バカモンさんの質問 2013年05月11日
おはようございます、バカモンです。
半分雑談みたいな疑問なので交流用掲示板に出すべきかどうか迷ったのですが、一応創作に関わる問題なのでこちらに挙げさせて頂きます。
この研究所の記事を読んでいて、よく「キャラクターが薄っぺらくなってしまうのはよくない」と言うのを目にしました。
しかし僕はふと思ったんですよ「現実の人間にだって厚い人薄い人がいるのだから、薄いと言うのもまた一つの個性では無いのか?」と。
単純に「唾棄すべき俗物」としてその軽薄さをひたすら醜く書いてもいいし、或いは「軽薄の魅力」を書いたっていいと思うんです。(例えば「遊び人が理想も信念も目標も無く、ただ仕事の報酬(つまり日々の遊ぶ金)が欲しいから戦う」これって真底遊ぶのが大好きだからあぶく銭に命を賭けるってのが魅力なのであり、これに色々湿っぽい理由を付け加えるなんて興醒めじゃないではないかと)
と言う訳で僕は「薄いキャラクターっていけなくないんじゃないか?」と言う思ったのですが、皆さんはどう思いますか?
●答え●
薄っぺらいのがいけないのではなく書き方に問題があるのではないのでしょうか。
なんとなくなのですが薄っぺらいキャラクターといわれて嫌われているのは、キャラの掘り下げが浅いのかもしれません。
すみません自分でもよく分かってないのですが個人的にはこのような意見になります。
個人的には、薄い、というのはそういう意味ではないと思います。
例えば軽薄な人間もいるし、そういう風な魅力もあるでしょう。
それを充分に書けるのであれば薄っぺらいとは言いません。
なぜかというと軽薄さをしっかりと書けているから、地に足が着いているのです。
ああ、こういう奴がいるんだなと実感できる。
この場合の薄っぺらいとは、作者の技量に関連してくることです。
どんな王道的なキャラクターでも素人が書けば、薄っぺらいでしょう。
逆にどんな軽薄な奴でも、熟練した物書きが書けばそれは厚みを伴ってくるはずです。
上手くは言えないのですが、そういうことです。
要はそのキャラクターにリアリティを与えられるか、ということなのだと私は理解していますね。
勘違いなさらないで欲しいのですが、これは設定だけでどうにかなる問題ではありません。
本文中の描写や、ストーリー構成、その他諸々が積み重なってひとつの実在感を生み出すのです。
こんにちはー。
薄っぺらいというのは、単純に書き足りないことで、「あっさり書いている」というと、またちがう意味が出てきますよね。
人物をこってり書こうと思えば書けるけど、強弱、めりはりをつけるために、 あっさり書くというのは手法として有効な気がします。
そういう風にとらえればいいんじゃないでしょうか。
設定の厚みと、人間性の厚みは、別物です。
現実の人間にも厚い人薄い人はいますが、
20歳ならどんな人でも「20年の歴史」があります。
この歴史が作りこまれていない「薄っぺらいキャラクター」がいけないってことです。
仮にこれを「いけなくない」として容認するならば、ただの手抜きかメタフィクションになります。
人物の背景が見えてこないからだと思います。
その背景に厚みをもたせるため設定を加えるのも良いでしょうが、設定を加えたところで厚くなるのは設定集のページくらいでしょう。
ぶっちゃけ、
>「現実の人間にだって厚い人薄い人がいるのだから、薄いと言うのもまた一つの個性では無いのか?」
この時点でそのキャラは薄っぺらくないと思います。
薄っぺらいのが個性だと言った時点で、そういう人生を歩んできたキャラであろう背景がイメージできますし。
薄っぺらいキャラクターとは、文章から文字以外のことが読者へ伝わってないような、要するに作者のイメージや考察や練り込みが薄いキャラクターのことですね。
既に他の人にも指摘されていますが、おそらく前提を誤解されているのではないかと思います。
うお、なんか書こうかとおもったけど、だいだいぼくが書こうとしてたことはみなさんに書かれてる。
こんにちは。つたない意見ではありますが、書いてみようとおもいます。
○ 薄っぺらいキャラクターはどうしていけないのか。
バカモンさんのおっしゃるとおりです。いけないということはないとおもいます。
底の浅い人間だということを深くほりさげれば、それはおもしろい人物描写になるとおもいます。ぼくも底の浅い人間ですので、そのようなキャラクターには共感します。
軽薄の魅力もそうですね。深くなっとくします。
というわけで、ぼくはバカモンさんの意見に同意します。そのとおりだとおもいます。
以上です。失礼します。
他の方が『薄っぺらいキャラクタ』という言葉の認識違いについて指摘されているわけで、そうなると質問の前提条件から揺らいでしまって、これ以上の解答は無意味だとは思うのですけれど……それでも一応、私も意見を書かせていただきます。
そもそも、問題となっているのは、薄っぺらいキャラクタとは何かということですよね。
ですから、私はその辺りのことについて、お答えさせていただきたいと思います。
結論から言うと、物語上の役割が振られているだけで、生きた人間の反応を返さないような人物のことを『薄っぺらいキャラクタ』と言っているのだと、私は考えます。
極端な話、『ドラゴンクエスト』などのRPGでは「ここは○○の村です」という台詞しかない、いわゆる村人Aとでもいうべきキャラクタがいますけれど、まさにそれです。
彼らはプレイヤに「ここは○○村なのか」ということを知らせる上では重要な存在で、それで立派に役割を果たせています。
けれど、名もなき村人Aだけではなく、メインキャラクタもその調子で書いてしまうと大問題なのですよね。
例えば「俺は主人公の仲間の○○だぜ、ヒャッハー」みたいに、文面上はそれらしく個性を取り繕っていても、それは語尾や口癖(あるいは外見描写)が変わっただけで、本質的には何も変わりません。
そのため、物語を進める肝心の場面で、場当たり的な台詞しか口にできなかったり、行動が単調になってしまったりするわけです。
そうした薄っぺらいキャラクタは印象に残り難いですし、感情移入もしにくく、正直に言えばノイズですらあります。
結果的に、それらの薄っぺらいキャラクタのせいでストーリーを読み進むが億劫になり、作品全体の評価も低くなってしまうでしょう。
ちなみに、先日亡くなられた『ゼロの使い魔』の作者であるヤマグチノボル氏は同作品の五巻のあとがきで、描写の一切ないキャラクタにも性格付けをしているということを述べられています。
まあ、普通の人はなかなかできるものではないですけれど、それでも、ひとりひとりの人物に人格を与えているからこそ、ヤマグチノボル氏の作品は誰もが生き生きとしていて、誰ひとりとして薄っぺらいキャラクタがいなかったのですよね。
反対に、キャラクタをただ配置しただけにしか見えない、薄っぺらいキャラクタばかりの悪例としては『機動戦士ガンダムAGE(特に第一部)』というものもありますけれど……まあ、こういう場で批評を書くのもはばかられるので、そういったものもあるのだという参考にしていただければと思います。
質問の趣旨からは相当ずれていますが、私からの意見は、以上です。
こんにちは、雷です。
> この研究所の記事を読んでいて、よく「キャラクターが薄っぺらくなってしまうのはよくない」と言うのを目にしました。
> しかし僕はふと思ったんですよ「現実の人間にだって厚い人薄い人がいるのだから、薄いと言うのもまた一つの個性では無いのか?」と。
他の方々も指摘されていますが、おそらく、前提が違うんですよね。
> 単純に「唾棄すべき俗物」としてその軽薄さをひたすら醜く書いてもいいし、或いは「軽薄の魅力」を書いたっていいと思うんです。
バカモンさんがおっしゃる「唾棄すべき俗物」も「遊び人」も、かならずしも“薄っぺらい”とは考えられません。
むしろ、非常に個性的で魅力的な人物である可能性の方が大きいです。
もちろん実際の描き方にもよりますけどね。
バカモンさんが疑問に思っている“薄っぺらいキャラクター”というのは、極端な言い方をすれば、物語世界で“生きている”感じがしないキャラクターのことだと思うんです。
言動に説得力が無い、存在そのものにリアリティが無い、と言い換えてもいいでしょう。
僕も、つらつらと書き進めている物語に“薄っぺらいキャラクター”を登場させています。
彼は口が軽く、考えが浅く、あくまで楽観主義で、面倒くさがりな怠け者です。
ですが、彼がそれまでにたどった人生のありさまを、おぼろげながら考えていますし、周囲の人物が彼と影響を与え合う様子を描くことで、物語中の存在感を補完しようとしています。
そういう、作者なりの深化の試みをしていないキャラクターというのが、サイト内や掲示板でたびたび指摘されている“薄っぺらいキャラクター”ではないでしょうか。
うーむ、僕は薄いキャラは嫌いですね。
純粋に面白いと思えないというか……。
読んでいても記憶に残らないし、眠くなるのですよね。
やはりキャラクターは作中で単なる記号となるのではなく、その人らしいメンタリティがないとなあ、と思ってしまいます。
これまで出ている意見で充分と思いますが、自分なりに感じた点をいくつか。
端役程度の存在は、わかりやすさを重視せねばならず、それが薄い風に感じられるともあると思われます。
また、多少の役所のあるキャラでも、小物にすると、これが薄っぺらい感じになってしまうように思います。実際、自分はこの小物の処理というのが、ネックになることがままあるので。
主人公と端役では、作中における情報量が異なりますので、表現の濃い薄いは出るでしょう。問題は、やはり、重要なキャラクターの描き方、描写不足にならない点でしょうね。
どうもRainです。胸は薄いキャラの方が好きです(←重症)
「薄い」のは別にいいと思うんですよ。物語でも水戸黄門の悪代官なんて「薄い」のキワミみたいなもんですし。
ただ「そこは薄かったらダメだろ!?」みたいな部分があるのではないかと思います。物語の中で役割を果たしていないのではないでしょうか。
たとえば「善悪とは何か」をテーマとした作品に「水戸黄門の悪代官」みたいなペラッペラの悪役を出したとしましょう。コレ絶対ダメだし食らいます。
何故なら「悪代官」は私腹を肥やす為だけに悪事を働き、ぶち殺されても「これにて一件落着」で終わってしまうような存在だからです。
ここで欲しいのは「善と悪の認識を揺るがす悪役」とかです。これには「悪事を働くのは正義の為」とか言うのが好ましいですね。それに対して主人公たちは一体どんな答えを出すのか……というのがドラマだと(個人的には)思います。
一体どんなキャラなのかは知りませんが、物語の中で役割を果たしているか考えてみてください。また、蛇足なら切り落とす事も検討すればいいのではないでしょうか。
薄っぺらいキャラクターは、ストーリーや他のキャラクター、読者に対しても薄っぺらい存在です。
だから、存在意義も薄くなるし、絡んで来てもその事柄そのものが薄くなりかねません。
深く関わらない町の人Aとかなら良いでしょうが、そんなんがストーリーのメインキャラクターだったりするとストーリーそのものも薄くなっちゃったりします。
ただ、なんでも湿っぽい理由つけてどうにかすると言うのは私も嫌いです(笑)
ただ軽薄な者は、読者が勝手に書き足していってくれるので、 面白いキャラクターでもあります。軽薄だけど変わっていくって言うのもおもしろいですね。
使いようで、色々光りますが、使い方を誤ると色々残念にしてしまうのが、うすっぺらいキャラクターです(投げ)
思考が単調で軽薄な人物にしても、思考が複雑で深みのある人物にしても、読者がそれに対する想起や考察を繰り返すことができる点では同じだと思います。
私は状況から人格をあぶりだせれば軽薄か否かはさほど問題にしません。怪盗が美術品を欲してたまらないから盗みを働く、というのは深みのかけらもありませんが、それをキャラが薄いから良くないなどとは言わないでしょう。
単に美術品があるから欲しがる、という図式を想起させるだけでもキャラ付けはキャラ付けです。その手段には工夫を凝らしますし、そこにその人物だけの傾向を持たせることも試みはします。
状況が変わって人物の新しい側面が見える、というのもあくまで考察の一つです。状況をひたすら変化させてその軽薄さを徹底的に書いて最後まで貫き通させるのもまた作者の技量かと。もっとも、軽薄すぎて状況一つ変わるだけで自滅する人物もいますが。
逆に言えばそういう人物は思考パターンが同じなので、似たり寄ったりな思考パターンしか書けずに、途中で飽きられる可能性が強くなるのかもしれません。軽薄な人ばかりを同じ状況で長大に書かれてもひたすら天丼を続けられている感覚に陥るでしょうから。