はじめましてジジさん、寺野サウルスと申します。
いくつか質問させていただきたいと思います。
1、作家業に限らず、どんな分野でもそうですが、プロはアマチュアにはない矜持を持っているものだと思います。
ジジさんの今までの経験上「この人こそが本当のプロ作家だ!!」と感じたエピソードはありますか?
ジジさんご自身の経験でも、人から聞いた事でもいいです。教えていただきたいです。
2、勉強やスポーツでもそうですが「基礎が一番大事」とは、よく耳にするフレーズです。
ジジさんは「作家にとっての基礎訓練」とは何だと思いますか?
「本を沢山読むこと?」「とにかく文章を書くこと?」僕自身、こちらのサイトの第四研究室の記事を読んだり、自分で考えたりしたのですが、納得のいく答えは出てきませんでした。ジジさんの考えをお聞かせください。
他の職業人とそのような話をしたことがない(普段ひとりで仕事しているので、人と合うときは愉快に過ごしたいのです)ので、私の話をするしかないのですが……
人が辛そうということも楽しい、楽しめるのがプロかなと思います。
なぜなら、好きで始めた仕事ですから。
そうでなければ続けられませんし、続けるためのさまざまな努力や作業もできません。
> 2、勉強やスポーツでもそうですが「基礎が一番大事」とは、よく耳にするフレーズです。
> ジジさんは「作家にとっての基礎訓練」とは何だと思いますか?
私見でよろしければ、「読むことと書くことを好きでいられる自分づくり」ではないでしょうか。
応募者の段階はもちろん、プロになれたとしてもその先ずっと書くことと向き合っていかなければいけません。
時代とともに移り変わるサブカルチャーの流行をインプットし続け、アウトプットする手段を考え続けなければならないのです。
だとすれば、それが苦痛になったら終わりです。
そして、大半のベテラン投稿者はそれが苦痛で実行できなくなるからこそ思考停止し、時代性に合わない作品をポストに投函してしまう現実があります。
どうすれば自分が自分の志した道を楽しく貫けるか。これを考え、実行することが、実は技術を上げることやただ本を読むより先に取り組まなければならない基礎事項なのではないかと思います。
どちらも納得していただける回答になったとはとても思えませんが、私に今言えるのはこのくらいです。
不明点、新たな疑問等ありましたら、またご質問ください。
プロとして生きていく以上、楽しい事ばかりじゃないでしょうね。
しかし「人を楽しませる」事を仕事にしてる以上、自分も楽しむ心をどこまで持つか、これが大事なのでしょう。
夜遅くに、しかも、何とも答えにくい質問に御回答ありがとうございました。
また疑問が湧きましたら、質問させていただきたいと思います。
義務にしてしまうと辛くなります。
日々の仕事が辛いのは、お金をもらうための義務だからに他なりません。
ですので、せっかくの好きな執筆関係(インプット作業含む)に取りかかるときには、ウソでもいいのでとにかくテンションを上げていきましょう。
「このコーヒーをすすり終えるまでに600秒――その間に、俺はコミカルでたまらねぇ文章を一段落分書くっ!」
「この映画は○○が売りだという。ならば俺は、そいつを他人の3倍凝視して、他人の30倍役立ててみせる!」
バカみたいに見えるでしょうが、意外にこれは効きます。
文章は、他人に見られる環境で書いていればうまくなります。ネタだって編集者や同業者とやり取りするようになれば、ある程度の目鼻がすぐにつくようになります。
角度のずれたレスを延々としてしまっていますが、とにかくまずは、応募作を楽しく書き続けるための心の基礎づくりをするよう考えてみてください。絶対損にはなりませんので
初めまして。
投稿先の賞に関する質問があります。
今年、電撃小説大賞に投稿しようと思っているのですが、電撃は他の賞に比べて圧倒的に応募数が多いですよね?
やはりその分、他の賞よりも圧倒的にレベルが高いのでしょうか?
また電撃に応募するよりも他の賞に投稿した方が受賞しやすいのでしょうか?(あくまで受賞レベルの作品を書けていた場合です)
最後にどこかオススメの賞はありますか?
ちなみに私は主にファンタジーを書いております。
変な質問ですが、お答頂ければ幸いです。
各賞のくわしい内容に触れるのは私の職域から外れますので大枠でお話させていただきます。
電撃大賞は集まる応募作数が多く、レベルが高い良応募作の含有率が高い賞です。それだけに、上へ上がるのは難しいですね。
そして、ほかの賞にはそれぞれ上に上がりやすい作品の「傾向」があります。
傾向から外れた作品はそれだけ難しくなりますし、傾向に合った作品は同じように傾向を踏まえた多くの作品とぶつかり合いになるので、それはそれで難しさがあります。
ともあれ、電撃大賞でもほかの賞でも、それぞれにちがう難しさがあります。自分がデビューしたい賞に送るのが結局は正しいと思われます。
小さなことでも、とのことなのでなんとなく思い浮かんだ疑問について書かせていただきます。
ラストで死んでしまったキャラがエピローグでなんとなく霊体化して戻ってきた、というのはやはりダメなのでしょうか?
世界観的にはそういうことが起こっても大きな不思議はありません。
基本的には、そのエピソードにストーリー的必然性があり、設定を生かしたものであればアリです。
ただ、「なんとなく」ではなく、「なにかしらのメッセージ性・カタルシス・余韻」等を練り込んだエピソードに仕上げるほうがよいでしょう。
せっかく霊になってまでやってくるわけですから、読む側に「読み終われてよかった!」と納得させるエピローグにしてあげるべきです。
ジジさんは新人賞ではプロアマ同一の基準で審査してるってことですかね?
そうです。
プロが優遇を望むのであれば、立場を生かしてコネを作り、編集部へ直接売り込めばいいだけのことですから。
プロのアドバンテージはまさに業界で繋がりを作れることで、これはアマチュアにはマネできないことです(アマチュアには商業レベルの小説が書ける保証がないので当然のことですね)。
投稿先の賞がプロに厳しい、冷遇されているというなら、送るのを避ければいいだけです。地力があるなら、他のプロアマ公平に扱う賞で勝負すればいいでしょう。
以上。これ以降のレスはできかねますのでよろしくご了承ください。
もうちょっとお願いします。
>プロが優遇を望む
逆です。
「編集者の指導の下で書いてきたプロにはアマチュアよりも高いハードルが課されてしかるべきである。それが公平であると考える。○○の作品についてはアマチュアの作品としてなら審査を通すことができる。しかしプロの作品であることを考慮すると審査を通すわけにはいかない」
こう言ってる新人賞があるんですよ。
つまりアマチュアよりもプロに高いハードルを課すことを明言してる。
しかもこの新人賞は審査員全員一致の意見と明言してます。
まあ、「このミス」なんですけど。
実際、僕は新人賞でプロが不利に扱われているように思えてなりません。
既出の質問なら申し訳ないのだが、ワシも疑問に思っていることがある。
ジジ殿的には面白いと思った作品でも、読者に受け入れられないなと商業的な判断をしたならば、その作品は落選になるのだろうか。
単純な質問だが、よろしくお願い申す。
押忍。
その応募作がおもしろいと評価できる作品なのであれば、あとのことがどうだろうと私は上げます。
下読みの正義は「おもしろい作品を上げること」。加えて言えば、それがどうおもしろいか、どこがダメなのかを洗い出すことです。それをして「おもしろい」が勝るなら、それはもう上げないわけにいかないですよ。
そして商業的判断をするのは編集部の仕事です。
足軽(下読み)には足軽の一分があり、武士(編集者)には武士の一分があるわけですので、それぞれの分の中でベストを尽くすのみです。