タイトル通り、設定確認をお願いしたいです。十二月二十四日に投稿しようと決めている小説の設定を確認して頂きたいです。
世界には感情の消えてしまった人が沢山居る。主人公もその1人。喜び、笑いの無くなった主人公は感情を届ける「感屋さん」に出会う。主人公は友人のバイトで遊べなくなっていた。そんな主人公が感屋で働く物語。消える感情は一つとは限らず、すべて消えてしまう者もいる。精神的苦痛から感情が消去されていく。感情は少しづつ消えていく。最初はその感情を出しにくい所からで、最後は完全に忘れてしまう。消えた感情にあったプレゼントをすることで消えた感情は戻ってくる。例えば、笑えなくなった人になにかものすごく笑ってしまうものを届けるだとか。感情を失くしたものの中にはすごく危険なものもいる。
こんな感じです。どうでしょうか。是非感想教えてください。
カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 設定確認お願いしたいです。
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こんばんはー。
主人公が魅力が無いと言われました。
あと、各キャラクターごとにもっと、
話し方にクセなどを入れて会話を分かりやすくした方がいいと言われました。
ギャグのセンスは、あると言われましたが
もっと広げないともったいないとも言われました。
ここに張り付けています。
https://ncode.syosetu.com/n8184eu/
主人公に魅力をだすには、何をすれば良いですか?学校の部活での物語です。
端的に言って、キャラに魅力がないのは読者がキャラを理解できてないからです。
とても有名な漫画のキャラだとしても、何も知らない人に漫画の一コマだけ見せても、そのキャラに魅力があるかどうかなんてわからない。
そのキャラを理解していくうちに、魅力がわかってくる。つまり魅力が出てくる。
読者が理解しようと勤めれば、どんなキャラだって少なからず魅力は出てきます。
では作者側から出来ることは何かと言えば、そのキャラを理解しやすくすること、理解を助ける展開を用意すること、押し出したい部分を強調すること。そのくらいです。
漫画でもアニメでも、ドジっ子なキャラは現実では有り得ないくらいにドジな面を見せますよね。
学校で人気の女子にはファンクラブがあったり親衛隊がいたり――なんてのは今や古い表現かもしれないが。
こういう極端で過剰な表現は、そのキャラがどういうキャラなのかを理解してもらうためのキャラ表現なわけです。
対して御作は、普通に起きて普通に登校して、20kmなんて大したことないと言ってる。それだけです。
何も魅力が出てない。同じ展開でもアニメや漫画なら絵的な表現で魅力を出していけると思うが。
例えば主人公は張り切ってスピードを出し、友人は「ペースを考えなさいよ!」と愚痴りつつ離されてしまい、フェラーリで担任と合う場面で追いつき、学校に着く頃には主人公はケロッとしてるけど友人は息を切らして「あんたがペースを乱すから、普段なら20kmくらい大したことないのに」なんて再び愚痴ったり。
これはただの例なので適当ですが、こうすると、「主人公は体力がすごい」ということと「歩調を合わせないマイペースな主人公」ということと「主人公に振り回される友人」ということと「主人公はケロッとしてるが20kmは普通は友人のように疲れる」ということが理解できます。
このように理解しやすい構成にすると読者はキャラを理解してくれるので魅力が出やすくなります。
魅力関係でよく言われるのが「会話をすること」ですが、会話をするというのは言葉のキャッチボール、つまり言葉をキャッチしてそれを投げ返すという応酬があってこそ魅力が出るので、他愛ない世間話をしてるだけでは魅力は出ません。
先の例を続けると、「ペースを考えろ」「普段ならこれくらい大したことないのに」と友人が言うことで、マイペースな主人公ということがわかります。
これが例えば「ちょっと待ってよー」とか「さすが主人公ね」なんてセリフだったら、マイペースなのではなく主人公が凄いんだという表現になるので、印象が変わるし、出てくる魅力も変わります。
当然、他愛ない世間話のような会話だったら魅力は出ない、ということになります。
単純に「会話をさせればいい」という話ではないということですね。
また、これは持論に近いですが、
「魅力を出す」というのはそのキャラが持ってる魅力を引き出すという事で、「話し方に癖を出す」などは「個性・特徴を出す」という事かなと思います。
個性を付けても、その個性の魅力を引き出すのは別の話かなと。
カテゴリー : キャラクター スレッド: 主人公の事とかくきゃらの話し方
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先日、三人称一元視点についてとある作者様と話していました。
しかし作者様には理解がしがたい説明になってしまったらしく、作者様を混乱させてしまったような気がします。
良い機会なのでみなさんの意見を聞いて、偏っているところがあるなら、自分の認識を改めたいなと思い、スレを立てさせていただきました。
前提としてその作品は、
・作者は三人称一元視点だと思って書いている。
・しかし、読者からは作品は視点ブレが多いと指摘されている。
・少なくとも、シーンが切り替わると、前のキャラとは別のキャラクターに焦点があたり、そのキャラのことを描いてしまっていたりする。結果的に複数の視点から作品を構成してしまっている。
・描写も、三人称よりで、一人称のようではない。
と私は思っています。
で、私が認識している三人称一元視点というのは、
・カメラ位置としては、視点主がハンディカメラを持っているような視点になる。
・少し主人公と離れた位置から三人称を用いて主人公が知りえない状況、知らないことも書けたりする。
・しかし基本的には一人称と同じ表現にする。
というものでした。
相手方の三人称一元視点の主張は、
・地の文に語り部キャラクターの主観が入っていない。(作者の主観は入りうる)
・カメラは視点主のそばにいる。基本的には視点主の立ち位置から撮影し続けて、たまに視点主の内部に潜って心の声を録音し、また離れる……そんなイメージ。
→これは、たぶん「三人称一元視点」をググると最初に出てくるサイトからそのままコピペしてきたやつだと思うんですが、まあ、大体合っているのだと思います。
主観、というのは、思い込みは書けない、ということなのかなと思います。
嘘は書けない、みたいな?
でも、主人公はこう思っている……というのは書けそうな気もしますが。
また、カメラ位置はいわゆるゲゲゲの鬼太郎の目玉おやじである、ということでしょう。
でも、この考え方って落とし穴がある気がするんですよね。
主人公とは別の存在なので、心情がいわば吾輩は猫であるの猫の視点から主人公を描くみたいな認識になりますよね。
そうすると実質視点主とは別キャラクターの思考が存在することになります。
これは読者からすればとても混乱するような気が、私はしました。
気がするだけで、確信はないので、みなさんに突っ込んでもらおうかなと思った次第です。
例えば、主人公がなにか食べ物を食べたとき、
「まずそうに食べた」という描写は、三人称ならありですが、一人称だとかなり違和感がある表現だと私は思いました。まずそうな表情をしている、という、客観描写ですよね。
「まずいと思った」、もしくは「まずい」と言い切っちゃっていいと私は思ったんですが、たしかに目玉おやじを通して描かれているならその主人公の表情を読みとって「まずそうな表情」と書いても問題ないような気はします。
しかし、それだと三人称一元視点のメリットが薄いし、場合によっては別のキャラクターの視点から描かれる神視点だと読者は勘違いしかねないのではないか、思いました。
そこで質問です。
みなさんは三人称一元視点を書くとき、意識していることはなんでしょうか。
また、どうしたらうまく書けるようになるのか、上達方法などもあれば教えていただければ嬉しいです。
これって人称の問題とも言い難いし、視点の問題とも言い難く、もう 作者の問題だ と思う。
とりあえず私の認識としては、
一人称視点は、ゲームで言えばFPS。まあファーストパーソン・シューティングだし直訳して一人称だし。
三人称は、極論だけどゲームで言えばシミュレーションゲーム。シムシティとか。その上で「誰に焦点を合わせるか」っていう視点の問題になる。
それで三人称一元視点は、バイオハザードシリーズみたいなショルダーカメラ。初期のバイオみたいなシアターカメラもそうだけど、主人公を中心に画を撮ってる形。
ただ、この考えだと、つまりは「三人称は俯瞰で誰に焦点を合わせるかの視点の問題」と書いたけど、じゃあ一視点は「それが主人公固定になっただけ」なので、三人称と一視点の違いはソコしかないという考えになってしまう。そして私個人はそれで納得している。
だから、スレ主さんが「一人称と同じような表現」と書かれているけど、あくまで私個人としてはそれは 作者の好みでそのようにしている というだけで、手法独特の強味ではないと思う。念のため書くけども、だから一人称と同じような表現をするのは間違いだという話ではない。好みだし個性だから良いと思う。
そもそも三人称というのは、「私」というのが一人称に対して「Aさん」というのが三人称だから、つまり「Aさん」と声をかける「第三者」がいる。だから「三」人称なわけで。
ということは三人称って「第三者による筆記」ということだから、そもそもそれ以外にルールなんて無い。
対して「一人称」は「私」である以上は「私」から外れれば視点がブレてしまうから、「私」を主観とした事以外は書けないというルールが出来てしまう。そういうルールがあるわけじゃなくて、ルールが出来てしまう。
一人称にルールがあることから、三人称にもルールがあると先入観が働いて、それに合わせた三人称一元視点にはこういうルールがあると考えるのではないかなと思う。
だから、私は「三人称は俯瞰で誰かに焦点を合わせる」と「俯瞰」って書いたけど、実際は、
Aは驚いて飛び退いた。落ち着いて見てみるとソレはただの流木だったようだ。
ーー焦ったわぁ、マジ超ビビった。
危うく声が出るところだったが、Aは口の中に溢れた心の声を殺して静かに息を吐き出す。
とか、こんな感じで「主観的な人物の声」もガンガン地の文に書いてます。
ちなみにこれは普通の三人称として私が書くものです。
つまり私にとって「一人称」と「三人称」の違いは「視点主の主観であるか」「第三者による記述であるか」という違いがあるだけで、それ以外のルールや手法なんてものは無いと思ってます。
「一人称は視点主が見聞きしてること以外は書けない」というルールが有名ですが、これは別にルールではなく「そこを外したら視点主の主観ではくなるよね?」というだけなので、結果的にそういうルールがあるように見える、つまりそういうルールが出来てしまう、あるわけではない、と思ってます。
で、問題の「三人称」と「三人称一元視点」の違いはというと、上で既に書いたけど「視点を一人に固定しているかどうか」というだけだと思ってます。
基本は三人称ですし、視点主に寄せてる以上はより一人称っぽい表現に近づけようと試みるのも良い表現だと思います。けど、それは好みだと思います。
私は、寄せるところはいきなり寄せるし離すとこはいきなり離します。
でも「三人称一元視点」と言っても、長期シリーズになると幕間みたいな形で固定した視点主以外に視点が飛んだりする作品もあるし、そういった作品を否定するつもりもないので、やはり「こういうルールがある」というのは無いかなと思ってます。
本編はあくまで主人公のみに視点を固定し、途中の合間合間に、あってもなくても良い外伝か幕間か補足的なエピソードが他視点で少し書いてある、とかだと私も「三人称一元視点だ」と感じますから。
一方で、
そういう長期シリーズを読んで勘違いして「本筋」の中で物語にガッツリ関わるエピソードなのに他視点にしてたりして、それを「三人称一元視点です」と言われたら、そりゃ普通に三人称だろ、とは思います。
「一人称」と「三人称」には明確な違いがあるけど、そっから先は明確なルールはなく、作者の好みによると思います。
「三人称一元視点」についても、基本は「一人の視点主に固定する」だけど、そういうルールがあるわけじゃない。
「三人称一元視点」って言葉を個人的な感性で意訳すると「この物語を主人公を中心に三人称で語りたい」って感じだと思うから、それが表現できているのなら途中で一時的に視点が変わっても「三人称一元視点だ」と思いますし、そこを外してしまってるのなら「これは三人称一元視点には見えない」と思います。
ついでに、私はそんな考えだから、
「三人称」「一視点」「多視点」の違いは何かって質問を受けたりもするけど、基本的には「三人称を書く上で作者がどう表現したいのかって考えの違いしかない」って答えてる。
手法的には「三人称」で、「一視点」と「多視点」は三人称を書く上で視点の扱いの話になるから、そもそも「一視点」や「多視点」で手法的に三人称と何か違いがあるわけではないと思うのよね。
人称の問題と視点の問題は違うから。
だから、それらを混在して「三人称一元視点とは?」と聞かれると、もうそれは作者の考えの問題になる、と思う。
正解はないし、どっちも正しいと思う。
カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 三人称一元視点を書くコツと注意点
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