世間では今、Aという要素を持ったキャラクターが流行っているから、読者に受けるために、どこが良いのか理解できないけれど、Aという要素を持ったキャラを出す。
この発想がキャラクターを単なる記号に劣化させ、薄っぺらい存在にさせている元凶です。
「俺は別にメイドさんなんて好きじゃないんだけど、世間じゃメイドが流行っているみたいだし、どこが萌えるのかさっぱりわからないけれど、出しておこうか。
取りあえず、『おかえりなさいませご主人様』と言わしておけば、好きな連中が喜んでくれるだろう」
このように考えるのは、要するに、作り手が、そのキャラクターを好きじゃないのです。
だから愛が感じられず、まったく逆の蔑視的な感情「おまえらは、こういうのが好きで喜ぶんだろう?」を感じ取って、嫌な気分にさせられてしまうのですね。
読者は馬鹿じゃないので、作者に愛があるか否かは、高確率で見透かされます。
例えば、眼鏡っ娘萌えというのは、
「いつもは地味な娘だけど、眼鏡を外した時、とってもきれいな目を見せてくれる。その顔は、俺だけが知っている宝物なんだ!」
という学生時代に体験した淡い青春の一ページを発端にしています。
その時に感じたトキメキを作品に反映させることで、瑞々しい生きた感情を持ったキャラクターを作ることができたわけです。
その娘のどういった仕草が良かったのか、どんなところに心ひかれたのか?
生の感情を出発点にしている場合、その答えは作り手によって千差万別となります。
しかし、これがパターン化されると、もうお終いです。
眼鏡っ娘が好きじゃない人が、どこが良いのかもわからず、お決まりのパターン『眼鏡を外した地味娘が実は美人で、周囲が驚く』を繰り返すことで、最初の出発点だった、青春のトキメキ体験が形骸化していきます。
感情が籠っていないので、作り手も受け手もしらけてしまうのです。
これがキャラを記号として扱うということです。
「眼鏡っ娘のどこがおもしろいの? どこが良いの?」と聞かれて、好きじゃないキャラクターを作っている人は答えられるでしょうか?
あの娘のこういうところが良いんだよ! という独白は、自己満足に陥る危険性を持っていますが、実は、これこそがその人にしかないオリジナリティの原泉なのです。
オリジナリティとは、極論すれば、その人にしかない変態性です。
これを裏付ける証拠として、「第2回スクウェアエニックス・ライトノベル大賞」審査員長の作家・日日日さんは、公募ページ(2010年版)のメッセージでこのように述べています。以下引用。
『そんな厳しい時代にデビューし輝く存在になるために、必要なのは小手先の能力ではなく個性と情熱、なにより愛です。多少間違った方向でもいいので、ほどばしる「俺はこれが好きなんだよ!」というパッション溢れる作品をお待ちしております』
オリジナリティがない、という状態は言い換えれば、何かの劣化コピーを作っているということです。
自分はこういうのが好きなんだ! この良さをたくさんの人に広めて共有したい! というのが、オリジナリティの出発点なのですね。
だから、斬新すぎると他人から理解されないで、変人呼ばわりされます。
例えば、フランスの作家ヴィリエ・ド・リラダンは1886年に『未来のイヴ』でアンドロイド美少女を世界で初めて登場させましたが、風変りすぎて当時の文学界から無視されました。
貴族の青年が、歌姫に恋をするるも、その内面の醜さに絶望し、彼女そっくりの人造人間を天才博士に作ってもらうという、ローゼンメイデン(2002年~)などに代表されるドール萌えの先駆けです。今でも理解できない人は多いかも……
逆に、才能のある作家さんは、ものすごい変人の部分と、常識人の部分を併せ持ち、自分の変な考えを、世間に受け入れやすく加工するのが得意なのです。
ライトノベルだと入間人間の『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』(2007年6月発売)に出てくる登場人物が良い例です。
ヒロインの御園マユは、幼い頃に誘拐されて犯人から凄惨な虐待を受けたために心が壊れています。
高校生になった彼女は、なんと幼い兄妹を誘拐し、自宅に監禁するという犯罪を犯し、ろくな食事も与えず、風呂にも入らせないというネグレクト的な行為を加えます。
彼女は、自分と同じ過去の誘拐事件の被害者であるみーくんにのみ心を許し、偏執的に彼を愛します。
この心の壊れっぷりがヤンデレなどという陳腐な言葉では表現できない、変態性と共感性を併せ持っています。
マユにとって、この世で信頼できるのはみーくんだけなのです。
彼の前では奇行を見せるのですが、他の人の前では、常識的に振舞っています。
マユは、ただの変人ではなく、その心の弱さ、脆さは、私たちにも理解できる物であり、そこが共感を呼ぶ秘訣となっています。
理想的なのは、自分の変態的嗜好の上に、現在流行している要素(ライトノベル的要素)を追加して、読者に受け入れられやすいキャラクターを作ることです。
逆に、読者に受けることばかり優先して、好きでもない個性で固めたキャラを作っても楽しくないし、陳腐なものになります。
●補足
自分の好きなキャラを作ると言っても、例えば、大人気のライトノベル作品の登場人物が好きだから、そのキャラそっくりのキャラを作るというのはアウトです。
それは単なるパクリと言います。すでにあるものをそのまま使うのは、オリジナリティとは言いません。
人前で発表したら、「お前、そんなことを考えているなんてアホか!?」と言われるような変な嗜好を、他人に受け入れてもらえるように上手に加工することが大切です。
作家は、変人と言われるくらい変な個性を持っているくらいで、ちょうど良いのです。
変な奴というのは、学校や職場では排斥の対象になりますが、エンターテイメントの世界はオリジナリティに飢えているので、他にはない才能になります。
このために、
ライトノベル以外のジャンルにもたくさん触れて、好きのキャパシティを広げておくこと。
がポイントとしてあげれます。
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