質問のチャンスをいただきありがとうございます。
一次落選の作品に選評をつけるにあたり、注意していることなどありますか?
また、あまり上手くない作品を褒めるコツなどはあるでしょうか?
評価はいつでも、すべて同じです。
その応募作の弱点がなにかを指摘することと同時に、応募者の武器や魅力を伝えることです。
弱点にしても魅力にしても、「それを見つける」ことを念頭に置いて読むことでかならず目に止まります。
はじめまして。質問をよろしいでしょうか。
作品を複数の賞に応募することに、なにかデメリットはありますか?
あまりにもあちこちに使い回しをしすぎると審査員さんの心証が悪くなったりするものでしょうか。
よろしくお願いします。
> 作品を複数の賞に応募することに、なにかデメリットはありますか?
すべての作品が、今書ける最高のクオリティで仕上げられているなら、特にありません。
あとは、すべての作品が一次落ちすることを覚悟できるなら……ですね。
……と、これはそういうことではなく、ひとつの作品を複数の賞へ送るということでしょうか? 先に出した賞の結果が出てからなら規定的には問題ありませんが、デメリットについてはこの後を読んでください(私が質問の意味を取り違えていましたら、お手数ですが再質問してください)。
> あまりにもあちこちに使い回しをしすぎると審査員さんの心証が悪くなったりするものでしょうか。
私もそうですが、下読みを何年も依頼されるような人間は、ほぼもれなく複数の賞で読んでいます。
そのため、使い回し作品は結構わかってしまうものですし、わかってしまえば二度め以降は通常審査に加えて「前回からどのように改善されているか?」も意識されるようになります。
当然、同じ賞に毎年送るようなことをすれば、編集者にも悪い意味で名前が知られてしまいますね。
同じ作品を、たとえ多少の改稿はあれ何度も使い回すのは、応募者にとってメリットが非常に少ない行為です。
実際、改稿というものは「受賞できなかっただけの弱点」を含む設定、キャラ、ストーリーラインを全部取り替える覚悟がなければ成功しません。表面上の穴を塞いだところで、根本的な問題はまったく解決していないからです。
それなら新作を書いたほうが早いですし、期待値も高いです。
賞との相性やそのときの状況が悪くて落選した可能性はありますので、使い回しは他の賞へ1度だけ! と決めて、何本でも新作を書くほうが、結局は得をします。
どうも、サイラスです。お返事有難うございます。
> > だた、これは、ガンダムやとあるシリーズ、SAO等色んなメディミックス化されている作品の別媒体(ラノベ原作だけでなく、アニメやコミック)ごとを、見ていれば、分かるのでは?と思ってしまうことがありますが、どうでしょう?
> アニメやコミックを先に見ていれば、原作を後で読んだときにその絵が脳内再生できるのではないか? ということでよろしいでしょうか?
今、見ると、私の言葉、すごく傲慢な言葉多いですね。すみませんでした。
けど、覚悟を決めて再質問します。
簡単にいうと、視覚媒体(アニメ)と文字媒体(ラノベ)の表現の違いを理解するには、どうすればいいのか?ということです。
メディミックス化されている作品に触れているなら、この表現やシーンや文章媒体には、向き不向きって、感覚的に分かるのに、どうも、アニメでの感覚を基準にしている方が多く、最近見かける質問でも、それは、アニメでは簡単に表現しているのに、文章にした途端にできないのは、どうして?というのが多くなってきているのが、気になったので、質問しました。
そこで、メディミックス作品に触れる際に、どういった違いに着目して触れると、いいのかな?と思って質問しました。
>そのような状況でしたら、「各シーンを、地の文を書かずにセリフだけ並べていく」のも手ですね。
>セリフとは山と谷で言えば山の部分で、地の文にくらべて非常に早く書くことができます。なにせつじつまを合わせる必要のない(そういうことは谷である地の文に振ってしまいます)山の部分ですから、楽しいばかりの作業です。
なるほど、それはいいですね。早速試してみます。
> 簡単にいうと、視覚媒体(アニメ)と文字媒体(ラノベ)の表現の違いを理解するには、どうすればいいのか?ということです。
視覚的表現は、物事や状況の「外見を直接的に」ユーザーへ伝えます。ユーザーが「想像」で情報を補完する必要がないのが特徴かと思います。
文章表現は、そもそもが直接的表現方法ではないですよね。物の形状から状況、そこにいる人々のことまで、いちいち説明してあげないと1シーンを再現できません。そしてなにより、「ユーザーに対して想像による補完を強いる」のが特徴かと。
まとめれば、
視覚表現はユーザーに想像という負担をかけない。
文章媒体はユーザーに想像を強いないと成立しない。
ベンダーが一方的にがんばれば成立する視覚表現と同じことを、ユーザーの協力なしには成立しない文章媒体でやろうとしても、うまく行かないのは当然かと。
このあたりはシナリオなどを書く機会があると思い知ることになります。
〈追記〉
大事なことを忘れておりました。
「(理解/補完までの)時間の差」も大きなちがいです。
ぱっと見てわかる映像や絵と、説明を重ねることで、映像以外の部分(心情や背景)もわかる代わりに補完までの時間がかかる文章では、取るべき手段が同じでよいわけがありません。
まあ、これは単なる余談なのですが、夢枕獏氏は、息づかいや状況を漢字一文字で表現し、それを一行にひとつずつ並べるというすさまじい手を編み出しました。
その間の説明は一切せず、ほとんどの部分を読者の想像力に任せてしまう、氏の作家としての勇気にはつくづく感じ入ります。
おはようございます。
> 簡単にいうと、視覚媒体(アニメ)と文字媒体(ラノベ)の表現の違いを理解するには、どうすればいいのか?ということです。
> まとめれば、
> 視覚表現はユーザーに想像という負担をかけない。
> 文章媒体はユーザーに想像を強いないと成立しない。
>ベンダーが一方的にがんばれば成立する視覚表現と同じことを、ユーザーの協力なしには成立しない文章媒体でやろうとしても、うまく行かないのは当然かと。
>このあたりはシナリオなどを書く機会があると思い知ることになります。
ユーザーに想像を強いるかどうかという観点は意外でした。
個人的には、取り扱える情報量の量かなという感覚がありました。
私は、文庫のラノベ1冊を読み終わるのに、1時間から2時間分掛かるのですが、アニメだと半分、マンガだともっと短く、ラノベ1冊分の話を消化しているという感覚があり、文字情報って、映像にするとかなり圧縮できる。だから、アニメと同じことをすると、どえらい量の文字を使わないと表現できないという感覚があります。
それが、読者(ユーザー)に想像を強いるということなんですよね。
>「(理解/補完までの)時間の差」も大きなちがいです。
>ぱっと見てわかる映像や絵と、説明を重ねることで、映像以外の部分(心情や背景)もわかる代わりに補完までの時間がかかる文章では、取るべき手段が同じでよいわけがありません。
だから、流行の研究や、他の作品を読むことが重要になるのですよね。
読者が、想像しやすいものを取り入れることで、読者の理解や想像の負荷を落としてあげる。逆に、他の作品を読んで、理解に苦しむ作品とぶち当たることで、何が、理解に苦しむかという感覚を把握することで、初めて読者のことを考えられるのかもしれませんね。
有難うございました。
> 文字情報って、映像にするとかなり圧縮できる。だから、アニメと同じことをすると、どえらい量の文字を使わないと表現できないという感覚があります。
どれだけ文字を尽くしても、読者にその文字の意味や描写を頭の中で映像化してもらえなければ無駄になってしまいます。
だからこそ、読者対象層ががんばって考えることなく、こちらがはしょっている部分までさらっと脳内再生してくれるよう、わかりやすい描写、わかりやすい文章が重要であると思っています。
> だから、流行の研究や、他の作品を読むことが重要になるのですよね。
ある意味、今現在の読者はどこまで読み込むことを普通と捕えているのか。それを知るために必要とも言えますね。
> 読者が、想像しやすいものを取り入れることで、読者の理解や想像の負荷を落としてあげる。逆に、他の作品を読んで、理解に苦しむ作品とぶち当たることで、何が、理解に苦しむかという感覚を把握することで、初めて読者のことを考えられるのかもしれませんね。
インプット作業には、まさにそのあたりの感覚をつかむことも入ってくるものと思います。
るかと申します。
togetterの作家同士のやりとりのまとめやある知り合いの話で、ライトノベルの読者層は一般文学の読者層と比べると理解力が低く忘れっぽいので、それを前提になるべく簡単な表現で書いた方がいい、またライトノベル読者から「設定や説明はあまり書いてはいけない」という要望が来ると聞いたのですが、これは本当なのでしょうか?
確かにライトノベルしか読んでないような人は理解力低いかもしれないと思いますが…。
表面だけ見ればそうですね。
なぜならライトノベル読者は活字を「文化」ではなく、「娯楽」として楽しむ、主に若年層ですので。
活字に親しみがあまりない中高生に「届く」文章がどのようなものか? それを考えていただければ、私の意見もご理解いただけるものと思います。