キャラクターは現実にはいないようなぶっ飛んだ、極端な個性を持った者でなければなりません。
ふつうの人が出てきて、意外性の欠片もない、当たり前の行動をしたのではおもしろくないからです。
なにより、個性的な人物でなければ話が転がっていきません。
例えば、『勇者王ガオガイガー』(1997年2月~1998年1月)というロボットアニメでは、ロボット同士の合体の成功確率が極端に低いのにも関わらず、これを強行します。
「しかし、ファイナル(ロボットの合体)の成功率は限りなくゼロに近いんじゃがのぅ……」
「成功率なんてのは単なる目安だ! 後は勇気で補えばいい!
ファイナルフュージョン、承認!」
「了解。ファイナルフュージョン、プログラム……ドラァーイブ!」
「いよっしゃあああああああああああ!」
アニメ『勇者王ガオガイガー』
ふつうに考えて、失敗すれば大ダメージを受けるのに、実戦で限りなくゼロに近い成功確率に賭けるなんてアホです。意外すぎます。
きっと、ガオガイガーを保有するGGGで働く職員たちは、極端な精神論を信じる上司のおかげで、限界を超えた働きを要求されて心を病んできることでしょう。
しかし、アニメの中では、ガッツと勇気と熱血で見事に合体に成功し、どんな困難も乗り越えてしまうのです。
この爽快感がたまりません!
ここでは、合体しないと敵に勝てない、成功率の低い必殺技に頼らざるを得ない、という状況を作り出しているのがポイントです。
無謀な行動を取ることに説得力を持たせています。
もっとも、このゼロに近い確率に賭けるといったギャンブラーも真っ青の無謀行動は、熱血物で使い古されて、すでに陳腐化しているので、意外な行動としては見られなくなっています。
「ああっ、どうせ合体成功するのでしょう? どうせ必殺技成功するのでしょう?」
という目で見られます。
優れた手法というのは、発見されたと同時に、あらゆるところで使われまくるので、すぐに陳腐化してしまうのです。
このため、年々、極端な個性を持ったキャラクターを作るのが難しくなっています。
10年前には斬新でも、今では、「またかよ!」ということになってしまうのです。
また、もっとも難しいのが意外性と共感性のバランスです。
極端な個性といっても、あまりに常人とはかけ離れたキ●ガイな価値観や行動を取るキャラクターを作ったところで、共感してもらえません。
絶世の美少女から愛の告白された男の子がしらっとした顔で、
「俺は、同棲しているゴキブリのG子ちゃんが恋人だから、お前とは付き合えないよ」
とか言ったら、確かに極端な個性かもしれませんが、ちょっとついていけません。
ギャグにもなっていない不条理な言動には「はあ?」と、首をひねるだけです。
美少女よりもゴキブリを選ぶのもわかるよな、と読者に思わせることができなければ、話として成立しないのです。
単に荒唐無稽を並べ立てているだけになります。
例えば、漫画『ドラゴンボール』(1984年~1995年)に出てくるウーロンは、なんでも願いを叶えてくれる神龍(シェンロン)に
「ギャルのパンティおくれーーっ!!!!!」
と叫びました。
なんでも願いが叶うなら、ふつうの人は、自分を王様にしろとか、世界一の金持ちにしろとか、不老不死などを願うかも知れません。
エロい人なら、自分の言いなりになる絶世の美女なりイケメンなりを要求するでしょう。
しかし、彼は違った!
この願いは、意外ではあるものの、性欲という誰にでも存在するものが動機となっているので、共感できます。
いや、まあ、気持ちはわかるけどさ、もっと良い物を願えよ! と思わず苦笑してしまいます。
だから、おもしろいのです。
また、この行動によって、ウーロンの個性、エロくて、馬鹿で、でも欲があんまりないところが強く伝わります。
ライトノベルでは、涼宮ハルヒ(『涼宮ハルヒの憂鬱』(2003年6月発売)の
「ただの人間には興味ありません。
この中に宇宙人、未来人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」
この高校入学直後の有名すぎる宣言が良い例です。
入学直後というのはクラス内の見えない力関係、スクールカーストの構成時期なので、ふつの人は空気を読んで、慎重に行動します。
それが今後の高校生活を快適に過ごせるか否かに、重大な影響を及ぼすからです。
なのに、ハルヒはそんな常識を覆して、こんな中ニ病全開のキ●ガイ発言をしてしまったのです。
宇宙人、未来人、超能力者に会いたい。
退屈な日常から抜け出したい。
というのは、誰もが一度は願うことで共感できます。
でも、それを、入学直後にみんなの前で言うか!? という意外性があるのです。
この突っ込みどころ満載の発言のおかげで、おいおい、涼宮ハルヒっているのは、どんな奴なんだよ!?
と読者は思わず興味を引かれてしまいます。
さらに、この発言には、常識の元に抑圧されている私たちの願望が反映されています。
ふつうの人なら馬鹿にされるのが怖くて言えないこと、
やりたくてもできないことを平然とやってしまうハルヒに、読み手は拍手喝さいしてしまうのです。
「さすがハルヒ! おれたちにできない事を平然とやってのける!
そこにシビれる! あこがれるゥ!」
ハルヒはただのキ●ガイではなく、私たちの願望を代わりに叶えてくれるヒロインなのです。
『涼宮ハルヒの憂鬱』が大ブームとなったのは、このインパクトのある発言で、ハルヒの個性を強烈に立たしたから、と言っても過言ではないでしょう。
意外ではあるけれど共感できる。
という難易度の高いウルトラCを決めた訳です。
意外性と共感性というのは、両立させるのが、非常に困難な要素です。
あまりに意外すぎると、共感できないので、ついていけなくなり、共感を重視しすぎると、没個性となってしまうというジレンマがあります。
しかも、ここで例に取り上げた物をマネしても、「あれのパクリか」という話になってしまうのです。
そこで、今までにない斬新な個性を、作家やクリエーターは必死になって考え、出版社は、今までにない君だけの物語を求む! と要求するわけです。
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