・漫画の神様・手塚治虫が大阪毎日新聞の小学生版にあたる『少國民新聞』に四コマ漫画『マァチャンの日記帳』を発表して、漫画家デビューする。下町に住むいたずら好きな少年の楽しい日常を描く。
1941年に始って、1945年に終結した第二次世界大戦によるトラウマが、手塚治虫に多大なる影響を与え、漫画を描く原動力になったと言われる。彼は戦時中の漫画規制下の元でもこっそり漫画を描き続け、終戦までに3000枚にも及ぶ原稿を描いている。
・日本が万国著作権条約に加盟する。
戦前は、著作権という概念があまり理解されておらず、外国の有名作品を勝手にマネした海賊版が横行していたり、作者に無許可で『のらくろ』のキャラクター商品が販売されるなどしていた。
もっとも『のらくろ』の作者、田河水泡は、みんなが喜んでくれればそれで良い、と鷹揚に対応していたという。
・手塚治虫の少女漫画『リボンの騎士』(~56年)が講談社の少女向け雑誌『少女クラブ』に掲載される。
それまで少女向けのストーリー漫画は存在しておらず、少女漫画というジャンルを創設した作品となる。
手塚治虫は、宝塚歌劇団のある宝塚市で育ち、母の影響で宝塚ファンとなっていた。宝塚で得た見識を生かし少女の思い描く夢をたくさん詰め込んだのが、『リボンの騎士』だった。男の心と女の心を持つ主人公サファイア王女は、宝塚の淡島千景をモデルにしており、彼女が男役を演じた舞台を見て、ヒントにしたという。
1967年に手塚治虫の虫プロダクションによってテレビアニメ化されており、リメイク作である『なかよし』版もあるが、それぞれ原作とは内容に違いがある。
・講談社の漫画雑誌『週刊少年マガジン』が3月17日に創刊される。
小学館の漫画雑誌『週刊少年サンデー』も3月17日に創刊される。
ライバル同士となり、熾烈なシェア争いを繰り広げる。
両誌の価格は当初、サンデーが30円、マガジンが40円だったが、マガジンは5号目にして、30円に値下げしている。
・手塚治虫が自作漫画を原作とした、日本初となるテレビアニメ『鉄腕アトム』を発表する。
21世紀を舞台にし、原子力で稼働する少年型ロボット・アトムの活躍を描く。
フジテレビ系列にて、1963年1月1日から1966年12月31日まで放送された。最高視聴率40.7%、平均視聴率30%以上の人気番組となる。
原作は、世界で一億部の売り上げを記録し、漫画、アニメ界に絶大な影響を与えた。
・筒井康隆の『時をかける少女』が学習研究社より刊行される。
中学三年生の少女を主人公にし、タイムトラベルと恋愛物語を融合させたジュブナイルSF小説。切ない終わり方が秀逸。
絶大な人気を誇り、実写映画化、アニメ映画化、テレビドラマ化、漫画化された。
後世への影響も大きく、高畑京一郎(電撃文庫)の『タイム・リープ』はこの作品を下敷きにしている。その他、下層階級が人口爆発で他の惑星に移住する(ガンダム)、時を止める(ジョジョ)、薬物で超能力を開発する、記憶を消す(禁書)、子供のいない夫婦を洗脳して子供になりすます(Fate/Zero)など、その後のサブカル作品に影響を与えたであろうオタク垂涎の設定が数多く含まれている。
超能力を得てしまった少女という設定、漫画、アニメと親和性が高いこと、後世のサブカル作品に大きな影響を与えていることから、ライトノベルの起源と考えられる。
2009年に角川つばさ文庫(児童書レーベル)から再版されており、40年以上経っても支持されているという希有な作品。
しかし、著者自身は、生活のために執筆していたようで「書くのが苦痛で仕方がなかった」とコメントしている。
・月2回刊誌として集英社の漫画雑誌『少年ジャンプ』が創刊される。
1969年より週刊となり『週刊少年ジャンプ』となる。
後発の漫画雑誌だったが、読者アンケート至上主義、漫画家専属契約制度など、掲載作品の質を上げるための独自のシステムを考案し、1973年にはマガジンを抜いて少年漫画雑誌売り上げ一位となる。以後、少年漫画界の王者として君臨し続ける。
・朝日ソノラマが中高生向けのハードカバー小説シリーズ『サンヤング』を創刊。(~72年)
初のライトノベルレーベルと言われ、平井和正の『超革命的中学生集団』など、児童書の枠からはみ出したライトノベルの源流的な作品が数多く刊行される。また、手塚治虫の漫画『どろろ』(1967年)など、漫画のノベライズも行なわれた。「10年早すぎたシリーズ」と言われる。
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