らもさんからの質問 2011年6月30日
電撃代表作の一つ、時雨沢先生の「キノの旅」(2000年7月刊行)。
純粋な疑問なのですが、なぜあの作品はアニメ化するほど人気が出たのでしょうか。
今までにない新感覚ノベル、という宣伝文句がついていますが、ライトノベルで連作短編は珍しい、というだけのように感じます。
文章技術もライトノベルとしては平均的なもの、内容もとりわけ新鮮とは思えません。名言といわれるセリフも、どうも子供向けのように感じてしまいます。
皆さまはどのようにお考えでしょうか?
よろしくお願い致します。
※キノの旅を批判しているわけではありません。
純文学をやってきた者なのですが、売れるラノベについて、いまいち理解が出来ないので、質問させていただきました。
なぜ売れるのか、そこだけをお聞きしたいと思っています。
●答え●
文章についてのみですが、作者さんご本人が「極力難しい言葉を使わないよう気を付けて書いている」そうですよ。
難しい言葉も使える人があえて易しい言葉を選んで書いているため、誰にでも読みやすい文章になっているのではないでしょうか。
難しいことを易しく説明できる人こそ本当に賢いとよく言いますから。
ああいう形態には人気が出るのだろう。
実際、事の発端は、「星の王子様」だった。
これはベストセラーだろ?
んで、お次は「銀河鉄道999」。
これまたベストセラー。アニメ化もされ、何回も再放送された。
キノの旅は、いわば現代版星の王子様。
そりゃ売れるわな。
後、矛盾をはらんだ言い回しや、叙情的な文が俺は好きだね。
おっと、ちなみに作者も上記二作からアイディアを頂いたと言っていたな。ソースは忘れた。
●補足 逢雄さんの意見
ソースは十三巻のあとがきですね。
例のあとがきで、インタビュー形式になってます。
今だからこそそう見えるだけで、当時(2000年)としてはそれなりに新鮮だったのではないでしょうか。
異世界ファンタジーもののブームが下火になり、電撃文庫もブラックロッドやブギーポップの出現で様々なジャンルの可能性が見えてきた頃でしょうし……
今のライトノベルにありがちなバトルものの(おそらく)元祖であろう『シャナ系』が見え始める以前の、2000年に発売された作品として見れば、十分新鮮な感動をもって迎えられたとしても不思議は無かったと思います。
もっとも、5~6巻くらいで既にマンネリが始まってたような気がしなくもないですけど。
裏を返せば、当たり外れの激しいライトノベルの中でも、シリーズとしての安定感があるということで。
>名言といわれるセリフも、どうも子供向けのように感じてしまいます。
ライトノベルですからそれで正解なんじゃないですかね。
正確に何故売れているのかは、おそらく誰にも分からないでしょう。
売れる方程式なんてモノは誰も知りません。
誰も知らないから、大賞受賞作品が全然売れないなんてことも起こります。
しかしそれでは答えにならないので、私の個人的な考えですが以下。
1、短編なので読むのが楽。
2、読者がどきっとするような結末(アイデア)がある。
3、現代の社会通念を皮肉っているので、中二病に受けやすい。
4、主人公の設定がいい。とくに、どの国に行っても必要以上に関わらない冷静なところが、今までのラノベ主人公にない。
5、次々と新しい物語が味わえるので、飽きない。
な所でしょうか。
純文からの人には分かりづらいかもしれません。
とくに、
>文章技術もライトノベルとしては平均的なもの、内容もとりわけ新鮮とは思えません。
名言といわれるセリフも、どうも子供向けのように感じてしまいます。
と感じてしまうのはやはり貴方が純文畑の人だからと思います。
ライトノベルは大衆文学の中でもさらに中高生をターゲットにした文学です。
なので、『中高生にわかりやすい』文章でないと困ります。
純文のように美しい日本語を湯水のごとく使う文学に馴れていると、かなり稚拙に感じられると思います。
しかし、ライトノベルは上記の理由により、文章力に重点が置かれていないのです。
普段中高生が聞いたこともない言葉で文章を飾り立てられても、「これどういう意味だ?」になってしまうわけです。
こう言ってはなんですが、ライトノベルの楽しさを分からない人にライトノベルは書けないと思います。
かなり閉鎖的な世界ですから。
純文が好きな方がライトノベルを好きになるのは難しいのではないでしょうか。
もちろん絶対ではないと思いますが。
はじめまして、ハイです。図書館でキノの旅を読んで以来ファンです。
私は逆にどの年代の人間でも読めそうだから、と結論を出しました。
ライトノベルが好きだ! な世代でなくても楽しめるし、ライトノベルが好きな世代も楽しめそうで、一つの話だけにこだわらないから新鮮味がずっと続く感じです。
そしてそこに、バクマンで言うところのシリアスな笑いも盛り込まれている……売れないはずがないと感じました。
(もちろんほかにも理由はありますが)
ラノベ層の半数はキノの旅が好きで、半数が嫌い。
で、好きな層のさらに半分は買うであろう、って感じですかね。
(この計算になんの根拠もないです)
あと、ライトノベルでああいう話をやっていく、ってのはかなり新鮮だと思いますよ。まあ、なくもないですけど。
みなさま、回答有難うございました。
結局、ライトノベルだったから……ということのようですね。
確かに、若い人たちの舞い上がりそうな内容ですもんね。
●関連コメント 通りすがりさんの意見
「何やら難しそうなこと解っちゃう俺カッケー」な厨二病患者の琴線にどんぴしゃだったからでしょう?
まあ、ぶっちゃけそうですが…。
結局、ライトノベルだったから…というのは肯定も否定もできませんね。ラノベじゃなくても売れてたかもしれないし、売れなかったかもしれない…そんなIFストーリーを妄想しても意味ないと思いますし。
しかし、一つだけ。
読者(若者限らず)を舞い上がらせるのが作家の仕事だと思います。
舞い上がらせたもん勝ちです。
こんにちは、底辺 従助です。
そんなのもちろん、冷酷無慈悲でS気質の超強くて中性的なロリ可愛い短髪ボーイッシュ娘のガンマン振りに萌えた紳士達が買い占めたからに決(ry
駄文失礼しました。
あの雰囲気そのものが、初期の読者を掴んだし、いまだにリピーターがいる。
内容・風景描写・キャラ立ちなど一つ一つなら技術的に上の作品はいっぱいあると思う。
でも、「キノの旅」を読むことでしか感じられない独特の空気はやっぱりある。
そんな風にまん◎ん様は思うわけだが、らも様はどう思う?
研究所にUPされていたので、どれどれと皆様の意見を拝読しましたところ、どうにも自分と見解が違っている方が多数おられたような気がしましたので返信させていただきます。
自分が「キノの旅」を買い始めた理由として最も大きな理由としては、「常識を覆された」というところにありました。
正しいと思っていたこと、当たり前だと思っていたこと。
それらが実は正しくなかったり、実はとんでもなく常識外れなことだったり、実はこういう裏付け(歴史的事実)があったから現在のような状況に現実はなったのだと。
学校でも日常でも、相当深く足を突っ込まない限りは考えもしなかったし、疑わなかったであろうことを教えてくれた教科書。それが「キノの旅」でした。
中二病の方にどんぴしゃだということも正論ではあると思いますが、それよりも何よりも「過去(歴史的意味)を疎かにさせ」ず、且つ「どんな物事も少し違った視点から見る必要があるということを教えてくれる教科書」だったからこそ自分はこの作品を買い始めました。
その若者にとって「新しい境地とも思える視点」をくれるからこそ、「キノの旅」はここまで人気作品となったのではないでしょうか。
また、玄太郎さんの仰られるように「短編だから読むのが楽」ということもあるでしょう。
あと、「一貫したテーマが全話にある」ということも評価される点だと思います。
キノは同じ国に三日以上は絶対に留まりませんし、また自分の命が最優先なのでそれを守るためなら他人の命を奪うことも厭わない。また、巻き込まれた場合を除いてキノは留まった国やその国の人に大きな影響を与えない。
これが他のラノベと大きく違う点だと思います。
そしてこれを書き手として読んでみると、とてつもない力量を作者の時雨沢恵一先生が持たれていることが判ります。
大抵のラノベでは何をするにしても、一つのテーマを長編で書く。
つまり、同じものをずーっと書き続けているということでもあります。
批判をするわけではありませんが、恋愛小説や長編の推理小説、アクションファンタジー小説などその良い例かと。
しかし「キノの旅」は違う。「キノの旅」は、一貫したテーマ……言い換えれば主人公たちの思想こそあれど、毎回毎回物語のテーマが違います。
ポンポンとどんどん違うテーマを出して、且つ読者にとって非常に親切な書き方をしている。そしてそれを短編という短い枚数の中に収めている。我々アマチュアならばどこかで崩れそうなそういう書き方を、時雨沢先生は全く芯がぶれることなく書いて魅せる。
「プロなのだから当然」だという反論は、先生の場合受け付けられません。
当然のことを当然のようにやれる人ほど珍しい人はいない、と自分は考えます。
らもさんは純文学畑の人だそうなので、そういう方からしてみれば確かに仰られる通り「キノの旅」は特別珍しい点はない面白みのない作品でしょう。
ですが、やっと小説を読む面白さが判ってきたばかりの子供や若者たち。彼ら、彼女らにとってはどうでしょうか?
子供向けで良いのです。誰だって最初は子供なのだから。
寧ろ無礼を承知で申し上げますが、「子供向けのように感じる」という理由だけで「人気が出るのは不思議」という考え方の方が自分にとっては子供の考え方のように思えます。
子供向けなら子供の間で人気は出ますし、大人向けなら大人の間で人気は出ます。
それは比べられるものではないと思いますし、また比べてはいけないものだと自分は考えています。
人気が出る理由はたった一つ、「面白い」と思った人が多くいたから。
それだけあり、それ以上でもそれ以下でもないかと。これは全てのことに言えることだと思います。
長々と書いてしまいましたが、最後に一つ。西井さんの言葉を引用させてもらって。
「読者(若者限らず)を舞い上がらせるのが作家の仕事」という意見には大賛成です。ラノベとか純文学とかそういうこととは関係なしに、これも全てのことに言えます。
「観客を舞い上がらせるのがスポーツ選手の仕事」と言い換えることも出来ますからね。
それでは、本当に長々と失礼しました。
はじめまして、マヨラーです。
ライトノベルと純文学を同列に語るから行けないのです、純文学に求められるのは美しい文体に彩られた珠玉の物語です。
対してライトノベルに求められるのは珠玉の名作でも、美しい文体でも無く、娯楽性だと思います。
キノの旅は娯楽性に優れていたから受け入れられた、私はそう感じます。
ひとつは、文章が読みやすいという点。
これでまず、若者を捉えます。
そして、「キノの旅」は寓話であるということ。
童話と同様に、何か感じること、あるいは学ぶ事があります。
そして、そういったモノは、セリフの端々に隠されています。
この不思議感が、読者を魅了しているのではないでしょうか。
キノの旅がなぜ売れるのか。
まず、私が最近みつけた文章をひとつ引用させてください。
【そんな私が、今ごろになって、古典が大事と痛感するようになったのは、どうしてなのか。それは、いつからか日本にすっかり定着した「わかりやすさ」ブームと関連している。わかりやすいという基準や価値観が支配的である世間へのささやかな反抗である。 古典というのは、だいたいわかりにくいものだ。わかりにくければ、すべてが古典になるというのでは無論無いが、すぐにすべてが理解できる古典など、ないように思う。単純明快な理解を拒絶する、多様さや複雑さを内包するエネルギーをたたえている作品だからこそ、古典になるのだ】『岩波文庫編集部編 読書のすすめ 玄田有史 「本読まず」による古典のススメ p22より』
キノの旅に限らず、ライトノベルはわかりやすさをひとつの商品価値にしています。
玄田有史はわかりやすいという基準や価値観は支配的である、と述べています。また消費者を支配するわかりやすさは大きな消費のπを示しています。
また、ライトノベルという枠組みの中での、キノの旅という作品の性質も売れることに関係しているでしょう。
芥川龍之介の『羅生門』をご存知でしょうか。飢餓から死体を漁る老婆の価値観に下人が触れ、下人自身も価値観を大きく変えてしまう。芥川龍之介の代表作のひとつです。
ここで注目したいのは羅生門は今昔物語集のひとつを下敷きにしているということです。
玄田有史の言葉を借りれば、古典には単純明快な理解を拒絶する、多様さや複雑さを内包するエネルギーがあります。
芥川龍之介の羅生門は見事に古典の多様さや複雑さを内包した純文学作品となっています。
実はキノの旅と羅生門の物語構成は似ています。
キャラクターは観察者に過ぎず、誰かの価値観を眺めることがひとつの役割となっています。
そして観察の後、キャラクターはその異なる価値観に触れ、なんらかの結末を導き出します。
価値観の本質、と言ってもそこはライトノベルなので、多様性はなくわかりやすさを重視した本質の一面と言ってしまったほうが良いでしょう。
しかし古典的形式を世襲しているキノの旅はライトノベルのわかりやすさを持ちながら価値観の本質に触れることに成功しています。だから多くの読者の琴線に触れることが出来たのでしょう。
確かに、最近のライトノベルは子供や大きなお友達から小銭を巻き上げるだけのようなインチキみたいな作品が目につきます。
しかし、それもまた正しいのです。商業誌なんですから。
けれど、ライトノベルの中にも古典を世襲したちゃんとした作品もあります。
それを知っておいたほうが、なんとなく気持よく小説を書いていけると思います。
昔から続けられてるのは凄い。
最近は、読者一定化が目立つ。
それでも、うん、なかなかの売れ行き。
絵描きさんも凄いと思う。
これからも、読む。
純文学。
文章技術。
子供向け。
そういった、他と比較しつつ自身の信じるものこそが崇高である、もしくは高尚であるという、つまらない思い上がりをバッサリと皮肉たっぷりにネタにしているのが痛快でもあり、人の哀れを感じさせるところでしょうか。
ううむ、質問者の方には申し訳ないが、「馬鹿にするな」と怒りたい気分です な。
>ライトノベルで連作短編は珍しいだけ
まずここに反論させて頂くが、この作品の魅力はそんな所では無い。
勿論短編 だから読みやすいという点はある。
>どうも子供向けのように感じてしまいます。
その通り。私、そして上にある何人かの回答者の方の推測が間違ってなければ、この作品は「どの年代の読者も読みやすく」作られている。平易な表現や新鮮味のない描写、それは作者の狙いである。
「ライトノベルとし ては平均」と質問者は仰ったが、ライトノベルの平均とは何だろうか?
目新しく、奇異な表現や描写を用いる作品が最近のライトノベルの平 均だとすれば、それは間違ってはいない。むしろ、「ライトノベルとしては失格」というレベルのものであろう。
つまり、そこまで「ライトノベルを読まない読者」の為に筆者は工夫しているのだと私は考えている。
質問者は純文学をやってきたと仰っているが、どうもそれには疑問を感じる。
つまり、「それは嘘だろう」と。
難解な表現や巧みな言葉の言い回しを重ねた純文学(私はそう捉えている)を読んだあなたなら、この小説の表現は新しいと感じることこそ無いものの「分かりやすい」と真っ先に感じるだろう。
純文学をやってきた者、ライトノベルを読み込んできた者、あるいは本をあまり読んだことが無い者、それら全ての者がこの作品に対して感じるのは「読みやすさ」だと私は思っている。それが筆者が最も力を入れた点であろうし、現にほとんどの読者にそう伝わっているからだ。
さて、長くなったが最後の質問に答えよう。
なぜ売れるのか
面白いからだ。この作品が、物語が、お話が。しかしそれではふざけているようだからもっと言うと、「文章が読みやすく、話が分かりやすく、多くの読者に作品の面白さが伝わりやすい」からだ。
これより面白い話の作品はもちろんあるだろう。
しかし、これほど万人に面白さが伝わりやすい作品は無い。だから、売れているのだ。
早く続編が読みたい。この世界観が大好き。登場人物が大好き。料理に例えると「美味しい」ではなく「どうしても食べたい」と感じさせる。狂わす程の魅力がないとダメ。
どんなに、私はXXXのフルコースを作れるシェフです。
と言ったところで、どんな豪華な料理も、ファンの層ではファーストフードと呼ばれる名店には敵わないのです。
年に1回ペースの新刊発行日を数ヶ月も前から心待ちにしています。
もう中毒患者です。
実にバカバカしい質問だと私は思う。
わかりにくいかもしれないし、失礼になってしまうかもしれませんが、米よりパンが好きな日本人に、なぜパンを食べるのかと聞いているのと同じような意味にとれてしまうのは、私だけでしょうか。
純文学が好きなあなたからしたら、キノの旅を始めとするライトノベルは低俗に思えるかもしれません。
しかし、ほかの方々も挙げているように、ライトノベルとは元々ジュナイブルやヤングアダルトと呼ばれる『若者向け』が徐々に変化していったものであり、まだ文章を読むことに慣れていない若者にとって『わかりやすい』ことが大前提になっています。
『わかりやすい』そして『面白い』この二つの要素が揃えば、ライトノベルはバカ売れすることがあります。さらに言うならば、児童向けの文庫からも、少しだけ手を加えられて出版されています。
つまりはどんな世代にも愛される本として、最初のうちからそれなりに有名だったものが、徐々に徐々に浸透していったのだと思います。
要約すると、この本を馬鹿にできるような感性を持った奴は、別に読まなくてもよくねーかってことですね。
元々読書は、趣味なのですから。
読みたい本を読むことが、読書の本来の意味なのですから。
あなたが純文学が大好きならば、それだけを読んでいても別に構わないと私は思います。
むしろ、有名になったからとちょっと読んでみただけで、魅力もなにも理解できないでこんなアホ臭い質問をすることに驚きです。
もう一つ解釈の仕方?としては
寓話はなぜ売れるのかと言っているようなものだと私は思います。
ほかの方も挙げているとおり、キノの旅には寓話的な雰囲気とかがあります。
最近の萌え系とかより、ずっと万人に理解されやすいのです。
よって、萌えが嫌いな人々でも読めて、好きになる人が居て、ベストセラーと呼ばれるまでになったと考えられます。
読んでいて面白ければそれでいいのです。
「ヘンゼルとグレーテル」や「シンデレラ」等の単純なストーリーも、はじめて読んだ時には新鮮で楽しかったのではないですか。
上記の童話は本によっては文章技術も何も無いようなシンプルな書き方をされていますが、子供は、そして場合によっては大人でも、楽しむことが出来ます。
歴史ある童話とライトノベルを同列視するわけではありませんが、新鮮でなくても文章技術が無くても、面白い文章を書くことはでき、面白い文章なら売れるのです。