おにぎりさんの質問 2014年04月15日
よく作者が描きたいように描いてるものを「作者のオナニー」と言う人がいますが、そんなに自分の描きたいように描くことはいけないんですか? どうしたら自分を貫き通すことができますか?
●答え●
「作者のオナニー」と言われるのは、作者が描きたいように描いた物ではありません。
作者の自己満足で終わってて、読者にとってさっぱり面白くない物を「作者のオナニー」と言うのです。
自分の描きたいように描けば良いんですよ。
でも、それを他人に見せる時に面白さを伝えきれなければ酷評されて当たり前。
自分を貫き通したければ、自分の描きたいものを他人にとっても面白く描く能力を磨いて下さい。
言われたら言われたで仕方がありませんよ。意地悪く言っているだけかもしれませんが、本当にそう思ってしまった人が発言している可能性もありますからね。
感性は人それぞれですから、伝わり方、伝わった内容の差が出てしまうのは当然の事です。次の作品、もしくは続編でそう言われぬように努力するしかありません。
自分の思うように文章を綴る。
ただ、それが伝わらなければ意味はなく、オナニー(自己満足)で終わるという事を忘れずにいればいいのではないかと思います。
どんな作品でも批判されるんですから。
……ただ、自己満足だけの作品を仕上げる作家さんが実際に存在しているだろう事も事実かと。その場合、オナニーだと批判する人がいる状態こそ、正常だと思います。
(ファンの方の目にはおそらく、その面が映らないでしょうから)
わざわざお金を払ってでも見たい、わざわざ時間をさく価値がある、と思わせれば作者の自己満足だって立派な商売です
ただ、ショーにする以上は演出や内容にはこだわりますよね。
競合する相手ばいれば自然と比較されるところですから。
やりたいようにやってるだけで何が起きてるかわからない、とかじゃ客は遠退くでしょう。
作品のウリになる部分と、作者のこだわりたい部分は別、だと思います。
もちろん一致してることもありますけどね。
「描きたいように描く」は間違いだ。正しくは「読みたいものを描く」だッッッ!
描きたいように描いたら、作者は楽な方に楽な方に流れていくだろうッッ
言われてから考えればいいです。
では、料理に例えてみよう。
作りたいように作った料理。
別にここは何の問題も無い。
しかしそこに『食べた人に喜んでもらいたい』という思いを込めるならば、目指すべき条件がある。
いわずもがな、それが美味しい、というたった一つの条件だ。
おいしい物を作ろうとするとき、何を気にしなければいけないか。
好き勝手闇雲に作って、それでおいしい物ができるかどうか。
だから、何を作るか、レシピはどうするか。
そういう指針や作法は必要だと思われる。
何にせよ、読む人のことを考えないで書いたものは、好かれない。
街に飲食店はたくさんあるだろう。
そこに新しく店を開こうとした時、その競争の中に何を投じればお客の目を引き、安定した売り上げを掴むことができるか。
商売として小説をかくつもりであるなら、このあたりは考えなければならないことです。
その中でうまく自分らしさを埋め込んでいければ、至高のものが生まれるのではないでしょうか?
おにぎりさんの勘違いです。
「作者が描きたいように描いているもの」ではなく、
「作者が描きたいようにだけ描いているもの」が作者のオナニーなのです。
従って、自分の描きたいように描くことはいけないことではありません。むしろ、よいことです。
自分を貫き通すには、読み手のことも考えながら、自分の描きたいように描けば良いだけです。
読者が求めているのは結果です。
100円のコーヒーで満足する人もいれば、1000円のコーヒーでも物足りなく感じる人もいます。
考えるだけ無駄です。意地ははらずに、ただ作者が書きたい作品を作っていかれればいいかと思います。
どれだけ読者のことを考えて書いたとしても、そのように言われることがあります。
オナニーと言われるにはきちんとした理由があり。
多くの場合で、テーマからブレたものであったり、時代にあわせることを意識せずに書いた時です。
しかしこれは作者の上達なくして、どこに問題があるのかを気づくことはできません。
(殺人犯が主人公とか、強姦魔が主人公とか、作品そのものに問題がある場合は別です)
今は実力をつける時期だと割り切って、地道に続けていくことをオススメします。
言われた事のあるトータスです。
アレは実にイヤですね。嫌味に満ちていて。それでも貫いたり凹んでしまったり・・・
書きたいから書いてるんだから、気にしたら駄目ですね。
でも、とっても気になってしまいがちで難しいのですが・・・
貫きたいのであれば、耳と目を閉ざす事。
言われる前に描き切ってしまう事。
公表する前に完結させ、後は予約投稿なりで自動更新がベストかな?
私は出来ませんけど。
ともあれ、私に書けるモノが全くの的外れなのは自覚していますが、それはソレ、これはコレ、そんな事を言う奴の言う事は気にしない事にしたい。気になりますけどね。
まぁ、それでも受け付ける人には受けている模様。
受け付けない方は、子供嫌いな方なのかと想像中・・・
かつては自分も子供だったろうにと思うのですが、そんな自分は存在しないと思いたいのかもしれませんね。
なので、私は私の自己満足として、元気一杯、幸せ一杯な子供主人公を描かせて貰ったり。
ちょっとやそっとの不幸であってもそれを苦としない強さを描きたい。
それはかつての自分の夢であり、そう在りたいと思いし子供の頃の夢を託すといった自己満足ですね。
なので、そう言われても仕方が無いが、想定外だからとそんな事を言う方もそれはそれで自己満足なのかと考えてみたり。
それを公言する事の意味としては、そんな自分がカッコイイといった自己満足かとも。
なので私は描きたい様に書き、己が満足出来るよう精進し、それも良いと言って貰える相手に支えて貰っています。
文句を言う人よりは、そちらの方が少しだけですが多いので、励みにさせて頂いています。
長くなって申し訳ないが、私の意見としてはこんな感じかと。
書きたいものを書いて、それが他人にとって面白いものになっていれば大丈夫です。
アンチはともかく、大多数の読者は面白ければそれでいいと言ってくれます。
だから書きたいものを書いて、他人に読んでもらって面白いと言わせましょう。
ダメならその作品は、まだオナニーの域を脱していない駄作ということです。