやすいのですが、それらを繋ぐ日常のような部分が全く書けません。繋ぎの平坦な部分がないと物語は成り立たないのに、盛り上がりの部分だけしか書けません。
これらは小説の才能がないということなんでしょうか。回答いただけるとありがたいです。

上記の回答(アイデアはあるが小説が書けない/繋ぎの場面が書けないの返信)

投稿者 にわとり : 9 人気回答! 投稿日時:

>アイデアはあるが小説が書けない

 情景やストーリーが映像として思い浮かぶのなら、映像的なディテールに惑わされているから書けないということもあるのかなと思った。
 モナリザってどんな絵? って聞かれたらまず答えるべきは「微笑する女の肖像画」ってことで、背景に何が書いてあるとか髪型がどうなってるとか左右どっちの手を上に重ねているとかは、たしかに絵から読み取れることではあるけれど些末な情報じゃないですか。読者に最低限伝えなければいけないことが何で、どこからは省略して問題ない細部なのかを意識するといいかもしれない。イメージを言葉で置き換えるのって、ある意味言葉でイメージを切り刻むようなもので、その過程で絶対に情報が欠落するのだけれど、それに臆していたら何も書けなくなる。
 ただ、それを踏まえた上で、場面ごとに最適な言葉や表現が選べるかどうかっていうのは語彙力とか表現力の問題なので一朝一夕にどうにかなる問題ではないと思う。たくさん読んだり書いたりしていくなかで少しずつ向上させていくしかない。

>繋ぎの場面が書けない

 日常とか繋ぎって考えるから書けないのでは。たとえば桃太郎のハイライトは鬼との戦闘ですが、それ以前のシーンで描かれているのは日常や繋ぎというより"ハイライトに至る過程"です。なぜ桃太郎は鬼と戦っているのか? なぜ桃太郎は強いのか? なぜ犬と猿とキジを家来に従えているのか? これらの説明になっている。
 『盛り上がるような場面』についてのイメージがあるなら次に考えるべきは"盛り上がる状況がなぜ発生しているのか"ということ。なぜこの場にこの登場人物がいて、こんな言動をしているのか。極論、それが過不足なく書けているなら戦闘シーンの連続だけでも小説は成り立ちます。

>これらは小説の才能がないということなんでしょうか。

 質問ひとつ見ただけで他人の才能のあるなしを判断するような、そんな偉そうなこと言えるはずもないのでこれはパス。

カテゴリー : その他 スレッド: アイデアはあるが小説が書けない/繋ぎの場面が書けない

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元記事:物語の余韻について

先日、評価シートが届きまして、そこに『地の文や台詞に余韻が感じられない。余韻を感じられるようにすればもっと物語に深みが出る』と書かれていました。
この余韻というのはどういうものでしょうか? いえ、なんとなくならわかるのですが、それが果たして正しいのかどうか気になりまして。この疑問に答えを出すべく質問をさせていただいた次第です。

上記の回答(物語の余韻についての返信)

投稿者 にわとり : 5 人気回答! 投稿日時:

 あなたの書いた作品を読んでみないことにはなんとも言えないですが、簡単に考えると、言葉で説明しすぎているんじゃないですかね。言わなくても伝わること、読者に自分で想像してもらう、気づいてもらうべきことを、全部ベタに書いてしまっている。野暮。みたいな。
 たとえばヒロインの危機に際して主人公の体が勝手に動く、みたいな場面があるとするじゃないですか。もうこれだけで主人公がヒロインのことを大事に思っていることが分かりますよね。ここに至って、主人公はヒロインを愛していたことに気づいた云々みたいな文章は要らないですよね。そういうのを書いちゃってるのかなという気がした。本当にたいせつなことは書かなくても伝わるようにしなきゃいけなくて、それを直に書いてしまったらそれは描写じゃなくて説明になってしまう、のだと思います。
 まあでもやっぱり読んでみないことにはよくわからない、というのが正直なところ。『余韻』ってけっこう抽象的な概念で、ハウツー的にこうすれば余韻が発生します、みたいな一般論はなかなか言いづらいものがあるので。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 物語の余韻について

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元記事:教えてホラー(心霊現象系)が苦手な心理

唐突ではありますが、皆様はホラーが苦手OR好きな方はいらっしゃるでしょうか?よろしければ、その心理、および持論みたいな部分を教えてください。

私はホラーは好きですが・・・・心霊現象系のみ好きなタイプ。

ゾンビ、殺人鬼が全力疾走、ストーカーもの、血とかブシャーするもの、びっくり要素が強い物、デスゲーム物はほんとに駄目で、正直「世にも奇妙な物語」や「彼岸島」すら怖くて見られないレベルです。推理物も探偵も殺されそう(デスゲーム系)だと怖くて見られないし、読めない。

近隣にヤクザ屋さんが多い地域に暮らしているため、幽霊より刺青入りの当たり屋の方が怖いし、肝試しも幽霊が怖いのではなくヤクザ屋さんの私有地に入るのが怖いからやりたくない派。

同様に変質者に追っかけまわされた経験から、深夜のコンビニとかも怖くて行けない派です。

いるかも怪しい幽霊よりにんげんのがこわいやん。

ゆえに私は心霊をファンタジーミステリー感覚で視聴&読んでしまえるので平気な気がします。

==========================

・・・ただ私の周囲には【ホラー(心霊)駄目絶対!!】というタイプの人しかいません。

しかもそういうタイプの人は、なぜか肝試しやゾンビは平気で、バイオハザードも遊ぶことができるし鑑賞もします。(その間わたしは怖すぎるのでギャーギャー喚いて目を瞑っているというのに・・・・)

一度友人にそのことを訪ねた事があるのですが友人はこう答えました。

「だってゾンビやエイリアンは殺したら死ぬじゃん。幽霊とか盲信出たら殺せないんだよ?」

・・・・・・私には、意味が分かりませんでした。

そういった心理の差はどこからきていると思いますか?
良ければ意見をお聞かせください

上記の回答(教えてホラー(心霊現象系)が苦手な心理の返信)

投稿者 にわとり : 4 人気回答! 投稿日時:

 ヤクザは自分も実物に遭遇したことありますが、あれは怖い。不規則なタイミングで声を張り上げたりして、そういう演出だって分かってても、やっぱり本物を目の前にすると"万が一"の可能性が頭の中から振り払えないんですね。その恐れこそが奴らの飯のタネなんだってのは分かってるんだけど、それでも、それでも。あれはね、ほんと無理。あんなの目の前でやられたら理性的な判断なんかできないですよ。こっちは店頭だったんであざらし氏のハードな体験談に比べたら遥かにマシですけど。それでもキツかったな。
 まあでもそれはそれとして、そういう経験があったからといってフィクションのヤクザ映画を見る目が変わったかといえばそんなことはなくて、自分にとってフィクションはやっぱりフィクションなんですよ。アウトローが活躍するタイプの映画結構好きだし。主人公に感情移入して普通に感動したりする。
 単純にあなたが、フィクションの「こういう楽しみ方をしてください」っていう誘導とか暗示にかかりにくくて、冷静に考えて自分がこんな体験をしたらどうなってしまうだろうか……って方向に想像力が向きやすいのかな、と思いました。
 ゾンビ、クリーチャー、エイリアン、サイコ系の映画ってホラーでも割と主人公が"うまくやれば勝てそう"なんですよね。実際勝っちゃうラストの映画も多いし。ゲームだともっと"勝てそう"な感じは強くなる。ゲームである以上うまくやれば勝てることはわかりきっているので、メタ的な安心感があるわけです。
 逆に心霊系って"勝てそう"な感じがないですよね。映画でゴシカとかシックスセンスみたいにいい話っぽく終わるやつはあるけど、霊を倒して勝つっていうのとはまた違うし。霊を倒す方向に振り切れるとゴーストバスターズになりますけど、あれはもうホラーじゃないですよね。
 過去の因縁とか出てくるともう悲劇的な結末がほとんど確定じゃないですか。物語の構造的に、ターゲットにされたキャラは助からなそう。つまり"勝てそう"な要素がない。それが『だってゾンビやエイリアンは殺したら死ぬじゃん。幽霊とか盲信出たら殺せないんだよ?』の真意じゃないかなと思う。最終的に絶望して死ぬのが分かってるのに、主人公に感情移入するのは辛いし怖い。だから読みたくない、視聴したくない。そんな感じなんじゃないでしょうか。
 個人的な勘なんですけど、心霊ホラー苦手な人は地獄少女とかウシジマくんとかアンネの日記も苦手なんじゃないですかね。悲劇的な予定調和全般が苦手で、心霊ホラーはあくまでその一例っていうか。

カテゴリー : 流行分析(なろう研究) スレッド: 教えてホラー(心霊現象系)が苦手な心理

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元記事:ラノベの一般読者層の知性レベルは、テレビの想定視聴者くらいを想定すべきか?

どうも。質問は初めてです。よろしくお願いいたします。

本題ですが、ラノベの一般読者層の知性について質問です。

会社でなんとなくぼーっとしていたとき、ふと「ラノベの一般読者層の知性レベルは、テレビの想定視聴者くらいなのではないか?」という仮説が思い浮かびました。これについて、色々調べたところ、以下のようなことが分かりました。

――――――――――――

■テレビの想定視聴者層はどれくらいか?

(少し昔の話題になりますが)とある芸能人が「CMは偏差値40の人にも理解できるものじゃなきゃダメ。この会社にいる時点で普通ではないと自覚しろ。世間にはおそるべき量のおそるべきバカがいる。そしてそれが日本の『普通の人』だ」という発言をしました。

また、演劇人の壤晴彦氏は、Twitterで同じような発言をしています。
「もう随分昔、当時の売れっ子脚本家とプロデューサー同席の時「日本のTVドラマは小3の語彙力で書けと言われます」俺「ホント?」P「ウン」俺「小4じゃダメなの?」P「視聴者から『難しい』ってクレームが来るんだよ」

さらに、KeyHoleTVの開発者である苫米地英人氏は自著の中で「そもそも現代のテレビ番組が、どういう層を対象にしているかというと、小学生高学年レベルの知力を対象レベルとしている。つまり、小学校高学年の頭脳が見てちゃんと理解できるレベル以上のものは、テレビには存在しないのだ。報道だろうが連ドラだろうが、同じである。すべて小学生向けのものだと思って間違いない。」と語っています。

小学3~4年生レベルの知性というと、国語が「ごんぎつね」、算数が「割り算」「小数」「角度」、理科が「磁石のしくみ」くらいとなります。いやいやさすがに馬鹿にし過ぎではないかと疑ったのですが、その手の人と付き合いのある友人に確認してみたところ、「まさにそう。彼らの知識はほんとそれくらい」と強く頷いていました。

これらを鑑みるに「テレビは小学生高学年レベルが理解できるように作られている」というのは信ぴょう性が高い(と私は思っています)。

■偏差値40の人は何に興味があるのか?

下記サイトにて、「偏差値40の人は何に興味があるのか」を解説していました。

はあちゅう氏の電通の先輩が言う「偏差値40の人向けPR」を解説。
https://www.kyohei-suzuki.com/entry/hensachi40-pr

(以下引用)
『偏差値40程度の人達は「時間が潰せること」と「快楽を得られるもの」に興味が振れていると言えます。電車やバスの待ち時間、退屈な授業中の暇潰しはスマホでソシャゲー。でも、ゲームだけだと飽きるので、楽しいことがしたいと思って恋愛を求めたり、バイクに乗ったり、ギャンブルにはまったりする。恋愛は本能、その他は「周りがやってるから」という理由で選び、ハマって行きます。彼らは多くのこと、本質的なことは考えず、本能や親しい人の勧めに従って行動するのがパターンです。物事をよく考えてから判断して行動する傾向のある、偏差値の高い人々とは逆のベクトルを向いています。』

そのうえで、偏差値40の人に受け入れられるコンテンツの特性として以下の要素を挙げていました。
・五感に訴え、本能を刺激するもの
・強く共感させるもの
・親しみを持たせるもの

――――――――――――

上記を踏まえたうえで、ライトノベルの一般読者層は、上記のような特徴を持つ人々と考えてもよいと思いますでしょうか? それとも、これ以上の知性を想定すべきでしょうか? もし、後者を支持するならば、どれくらいの知性を想定すべきだと思うでしょうか?

ご意見よろしくお願いいたします。

上記の回答(ラノベの一般読者層の知性レベルは、テレビの想定視聴者くらいを想定すべきか?の返信)

投稿者 にわとり : 4 人気回答! 投稿日時:

 知性の問題じゃなくて、コンテンツへの向き合い方の問題なんじゃないかなと思った。偏差値が高くてほんらい頭のいい人でも、テレビは片手間に頭を使わずぼーっと視聴するもの、っていう認識を持っているから、偏差値40程度の思考力と注意力しか振り分けてない、みたいな。
 あと語彙力に関してはこんな話もあります。

できる子はできない子の4.6倍のボキャブラリーがあるー日本語の語彙を測る/増やす方法 https://readingmonkey.blog.fc2.com/blog-entry-600.html

 このブログ記事によれば、『これは英語圏での研究だが、大卒の大人が友人や家族といった気のおけない相手と交わす会話で用いている語彙の難易度は、幼児向けの本と同程度のものでしかないことが分かっている。』のだそうです。
 だからたぶん、語彙力ベースで考えれば小3程度で大抵のことは表現可能なんですよね。実際、自分が小学生の頃のことを思い返しても、大人同士が喋っているのを聞いて"言葉の意味がわからない"と感じたことは滅多になかったと思うし。
 で、逆におそらく大人でも散漫な意識で聞いていてすっと頭に入ってくるのって小3レベルの語彙なんじゃないかなと思う。まあ、職業柄詳しい物事とか専門知識に関してはそんなことはないんだけど、でもそれはみんながすんなり理解できる知識ってわけじゃないから、結局全員の最大公約数を取ると小3相当の語彙になる。
 あとはまあ、ある程度集中して目で追わないと内容が理解できない小説と、流し読みでも内容がするする頭に入ってくる小説、どっちのほうがエンタメとして強いですかっていう話ですよね。ただ、テレビだと一度聞き逃した言葉はそのまま流れていってしまうので、一瞬でも意味の理解にラグが生じる難しい語彙や概念は使えないけど、小説は一応読み返せるのでそこまでシビアじゃないと思う。あと老若男女が観ているお茶の間にむけて発信してるわけじゃなくて、ある程度絞られた読者層を相手にしているから多少難しい語彙……おそらく中学の国語の教科書に出てくるくらいの語彙は自然に使って大丈夫なんじゃないだろうか。基本的に文字媒体は映像媒体より複雑な思考や概念を伝えるのに適しているから、テレビほど分かりやすさに神経質にならなくても良いはず。
 それでも当然のことながら"分かりやすいほうが良い"にきまっているし、小3とはいわなくても小学校高学年程度の語彙があれば大抵のことは表現できるはずなのでは、という気もする。

>偏差値40の人に受け入れられるコンテンツの特性

 『五感に訴え、本能を刺激するもの』『強く共感させるもの』『親しみを持たせるもの』っていうのはエンターテイメントの基本ではないですかね。偏差値や教養の有無にかかわらず、これらの要素をコンテンツに求めない人間はそもそも娯楽のために小説を読んだりしないのでは? 正直、物語から刺激と共感と親しみを取り去ったらそれはもはや"非物語"とでも呼びうる抜け殻になってしまう気がするんですが。
 リンク先の記事もいまいちピンとこなくて、たとえば偏差値60の人を集めた都市を作っても、結局そこで選好される広告は偏差値40の人たちに向けられた広告と一緒なんじゃないかなと感じてしまう。だって広告を見ることは知的作業ではないし、だったら偏差値がどんなに高くてもそこに知的リソースは注がないでしょ。
 それと同じことで、ラノベを読むこともべつに知的営為ではないじゃないですか。そんな風に気負ってラノベを読む人は普通いない。創作界隈だと、勉強目的で分析的に読む人とか評論のネタにしようとして穿った読み方をする人とかいるけれど、それでもラノベって第一義的には"暇つぶしの娯楽"ですよね。あくまで愉しみのために読むのであって、頭を使いたいわけじゃない。
 結論、たしかに偏差値40で小3の語彙力の人間にも理解できるように刺激と共感と親しみを感じさせる文章を書くことは読者獲得のために有効だが、それは対象読者が偏差値40で小3の語彙力しか持たないことを必ずしも意味しない、ということ。
 ライトノベルの一般読者層は平均をとれば多分そんなにバカではない。でも、彼ら/彼女らがライトノベルに求めるものは結局"それ"なんだと思う。
 むしろ本質的に読者は無知ではないので、あえてちょっと難しい話をして読者を突き放して揺さぶったりとか、「このテキストには本質的な知恵が書かれているのでちゃんと読まなければならない」と思わせるようなフックを仕掛けたうえで難しい話を(読者が飽きない程度に)展開するとか、そういう技法も場合によっては可能かもしれない。まあ、よほどがっちり読者の心をつかんでいなければスベるだけだし、実地でやって成功させるのはかなり難易度が高いだろうけれど。

カテゴリー : その他 スレッド: ラノベの一般読者層の知性レベルは、テレビの想定視聴者くらいを想定すべきか?

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元記事:3人以上の会話が冗長になってしまう

はじめまして。
今書いている小説で、3人以上の人物が会話する中で事のあらましが読者だけに明らかになる(この会話を、作中の視点である主人公が立ち聞きしているが、この人物にとってはさっぱり意味がわからない)シーンを終盤に作りました。
しかし、立ち聞きなので主人公が会話に加わるわけではなく、主人公にとっては意味がわからない話なので(大人の会話を子供が立ち聞きするような状況です)、それを聞いている主人公の心情の起伏もなく、ただ3人の会話とその語調や表情を主人公目線で書き連ねるしかなく、事態が明らかになるシーンなのに冗長になってしまいます。

これを打開するアイディアやアドバイスが何かありましたらぜひご教示いただけますと幸いです。

上記の回答(3人以上の会話が冗長になってしまうの返信)

投稿者 手塚満 : 1

会話劇になっているのが適切かという問題と、会話劇にする場合の工夫と、2つの問題に分けられるように思います。以下、少し説明してみます。

1.会話人数と会話の制御の問題

まず人数の問題から。2人の会話劇ですと、キャラの関係性は1つしかありません。AとBが話しているなら「A-B」だけです。
もう1人、Cを加えると6通りになります。A-B、A-C、B-C、A-(B, C)、B-(A, C)、C-(A, B)で6通りです。
4人になると数えるのも嫌になるくらい、組み合わせが増えます。会話の制御がそれだけ大変になるわけです。

もしかすると、冗長なのではなく会話が混乱しがちかもしれません。2人の会話だとスムーズなのに、3人が喋り出すとテンポ、メリハリがおかしくなる事例はときどき見ます。2人の会話と3人の会話では、増える要素が1ではないことに注意が必要でしょう。

2.キャラが動くドラマで語れないか

会話で話が進むのも、要注意です。キャラが動かず、ドラマになりづらいですから。多少極端な話をしますと、目の前で起こっていることを描写する場合と、それを見たキャラが後で他のキャラに説明する場合、後者ですと躍動感や臨場感は出しにくい。

例えばミステリで探偵が謎解きを披露するような場合は会話劇(言葉による説明のみ)も仕方ないですが、できればキャラの動きで全部描けるようにしたほうが有利でしょう。言葉で作品を作ると言うのに逆説的ですが、言葉で語るのは、動きだけではどうしようもないときに限定する、くらいに考えて構成を練るほうが得だと思います。

3.劇的アイロニー

それでも会話でストーリーを進める必要があることも少なくありませんから、会話だけの劇でやる工夫も、ご質問にできるだけ沿って、少し考えてみます。

「読者だけに明らかになる」「主人公にとっては意味がわからない話」というのは、劇的アイロニーと名前がつくほど、多用されるし、有名な手法でもあります。読者をハラハラさせたり、焦れさせたりするのに有効です。

例えば「ヒロインが優し気な神官に誘われ、もてなされ、着飾らせてもらえるが、神官の狙いはヒロインを邪神への生贄にすること」だとします。読者にはそれが知らされるけど、ヒロインは知らない。読者は、のん気に喜んでるヒロインに「危ない、逃げろ」とヤキモキすることになります。

お考えの構想でも、主人公がただ聞いているだけなのは損でしょう。読者がヤキモキするよう、例えば主人公が状況を誤解するとか入れておけば、読者の感情を動かせます(「違う、そうじゃない」「どうして分からないんだ」みたいな)。

4.立ち聞きの主人公を会話の準参加者にする

そうするとしても、しないとしても、立ち聞きする主人公と、会話している3人(以上)をバラバラに描くのも、もったいないかもしれません。会話する3人の台詞に対し、主人公の独白がつながるようなやり方は割とある手法です。

主人公の独白が、他の3人の会話を補完するというのが多いかもしれません。一種の読者向け解説を自然に入れる手法です。ですが、お考えの構想では主人公は会話を理解できず、蚊帳の外であるわけですね。

となると、上述しましたように劇的アイロニーを利用する方向でしょうか。劇的アイロニーを強化するのであれば、読者には主人公の勘違いが明白であるように描写する。逆に、どんでん返し狙いでミスディレクションを混ぜ込むなら、一見は辻褄の合うような台詞を主人公に言わせる(けど、後で間違いが明らかになる)。

5.会話・立ち聞きキャラの感情を動かす

論理的なことだけでなく、感情、気分も流れに抑揚を作れます。主人公をもっと際立たせるのでしたら、3人の会話を聞いた主人公の感情も動かす。分からないなら分からないで、途方に暮れる、イライラする、思わず3人に質問したくなる好奇心・不安などが考えられます。

その際、身体的な動きも併用すると効果的にしやすいでしょう。首をかしげる、眉間にしわを寄せる、目を見開く、険しい表情になる、ニヤリとする、睨む、人差し指を立てる、腕組みする・腕組みを解く等々です。言葉で表現していても、キャラや物の動きには注意が行きやすいものです。主人公だけでなく、会話している3人も同じです。

読者は読みつつシーンをイメージしてますから。会話劇を書いてると、つい会話内容のみに注意が行きやすいんですが、仕草もある程度入れておくと、臨場感を増したり、維持しやすくなったりします。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 3人以上の会話が冗長になってしまう

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元記事:ストーリーの肉付け、もっとプロットを詳細にするには

ストーリーにしてみたいアイデアや、最終的にはこんな結末に落ち着くストーリーを書いてみたいという考えはあるのですが、執筆している途中で筆が止まってしまいます。
一度何故そうなるのか考えたり調べましたが、自分の作成したプロットは数行しかなかったり、骨組みがあっさりしたものなので、大筋はできているのですが肉付けが甘いのかもしれないと思いました。
それが原因で内容も薄くなってしまいます。
もっと裏付けや具体例を足して、説得力を増したいところですが、それが自分にとってとても難しいです。

例えばのプロットで、

父親のような立派な騎士になりたくて騎士学校に入る主人公

だけど主人公には騎士になる才能がなくて、苦悩を強いられる

何やかんやあって(ヒロインを守りたいと思ったり、修行をしたり、事件を通じたり、父親の憧れで騎士になるのではなく自分の本当の意思で騎士になりたい理由を見つけたり)主人公が強くなる

騎士として認められる

普段以上に大雑把なプロットを作ってみましたが、これにさらに肉付けをしてストーリーに出来ないで、そこで執筆がストップしてしまいます。

ストーリーの大筋に肉付け、説得力のあるアイデアや展開を加える方法があれば教えてください。

と、宜しければ短編を作るコツがあれば教えてください。
ストーリーを作る上で、たくさんの短編を作るのはその練習になると聞いたので、それが知りたいです。

上記の回答(ストーリーの肉付け、もっとプロットを詳細にするにはの返信)

投稿者 t : 0

個人的にですが、骨と肉付けで語られる考え方はパターン暗記になってしまいがちなので、あまり賛同できません……。

例えばのプロットで、
騎士として認められる、とあります。
どうすれば騎士として認められるか、を箇条書きにすると20はでてくるのではと思います。
例)ラストで父を倒したことで、騎士として認められる。

箇条書きにしたうちの4~5つ。
難しければ2つを物語のなかでやるようなプロットを考えてみるのはどうでしょうか。
何かのお役にたてば幸いです。

カテゴリー : ストーリー スレッド: ストーリーの肉付け、もっとプロットを詳細にするには

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投稿日時:

元記事:殺人ものはどこまで許されるのか

お久しぶりです。
殺人ものというのは、要はGANTZみたいな感じの殺戮小説はどこまで許されるのでしょうか。
性的表現が規制されるのは分かるんですが、グロテスクな小説で規制されているのって知らないんですよね。
私、将来は地球みたいな星が何万何億とある世界観で、星一つ潰すような殺戮ものが書きたいんですよ。
いっそね、大切な登場人物を主人公ただ一人にするのなら、殺戮でもいいんじゃないかと思いついてしまったんです。
それでやはりどこまで許されるのでしょうか?

上記の回答(殺人ものはどこまで許されるのかの返信)

投稿者 あまくさ : 0

平井和正の小説版『幻魔大戦』には、序盤にいきなり星雲がごそっと消滅する描写がありましたよ。
人間を対象とする大量殺戮よりも、一匹の仔犬を殺すシーンを生々しく描く方が残酷な場合もあります。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 殺人ものはどこまで許されるのか

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投稿日時:

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