なすびさんの質問 2013年04月28日
初めまして、なすびといいます。以後お見知りおきを。
現在、始めての長編に挑戦していて、大まかなプロットもできているのですが。タイトルの通り、書いてる途中変にこっ恥ずかしい気持ちに見舞われてしまいます。
具体的にどういう風に恥ずかしいかと言うと、執筆中は特に気にならず、夢中になって書けるのですが。
時間が経ってから、自分が書いた内容を思い返すと「ああ、自分って夢中になって、こんなこと書いていたのか」と、冷静に客観視して恥ずかしくなってしまい、そのまま続きを書こうとすると、「自分はこれからまた恥ずかしいものを書いてしまう」と、ある種強迫概念のようなものに取り憑かれ、思うように筆が進まなくなります。
一旦全て書ききって「残すは推敲のみ」の状態に移れば、恥ずかしくならなくなるので、短編は難なく書けるのですが。
長編はすぐに書き終わらないので、一旦区切りのいいところまで書く→再開→停滞。といった具合に、結局書きたいのに書けないジレンマに陥ってしまいます。
「恥ずかしいのは気にせず、深く考えず、がむしゃらに書けばいい」と言われれば、それまでなのですが。根性論で解決するなら苦労はしないんですよね……。
もし似たような経験がある方がいらっしゃったら、お話を伺ってみたいです。勿論そうでない方のアドバイスも待っています。
●答え●
根性論ではありませんが、結局は精神論です。だって、そういうのって気持ちの問題ですからね。
ちなみに僕は誇りを持つようにしました。『誇り』といっても言葉通りのものではなく、「自分の書いてるものは恥ずかしいものじゃない」「読む人によっては感動したり出来る良作なんだぞ」と自分に言い聞かせて書いています。
誰かが見たときに笑われるようなものだと思ってしまうから恥ずかしく思うのです。まずは自分で自信を持たないと。
先にも言った通り、結局は気持ちの持ちよう。そうなってしまうと苦労せずに解決することは難しいでしょう。すっと書ける短編ばかりに絞っていくか、気持ちを切り替えて挑戦していくかは貴方次第だと思います。
では、頑張ってください。
わかりますよ~その気持ち。
私もまだまだ書き始めたばかりの初心者ですが本当に初めの頃は、恥ずかしくてたまらなかったです。
ですが最近は少しずつその気持ちは薄れてきました。
要は『慣れ』じゃないでしょうか?
初めましてです。
私は長編を書いたことがないです。恥ずかしい掌編を書いてるひよっこです。
私が思うに、何で恥ずかしいと思うのかを考えるのが大切だと思います。
十分考えたから質問したんだよ、と思われるかもしれません。
でも作家というのは、そういうことを考える人がなるべき気がします。
>ある種強迫概念のようなものに取り憑かれ、思うように筆が進まなくなります。
強迫概念とはどういう意味でしょうか。そう思っているものは本当に強迫概念なのでしょうか?
>結局書きたいのに書けないジレンマに陥ってしまいます。
書きたいのに書けないとは、意味が分からないです。矛盾です。
書きたくなければ、書かなきゃいいじゃないですか。
そんなことに、うじうじしてる自分が恥ずかしくないですか?
書けないことを、別の何かのせいにするのは好きではないです。
>根性論で解決するなら苦労はしないんですよね……。
スクール水着を着て渋谷を歩けばいいと思います。
そうすれば、恥ずかしくなくなるかもです。
方法論です。
極端な例えかもでしたけど、結局何をするにしても、どこかで苦労すると思います。
恥ずかしいと思う気持ちを抑える方法を考えるのに、精神論、根性論と切り離せるのものなのでしょうか?
その気持ちを一時ごまかせたとしても、根本を解決しないかぎりずっと付きまとってくると思います。
自分が書いているものは、誰が見ても恥ずかしい主張かもしれません。でも主張すれば、それは誰かの反面教師になったり、誰かの楽しみになったり、あるいは、誰かに何かのきっかけを与えるかもしれないです。
0と1は、計算上では小さな差なのかもしれませんが、0か1か、それでもやるかやらないかの差は、人生を変えるくらいには大きい気がしないでもないです。
ソース思い出せないのですが、昔ある雑誌に書いてあったイラストレーターのコメント
「自分の作品というのは自分の排泄物。それを人に見せたり売ったりするようなもの」(意)
恥ずかしくて当たり前ということででしょうね。
ミュージシャンの谷村新司さんも似たようなことを言っていました。良いものを吸収すればそれだけ……
実際はそのまんまずばりの表現なので、強烈でしたがなるほどなと思った記憶があります。
表現は自我の発露、恥ずかしさと快感の紙一重。
楽しんだもの勝ちである。と自らに言い聞かせております。
参考になりましたら幸いです。
はじめまして、なすびさん。Vedaと言います。
私もそのような経験がありますよーー
書いて後から読んでみると、すごく恥ずかしいんですよね。
「何で書いたんだろう」って。
そのような文章を書いたときって、気持ちが昂ぶっていませんでしたか?
小説以外でも気持ちが昂ぶっている時にしたことって、あとから考えると「何であんなことをしたんだろう?」って思いません?
例えば、お酒を飲んで皆で騒いだ時。
なすびさんがまだ未成年でしたら、友達と騒いだ時。
学校で友達と騒ぎすぎて、先生に怒られた記憶はありませんか?
気持ちが昂ぶって、興奮して、いつもはしない行動をしてしまうんです。
それは小説を書く時も同じです。
「恥ずかしいな」と後から思う文書を書いている時って、頭の中にありありとその場面が浮かんできて、一種の興奮状態のまま書いているんです。
文章って、自分がしたアホな(笑)行動とは違ってあとあと形に残るものなので、後で冷静になった時、正気に戻った時に恥ずかしいなと感じるんです。
何処で読んだかは忘れましたが、小説って寝る前には書いちゃダメなんだそうです。
リラックスしている状態だと、創作意欲が湧いてきて興奮してくるので、その状態のまま書くと十中八九、次の日に読んだ時に恥ずかしいと思うらしいです。
もしくは、寝る前に書いても、次の朝違和感を感じるか感じないかでも違うそうです。
なのであくまでも自分が、「冷静」な時に書くのが一番らしいです。
興奮状態の時は、あくまでもプロットや下書きなどにとどめておくですとか。
私もよく、自分の書いた文章を恥ずかしいと思っていましたが、今は上記のようなことをしてそんなに感じなくなりました。
完全な横レス失礼いたします。
私は音楽好きなのですが、創作に行き詰ったときはよく同じような苦悩をもったプロのアーティストの曲を聴いて精神を統一しております。
そこでなすびさんの心に届きそうな曲を三曲紹介しておきます。
・THEBACKHORN「運命複雑骨折」
実はおうかさんの仰る「排泄物」という言葉でこの曲がびびっときて横レスしてしまったのです(笑)
・SOULSCREAM「BRANDNEWfeat.Rhymester」
まさになすびさんのいう「恥ずかしさ」そして生みの苦しみをありありと描いた曲です。
・RHYMESTER「ノーサイド」
作品に対する「恥ずかしさ」とはまた論旨の違う曲やもしれませんが...
『自分の作品を恥ずかしいと思って手が止まってしまう』こと自体を肯定してみるのも一つの方法かもしれません。
作品を恥ずかしがってもう極限まで己の身を辱めたうえで、また机の前に座ってみれば、見える世界も違うかも。
THEBACKHORNやRHYMESTERの曲には多く「生みの苦しみ」や恥ずかしさについて歌った曲があります。特にRHYMESTERのvo.のお二人は昔の作品のことをはっきり「恥ずかしい」と曲の中で表現したこともあります。
しかし、彼らは同時にそれらの作品を黒歴史だとか消したいとか思っているわけではなく、今でもほとんどの曲をまるで毎回原点回帰するかのごとく大切に歌っています。
つまり何が言いたいかというと、恥ずかしいものでも全力をもってやればそれは自分にとって誇れるもの、さらには未来につながる独自のスタンスになっていくってことです!!
では拙文かつ空気の読めないレス失礼しました。
もし音源が入手できないならば歌詞を読むだけでも価値がある曲たちなのでぜひ一度ふれてみてください。
THEBACKHORN「運命複雑骨折」
良い曲ですな。創作する上の苦悩を思い出して胸打たれます。
余談ですけど、私が取り上げたそのイラストレーターは浮世絵っぽいタッチで洋画でも日本画でもアニメ風でもない現代美術にしては軽めな絵でした。まさに異端って感じです。
他の曲も聴いてみます。
横の横レス失礼いたしました。
はじめまして。
恥ずかしさを覚えたのは、わたしにもあります。それで、筆を置きます、同じく。
その場合わたしは、その恥ずかしさやマイナス感情が消えるまでその作品を前に進めません。時間を置きますよ。何ヶ月でも。
一年くらいおくのもあります。
そしたら私の場合、また書き進めようかな、っていう気持ちが出てきて、続きを書くんですよね。
でもその時、じっくり読み返して、またああした感情が出てくるのはいただけないので、取りあえず「完結」だけを目指して筆を取るんですよ、ええ。
似たような体験なのかわかりませんが、書き込みさせていたただきました。
どうも、サイラスです。
自分も経験があります。そんなときは、問答無用で封印しました。乗り気がしない作品ほど、悲惨ですから。
うんで、次になんで、こんなものを書いたのだろうと分析してみてください。多分、この設定やキャラで書きたかっただけ、自分勝手な衝動だけの部分が出てきます。
では。
本当に出しゃばってごめんなさい、でもRHYMESTERを紹介し、なおかつなすびさんのいう「恥ずかしさ」に対する答えとなりうるピッタシのものを紹介し損ねたのでひとつだけ。
その作品は「マニフェスト」という2010年にでたアルバムです。
このアルバムには「(才能を)もたざる者へのエール」が強く押し出されています。
「ONCEAGAIN」でいい年をしてデカい夢をもつ「恥ずかしさ」を吐露し、「NewAccident」や「K.U.F.U」で「妹のパンティ回す(!?)」級の発想の飛躍の必要性を説き。
そして「ラストヴァース」でたとえ自らの音楽がただの騒音であっても思いを伝えることを「公約」する。
まさに今のなすびさんの心境にぴったりではないでしょうか。
P.S.
あきらかに出しゃばりすぎてすいません(汗)
もうこれ以上何か曲を紹介することは誓ってないのでご勘弁を。