南澤優さんからの質問 2012年09月14日
初投稿の南澤です。
タイトルの通りなのですが、みなさんヤンデレキャラをどう思いますか?
よくある、好きすぎて彼女を壊しちゃったみたいなシチュエーションはそれだけ彼女を愛していたと解釈していいものなのか、それとも愛していたのは彼女の見た目などの外見的要素だけなのだったのかと悩みます。
好きだったのに、壊してしまっては意味がないと思うのです。
私は、恋愛小説が好きでよく書くのですが、ヤンデレキャラというのは支持されているものなのでしょうか?
●答え●
どうも、こんばんは夜霧と言う者です。
興味深い話題だったので、少しばかり意見でも。
>>みなさんヤンデレキャラをどう思いますか?
素晴らしいと思います。
愛ゆえに歪んでるけど、本人は全く歪みに気付かず、ひたすら独善的な愛情を貫き、最後には自己満足の為だけに、何もかも全てを巻き添えにして破滅する。
そのカタストロフ的なキャラ性は凄く魅力的に感じます。
>>好きだったのに、壊してしまっては意味がないと思うのです。
個人的な考えですが、本人に「壊した」自覚は無いと思いますよ。
相手の事を想い、良かれと思った行為の結果がそうなってしまっただけなのです。
ヤンデレキャラの言動の根底には「愛する人を助けたい・幸せにしたい」といった想いと「その人に愛されたい・幸せにしてもらいたい」といった願望、そして「その人をこの世で一番愛している・大切に想っているのは自分である」という自負がごちゃ混ぜになっているのですよ。
故に、愛する人の為ならどんな危険も厭わないし、どんな手段も肯定します。それが相手の為でもあり、自分の為だと信じ切っているのです。
ヤンデレキャラってのは、ただひたすらに一途なだけなのですよ。
だからこそ、私はヤンデレが好きなのです。
少し熱くなった感はありますが、まぁ一部には私の様な者がいるので、一定数の支持者・嗜好者はいるのではないかと思いますよ。
あ、ちなみに私のヤンデレ嗜好はフィクションオンリーです。
リアルだとただのストーカー犯罪なので擁護のしようも無いですし、巻き込まれたりとかは勘弁願いたいです。
トータスと申します。
思った事をそのまま申し上げるのですが・・・
好き過ぎて、そうならない事に、意のままに出来ない事に、我慢がならないのかと。
好きになる事。
外的要因は切っ掛けでしか無いのかと・・・
内的要因も合わさってこそ、その価値が有るのではないかと思われる。
それこそ、そのまま飾って置きたくなる、モノへの愛情に近い気がするのですが・・・
変わる事を極端に恐れている様にも・・・
支持されてはいないかと思われます。
そう言った近い行動を指し示すモノであって、固定されているモノでは無い様に思われます。
出されているモノが、凝り固まってしまっているのではないでしょうか?
私が知っているヤンデレモノは、漫画のヤンデレ執事と言うモノなのですが、こちらは病んでいる相手は、極端な行動を取りますが、主の方が柔軟に対応していましたね。
上手くいなし、かわし、従える感じだったかと・・・
もっと柔軟なモノだと思いもしますね。
極端な方が判り易いから、そうされている様にも見受けられました。
相手が壊れるか、相手が馴染むか次第かな?
私はこの様に思います。
参考までにどうぞ。
期待して読んだら、病んでるのが彼氏の場合でした!
まぁ、病んデレるほど偏執的に恋焦がれるが、相手からはそう思われていないっう一方通行な状態が一般的な解釈での定義でしょうか?
相思相愛で、互いにヤンデレなら面白いディープな作品テーマになりそうですね。例えば、入間人間氏の作品「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」ですね。
片思いのヤンデレだと、ストーカーとか嫌な感じにストーリー展開しそうですね。
ヤンデレブームの火付け役になった『School Days』の桂言葉は好きですが、ヤンデレ自体は「別に……」といった感じです。まず、このスレッドを見るまでヤンデレという属性が存在していたことを忘れていました。
とりあえず、発狂して流血沙汰を起こすタイプのキャラクターはギャグであれシリアスであれ嫌いです。恋敵役のヒロインとお互いにやったりやられたりを繰り返すならともかく、主人公や無関係の第三者に危害を加えるのは私の中では御法度です。
そういえば、昔(ほんの数年前)はヤンデレといえば「ヒロインのメンタルが弱いために勝手に自暴自棄になって主人公を困惑させる」ものだったのに、今は主人公のほうから意図的に精神を病ませようとするんですかね。少し気になったので。
ヤンデレというのが何なのかわからなかったので、調べてきて思ったのですが、70年代少女漫画あたりにこういう女性キャラが多かったような気がします。
一条ゆかり先生や山岸良子先生、あたりなんかがそうでしょうか。
主人公がこのタイプだったりして、かな~り暗くてドロドロしています。
かなり読者を選ぶ世界なので、おすすめはしません。
女性に関しては一属性として定着してて、私も若い頃は「こいつ嫌いだなあ・・・」と作者の狙い通りの感想を持っていたりしました。今の男性読者の世界では『萌え』要素の一つだとか。
コレがあるから(障害)燃えるんですよね………うん………。
これが男性のヤンデレの場合、むちゃくちゃ変態度が増しそうなのですが、どうなのでしょうか?
なんせこれに当てはまるキャラクターが自分の知っている中では、ゲームのヴァルキリープロファイルのレザードくらいしか思いつきませんでした。
いずれにしてもこういうキャラクターの存在は、ストーリーを盛り上げる上での障害として、大きな位置を占めていると思います。
で、好きかどうかと聞かれると、「めんどくさい奴やなあ………」
という事で、あまり好きではありません。
その一方で、こういうキャラが出てくるから読むのをやめる、なんてことはしません、そのおかげでお話に深みが出たりもしますし。
ただ、キャラが強烈になりやすく、ストーリーがドロドロしやすいので、扱いに気をつけないと、お話全体のイメージぶっこわし。
なんてことになりそうですよね、そうなると読むのやめます。
ヤンデレ大好きです。
相手のことが好きすぎるゆえに、極端すぎる行動を取り、嫉妬心と独占欲が強すぎるあまり、周りの人間にありえないほどの敵意を向ける。
根本にあるのは相手への純粋すぎる愛、純粋すぎるゆえに歪んでしまった愛。その深さゆえに凶行に走る姿にはゾクゾクします。
もちろん、リアルではノーサンキューですが。
私個人の意見ですが、ヤンデレの恐ろしさの真髄は、その異常な思考回路と行動力ゆえに、ほんの何気ない言葉や動作が恐ろしく見えてしまうギャップとも言える箇所だと思っています。
例えば、電撃文庫の『輪環の魔導師』 のヒロインであるフィノがいます。
最近完結した作品ですが、このフィノは主人公セロを病的に溺愛しているヤンデレヒロインです。
自分とセロの邪魔をする者は、皆殺しにしてでもセロを独り占めしたいと思っています。
常にセロに密着して、近づいて来る相手に睨みを利かせています。
しかし、このフィノはヤンデレに付きまといがちな、安易な凶行や流血沙汰は一切起こしません(戦闘で敵を攻撃したり、セロを狙う相手に過激な発言をしたりはします)。また、相手を傷つけたらセロが悲しむという自制を働かすこともできます。
ですので、満面の笑顔で「私のセロに手を出したら、どうなるかわかってるよね?」と脅すだけです。
しかし、作者の渡瀬草一郎さんのキャラの見せ方が上手く、それまでに彼女の異常な思考回路と行動力が描かれていたからこそ、その笑顔たった一つが、周りの人間を凍りつかせる、とんでもなく恐ろしいものに早変わりします。
その威圧感には、彼女を政略結婚させるつもりだった貴族である養父が、幾度の修羅場を掻い潜った歴戦の戦士が、曲者を束ねる敵組織の幹部が、六賢人と敬意を集める世界最高峰の実力者が、最後は、人間には理解の及ばない思考形態で動く神までもが、彼女に恐れをなして、ドン引きしてしまいます。
凶行に走らなくても、恐いヤンデレは作れるという見本のようなヒロインでした。
同じく、電撃文庫の『タザリア王国物語』 のリネア姫がいます。
彼女は、主人公ジグリットに歪んだ愛情を抱いているゆえに、彼と仲が良かった侍女を階段から突き落として半身不随にしたり、ジグリットの故郷の貧民街を焼き払わせたり、挙句自国を滅ぼす手引きをして、ジグリットを捕らえ、彼の片足を切り落として、その骨で指輪を作るといった凶行を繰り広げます。
しかし、私が一番魅力を感じるシーンは、序盤にジグリットが死んだと聞かされた時、目を虚ろにして部屋に引きこもってしまうところです。
その後、彼女は僅かな癖から、ジグリットが弟である王子に成りすまして生きのびていたことに気付きます。
そして、ギラギラと目を輝かせ、どうやってジグリットを虐めてやろうかと嬉しそうに考え出します。
端的な出来事だけを見れば、彼女は、好きな男の子が生きていたことを喜んでいるだけです。
しかし、そのジグリットの生存に気付く前と後の落差が、どれだけジグリットに執着していたかが分かり、だからこそ後の凶行が引き立ってきます。
彼女の歪んだ感情が描かれているゆえに「好きな男の子が生きていたことを喜んでいる」という微笑ましい行為が、なんともおぞましいものに変化します。
また、ヤンデレと相手の感情のぶつけ合いにも魅力を感じます。
ですので、ヤンデレが一方的にやりたい放題というのも好きではありません。
例えば、輪環のセロは、フィノの危うい部分も理解した上で、彼女の愛を受け入れます。
タザリアのジグリットは、リネアの散々な目に合わされ、彼女を国を滅ぼした仇敵として憎みます。
それぞれ、恐ろしい、得体のしれない部分に向き合った上で、受け入れる、敵対するといった態度を決めています。
恐怖に震えながらでも、憎しみに身を焦がしながらでも、共に狂気に身を落とすでも、ヤンデレと向き合った上で、どういう選択肢を選ぶかという部分にも注目しています。
ですので、ヤンデレ=流血や凶行というイメージで、安易に、キレて刃物振り回しておけば、インパクトのある残虐行為を行えば、良いヤンデレ。
みたいな考え方の元に作られたようなキャラには辟易しています。
そんなのは、はっきり言って二流どころか三流と思います。
長々、自己満足なことを書いてしまいましたが、これらは、あくまで私の個人的な解釈です。こういう楽しみ方もあるといった意見の一つとしてお聞き流し下さい。
ヤンデレも軽度から重度まで色々ありますよね。
とりあえず、私が好きなヤンデレについてお答えしますね。
私はある程度自制が聞くヤンデレが好きです
例えば、「殺したいくらい好きだけど、死んでしまったら元も子もないとわかっている」とか「主人公以外みんな消えればいいと考えるけど、本当に消えたら主人公が悲しむからやらない」とか。
ヤンデレというか、歪んだ愛情ですかね。
そういうのが好きです。
作家さんでは、紅玉いづきさんの書かれる愛が好きです。
食べられたいくらいに相手に惹かれる。
愛した相手を食らいたい。
そんな緩やかな狂気的愛情が好きです。
愛する人のために世界を滅ぼしちゃうとかも好きですよ(ちょっと違いますかね?)。
あ、主人公を守るためにヤンデレ化しているキャラも好きです
未来日記の由乃とか。
苦手というか本気で引いてしまうヤンデレは、それを受けとめるはずの相手にとってその子がメインヒロインでない場合です。
ヤンデレってかなり特殊なキャラだと思うんです。
主人公とヒロインの間に割り込むヤンデレキャラだと、ただ迷惑で空気の読めない邪魔キャラになりかねませんし、しかもヤンデレだから手段が過激で読んでいて辛くなるだけじゃないですか。
ヤンデレは例え片思いでも、メインヒロインに置いてほしいです。
強い愛情を相手が受けとめるからこそ、ヤンデレの暴走は可愛く思えるんじゃないですかね。
……とまぁ、あくまで二次元の話ですが、三次元でヤンデレな人がいたらお近付きにはなりたくないかなぁなんて
ただでさえ束縛されるの苦手なので(笑)
横槍、ごめん!
ヤンデレ自身をメインにすると思いの重い作品が出来ますが、サブキャラ次元でなら、サブストーリー展開として楽しめるかと。
例えば、伏見つかさ「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」の”新垣あやせ”とか。
ヤンデレも、事が恋愛のドジッ子みたいな存在ですね。
新垣あやせって、病んでいくんですか!
アニメの一作目だけ見てました。
ヤンデレってひょっとして幅広いですか?
え~~っと、現実でも普通によくある話なんですけど、女友達同士で「私達親友よ」というほど仲が良く、トイレいくのもクラブ行くのも、進学する学校まで一緒という仲良しぶり。
ある日片方が別の友達を作ると、残った片方が嫉妬して「私とあの人とどっちが好きなの?」とその親友につめよったり、相方にいやがらせしたり………。
でも、ある程度時がたてば、忘れるというかそこまで執着しなくなる。
一時的な精神病程度、というやつですかね。
確かにこれが仮に重度の精神病でも、書きようによっていくらでも面白くなる素材だと思います、だからドロドロ劇に突入しまくって物語破綻しない限り、読むのをやめないのもそこなんです。
でもドジッ子と同じというのは………同じ………なの?
すいません、よくわかっていません………。
>ですので、ヤンデレ=流血や凶行というイメージで、安易に、キレて刃物振り回しておけば、インパクトのある残虐行為を行えば、良いヤンデレ。
>みたいな考え方の元に作られたようなキャラには辟易しています。
>そんなのは、はっきり言って二流どころか三流と思います。
全くもって同感です。
まぁ私は凶行に走るタイプでも好きですが、ただ「暴走させればヤンデレ」みたいなテンプレと言うかレッテルはいただけないですよね。
ヤンデレの病んでる部分だけが強調されてはダメなんです、デレがあってこそ、深く一途な愛情があってこそのヤンデレだと思っています。
なので凶行の有無でヤンデレか否かなんて分類はちゃんちゃらおかしいと思うのです。
個人的には病む過程・理由とか、垣間見える歪みを表現してこそのヤンデレかなぁと思う次第です。
あとは白理科さんの仰る様に対人関係でしょうか。
>ヤンデレと向き合った上で、どういう選択肢を選ぶかという部分にも注目しています。
ヤンデレとは愛を向ける対象があってこそですからね、その対象者がどう受け止め、どう行動するのか。それもヤンデレモノの魅力だと思いますね。
では、意外と同好の士が多いのに若干驚いている夜霧でした。
どうも、サイラスです。
自分が、「ヤンデレ」と聞くと「schoolday」の言葉か遊戯王GXのユベルしか連想できませんが、そのレベルでよければ、話します。
まず、自分はヤンデレは嫌いです。何故かというと、思考回路があんまりにも幼稚過ぎて、意中の相手や自分のためなら、どんなことでもやらかす、パートナーとしてみるには、スゲー困るし、今の日本人の自己チューを体現しているようで嫌な印象があります。(そこが献身的でいいと思う人も居ると思いますが……)
ただ、その一方で、それまでの対人関係において不遇(言葉は、(同性との)友人関係、ユベルは、主人公の手によって、引き離される)を抱えているケースも多く、せっかくできた安心できる繋がりを離したくないという心理やそれ失った時の恐怖やショックの大きさは理解はしています。
それと、これは個人的な意見ですが、そのヤンデレが、その幼稚な思考回路を脱却できた時、すごく魅力的な演出になると感じています。それが、GXのユベルです。詳細は避けますが、ヤンデレを脱却したユベルは、主人公の良き危機管理者となり、あれほど離れたくないといっていたのに、事実上の最終決戦で主人公のために、離れるという選択をして、主人公の反撃の糸口を作って、劇的な勝利を挙げています。
ヤンデレ要素は、不遇によって維持された幼児性ですが、それを脱却できた時、そのキャラは、魅力に化ける要素だとも考えています。
では。
自分もヤンデレキャラ好きです。…と言ってもそんなにヤンデレキャラばかり追いかけてる訳じゃないんですが…(笑)
上の意見で「作中のヤンデレキャラは好きだけどリアルストーカーは嫌だ」というのがありましたが、実際にストーカーという概念や認識が社会に浸透するまでは、ストーカー事件を警察に相談しても「色恋沙汰」で片づけられ、相手にされない件が多々あったそうです。(悲しい結果に終わった事件も有ります…)
特に男性が女性のストーカーに付きまとわれてる場合、手紙や電話が1日に何十も来たり、帰り道で待ち伏せされても「そんなに愛されてるなら相手してあげたら?」「羨ましいねえ」等と警察官に言われたこともあるそうです。
(多分「ストーカー」という言葉が浸透し始めた2000年前後頃?の関連書籍に体験談が良く載せられていたと思います)
もちろんリアルでヤンデレ、というかストーカーは立派な犯罪ですし自分も嫌いです。
しかし、ここから自分なりに逆説的に考えてみたのですが、
1・女性に(一方的とは言え)献身的な愛を向けられてまんざらじゃない男性は一定数いる。
(潜在的にはかなり多いのかも。ツンデレも一種の愛情表現ですし)
2・その上で、自分の身に降りかからないフィクションや他人事だと、娯楽として楽しんだり羨ましがったりする余裕が生まれる。
3・更にヤンデレキャラは好きな人のために精一杯の大胆な行動や綿密な知略を張り巡らせ、それがストーリーとしてのダイナミックさや意外性、面白さを生みだす。
―――と言う様なことが言えるのではないでしょうか?
もちろん「好きな人のために包丁振りかざして恋敵を殺していく」みたいな典型的サイコパスなヤンデレキャラは面白くないと思います。
でも上記で上がってる未来日記の由乃なんかはまず「主人公への愛情」が中心にはっきりと書かれていて、その上で自分自身の存在が危うい立場にあるという「危機感、焦り」や両親の教育で大きなストレスを溜めこんでいたという「精神的歪み」等が徐々にストーリー中で明らかになってきます。
由乃の行動や愛情は滅茶苦茶で猟奇・暴力的だけど、その根本にある愛や恐怖感という人間的な感情は十分に共感・理解出来るものだと思います。
(もちろん、人によっては共感も理解も出来ない人もいるとは思いますが…)
ツンデレキャラや不思議ちゃんキャラにも通じて言えることだと思いますが、
「このキャラは大事な何かのためにすごく頑張ったり上手く素直になれないんだ」というような読者の共感を上手く得られる部分と、「このキャラなら何かとんでもない事をやってくれるに違いない」というストーリーのブースターとしてのワクワク感を上手く併せ持ったキャラが上で出ていた「スクイズ」の桂言葉や「輪環の魔導師」のフィノ、「未来日記」の由乃などになるのではないでしょうか。
もちろんそれを表現するには単に包丁振り回させるだけじゃなく、キャラクターの持つ魅力やそこまで追いつめられる心理状況、それを取り巻く人間関係、肝心のストーリー等を上手く描写しないといけないので非常に難しいと思います。
単に「ほらヤンデレですよー」とポッと出されても面白くないのは当然かと。
小説やエンターテイメントでは無茶苦茶で攻撃的なキャラクターは非難を浴びる時もありますが、パワフルな行動力で四面楚歌な状況に活路を見出したり主人公や周りを引っ張っていったり、嫌な奴を理屈抜きでブッ飛ばしてくれたりと爽快で魅力的な面も沢山あります。
「主人公(自分)を理屈抜きで愛してくれる」という(割と理解しやすい)献身的な愛情や複雑な心理+物語を何らかの形で引っ張ってくれる行動力(大抵がインパクトのある暴力描写や殺害シーンになりますが…)+ダークな部分がある故に次の行動が読めない(物語としてのハラハラ感)……という組み合わせがパターン化したのが「ヤンデレ」というレッテルなのではないかと。
南澤さんの言うような「愛してるから殺す」という話もよくありますが、やはり面白い・一味違うと思うものはそこに至るまでのプロセスが丁寧でアクションありの愛憎劇ありのヒロインのサービスシーンありの(笑)で楽しませてくれます。
正直「ヤンデレ」属性自体がそんなに支持を受けてる印象は個人的にもあまり無いです。単体でこのキャラが凄く好き!という人の方が多いかと。
ちなみに男のヤンデレキャラをあまり見かけないのは「一歩間違えるとだめんずだから」という意見を別の場所で見た時噴き出してしまいました。
長々と自分の意見を書いてしまいましたが、南澤さんの参考になればと思います。
なぜ壊してしまっては意味がないと思うのですか?
相手の死=愛の喪失という認識から脱却できていないからではないでしょうか?
まずヤンデレは、悪い言い方をすれば異常求愛行動です。
言ってしまえば異常者ですが、それほどに深い愛があるとも言えます。
そこに、「普遍的な愛」が垣間見えるから、支持されているのではないでしょうか。
ヤンデレは、病み+デレです。
つまり、相手が好きだから、愛しているから、独占したいから、それを遂行できなくなる要因(邪魔者)を排除しようと考え動いてしまいます。
その精神的・倫理的なな異常を病んでいるというのでしょう。
上記の通りヤンデレは相手に近づく異性や問題・不都合などを排除しますが、それでも自分のモノにならないということもあります。
その場合、その邪魔者(問題点)が好きな相手自身だと思うかもしれません。
いつまでも煮え切らなかったり、他の異性達の間でフラフラしたり、自分の想いに気づいてくれなかったり、自分の想いを拒絶したり……シチュエーションは様々です。
そんな状況が続いて、もうどうしても自分のモノにならない状況まで陥った時、「他の誰にも渡したくない」「彼(彼女)のすべてを知っているのは自分だけでいたい」「彼(彼女)を自分のな中で永遠にしたい」……そういった感情が限界に達したとき、病んだ行動をとってしまうのです。沸点自体は人それぞれですが。
そこに外見も内面も関係ありません。
美しい瞳や指先に心を惹かれようが、あるいは優しさや魂の美しさに惹かれようが、あるいはその惹かれる部分が自身の妄想や幻想だったとしても、愛していることに変わりはないのですから。
「死」とは、それ以降の「不変」「永遠」を意味します。
「美しい彼女が、狂おしい程愛した彼女が、誰か他の男のものになり、他の男に抱かれ、穢されるくらいなら、ここで永遠に自分だけのものにしてしまおう。最も清く美しい時の姿が変わる前に、自分の魂に刻みつけよう」
「彼の愛や優しさが、自分ではない他の誰かに向けられるくらいなら、いっそここで死なせて自分だけのものにしてしまおう」
「苦しむ姿も、無様に許しを請う姿も、介護が必要な姿も、全部知っているのは私だけ。彼の色々な表情を一番知っているのは私だけ。もっと彼を苦しめたい。傷つけたい。優しくしたい。壊したい。愛してるから」
そんなことを考えてしまう人がいるのでしょう。
ヤンデレにとっては、死(破壊・監禁)=愛の喪失ではなく、寧ろ究極の愛なのかもしれませんね。
文字通りの意味で食べちゃいたいくらい可愛いとか、殺したいほど愛しているというヤツです。
それがすべてではありませんが、そういう部分も多くを占めていると思います。
許される範疇を超えてしまうくらいの、倫理や常識を置き去りにしてしまうくらいの危うさと愛と独占欲。それこそがヤンデレの醍醐味ではないでしょうか。
>好きだったのに、壊してしまっては意味がない
逆に好きだからこそ憎い、壊してしまいたいという事も考えられないでしょうか。
いわゆる「好きと嫌いは紙一重」って奴です。
例えば、現代で言うヤンデレに当たりそうだと個人的に思うような話に、紀州の安珍・清姫伝説というのがあります。
具体的にどんな話なのかは興味がおありでしたらご自分で調べていただくとして(正直僕もあまり詳しくないです)かいつまんで説明すると、
昔、清姫という少女が安珍という旅の僧侶に一目惚れし、アプローチをかけます。しかし、安珍は旅の途中であることを理由にそれを断り、旅の用事を済ませて戻ってきたら清姫と一緒になることを約束します。
それから清姫は安珍が戻ってくるのを心待ちにしていたのですが、安珍は約束をスルーして清姫がいる場所を迂回するルートで帰路についてしまいました。
それを知り激怒した清姫は安珍を追いかけ、川を渡ろうとした際に火を吹く巨大な大蛇に姿を変えます。そして安珍を道成寺という寺に追い詰め、鐘の中に姿を隠した所をその鐘ごと焼き殺すのでした。
清姫が安珍を焼き殺したのは安珍を愛していなかったからでしょうか? 僕は違うと思います。
清姫は安珍を本気で愛していたからこそ、別れの言葉もなく約束を無下にされたことに激しい殺意を覚えたのではないでしょうか。
ついでに僕が個人的にヤンデレキャラクターに魅力を感じる部分についてですが、他人を傷つけたりといった反社会的行為というのは(好きな人に嫌われるといった物も含めて)通常重大なリスクを伴うことであり、だからこそ大抵の人は他人を傷つけるような行為に出たりせずに踏みとどまれる部分もあると思います。
そして、そんなリスクなど頭から吹き飛んでしまうくらいに誰かを強く愛してみたい、惚れ込んでみたい(もちろんそんな事現実には恐ろしくてできませんが)という気持ちがヤンデレキャラクターの持つ魅力の一つなんじゃないかと思います。