凛さんの質問 2014年02月22日
皆さん(多分)多少なりとも小説で認められたいという願望があるんじゃないかと思っています。
好きで描いている、という人だって、認められたほうがいいですよね?
研究室の「自己承認要求の為に書くのは悪いこと?」でも、自己承認要求をもつ方は結構いるように感じました。
さて、この自己承認要求、どこまで行ったら満足して消えると思いますか?
私は全く消えません。
お褒めの言葉を頂くことはたまにありますが、砂漠に水滴をたらしたかのように吸い取られて、また渇望してしまいます。
趣味で描いていて、『プロデビュー』などの目標がないからかもしれませんが……。
私には自己承認要求が、巨大化していく化け物みたいに感じることがあります。自分を食い破ってしまいそうです。
嫉妬もしてしまいますし、嫉妬の対象になった方に嫌味を言いたくなってしまうことすらあります。
話が長くなりましたが、お答えいただきたいのは、
1、自己承認要求は何処で消えるものなのか。
2、そもそも、何故生じるものなのか。
3、皆さんはどうやってこの要求と付き合っているか。
実を言いますと、上手くすれば小説のネタになるかも、という思惑もあります(汗)
皆さんの意見は誰にとっても参考、またはネタとして刺激になると思いますので、よかったら意見をお願いします。
●答え●2014/02/26
> 1、自己承認要求は何処で消えるものなのか。
食欲、性欲、睡眠欲求と同じタイプの欲求です。
充足して、一日と経たずに渇望を感じて、また満たしたくなります。
死ぬまで永遠に終わりのない欲求です。
> 2、そもそも、何故生じるものなのか。
人間は弱くて、一人では自然界で生きていない動物です。そこで群れをつくり、群れが高度な分業化によって、社会へと変わり、社会の中で生きていく動物となりました。
社会の中で生きていくには、他者に必要とされる、他者から愛される、他者から価値を認められることが重要になってくるため、承認欲求が生じるのだと考えられます。
> 3、皆さんはどうやってこの要求と付き合っているか。
居心地の良い居場所を作るのが、今のところ最適解かと考えています。
特に努力しなくても他者からの承認が、そこそこ継続的に得られるような環境を作って身を置くことですね。
小説などのコンテンツを作って、他者から認められるという手段を取る場合でしたら、たくさんの質の高い小説を作って、たくさんの人に目にしてもらえる場所に掲載し、そこから継続的な賞賛が来るようにする、というのが良いかと思います。
プロになると、「作品がヒットしなくなる。=過去の人になる」、ということなので、プロの世界で承認欲求を充足させるのは難しいです。承認欲求が強い人は、過去の人になることに耐えられずに、心を病んでしまう危険性があると思います。
また、「メジャーになるということは、バカに見つかること」だと言われており、有名になると、それに比例してデメリットも大きくなります。例えば、大ヒットした『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』(2008年8月刊行)の作者、伏見つかささんは、ネット上にメールアドレスを公開していたところ、アンチファンレターを一人の人間から大量に送信されて、仕事に支障をきたすレベルになり、裁判にまで発展しています。
承認欲求が強い人は、裏を返せば、罵倒や批判に弱いということなので、このような状況にはなかなか耐えられないでしょう。よって、
承認欲求と向かい合うには、あまり高いレベルの充足を求めないこと。そこそこで満足すること。
継続的に承認が得られるような環境、システムを作って、自分の身をそこに置くことの2つが重要かと考えます。
多分ですが、小説を書いて投稿する人たちはほぼ全員に自己承認要求があると思いますよ。隠したり気づいていないというだけで。
> 私には自己承認要求が、巨大化していく化け物みたいに感じることがあります。自分を食い破ってしまいそうです。
> 嫉妬もしてしまいますし、嫉妬の対象になった方に嫌味を言いたくなってしまうことすらあります。
逆に考えた方がいいかもですね。
常に乾いているから何かを望み続けることができる。オリンピックに出る選手たちなんかはみなそうだろうし、むしろその欲求がなくなった方が問題でしょう。
最近話題の「現代のベートーベン」の方なども同じだったのだと思います。人に認めてもらいたいがためにルールを破りつづけ、それが快感だからいつまでたってもやめられず、結果大きくなりすぎてしまった。でもそれでもやめられないからあんなことになってしまったのかなと。
> 1、自己承認要求は何処で消えるものなのか。
死ぬまで消えないと思います。
できるのは「あきらめる」ことだけかなと。
たとえば野球選手。どんなに偉大な成績を残しても、どんなに有名になったとしても、引退を決意するときは常に悩みがついて回ると思います。工藤選手なんて辞める、やっぱりまだやる、やっぱり辞める、の繰り返しでした。あれは、自分から野球を取ったら何も残らないという思いもあるのでしょうが、それでも野球をやりたくて、そのやりたいと思う気持ちは人に認めてもらいたい、称賛をもらいたいという類のものがあったからなのだと思います。
金持ちだってそうでしょう。どんなに高価なもの、珍しいものを集めて注目を浴びても、その先を目指し続けます。彼等はその高価なもの珍しいものを集めた自分を褒めてくれるコレクター仲間がいるからこそ集め続けるのです。そしてそれは死ぬか諦めるまで止まりません。
> 2、そもそも、何故生じるものなのか。
人は誰しも他人に認めてもらいたい、褒めてもらいたいという欲求があるからでしょう。質問者さんが言っているとおりです。
ここは心理学でも学んだ方がしっかりとした答えを見つけられるかもしれません。ほぼすべての行動は人に認めてもらいたいがため、もしくは死にたくないから、でしょうし。
> 3、皆さんはどうやってこの要求と付き合っているか。
着かず離れすぎずです。
そのような欲求が人間に備わっているのであれば、受け入れたうえでコントロールするしかありません。
上手い作品を読めば嫉妬心も浮かびますし、自分の作品が面白いと言ってもらえれば嬉しくて調子に乗ります。
嫉妬心が表れた時は散歩やら何やらして頭を冷やしてから、その作品で上手いと思う部分を客観的に見られるように気分を変えます。
面白いと言ってもらえた作品に対しては、どこが面白かったのかをしっかりと頭に焼き付けるにとどめ、次の作品が不評でも凹まないように気分を変えます。
とか、いろいろです。
一生治らない病気と思って受け入れたうえで、それによって生じる感情のコントロール方法を考えた方がいいかもですね。
> 1、自己承認要求は何処で消えるものなのか。
防衛機制などで霧散するときがあります。目標を変えてみたり、誰々のせいにしてみたり、違うことをして満たされてみたり。
消えない場合は防衛機制が上手く働かないか、それ以上に欲求が強いと言うことでしょう。つまりそれそのものを達成できなければ解決できないと。
小説書きの趣味に特段の目標もないとおっしゃいますが、そうであるならば、執筆のみに固執する必要はないのでは。
> 2、そもそも、何故生じるものなのか。
自我があれば生じるものだと思います。生きているうちは大なり小なりで付き合っていくものだと考えます。
> 3、皆さんはどうやってこの要求と付き合っているか。
心理学的な話なんて日常では面倒なので気にする必要のないものではないでしょうか?
この掲示板等で言われている「承認欲求」も結局他人を中傷するだけの言葉です。誰も心理学的に捉えて改善を促しているわけではないです。
1で言ったとおり、自分の目標を見つめて直してみるのも手です。
なんとも諦めきれないのであれば、目標に対して自分がどの程度の位置にあるかはっきりさせてから、その上で何が必要かを考えればいいと思います。
僕はプロ志望なんですが。昔はそうでした。
ただこの世界は努力したからといって報われるわけではないですし。
焦っても開かない扉があることがあることを、知ってからは、なんか違うなぁと思うようになりました。
僕の中ではこれを知ることが年をとる、ということだと思っています。
若さと引き換えに得るものです。
1、自己承認要求は何処で消えるものなのか。
いい意味で諦めることじゃないですか。
自分の身体と一緒で、一生付き合っていくしかないわけですし。
付け加えるなら。
真剣にうちこめるものを見つけ。その道で頑張ってる人を見つけ、その人達と同じ環境に身をおけばいいと思います。彼らは小説に対してとても純粋でパワフルです。
2、そもそも、何故生じるものなのか。
人間だからじゃないですか。
3、皆さんはどうやってこの要求と付き合っているか。
小説を読めば、その人が何を考えて書いたかが分かって。
店員さんでも感じの悪い人と、感じの良い人がいるように。
上手いだろうと思って書かれたものは、読者にちゃんと伝わっていきます。
(読者またはお客)にとっては、作者の事情や、作者が努力してようがしてまいが、そんなことはどうでもいいです。作品、そして結果がすべてです。僕は読者に誠実であるためには、こういう感情は不要だと思うので、小説を書く時は考えないようにしています。
感想や意見を言うときは。マザーテレサの名言。
あなたの中の最良のものを世に与え続けなさいを、参考にしています。
> 1、自己承認要求は何処で消えるものなのか。
消えません。
> 2、そもそも、何故生じるものなのか。
生存に有利と思いたいから。
> 3、皆さんはどうやってこの要求と付き合っているか。
自分より強い者に学ぶこと。
他人を承認する、という欲求よりは扱いやすいですね。それが対となり、自分を認めてもらうために他人を認めてやる。必ずしも悪いことではないです。善意が広がりやすい理由の一つでもあります。
しかし、悪循環にも陥りやすいことは留意すべきでしょう。例えば、駄目なとこ探しに狂奔してしまうとかですね。
今晩は、トータスと申します。
最近は物理的に寒過ぎて冬眠状態になっている亀の様な存在ですね。
久方ぶりなので、かなり寝ぼけている感じですが・・・
最近はほぼ眠りについている感じかと・・・
> 1、自己承認要求は何処で消えるものなのか。
さて、未だ満足出来るほどのモノは作れていないので何とも・・・
ただ、消えるとしたらその事に飽きてしまった時かと愚考してみた次第。
> 2、そもそも、何故生じるものなのか。
飢えと渇き、不足するからそれを補おうと本能的に危機感を覚える事から生じるのではないかと。
足りないと思う事の基準値の差が生じたからでは?
> 3、皆さんはどうやってこの要求と付き合っているか。
うぅーん、付き合えているのかは疑問ですね。
偶に暴走して失敗してしまうので、いやはや。
私個人としては、ですが、気長に付き合うしかないかと投げています。
私個人としては楽しみたいから、勝手気侭に書き散らかしてしまうのですが、それでもそれも良いねと付き合ってくれる方が、広い世界で天文学的な確率で拾い上げて頂ける。
それで割と満足してしまっているのが現状ですね。
その代り、逆に揚げ足を取られるとその方には呪詛をぶつけたくもなるかと・・・
認めて欲しくもあるし、称賛される事もつい望んでしまうトータスです。
我が儘を偶には(?)押し通させて頂けると嬉しいかな?
現在、二次ですが、我が儘一杯のオリジナル幼児主人公を遊ばせ中・・・
賛否両論、両極端の評価を頂いております。
良いモノでは、鼻血を噴きそうとコメントを頂いた・・・
逆は、それはそれは・・・目にしたくないので封印中・・・
感想が少ないモノで、認めて頂けている数としては、日本の海岸の砂粒位かな?
仰っているのは承認欲求でしょうか? 自己承認欲求でしょうか?
今、念のためググってみたのですが。承認欲求というのは2種類に分類されているそうで、「他者承認」は他人に認められたいと思うこと、「自己承認」というのは自分の現実が自分自身の理想にかなっているかどうか気にすることのようです。文脈から察するに、仰ってるのは「他者承認」のことのようなので、勝手にそういう前提で考えてみます。間違っていたら申し訳ありません。
>1、自己(他者?)承認要求は何処で消えるものなのか。
消さない方が良いと思います。
>2、そもそも、何故生じるものなのか。
社会性ということでしょう。行き過ぎると、「集団の中に自分を安定的に位置づけるために、スケープゴートを見つけて排除する」という行動につながりますから、そうなってはいけませんが。人間同士の絆は、認められたいという願望を原動力にして生まれるものだと思いますよ。基本的には健全な感覚だと私は考えています。
>3、皆さんはどうやってこの要求と付き合っているか。。
上の理由で、ぜんぜん邪魔になっていません。
まあ、良い方向に解釈すると、「他者承認欲求」とは「協調性」、「自己承認欲求」とは「主体性」ということなのだろうと思います。
体の栄養に喩えると、脂肪は3大栄養素の一つ。欠乏すると死にます。摂取しすぎると体に悪いということです。