国民的漫画『ドラえもん』の人気キャラクターにジャイアンがいます。
ジャイアンは2005年までのキャラクター人気投票において、常にトップにいたようです(2010年代のネット上の人気投票ではトップから転落するも上位にランクインしています)。
精神科医の香山リカさんは、著書の『いまどきの「常識」』(2005/9/21)において、この事実を取り上げ、その理由を以下のように分析しています。
もしかすると、多くの人の心の中にも、
「自分の欲望のままに現実を変え、まわりの人たちをその変えたほうの現実に従わせること」
に対するひそかなあこがれがあるのかもしれない。
ただ、ほとんどの人は残念ながらいくら「ジャイアン的な存在」にあこがれても、そういう生き方はできず、誰かが捻じ曲げた現実や既成事実に無理やり自分を合わせる、という人生を生きなければならない。
引用・香山リカ『いまどきの「常識」』(2005/9/21)
物語のおもしろさの本質とは『現実世界で叶えられない願望をフィクションの世界で代理的に満たす』ことです。
素敵な恋がしたい、悪を裁きたい、未知の世界を冒険したい、カッコいい英雄になりたい、といった願望を、人間は物語に反映し、癒しや快感を得てきたのです。
このため、抑圧されている欲求を代理的に満たしてくれるキャラクターに人気が集まります。
本当はみんな、ジャイアンみたいに欲望のままに行動したいのにできないので、彼に自分の願望を反映させて快感を覚えるというわけですね。
ジャイアンのキャラクターを一言で表す名言として、「おまえの物は俺の物。俺の物も俺の物」というのがあります。
友達のおもちゃを取り上げて、飽きるまで遊んで壊してから返すなど、お手の物です。
彼は非常に自己中心的な性格で、暴力で威圧して周りの人間を従えています。
しかし、長編映画になると、勇気を振り絞って仲間を助けるなど、友情に熱い面も見せます。普段は悪童であるため、このギャップによってとても良い奴に感じられます。
これこそがジャイアンの魅力の秘密というわけなのです。
ジャイアンと似たタイプの自己中心的なキャラクターは総じて人気が高いです。
漫画なら、少年ジャンプの『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の両津勘吉が良い例です。
彼は警察官というお堅い職業についているのですが、性格は極めてシンプルな快楽至上主義者です。
例え勤務中であろうとも自分が興味を持った物、やりたいと思ったことを即、実行に移して周囲を大混乱させます。
彼は感情と行動の回路が直結しており、自分の行動が周囲にどんな影響を与えるかなど、まったく考えず、結果的に「始末書の両さん」と呼ばれるほど、始末書を書かされています。
その活動範囲は、プラモデルからインターネット、車やロボット、果てはギャンブルに金儲けと、まるで節操がありません。
楽しいと思ったことを、驚くべき行動力と、探求心で、とことん遊び尽くしてしまうのです。
現実にこんな警官がいたら、まず首になるでしょう。
事実、両津勘吉は上司に怒られまくっているのですが、周りの人たちは、彼にいくら振り回されても、決して自分たちのコミュニティから追い出そうとはしません。
安心してはちゃめちゃができるこの世界は、とても温かく居心地の良い楽園なのです。
ジャイアン同様、両津も少年ジャンプの主人公らしく、友情に熱かったり、人を助けたりもします。
自己中心的だけど、実は良い奴、というギャップ効果によって、魅力が生まれているのです。
『こちら葛飾区亀有公園前派出所』は1976年からスタートし、2012年の現在に至るまで連載が続いている長寿漫画です。
少年ジャンプと言えば、徹底した読者アンケート至上主義を導入しており、どんな大御所作家やスターでも、人気が低迷すれば即打ち切りとなることで有名です。
その過酷な環境を30年以上生き延びてきた漫画の主人公である両津勘吉の魅力は、計り知れません。
アニメでは、ウォルトディズニーのミッキーマウスがいます。
ミッキーはいまでこそ品行方正な良い子の手本のようなキャラですが、 登場当初は、他の動物にいたずらして回る非常に暴力的なドタバタ・キャラでした。
ミッキーは多動症であったディズニーの自己を投影して生まれたキャラだと言われています。
多動症は、じっとしていられない、相手の立場や状況を考えずに話すことに特徴があります。
ウォルトディズニーはアニメの中で、自分の欲求を思う存分解放させたのです。
ミッキーは退屈な日常や常識を破壊してくれるため、大勢の人に受け入れられたと言われています。
世の中の体制は、乙にすましている。善良そうな人々が多数を占めていて、平和な付き合いをしている。
そこへ、アウトローとしてミッキーがやってくる。ハチャメチャにする。それでおしまい。
これが人気を呼んだ。
引用・正高信男『天才はなぜ生まれるか』(2004/4/8)
ライトノベルだと、中村うさぎの『ゴクドーくん漫遊記』(1991/5)の主人公、ゴクドー・ユーコット・キカンスキーがいます。
『ゴクドーくん漫遊記』は漫画化、アニメ化までされたライトノベル黎明期を代表する人気作品の一つです。
ゴクドーは名前を見て、だいたい想像できるでしょうが、わがままかつ傍若無人な性格で他人の迷惑などお構いなしの最低の主人公です。
仲間の女の子を奴隷商人に売り飛ばそうとしたり、老人の財布をすったり、故郷の国では魔法を使った詐欺を働いて指名手配にされています。
彼の行動はすべて欲望と打算が動機になっており、誰かを守るためとか、愛や正義のために戦うことはありません。
悪い意味で裏表が無い性格なのですね。
結局、最後はいつも結果オーライで、他人から感謝される羽目になるのがご愛嬌。
主人公の中には、戦いたくない、とか口ではきれい事を言いながら、結局、我が身のために殺戮を行って、正義面をしている者などもいますが、ゴクドーにはそのような偽善臭さがまったくなく、そこが魅力となっています。
品行方正な正義の味方が放つメッセージは、どこか説教くさかったり、自分の正しさに酔っているような悪い印象を受けることがあります。
実はこれは、社会を支配している正しい価値観をそのまま代弁しているのにすぎないからです。
「戦争は良くない」「人を傷つけてはいけない」 「弱い者は助けなくてはならない」
このような正義の味方が放つ言葉は、彼自身の魂から生まれた正直なメッセージではなく、自分を正義の側に置くためのポーズ、マジョリティの側に立った抑圧でしかない場合があります。
このため、主人公がどっこか無理して、道徳的な正しい道を歩もうとすることに違和感を感じ、こいつなんだかムカツク! となってしまうのです。
例えば、女の子にやさしくするのは、単にモテたいからじゃないの? 嫌われたくないからじゃないの?
それなら、変な正義感でごまかさないで、素直にそう言えよ! という訳です。
復讐物語の主人公のようなアンチヒーローがもてはやされるのは、正義の味方の持つ、このような偽善臭さが嫌いな人も多いからです。
本音で動いている人にこそ、人は共感してくれるわけです。
ドラえもん人気投票で検索してもジャイアンが一番になってるのなんてないぞ。
逆にこち亀は両津が一位なのは、ぼちぼちある。
たぶん自分が迷惑かけられる側視点か、迷惑かける視点かで人気かどうか決まると思う。
迷惑かけるキャラ(主人公視点)は人気。
迷惑かけられるキャラ(脇役視点)は不人気。
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