神北百合さんの質問 2013年03月13日
こんばんは。以前に賛否両論な質問を投下した神北百合です。覚えている方はお久しぶりです。初めての方は初めまして。
さて、さっそく質問(たぶんくだらないかも……)なのですが、みなさんは小説を書く上で他の人の文章と自分の文章を比較してしまい、かつ自分の文章に“劣等感”を感じてしまった場合にはどのように克服していますでしょうか?
以前にも話をしましたが、私はつい最近までスランプに陥っていました。結局、質問内容の話も書きませんでしたし、ただただ毎日読書する日々が続いていました。
しかし、最近になってやっと新しいGL小説を書く気になれたのです。以前は神経質だったから今回は「70%くらいの気持ちで気楽に書けばいいや~」的な思考でガリガリ書いてました。正直なところ、今の悩みさえなければそのまま自信満々のまま最後まで書けていたはずでしょう。
ですが、その間に旅行が入り、帰ってきて「さぁ書こう」と思った矢先に以前の神経質な性格が戻ってきてしまったのです。
それに加えて、
「うわぁよく見たら人物描写手抜きだなぁ」と思いこのサイトにある『美少女の書き方』を見る→余りにも自分の文が稚拙に見えて吐き気とヤル気&自信がガッツリ持っていかれるのコンボを食らい、今では以前のスランプ状態に……
……ホントもう、こういう場合っていったいどうしたらいいんでしょうかね?
今までスランプになんてなったことなかった(昔はそこまで文章に拘りを持ってなかったので)分、今の心理状況に戸惑いとイライラが隠せません。現に私の書き方は手書きからのPCで打ちこむ流れなのですが、その紙を今ビリビリに破きたくなるくらいです。頭に話は入っているのに続きが書けなくて。
因みに以下の文章が吐き気やらなんやらを起こしている人物描写です。
ジャンルは短編小説で、人称は一人称。主人公は高校一年生の女の子という設定なので、人物描写はこんな感じかなぁと思い書いたのですが……ソレは単なる実力不足の言い訳ですよね……?
※※以下本文抜き出し※※
しかし、それにしても先生は子どもっぽい……いや、歳相応の顔には見えないなーと思う。
背中まで伸びた栗色の髪はウェーブがかかっているというかクセが強いし、それに服装は薄黄色のタートルネックにクリーム色のロングスカート――
傍から見たら『ちょっとオシャレをした大学生』に見えがちなその出で立ちだが、実はワタシよりも十歳年上で二十五歳なのである。ホント、その白衣がなかったら大学生ないし下手したら高校三年生にも見えなくもないよ。身長もワタシと同じ百六十くらいだし。
……まぁ、といってもその分雰囲気が大人びてるから、そのギャップがいいんだけどね――
※※抜き出し終了※※
……いかかでしょうか?『美少女の書き方』に書いてある例文と比べたら酷いですよね?というかなんかもう色々と文章がおかしい気がry
それぞれの感想をお待ちしております。厳しい評価を貰う覚悟もしてます故……
またしても長くなってしまいましたが、回答の方よろしくお願い致します。
●答え●
イイと思いましたよ。 まぁ、私の感覚としては、
そもそも「小説の書き方」みたいなものは「万人に対応できるように」「いちばん無個性でいちばん平均的な」内容であるものなのですよ。
だから実際に書いてきて個性を獲得したり、自分の方法を確立できてる人にとっては邪魔にしかならないことも多い。プロの作家さんって、結構そういう方法論から外れてること多いですし。
第一、描写すりゃいいってもんじゃない。やっぱり大事なのは全体のリズムだと思うんです。
それが崩れるなら冗漫な描写は邪魔なだけだという気がします。それに、全体を通して描写のレベルを揃えれば、違和感などありません (部分部分で描写の度合いが違っていると、下手だなって思います……もちろん、必要性がある場合は別ですよ?)
たとえばSFなんかの場合だと、外見の描写ってあんまりしないんですよ。でも全編通してそうだから、口調や仕草から勝手に想像できる。つまり、冒頭で示した以上の外見情報を、それ以降晒さなければ基本良いんだと思うんです。
例えば、お話が始まってからしばらくして「彼の紅い髪が…」とか書かれると「思ってた色と違う!」となるわけです。そういうのは(やる作家さんもいますけど)わたしは好きじゃないです。
だからまぁ、描写の方法については本当に色々な方法論がありますから、「平均的なラノベの方法」に縛られることはないでしょ。プロになったらイラストがつくしね!
個人的にはかなり微妙……というか、僕なら絶対にこんな書き方はしません。まぁ、下手とか上手とか以前の問題で、個人の好み的な意味でしないだろうなぁという話ですが。
ぶっちゃけ、劣等感なんて誰だって感じています。でも、そんなものを気にしていても意味は無いし、結局書き続けないと上達もしないので悩むだけ無駄というか。
下らないといえばそこまでですが、実際気にしてはダメな部分。もっとポジティブにいい方向へ進めるように妥協していくべきなのではないでしょうか。
個人的にはいいと思います。ただ、ありきたりなので印象に残りにくいかもしれませんね。
ただ、一人称で高校一年生がプロ並みに詳しく容姿を分析していると違和感あるかも。それぐらいがいいかもしれません。
劣等感は私にもあります。しかしながら、吐き気を起こすぐらいなら描写を分析したほうがいいとポジティブに考えているのですが……参考になりますでしょうか?
人は優越感と劣等感の狭間で、どちらか一方に傾きながら生きているのが正常な状態ですから、生活に支障が出ない程度なら心配いりません。
さて、人物描写の件ですが、これを手抜きというなら、手を抜いている部分があるはずです。
それは、不必要な情報を削ることをしていないから、ぼやけた描写になっているということが大きいですね。
自分のイメージを読者に正確に伝えようとするあまり、微妙なニアンスを詰め込みすぎています。
一つ一つの表現を明確に(大雑把に)しましょう。
頭の中に俳優を用意して演じさせるのは読者の仕事ですから、用意する俳優に注文をつけるのはほどほどにしておいた方がいいです。
絶対に譲れないところだけの情報を提示して、あとはそれを強調するために比喩などで飾り付ければいいのですが、はじめの削りこみをしていないので、ぼやけた感じになっているのです。
RAGING ARです。
どもども。
それはまだあなたに「伸びしろがある」からなのでは?
人の発想から自分との差を素直に受け止められるのは、いいことだと思いますよ。
人の文章をみて「足りない」と思っているのは、裏を返すと「この手もありか」という発想を得ていることにもなるじゃないですか。
それなのに「自分は他人より劣っている」だなんて、もったいない!
もし劣っていると思ってしまうなら、劣っていない自分を目指すということもありなのでは。
まずは自分に自信をもっていくことを初めてはどうでしょう。そのためにもまずは有名無名の筆者方々の手法を知るなり、脚本の指南書やシナリオライターの本などを読み漁るなり、自分の力にはくをつけていくといいでしょう。
足りない部分を足りないと思ってしまうのは、自分自身でもうっすら気づいてはいるものの、確信にまでは至っていないからであって、数を重ねれば何が足りないかなど見えてきます。
どうせ盛り込めば盛り込むほど、次は削除地獄がまっているんですから。どんな素晴らしいシーンでも、文字数や尺の都合で泣く泣くカットしたなんてザラですザラ。
まず「自分は下手で良い」ということを認めることではないでしょうか。
「自分の作品が下手であることを認められずに目をそらしている」から、「自分の作品が下手だからこそ、練習しないといけない」という意識に変わると、とりあえず筆は進むようになります。
後は身の丈に合った目標を立てて、一歩一歩クリアしていくのが上達への近道ではないでしょうか。
> ぶっちゃけ、劣等感なんて誰だって感じています。でも、そんなものを気にしていても意味は無いし、結局書き続けないと上達もしないので悩むだけ無駄というか。
貴重な意見ありがとうございます。確かに気にしてたらキリがないというのは自分でもわかってるつもりなんですが……
なんと言いましょうか、ちょっと変な話ですが最近作品が思い通りに評価されなくて焦ってる(まぁ公開先がpixivってもあるんですが)自分がいるんですよ。しかも同じジャンルを書いている人でも文章上手い人はゴロゴロいますし……
物書き初めてから結構時間が経ってるはずなのに、自分はずっとこんな文章書いてていいのかなと最近思ってしまうんですよ。
それでも、やっぱり『気にしちゃダメな部分』として妥協して書き続けた方がいいんですかね……?
一応ですが、“そうしなくてはならない”ってことではないです。
単に僕が妥協を勧めているというだけの話なので、他の人からのコメントも見て自分に合ったやり方で解決してもらえたらと思います。
ただ、先に言った通り「仕方のないこと」なんですよね。だって、劣等感を感じたからといってやることは一つ……もとい、二つじゃないですか。頑張って書いて上達するか、自分には無理だと書くのを止めるか。手元にはシンプルな選択だけがあるでしょう?
まぁ、後者は簡単ですが前者は大変ですよね。やりたければやるしかないし、それをするためには『熱意』が必要ときた。
冷たいようですが、僕は思うんです。スランプだとかやる気の問題って、誰かに励まされたりしてどうにかなるものじゃないと。自分で気分転換したり、奮い立たせたりしないと結局は悪循環……同じ事の繰り返しなんです。
ちなみにですが、他人からの評価を気にした結果として劣等感を感じているのであれば、自己評価に徹すればいいです。人によっては自惚れているとか、自己満足な作品とか言うかもしれませんけど、自分が満足出来る作品も作れない人が他人を満足させられるわけないですよね?
まずは自己評価。適当に自信がついたところで、初めて第三者の評価を気にして下さいな。
ではー。
この文脈で伝えたいことは、「先生は外見が幼い」ということですよね。
ならば「ファッション」や「髪型」のくだりは不要に感じます。
私ならこんな風に書きます。
(例)
それにしても先生の顔立ちは幼い。
下手すればすっぴんに見えるくらいの自然なメイクに、くりくりした瞳。
ちょっぴり八重歯なところも、幼さを演出するのに一役買っている。
身長だって百六十センチの私と変わりないし。
だから、白衣を脱いで学生服姿になっちゃえば、私たちの教室に紛れ込んでも違和感ないんじゃないかな、多分。
けれども、ふとした瞬間に見せる物憂げな視線はやっぱり大人びていて……。
そのギャップがなんともいえない。
伝えたいこと――今回は「先生は外見が幼い」――以外の描写は控えましょう。そのほうが、文章がスッキリとします。
それと……。
1・色の組み合わせについて
薄黄色とクリーム色って、ほぼ同じ色ですよね。
その着こなしはおしゃれなのでしょうか?
2・ロングスカートについて
養護教諭ならば、ロングスカートではなく動きやすいパンツを選ぶのではないでしょうか。
現状に満足している人は成長できません。
ほどよい劣等感をもっている人は素晴らしいと私は思います。
頑張ってください。
お名前は覚えていますよ。
お久しぶりで、トータスです。
最近散々に叩かれ、絶望的に劣等感を感じています。
ですが、気にしたら何も出来ないので、成る様にはなると考え、罵られ様が罵倒され様が気にせず・・・イヤ、メッチャ気にしていますが、気にしないフリで乗り切っています。
人はそれを見て、飄々とした性格なのだと思われていました。
ですが、クヨクヨしたからと言って何も変わらない。
兎に角、出来る事から続けないと何も変わらないかと思っています。
これは他の方にも言ったのですが、
書く事を、描く事を楽しもうと思う事。
楽しくなければ始まりませんよ。
始まらなければ終わりもしません。
つまらなくても仕方が無い。
自分が楽しめるモノを書きたい様に書く。
まぁ、それで頭の痛い思いをさせるらしいです・・・
でも、書きたいし作りたい、楽しみたいと言った気持で続けています。
稚拙で結構、出来る所から始めて行こうと思っています。
最終的に面白く出来れば構わないかな?
手抜きで有っても、その時はそれが精一杯なのだと考える事にしています。
なのでメッチャ叩かれまくります。
それで辞めたからといっても、面白くもありませんから続けている次第です。
追記の方は目を通しました。
私としては、それでも構わないと思うのですが・・・
他の方から見たら稚拙だと、言われてしまうのかな?
その辺りは判りませんが、私としてはそれでも十分な気がします。
気にして書けなくなるよりは、気にしないで書き続けられた方が良いのでは?
修正する事は出来る。
これから良く出来れば良いのだから、今は物語を描き続ける事から続けて見ては?
私はこの様に考えているので、その様に申し上げたい。
では、参考になればどうぞ。
こんにちは、雷です。
> みなさんは小説を書く上で他の人の文章と自分の文章を比較してしまい、かつ自分の文章に“劣等感”を感じてしまった場合にはどのように克服していますでしょうか?
僕なら素直にその人の文章に学び、文章を真似て、技を盗み、技を自分のものにするよう努力します。
劣等感で頭を悩ませる前に、自分の文章を、作品をより良くするチャンスを得たことを喜びますね。
例文については、「何を言いたいのかはっきりと分からない」印象があります。
須賀透さんも、ちらっとおっしゃっているように、不要な部分を削るのが手軽でしょう。
僕だったら、あくまで「幼い」というキーワードを際立たせますね。
いまのままの髪の描写や服装では「幼い」という印象につながりそうにありませんから、削るか、もっと別の表現を試みます。
「大学生」という言葉は、ラノベの主な読者層が中高生であることを考え合わせると、かえって教師の「大人っぽさ」を読者に強く印象づけてしまわないか心配ですね。
身長が「百六十くらい」というのも、日本人女性の平均身長よりも上ですから、「幼い」には直結しそうにありません。むしろ「大人らしい」印象につながりそうです。
最後の最後に、せっかく幼い見た目と大人びた雰囲気の「ギャップ」について言及していますから、描写の前半は「幼い」印象を植え付けるための描写に文字を割き、逆に、後半は「大人っぽさ」を印象づけるための文章を書き出して、メリハリをつけても良さそうです。
まあ、言うは易しですけどね(笑)