> 小説の文章として理想的なのは、透明感が高く内容が自然に読み手に伝わる文章だと思っています。
透明感。わたしの頭の中にはなかった単語です。
技術は内容を伝えるためにある、みたいな考えかたでしょうか。
演芸と芸術の違いなのかな、と思います。
演芸はお客さんを楽しませるために、芸術は追求するために技術をつかう、みたいな。
エンタメ小説的には、演芸的に趣向を凝らした文章(読みやすさやキャッチーさ)が「上手い文章」だといわれるのかな、って思います。
古風な表現をすると、懐の広さと奥ゆかしさとでもいうのでしょうか。
ライトノベルでお約束的な、中二設定も萌え表現も美少女描写も、見る人の心をつかむある種の洗練された伝統芸的なもので、それにさらに「演芸とは何か(=エンタメ小説とは何か)」という部分があるものを、人は良作と呼ぶのかな、みたいな。
若干論点がずれつつあった気がしますが、つまり文章が上手いということは、フィギアスケートの優劣を、つかった技の難易度による合計得点で見るのではなくて、その技を使って何を伝えられたかに重きを置くということ、でしょうか。
うーん、言葉を重ねるほどそれこそ「透明感」がなくなっていくような……。
文章は奥が深いです。わたくしめの邪推が小さなことだと思い知らされるようなほどに。
文章を考えると「芸術の海」に沈んでしまいそうな気持ちになります。
書いててどんどん意味がわからなくなってきたので、いったん筆をおいてみます。
> 「見ていて上手いと感じるようではまだまだだ。本当に上手い演技は夢中で見てしまうので、上手い下手を感じることはない」
世阿弥の能の理論書ではないですけど、似たような言葉を聞いたことがあります。
映画の音楽担当の人が言った「優れたBGMとは聞こえないものである」みたいな感じのものです。
読みやすく引っかかりのない文章(違和感のない文章)を書きながら、物語の魅力で読者を引っかからせる、みたいな感じなのでしょうか。
つまり、物語に溶け込むように文章が調和している状態が、理想なのかなと思います。適材適所ってやつですかね。
文章が上手いと言われるのは、引っかかることがなかった、みたいなニュアンスが近いのかなとも思いました。
言われてみれば、文章に特別なものを感じたのなら、具体的な賛辞が贈られそうな気もします。
読者が「文章」を読んでいることを忘れるほどに、「物語」に没頭してほしい、ということです。
「文章がうまい!」と感心させてしまうと、「文章」を忘れてもらえませんよね? だから、うまさを感じさせないうまさが理想。それが、「透明感」ということです。
……なんてね。あまりエラそうに言うのも恥ずかしいですが。
こんにちは。
まず小説としての文章に仕上がっているのかを見ます。
読めるとか、理解できるとかそういった感覚で判断します。
ネット小説の多くは小説としての文章ではないので、読めれば文章が上手いですねと書く候補にあがります。
!、?は後で一文字空けようとか。改行したら次の行は一文字空けなきゃといった初歩的なことから。
これワードで書いたのかな、だったらリーダビリティ工夫して欲しかったなとか。
この神視点や視点変更の多さは大丈夫なんだろうかとか。
ネット小説で文章のことをいちいち気にしていたら読めません。
文章が読めるだけで目立っていて、すごいことなんです。
文章が上手い、文章力がありますねと複数人から言われたら。
賞に送る必要最低限の文章力はあるという認識が良いと思います。
勘違いしてもらいたくないのは文章が上手いと言われても、小説としての文章になっているかと聞かれると多くの場合で答えは「NO」です。
読めたり、内容が理解できる文章であって。小説の文章ではありません。
小説に必要な文章は、添削用掲示板に回答として書かれるような文章で、人によって場面の演出の仕方は違いますが。同じ場面でも構成、テーマを変えることによって生み出される印象の違い、回答者ほど上手く書けないとしても、ある程度は意識的に書けるようになっておく必要があります。
それによって物語の雰囲気を操作することできるようになり、序盤以降の深みのある展開に繋がっていきます。
繰り返しますが、ネットでは意識的に雰囲気を書き分けることができなくても、読めるだけで文章が上手い方に分類されます。賞に送るには十分ですし、自信を持っていいと僕は思います。
意識的に雰囲気を書き分けれるようになってくると、構成力がついた、3行の内容を1行にする、1行→3行にするといった構成力を含む文章が書けるということになります。
そこからは先はビジュアル的で書くのか、小説的で書くのかの選択します。
ビジュアル的なものは数ページの全体像から想像を膨らませていくのに対して。
小説的なものは数行の内容を基点にその瞬間を想像させます。
ネットにある作品は小説的なものが多く、自分はどちらの文体を目指すかを決めなくてはいけません。
文章が上手いから面白いというのは違います。
多くの方が文章が上手くなっていく過程で、内容が小さくまとまっていきます。
これは矛盾があるな、あれは難しいなと無意識のうちにブレーキがかかり。
キャラ、ストーリー、設定色々なものを犠牲にして、自分の好きな文章だけを書くようになってしまいます。
気がつけば、作品から文章をとったら素人が考えつくようなストーリー内容。
でも面白い作品はそうじゃない、自分の苦手な書き方にも挑戦し。文章が上手くなったからこそ、より難しいことに挑まなくてはいけません。
物語は文章ではなく内容が大切です。
誰でも最初は読めない文章からはじまりますし、僕みたいに日本語がおかしいですと評価シートに書かれた方もいっぱいいると思います。諦めずに書き続けていってもらえればと思います。
「綺麗な文章」と「上手い文章」は必ずしも一致しないということでしょうか。
うーん。
やっぱり、人に見せて感想をもらいながら試行錯誤していくことが、上達の近道なのかと思います。
正解は自分にしかわからないのかもです。
お久し振りです。
既に多くの方の意見に目を通し、様々なものを得たと思いますが、正直な話をすると、答えはない、とも取れるんですよね。
分かり易くすることで、小説に馴染みない読者にはストレートで伝わるのかも知れませんが、小説好きには味気ない作品となってしまう。
この逆をすれば、ご想像の通りになると思います。
日々精進している私もまた、この問題に悩む作者です。
単純に小説好きと一口に言っても、その各々の価値観や読書量も異なるでしょうし、万人受けし難いのが現状でしょうね。
例えば、作者がこの比喩表現が素晴らしいと思っていても、読者からは「自己満足の作品」と称されてしまったり。
その他含め、小説は奥が深いですし、自身の長所がなければ、頭一つ飛び出るのも難しいでしょう。
偉そうに書き綴りましたが、完全なるスランプの跡辺でした。
こんばんは。西田裕貴と申します。
ご質問に対する私の意見は、文文さまのご意見とおおよそ同じだったため、これまで発言は控えていましたが、さきほどの跡辺 潤さまのご意見に感じるものがあったので、失礼ながら便乗させていただく形で顔を出しました。
最終的には、ご自身の感覚にしっくりくる文章を目指されてはいかがでしょうか。
文章の上達には、自分でひたすら書くのと、他の小説を見て学ぶのと、誰かに添削してもらうのとありますが…。
自分でひたすら書いていれば、外からの刺激で文章が乱れていても、自分の呼吸に落ち着いてきます。
他の小説からは、感覚的に受けつけないものは学べませんし、学んだものは自分の中で消化され、自分の感覚の一部となって文章に現れます。
添削を受けた場合も、自分の感覚で理解できなければ取り入れることはできません。
結局は、ご自身の感覚です。この感覚に従うからこそ、個々人で作風が現れ、その人の文章となるのです。
ですから、まずはご自身の感覚で、どういう文章を書きたいかを考え、ご自身の感覚に合う文章を徹底的に追求してみてはいかがでしょう。
多くのご回答の中で選択したい意見を迷われているようですし、一度原点に立ち返られるのも手かと思いますよ。
なんだか抽象的な話をしてしまいました。お力になれていれば嬉しいです。