小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

あまくささんの返信一覧。最新の投稿順248ページ目

元記事:オマージュからは距離をおいた方がいいかもの返信

比較・分析とは、
比較は元の作品と自分の作品を比較して、「ここは似すぎてるから修正しよう」ということでしょうか。

発想法については「真逆にしてみる」のほかに「属性を変える」「別のなにかをくっつける」など聞いたことがあります。自分でパッと思いつく要素から自分なりの変化をさせて自分の作品にできればと思います。
エヴァなら、ロボットものからミステリーにして主人公シンジ君が裏組織のボスで父親のゲンドウから「探偵となり謎を解け、でなければ帰れ」と言われ、同期探偵でライバル兼ヒロインのアスカに「あんたバカァ? こんなの簡単に推理できるわよ」と言われるという感じでしょうか。

上記の回答(オマージュからは距離をおいた方がいいかもの返信の返信)

投稿者 あまくさ : 0 投稿日時:

>比較は元の作品と自分の作品を比較して、「ここは似すぎてるから修正しよう」ということでしょうか。

それは少し性急。
分析というのは、修正する前の段階でやることです。どこがどう似ているのか見極めないと修正のしようがありませんから。
で、見極める方法は色々あるでしょうが、先に話題になっていた「抽象化」もその一つだと思いますよ。

>参考作品の展開「過去にヒロインを苦しめた現在になって敵が現れ、それを倒しヒロインを助ける」

>自分の作品の展開「ヒロインを苦しめている呪いを解き、助ける」

あくまで一例ですが、書きたいのが「苦しんでいるヒロインを助ける物語」なのだとしたら、ヒロインを苦しめているものについてはバリエーションはいくらでもあるはずです。彼女は因習に凝り固まった厳しい親に束縛されているのかもしれないし、冤罪で投獄されていて主人公が潔白の証拠を見つけないと1週間後に死刑になるのかもしれません。

そういうことが思いつかなかったら、要素を逆にしてみるという手もあるという話。
例えば元ネタが「過去にヒロインを苦しめた敵」なら、「過去」を「未来」に変えたらどうなるか考えてみます。
未来の敵って何でしょうね?
予知夢に現れる恐ろしい怪物とか、ヒロインは実はタイムマシンで未来からやってきたとか?

>エヴァなら、ロボットものからミステリーにして主人公シンジ君が裏組織のボスで~

単にあれこれ変えて組み合わせるだけで別のストーリーができるわけではありません。
変えることが目的なんじゃなくて、固定観念をこわして新しいアイデアを引き出そうということです。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 好きなジャンルと要素はあるけれどストーリーが作れない

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元記事:キャラクターの「死」を扱わずに感動させる方法

「死」は誰にとっても衝撃的であるから悲しみや感動を生み出します。
二度と会って話せないことが悲しい
死後に故人の残した想いを知って泣いてしまう
命を懸けて生き抜いた姿に感動してしまう
だから「死」は感動させるのに、言い方は悪いですが無難な手段です。

では、「死」無しで感動させるにはどうすればいいか。
私が思いつくのは「スポーツ」です。毎日毎日厳しい練習、挫折することもあるけど、目標のために歯を喰いしばって立ち上がる。いざ本番になって、辛い苦しい厳しい諦めたいと思うけど、なんとか踏ん張って、仲間や支えてくれる人たちががいるならその人たちを想い最後まで全力を注ぐ。
その姿に感動を覚えます。

他に「死」を扱わずに感動を生む方法はあるでしょうか。

上記の回答(キャラクターの「死」を扱わずに感動させる方法の返信)

投稿者 あまくさ : 0 投稿日時:

主人公に困難を与え、その困難を乗り越える過程を描けば読者や視聴者は感動する。これが、基本だと思います。スポーツものは、そういう流れを作りやすいということでしょう。

「死」が感動を生むという考えは、個人的には疑問を感じます。「悲しみ」「感傷」ならわかりますが。

>命を懸けて生き抜いた姿に感動してしまう

うん、そういうのもありますね。
しかし、それは「生き方」に感動するということが本質では? 死によって生き様を際立たせることも可能でしょうが、死の描写はそれほど必要ではない気がします。むしろ安易じゃないかと。

>だから「死」は感動させるのに、言い方は悪いですが無難な手段です。

無難な感動というのは矛盾していませんか?

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: キャラクターの「死」を扱わずに感動させる方法

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元記事:リアリティラインとは何なのかの返信

物語の話なのに、その境界にキャラクターの視覚情報を持ってくるというのはどういう理由かなと。

単純に、「作者が見せたいもの」が基準だと思いますよ。
例えば推理ものでトリックにわかりやすい嘘があったら興ざめじゃないでしょうか。「犯人は被害者の首を日本刀で切断したものの、切れ味が凄まじかったので被害者の首はそのままくっついて数時間は生きていた」とか、アホかよ、って感じだと思う。
まあ、推理作家は病んでくるとそういうネタ書いて大コケしたりするんだけど、でも、同じようなネタでも「推理もの」ではなく「ミステリ」だとこれはアリになったりする。
流石に「切れ味が良かったからくっついた」は無いけど、京極夏彦の百鬼夜行シリーズだと「容疑者は認知機能に障害があって、別の家を自宅だと思いこんでた」とか「死体は足元にあったけど、主人公が鬱状態で正常な判断ができなかったから気が付かなかった」とか、そういうのがかなりある。
だから、百鬼夜行シリーズは終盤で探偵役が推理っぽいまとめをするんだけど推理ものとして読むとくっそ駄作で、でもミステリとして読むとすこぶる面白い。

つまり、推理ものの場合は推理すべき事件とそのトリックが主軸になるからここに嘘があってはならない。けど、例えばIQ200の高校生とか妙な薬品で小学生になったとか、トリック以外の場所では、逆に嘘をついたほうがインパクトが出やすい。
一方でミステリの場合は解くべき謎の「謎」が主軸になるので、その原因には嘘があっても良い。多少無理があっても世界観と作風で押し通せる。

たぶん物語ではなくキャラクターにリアリティを持たせたいのかなと読み取れるのですが、物語でいいんかな。
物語の場合は、見せたいものを明確にして、そこが嘘にならないようしっかり書くべきだと思う。

それ以外は、まあ、そもそもスレ主さんは物語における「リアリティ」を誤解されてると思うのですが、
創作において「リアリティ」というのは「現実的」という意味じゃないです。
創作において「リアリティ」というのは「説得力」という意味。
だから、バトル漫画でキャラクターが技名を叫んだりすることはただの演出であって演出に対して「リアルじゃない」というのは不毛で、「リアリティ」の話ではない。
「リアルな演出がしたい」のなら話は別だけど、創作においては「リアルな演出」のことを「リアリティ」と呼ぶわけではない。

なので、「見せたいもの」に関しては「リアル」にすべきだと思うけど、それ以外のものはあくまで「説得力」があれば良い。

キャラクターの場合は「清楚」を書きたいのなら「清楚」のエピソードを書けば良い。
ひょっとしたら、イメージは出来てもその「清楚」のエピソードを思いつかないから、その発想の起点としてリアリティについて悩み始めたんかな。
だとしたら、「清楚」という言葉から具体的なイメージを抽出していくといい。
「飾り気がない」「清らか」「立ち振る舞いが美しい」「謙虚」「上品」「淑やかだけど前向き」「ルールを守る」「誰に対しても優しい」
こんな感じかね。
そしたら、このワードをテーマに三題噺とか使って軽く小ネタを作る。
それで「清楚なエピソード」は作れる。
個人的には、これらワードを使った文章を考えてしまうのが楽。
例えば「悪さをした不良を優しく諭し、ルールを守って不正を暴く清楚さん」みたいな。
文章考えてしまえばなんとなくエピソードの形は出来るから、イメージしやすくなる。

ここに「リアル」を入れたいのなら、人は「熱血キャラクター」とか漫画のキャラクターみたく一面しか無いってことは稀なので、側面を用意すべきで、「清楚だけど○○」と別の面を考える。
これは個人的な感覚だけど、側面は「たまにしか見られない」から側面なわけで、例えば「清楚だけど腹黒」とかであれば、メインの「清楚」よりも側面の「腹黒」にこそ「リアルさ」を込めるべきじゃないかなと思う。
腹黒のリアルさが、かえって「清楚」に対する説得力になるからね。
まあ、これだと腹黒が悪目立ちしちゃうけども。
「ぼっちざろっく」でも、主人公は本当に一人きりのときは頭ハッピーな変な行動取ったりするじゃん。常にネガティブなわけじゃないでしょ。
そういう側面が、ボッチな人からすると「脳内でならこんな風にはっちゃけることはある」と思えてボッチな主人公に人間味を感じるんじゃないかな。

たぶん、スレ主さんが求めてるものは「そういうエピソードの総合的な印象」で、即物的なものではないと思うよ。

上記の回答(雑談、いいですか?)

投稿者 あまくさ : 1 投稿日時:

すみません、ちょっと気になったので。以下はもとよりスレの論点ではないし、私の主観というか、解釈の問題に過ぎないかもしれないので、不快に感じられたらスルーしてください。

おそらくミステリ・マニアにとっては、ミステリ、とくに「ミステリー」ではなく「ミステリ」と記述する場合は、「本格推理もの」を指すことが多いように思います。
本格推理ものの典型作は、1929~1937年に書かれたエラリー・クイーンの「国名シリーズ」かと。このシリーズで作者は「すべての手がかりはフェアに読者に提示されており、論理的に思考すれば一切の謎が解ける」ことを標榜し(異論はありますが)、解決編の直前に「読者への挑戦状」を挿入しています。
日本の場合、ほぼ同時期に活躍した江戸川乱歩の本格推理ものが受けず、異常心理を前面に出した作品群がヒットしてしまったため、道が大きく分かれました。
戦後、乱歩の後を追った日本の推理作家達はクイーン流の本格ものも志向していましたが、ミステリとSFってアイデア勝負の部分が大きいので、「本格」は先人がネタを出しつくしてしまうと苦しいんですよね。過去の名作の「落ち穂拾い」をするしかなくなってしまいます。それゆえ、結局のところ異常な状況や心理に寄ってしまうのだと思われます。

そうした中、日本の現代推理小説のジャンルで最もエラリー・クイーンの遺伝子を素直に継承しているのは、私見では『名探偵コナン』ではないかと思います。
マンガというのはかなり荒唐無稽が許されるジャンルで、はなから「組織の開発した薬によって小学生の姿になってしまった高校生探偵」なんてトンデモ設定がありますから、リアリティの敷居が目一杯低く、要するに何でもありがベースになっているんですね。毛利小五郎にしても、リアルならあんなに何度も睡眠薬の静脈注射で眠らされたら深刻な後遺症に苦しむと思うのですが、そんなこと気にする読者・視聴者はいません。なので、多少トリックに無理があっても、推理に穴があっても通用してしまいます。そこを逆用して、今や小説の世界では不可能とも言える「古典的本格推理」ごっこをのびのびと楽しんでいるという、なかなかの発明だと思います。

   *   *   *

などと書きながら思い当たったのですが、小説の世界でわりと古典的な本格推理の雰囲気を醸し出しているのは、『謎解きはディナーのあとで』みたいなライト文芸っぽいところかもしれませんね。
そんなところからガチガチの推理マニアとは別の流れが発生している感じもあります。『ミステリと言う勿れ』なんかもそんな流れの中にあるような気も。
得てしてガチガチ派は純文学における「前衛小説」みたいに難しいとこに行ってしまう傾向があるのに対して、格式にこだわらないマンガやライト文芸の方が楽々と古典の風味を漂わせてしまうという。

だから今風の感覚では「ミステリ」は「軽推理もの」という感じになってきているのかな? なんかお洒落な語感がありますからね。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: リアリティラインとは何なのか

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元記事:リアリティラインとは何なのか

「るろうに剣心」の原作では技の名前を叫びます。実際には技を出しながら技名を叫ぶことはないので、リアルではありません。一方でるろ剣は、赤報隊や新撰組といった史実に基づいた描写をするため、この点ではリアルです。このリアルでない部分とリアルな部分とのギャップがツッコまれる時もありますが、しかしながら「嘘をつくなら、それ以外の部分を本当のように描く」のは創作の基本だと思います。では、「ある部分ではリアルで、そうでない部分ではリアルでない」における「ある部分」と「そうでない部分」との境界はどこにあるのが適切なのでしょうか。(るろ剣はリアルさのチグハグさを誤魔化すために読者の意識を誘導していると思いますが、そのことは今考えないことにします。)

以下、リアリティを出すための説明のうち、「読者に余計な疑問を抱かれそうな部分で使用されるもの」のみについて考え(説明そのもので楽しませるような場合を含まない)、リアルであるとは、その際の説明がより高度な知識を要するものであると読者に認識されることを意味すると定義して、話を進めます。

私見によれば、この「リアルさの統一されているべき区画」の境界は、少なくとも人物の髪色と物語の間にあります。アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」や「響け!ユーフォニアム」は、人物関係の描写が生々しい反面、人物の絵はコミカルにデフォルメされています。人物の髪色という区画に関してはそのリアルさはエポケーされる一方で、物語のある部分の区画で視聴者は「生々しい」と感じると思います。しかもこの二つの作品は生々しさの質だけを見ても大分印象が違います。リアルさを演出する方法をさりげなくするのか意識させるのか, その区画を物語に深く関わらせるのか関わらせないのか, その区画に対して登場人物がどういう反応をするのか, 他の部分とのリアルさのギャップはどの程度あると視聴者に認識されているか, といった要素によって印象が変わるのだと思いますが、要素が多すぎて推測のしようがありません。

物語だけに関して、特に非ファンタジーの王道恋愛ものについて、どこからどこまでの区間あるいはレヴェルを一区切りとしてリアリティが統一されているべきなのか。また例えば「清楚な」印象を与えるにはそのリアリティの統一された区画をどういう風に扱えばいいのか。それを教えてください。

上記の回答(あらためてリアリティについて)

投稿者 あまくさ : 0 投稿日時:

申し訳ありません。
サタンさんのコメントを拝見して少しウズウズしたところがあったので、あちらで脱線してしまいました。

ただ、脱線とは言え、向こうでも少しリアリティの問題に触れた部分があります。

マンガというジャンルは、リアリティの敷居を低くすることによって、自由に表現しやすいという特徴があると思っているんですね。
サタンさんへの書き込みでは『名探偵コナン』をあげましたが、推理もの以外では『ガルパン』が面白い例ではないかと思います。

部活で「戦車道」を嗜む女子高生。
あの作品ではまず、このトンデモ設定でリアリティの敷居を思いっきり破壊しています。それでいて作中で描かれる戦車や戦闘の描写はけっこうリアルです。

最初の設定で視聴者は「ああ、このアニメでリアリティがどうのと言うのは野暮なんだな」と理解します。するとどうなるかと言うと、スレ主様が仰る「リアリティの境界」が無効化されるんです。作者の都合でリアリティが有ったり無かったりを自由に行き来できるようになります。

例えばガルパンの作中で、45度くらいの下り坂に戦車を停車させて、下方の敵を砲撃するというシーンがありました。リアルなら、その角度で停車したら滑り落ちてしまう危険が高いと思います。
ただ、『ルパン三世』では90度近い崖面を車が走ったりしているのと比べたら、キャタピラはけっこう無茶がきくところもあるし、物理的に不可能ではないかもなという線をギリギリ守ってはいます。

また、そのシーンのコンセプトは、超重戦車を中戦車・軽戦車の連携プレーで仕留めるというものでした。(私はミリオタではないので、重・中・軽戦車の専門的な分類は知りません。そのへんが間違っていたらお許しください)

で、まあ。

軽戦車の車高の低さを利用して、超重戦車に正面から突っ込んで、乗り上げさせてしまうんですね。さらに、もう一台の軽戦車が超重戦車の上にも乗り上げて、砲塔の回転をロックしてしまいます。そうして立ち往生させたところを上から狙い撃ちするという作戦。

これもね。
現実には、まあ、無理でしょう。ただ、物理的に絶対不可能とまでは言えないラインだったと思います。「実際にやろうとしても、そんなに上手くいくはずないよね」という意味での「無理」です。
何より、こういうのはある程度突拍子もないアイデアじゃないと盛り上がりません。
そこで物語のベースがリアル寄りだとご都合主義と言われていしまいますが、最初にリアリティの敷居を低くしているために通用してしまうのです。そして、「意表を突く冴えた展開」を「ノリと勢い」で心おきなく楽しめるという寸法です。

>物語だけに関して、特に非ファンタジーの王道恋愛ものについて、

一口に王道恋愛ものと言っても、しっとり系からハチャメチャ・ラブコメまで、色々ありますよね?
後者ならガルパン流と相性がよいと思います。
前者なら「ノリと勢い」路線は使えないでしょうが、読者の好む情緒的な雰囲気で盛り上げてリアリティの敷居を無効化することは可能かもしれません。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: リアリティラインとは何なのか

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元記事:面白そうなあらすじが書けないです……。

こんにちは、初めまして みず です。
私は主に短編を書いているのですが、いつも「あらすじ」で悩んでしまいます。
どこまで内容を開示するか、とか。作品のどこをセールスポイントにするか、とか。
作品を魅力的に宣伝するのが苦手で困っています。
皆さんは10,000文字以内の短編を書いたときにどのようにあらすじを書いていますか?
よろしければお教えいただけると幸いです。

上記の回答(面白そうなあらすじが書けないです……。の返信)

投稿者 あまくさ : 0 投稿日時:

はじめまして。

あらすじと言っても、「公募用の梗概(要約)」「プロットを練るための作業過程」「内容紹介のための宣伝文」などがあり、それぞれまったく別物です。書き方も違います。

私の場合。
まず、公募用の梗概は、募集要項で求められていればもちろん書きます。これは大量の応募作を短時間で読まなければならない下読みさんなどのためのものなので、ストーリーの最初から終わりまで飾らずに要約するのがベストです。なまじ作者が売りや宣伝を意識して書いても無視されるし、かえってイラッとされるおそれがあります。

入り組んだストーリーを練るためにプロットを紙やPCで書くことはあります。これは本編執筆のための設計図です。長編ならこの作業は必須ですが、10,000文字くらいならたいてい頭の中だけでイメージできてしまうので、書かずにすませてしまうことが多いですね。

内容紹介のための宣伝文は、公募では求められないのが普通じゃないですか? 内容を簡潔に要約した梗概は求められますが、先に書いたようにこれは宣伝文ではありません。
宣伝文は、WEB小説ではよく見ますね。ただ、私はなろうなどには投稿していないので、その手の文章は書いたことがありません。

ただ、思うんですが。

>どこまで内容を開示するか、とか。作品のどこをセールスポイントにするか、とか。

セールスポイントは本編を書く段階で把握してないとダメでしょう。紹介文を書くときに作者がどこがセールスポイントかわかっていないというのは、かなりマズイ状態だと思いますよ。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 面白そうなあらすじが書けないです……。

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元記事:小説では主人公の精神的な成長を必ず描かなくてはなりませんか?

質問させてください。
小説の書き方講座などで映画などを例に挙げて主人公は最初とラストで精神的に成長していなければならないと書かれているのを見かけたことがあります。
でも漫画などではドラゴンボールやトリコなどのように、精神的な成長はさほどなく肉体的な戦闘力の成長に重きを置いた作品も結構あります。
主に少年漫画のバトルものですね。小説だとその作風ではWEBや新人賞などで受け入れてもらえないのでしょうか?

上記の回答(小説では主人公の精神的な成長を必ず描かなくてはなりませんか?の返信)

投稿者 たまねぎくん : 0

主人公よくやった! っていう共感ですね。
でも、主人公は読み手本人ではありません。
ラノベでは読み手が主人公に共感しながら読むことになっていますが、それはむしろなろう系に近いですよね。
それでも、主人公が精神体に成長した結果、主人公が異なる可能性、しかもプラスの可能性を選ぶという分かりやすいオチになるので、普通の話なら精神的に成長させますかね。

これは、逆に主人公が精神的に卑屈になるオチと比較したら分かります。
もう俺は乞食で生きていくから、戦うことはしない、なんてオチなら、読み手は主人公なにやってんだ、というガッカリした気持ちになるでしょう。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 小説では主人公の精神的な成長を必ず描かなくてはなりませんか?

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投稿日時:

元記事:創作論の話 実はざまあは短編向きなのでは説

どうも皆様こんにちは。いつもお世話になっております。
今回は私にしては珍しく創作論の話です。

よくなろうテンプレを嫌悪している人達がいわゆる「ざまあ」に対しても文句を言っている現場を何度も見てきました。
(普段はお前もそいつら側だろってツッコミはナシでお願いします)
ざまあ系の話はいわゆる復讐の亜種だと思っているのですが、主人公が復讐鬼となる基本的に短編の方が多いと思うのですよね。

商業作品に限らず昔話や神話にも、復讐を取り扱った作品は多くあるから、最近は「長編に引き延ばさないで短編でやった方がいいジャンルなのでは」と思うようになりました。
それなのにわざわざ長編でやる方が後を絶えないのはなぜなのでしょう?
ちなみに私は現在「転生チートよりは好感を持てるから、一回短編で真面目に書いてみようかな」と思っているところです。

上記の回答(創作論の話 実はざまあは短編向きなのでは説の返信)

投稿者 パクトボー : 1

多分、目についた作品が長期化しているだけでしょう。

結局のところ「復讐」という題材は、主人公をある程度正義側・あるいは読者視点側に持っていきやすいんですよね。
これは現実世界でのうっぷんをうんぬんみたいな理由ばかりでなく、どんな悪いことしてる不良でも一回猫助けちゃえば「実はいい人」になってしまうわけで。人間、正しいことをしてる人は応援したくなるもんなんですよ。

そうやって人気出た人をあっさり短編で終わりにするより、復讐を助走扱いにしてもっといろいろな面を見せてくほうが、書く側は読んでもらえてハッピー・読む側は活躍がまだまだ楽しめてラッキー、なんですね。
言うて自分も好きですけどね、復讐終えてどこかへ去っていくダークな主人公も。でもまぁ、主人公の描写に成功してればその場合でも大抵は「これからこいつには幸せになってほしいな」って感想が大半でしょう。その幸せシーンを作者自ら提供されたら嬉しいね、じゃあ与えますよ。の結果が長編となるんでしょうね。

逆に言えば人気出ないまま終わった復讐は果たされないか、あるいはさっさと達成して終了して次作へ移行、といったところでしょうか。
これがまた絶妙にやりやすくって、こういう「序盤で一区切りできるポイント」って、見切るか続けるかの判断がしやすいんですよね。手ごたえなければ綺麗に完結にできちゃう。
少年漫画で、「序盤で終わる予定もあった」みたいな話、よく聞くじゃあないですか。

あと、長編でいつまでも復讐が果たされないと単純にフラストレーションというか、人間関係に与える影響がデカすぎて引っ張れないんですね。
無謀なことしようとしてる主人公の周囲に延々イエスマンが集うって絵面が最悪じゃあないですか。それで主人公陣営強くなり過ぎたら間引きして復讐果たせない状態に調整しなきゃいけない。
逆に主人公を止める人間が身内にいるとそれはそれで「いつまで味方面しとんねん。対策なり排除なり妥協点のすり合わせなりせんのかい」ってなりかねないです。
じゃあ願望達成まで一切復讐の話しないなら、お前それ「今年一年の抱負」レベルの復讐心とちゃうんか、みたいになる。

読みやすさ・続けやすさに対してたゆまぬ進化を続けた結果が、現時点では「序盤で復讐終わらせる」って形なんでしょうね。
それでも、「引き延ばすよりスパっとやったほうがよくない?」はいい着眼点なんじゃあないでしょうか。自分の感性に従って、一回書いてみたら、理由もわかるかもしれませんね。何事もトライ・アンド・エラーです。あなたはトライを恐れない人ですから、頑張ってください。

カテゴリー : 創作論・評論 スレッド: 創作論の話 実はざまあは短編向きなのでは説

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投稿日時:

元記事:セリフと情景描写(?)

文章において
「(台詞)」(描写)「(台詞)」
という形で台詞と台詞の間に「〜する」といった描写を挟む表現があると思うのですが、これについてどう思われますか?
「台詞と描写などの間は改行するといい」というのを見たのですが、実際にこういった表現を見かけるので、何かしら法則性というか「こういう時はこうするといい」というのがあるのでしょうか?

上記の回答(セリフと情景描写(?)の返信)

投稿者 あまくさ : 1

1文の中にセリフと地の文を入れるのは、翻訳小説によく見られるスタイルです。これは原文がそうなっているからだと思います。で、昔の日本の小説は英米の作品の模倣からはじまったので、そのへんが影響しているんじゃないかと。
その後日本のエンタメ小説は欧米の影響から離れて独自の発展をしたので、読みやすさを優先してセリフと地の文は改行するほうがよいと言われるようになったのではないでしょうか?

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: セリフと情景描写(?)

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