他の方への回答を見ての意見となります。
完璧系の主人公自体は可能だと思います。ですが、学園ラブコメとなると不可能ではないかと愚考します。
一番のネックはヒロインを魅力的にする方法です。
基本的に主人公が完璧ならヒロインはどうしても一段劣る存在とせざるを得ません(ヒロインも完璧なら一人で全部解決してしまいます)。
バトル物ならば庇護対象とする、劣るにしても実力者であるとすることで物語として成立させられます。学園物でも、劣る側を主人公とすれば可能でしょう。
ですが、優位な側を主人公にして、劣るヒロインとの恋愛を魅力的に描くのは困難です。
極論ですが、イケメンがブスを落とす話、と聞いて面白いと思えますかということです。
全体的には主人公に優位でも、いくつかの点でヒロインの方が優れていないと、恋愛物としては成立しないのではないかと考えます。
タイトルが「高スペック主人公はどう設定すれば主人公足り得る?となっておりますが、質問の中心点は「主人公が負けるのが嫌」ではないかと思いました。
だって、高スペック主人公なんて掃いて捨てるほどいますから。
高スペック主人公自体はちっとも難しくないはずです。
負けるのが嫌だから高スペック主人公にしているだけではないのかな、と思いました。つまり、くるまえびさんは高スペック主人公にすることで「負けない」を実現しようとしたけれど、うまくいかないから質問をされている。高スペック云々はくるまえびさんの取ったうまくいかない対応策の例であって、問題の中心ではない、と思いました。
難しいのは、負けない主人公。しかも、くるまえびさんの挙げておられる例のような、一瞬も負けない主人公だと思います。
最終的には負けない(けれど一時的に負ける)主人公というのは、これもいくらでもいます。というか、主人公というのは途中で危機に陥って負けるのが決まり。1時間ドラマだと、最後の逆転を楽しみにして途中で主人公が負けるのを見ているわけです。
でも、一瞬も負けられないという条件をつけたら、どうなるのか。ドラマになるのか。
たしかにとても難しい気がします。
感動はキャラの生み出すドラマにあり、ドラマは葛藤、戦い、障害の克服。しかし、一瞬も負けないということは一方的に圧倒するだけになってしまいます。
ただ、高スペックという条件は、外部との比較にすぎないので、ここに抜け道があるかも知れません。
つまり、主人公の内部はどうなのか?
超高スペックなのに主人公は内面で苦しんでいる。葛藤している。これならドラマになるのではないでしょうか?
いや、主人公が内面で苦しむのは負けるよりももっと嫌、といわれたらそれまでですが。
たとえば、何か大切なものを過去に失っていて、それを未来に取り戻すことに絶望している主人公。高スペックな毎日も、たんにその絶望をあおるだけの砂を噛むような日々です。
まあ、誰か大切な人を失った(失恋、生き別れ、裏切り、死別)という人間の喪失のパターンが多いと思います。主人公はそれを取り戻したいという思いだけに生きている。そして、ある日、その失ったはずの人が戻ってくる……。そこから始まるストーリーなら無数にあります。
それから、芸術なんてのもあります。芸術もつきつめていくと神の領域に近づいてしまい、人間世界のスペックなんて問題にすらならないという絶望があるのかも知れません。
芸術の至高性とは話がちがいますが、たとえば「のだめカンタービレ」の千秋って、くるまえびさんはどう思われるでしょうか?
例示の男主人公と似たタイプだと思いますけど。
回答ありがとうございます。
確かに、「主人公が負けるのが嫌」が主な理由だったのかもしれません。
>難しいのは、負けない主人公。しかも、くるまえびさんの挙げておられる例のような、一瞬も負けない主人公だと思います。
一瞬も負けないというのは、さすがに求めてはいません。簡単に負けてほしくないというのはありますが。口喧嘩は勝ってほしいですね。
>いや、主人公が内面で苦しむのは負けるよりももっと嫌、といわれたらそれまでですが。
いえ、悩み苦しむはドラマとして重要な要素だと思っています。
葛藤、トラウマなどの内面をどう上手く描くかですか。
「自信のハイスペックを以てしても手に入れられないもの」とか「取り戻せない過去をどう乗り越えるのか」とかを描ければと思います。
1つ例を出します。「俺の空」(本宮 ひろ志)という青年漫画があります。
この主人公の「安田 一平」は、高校を飛び級して2年で卒業したという設定です。
安田財閥の後継者で大金持ち、前述通り成績優秀で、顔も良くて性格も問題無い人格者、自ら口説く事もあるけれど、年上から同年代に至るまでのモテ体質という、まさにハイスペックで男の敵という様なキャラクターです。
学園ものではありませんが、実質的には高校生ですし、特殊な能力や、オカルト的な要素なども一切存在しない日常世界です。
ストーリーは、安田財閥の次期後継者として、嫁探しの試練を課された主人公が、日本中を旅して精神的にも成長していく、というものです。
主人公の主人公たる所以は、「問題解決を課される」ということです。それをやってもやらなくても、それができてもできなくてもいいので。
たとえば、聖悠紀『超人ロック』(漫画1967年同人誌で刊行。1977年に商業誌に移る)。
銀河最強、、無敵かつ不死身で不老不死の超人ロック。
サイコキネシス一発で惑星ひとつを破壊し、テレポートすれば約40光年を超え、男にも女にも、子供にもなることができる、最近ではたぶん2000歳を超えた永遠の少年の姿をした「ぢぢい」です。
それでも、彼はそんな力に何の価値も見出していません。むしろ邪魔だとさえ思っています。
彼にとっては、目の前で泣いている一人の少女を笑わせることのほうが大切なのです。
(そんなわけで、彼は2000年近く、寅さんも及ばないほどの失恋を繰り返しています)
人の心はどうにもならない。
自分自身すら、思い通りにはならない。
その葛藤が、1967年の『ニンバスと負の世界』以来のロングランの原動力となっているのです。
ただし、他に悩める若者や少年がいるときは、一歩退いて「やり手ぢぢい」ぶりを発揮しますが。
『エスパーなんて怖くない』『ソリティア』『愛しのグィネヴィア』など。
極論すれば、「問題に直面すれば、誰でもヒーロー』なのです。