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元記事:ラノベ恋愛不要論。ラノベに恋愛要素は必要ない?

小説家になろう」から、書籍化された異世界転生系のラノベでは、恋愛要素は不要であるという論があります。

なろう系ラノベは、読者の承認欲求を満たすのが目的であり、読者の自尊感情を害するような様子は、排除すべきであると言われています。

ラノベでは主人公イコール読者であり、読者は主人公になって物語を楽しみます。

このため、ヒロインは、処女で、主人公をヨイショするめのトロフィーガールの役割が果たせれば良い。
主人公を批判したり、他の男に気を惹かれたりしてはいけいない。
というのが、ラノベ恋愛不要論の肝です。

処女というのは、ゼロ年代のラノベから必要であった要素で、昔の男と比べられると自尊感情が傷つくからです。
実際の恋愛では、女性が他の男に気を惹かれることがありますが、こういった要素は邪魔で、切り捨てなければなりません。不要なリアリティです。

ラノベは、2004年に刊行されたゼロの使い魔のヒットにより、ラブコメブームが来て、ツンデレが流行ったのですが、今は、ツンデレではなく、最初からデレている。会った直後から、好感度マックスが主流になっています。

ツンをされると、読者の自尊心が傷つく。
もしかしたら、この娘、俺のことが好きなのかも?
と考えてドキドキするより、とにかく俺を肯定してくれ。
に変化しています。

例えば、大ヒットしたオーバーロードのヒロインたちは、みんな主人公を敬愛して、最初から絶対の忠誠を誓っています。

オーバーロードの例は極端ですが、ヒロインは、読者の承認欲求を満たすためのギミックであって、主人公がちょっと親切にしたり、活躍したら、大げさに感謝して、主人公のことが大好きになる感じです。

なろう系ラノベで、ゼロの使い魔のように、ラブコメがメインで書籍化された、ヒットした作品というのは寡聞にして知らないのですが、ありますでしょうか?

また、ラノベ恋愛不要論について、ご意見などありましたら、コメントいただけるとありがたいです!

上記の回答(主人公(読者)に都合の良いヒロインは、エンタメの基本!)

投稿者 あまくさ : 0 投稿日時:

お世話になっております。

従来型のラブコメでも、結局は「主人公(読者)にとって都合のよい」ヒロインに収まっていく構造は基本なんじゃないかと。
そこに多少の変化をつける理由は、作者の気概か、直球すぎるのはすぐに飽きられるだろうという計算かは分かりません。まあ、色々でしょう。オタクだってそんなに単純じゃありませんから……と、思う(笑)
なろう系では、そのへんをあっさり省略してシンプルかつストレートに読者の欲求優先。そういうのが受けるという感じなのかな?

そういうこととして、どう思うかと聞かれるなら。
うん、別に何も意見はありませんね。制作者の方針と仕様の問題ですから。

個人的には自分が読むなら多少は手応えのあるものの方が楽しいから、書くにあたってもそういうものを書きたいとは思います。

カテゴリー : 流行分析(なろう研究) スレッド: ラノベ恋愛不要論。ラノベに恋愛要素は必要ない?

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元記事:主人公(読者)に都合の良いヒロインは、エンタメの基本!

お世話になっております。

従来型のラブコメでも、結局は「主人公(読者)にとって都合のよい」ヒロインに収まっていく構造は基本なんじゃないかと。
そこに多少の変化をつける理由は、作者の気概か、直球すぎるのはすぐに飽きられるだろうという計算かは分かりません。まあ、色々でしょう。オタクだってそんなに単純じゃありませんから……と、思う(笑)
なろう系では、そのへんをあっさり省略してシンプルかつストレートに読者の欲求優先。そういうのが受けるという感じなのかな?

そういうこととして、どう思うかと聞かれるなら。
うん、別に何も意見はありませんね。制作者の方針と仕様の問題ですから。

個人的には自分が読むなら多少は手応えのあるものの方が楽しいから、書くにあたってもそういうものを書きたいとは思います。

上記の回答(あれ?)

投稿者 あまくさ : 1 投稿日時:

「ラブコめ」という語が自動的に「恋愛物語の作り方」に変換されたようですが?
まあ、文意は通っているのでいいですけど。

カテゴリー : 流行分析(なろう研究) スレッド: ラノベ恋愛不要論。ラノベに恋愛要素は必要ない?

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元記事:生身の人間とキャラクターの違いとは? キャラクターが成長するとは? どういうこと?

すみません。かなり根本的なことを聞いてしまいますが、生身の人間とキャラクターの違いとは何でしょうか?
ご意見をいただけるとありがたいです!

以下、私の考察です。

・人間
同じ状況でほぼ同じ行動をする。
変化する。
多面的で複雑

・キャラクラー
同じ状況で必ず同じ行動をする。
不変な存在。
人間の個性の一面を切り取って、それのみを全面に押し出し極端化した存在。
特定の役割を持つ。

例えば、ドラえもんののび太は、昼寝が大好きで勉強が嫌いなキャラです。。
彼が、突然勉強に目覚め、クラスで一番の秀才になってしまったら、それはもうのび太ではありません。

しかし、現実に存在する生身の人間では、勉強が嫌いな劣等生が何かの切っ掛けで東大合格を目指して猛勉強し、東大生になる、ということは起こりえます。
キャラクターとは不変の存在であり、生身の人間とは変化する存在である、と言えると思います。

時代劇で有名な『水戸黄門』では、必ずラストに印籠を出して悪人を平伏させるというシーンがあります。
しかし、一度だけ、印籠を出さずに事件を解決してしまった回があったらしいです。その時、視聴者からテレビ局に猛クレームが来たと言います。

同じ状況で必ず同じ行動をするのが、キャラクター。印籠を出さない黄門様など、水戸黄門ではない、ということです。

キャラクターは特定の役割を持った存在でもあります。
ライバルキャラ、お色気担当キャラ、お笑い担当キャラ、解説キャラ、ラスボスなどといった名称は、キャラクターが特定の役割を果たす存在であることを示しています。

例えば、なろう系ラノベでは、ヒロインは、処女で主人公を何があっても全肯定する、トロフィーガールに徹するのが役割であると言われます。
これは、なろう系ラノベの目的が、読者の承認欲求を満たすことであり、各キャラクターは、この目的に果たすために存在するギミックだからです。

もし、なろう系ラノベでヒロインが、非処女であり、主人公以外の男を好きになったりしたら、読者の自尊心を傷つけることになるので、ヒロインの役割を果たしていない、ヒロイン不適格となります。

●キャラクターが成長するとは、どういうこと?

例えば、進撃の巨人の主人公エレンは、第二部に入ったあたりから、性格がガラリと変わり、目的のために手段を選ばないラスボスっぽいキャラクターに変化しています。

最初は、母親を殺した巨人を憎み、巨人たちを駆逐してやる! 海を見に行くんだ! と少年っぽい純粋さがありましたが、仲間の裏切りや残酷な世界の真実を知って、すっかり人格が変わってしまった印象があります。

このようにキャラクターが成長すると、深い、文学的と高評価されますが、キャラクターの原則である「変化しない」に触れるので、かなり難しいと思います。

実は、ラノベ作家さんたちの話では、「キャラクターがブレるのはストーリーが破綻するより悪いこと」だそうです。
これは漫画編集者も言っているので、真実かと思います。

キャラクターがブレるのと、キャラクターが成長するのは違うと思いますが、どう違うのか、よくわかりません。

キャラクターが成長するとはどういうことなのか?
このあたりにまだ答えは出ていないので、教えていただけるとありがたいです!

上記の回答(生身の人間とキャラクターの違いとは? キャラクターが成長するとは? どういうこと?の返信)

投稿者 あまくさ : 0 投稿日時:

まず『ドラえもん』『水戸黄門』ですが、それは物語の類型が違うんですね。
『ドラえもん』はキャラも魅力的ですが、「ひみつ道具」のアイデアを中心に作られたショート・ストーリーというのが本筋で、キャラはそれを効果的に見せるためのツールとして位置づけられているように思います。
『水戸黄門』の場合、黄門様一行はドラマ論的には実は主人公ではありません。ふらっと立ち寄って事件を解決して去っていくという狂言回し的存在で、各話の事件の当事者ではないからです。

物語にはいくつかの基本形があり、それらのうちの有力なものとして、「失われたものを取り戻す」「欠けているものを獲得する」というパターンがあるのではないかと思います。戦乱という状況で失われたものは「平和」。魔王に拐われた恋人を助けにいく物語なら、失われたものは「恋人」。主人公が引っ込み思案な自分の性格に悩んでいるのなら「勇気」が欠けているわけで、それを手に入れるストーリーは成長の物語ということになります。
肝要なのは、その何かを手に入れるために主人公が主体的に行動することだと思うんですね。それがあれば、正念場で主人公が序盤と性格が変わったような行動をとっても、キャラがブレたという印象は与えないものなんじゃないかと。
類型が違うと最初に書いた『ドラえもん』でさえ、ドラえもんが安心して未来に帰れるように、のび太がジャイアンに立ち向かっていくというエピソードがあったじゃないですか。そういう行動をとった理由と想いがきっちり読者に伝わるように描かれていれば、ご都合主義ともキャラブレとも言われないという好例です。

で、そういうことを分かりやすく読者(視聴者)に伝えるためには、キャラの基本的な性格はシンプルに固定されていた方がいいんですね。これが現実の人間だともっと複雑で、あんなにすっきりと1足す1は2みたいな行動はとりません。だから人の心理は曖昧で分かりにくく、色々誤解が生じたりするわけです。
それが、生身の人間とキャラの違いでしょう。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 生身の人間とキャラクターの違いとは? キャラクターが成長するとは? どういうこと?

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元記事:生身の人間とキャラクターの違いとは? キャラクターが成長するとは? どういうこと?の返信

まず『ドラえもん』『水戸黄門』ですが、それは物語の類型が違うんですね。
『ドラえもん』はキャラも魅力的ですが、「ひみつ道具」のアイデアを中心に作られたショート・ストーリーというのが本筋で、キャラはそれを効果的に見せるためのツールとして位置づけられているように思います。
『水戸黄門』の場合、黄門様一行はドラマ論的には実は主人公ではありません。ふらっと立ち寄って事件を解決して去っていくという狂言回し的存在で、各話の事件の当事者ではないからです。

物語にはいくつかの基本形があり、それらのうちの有力なものとして、「失われたものを取り戻す」「欠けているものを獲得する」というパターンがあるのではないかと思います。戦乱という状況で失われたものは「平和」。魔王に拐われた恋人を助けにいく物語なら、失われたものは「恋人」。主人公が引っ込み思案な自分の性格に悩んでいるのなら「勇気」が欠けているわけで、それを手に入れるストーリーは成長の物語ということになります。
肝要なのは、その何かを手に入れるために主人公が主体的に行動することだと思うんですね。それがあれば、正念場で主人公が序盤と性格が変わったような行動をとっても、キャラがブレたという印象は与えないものなんじゃないかと。
類型が違うと最初に書いた『ドラえもん』でさえ、ドラえもんが安心して未来に帰れるように、のび太がジャイアンに立ち向かっていくというエピソードがあったじゃないですか。そういう行動をとった理由と想いがきっちり読者に伝わるように描かれていれば、ご都合主義ともキャラブレとも言われないという好例です。

で、そういうことを分かりやすく読者(視聴者)に伝えるためには、キャラの基本的な性格はシンプルに固定されていた方がいいんですね。これが現実の人間だともっと複雑で、あんなにすっきりと1足す1は2みたいな行動はとりません。だから人の心理は曖昧で分かりにくく、色々誤解が生じたりするわけです。
それが、生身の人間とキャラの違いでしょう。

上記の回答(追記)

投稿者 あまくさ : 0 投稿日時:

何年か前に、純文学の研究者がラノベの分析に取り組み、それをラノベ風に書いてみたという本を読んだことがあるんですね。その中に、ラノベ読みの女の子が文庫本を読みながら目にうっすら涙を浮かべていたというくだりがありました。で、主人公は、芥川龍之介を読んで泣いている人を見たことがない、と思うんですね。印象的なエピソードでした。

人間の行動や性格を、分かりやすく加工したものがキャラクター。しかし、ややもすれば底が浅いと思われがちなそういう手法に、むしろ読者を感動させる力(カタルシスを生む力)が秘められているのかもしれません。

カテゴリー : キャラクター スレッド: 生身の人間とキャラクターの違いとは? キャラクターが成長するとは? どういうこと?

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元記事:ラノベ恋愛不要論。ラノベに恋愛要素は必要ない?

小説家になろう」から、書籍化された異世界転生系のラノベでは、恋愛要素は不要であるという論があります。

なろう系ラノベは、読者の承認欲求を満たすのが目的であり、読者の自尊感情を害するような様子は、排除すべきであると言われています。

ラノベでは主人公イコール読者であり、読者は主人公になって物語を楽しみます。

このため、ヒロインは、処女で、主人公をヨイショするめのトロフィーガールの役割が果たせれば良い。
主人公を批判したり、他の男に気を惹かれたりしてはいけいない。
というのが、ラノベ恋愛不要論の肝です。

処女というのは、ゼロ年代のラノベから必要であった要素で、昔の男と比べられると自尊感情が傷つくからです。
実際の恋愛では、女性が他の男に気を惹かれることがありますが、こういった要素は邪魔で、切り捨てなければなりません。不要なリアリティです。

ラノベは、2004年に刊行されたゼロの使い魔のヒットにより、ラブコメブームが来て、ツンデレが流行ったのですが、今は、ツンデレではなく、最初からデレている。会った直後から、好感度マックスが主流になっています。

ツンをされると、読者の自尊心が傷つく。
もしかしたら、この娘、俺のことが好きなのかも?
と考えてドキドキするより、とにかく俺を肯定してくれ。
に変化しています。

例えば、大ヒットしたオーバーロードのヒロインたちは、みんな主人公を敬愛して、最初から絶対の忠誠を誓っています。

オーバーロードの例は極端ですが、ヒロインは、読者の承認欲求を満たすためのギミックであって、主人公がちょっと親切にしたり、活躍したら、大げさに感謝して、主人公のことが大好きになる感じです。

なろう系ラノベで、ゼロの使い魔のように、ラブコメがメインで書籍化された、ヒットした作品というのは寡聞にして知らないのですが、ありますでしょうか?

また、ラノベ恋愛不要論について、ご意見などありましたら、コメントいただけるとありがたいです!

上記の回答(キラー・コンテンツ)

投稿者 あまくさ : 0 投稿日時:

他の方とのやり取りを拝見しているうちに、何だか私もラノベに恋愛は不要なのかもしれないと思えてきました。洗脳されたかな(笑

そもそも、恋愛が好きなのは多分に女性ですよね。ラノベに限らず男性向けエンタメのターゲットが求めているのは、恋愛ではなくトロフィーガールなのかもしれません。007のボンド・ガール。あの感じね。

他の方への返信で、
>パートナーとは、本来、同等な存在であるはずです。
と仰っていました。
個人的にはまったく同感ですが、これってややリベラルな考え方なんですね。個人の自立に価値をおく欧米的な理想論。日本人の伝統的な心性にはそぐわないところがあるのかも。
……というか、そんな難しい言い方をしなくても、要するに「異性との対等の関係」というのがしんどいのでしょう。

「さすがです、お兄様!」……ですか。
確かに破壊力がありますね(笑
しかし、男性としては野郎に言われるよりも、従順な美少女に言われる方がなお心をくすぐられると思われるわけで。
よって、承認欲求の充足は一つの側面に過ぎず、「異性」という要素も大きく関わっているように思えます。ただ、それは恋愛ではない、と。
なんだろう?
メスを支配しようとするオスの本能。遺伝子を保存しようとする動物的本能……かな?

カテゴリー : 流行分析(なろう研究) スレッド: ラノベ恋愛不要論。ラノベに恋愛要素は必要ない?

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元記事:1人称か3人称で書くかで悩んでいます

こちらで初めて質問させて頂きます。
小説を書いてみたいと思い、プロットまでは作りました。ただ、1人称か3人称で書くかで悩んでいます。
内容としては、主人公の男性がだんだんとストーカーになっていくホラー小説を考えております。

1人称なら心情の変化まで書け、主人公へ感情移入しやすいメリットがありますが、今回主人公がストーカーなので感情移入し難く、読みにくさに繋がるかと悩んでいる所です。
一方で、3人称は、ミステリーやサスペンスに適しているというメリットを目にしたことがあるのですが、ホラー的な部分を描写し難いのでは無いかと思っています。

メリット、デメリットやどちらの方が良いのでは無いかと言ったアドバイスを頂けると幸いです。よろしくお願いします

上記の回答(1人称か3人称で書くかで悩んでいますの返信)

投稿者 あまくさ : 2

>内容としては、主人公の男性がだんだんとストーカーになっていくホラー小説

>一方で、3人称は、ミステリーやサスペンスに適しているというメリットを目にしたことがあるのですが、ホラー的な部分を描写し難いのでは無いかと思っています。

ご質問の文を読んで、すぐに思い出した作品があります。『シャイニング』です。スティーヴン・キングの原作をスタンリー・キューブリックが映画化して有名になった作品で、私は原作の方は読んでいないのですが、このスレの論点について考えるには映画版でよいと思います。

三人称がホラーに向かないということはまったくない。
言いたいのはこれです。

映画版『シャイニング』は映像作品ですから一人称・三人称というのはないのですが、前半で次第に狂気にとりつかれていく男の姿を彼の妻の目線から描いています。
ご質問の案件は、煎じ詰めれば狂気の過程を内面から描くか外面から描くかという問題です。映画『シャイニング』の前半は外面から描くことで強い恐怖を生み出していました。具体的にいくつかのシーンを紹介することもできますが、ネタバレになるので一応それはひかえておきます。

恐怖の形は色々ありますが、正体がわからず得体の知れない存在への恐怖もその一つでしょう。そういう存在は当然外面から描くことになります。
一見普通に見える人間が、ふと気がつくと意味不明な奇妙なことをしているって、けっこう怖いじゃないですか。そういう不気味さは内面がわからないからこそで、それが徐々に嵩じていく様子を描けばいいんじゃないかと思います。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 1人称か3人称で書くかで悩んでいます

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投稿日時:

元記事:意味不明で理解出来ない会話。

最近のアニメ、特にライトノベル原作のものを見ていると、会話シーンの理解にとても苦しみます。

最近の作品は、キャラクターがみんな変人なのが多いからです。
「ナカノヒトゲノム」を例に挙げますと、中でも「アカツキ」は、セリフの半分が意味不明で理解出来ません。状況に合った事を話さない事が多くて、会話が成立していない場面も多いです。
アニメ 第7話冒頭の会話でも、

アンヤ「オメーからも何とか言えよ」
アカツキ「ん?何がですか?」
アンヤ「あの豆女。オレの言う事なんか聞きやしねえ」
アカツキ「2人が仲良くなって良かったです」
アンヤ「なってね~よ!」

という具合です。
もっとも、前述した通り、このアニメのキャラクターはおかしな人間ばかりで、それぞれも余り他人の言う事を聞いていない様ですが……。

「物語シリーズ」は、余談が多いものの会話としては成立しています。しかし、最近ではこのナカノヒトゲノムの様に、意味不明で理解に苦しむ様なセリフや会話が増えていると思います。
ただこの場合、アンヤがアカツキに投げた会話は無意味なものでは無いですし、考え方によるとアカツキの人間性を特徴付ける為という解釈も出来ます。

ですが、最近のラノベ原作アニメでは、セリフや会話に無意味なものが増えたと思うのです。
「何を言っているのか解らないセリフや会話」を見せられても、ユーザーは面白いと感じるものなのでしょうか。
また、そういった「切っても特に問題無い様な、無駄なセリフや会話」というのは、存在に何か理由があるのでしょうか。

応募作のコメントで、会話が毎回低評価なので、どうしたら面白いセリフや会話が表現出来るのか、知りたくて質問してみました。

上記の回答(意味不明で理解出来ない会話。の返信)

投稿者 サタン : 2

申し訳ない、どこが理解出来ないのか、もうちょい説明が欲しいかも。

ちなみに例文は、
>アンヤ「あの豆女。オレの言う事なんか聞きやしねえ」
>アカツキ「2人が仲良くなって良かったです」
「俺の言うことを聞いてくれない」というアンヤのセリフに対し、アカツキもアンヤの言葉を聞いてないよね、という事だと思うので、意味は通じていると思う。
そしてどちらかと言うと、そうやって「振り回されてます」って事を描写してる、アンヤのキャラ描写のシーンではないかと思う。
まあ、アニメは未視聴なので例文からの読み取りでしかありませんが。

理路整然とした文章はわかりやすいですが、面白味がないです。
「これはこういう意味だ」と作者が説明するのではなく、「これはそういう事か」と読者に気づかせる書き方が望ましいと思います。
それを会話文で行うと、ウィットに富んだ会話文になります。

会話の評価が低いというのは、つまり真っ当な会話しかしてないのではないでしょうか。
例えばAが「バカなヤツだ」とBを笑うと、Bは「なんだとこの野郎」と怒り出す。
普通です。
そりゃバカにすりゃ相手が怒るのは当たり前。なんも面白くない。
これがーーそういや綿矢りさの「インストール」で良い場面あったな。
友人が主人公をバカにして言いたい放題言うと、主人公はスッと顔を上げて「もっとなじって」と答える。
というシーン。
これは主人公が自分のバカさ加減を再認識する場面だったと思う。
そんな場面で「もっとなじって」は、よくその言葉が出てきたなと思ったのを覚えてる。
主人公はドMなんじゃなくて、友人の口から叱りつける言葉をもっと聞きたかったわけだね。

で。
繰り返しになるけど、「相手をバカにする」「バカにされて怒った」という当たり前の反応をするコミュニケーションを書いたって面白くないので、理路整然としている常識的な会話文は面白くないわけです。
これは会話文のことを言ってるので、シチュエーションが非常識なものであっても同じ。
「敵が来るぞ」「よし迎撃だ」みたいな、これは極端だけど、とにかく「当たり前のコミュニケーション」は基本的に面白くないです。
でも、割と常識的な話なのでそういう会話文はよく書く人が多いと思う。

ほんで。
>また、そういった「切っても特に問題無い様な、無駄なセリフや会話」というのは、
これは考え方が逆でしょう。
こういう読者的な見方をすれば、「無駄なシーンなんて一個もないよ」と答える他ないのですが、たぶんそれじゃ納得しないでしょう。
逆説的な解説ですが、いっそ、「その通り。そんな無駄なセリフは切っても何も問題ありません。存在価値はありません!」としましょう。
その場面はまるっと無駄な場面です。
実際、無駄をカットして小さくまとめれば30分アニメなんて15分でまとまるだろうし、文庫本のラノベも半分以下に収まるでしょう。
別にそれでもいいんですよ。
でもページ数って規定があるし、それ以上に作者としてもっとじっくり書きたい部分もあるし、そんな「必要な部分だけでコンパクトにまとめた作品」なんて盛り上がりに欠けてしまう。
なので、その「コンパクトな作品」にいろいろ無駄なエピソードを接げ足すわけです。
でも、本当にそれが「無駄なエピソード」だったら、そりゃ単なる蛇足で、コンパクトなままのほうが良い作品だと言えてしまう。
なので、当然のこと「作品がよりよくなるエピソード」を足していくことになる。
そのエピソードとは何かというと、「キャラクター描写をはじめとしたキャラ関連のエピソード」なわけです。
「アンヤとアカツキ」の例のように、キャラクター関係やキャラクターのポジションがわかる描写をエピソードに起こしたりして、作品の登場人物を濃くしてゆき、作品をより良いものにしてゆきます。

ですから、それは確かに本編とは関係なく「無駄で存在理由のないエピソード」ですが、作品にとっては「無駄など一つもない」と言えるわけです。
読み手の視点で言うと、これは本編と関係ないので、別に他のエピソードに変更しても問題なく無駄と考えられますが、そうではなく、逆、「そういう無駄な空きスペースだから、必要なものを詰め込んでいる」というシーンなんです。

で。
そういう場面はつまり「キャラ描写」、言い換えるとキャラを立てる会話って場面なので、ここをおろそかにするとキャラの「らしさ」が読者に伝わらず、例えば設定面で良いキャラを作っていたとすると、会話文がすげえ勿体ないな、って思ったりすることもあります。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 意味不明で理解出来ない会話。

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投稿日時:

元記事:地の文が書けない

 寒くなってきた今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 さて今回相談したいことは表題の通りです。正直に申しまして、[なぜかけないのか]どころか[そもそも何を書けばいいのか]すらわかりません。人並み以上に本は読んでいるのですがそれでもさっぱりです。
 以下に現在執筆中の短編の書けた部分を開示しますので、どういったことが足りないのかご教授願いたいです。
ーー以下小説ーー
 少女の前に少年が一人倒れている。
「どうしてこうなったのかって?これには深い事情があるんです」
そんなわけでしばらく時間はまき戻る。

 夜も更けてすっかり暗い林の中、荷物を背負った少年が立ち止まっていた。大きなリュックのためか背を丸め、ヘッドライトをつけた顔には困惑の色が浮かんでいる。
「いやいやこんな始まり方されたら誰だって困るよ」
「開幕早々メタ発言なんかしない」
少年に言葉を返したのはセミロングの少女。こちらは藪打ち用の鉈を持ってはいるがそれ以外の荷物は少なく、身軽な格好をしている。
「いやだって、ウルトラマン第二話みたいな始まり方じゃ真面目な作品とはだれも思わないよ」
「初代バルタン星人は十分真面目な話じゃない。比べるなんて脚本家の方に失礼よ」
「ぬぐ、けどもう少し雰囲気ってもんがさあ」
そんな会話をしつつ、少女が少年を先導し林の中を進む。
「ねえ奏、うちら少年少女って年かな?」
「燈、女性の年に触れないのはマナーだと思うのだけど」
あまりメタ発言ばかりだと話が進まないのですが。
「「お前が努力しろ」」
ごもっともで。
 生暖かい空気の中、ヘッドライトの明かりを頼りに燈と奏は進んでゆく。
「これ、状況説明した方がいいんじゃないかしら」
夜野燈はとある秘密結社所属の改造人間である。今回は幼なじみ兼別の支部所属の月影奏に「水中から白い触手を出すUMAを見せてあげる」言われ、半ば強引に連れ出されたのであった
「説明が雑、それに無理やりすぎるすぎる」
「そうね。これじゃ燈がUMAにつられて40秒で支度してついてきたってことがわからないわね」
「そうじゃなくて。はあ、それよりまだつかないの?」
「え~っと、沼にはもうついてもいいころなんだけど」
問われたことに対し言葉を濁す奏、その態度から燈は嫌な想像をする。
「まさか迷ってる?」
「だ、大丈夫よ。ちゃんとつく、もうすぐだから」
「はあ、もうUMAなんていいから帰りたいよ」
「ここまで来たら退くだけ損よ、口じゃなく足を動かして」
「そんな気質効果は損の元だよ。そもそも奏がいきなり言い出さなければうちが下調べして先導できたのに」
「そんなことされたら…っと、ついたわよ」
 話している間に藪を抜け、二人は林から沼のほとりに出る。
そこそこの大きさはあるが葦など水生植物は少なく、暗くよどんだ水面がよく分かる。
何かが出てもおかしくないという雰囲気に燈の顔色がより悪くなる。
「これはUMAよりも幽霊が出そう・・・あれ、他の人がいる?」
耳聡く人の声を聞きつけ沼の反対側を見る燈。そちらには懐中電灯と思しき明かりが数条動くのがみえる。
「あ~、ちゃんとした道を通れば向こうに出るんだ」
「ちょ、ちょっと待って。ちゃんとした道があるの知っててわざわざ林の中をえっちらおっちら歩かせたの?自分が方向音痴だって自覚してる?」
「だって、もしほかの人と会ったらここがなんなのかバレ…二人っきりになれないじゃない」
「ごまかし方が雑。ここ、UMAが出るんじゃなかったの」
燈の追求に奏は悪びれる様子もなくあっさり口を割る。
「ちゃんと出るわよ。UMAじゃなくお化けだけどね」
お化け。この言葉に燈の顔は青くなる。
「・・・帰る」

上記の回答(地の文が書けないの返信)

投稿者 あまくさ : 2

朝の書き込みからの続きになります。もう少し具体的に御作の冒頭に沿ってみていきます。
示された部分の内容をまとめると、

1)少年と少女が夜更けの林の中を歩いている。

2)二人はとある秘密結社の異なる支部に所属している。少年は改造人間である。(少女も改造人間? ここ、ちょっと曖昧ですね)

3)少年は少女に誘われて、白い触手をもつUMAを見るために沼に向かっている。

4)少女は沼に向かう本道を通らず、そのためちょっと迷いかけた様子。少女=方向音痴疑惑も浮上するが、少女が何か隠している気配が垣間見える。

5)沼の反対側に懐中電灯を手にした数人の人間がいる。少女は彼らに見つからないようにわざと裏道をたどってきたふしがある。

6)沼にいるのはUMAではなくお化けであるらしい。

少し前にこの掲示板でストーリーの本筋とは何かという話をしたのですが、以上が示された部分の本筋と思われます。もっとも情報が不足して判断しきれない部分もあるので、私の読み違い、または他に重要なポイントなどがあったら教えてください。ただしストーリー展開の話としては、序盤で情報が十分でないことは普通なので問題ありません。

情報不足は問題ありませんが。
読者に興味を持ってもらうために、先に気を持たせるようなタネはまいておきたいところです。なおかつ、そこはしっかり印象づける必要があります。読み流されてしまったら何にもなりませんから。

で。
仮に上記の1〜6がそれほど的外れではないとしたら、先の展開につながりそうなポイントは4ではないかと思いました。少女が何か隠しているというところですね。隠し事があれば、それが明かされていく過程だけでもストーリーになります。つまり、4で少女がごまかすような言い方をした部分で「何かフラグが立った」と見たわけです。合っているでしょうか?

そうだとすると、先の書き込みでも触れましたがメタ発言の多用はちょっと邪魔かもしれません。それらが目立ちすぎてフラグが埋没している感じがします。
先にも書きましたがメタ発言はスレ主様の持ち味にもなり得るでしょうから否定はしません。しかし、どこでどう使うかという匙加減は慎重に考えた方がいいと思います。現状ではあれがノイズになっているきらいがあり、文章が読みにくくストーリーが分かりづらくなってしまっています。読者の頭がまだ白紙の状態の冒頭ですからなおさら致命的です。

次に、これも先の書き込みで触れましたが、小説と動画の違いを測りかねているのでは、ということについて。
ここまで述べてきたように1〜6の内容にはある程度先の展開を期待させる要素が含まれていると感じたのですが、それとメタ発言をのぞくと、このシーンは少年と少女が林の中を歩いているだけです。

……いや。秘密結社の改造人間とかUMAとかけっこうぶっ飛んだ要素もあることはあるのですが、それでいて全体の雰囲気は子供たちが誘い合わせて肝試しでもやっているような平穏さにつつまれているので、今のところ浮いている感じです。

ところがこれが小説ではなくアニメなどであれば、平穏に林の中を歩いているだけでも何とかなってしまうこともあるんですね。理由は簡単で、絵という鮮烈なツールがあるからです。「百聞は一見に如かず」とはよく言ったもので、キャラ達がおバカな会話をしていてもノイズになって状況が分かりにくくなったりしないし、林の中の風景も作画によってはそれだけで視聴者を楽しませることが可能です。しかし文章だけの小説ではそれらは逆立ちしてもできない表現なので、キャラの分かりやすい行動やフラグを目立たせるなどに注力する必要があるのだと考えます。

最後にメタ発言・ギャグ要素について。
何度も繰り返しますが、スレ主様がこれを武器にしようとしていらっしゃるのなら他人から否定するようなことではありません。ニコニコでうけていたとのことですし、小説でもうまく使いこなして読者にうけるなら正義です。
ただ、一般論としてあの手法は取り扱い注意の危険物ぎみかなとは思うので、少しだけ指摘しておきます。
他の方からもナレーションのようだというコメントがありましたが、特に地の文に作者が顔を出してキャラと会話しはじめたあたりです。なぜ危険物かというと、ああいうのは読者にわざわざ作者の存在を思い出させてしまうという手法だからです。むしろ読者には作者の存在を忘れて物語世界に没入してほしいところ。その没入感の妨げになりかねないことを危惧してしまいます。
ですがこの点は異論もあるところでしょうから、当方の持論を押し付けるつもりはありません。考えられるデメリットと秤にかけて判断していただけばよいかと思います。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 地の文が書けない

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