トータスさんからの質問 2012年08月10日
王道を行く物語が有り、それも栄枯盛衰、諸行無常な事も有り。
邪道と言われる様な物語でも、何時しか王道をゆくモノも有るライトノベルの世界。
そんな、数多有る本の中で、図書館購入不可の文字が・・・
先ほど、ネットから図書館で本の予約をしていたのですが、有る《大手から出されている》ライトノベルが、購入不可の文字が張られていた・・・
未所蔵なら、まだ解るが、購入不可・・・
今後、余程の事が無ければ、購入する事は無い! と言い切っている様だった。
まぁ、題名も凄いと言えば、凄いのだが・・・良くこんな題名を付けたモノだと、逆に感心した。
購入不可は初めて目にした。
しかも、ライトノベルで・・・
大人向けの小説で有ったり、そう言った描写がキツイモノであるなら、納得は行くのだが、ライトノベルでそれは・・・有っても良いのだろうか?
現物はまだ目にしていないのだが、レーベルで検索を掛けていて、偶々その文字が目に入って来た。
図書館には相応しからざるモノとして、見られているようだ。
さてはて、最近のライトノベルは何処へ向っているのか、一寸気になったので、ご意見を聞かせて貰えればと思った次第です。
私個人としては、最近の王道(最近最も多く出される物語)よりも、古き良き王道=ストーリー性重視の物語りが良いと考えている。
読み手としては、そちらが一番慣れ親しんでいるので。
購入不可のモノの題名に関しては、伏せさせて頂きます。
それでも、ご意見が伺えればとも考えます。
●答え●
流行り廃りの激しい業界なのでなんともいえませんがストーリー性のあるものがヒットすれば少しは変わるかもしれません。このままの方向でいけばキャラクターありきのものばかりになるでしょうね。
確かに、ヒットすればいいのでしょうが、中々にそれが難しい。
私個人としては、もう少し、ストーリー性の高い物語りが増えて欲しいかなと考えるばかりです。
最近のモノが、面白くないとは思わないが、一寸食傷気味ですね。
一寸ここいらで骨太なモノが読みたいかなと考えます。
ただ、このままキャラクターありきだと、絵師の力でしか、魅力が無くなってしまうのではないかと危惧もします。
物語よりも、絵が良ければ全て好し、と成らないかと考えてしまいました。
確かに、絵は魅力的では有るが、それらを(想像上で)動かすだけの、行動が描けるのかと考えたり。
私個人としては、もう少しだけ物語りとして、読める物が増えると良いなと考えたり。
返信、ありがとうございます。
思ったほど返信が無かったので、一寸場違いだったかと考え込んでしまいました。
タイトルで購入不可って……R15だろうか。確かにあれはかなりギリギリな内容ですが(汗)
うたかたの主観ですけど、ラブコメ系がやや氾濫しすぎなきらいはありますね。安易というか、軽々しいというか。そういうのをよく目にします。
今の流れが続くといずれ必ず飽きが来ると思います。しかし王道にせよ邪道にせよ、ラブコメ、ミステリ、そのた各種ジャンルにせよ、その時の流行り廃りで注目されたりされなかったり、色々だと思います。時流には逆らえない。売れなくなったら今の路線は変更されるでしょう。とは言え、どうなることやら。
何がしかのブレイクスルーが必要なんじゃないかなー、と勝手に思っています。
返信、ありがとうございます。
R-15は未読ですが、それとは違いますね。
まぁ、個人的にラブコメもミリタリもミステリーも割と好きですけど、最近のは読むので疲れてしまったり。
海外の方が、物語りとして読み応えが有ったりしています。
個人的には、もうラブコメは見飽きたと言うか、同じ様なモノが多く見受けられてしまうと言うか、コレとこれが似ているなと感じる事が多いかと・・・
使い回しと言うか、似た様な、と思ってしまうモノが多過ぎると感じてしまう今日この頃。
勝てば官軍とは言うモノの、勝ち馬に乗っかり過ぎて、潰れかけかな?
フロンティア《開拓者》精神がみっからないなぁ、と考えてしまいました。
出来ればここらで変わると良いなぁ、と個人的には考えます。
好かろうが悪かろうが、変わって欲しいかな。
ちょいと似たモノが多過ぎると考えたり。
似るのは、似せるのは構わないが、違いが見えないモノは、全て似て見えてしまう。
まぁ、物語りとして見た時、それが面白いと感じるモノが、欲しいですね。
こんばんは。欠伸をしながら廻っていたら面白そうな話題でしたので……。
多分よからぬ場所に向かうんじゃないでしょうか?
ツイッターかどこかのサイトかで見た気もしますが、最近の世代はライトノベルを読んでライトノベルを書く層らしいです。つまりライトノベルらしさが抜けない、悪い意味でライトノベルらしいライトノベルがもっと増えることかと思います。
あと、他のお方が言うようにラブコメが多すぎたりするのはいただけない……と言うか作る側の明確な目的がない作品も増えそうです。『今のトレンドはラブコメだから、とりあえず書いてみっかー』的な感じで。
まぁ、それを変えるのも流されるのも今こうして目指している僕たちなのかもしれません。
ちょっといい話風にできたかなー。と、思いつつここらで。
確かに、今の書き手は、大概が読み手世代から、書き手へと変わる世代ですね。
だとしても、もう少し幅広く読んで欲しいと思いもします。
中国人のキャラが、和製漢字を当たり前に使っていたり。向こうじゃ使わないし通じない。
宗教観で首を傾げたり。
海外の情景が、常識が変だったり。
その辺りは、大人がというか、もう少しだけ校正をして欲しいかなと考えてしまったり。
書けるから、書くのは構わないが、終着点が見えないと何処でどう落ち着くのかが見えてこない。
結局、宙ぶらりんなままが最も頂けないですね。
イエイエ、中々に良いお話が、ご意見が聞けたと思います。
変えて行きたいですね。
ありがとうございます。
掲示板に書き込むのは数年ぶりかと思います。こんばんは。
まず大前提として、読む気があるなら自分で買えよと思わないこともないです。
麻雀を上手くなるには勉強料が必要とよく言われるように、ラノベでもある程度勉強料が必要であると考えます。
あるライトノベルの指南書(ここの管理人さまが執筆なさったものではないです)に、このような一文が掲載されていました。
「ライトノベルというのは、小説の一分野でありながらも商売の方向性がいかにも漫画的である。従来の一般小説は作家が勝手に書いたものを出版社が出版しているだけであるが、ライトノベルではきちんとしたマーケティングを行い、その結果を反映させた刊行を出版社が行っている」
その指南書は友人から借りたもので、今手元にありませんから正確な文章ではありません。しかし、このような文意であったと記憶します。
恐れ多くもスレ主さまが仰ることを私なりに汲み取ってみると、「何処へ向かっているのか」という論調からかどうも「昔のほうがよかった」という懐古的なものを感じます。
何処へ向かっているも何も、「マーケティングの結果を繁栄して売れるほうに向かっている」としか言いようがありません。
事実として、出版業界では唯一と言っていいほどの右肩上がりの業界です。スレ主さまが仰る「図書館には相応しからざるモノ」がマーケティングをしっかりやった結果売れると判断され、このような路線を取っているとは考えられないでしょうか。私からしてみれば、「商売」としてライトノベルを見ると、いたって健全であると思うのですが。
スレ主さまは「最近の王道よりも、古き良き王道=ストーリー性重視の物語が良い」と仰られておりますが、それを「自分の中だけの感覚」として見ることは出来ませんか。
私は、「確かに古き良き王道もいいですけど、最近の王道もいいよね!」と考えているクチで、そういうものは個人個人で持つものであって業界全体の流れを憂うものではないと思うんです。
確かにぶっ飛んだ設定のラブコメが多く出版される(それは前述したように、マーケティングの結果として売れるからです)昨今のラノベ業界ですが、それでも「古き良き王道の物語」は出版されていますよ。それらを探して読めばいいだけではいけないのですかね?
最近でも似たような趣旨のスレがたっているのを見て、「なぜ個人個人での好き」を業界に押し付けるのかが疑問でなりません。毎月各社から百冊以上出版されるのですから、その中から好きな雰囲気の作品を選んで読めば、それでいいと思うのですけれど。
最後に、時代の先端を行く本は常に奇書扱いされてきた歴史があります。
ライトノベルが図書館で言うところの「奇書」であり購入不可であるならば、それは常に時代の最先端を標榜するライトノベルにとって栄誉なことなのではないでしょうか。
返信、ありがとうございます。
確かに、自分だけの感覚です。
ですが、それだけに、大事にしたいとも考えます。
懐古的では確かに有ります。
だからこそ、それも、伝えたいとも。
商売として見た時、最も売れるモノを出すのが当たり前なのですが、一寸寂しい気もします。
賭けを、勝負を、挑戦を!と成る様な物が見つかり辛いなと考えたり。
時代の最先端。
先端を行けば行くほど、曲がった時が怖いかなとも。
間違った路線を進んでいるのに、気付けなかったりした時など。
私個人としては、今出ているモノも、割と好きですよ。
ただ、似た様なものが多いのには閉口しますが・・・
お気に入りの作家さんに関しては、必ずチェックしています。
中々出て来ないんですけどね。
ただ、新しい作家さんの数が半端無いので、どれが良いのかが判らなくなったり。
好きな物語を押しつけはしませんが、今の風潮に関しては、異を唱えたいです。
似たモノが多過ぎると!
もっと違いを見せてくれと!
比べさせられるだけのモノを!
似たり寄ったり無難過ぎだと!
確かに、奇書である事は栄誉なのかもしれないが、本は読まれてこそ、その価値を問われる。
読まれもしない本に、価値を見いだせるのだろうか?
私としては、読んで貰ってこそ、価値を見いだせるし、栄誉だとも感じられる。
自分の本が図書館に並ぶ。
その一角にある!
ほんの一部では有るが、そこに確かに有る事こそ、栄誉かと考えるかな?
そんな事を考えていました。
考えるべきモノですね。
発言して見て気付く事も多いので、私はあえて、言って見る事にしています。
賛成意見も、反対意見も鑑みて、それでなお、自分の考えを纏める事が必要だと考えているので、お付き合い頂きたいと考えます。
ありがとうございます。
そんなに途方もない所へは行かないと思います。(たぶん)
いずれ度が過ぎれば、メディアか国が動く事になるのでは?と思うので。
なので、限界はあるかと。
過去に、表現の自由を取り間違えて全てをさらけ出し過ぎてしまった本が世に出てしまったが為に、東京都が児童ポルノ関連の法律の見直しによる、同人誌即売会の停止なりかけなんていう事もありました。
この事についても、またそういった本が出てしまったり、そういった本に関わる犯罪などが起きれば、その法律の見直しが動く事もあるのではないでしょうか。
表現の自由の中でも、エロとか残虐とか線引きって難しいと思います。
結局、読み手しだいなので。
人の死や命の大切さを本当の意味で理解しない年齢の子に「殺人楽しぃ~」とか「エロ最高~」とかいう本を与えちゃだめだと思うし。
理解している人が読むから、その意外性とか異常性に面白さを感じるわけで、「殺人って楽しいの?」って受け取ってしまうような子に読ませてはいけない。けど、自由に手に取れる状態ではそれを止めることはできませんし、かといって全ての本に規制をかけるのも出来ないと思います。
ライトノベルに年齢制限がないけど、読み手の年齢層は分かっている時点で、限界はあると思います。(多分;)
それに、流行はまた繰り返す。
と、私は思っていたりいなかったり。
次は何がくるかな?純愛ものとか勇者王道ものとか?かな?
きっと、このままじゃ「ダメなんじゃないの?」って思う人が必ずいると思うので、少しずつまた変わってくると思います。
つか、思いたい。
タイトルも中身も低俗になれば、買い手も幅が狭くなるので売れなくなると思ってます。
そうなればまた方向性が変わるかなー?なんて思ってます。
すいません、長々と失礼いたしました。
返信、ありがとうございます。
確かに、度が過ぎる事は無いかと思いますが、過ぎてしまったら後戻りが出来ないのが怖い所ですね。
自由の意味、それを解っているつもりで、意外と解っていない。
理解する事が出来ないのが、怖いですね。
善し悪しの判断が出来ると思われていても、意外と出来ていない。
最近はそんな事を考えさせられる事が多いですね。
その為に、一生を棒に振ったり。
先が見えない様にされてしまったり。
残虐さや卑猥さの線引きは、正直言って私も曖昧だなぁと考えます。
心象的にどう捉えるか、どう考えさせるか次第ですし、決まった答えが見付からないですね。
個人によっても違いますし、国や人種によっても様々。
如何に考えさせるか、捉えさせるかかな?
そう考えます。
まぁ、流行は繰り返すモノ。
それはそれで面白いし、何が来るのかを楽しみたいですね。
ただ、似たり寄ったりはやめて欲しいかと考えます。
どれも同じに見えてしまうと!
飽きるのを早めるだけだと!
ヤルなら、違いを見せてくれ!と声高に叫びたいかな?
イエイエ、こちらこそ、長々と連ねてしまいました。
ありがとうございます。
この手の話しは一言で終わってしまう話しです。
今のライトノベルの状態が気に入らないなら、この流れを変える作品を投稿する。
これで決まりです。
流行りを決めるのはお客様の人数と言っても過言ではありません。
このまま今の状態が続けば~だの、~が怖いだの言ってるよりも遥かに有意義ですよ?
お客様を振り向かせ、唸らせる作品を頑張って完成させてください。
自分は萌え大好きなオタクで、トータス様の望む客にはなれませんが、ライトノベル読者層の一人として言わせていただきました。
確かに、変えられるほどのモノは作りたいとも考えます。
ですが、中々にそう上手くも行かないので、意見としてどうなるのかを聞いて見た次第です。
有意義ではあるでしょうが、今をどう感じるのか、どうなると思うのかの、ご意見が欲しかった。
私個人としては、自分が好きだと思うモノが書けるだけでも良いが、読み手としては今のモノではちょっと物足りなさを感じる。
出来れば、一つ一つの違いを、似て非なるモノであるなら、それもまた面白いと感じもします。
似過ぎたモノを量産されるのは如何かと思いもします。
それが好きで、それが書きたいのであれば、それはそれで構わない。
似たり寄ったりドングリの背比べの様なモノであるなら、売れて当たり前。
それ以上を目指すモノを!と望めないのだろうか?と考える次第。
私個人としては、読んで貰えるだけでも良い。
それで、楽しんで貰えるのなら、更に嬉しい。
ただ、読んで見て、楽しめない、喜べないモノであるなら、哀しく感じる。
似ているだけで、違いが見えない、ただ売れるだけのモノに、意義は見出し辛いかと。
言うだけなら、幾らでも。
一般的なモノでも、当たり前の意見でも。
それに更に、自分なりの見解を、上乗せして欲しいと考えます。
売れるモノ、それが全てでは有るが、見劣りするモノは、寂しくも。
今売れているモノよりは、ネットで公開されているモノの方が、魅力的に見えてしまう。
絵も何もない、文章一本で勝負されるモノ。
それが何処かへ行ってしまったのかとも考えてしまいます。
その中から、売れる物へと変わる方も居られます。
余り知られていない様な所から、思わぬ作品が出て来る事も。
ただ売れ筋ばかりでは、思わぬ作品が出なくなった事も大きいかな?
萌えであろうが、恋愛だろうが、戦争だろうが、全ては物語として見た時、面白いか、愉しいか、驚かされるか、悲しませられるか、楽しませられるかが全て。
あ、ココがこれと同じだと思わせず、気付かせず、最後にそうだったのか、と思わせられる、納得させられる、そんな話が私は好きです。
返信、ありがとうございます。
出来れば、次回はご自身のご意見を聞かせて貰いたいとも。
更に違った見解、意見が頂けると、有り難いとも。
そう願う次第です。
当たり障りのない見解もそれなりに、ありがたいのですが、更に穿ったモノ、こう考えては?などと思わされるモノ、考えさせるモノも欲しいかと。
一言で終わらせるのも、有りではありますが、それだけでは納得が出来ないので、考え続けたいとも思っています。
では、また別のご意見が有りましたら、お願いいたします。
変わっていくんじゃないですかね。
ラノベの読者層の変化から言えば、社会派な作品が増えそうな気がします。
例えば、「のうりん」とか「なれる!SE」といったお仕事系のお話はすでにありますし。
どっちの作品も『美少女』『萌え』『学園』といったラノベの基本は守っていますが、ある意味進化のひとつじゃないかと思います。
あまりラノベが踏み入らない、お仕事の世界。
選択肢がいっぱいで逆に迷っている昨今の時代には、意外と合っているんじゃないですかね。
だからもう少し、中高生向けにした社会派ラノベがあってもいいんじゃないかなと思います。
そういった作品で爆発的なヒットを飛ばすのは難しいでしょうが、そこに流行りの間隙があるんじゃないでしょうか。
ラノベの基本を守るかどうか、その点はまだ私も分からないところですが。
成程、そんな変化が有ってもおかしくはないですね。
漫画も元々は子供向けのモノから、段々に社会的なモノが増えて来た様に、社会性の高いモノも有り得るかもしれませんね。
それを考えると、ライトなモノとは言い難くなって来て、また新たに別の呼ばれ方をされるかもしれませんね。
そうなった時、どんな呼ばれ方になるんでしょうね?
ライトから、ヘビーとまではいかないまでも、間を取ってミディアムノベルとかになるのかな?
それはそれで楽しみが増えた様で、面白いかと考えます。
お手軽な小説から、今一歩踏み込んだ、社会派ノベル。
一般小説にも近く、ライトノベルよりは手堅い、そんなモノになるのでしょうか?
ラノベの基本から少しズレたモノも出て来ると、それも楽しいですね。
ご意見、ありがとうございました。
あ、俺も高校生時代は図書館でラノベ借りてました。
月々のお小遣い3000円(昼飯代込み)っていう一種のサバイバル状態だったので(笑)
記憶にあるのは”灼眼のシャナ””禁書目録””オオカミさんシリーズ””ゼロ魔”とかが置いてありました。
(現在シャナは全巻保有しております。他のはいい加減本棚が限界なので……汗)
……こうしてみると結構古株が多いですね。
個人的な意見とすると、最近のラノベは絵師さんの力に頼りすぎな気がします。
露出度がんがん上昇してますし。
といってもラノベって表紙見て買う人が多いんで仕方ないっちゃあ仕方ないんですけど。
だから頑張れ新人! って勝手に思って勝手に頑張ってます。新人さんは絵の力借りられないですからね。
最近はラノベに限らず、本全般が売れない時代に入って来ています。
昔はテレビ、映画などが娯楽の競争相手でしたが、本は映像でない表現ができますし、映画はややお金がかかると言う事で、娯楽の住み分けができました。
今はインターネットと言う競争相手が存在します。
1度パソコンや携帯などでネット環境を整えてしまったら、いくらでもネットサーフィンができますし、わざわざ外に出かける必要もありません。小説もネットで読めるようになってしまったがために、わざわざお金を払って本を買うと言う習慣も薄れつつあります。
そうなったら出版社も困りますから、より興味のそそられるような内容で本を作るようになります。
最近でしたらこのネットで小説を読むと言うのを利用して「アクセス数○○○hit突破の作品が遂に出版決定!!」と言う煽り文句をつけてネット小説を売るケースが増えています。そうすれば少なくともファンは買いますし、何も知らない人も「こんな作品が世の中に出ていたのか」と手を取るかもしれません。
今の「俺TUEEEEEE!!」の主人公インフレも、ハーレムラブコメも、お金を本に落とす層を狙ったら自然とそういうラインナップになったのでしょうが、一部の出版社は既に「これじゃあ埋もれて生き残れない」と気付いて、萌え以外の方向性を模索中です。
どちらにしろ、読者は「もう飽きた」と言えば次の流行が来ますから、今はそれを待つべきかなと思います。
余談ですが、「スレイヤーズ」全盛期時代、どこを見てもファンタジーしかなく、それ以外が読みたくて地団太していた頃、ファンタジーでは全くない現代ものを発見して読んでほっとしていた事がありました。今の俺TUEEEEEE!! やラブコメ以外が読みたいと言うのはその時代の繰り返しかなと思いました。
こんにちは仏樹鴨子でございます。
私も現状を憂いている者です。
現状はソランさんがおっしゃった一言に尽きると思います。
>小説もネットで読めるようになってしまったがために、わざわざお金を払って本を買うと言う習慣も薄れつつあります。
これは、市販されている小説がネット小説と大差ない作品だと言う事だと思います。
勿論驚くほどの完成度の作品を載せている方もおられましょうが、それでも昔から『市販作品(プロの作品)>アマの作品』と言う構図は絶対だったと思います。
その構図が崩れたからこそ市販作品(プロの作品)にお金をかける価値が無いと判断されてしまっているのではないでしょうか。
無論出版社が売れると判断して出しているのが、今の偏った現状を招いているのだと思います。
爆発的ヒットするか、はたまたコケるか半々な作品より、爆発的ヒットは無くてもそこそこヒットする作品を取る。
商売である以上それは仕方の無い判断かもしれません。
となると最後は、だれもをうならせるような作品を作者が作らなければならないのでしょうね。
これまでも多様化が進んできたし、これからも多様化が進む。それだけ。
てかストーリー性重視の作品は売れ続けてますし、人気も十分ありますよ。
単に、多様化したことで比率が下がっている、ってだけでしかないかと。
提示された例にしても、多様化の極北に当たるような一形態でしかないでしょうし、そんなものを持ち出して全体の道を問うても、意味が無いように思えます。
そうですねぇ
C3(シーキューブ)とか表紙でちょっと敬遠してたんですけど、中身は結構面白くて残念だったなあ。
ラノベは今、銀河系を脱出しようとしているところだ。10万光年……10億光年………ノヴァ
(ウェルナー・フォン・ブラウンの辞世の言葉、私→ラノベ)
ラノベは一般文芸のように評価できるモノではないと思うので、図書館に入るとか入らないとかいうのは些末なことではないでしょうか。そもそも、図書館に納められるモノが良書とは限らないという話もあるし。
現在ラノベは進化の途上にあり、地上に生きてひたすら巨大化していく恐竜の道もあるし、木から木への滑空から飛行能力を得て、鳥になっていく道もあるのだろうと思います。その二つの道は今のところ等価値であり、どちらがより正しかったかは、6500万年後にならないと分からないのでしょう。いや、もしかしたらその未来にも、判断は出来かねるのかも知れません。僕らは滅び去った「失敗作」であるはずの恐竜に心惹かれたり、生き延びた「成功例」である鳥類を、ただの風景として認識しているのですから。
トータス様の言う良作と駄作の区別はどこを見て言っているのですか?
キャラクター重視じゃない物が良作ですか?
ストーリー重視じゃないの物は駄作ですか?
自分が読んでいる【禁書】や【はがない】【俺妹】【ゼロ使】などはキャラクターもストーリーも良くて面白いですよ?
私から見てトータス様は、今のライトノベルは自分の感性に合わないから文句言っているだけのようにも見えます。
以前にも言いましたがライトノベルの現状に不満があるのなら、こんな所でグダグダ言ってないであなたの望む良作を書いてはどうですか?
無いなら自分で作る!
そういう姿勢は作家志望者に必要なのではないですか?
これも前に言いましたが自分は萌え大好きのオタクです。
好きな作品には何万とお金を払います。
好きなキャラクターにも何万とお金を払います。
私達オタクは夢中にさせてくれた作品やキャラクターにはお金を惜しみません。これは本当です。
トータス様が言う良作を、トータス様自身が書き上げ、出版してください。その作品が私の目に止まり、夢中にさせてくれれば、私はあなた様の作品やキャラクターに何十万とお金を払います!
これは約束します。
オタクとは【欲しい物は必ず手に入れる】そんな人間です。
先に上げた作品群にも私はたくさんの資金を献上しています。
なぜか? 夢中にさせてくれて、好きにさせてくれたからです。
トータス様の良作を、心よりお待ちしています。
そりゃああんな絵柄なら出ますね。出て当然!
こんばんはミトリです。
只今出版業界にはブレーキがありません。
怒られるまで進み続ける悪ガキと同じです。
ただその時は制約が付くので望むべき展開ではないんですけどね。
それよりも思春期=変態の図式を何とかして欲しい。
エンジェルビーツみたいにパンチラすらない健全な作品もあるのに、作者の腕のなさをエロでカバーするだけの安易なタイトルは気に入らない。
正直な話、ついていけない。いきたくない!
古い人間と言いたければ言うがいい。
嫌いなもんは嫌いだ!
と私情満載で語りつつ、売り方うまいな。と感心するものもあり。
しかし炉利でも変態でもないからタイトル変えてくれ!
なる作品が多いのもまた事実。
それでもなくなることはないでしょう。
何故ならみんなエロスが大好きだから(シネ
思春期をターゲットにしてる段階で法的処置、あるいは貞操概念が固くならない限り風習はかわらないでしょうね。
誰かハードボイルドな内容ではれんちな女性を一掃してくれ。
《お前はもう、女として死んでいる》くらいに!
……売れないね。ギャグ作品ならまだしもシュールすぎる。
とりあえず纏めとして、
大人の事情を破壊し続けるのがラノベで有る限り、一時期絶えようとも 第三第四のエロスが目をさま(ry
さて、簡単にですが、スレとレスに目を通させていただきました。
本当は関わらないつもりだったのですが、だいぶ話題が続いているようなので、偏った生き物からもレスを入れさせていただきます。
ライトノベルなんて単語がでるまえから小説を読んでいた身としては、トータスさんが懸念されていることにとても共感できます。
でも、古い文芸作家さんたちからみれば、ライトノベルなんてものが小説を名乗っているのも業腹だったんじゃないかなぁと。
なので、我々も新しいスタイルを寛大に受け入れるべきではないでしょうか。
むしろ、漫画とラノベのような娯楽は世間から否定されるくらい穿ったものを目指すべきでは?
(それでもやっぱり現在の風潮は受け入れがたいものはありますが<オイ)
また、いまのライトノベルの風潮が気に入らないのならば、いっそ離れるのも手だと思いますよ。
トータスさんと同じ考えの持ち主が、ラノベ消費者の大多数を占めれば、自然と売り上げは落ち方向転換を迫られますから。
そうならないのは、それを望んでない人が多いからですよね?
それでも納得ができないのならば、既存の出版社をたよらずに自分で会社を立ち上げるなんてどうでしょう?
ラ研内を軽くみわたしても、『お金さえだしてくれれば』賛同者はかなり集まると思いますよ。
それとも、自らリスクを負わずに、社員を何百人と抱え巨額を投じている出版社の商法を否定しますか?
仏樹です、こんにちは。
しかし、いつからライトノベルの特徴に『エロ』が幅を利かせるようになったんでしょうね。
少し前のライトノベルのハウツー本には、ライトノベルの特徴は『挿絵があって中高生向けの小説・萌えや燃えと言った要素を持つキャラクターが織り成す物語・舞台が学園や異世界&現実ファンタジーなど多様化している』と言った感じの事が書いてあったはず。
ライトノベルに限らず、少年漫画もエロ要素たっぷりな作品が最近は多いですしね。
アニメも子供が見る物にさその要素は入っていますよね。(子供たちはそれをエロだとは特段認識しないのでしょうが)
何でしょう、世の中の流れが『エロ』に向かっているとでも言いましょうか、それとも意図的に流されているのでしょうか……
ふとそんな事を考えました。
こんにちは、雷です。
トータスさんのご趣味は、この際、無視します。
そもそも僕は、「ライトノベル」という分類そのものに懐疑的な人間です。
いわゆるライトノベルレーベルから出版された本の中には、その後、大人向けの一般小説として出版されたり、逆に小中学生向けの児童書として出版されたものもあります。
もともとライトノベルとは、単純に「中高生向け」であることで定義でき、現代小説、恋愛モノ、推理モノ、ファンタジー、SF、ホラー、バトル……と、ャンルにとらわれることがありませんでした。
いまのライトノベルは、さらに読者の年齢層の垣根すら取っ払おうとしています。
ライトノベルは多極化すべくして多極化していった、というのが僕の印象です。
いえ、むしろジャンルにも年齢層にもこだわらずに、表現の多様性を肯定する、本来あるべき「小説」の姿に立ち返ろうとしているようにも思えます。
トータスさんのおっしゃる「キツイモノ」も、あくまで、多種多様なライトノベル群の中の一作品でしかありません。
それに、多様化というものは、常に進化と淘汰の繰り返しでもあります。
だから僕にとっては、トータスさんが感じる不安は、些末なことでしかありません。
流行(?)に敏感なのは良いですが、それに振り回されてばかりいては、ほんとうに良い作品を見つけることも読むことも書くこともできないと思いますよ。
ライトノベルは昔より多種多様に細分化してしまいました。これは紛れもない事実です。また如何わしいモノもあれば、素晴らしいモノもあるのも事実です。
そして我々には選択の自由があるのですよ。
貴方は「最近のライトノベルは闇雲に彷徨うばかりで、先行きが不安である」と危惧されるかもしれません、しかしこの世の摂理は意外と上手く出来ているもので、良い物は語り継がれ、悪い物は淘汰されます。
最近の作品でも駄作はすぐに忘れ去られますが、遥か昔の名作は今でも残っているではないですか。
個人的には、まず許容から始めたいと考えます。
清濁も玉石も全部一度許容して、そこから後の世代に残すものを選びましょう。
我々は創作を制限できませんし、業界の動きを制する事もままなりません。理想論や机上の空論では何も変わらないのですから。
ならば読者として、消費者として出来る事をするまでではないですか。
トータスさん的には「図書館でNGをくらうライトノベルが有るなんて……最近のラノベはどうなってんだ」と嘆きたいのかもしれません、しかし私は「そゆーのも有りじゃないかな」と思います。
若さゆえの過ちとか、一時の気の迷いとか、そんな感じにとらえております。なのでラノベ全体がダメになるような事にはならないのではないかと……まぁ日和見主義・楽観的と言われればそれまででしょうけどね。
生き物はどうやっても主観でしか物事を認識できませんからね、相互理解とは難しいモノです。まぁこんな意見もあると言う事で。
ではでは、互いに良い意見交換でしたと言える内に終わろうかと思います。
では有意義な話題提起に感謝しつつ、失礼させて頂きます。
エロけりゃ売れる、ロリなら売れる、奇抜なら売れる、ぼっち主人公なら売れる。
という風潮、嫌いじゃないです。ロリネコとかのたまってます子猫です。以後お見知りおきを。
わたくし、自他共に認めますガキンチョワナビでありますが、『売れるものが売れる』ってのが正しいと思うんですよね。つまり正義です。売れれば正義なんです。
禁書矛盾多すぎー、だの、はがないとか内容皆無だしwwwだの、下ネタ概念とかタイトル引くわー、だのという意見はたくさんありますが、そういったものが『売れる』または『出版される』世の中になってきてるわけですよね。
そんでもって、対象読者はどうあっても中高生なので(といっても今のライトノベル業界は、という意味ですが)若い世代が『休み時間の五分十分にクスりと笑える作品』が今迎合されたりするんですよ。
ストーリー性、うん大事。とっても大事。なけりゃ物語として成り立たない。おいらもそう思いますですよ。
だけどよくよく考えてみると、今の中高生って『オタク急増』状態じゃないですか。四人・五人に一人はラノベ読むような、そんな世界。
そういう『オタク向け』に特化して書かれてるラノベって、キャッチーであればあるほどいいと思うんですよ。
で、おいら個人の思う『ラノベの向かう先』というのは、『対象読者にとって心地いいもの』としてスタイリッシュ化されていくのではないかと思います。
オタク向けならストーリー皆無でもいい、ってことをおいら言いたいんじゃないんです。
ストーリー性が低くても、中高生にとってキャッチーで売れそうで面白そうな作品が売れるし、そういう方向に今は向かっている最中なのかなあ、と。
重厚なお話が好まれる傾向もそりゃそのうち復活なりなんなりするとは思いますが、『今の中高生に寄り添っている』というのがラノベ界の現状じゃねーかと思うですよ。適応力の大切さを感じます。
というわけで、わたくしこの辺りで失礼させていただきますね。一個人の一意見まで。
>もう少しだけ、今のライトノベルには踏み込んで、上へと目指して貰いたいかと・・・
ああ、おいらが言いたいのはそういうんじゃないんですよ。
ラノベ業界が上に進んでも、読者がついてこないんじゃ『経営』として無意味ですんで。
でもって個人的な意見としては、『清濁併せて楽しめる』ってのが一番いいんじゃないかと。
人間失格、いいね。吾輩は猫である、機転が効いてる。羅生門、皮肉がかっこいい。
だけどこれと同列線上で、『JSが俺を取り合って大変なことになっています』とか『10歳の保健体育』とか『お前をオタクにしてやるから俺をリア充にしてくれ』が来ても楽しめるのって大事だと思うんですよね。
これが、『比べられるからこそ違いもある』とおいらが考えるところでもありますので。
そもそも今って、夏目も太宰も芥川もほとんど求められていないんですよ。
読めば確かに教養となりますが、求められているのが『教養』ではなく『娯楽性』ですので。しかも、おそらくトータスさんの時代とはまた一味違った『娯楽』ですね。
おいらの意見は『昔の娯楽』と『今の娯楽』を、良い・悪いではなく『何がどう違うのか』『時代の流れと共にどう変質していっているのか』に着目してみるのがいいんじゃねーかな、という。
ってか極論言っちゃえば、今のラノベが(口汚い物言いにはなりますが)下等だと思うなら一般に流れてもいいですし、高尚な題材(文学少女・ビブリア古書堂)なんかを読めばいいと思いますし、異世界モノが好きならD&Dやロードスでも読んでりゃ十年はまかなえますし、架空戦記だったらT・クランシーやC★NOVELSでも読んでればいいんですよ。
あからさまな萌えが駄目なら読まなくていいんです。行間が見当たらないとか嘆くなら明治や大正の文学を読めばいいんです。
『今』は『今』のために特化するとおいらは思っておりますので、将来どのような本・作家が生き残るかに関しては特に深く考えておりませんです。というか、ワナビの時点でそんなこと考えてても身も蓋もないです。
だからこそ、将来のラノベ・文学を今出ている本と比べてどうなのか、ってのは十年後ぐらいにまた考えてみようかと思ってるぐらいです。
ちなみに最近出てるラノベでも、ストーリー重視で重厚なモノもありますぜ……『エスケヱプ・スピヰド』だったり『東雲侑子は短編小説を愛している』だったり、色々と……。
ではお目汚し失礼いたしました。
>他の方に申し上げたのですが、形に残るよりは、心に残るモノで有って欲しいと考えています。
>十年後に、自分がまた読んで見たいと思えるモノを、作って見て欲しいかと、思っています。
一言で言うと『感性が古い』ってことだと思うんですよね。
おいら割と何でも楽しんで読むんですが、純文学とエロベを読む時は切り替えますもん。
『ラノベ』という時代に対応できないなら素直にラノベから離れればいいと愚考しますぜ。
こういう媒体って結局娯楽でなんぼですので。
でもって娯楽で終わらせないためには、ある程度の『教養』が必要なんですよ。
だけど教養がなければ『娯楽で終わる』上に今の中高生は『古い文学の教養』がないので結局『ごらくありき』に流れるのは仕方ないかと。
読者レベルが上がってほしいってのは結局『作者のわがまま』なので、『どう読者に向けて教養を含んだ作品を読みやすく落とし込むか』を考えたほうがいいと思いますね。
古い感性は『既成概念を取っ払う』ことが不可能になると思うですよ。
とはいえ、温故知新という言葉がありますように『古いものを知っておく』というのも肝要であります。
『よりよい作品を生み出していく』ためには『読者レベルを正確に把握』し『そのレベルに合わせて作品を書く』ってのが一番じゃないでしょうか。
正直に申し上げますと、今のトータスさんは『自分と同世代の読者』しか見えてないようですので。
一般なら話は別物かもしれませんが、ラノベ書くならまず売れ筋のラノベを面白いと思える、あるいはなぜ面白いとみんなが思うのか分析してみるとかしてみたらいいんじゃないですかね。正直、ラノベ読者としてのおいらの意見としては『ところどころ説教くさい話はご遠慮させていただきます』状態だったりします。
あと、今のラノベって『読み終わって何も残らないけどただ楽しい』ってのを求めてる読者も圧倒的多数でいるので、『作者のわがまま』はさて置いて『なぜ求められているのか』を中心に考えてみたりしてもいいかもしれません。
まあ、『書きたくないから俺は書かないぞー!』で別にぜんぜんいいんですけどねwww 正直書きたいもの書くほうが結局一番面白い作品できるので。
結論を言わせていただくと、トータスさんの予約をした本が図書館に置かれる可能性は低いと思います。
何故なら、現在のライトノベルは、オタク文化と、萌えを理解する人々に向けて書かれている本になっているからです。
私たちはかわいい女の子がパンツを見せているライトノベルの表紙を萌えやオタク文化を理解しているため、苦笑いで受け入れることができますが、一般人はそんな知識を持たないため卑猥でエロい書籍とみなしドン引きします。
さらに最近よく出される王道物語さえ、予備知識がなければ分からない単語が出てきます。まず、あらかじめライトノベルや、ゲームをプレイしておかなければ、分からないのです。
キャラの性格や行動、物語構成までに予備知識が必要なのが現在のライトノベルです。
”ライトノベルを読むための本”というのがそのうち出てくるかもしれませんね。
なるほど、 ほんとうにお疲れ様です。
個人的には、トータスさんの言うことも、ものすごく分かる気がするんですよね。今のラノベって、ギャルゲー見たいなのが本当に多い。
でも、じゃあ、本格的なファンタジーとか、静謐なジュブナイルが無くなってしまったのかと言えば、そんなことはなくて、小学館の「ガガが文庫」とか「電撃小説大賞」の大賞受賞作は、わりといい感じだったりしてる。
そもそもラノベというジャンルは、「真面目な少年少女小説」や、「心躍る冒険活劇」っていうのが源流のひとつには確かにあります。僕もそういうものが大好きです。
でも、また一方には、「ちょっとエロくて(イイ意味で)バカな話」や、「人がどかどか死に、美女がばんばん脱ぐ物語」もあって、それらが上記のモノと混じりつつ、マイルドになって今のラノベがあるのです。
だから、どうしてもいろいろな物語が生まれてくる。
少なくとも、それは受け入れなくちゃ、ならないのだと思ったりします。
でもだからといって、たしかに図書館から嫌われるようなのはちょっとなーってかんじです。
でも、ひとつの事実として、かつてのラノベにあったような「静謐な」感覚を持った物語は、今では、ラノベの以外のレーベル(「角川文庫」とか「新潮文庫」とか「ハヤカワ文庫」とか)で、出版されているようです。(実は「星海社文庫」もイイ感じです)
つまり、今ライトノベルは、「ライトノベルにしかできないこと(それには確かに危険性もあるかも知れない)に、専念しようとしている」ように感じるのです。
しかしそれが、これからも続いていくかは、分からなくて、だからライトノベルにかつての少年少女小説の感覚を求めるのは(もしかしたら違う感覚かもしれないですが)、とても有意義なことのように思いました。
これからもがんばってください☆
どうも、遅まきながら失礼。サイラスです。
ちょっと自分の脳みそではうまく理解しにくいですが、「今後ライトノベルで考えられること」、「トータスさんの懸念と私の意見」「増えて欲しいラノベの形」の三点で話を書いていきます。
まず、今後、ラノベ業界で起こりうるのは、絵と文の主従の逆転、つまり、今まで、文からキャラを作るのではなく、絵を基にストーリを作っていくという形が出てくるのではないかと思います。
なんでそんなことを思うかというと、最近のラノベをパラパラと見ると文章の中身や台詞回しというよりは、キャラクターを可愛く、カッコよく見せることに重点が置かれている気がします。そうなってくると、そのうち、出版社がキャラクターを作家に提示して、このキャラに合う文章を書いてくれということが起こりうります。いいストーリーを書くより、キャラクターを可愛く、カッコよく見せてほうが売れてしまいますから。
次にトータスさんの懸念ですが、おそらくライトノベルが読者を間違った方向に導くのではないかという恐怖だと思います(違ったらごめんなさい)。
僕も、大人になって、色んな人に触れていると、時々ライトノベルの悪役、キャラクターの欠点を現実化させたり、理想や世界観を押し付けるような人々と出会いますし、自分達もそれと同じようなことをしてしまっていると気づく時があります。
また、ここ最近の青少年を見ていると、現状突破より妄想願望が強く、それを叶えて離さず、現実逃避を起こすライトノベルの拘束力に危機感を抱いているのではないかと思います。
ましてや、学園ものという比較的現実に近い設定を用いるものが隆盛を誇っている以上は……。自分もその懸念ありますが、私は、読者を信じてみたいと思っています。読者を信じてあげないのは、読み手だった自分を否定するのと同じなってしまいますから。
最後に増えてほしい。ラノベの形ですが、私は、キャラクターの成長と年上たちの反省が書かれた作品が増えて欲しいです。
先程も書きましたが、今の若者は、現況突破より妄想願望を好むと書きましたが、それを誘発したのは、我々大人が子供達に現況突破を妄想を押し付けながら、成長せず、ライトノベルの悪役のような脅しで若者の意見を封殺してきた姿をだらしなく見せすぎたのではないかと考えるようになり、また、色んな書物を読んでいると、どうも、日本人はそういう妄想を他者に押し付けることを延々と繰り返し、年下の成功を喜ばず、自分達の行いを反省しないという民族になっていたという感触があります。
だから、今後、ラノベ界だけでなく日本と世界を背負っていく若者には、成長することの本当の大切さやカッコよさと、そのためには、いくつになっても反省を行って進歩していくというのを知ってもらいたいです。トータスさんの好きなラノベキャラのように(違ったらすいません)。
ちょっと文章が長くなってしまいましたが、私の意見はこんな感じです。では。
トータスさんやそれに共感する方々に失礼承知で言えば、2000年代半ばにラノベを知った自分から見ると、90年代のラノベこそ「剣と魔法のファンタジー」一色で多様性がほとんどないように見えてしまいます。ソランさんの"余談"には大変に共感を覚えます。
無論、「剣と魔法のファンタジー」にも一作一作の個性はあるのでしょう。
ですが、学園モノや異能バトルやラブコメなど複数の定番ジャンルが育っている現在の状況を差し置いて、90年代のラノベだけを殊更に個性的だったと言い現代のラノベは「似たモノが多過ぎる!」と言うのは、あまりにも一方的で不公平だと言わざるをえません。個人的嗜好のみに基づいて若い世代を断罪する姿勢はまったく感心できません。
奇抜だというならば、「ロードス島戦記」のようにシリアスなファンタジー一色だった時代にあっては、美少女ヒロイン重視で貧乳すらネタにする軽い文章の「スレイヤーズ」は、それこそ奇書であったのかもしれません。
アニメ絵の表紙のラノベなど、昔っから変わっていません。なぜ昨今のラノベだけが殊更に卑猥だ軽薄だと批難されなければならないのでしょうか。
ラノベ界隈の言説をみていると、若いうちから感性が保守化してしまう人間が、ゲームやアニメ界隈とくらべるとあまりにも突出して多い印象を受けます。
過去のある時期を最盛期(それ以降は安定=停滞期)とみなすのは個々人の勝手ですが、自分より新しい時代にラノベを知る(であろう)人間を根底から無視しあまつさえ没個性だ劣化したと断罪するのは、ラノベの将来性を奪うものとしか思えません。
私から見れば、ラノベが「若いうちから感性が保守化してしまう人間」をどんどん置いてけぼりにしてしまうのは、"ラノベは若者向け"という「建前」がきちんと生きていることの最大の証左といえます。私には将来性を感じさせます――その"変化"が私の理解を超えるものであったとしても。
あれはラノベではないこれはラノベではない、と言っていては、ラノベはいつしか特定の年代にしか受け入れられないモノになってしまい、衰退していくことでしょう。なぜなら若い世代にとってどんどん敷居が高くなってしまうから。
「読まれもしない本に、価値を見いだせるのだろうか?」というのでしたら、「若い世代にとっつきやさすさ」を忘れてしまっては、それこそ若い人たちに「読まれなく」なってしまうでしょう。
別の場所でも言いましたが、ライトノベル作家を志すならば、「心に残らないバカバカしいものを読みたい読者」をないがしろにして欲しくないです。
例えば私にとっては、「(いわゆる)小説は辛気臭くて偉そうに教訓を垂れるから嫌い」という偏見を打破して小説を読めるようになった、そのきっかけは、「ばかばかしくて何も残らないラノベ」でした。
軽薄/ライトだからこその「ライトノベル」ということを忘れてほしくはありません。
ラノベはまず何よりエンターテイメントです。売れる方向へ進むのは全く正しいことですし、90年代のラノベが「剣と魔法のファンタジー」一色だったのはまさに「売れるため」だったからでしょう。「僕の妹は漢字が読める」(2011年6月刊行)のような一見ぶっ飛んだ作品でも、「スレイヤーズ」の打ち立てた「美少女ヒロイン重視の軽薄コメディ路線」をしっかり受け継いでいるように思えます。
そうであるならば、ラノベは何も変わっていません。そればかりか、(保守化した方々を置いてけぼりにして)どんどん変化を続けるさまは、「若者向けという建前」がきちんと今でも生きていることを証明するものとさえいえます。
ライトノベルが、文学芸術ではなく楽しまれることを目指すエンターテイメントであるならば、楽しまれるためにどんどん変わっていくことは正しいことでさえあります。
また、「若者向けという建前」だからこそ、玄人読者には思いつかない、新鮮でおもしろい作品が"でき続ける"のだとおもいます。その"建前"は、ライトノベルの、ひいては"小説"というメディアの"可能性"をも切り拓くものだと私は思います。
もし、私がライトノベルに望むことがあるならば、いつまでも「若い人のためのもの」であって欲しいです。露骨に言えば、文学の劣化コピーや、ある程度以上の年代にしか受け入れられないようなものに成り下がってほしくない、という事です。
であればこそ若い人がついてきてくれるし、そうでない世代にとっても新鮮な驚きに出会えるだろうから。
ライトノベルは、青少年向けの娯楽小説です。これを前提にして考えてみましょう。
例えば、大衆娯楽一般に限ってみてみたとき、どの時代にもジャンルと言う物が存在します。例えば、ラブストーリー、例えば、戦記物。しかし、その形は様々です。歌舞伎にしろ、小説にしろ、映画にしろ、時代の流れとともに話の形は変わって来ました。その流れの中の存在としてライトノベルを考えたとき、やはりこれも大衆娯楽の一つだと考えられる訳です。
トータス様の年齢は存じ上げませんが、読み手として慣れ親しまれたのが「古き良き王道」と仰っていますので、年齢は高めの方と存じます。
漫画、ライトノベル、小説と言った娯楽のためのメディアには、必ず流行があります。なぜなら、娯楽は提供する側にとってみれば商売道具であり、より売れる物を作り続けなければならないからです。また、その流行物だけでは競争が激化してしまうので、ブルーオーシャン戦略とでも申しましょうか、流行では無い物も一定数存在するのです。
ですから、今の流行だけでは今後のライトノベルの方向性は測る事は難しく思われます。常に新たな世代を受け入れ続けるジュブナイル小説において、その流行のサイクルは他の娯楽よりも早いからです。
確かに、思春期の男子は、ライトノベルにエロを求めたりもするでしょう。しかし、それは風俗店に出向くのとは違って、道ばたに落ちているエロ本をこわごわめくってみたりする様な物なのです。ライトノベルがジュブナイル小説である限り、エロの過激さにはある程度の所で歯止めがかかる物と思われます。
とりとめの無い文章ですが、僕の考えを述べさせて頂きました。