式楯さんの質問 2013年01月21日
こんばんは。式楯です。さっそくですが本題の方を。
もし自分が純粋な創作欲ではなく、他人からの承認を求めるために書いていると気づいた時、どうすれば良いのでしょうか。
書くこと自体に満足を求めるのではなく、それによって得られる評価に比重を置いてしまっています。
思い返してみれば書くことを始めた理由は、コミュニケーションの取っ掛かりだったりもしますし、自信喪失気味です。
自分はコンプレックスの塊のような人間なので、唯一の取り柄みたいなものがこの小説執筆ですから、現在は半ば縋りつくようになっています。これを取ればもう自分には何も残らないだろうという恐怖と諦観です。
もうかれこれ三年もしがみついていますが、一番の動機に眼を逸らし、この三年間でいろんな本を購入し、読み、知識を蓄えました。
しかし満足に長編を完結させられることもできず、飽き症で怠惰な自分は未完の作品をいくつも放り出しています。
こういった理由から、もう筆を置いたほうがいいのではないかという疑念に囚われており、また承認を求めるために書いているのだと気づけば(無論、自己満足もありますが比率は評価のほうが高いです)、ほとほと疲れ果てました。
もし宜しければみなさんのご意見をお聞かせください。
●答え●
こんにちは、底辺 従助です。
名誉を求めて執筆するなんて、結構なことじゃないですか。他人に認められたいというのは、悪いことではないでしょう。人は自分を満たしてくれる存在を欲しますから、素直に行動すれば自然に、他人を満足させる方向へ働くはずです。
それは自己満足の為に書くよりも、いい兆候なのかもしれませんよ。
勉強も怠っていないようですし、作品を完結させることが出来れば、問題は解決しそうです。自分に対して正直で他人にぶっちゃけた話も出来ますし、こちらから見るとそう悪くは思えません。
書く作品のハードルを上げている可能性はないでしょうか。構想を大きく練った、多くの資料を必要とする巨編を作ろうとすると、自然に完結は難しくなると思います。
まずは多くの資料を必要としない、手持ちの知識で完結させられそうな、作りやすい作品を書くのはどうでしょう。事前に構想をじっくり練れば、完結自体はそう難しくないはずです。
長文乱文失礼しました。
承認が目的であれば、小説を書くこと以外にそれを求めるのもけっこうなことだと思います。
小説で、他人の承認を得ることが、自分に向かないと気がついたなら、他の道を選ぶのもよいと思います。
考えすぎです。
作家はどんな理由で執筆してもいいですし、読者のほうだって作家の苦労には興味ありません。
創作物というものは、面白いか、面白くないか、結局はそれだけです。
異性にモテたくて作った曲が、聞き手の心を震わせることだってあるのです。
> これを取ればもう自分には何も残らないだろうという恐怖と諦観です。
大きな賞をとっている作家だって、この世に作家という職業がなければ、別の職業で生きていくわけです。
ご自身を追い詰めないでください。そう思い込んでいるだけです。
式楯様の体の中には、おそらく式楯様すら知らない能力がたくさん隠れています。
たまたま気付いた才能が「小説の執筆」だっただけです。
> 満足に長編を完結させられることもできず、飽き症で怠惰な自分は未完の作品をいくつも放り出しています。
長編と平行して、掌編・短編を書いてみましょう。
勉強になりますし、気分転換にもなります。
なにより、「一つの作品を完成させ、書き残せた」と自信がつきます。
こんにちは仏樹鴨子です。
誰かに認められたいと言う欲求は、表に出る出ないの個人差はあれど、だれしもが持っているものだと思います。
そういう意識を持って創作することは、読者を意識しない自己満足作品を生まなくて、むしろ良いのかもしれません。
他人を楽しませるには、自分が楽しくなければいけない。それは確実に伝わるものだとだと、私は昔から考えてきました。
ですが、自分が楽しすぎると、他人は引いてしまう。
人間って、そう言うことに敏感で、結構シビアなんですよね。
と、自分で書いておきながら、耳の痛い次第です。
こんにちは、咲子です。
早速ですが、書きたいという気持ちはどんな理由でもいいと思います。
それがどんなきっかけでもいいと思います。
けどやっぱり、認めて欲しいのならば、一度は長編を完成させて大賞にでも出してみたらどうでしょうか?
けど、辞めてみるのもひとつの手だと思いますよ。
こちらの掲示板で、スランプから抜け出せない、という方に対して、魔女の宅急便で絵かきのお姉さんが言った言葉を引用している方がいました。
「そういう時はジタバタするしかないよ
描いて 描いて 描きまくる」
「でも やっぱり飛べなかったら?」
「描くのをやめる
散歩したり 景色を見たり…
昼寝したり 何もしない
そのうちに急に描きたくなるんだよ」
魔女の宅急便
本当にそれだなぁと思いました。
書いていないと、書きたくなるんですよ。
きっと式楯さんにとって、小説執筆が大切なものならまた書きたくなると思います。
恐怖とかじゃなく、純粋に書きたくなったら、書けばいいと思います。
少しずれてしまったような気もしますが、失礼しました。
イシバシセンパイです。
ぶっちゃけますと、自分はまあ見事なまでにソレです。
どうせやるなら権力・富・名声とか欲しいじゃないですか。小説で世界の頂点に立ちたいじゃないですか。
……上のはある程度は冗談ですが、それでも面白い小説を書いて周りから良い評価を貰いたい、というのは自分にとって大きな原動力となっています。
恥じることはありません。
それでも嫌なのであれば、筆を置き、しばらく好きなことでもしながら暮らせば良いのです。無理に書く必要はありません。
頑張ってみてください。
それでは。
真面目ですが、真面目過ぎるところがあるのでは?
自分に優しくなるといいです^ ^
時間を置いて自分を見つめ直すといいです。
じゃあ、「純粋な創作欲」って何ですか?
書くこと自体に満足を求める? 書いただけで満足なんて得られるんでしょうか。そんな理由で書いてる人は、いったい小説執筆者の中でもどれほどいるか。
ネットで発表するのも、プロになるために公募するのも、結局のところは自分の書いた作品を他人に認めてもらいたいからです。
「プロにならなくても良い。読んでくれたひとりでも多くの人に、面白かったと言ってもらいたい」というのも、「プロになって、多くの人に認めてもらいたい」というのも、程度の差はあれ結局は式楯さんの言う「他人からの承認を求めるため」です。これは小説のみに限ったことではなく、創作活動すべてにあてはまります。
人は誰しも他人に認めてもらいたいという欲求をもっているものです。いい大学に入りたい、いい会社に入りたい、というのもつきつめればこの欲求に辿り着きますし、人間のあらゆる行動の根幹に、この欲求は存在します。
式楯さんのおっしゃることは、恥じるべきことではありません。それどころか、人間として当たり前のことです。むしろ純粋な創作欲なんてものがある人のほうが珍しいのです。
書くだけで満足が得られるのなら、それを発表したりする必要はないのですから。
長篇が書けないなら、まずは短い話から書きましょう。そして、友達に読んでもらうなり、こういったサイトに投稿するなりして他人に評価をしてもらいましょう。無理に筆を折る必要はありません。ゆっくり書いていけばいいのです。
承認欲求や創作意欲よりも、もっと重要なことがあります。
それは式楯さんご本人が楽しんで小説を書いているかどうかです。
もちろんその判断自体なかなかつけられないかもしれません。しかし、それはあなた自身が答えを出すしかありません。
この手の悩みは誰が何を言っても泥沼なので、自分ときちんと向かい合って答えを出すしかないでしょう。
こんばんは。
はじめまして、弌珠です。
私もそうですよ。
小学生の頃にささいな理由で短期間仲の良かった子たちに無視されて、もうつらい状態の時に読書にはまりまして、それで、すっごく救われたんです。
自分にはない勇気、愛、友情。感動しました。いまの私はそこから転じて、言葉で世界を変えられないかと模索中です。漫画になってしまいますけれど、ワンピースの魚人編で私は作者からさまざまなメッセージを受け取りました。差別はいけないことだ。イメージで人をひとくくりにしてはいけない。憎しみは連鎖する。けれど、自分たちの憎しみは被害を受けた自分だけのものにして、憎しみを後の世に残さない。そうすることで、後の世の中の人々は幸せをためらいなく掴むことができる。
私も作家として認められたいと思っています。認めてもらって羨望の眼差しや仲間が欲しい。そう思いながら、書いています。けれど、小説の中にはそんな自分の欲求は書きません。私がしたいのはつらいことが起きた時に気軽に手に取ってもらえる話を書くことだからです。スレ主様はおそらくいま自分を見つめている時なのでしょう。
私からできるアドバイスと言えば、これだけです。小説を一度自分の立場から切り離してみてください。私の体験と非常に考えが似た部分があるので、そうすることで見えることがあるかも知れません。
駄文失礼しました。
好きにすればいいです。どのような世界でも、そんな人は山のようにいますし。
あとコンプレックスは作家の燃料としてかなりのものですから、その量と濃度によっては、海を渡り、空を飛び、ともすれば第三宇宙速度だって越えれますよ。
やめたとして、再開できないわけでもないでしょう。断筆なんて気持でもいいですが、それはそれで相当の覚悟がいりますから簡単にはできません。死ぬまでやらない、ってことですから。
休筆でいいんじゃないでしょうか。とりあえず、という感じで。でも書くためにしていた勉強は続けるといいでしょう。その中から面白く思えるものも見つかってくるはずです。それが「やっぱり書きたい」だったら、そうすればいいですよ。
私は、自分が楽しめれば良い位で、それを他の人にも楽しんで貰えればという気持ちで始めました。
まぁ、お陰で全否定された事も暫し・・・
稀に、大いに楽しんで貰える事も・・・
ただ、評価が付けられると、更に・もっと認められたいといった欲求に苛まれる事も・・・
それで、書きたいモノからズレてしまったりも・・・
私の場合は、終わりを見据え、それに至る道を描いて行きます。
一心不乱になれれば良いが、長くなるほど寄り道も・・・
一応の終りにまでは辿り着けるように目指しながらですね。
評価を気にしないようにしたいとは思いますが、コメントは頂きたくなる。
矛盾してしまうのですが、それもまた有りかと考えてみたりします。
まぁ、成る様になるさと、今は割り切って、思い浮かぶがままに、思い描けるがままに、流して見ています。