どうも駄作製造機の紙飛行機です。今も性懲りもなく駄作を書いていますが、ホントそこらへんはどうしょうもないです
ただラノベ作家を目指すというより、目指さなきゃならない感じがして、一種の脅迫概念で目指している感じです。自分には他に何もないですから、今更諦めるわけにもいかないのです。
ホント、ダメな見本です。才能がないと分かったら、素直に諦めるべきなんでしょうけどね・・・僕みたいにはならないでください
もし諦めたくないのなら、僕みたいに自分で自分の尻を釘バッドで叩き続けましょう。あまりオススメはしませんが
あなたが、あなたへの反論者を説得する上で必要な条件。
1.成功したアスリートや創作者と、その反対に挫折し挑戦をやめた志望者
双方についての遺伝学的裏付けを等しく明示する。
2.上記二者の後天的・環境的要因を、これも同じく等しく検証する。
3.上記1・2の検証を行う上で、遺伝と環境の二つの事象を分けるに足る反論不可能な境界線を定義する。
というわけで、あなたには今から遺伝子研究に取り組んでいただきたいと思います。
これは、あなたに課せられた責任であり与えられた権利です。
あなたが自論を曲げない限り、放棄しない限り、これを拒絶することは許されません。
許されないどころかどうぞ喜んでください。あなたの生きるための目標が、いまここに生まれました。
作家になれないからといって、そのなれない理由を聞きかじりの不完全な情報に求めないでください。
更にはそんな粗末な理由で、呼吸をするがごとく簡単に生死を決めないでください。無責任すぎます。
尚のこと更に、そんな無責任な決断だからといってハンドルネームでしかつながりのないであろうこの場で一々気晴らしのごとく軽々しく宣言しないでください。迷惑すぎます。
作品執筆・作品公開という当然の事象に塵ほども触れない人間が「ああ、作家になれない~」と嘆き悲しむのって遺伝云々という御大層な能書きでこじつける必要があるのか、呆れるなという方が無理な話です。
ここでのやりとり―言論という限定的な手段―でさえ、僕を含めたたかだか20数人を説得できていない以上、あなた自身に意識改革が必要なのは、あなた以外の誰の目にも明らかです。
さて、昔から、「芸が身を助くるほどの不幸せ」と申します。
人は汗水たらして働いて生きるものであり、それすらもできない人が芸を金に換えて暮らすのだ、という意味です。
これは、芸で生計を立てることがいかにリスクの高いことであるかを表しています。。俳優の世界では、NHKの大河ドラマでセリフが1行でもあれば周囲の見る目が変わるといいますが、そこで主要人物が演じられる人でも、次の年に仕事が来る保証はありません。
ラノベ作家も同じことで、仕事が来てナンボです。そのリスクを背負う気のある人が、プロを目指すのです。そこまでする気のない、あるいはしなくてもよい人たちが、アマチュアとして、ラノベというジャンルの裾野を広げる活動をしているのです。
才能がないことを自覚し、そこで諦めるのなら、アマチュアとして、あなたの愛するライトノベルという分野を下支えすることに力を尽くされてはいかがでしょうか。それはそれで、価値のあることです。
自分の才能の無さを認めて、それと折り合いをつけて生きていくしかないですよ。
世の中の大半の人はそうやって生きているのですから。
それが嫌なら、たとえ望みが薄くても頑張り続けるしかないです。
あと、裏技として自費出版という手段もありますし、最近はネットで連載して人気が出れば出版できたりと、アマとプロの垣根はかなり曖昧になってる気がします。
デビューするのに必ずしも賞を取らなくてもいい環境ができつつあると思いますね。
なので、そんなに絶望しなくてもいいと思いますよ。
「デビューできればラッキー」くらいの気持ちで創作を楽しめば良いと思います。
それに作家になる事だけが、人生ではないですしね。
努力する気がないなら諦めなさい。小説を書きたくないなら一生フリーターでもやってなさい。
小説家になれる人間なんて、三度の飯より小説を書く事が好きな人だけです。
名前は忘れましたが、学校の教科書で学ぶような文豪は、月の明りを利用して自分の文章とにらめっこしていました。
だから文豪には短命が多かったそうです。あなたは、明日の朝9時から仕事があったとしても、徹夜で小説を書くのに夢中になれますか?
私はなれますよ。つい三日ほど前、空腹も、時間が経つのも、次の日が仕事であることさえ忘れて、7時間くらいぶっ通しで小説を書いてました。
なぜそんなことができるかって、小説を書く事が好きだからです。この程度のこともできないならあなたには才能はありません。諦めなさい。ただし、自殺はやめたほうがいい。
ついでに、貴方は「ライバルの増加」「技術の発達」「低年齢化」を嘆いているようですが、私は歓迎するべきことだと思っています。
昔はこういったことを学べる下地が整っていない社会だったからノウハウすら掴むことができず諦めてしまう人が多かったかもしれませんが、今は社会全体が、そう言った才能を発掘する方向に力を注ぎ、それに対応できた人達がどんどん才能を開花させていくわけです。
素晴らしいことです。おかげで、彼らはやりたくない仕事から一秒でも早く抜け出し、己のやりたい仕事をお金にする手段に巡り会えているわけです。
そして、彼らはあなたのように、遺伝がどうのこうのなんて、できない理由や言い訳を探したりしないので、自分の目標に邁進していけるわけです。なぜなら最大のライバルは他人ではなく、自分であり、ノルマは自分が掲げている理想そのものだからです。
うまくなっていく人は自分の理想をノルマにするのです。
まとめますね、あなたに才能がない理由はたった次の三つです。
・小説家になる気がそもそもない=努力する気がない。
・自分の夢を叶えられないことを誰かのせいにしている=自分の努力不足は決して疑わない。
・できない理由を必死に探している=どうすれば自分の夢が叶うのかを考えるのではなく、自分の夢が叶えられない理由を探している。
愚かです。バカバカしいです。くだらないです。そこいらの道端に転がっている朽ち果てた石ころと同じレベルでどうでもいい理由です。
どんな夢を抱いたって叶うわけがないじゃないですか。
始めに言っておきますが、これは完全に私が思ったことで、私の考え方です。
そして、かなりの乱文と予想されます。
加え、貴方様含めその他にも不快に思う方がいるかもしれませんが、あらかじめご了承ください。
貴方様は何か勘違いをされているのではないでしょうか?
才能なんてものは所詮成長速度です。
世の中には1から10のことを学ぶ人もいますし、1から1未満しか学べない人もいます。
そうなれば当然前者が成長が早いでしょう?
確かに、世の中にはどうやったって敵うことの無いような化け物がいます。しかし、その人たちは才能とかそんなもの以前のお話です。
化け物は化け物しか倒せません。
貴方様は化け物なのですか?
きっと違うでしょう。
貴方様は成長速度の遅い人間なのでしょう。だったら地道に努力を続ければいい。
ただ、貴方様は他人よりも多くの時間を犠牲にすることが大前提です。結果を出すまでに一万時間どころか、十万時間、それどころか百万時間を費やすこととなるかもしれません。
その膨大な時間を創作に費やすことが出来ないというなら今すぐに創作を止めればいい。
そうすればライトノベル作家を目指す人にとってのライバルが一人消え、貴方様はその絶望から逃れられ、私としても敵が一人減ってくれて有難い限りです。
もし続けるというなら、まずは目標を下げるところからです。
新人賞一次審査通かではなく、ここで一人からでもいいから褒められるようになることを考えてはいかがですか?
それこそ、そこまで強い絶望を感じたならその絶望を文章にでも書いてみたらどうですか? 支離滅裂でも、文章と呼ぶのも恥ずかしいようなものでもいいです。
きっとリアルな絶望がそこには描かれているのではないですか? あとはそれを文章に仕立てて、自分の作品に取り込めるような形にすれば、とても素晴らしい絶望を表現できているかと思います(もちろん、今までの貴方様と比べですが)。
そうやって少しずつ自分の能力を上げていかないと、腕の立つ人間にすらなれないですよ。
正直、プロでも腕の立つ人間程度の方もいるはずですよ。まあ、化け物もいますけど。
最後に自殺云々についてですが、(貴方様がボッチ、引きこもり、無職、障害などをお持ちでないの方と想定して)貴方様自身の同年代の方と同じような生活を送れるようになってください。そして周りの人を見てください。
きっと夢を諦め、色んなところで妥協をし、折り合いを付けてきた方ばかりでしょう。
そんな人たちを前にして「夢が叶えられないから死ぬ」なんてことが言えますか?
それどころか、貴方様の主張なんてまるでくだらないことのように思えるほどに、辛い思いをして、厳しい現実に晒されて生きている人など山のようにいるのです。
そんな人たちを前に「夢が叶えられないから死ぬ」と言えますか?
貴方様に言葉をかけてくれる方々がいるだけいいと思ってください。世の中には言葉すらかけてもらえないような人だっているのです。
散々好きなことを言ってきましたが、そろそろ失礼したいと思います。
一つ言いたいのは。
あなたが言う絶望は、多くの人々が経験する人生の中では、まだ浅い。
私は今、病気を患っていまして、まともな職に就けないんです。
親に世話になりっぱなしで、ことあるごとに文句も言われ続け、集中力を阻害される日々を経験しました。
かかっている病気について、親の理解が得られていないんです。
このまま病状に改善がなければ、将来私は両親が死んだ後に貯金を食い潰し、餓死することになります。
そんな状況で、私に自殺を思い止まらせたのが、小説なんです。
私は小説を書くのが好きですから、そのために悩んでいれば、その先のことを考えずに済みますからね。
もう、餓死する将来しかなかったとしても、小説を書きながら死ねるのなら、それでいいと思っているんですよ。
文才がないことくらい、なんだって言うんですか?
私にだってあるとは思ってません。
ただ書きたいから、それを人に伝えたいから書いているだけです。
文才がないからって、人は死にはしないんです。
そういうことは、私のように人生の進退が窮まってから口にしてください。
そうでなければ、『助けて』と親にもいえない私の立つ瀬がないじゃないですか。
偉そうに長々と語ってしまってすみません。
何かの参考になれば幸いです。