ラノベやゲーム、漫画のようなオタクコンテンツに登場するキャラクターには、以下のようなよく考えたらおかしい暗黙のルールがあります。
1・怪力自慢の大男は三下や噛ませ犬であって、技やスピードを武器とする美形に格闘で絶対に勝てない。
これは技を極めればどんな力も制しきれるという願望があり、美形が華麗に敵を倒しているところがカッコイイからです。現実には、柔道やボクシングに階級制があるように、力や体格というのは格闘を圧倒的有利にする重要な要素ですが、物語においては重要視されません。
2・美少女戦士は、なぜか兜も着けず、おへそ丸出しの水着のような鎧を着ている。
これはプレートメイルのような全身鎧を着ていたら、表情が見えず、格闘アクションも萌えないからです。防御よりも色気を優先していて、魔物や敵に勝てるの? という冷静な突っ込みに対処するよりも、萌えを優先した方が読者受けが良いのです。
このような有り得ない設定を有り得るかも? と納得させるためにこそ、リアリティを出す工夫が必要なのです。
例えば、ライトノベルの元祖『スレイヤーズ』 の主人公リナ=インバースは、若干15歳にして、ドラゴンや魔王より強い美少女天才魔道士です。
よく考えたら、10代で魔法をほぼ極めているというのは、あり得ないことだと思うのですが、このあり得ないことを納得させるために、さまざまな工夫が施されています。
まず「彼女の本当の年齢は数百歳」「魔竜王が人間に化けている姿である」などの噂が流れており、彼女がその世界の中にあっても特異な存在であること、他の生活している人間は我々と大して変らないことを客観的に示しています。
また、リナは生理中、魔力が極端に弱まって、並以下の魔法使いになってしまうという致命的な弱点を抱えています。魔王を倒すほどの攻撃魔法には大きなリスクや制約が課せられていて、おいそれとは使えず、それが故に、苦戦を強いられることもしばしばです。
天才だけど弱点がある、最強の魔法には大きなリスクがある、といったリアルっぽさが、非現実的なリナという少女に現実感を与えているのです。
人々の願望を反映させたキャラや舞台のイメージが優先事項であり、リアリティはそのイメージを虚構だと思わせないための補強材料だということです。
事実より願望、イメージを優先させたいというのは、人間の一つの性です。
例えば、戦国時代に剣聖と謳われた塚原卜伝には、教えを請いに来た宮本武蔵が食事中に突然、木刀で打ちかかったところ、これを鍋ぶたで防いだという伝説があります。
しかし、実際には宮本武蔵の生まれたのは1584年で、塚原卜伝は1571年に亡くなっているので、これは史実では有り得ません。
宮本武蔵に関しては、その最大のライバルである佐々木小次郎が想像上の人物で実在していなかった、美形の天才剣士ではなく、60歳を超えた老年の剣士だったとも言われており、その伝説には創作が混入されているようです。
現実などというのは、おうおうにして身も蓋もなくツマラナイものであり、歴史上の偉人というのは人々の願望によって、その伝説に脚色が加えられているのが一般的です。
宮本武蔵が塚原卜伝に勝負を挑んでいた方がおもしろいし、謎の秘剣「燕返し」を使う天才美形剣士がライバルの方が、ドラマが盛り上がるわけです。
その伝説がおもしろければ、事実かどうかなどどうでもイイというのが、人々の本音なのです。
嘘を嘘だと思わせないために挿入された現実っぽさがリアリティの正体です。
逆に現実をありのままに描くと夢が壊れて、物語が台無しになることもあるのです。
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