活火山さんの質問 2014年07月23日
お晩です。活火山です。
タイトルどおりガンアクションについてみなさんからご意見を伺いたいと思います。
日本で作られているガンアクションものってほとんどの場合、敵の銃弾はほぼ当たらなくて、主人公側はの銃弾だけは百発百中で当たるという謎の法則がある(とおもう)のですが、これリアリティの面で言ったら完全にマイナスな気がするんですね。
まあ、日本のチンピラが普段から裏社会で生きてるガンスリンガーに圧倒されているくらいならまだいいんですが、軍隊レベルの連中とやりあって、一発も弾丸をもらわず、自分の弾だけは都合よく当たるってのは、なんだかな~な気がします。
中にはチェーンソーや日本刀で戦っている相手と戦っても銃弾がほとんど当たらずなぜか互角に渡り合えたりっていうのも見かけます(日本刀は達人という設定があるからまだマシですが)。
何を言いたいかというと、ガンアクションにおいてこの辺のことを考え始めるとさじ加減次第でリアリティが希薄になったり逆に濃厚になったりするような気がするのです。
皆さんはこの「主人公側は基本銃弾に当たることがない」ガンアクションについてどう思いますか? ご意見をいただきたいなと思います。
失礼しました。
●答え●
んー、どうなんだろう。
それって某国の頭の悪そうなアクション映画にも顕著な現象だと思うんですけどね。
日本産でガンアクションって言うと、相応にシリアスなものになるか、あとは徹底的に娯楽の一要素として扱われているものになるか。そんなイメージがあります。
例えばアニメ作品やゲーム作品には、マトリックスばりの動きを見せて、特殊部隊を翻弄する17歳がしばしば出現します。
でも私はこれらにイチャモンをつけることはしません。
何故かと言われれば、そういう『作風』であり、『お約束』であると分かっているからです。
これが逆に重厚な陰謀サスペンスなんかで、同じことをされれば、私は怒り出すでしょう。
あまりにもリアリティがない。この作者はなにを考えてるんだ。雰囲気がぶち壊しじゃないか、という風に。
たとえそれを肯定する、論理的な設定があったとしても、興がそがれた気分になるでしょう。
私はその作品の『作風』や『お約束』の中で、許されるものと許されないものがあると考えています。
重視するべきところと、重視するべきではないところも。
なので、そういう作品でやるならいいけど、ああいう作品でやるのは駄目だな、と。
まあ、ライトノベルのリアリティと、軍事小説のリアリティは違うよな、っていう話に。
此処で考えるべきなのは、前提として置かれている作品のパーソナリティだと思うんです。
毎度どうも、おなじみのミリオタです。
私は娯楽作品における主人公無双とコスモ・ガン(弾が無尽蔵)は気にしてません。
ハリウッド映画なんて主人公無双は日本にも負けてませんよ。
マトリックスなんかは見てて「なんだそれ?」と笑いました。
この辺は、一々突っ込むとキリが無いです。
ただ、真正面からの打ち合いではなく、不意打ちを駆使すれば軍隊相手でも無双は可能だと考えます。
マンガから例を出すと、『ブラック・ラグーン』 のレヴィの打ち合いはマンガ的な無双ですが、「ヨルムンガンド」でヨナが一人で基地を制圧した無双は割りとリアリティがしっかりしてますね。
あとリアリティを考慮すると、「主人公に被弾させれない」という事情もあるのではないでしょうか。
なんせ銃弾の威力というものは凄まじいので、リアリティを考慮した場合、主人公が被弾すると戦闘力の大幅な低下どころか、下手すれば即死。
生き延びても部位欠損や被弾部位の機能停止という描写が必要になります。
『フルメタル・パニック!』 で宗介が胴体に被弾して死にかけましたが、これでも相当に運が良い方だと。
個人的には「被弾しない」のはさほど気になりませんが、「被弾しても平気」なパターンの方が気になります。
だって銃弾の破壊力ってこうですよ?
http://www.youtube.com/watch?v=kWL-0S74mEg
動画内で撃っているのは「バリスティック・ゲル」という人体と同じ強度に調整されたゼラチンです。
> 皆さんはこの「主人公側は基本銃弾に当たることがない」ガンアクションについてどう思いますか? ご意見をいただきたいなと思います。
「ある程度」ならお約束で許容できます。あとはいかに「ある程度」まで説得力を持たせるかでしょうね。
もっとも
> まあ、日本のチンピラが普段から裏社会で生きてるガンスリンガーに圧倒されているくらいならまだいいんですが、軍隊レベルの連中とやりあって、一発も弾丸をもらわず、自分の弾だけは都合よく当たるってのは、なんだかな~な気がします。
遮蔽物に隠れていれば当たらない&大火力で一気に殲滅する。
> 中にはチェーンソーや日本刀で戦っている相手と戦っても銃弾がほとんど当たらずなぜか互角に渡り合えたりっていうのも見かけます(日本刀は達人という設定があるからまだマシですが)。
五ェ門の様に刀ではじく、ガン=カタを使って避ける。
なんてのだって設定や描写次第でいくらでも許容出来ますが。
> 何を言いたいかというと、ガンアクションにおいてこの辺のことを考え始めるとさじ加減次第でリアリティが希薄になったり逆に濃厚になったりするような気がするのです。
現実世界の「リアリティ」と作中世界における「リアリティ」には(幅の大きさはあったとしても)当然違いがあるのですから、結局のところいかに巧く「さじ加減」を調節するかということになるのでは?
私は逆に考えています。
ああいう作品は
「主人公が無茶をしても銃弾が当たらない」
のではありません。
「無茶をしても銃弾が当たらなかった人間の行動を、後から追っている」
のです。
漫画でも映画でも、無茶苦茶な戦闘を生き延びている主人公はたくさんいます。
でもその手の世界の多くでは傭兵やらガンマンが世界中に何十万人もいて、日々何百人何千人が死んでいるわけです。
そんだけいれば、十回戦闘に出て一万発の弾が避けて通る人間が一人くらいいてもおかしくはないかもなー、というのが私の考え方です。
ドラクエってありますよね?
あれも私の中では、
『魔王討伐を目指して旅立った若者はたくさんいて、運と実力に恵まれて討伐に成功した一人が勇者としてゲームになった』
と捉えています。
同じく自分がそういう「主人公が妙に運がいい」ストーリーを書く場合にも、同じような難関に挑んで失敗している人間が他に沢山いることを示すようにしています。
デルティックさんが挙げられているように、まともに当たったらまずいので、被弾させられないという事情はあると思います。
相手がチンピラなら拳銃が多いでしょうが、軍隊なら拳銃より自動小銃や機関銃になるでしょうから、余計に被弾させられないでしょう。
主人公が戦車並みに頑丈な特異体質とか、超絶的な治癒能力を持っていてそれを際立たせるためにわざと蜂の巣にするとか、そういう場面でもないと安易に被弾させられません。
ハリウッド映画も主人公無双多い(日本のガンアクションものも源流は海外)ですが、銃社会アメリカならではの「リアル」をそれなりに描いている(被弾した主要登場人物が死亡や重傷で永久離脱)映画やドラマシリーズもありますよ。
私のイメージとしては、主人公の弾が百発百中で当たるというより、敵の弾が全然当たらないとか当たっても有効打にならないという方向の違和感を感じる事があります。
特に防弾装甲板を仕込んでいるという設定でもない普通の車で、扉を盾に撃ち合いするという場面で敵がライフルやマシンガンを使って窓ガラスは割れても何故か扉は貫通しないとか、フロントエンジン車でボンネットがボコボコに撃たれても普通に走ってる(凄く頑丈なエンジン)とかハリウッド映画でもよくある描写です。
銃が弱いというのは日本の作品(ラノベ含む)に限った話ではないと思いますよ。
むしろラノベだといわゆる漫画的表現やそういう物語設定が多いので、銃が弱いのはお約束と割り切れます。
妖刀を使う超能力者が自衛隊の89式小銃やMINIMIなどにボコボコに撃たれて普通に死んだとかされたら、ラノベ的な文脈では逆にビックリするでしょう。
映画や小説などでは「敵の銃は弱い(真理)」というのが許されるジャンルとそうでないジャンルがあって、一般文芸のサスペンス系やハードボイルド系などでは、余程上手く展開を練らないと興醒めすると思います。
今、一部で話題になっているハリウッド版ゴジラですが、前回やっちまった「リアルなゴジラ(通称ジラ)」は、ミサイルで死にました。
現実に確認されている地球上の動物であれば、ゾウだろうがクジラだろうがミサイルや魚雷を当てれば死にますし、モンスター映画では銃やミサイルや火炎放射器などで死ぬ怪物など当たり前に登場するのに、ジラはミサイルで死んだ事を酷評されました。
本来なら、現代の魚雷攻撃で即死せず、ミサイルも1発くらいでは死ななかった事を褒めても良いくらいなのに、そんなの耐えて当然という感じで語られますね。
「ゴジラ」という作品ではなく、単発のモンスターパニック映画として評価するなら、あれはあれでよく出来ているという意見もありますから、受け手がどういう態度で作品を鑑賞するかという部分にも非常に左右されるものだと思います。
「ゴジラ」という看板さえ掲げなければ「裏切られた」という事にはならず、数あるモンスターパニック映画の一つとして変な先入観無しに評価を受けていたでしょうから。
あるあるですw
敵の弾と味方の弾の命中率の差が激しすぎるアクションですね。
はじめのうちはドキドキして見ているのですが、最近、そういうお約束の場面になると「どうせ主人公達には当たらないから安心して見ていよう」と思って白けてしまいます。
主人公達が圧倒的な戦力の敵に取り囲まれて大ピンチなのに、結局は大きな戦力差を埋めるのが銃の命中率の圧倒的な差だったりすると、「な~んだ、ご都合主義万歳か」と思ってしまいます。
ドラマの時代劇の斬り合いみたいに、それが楽しみで毎回見ているような番組だとそれも良いのですが、一発勝負の映画などでそれはちょっと……もう少し頭を使ってほしいなぁと思います。
好みの問題と言われればそれまでですが。
リアリズムに基づいた作品を書くならマイナスですが、ラノベ読者はそんなもの求めてません。
そしてリアリズムに基づかないならば「弾丸が当たらない」という事象そのものではなく、
「なぜ弾丸が当たらないか」の理由付けとその描写こそがリアリティとなります。
まあなんにせよ、あれです。
まずは現実的に考えて~~という思考を捨てましょう。
現実を知ることは確かに大事ですが、それによって思考まで縛られてしまうことは、クリエイターにとって間違いなくマイナスです。
自衛官をしている友人に聞いた話です。
日本では、戦国武将の上杉謙信、アメリカ原住民の指導者だった、クレイジー・ホースや、ジェロニモなどに共通しているのが、
<敵の一斉射撃に、先頭を切って突撃しているのに、なぜか、被弾しない>
で、あります。
日露戦争の最大の陸上戦、旅順攻防戦における<二百三高地>でも、最初に突撃した部隊が、敵陣地に<一番乗り>したりしてます。
実は、運が悪ければ被弾しますが、防ぐ側の最初の一斉照射は、いわば<試射>でありまして、次からは<照準の狙い直し>を、するので<マジでヤバい>のだそうな。ある意味、<悪運の強さ>も、あるのでしょうが、根拠のある話です。
部隊長などに、上杉謙信や、クレイジー・ホースのような<あの人について行けば大丈夫>みたいなカリスマ性があれば、イケると思います。
もう一つ、コレは拳銃などの話ですが、清朝末期の<義和団の乱>での実話です。
突然、イギリス大使館に乱入した義和団兵士に、<(射撃の)腕に覚えのある>一般職員が、至近距離と言って良い間合いから、六連発のリボルバー拳銃を全弾発射しましたが、一発も命中しなかったという話があります。
中国武術は、前進すると見せ掛けて実は後退したりといった予想外のフット・ワークを多用するので、
<相手が進出してくるであろう位置を読み違えた(狙いが狂った)>
<日頃の訓練で使う『標的』や、ハントする『動物』ではなく、暴漢とはいえ『人間』なので、無意識の躊躇があった>
<彼等が信じていた、道教の魔術は実在した(はなはだ疑問ですが)>
等々の要員が複雑に作用したのでしょう!
この辺りを<伏線>にしてみてはいかがでしょうか?
それでは執筆、頑張って下さいネ!
WW2時代、米軍でのコルトガバメント拳銃は敵を殺すよりも味方を傷つけた事で有名。
米軍の捕獲したP-08は操作を誤った米兵の自爆事故多発で有名。
拳銃がまともな軍用兵器だと思い込んでいるのは一般人だけ。
役に立つなら歩兵全員に配備されているでしょ。
論理的には教育時間コストに対しての効果が低いから。