小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

あざらしさんの返信一覧。最新の投稿順19ページ目

元記事:頭のいい人の思考を再現するには

こんにちわ、にごり酒と申します。

今書いているノベルに、非常に頭の良いキャラクターがいます。賢者のような人なのですが、こういったキャラクターが頭を使ったり、本当に言いたいことを遠回しに言ったりするときに会話する描写を皆様ならどのように描かれますか?

拙い質問文ではありますが、もし宜しければご教授いただけると幸いです。

上記の回答(頭のいい人の思考を再現するにはの返信)

投稿者 あざらし : 3 人気回答! 投稿日時:

頭が良いという共通項があっても性格は様々、会話も描写もにごり酒さんが作られたキャラクターに合ったものとしか言えませんし、そもそも書き手じゃないので控えます。

ですので、ご質問から感じるところをいくつか。
世間一般で『頭が良い』というと、勉強が出来る。具体的には偏差値が高い人と同義になってるようにも感じますが、これは結果論です。
勉強に専念できる環境にあった人が、勉強を習慣づけて継続することができるということが大きく作用しますから、家庭環境にも起因します。

たとえば聖徳太子と現代の高校生が数学のテストをやれば、まず間違いなく高校生の方が点数は良いはずです。
5世紀の人間が現代数学を知っているはずがありませんから、聖徳太子は問題の意味を理解することも怪しいでしょう。

ではなぜ聖徳太子に”頭が良い”というイメージがついているかというと、代表格は10人~30人の人が同時に話したことを聞き取り、理解できた、という豊聡耳にまつわる逸話です。
これを現代風にいうと、まぁ耳が素晴らしく良いのは間違いありませんれど、それよりも特筆すべきはIQとEQが極めて高いということでしょう。

よくあるたとえ話ですが、車でいうとIQはエンジン性能。
アクセルを開けたときにどれだけの回転数、その恩恵として速度を得られるか、ということです。
対してEQは制御能力、コントロール性能。
ハンドリングやブレーキといった、猛スピードで走る車をコントロールする能力です。
どちらも高性能で、初めてレーシングコースを短時間で周回できます。

頭が良いというのは、普通の人間が10分かかることを数秒で終えてしまう。
加えて、普通の人間は一つの問題を解くのが精一杯なところを、同時に数種の問題を解決してしまう並行処理をやってのけるようなことだと思います。

で、これ、小説では充分に可能だと思うのです。
にごり酒さんが三日悩んで書いた会話と描写、仮に五行だとしますが、

>非常に頭の良いキャラクター ~中略~ 本当に言いたいことを遠回しに言ったりする

これを読者が読むのは一瞬ですよね。五行なんて誰でもすぐ読めます。
読めますが、頭が良い人がやってのける『常人を遙かに上回る速度での処理速度とマルチタスク』に、にごり酒さんがかけた時間は解りません。
著者が3日悩んでも、キャラクターは一瞬でやってのけてるわけです。
充分に頭の良いキャラクターを作り出せるのではないでしょうか?

頭が良い、というのは他にもありますが、IQとEQに関しては著者が時間をかけてでも悩むことで実現可能かと思います。

最後に。
友人にメンサの会員がいるのですが、飲み会での印象的な言葉をひとつ。
「(仕事が)楽しくて仕方が無いならともかく、そうじゃなければ会社員なんてやめればいいのに。そんなに暇なら(金が目的なら)さっさと起業すればいい。すぐ死ぬ(残り100年はないの意味)のにモッタイナイ」
EQと忍耐力はたぶん人並みだし、言われた人は会社員を続けてます。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 頭のいい人の思考を再現するには

この書き込みに返信する >>

元記事:主人公の過去描写のタイミング

主人公の過去を描写するタイミングについて質問があります。
主人公の目的や考え方に関わってくるので必須なのですが、物語の途中で入れることが難しそうです。
このような場合、最初に主人公の回想を入れるのはアリですか。
ご教示いただければ幸いです。
また、最初に入れるとしたら、何ページくらいに抑えるべきですか?

上記の回答(主人公の過去描写のタイミングの返信)

投稿者 あざらし : 1 投稿日時:

お悩みを解消するために。
まずは『主人公の過去話を挿入するタイミング』で悩んでいるのではなく、『物語の始め方』と『構成』の問題だと認識された方が良いように感じました。
そもそも全ての物語は、クライマックスである物語のピークを主体にすれば、冒頭は過去話だと見ることもできます。
つまりは主人公の過去話だと感じてしまう時点で、冒頭が物語から地続きにならずに浮いてしまっているのかも知れません。
主人公という、ひとりの人間の人生に影響を与えるほど大きな出来事で、物語に必須ならば、それは見せ方の問題で、本来読者のハートをつかみ取るエピソードになるはずです。
”おそらくは”と付け加えますが、kwsrさんの質問を読む限り、ご本人も構成として『なにかおかしい』という直感が働いていらっしゃるようですし、おそらくそれは間違いないのだろうと思います。
(これより以下は細かい説明ですので、必要ならばどうぞ)

仮に物語の開始時点が『主人公10歳』
物語の本編が『主人公17歳』だとしましょうか。
この場合、小説を冒頭から読み進める読者から見れば、本来過去話ではなく単に時系列に並んでいる出来事です。

一方、物語途中に挿入すると、これは疑いようもなく過去話になります。
主人公が語り出せば女々しい印象をつけてしまいかねませんし、もし芯の強いヒーロー然とした性格なら整合性がとれなるかも知れません。
こういった転び方をすればシーンとしても、物語としても浮いてしまいます。

主人公10歳時点でのエピソードに読者のハートをグッとつかみ取るだけのパワーがあるならば、冒頭に使用しても全く問題なく、むしろ古典的なパターンです。
手垢のついたやり方ですが、時間の乖離、エピソードと本編の接着剤は『――それから○年後』というやつですね。

方法をいくつかあげておきます。(極力ネタバレは避けますが、気になる方は読まないでください)

現在までを時系列できっちりと並べるのは、とくに映画で使いやすいパターンですが変化球として使う方法もあります。
例えば【園子温監督:愛のむき出し】
主人公の子供時代、母親がお祈りの最中に妙な咳をするシーンから始まり『母は、僕が小学生のときに死んだ』というナレーションから、(本編主人公視点で)これまでの半生で印象的だった出来事を振り返り、今日を作り出している人格を炙り出すというやり方です。
この映画は変化球の連続で、映画文法をことごとく崩していくので参考になるのではないでしょうか。
三人の主要人物の半生を、現在の一点に収束していき物語本編に点火させる方法は映画的ではありますが斬新かつ印象的です。

小説で変化球ならば【山田宗樹著:嫌われ松子の一生】
新聞記事(直近過去)で始まり、甥の手によって(現在)、松子という女性の生涯(過去)を炙り出す、という構成になっています。

物語本編の主人公が過去を振り返る方式で始まるならば、たとえば【桜庭一樹著:少女には向かない職業】
引用~ 
中学二年生の一年間で、あたし、大西葵13歳は、人をふたり殺した。夏休みにひとり。それと、冬休みにもうひとり。
~引用終わり
極めて小説的な書き出しですし、読了すれば冒頭との絡みが参考になると思います。
キャッチーな冒頭で、最低限の決まり事、おおまかな小説のジャンルも語っていますし、短文でありながら『あたしの現在年齢』『あたしの名前』『時間の開きから計画性殺人の予感』という情報量もあります。
過去そのものが本編であり、現在の”あたし”は本編から見れば未来という位置づけですので、ひとりの人間を決定づける出来事の大きさ、エピソードの大切さを逆説的に読めるかと思います。

まるっきり過去エピソードで始めるなら【秋山瑞人著:龍盤七朝 DRAGONBUSTER 】
引用~
遠い昔、老人は”竜”をみたことがある。
~引用終わり
この後、厠から這い出てきた糞まみれの女が砦の一群を双剣で壊滅させるエピソードへと続くのですが、回想シーンである移ろいゆく記憶をエピソード内での時系列の揺れを利用しつつ、事件後の老人の半生の片鱗を見せながら、年老いても決して忘れることのない強烈な印象が生々しく想起されます。
主人公の過去ではなく、つまり視点移動のある小説ならではですが、物語の根幹である”竜”を読者に強烈に印象づけることに成功しています。

いくつか例を交えましたが、読者の興味を引きつけ、物語の推進力に成り、読者へのサービスになるならば、過去話から始めることには全く問題を感じません。
例に出したのはごく一例で、やり方は先人が作り出した方法だけでも色々ありますので、物語全体を見渡し、構成として最も行かせる方法を考えてみてください。

最後になりますが、気になったことを。

>主人公の目的や考え方に関わってくるので必須

この点です。
――主人公の目的
――主人公の考え方
どちらも過去話に拘らずともエピソードを利用し、物語中のリアルタイムで語れることです。
『過去話は出てこないが、キャラクターの半生が人格を通してぼんやりと見える』
これは小説は無論、漫画でも映画でもプロ作品では普通にやってます。全くやってないのは三流の監督と脚本家が、数字を取れるタレントを使って撮る盆暗ドラマぐらいです。これは制作者がポンコツであるが故に、そうとしか造れないパターン。
もうちょっと追求すると、家事をしながらでも見た気になる(させる)テレビドラマで意図的に使われる手法、要するに頭を使わずとも満足感を与える必要があるならば『直接的に伝わりやすく』することは決して否定しません。
それはそれで、制作者が意図的に使う立派なやり方です。漫画だとヤング誌では少なく、少年誌によく使われます。
代表的には【吾峠呼世晴著:鬼滅の刃】が過去話を組み込んだ成功例ですね。敵側の事情も読者に伝えることが売りのひとつになってます。
目新しい手法ではありませんが、あそこまで徹底すると斬新になってしまうという好例ですし、印象が強いだけに下手に使うと『鬼滅っぽさ』が匂ってしまいかねないほど強烈になってます。

一方、直接的に伝わりやすくする手法に対して、想像させることで伝える手法。
こっちは物語から撤退しない、言い方を変えると物語を楽しませる以前に収益を得ているメディア、映画も小説でもスタンダードな方法。
手っ取り早くは金獅子賞だとかアカデミー賞、ドラマでもなじみ深いところだとエミー賞、こういった作品は軒並みそうです。

で、ライトノベル的な小説の場合、どちらもあります。
ライトノベルでヒットを飛ばす作品だと、直接伝える部分を抑え気味に、伝える場合はサービス重視の感、より読者を楽しませるためが多少強いでしょうか。
これは小説というジャンルにある以上、もともと読者と想像を切り離せない部分が手伝っていると思います。

見せ方を熟慮され工夫を見せられるならば、良い悪いではなく、どちらが相応しいのかはkwsrさんの筆致と作風で決定されるて良いかと思います。
長々と書きましたが、疑問を感じたら、そう感じた己の感性を信じ、逆説的に洗い出し、新たな手法を開発するというのは、クリエイターの常套手段です。
執筆頑張ってください。応援いたします。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 主人公の過去描写のタイミング

この書き込みに返信する >>

元記事:「創作は競争ではない」はどこまでが真実でどこからが嘘なんですか?

前に他の作家さんの文章力が高すぎて嫉妬する、
という相談をネット上(ここではなく)でしたところ、
「気にしなくていいよ、別に物書きの道は競争じゃないんだから」
と言われたことがあるんですけど、
競争ですよね?物書きの道って。

「物書きの道は競争じゃない」が真実だったら
新人賞でデビューをかけて何千人も応募して審査されて競ったりしないはずだし、
デビューしてからも生き残りをかけて売り上げを競ったりしないじゃないですか。
そもそもアマチュア作家の集まる小説投稿サイトからして、
作家たちはランキングで競争してますし。

それなりに実績のあるライターさんの発言だったので、
理解の足りない素人の発言として見過ごすこともできなかったのですが、
結局「創作は競争ではない」はどこまでが真実でどこからが嘘なんでしょうか?
純度100%の真実ではないことは確実だと思いますが。

あと「プロの作家も最初は下手だった」も純度100%真実、ではないですよね?
本当にそうならなんでデビュー作でいきなりアニメ化する作家がいるんだという話ですし。
最初から上手いじゃないですかあの人たち

上記の回答(「創作は競争ではない」はどこまでが真実でどこからが嘘なんですか?の返信)

投稿者 あざらし : 2 投稿日時:

そもそも”競争”というのは、他者と優劣を競うことです。
この一点に関して創作は競争ではないというのは、業種が違うので80%ぐらいとしますが真実です。
クリエイティブ系の職種に競争とか優劣って、あんまり関係ありません。強いていえば血気盛んな若輩時代に多少あるぐらいでしょうか。

人間は個々人が『興味のフィルター』を持っていると考えてみてください。
本が大好きで好奇心旺盛な人ほど”目の細かいフィルター”を持っていて、様々なジャンルの本をフィルターで引っかけます。
一方で全く本を読まない人は、フィルターと言うよりザル。流れてくる情報は引っかからずにどんどん素通りしていきます。

世が出版不況と呼ばれて久しいですが、これをフィルターに例えると『一般的にフィルターの目が粗くなっている』ということです。
米粒大じゃあフィルターに引っかからずに流されていくけれども、小豆大なら引っかかる人もいる、ということです。

米粒がいくら優劣を競ったところで意味はありません。
どうしたって米粒はフィルターに引っかからずに流れていくわけで、つまりは『読まれない』という事実です。
おまけに読者によってフィルターの目が違いますから、小豆大よりずっと大きくジャガイモサイズになる方がより多数に読まれるという意味で良いわけです。

はい。
米粒大の存在がジャガイモサイズになるか否か、これは本人次第です。
冒頭で書きました80%ぐらいの、残り20%がこれ。
大きくなるため、昨日の自分との競い合いです。
他者が介在する余地なんてなく、そんなヒマなことやってる場合じゃありません。

新人賞というのも同じ。
一次選考という目の細かいフィルターが、二次・三次と進むにつれてフィルターの目が荒くなっていく。要するに”世間のフィルター”に近づいていきます。
ラノベはあんまり聞きませんが、一般文芸だと『該当作なし』というのも珍しくありませんよね。
該当作なしというのは「残念! 今回はジャガイモがいなかった。どいつもこいつも小豆ばっか」ということです。

同時に、賞レースに引っかからずともフィルターに引っかかるというのもありますね。
『なんかコイツ、小ぶりだけどフィルターに引っかかる』パターン。
小さくつるんと丸くまとまっているのではなく、小ぶりでもウニみたいにトゲが引っかかって、すんなりとフィルターを通り抜けない。
ウニに限らず、ナマコでも、イカでも良いんですが、とにかく他者とは明確に異なる形状、個性を持っているとジャガイモほどのサイズがなくとも目にとまるものです。

これと似ていますが【プロの作家も最初は下手だった】というのは、下手は下手なりに『いずれ世に出る』という可能性でしょう。
最も大きく左右されるのはセンス。
センスについては、当人の職種とは異なる部分で磨かれていくものです。
デザイナーが他人のやったデザインでセンスを磨くなんてことをやっているうちは、間違いなく三流の作品しか作れません。
まったく違う業種に親しみ磨くのがセンスです。

出版社からすれば、デビューさせる時点で最低限「読むことができる」というレベルに持って行く必要があるでしょうし、そのレベルに達していないうちは書き直しがあるでしょう。
技術的なことは回数をこなせば誰だって身につきますから、その時点で著者本人にすれば『全くの最初』ではないはず。
デビュー作=全く最初の作品、というのは読者の錯誤だと思いますよ。

最後になりますが、ここからは全くの余談。
ちょっと関係する話ですのであえて書きますが、クリエイターが同業種他者の素晴らしい作品を観て『悔しい!』って思うのは普通です。
これが競争でないというのは、悔しいと思う全て自分の内側に向かってくるからです。他者との比較じゃないんですね。

こういう職種は、たぶん結構あると思いますよ。
例えば、飲食店だって『よその店と比較して、うちの店はどうか?』なんて熱心に追求しても仕方ないでしょ?
少なくとも私はそんな店より、他店との比較ではなく、自店が提供できる料理を美味しくすることを熱心に追求する店を信用しますし、行きたいです。

競争、比較というものに思考が向いてしまうのは、有り体にいえば学校教育の副作用かと思います。
高校までの学校教育、教育機関によっては大学も含めて、優れたプロレタリアートを作り上げるシステムにもなっていますから仕方ありません。
これは決して悪いことじゃありません。
多くの親御さんの人生での価値観が、安定した大きな会社という、俗にいう一流企業で賃金労働者階級になること、あわよくば役員になってくれればですから、教育システムもそれに併せられています。
枝葉を除いてひとことでいえば”競争社会”ですから、大義名分として『みんな平等』という価値観が加えられていますが、実質は学校教育そのものが競争です。
代表格が100点満点から減点方式での評価という、実にプロレタリアート的な手法ですね。

一方でクリエイティブ系の評価の本質は、0点からの加点方式です。
要するに200点でも300点でもありえるが、しかしマイナス加点もありえます。
プロレタリアートにとって下手すれば邪魔になりかねない、他者とは異なる唯一無二の売りどころこそが生き残る手段です。
学校教育で培った思考のベクトルからして変化させるほうが、余計な雑音が減り、真摯に向き合えるのではないかと思います。
ではでは執筆頑張ってください。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 「創作は競争ではない」はどこまでが真実でどこからが嘘なんですか?

この書き込みに返信する >>

元記事:小説+αを読んでも何も思わない

あれだけ分析する(前スレ)といって、ここには質問しづらかったのですけれど……とても。大したものではないと受け止められがちであり、リアルでもネットでも回答がもらえなかったため、ここに質問させていただきました。
気恥ずかしいです。

娯楽作品を鑑賞しても何も思わず、悩んでいます。
小説を読んで感想が思い浮かばないので、能動的に訴える媒体である映画を途中まで鑑賞しましたが、これでも感想が思いつきませんでした。

別に気にしなくてもいいと仰る方もいるかもしれませんが、作品を素通りしてエッセンスを得られないというのは、わりと重大な悩みだったりします。

その映画のレビューでは色んな感想がのっていました。ですが私には、物語でこのシーン良いな!とか、このシーンはないな…とか、そんな感情がありません。
雑念に囚われてるとか、頭では他のことを考えているとか、集中できてないというべきなのでしょうか?
特に映画そのものよりもあらすじやレビューを見たときのほうが面白そうに感じました。噛み砕いている表現だから?

この状態から脱するにはどうすればよいのでしょうか?
ご回答よろしくお願いします。繰り返すようですが、かなり恥ずかしいです。

上記の回答(小説+αを読んでも何も思わないの返信)

投稿者 あざらし : 1 投稿日時:

初めに。
丁寧な語句を選ぶより、口語口調を用いた方が書きやすいご質問でしたのでざっくばらんに書かせて頂きます。
わさびさんへの敬意を欠く意図はありませんのでご了承を。

正直ピンポイントでわからない。
原因として考えられることが多すぎるので、まず3つ。
1)分析より以前、良好な作品を楽しんで観る
2)判断を急がない
3)終着駅を考慮に入れる

細かく書く前にひとつだけ。
『レビューやあらすじを読む。』これは映画を観た後のことですよね?
もしも観る前に読んでいるなら、感動を薄めるだけですから、まずはそれを辞めましょう。レビューは映画を観た後で楽しめばよろしい。
元来こういったことは好き好きの話しですが、映画から何らかのエッセンスを求めるなら邪魔になっている公算が高い。
レビューもあらすじも他者のフィルター、しかも多くは個人のフィルターを通したものです。
他者の目ではなく、わさびさんの心で観て、感情を動かしてください。

世の中の映画を全て観るのは絶対に不可能ですから、どこかで他人のフィルターに頼ることにはなりますが「どの映画を観るか?」ということを決めかねてレビューやあらすじを読んでいるなら、世界三大映画祭のベネチア・カンヌ・ベルリン。
加えてアメリカで上映がされる映画に絞ったアカデミー賞。
いずれも歴史がありますから、これだけで数百本の映画がありますし、賞ですから多人数のフィルターです。
アカデミーは商業色も強いのでちょっと首をかしげることもありますが、それでも悪い映画にあたることはありません。
一応書きますが、ここらの賞を受賞する映画は娯楽映画です。感覚的な話しなので人によって異なりますが、娯楽映画から抜け出すのはテオ・アンゲロプロス監督あたりが第一歩。
好事家の類いになりますが、あえてクソ映画を観たいときはゴールデンラズベリー賞が参考になります。最低映画も、これまた楽しいものです。
あ、ちなみに映画は受動的だと思います。

では本編。細かく書きます。
『娯楽作品を鑑賞しても何も思わず』ということですので、感情を動かす、解りやすく感動に絞っていきます。
1)
そもそも良い映画・面白い映画を観ている?
これが真っ先に浮かんだ疑問です。
映画って『観てるときは最高に面白いけど、あとはなーんも残らん』ってのもありますし、『見終わってからが本番』というスルメみたいな映画もありますよね。
見終わったらなにも残らない映画、これはこれで良いのですが『どうあがいても時間と金の無駄』ってのもあります。
とはいえ人それぞれ、それこそ金返せ映画だって楽しみ方はあるんですが、心が動きようないのに感動出来ないのも当たり前。
まずはそこから。心が動くだろう映画を観てください。※後述します!

それと『映画を途中まで鑑賞しましたが』とありますが、これも原因になりえる。
映画はですね、基本的に映画館で商売しようとして造られています。
オンデマンドだとかブルーレイ、TV放送ってのも金が入りますがベースは映画館です。
映画館の初動興行収入がいまいちなのに後のヒットなんてのは、少ないながら実際にありますがプロデューサーなりがそれを目標として造れるのではなく、結果的に、の話しです。
要するに映画館ってのは、お金を払って入場するので物語の盛り上げ方が色々できるんです。極端には途中で退場する人がかなーり少ない。
小説や漫画とは違った手法でスポットライトを集中させることができます。
例えば【マイケル・チミノ監督:ディアハンター】(予告・・・あえて観ない方が良いと思います。ネタバレゼロで造るのも難しい内容。予告制作者の苦労が忍ばれます)
間違いなくいえますが、わさびさんの映画の鑑賞方法では絶対に感動しっこなく、それどころか面白くもない。
冒頭30分ほど下手すれば『退屈』という人もいますが、映画を最後まで見終わると超一級の名作を観たという感想に化けます。(私というフィルターだけでなく、おおよそ世間の評価も同様だと思います)
同時に退屈と受け取られかねない冒頭30分が非常に愛おしく、物語で瓦全と光り輝く意味を持ち、青春映画という顔も併せ持つようになります。

続いて2)
あらすじやレビューを読んでしまうという点からも感じましたが、ちょっとせっかちなんでしょうか?
物知りだろうと年寄りだろうと、世の中は既知で構成されているわけではなく、知らないことの方が多いのが普通で、感動のタイプもそれに所以されるケースがあります。

同様に大きな疑問ですが【吸血鬼カーミラ】というタイトルまで浮かんでいるのに、読んでいないという点。
『映画は観た』という意味かな? と考えたのですが、そこで1)の疑問が同時発生しました。(決して悪い映画だとは言いませんが、もうちょっと、ねえ)

せっかく興味が湧き【J・S・レ・ファニュ著:吸血鬼カーミラ】の雰囲気がお好きなら、是非読んでみてください。短編なのですぐ読めます。
『これは同性愛か微妙な線があるので』とのことですが、著者のファニュ氏は吸血鬼に性別はない、という前提で書いてます。人間から見れば同性愛でも吸血鬼にとってはそうじゃないというのもミソ。
要するに『同性愛』という結論を急いだために、好きになるかも知れないものを自分で遠ざけちゃってるんですよ。
こういった具合に自身の中で結論をつけ、せっかく感情が動くだろう出来事に積極的に蓋をしているような感じも受けました。

吸血鬼ものに興味が持てるなら【フランシス・フォード・コッポラ監督:ドラキュラ(原題Bram Stoker's Dracula)1992年】をどうぞ。
原題でおわかりの通りブラムストーカーの小説が原作です。
これ以前にもドラキュラは小説のネタとして数多くありますが、今日的な吸血鬼イメージの元ですね。
ヒロインのウィノナライダーは演技よりも、当時年齢が最高に合致していたのと絶妙なカメラワーク、そしてメイクアップ、なによりも監督のおかげでしょう。
『そりゃドラキュラに狙われるわな』という完璧なヒロイン、ミナを見ることができます。
少なくとも私にとってドラキュラ映画の最高峰です。おすすめ。
(予告 http://y2u.be/fgFPIh5mvNc)

さて。
1)と似ていますが、結構ありそうなのが3)です。
”好みの話し”とも近いですが、わさびさんにとって映画鑑賞は楽しみだけではなく訓練や勉強の意味がありますよね。
ならば好き嫌いは一回おいて良い映画を観てください。

ここで関係するのが映画の種類です。(ジャンルじゃありません、種類)
感動する物語って、映画では大きく2種類あります。
『読解能力が不要でボケーっとしてても大丈夫』
『観客が読解能力を発揮させるのが前提の造り』

決して”良い・悪い”ではありませんよ。
ただ、より大衆向けの位置づけなのは読解能力不要な作品。
映画で大ヒットする作品は、圧倒的にこちらが多いです。

感動に絞ってますので、それに沿いますが『耳に優しい言葉を発し、感極まって涙を流し、ここぞとばかり音楽で盛り上げる』
カメラも演出も全てが”誰にでも解りやすく”感動という地盤を盛り上げて噴火を目指すという造り方。
日本のテレビドラマも大半がこっち。大衆向けってのはリテラシー不要で誰にでも観られるということでもあります。
同時に、日本のドラマがつまらん、という声が囁かれて久しいですが、これが大きな原因のひとつ。解りやすさのやりすぎ。
映画でいえば、お手本がタイタニック。

一方で読解能力が必要な作品は『感動は、あくまで観ている人の心の中で発生させる』タイプ。
こっちは役者に演技が求められ、ストーリーラインがより重視されます。

ちょっと伝わりにくかったかも知れませんが、読解力が必要になる映画を観られることをお勧めします。
理由は簡単。
読解力が必要な映画を観ることができる人は、どっちのタイプも解る、分析しようと思えばできるから。
慣れれば映画の極序盤で終着駅(読解力が必要とされるか?)程度はわかるはず。
『いま観ている映画はどっち?』
この判読ができることが、まずは分析の土台に必須ではないかと思います。

最後に何本かアニメを。
【宮崎駿監督:風立ちぬ】
【片渕須直監督:この世界の片隅に】
ここ10年以内の劇場アニメ映画で大傑作。(という、個人的フィルター)
なおかつ読解力が前提になっています。(つまり読解力といっても、そう難しくないということが理解頂けるはず。当家の娘、小学生でもOKです)
ちなみに一般的な覚えもよさそうな10年以内の他作品、かつ一定レベル以上の作品をあげると、
【細田守監督:おおかみこどもの雨と雪】読解力不要。そう狙ってる。
【新海誠監督:君の名は。】ほとんど読解力いりません。監督の計算が光る。
【外崎春雄監督:鬼滅の刃 無限列車編】読解力ふよー。

なにも思わない、ということでしたので感動に絞りましたが、『なにか思うだろ?』という映画をまずは観てください。
それでもダメなら、また話しが変わってきます。
ではでは執筆頑張ってください。

カテゴリー : その他 スレッド: 小説+αを読んでも何も思わない

この書き込みに返信する >>

元記事:小説+αを読んでも何も思わないの返信

初めに。
丁寧な語句を選ぶより、口語口調を用いた方が書きやすいご質問でしたのでざっくばらんに書かせて頂きます。
わさびさんへの敬意を欠く意図はありませんのでご了承を。

正直ピンポイントでわからない。
原因として考えられることが多すぎるので、まず3つ。
1)分析より以前、良好な作品を楽しんで観る
2)判断を急がない
3)終着駅を考慮に入れる

細かく書く前にひとつだけ。
『レビューやあらすじを読む。』これは映画を観た後のことですよね?
もしも観る前に読んでいるなら、感動を薄めるだけですから、まずはそれを辞めましょう。レビューは映画を観た後で楽しめばよろしい。
元来こういったことは好き好きの話しですが、映画から何らかのエッセンスを求めるなら邪魔になっている公算が高い。
レビューもあらすじも他者のフィルター、しかも多くは個人のフィルターを通したものです。
他者の目ではなく、わさびさんの心で観て、感情を動かしてください。

世の中の映画を全て観るのは絶対に不可能ですから、どこかで他人のフィルターに頼ることにはなりますが「どの映画を観るか?」ということを決めかねてレビューやあらすじを読んでいるなら、世界三大映画祭のベネチア・カンヌ・ベルリン。
加えてアメリカで上映がされる映画に絞ったアカデミー賞。
いずれも歴史がありますから、これだけで数百本の映画がありますし、賞ですから多人数のフィルターです。
アカデミーは商業色も強いのでちょっと首をかしげることもありますが、それでも悪い映画にあたることはありません。
一応書きますが、ここらの賞を受賞する映画は娯楽映画です。感覚的な話しなので人によって異なりますが、娯楽映画から抜け出すのはテオ・アンゲロプロス監督あたりが第一歩。
好事家の類いになりますが、あえてクソ映画を観たいときはゴールデンラズベリー賞が参考になります。最低映画も、これまた楽しいものです。
あ、ちなみに映画は受動的だと思います。

では本編。細かく書きます。
『娯楽作品を鑑賞しても何も思わず』ということですので、感情を動かす、解りやすく感動に絞っていきます。
1)
そもそも良い映画・面白い映画を観ている?
これが真っ先に浮かんだ疑問です。
映画って『観てるときは最高に面白いけど、あとはなーんも残らん』ってのもありますし、『見終わってからが本番』というスルメみたいな映画もありますよね。
見終わったらなにも残らない映画、これはこれで良いのですが『どうあがいても時間と金の無駄』ってのもあります。
とはいえ人それぞれ、それこそ金返せ映画だって楽しみ方はあるんですが、心が動きようないのに感動出来ないのも当たり前。
まずはそこから。心が動くだろう映画を観てください。※後述します!

それと『映画を途中まで鑑賞しましたが』とありますが、これも原因になりえる。
映画はですね、基本的に映画館で商売しようとして造られています。
オンデマンドだとかブルーレイ、TV放送ってのも金が入りますがベースは映画館です。
映画館の初動興行収入がいまいちなのに後のヒットなんてのは、少ないながら実際にありますがプロデューサーなりがそれを目標として造れるのではなく、結果的に、の話しです。
要するに映画館ってのは、お金を払って入場するので物語の盛り上げ方が色々できるんです。極端には途中で退場する人がかなーり少ない。
小説や漫画とは違った手法でスポットライトを集中させることができます。
例えば【マイケル・チミノ監督:ディアハンター】(予告・・・あえて観ない方が良いと思います。ネタバレゼロで造るのも難しい内容。予告制作者の苦労が忍ばれます)
間違いなくいえますが、わさびさんの映画の鑑賞方法では絶対に感動しっこなく、それどころか面白くもない。
冒頭30分ほど下手すれば『退屈』という人もいますが、映画を最後まで見終わると超一級の名作を観たという感想に化けます。(私というフィルターだけでなく、おおよそ世間の評価も同様だと思います)
同時に退屈と受け取られかねない冒頭30分が非常に愛おしく、物語で瓦全と光り輝く意味を持ち、青春映画という顔も併せ持つようになります。

続いて2)
あらすじやレビューを読んでしまうという点からも感じましたが、ちょっとせっかちなんでしょうか?
物知りだろうと年寄りだろうと、世の中は既知で構成されているわけではなく、知らないことの方が多いのが普通で、感動のタイプもそれに所以されるケースがあります。

同様に大きな疑問ですが【吸血鬼カーミラ】というタイトルまで浮かんでいるのに、読んでいないという点。
『映画は観た』という意味かな? と考えたのですが、そこで1)の疑問が同時発生しました。(決して悪い映画だとは言いませんが、もうちょっと、ねえ)

せっかく興味が湧き【J・S・レ・ファニュ著:吸血鬼カーミラ】の雰囲気がお好きなら、是非読んでみてください。短編なのですぐ読めます。
『これは同性愛か微妙な線があるので』とのことですが、著者のファニュ氏は吸血鬼に性別はない、という前提で書いてます。人間から見れば同性愛でも吸血鬼にとってはそうじゃないというのもミソ。
要するに『同性愛』という結論を急いだために、好きになるかも知れないものを自分で遠ざけちゃってるんですよ。
こういった具合に自身の中で結論をつけ、せっかく感情が動くだろう出来事に積極的に蓋をしているような感じも受けました。

吸血鬼ものに興味が持てるなら【フランシス・フォード・コッポラ監督:ドラキュラ(原題Bram Stoker's Dracula)1992年】をどうぞ。
原題でおわかりの通りブラムストーカーの小説が原作です。
これ以前にもドラキュラは小説のネタとして数多くありますが、今日的な吸血鬼イメージの元ですね。
ヒロインのウィノナライダーは演技よりも、当時年齢が最高に合致していたのと絶妙なカメラワーク、そしてメイクアップ、なによりも監督のおかげでしょう。
『そりゃドラキュラに狙われるわな』という完璧なヒロイン、ミナを見ることができます。
少なくとも私にとってドラキュラ映画の最高峰です。おすすめ。
(予告 http://y2u.be/fgFPIh5mvNc)

さて。
1)と似ていますが、結構ありそうなのが3)です。
”好みの話し”とも近いですが、わさびさんにとって映画鑑賞は楽しみだけではなく訓練や勉強の意味がありますよね。
ならば好き嫌いは一回おいて良い映画を観てください。

ここで関係するのが映画の種類です。(ジャンルじゃありません、種類)
感動する物語って、映画では大きく2種類あります。
『読解能力が不要でボケーっとしてても大丈夫』
『観客が読解能力を発揮させるのが前提の造り』

決して”良い・悪い”ではありませんよ。
ただ、より大衆向けの位置づけなのは読解能力不要な作品。
映画で大ヒットする作品は、圧倒的にこちらが多いです。

感動に絞ってますので、それに沿いますが『耳に優しい言葉を発し、感極まって涙を流し、ここぞとばかり音楽で盛り上げる』
カメラも演出も全てが”誰にでも解りやすく”感動という地盤を盛り上げて噴火を目指すという造り方。
日本のテレビドラマも大半がこっち。大衆向けってのはリテラシー不要で誰にでも観られるということでもあります。
同時に、日本のドラマがつまらん、という声が囁かれて久しいですが、これが大きな原因のひとつ。解りやすさのやりすぎ。
映画でいえば、お手本がタイタニック。

一方で読解能力が必要な作品は『感動は、あくまで観ている人の心の中で発生させる』タイプ。
こっちは役者に演技が求められ、ストーリーラインがより重視されます。

ちょっと伝わりにくかったかも知れませんが、読解力が必要になる映画を観られることをお勧めします。
理由は簡単。
読解力が必要な映画を観ることができる人は、どっちのタイプも解る、分析しようと思えばできるから。
慣れれば映画の極序盤で終着駅(読解力が必要とされるか?)程度はわかるはず。
『いま観ている映画はどっち?』
この判読ができることが、まずは分析の土台に必須ではないかと思います。

最後に何本かアニメを。
【宮崎駿監督:風立ちぬ】
【片渕須直監督:この世界の片隅に】
ここ10年以内の劇場アニメ映画で大傑作。(という、個人的フィルター)
なおかつ読解力が前提になっています。(つまり読解力といっても、そう難しくないということが理解頂けるはず。当家の娘、小学生でもOKです)
ちなみに一般的な覚えもよさそうな10年以内の他作品、かつ一定レベル以上の作品をあげると、
【細田守監督:おおかみこどもの雨と雪】読解力不要。そう狙ってる。
【新海誠監督:君の名は。】ほとんど読解力いりません。監督の計算が光る。
【外崎春雄監督:鬼滅の刃 無限列車編】読解力ふよー。

なにも思わない、ということでしたので感動に絞りましたが、『なにか思うだろ?』という映画をまずは観てください。
それでもダメなら、また話しが変わってきます。
ではでは執筆頑張ってください。

上記の回答(小説+αを読んでも何も思わないの返信の返信)

投稿者 あざらし : 0 投稿日時:

失礼。
映画ドラキュラのリンク間違ってましたので、張り直し。
http://y2u.be/fgFPIh5mvNc

カテゴリー : その他 スレッド: 小説+αを読んでも何も思わない

この書き込みに返信する >>

現在までに合計109件の投稿があります。 5件づつ表示中。現在全22ページ中の19ページ目。

ランダムにスレッドを表示

頭脳戦や駆け引きや政戦を描くための勉強

投稿者 どんごる 回答数 : 6

投稿日時:

かっこいい駆け引きや心理戦を書けるようになりたいです。 ゲームでの心理戦とか、商人同士や政治家同士や国同士の駆け引きを上手に書くコ... 続きを読む >>

少女敵キャラの扱い

投稿者 腐れ卍坊主 回答数 : 2

投稿日時:

ラノベを読んでいると、敵を殺す主人公が多いですが、男だけで少女は殺していないですよね。むしろ仲間になって一緒に戦っていますよね。 ... 続きを読む >>

東京・大阪宅配風俗💖

投稿者 夢色館 回答数 : 0

投稿日時:

東京・大阪宅配風俗💖19~35歳日本人女性、素人感たっぷり・彼女感満載!全コース対応、AV女優も在籍。 料金30,000~100,... 続きを読む >>

ランダムに回答を表示

元記事:罪を犯した主人公の結末について

 仲間に裏切られてやさぐれた主人公が何の罪もない少女を八つ当たりで殺してしまい、そしてその少女がヒロインの妹だったという話なのですが、裏切り者への復讐を終わらせた後に主人公をヒロインに殺させるのがいいかそれともヒロインが許すのがいいか悩んでます。

上記の回答(罪を犯した主人公の結末についての返信)

投稿者 にわとり : 2

 最終的にどっちを選ぶかよりも、その決断に至るまでの過程が重要なんじゃないかなと思いました。どうなるかわからないサスペンス感を演出することがたぶん大事。
 質問だけだと殺す動機しかなさそうな印象を受けてしまいますが、殺したい気持ちと釣り合うくらい許してあげたい気持ちがあるわけですよね、ヒロインには。究極の悩みでしょうこれ。殺したい、でも殺せない。許したい、でも許せない。次に主人公と顔を合わせたら、殺してしまうんだろうか、許してしまうんだろうか、一生許せないまま殺さず生かしておくのだろうか、それとも彼を許しながら殺してしまうのだろうか。多分ヒロイン自身にもわからない。主人公に殺された妹の無垢な笑顔が、幼い頃からの思い出の数々が脳裏にちらつく。妹が死ぬ瞬間を想像する。辛かっただろう、苦しかっただろう、怖かっただろう。私は助けてやれなかった。一生消えない後悔。罪悪感。手を下したのは彼だ。やったのは彼だ。八つ当たりで殺したのだ。何の罪もない少女を。他ならぬ私の妹を。これは殺すべきではないのか? 仇を討つべきではないのか? 彼がもうすぐ帰ってくる。千載一遇のチャンス。いま彼を殺せなかったら、きっともう一生機会は巡ってこない。今しかない。やるのか? 私にやれるのか? しかしその一方でまた別の情景が彼女の瞼の裏を掠める。主人公の、頼りがいのある大きな背中。あの背中にいつも私をかばってくれた、裏切り者の悪意から私を遠ざけてくれた。安心して身を預けることのできる、優しい、あたたかい彼の背中。彼に何度救われたことだろう、助けられたことだろう。彼もまた、私に救われた、助けられたと言ってくれたことがある。彼は私に心を許しているのだ。私だけに心を許しているのだ。そんな彼を殺そうだなんて、これは裏切りじゃないのか。彼に対する裏切りじゃないのか。彼はああ見えて、とても繊細なのだ。ガラス細工のように脆いところがある。本当は、私が守ってあげないといけないのだ。この世のあらゆる裏切りから。守ってあげないと。彼の笑顔にはいつもどこか陰があるのだ。背中はどこかいつも寂しそうなのだ。何か大きな、重いものを一人で抱え込んでいるのだ。ほんの時たま、まるで雨に濡れた子犬のような、かなしい目をするのだ。そして、それを知っているのは私だけなのだ。だというのに、私が彼を守ってあげないといけないというのに。私が彼を殺してしまったら、私はあの裏切り者と一緒になってしまうだろう。彼がいま命をかけた復讐を終わらせたばかりの、あの裏切り者と。そんな裏切り者に成り果てた私自身を、私は許せるだろうか。否、否、そんなはずがない。私は一生後悔し続けるだろう、罪悪感に囚われ続けるだろう。心から幸福や安らぎを感じることが生涯できなくなるだろう。真っ黒なかなしみが、過去、現在、未来の私を刺し貫くだろう。それでもやるのか? 私にやれるのか? 妹の笑顔と、彼のかなしい目が交互にフラッシュバックする。神様、神様、私はなぜこんな責め苦を受けなければいけないのですか! 私は、私はどうすればいい……?
 ……みたいな。いや、あなたの作品のヒロインと主人公の設定は知らないですけど。そういうキャラの感情の揺れを、丁寧に、先を読ませないように描くのが重要なんじゃないですかね。主人公は殺されてしまうのか、それとも許されるのか? 宙吊りの緊張感。これぞサスペンス。読者がちゃんとヒロインに感情移入してくれたら、最終的に殺しても殺さなくても許しても許さなくても納得してくれると思いますよ。そんだけ悩んだ結果なら(自分なら違う判断をしたかもしれないけど作品として)ヒロインの決断を尊重しよう、みたいな感じで。
 すくなくとも大した葛藤もなしに簡単に許すor殺してしまったらつまらないですよ。これだけは間違いない。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 罪を犯した主人公の結末について

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

元記事:書く技量を上げる方法について

 皆さんは物語を「書く」技量をどのように上げていらっしゃいますか?

 今のところ私は、「これで勝負するんだ」という作品構想があります。ですがプロローグを書いた時点で書く技量が足りていない事が発覚。一度書く技量を上げるための訓練をすることにしました。そこで他の作者の皆さんはどんな風に技量を上げているのか気になった次第です。
 ちなみに私としては「失踪前提、もしくは短編完結予定で3〜10万字前後の作品を多数書く」のが一番の方法かなと思っています。他の方法があればぜひ教えてください。

◆念の為、技量不足だと判断した理由を挙げておきます。

 1.内面描写や情景描写力の不足

 もともと架空戦記畑の人間で人というよりは機械に入れ込む書き方をしていたので 、人間の内面描写とか情景描写力が圧倒的に足りていなかったです。(これは前に立てたスレッドでも言われました)
 描けたとしてもそのバランスだとか入れるタイミングだとかが不安なので、一度技量を上げるための訓練が必要かなと判断しました。

 2. 情報の詰め込みすぎ

 こちらは単純に技量不足です。情報を一度に提示してしまうきらいがある上に自分で読み返していても気づけないので、一度本格的に手を付けないとなあと前々から思っていました。
 前に立てたスレッドでも「情報の詰め込みすぎ、てんこもり」についてはかなりの人達から指摘されたので、いよいよ本格的に手を入れないと、と判断し今に至ります。

 3.その他

 小説家になろう(正確には「小説を読もう」ですが)の読者がどんな風な文体を好むのかだとか、どんなジャンルを好むのかなどの情報を仕入れる必要もあるかな、と思ったのも一つの要因です。勝負をかける作品がジャンルの点で若干不利(いわゆる「なろうテンプレ」以外)かなと思うので、その点をうまく補うため、なろう読者が好きなものに「偽装」する技量も欲しいですし。(今のところは「追放系」風に偽装しようかなと思っています。)

他にも何かご意見などがありましたら、コメントしていただけると幸いです。

上記の回答(書く技量を上げる方法についての返信)

投稿者 読むせん : 2

あー・・・・自分のんは、セリフ情報の詰め方がテトリス並みに端的で完璧すぎるのんが難かも。

読み返さんとあかんかもやけど、前読んだときは地の分は、わりと緩やかなんやけど、セリフが情報ガンガン。
やけど、伝達必要要項を完璧に整えた『美しい』伝達になっていて、的確過ぎて逆にまごまごしてしもたんよね。

なんか救急医療の現場みたいなスピーディーさがあるから、逆に「プロフェッショナルの世界だからパンピーには理解不能★」ってノリで読み飛ばしてしまう感じはあったな。

もっと一般人間って下等やし、阿呆で大変ってことを認識したほうが良いし、的確過ぎる情報は、「ポキ達、アホには、むじゅかしすぎて、わかんにゃ~い(゚∀゚)アヒャ」となってしまう絶望の現実を大事にしたほうが良いかな?
ーーーーーーーーーー
正直、必要伝達事項の的確さは美点だとは思うから、何かしら生かしてほしい。
ただし、その的確さは追放に値するくらいには扱いにくいとも思う。

なんか、切れすぎて切りたくないものや保管ケースまで切れちゃう厄介な刃物って感じ。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 書く技量を上げる方法について

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

元記事:『プロローグ相談』の人口が少ないのでこちらで相談させてください、第二弾。

 大野です。お久しぶりです。
 以前から相談していたロボットモノの再構成版・プロローグの相談です。
 用語とかは結構似通ってるんですけど、設定は色々変えました。作品としては『ポストアポカリプス世界での日常』みたいな感じですかね。『明るくて未来を信じられる感じの「人類は衰退しました」』を目指したい作品です。

以下、企画概要。

・舞台は魔術文明が栄えた後、次第に『生活に必要ない技術』を封印して行ったあとに大規模な戦争で『技術全部』を開封した挙句、両軍が壊滅するまで戦争したファンタジー異世界。その戦争の中心地で荒野となった『空白地帯』のとある難民キャンプ。戦後十年ってところ。

・主人公は戦時中の基地跡を盗掘してきて、売り払う仕事の十五歳の少女。同業者が街に何人もいて、彼らが拾ってきた素材をリメイクすることで、難民キャンプは徐々に復興してきている。

・世界観/設定や主人公の拾ってくるモノの中に、色々な謎を詰め込むんだけど主人公たちが謎解きをするわけでもなく、大半は『匂わせる程度』。ストーリーの基本は盗掘屋同士の人間関係だったり、『町』の軍人たちの回想だったり、行き違いで戦闘になったことをきっかけにする事件の解決だったりを繰り返す、あくまで日常。大規模な事件は起こらない。

・やりたいこと『ロボットアクションしつつ、SFっぽい世界で重い過去を持つ者同士に明るい人間関係を築かせる』

こんな感じの企画です。
形式としては短編連作になるかなと思っています。
以下、プロローグ。

大きな戦争が終わった。十年ほど前の話である。
 かつて魔法文明によって三千年の栄耀栄華を誇った大陸統一国家、パルム帝国を二分する内戦――俗に『壊滅戦争』なんて呼ばれるそれは大陸の中央に大規模な空白地帯を生み出した挙句、両軍の実に七割以上という損害を出して終結した。
 十五年にもわたって行われたその戦争の中で、両軍はかつて封印したはずの『兵器』としての魔道技術を持ち出してまだ争い、殺し合った。
 その残骸は、今なお数多くが空白地帯の荒野に埋まっている。

「今日はこんな所かなーッと!」
 ガサゴソと、巨大ロボットーーGG(ギア・ゴゥラム)と呼ばれる戦時中の二十メートル級人型魔導兵器を操縦しながら少女が声をあげる。
 彼女の名前はライカ。十五を少し超えたばかりの少女だが、学校なんて贅沢な物もない上、この空白地帯(ワイルドランド)では少なくない孤児とあって、もはやすでに一人前の仕事人である。
「このあたりの基地跡も漁りつくしたしなァ……。そろそろ狩場を変えるか……」
 ぶつくさ言いながらも操縦桿を動かし、GGにひもで結わえ付けた荷台にそこらから拾った鉄くずを投げ込んでいく。
「ケーッ! GGの一台、銃の一丁もないでやんの。しけてやがる」
 ぶつくさ言うと、彼女は機体のスラスタを吹かし基地跡を飛び出す。
 とは言ったって、ここ三カ月近くに渡って彼女が盗掘に来ていたのだから、残り物が無くても仕方ない。
「いじゃ、今までお世話になりました、ッと」
 軽く会釈するようにGGの上体を曲げる。もともと小規模な基地だったらしいとは言え、春先からこっちひたすら掘り起こし続けてきたお陰で、基地の基礎や外壁のコンクリぐらいしか残り物はない。
 貯水タンクや、基地内の食堂まで盗掘したライカに探し漏らしはなかった。
「にしても、ここの基地は稼げたよなァ……」
 この規模の基地にしては、という条件付きであるが。比較的状態のいいGGが三機に、指揮官室に残されていた徽章などの貴金属類、更にはまだ使える整備用の道具など。
 色々なものが残されていたお陰で、この三カ月食いつないでこれたのだ。戦って散ったものが居るというなら哀悼の一つも示すが、それ以上に『飯のタネ』としての感謝がでか
い。
「しっかし、どこもかしこも惨澹としちゃって……。ま、生まれた時からだけど」
 戦争が激しくなったころに生まれ、物心つく頃には空白地帯の難民キャンプにいたライカにとってはこの光景こそ日常である。『惨澹とした』なんて言えるのは義理の親である酒場のおばちゃんに読んでもらった絵本のお陰だ。
 よく見ると、地面のあちこちに民家の跡や畑があったであろう微かな灌漑の溝・破片だけになった木材が散らばっている。すでにその跡すら消えかかっているところが、戦争の規模を物語っているとも言えよう。
「……ハァ。明日から、どうしよ」
 いくらか貯えがあるとはいえ、半年もあれば使い切る。その前に次の『狩場』を見つけねばなるまい。ため息をついたところで、生まれ故郷の『町』が見えてきてライカはアクセルをもう一段踏み込む。

「ただーいまー!」
 『町』に着くなり、彼女が愛機を飛ばして向かうのは彼女が北側から見て裏手の大広場。昔軍で働いていたという数名の査定担当が、拾ってきた鉄くずを買い取ってくれるところがあるのだ。
「おっちゃん! 今日も査定を頼めるかい!」
 自分用のスペースとして決められたところにGGと荷台を止めるとコックピットを開いて声を張る。
「おいおい、また盗みかい?」
 叫びを聞きつけて寄ってきた男をGGのマニピュレータで掬い上げて荷台の上に乗せるとトホホと表情を崩された。
 彼の名はトーマス。ライカが最も世話になっている、そして『町』一番の博識の査定屋にして、顔役の一人でもある。ちなみに年のころは三十とちょっと、『オッサン』と呼ばれるのが地味に辛かったりする。
「『盗み』って言い方は良くないぜ、おっちゃん。『盗掘』であっても『盗賊』じゃねぇ。それがアタシのポリシーだ!」
 山と積まれた鉄くずの傍で胸を張って少女は言うが。
「『盗掘』だって盗みだよ……」
 まったくその通りである。
「とはいえ、お前(まい)さんがたが居るからこの町は成り立っているんだけどね。どれ、荷台を見せてみな?」
 『町』なんて呼んじゃあいるが、ここもかつての難民キャンプの一つ。
 それが『町』と呼べる規模にまでなっているのは、屑鉄を回収・分別して分配し、建物を建てたり、生活に必要な道具に作り替えるシステムのお陰である。故にこそ、この町における『盗掘屋』は無くてはならない存在であった。
 ここが激戦区跡に近いということもあって、この街の復興は『空白地帯』全体でも屈指のモノであった。それでもまだまだ裕福には程遠いが。
「ありゃ、正真正銘の鉄くずばっかじゃないか! 魔道具の一つもありやしない!」
 査定、と言ってもかなりの量の鉄くずである。ライカにもわかるような金目のものは湧けて持ってくるにしろ、そうでなければ今回のようにまとめて持ってきて『魔道具を選別する魔道具』で探し出すのがいつものやり様であった。
「あのライカちゃんも不調かい?」
 割合勘が良いライカはこの町の盗掘屋の中でも屈指の稼ぎを誇っていたが、ここ数日は大したものを持ってこない。そのことに不信を感じてトーマスは尋ねる。
「いやいや、ここのところ世話になっていた『狩場』が引き揚げ時でね。屑鉄ごっそりかき集めてきただけだよ」
 それなら確かに納得がいく、頷いてからトーマスはもう一つ質問をつなげた。
「なるほど、ちなみに次のアテは?」
「アタシのことバカにしてんだろ、それを教えちゃ食っていけないよ」
 万が一にも手癖の悪い他の盗掘屋に聞きつけられれば、横取りされてしまうかもしれない。着けて来るヤツに多少分けてやるのは構わないが、まとめて持っていかれちゃ敵わないのである。
「言う割に、俺のことは信頼してくれてるみたいだけど?」
 今だって現に愛機と自分の取り分を全部預けているのだ。GG操縦がうまかったり、多少戦闘の心得こそあるがライカは少女でトーマスは元正規軍人。強引に奪い取ろうと思えばできるだろう。
「アタシだって、大概のヤツは信用しているさ。どっちみち今の時代、ズルして儲けたってたかが知れてるしな」
 世界全体が戦争によって疲弊して、貧乏なのだ。
 大金があっても使い道はなく、盗賊に狙われるだけ。それならば皆で協力した方がいいし、他が協力している中で一人だけズルをしたって、周りから袋叩きに合うだけだ。それがこの町の、何よりライカ自身の気風だった。
「微妙に男前な性格、相変わらずだねぇ……」
「『先取りされちゃあ敵わない』なんて言ってる時点で、アタシも十分女々しいよ」
 言った頃合いで、トーマスの査定が終わる。
「今日の料金渡すから、中心街までついてきて!」
 町の顔役、ということもあって中心街に大きな事務所を持つ彼は、そこで査定料金を渡すことにしている。歩く分手間だとしても、お金を盗まれないようにやむを得ないことなのだ。
「ちょいと待ってな。今コクピットにロック掛けていくから」
 言うと、コクピットの魔道式ロックを閉じ、上からさらに南京錠をガチャリとかける。
 魔道式ロック自体、数年前にトーマスがライカ専用に設定してくれたものなので他人には開けられないが、『念には念を』と言う奴である。
「とりあえず今晩は、掘り尽くし祝いに盛大に食うかな!」
 呑気なことを呟きつつ、ライカはトーマスを追って駆け出した。

上記の回答(『プロローグ相談』の人口が少ないのでこちらで相談させてください、第二弾。の返信)

投稿者 あまくさ : 2

文章も企画も、しっかりしているという意味では平均点は高いと思います。しかし、ラノベとしてはどうかということと、売りが有るかなどを考えると、物足りないかもしれないと感じました。
そこについては、読むせんさんのコメントの方が端的に分かりやすいですね。失礼して引用します。

>「あ、これは面白い奴!」というノリ

そうそう。そういうのをツカミと言うわけです。それは弱いかもしれません。

全体に地の文が説明っぽいです。
冒頭の背景説明は、あれはあれでどういう話なのか端的にわかるので、個人的には必ずしもダメではないような気もするのですが。しかし消極的に「必ずしもダメではない」ではなく、積極的に魅力を追求した方が公募などでは有利なんじゃないかなあ。

冒頭だけではなく、後の地の文も説明っぽいっです。例えば、

>巨大ロボットーーGG(ギア・ゴゥラム)と呼ばれる戦時中の二十メートル級人型魔導兵器

「と呼ばれる」と書いてしまうと、明らかに説明ですよね?
一人称ではなく三人称なのですが、そうであってもこういう小説の地の文には臨場感がほしいです。この世界の中の人間にとってはGGはGGであって、「と呼ばれる」なんていちいち思いも言いもしないはずです。じゃあ、誰が説明してるの?と考えると、作者が説明してるんじゃんとなってしまうんですね。読者としては、作者に説明されていると感じると興がそがれてしまうものです。

>パルム帝国を二分する内戦――俗に『壊滅戦争』なんて呼ばれるそれは

固めの文章の中にときどき「なんて」などのくだけた言葉をまぜていますが、ちょっと浮いている感じです。こういうのは上手くやれば読み味がなだらかになって効果的な場合もありますが、こなれていないと気になります。急にタメ口が飛び出したという感じ。地の文のタメ口も作者が読者に語りかけている印象を与えます。
ただ、いわゆる三人称一視点の場合は、地の文に視点人物の心の動きを織り込むのが上手い書き手もいるんですね。そのへんがすっと自然に読めるように書かれていれば、一人称風の三人称という高等技術になるわけですが難易度は高めかもしれません。御作は神視点寄りの三人称だと思うので、それにタメ口を入れるのは避けた方が無難かなと。

それと、読ませていただいた部分だけでは、「何か面白いことが起こりそうだ」という予感が弱いようです。状況そのものは面白そうなのですが、何か起こりそうという期待感はあまり感じられませんでした。

三幕構成の提唱者のシド・フィールドが、

◎キャラクターが銀行から出てくるシーンで、歩いて出てくるのか走って出てくるのかでまったく違うストーリーになる。

と書いています。銀行から駆け出して来るやつがいたら、それだけで何かやばいことが起こっている感じがしますよね?

私からはこれくらいです。ご健闘を祈ります。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 『プロローグ相談』の人口が少ないのでこちらで相談させてください、第二弾。

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

トップページへ

▼書き込みの検索

▼投稿者の検索

質問、相談をする!
コメントは4500文字以内。
返信通知設定(必要なければ外してください)

「私はロボットではありません」にチェックを入れてください。

ページの先頭へ

小説の書き方Q&A:創作相談掲示板の使い方・利用規約(必ずお読みください)。お問い合わせ