小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

よしはむさんの返信一覧。最新の投稿順6ページ目

元記事:句読点の正しい付け方について

みぞれさんの投稿

基本的な相談、というか質問なのですが、混乱してしまったのでご教示をお願いします。

お聞きしたいことは、句読点の付け方です。
とりあえず例文を……

1.句読点を付ける位置というのは、難しいものだと思いました。
2.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ、と、思いました。
3.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ。と思いました。
4.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ。と、思いました。
5.句読点を付ける位置。というのは難しいものだ、と思いました。
6.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ、と思いました。

文章作法的、または、読んでいて違和感を感じる等の理由で、使ってはいけない・使わないほうがいいものはありますでしょうか?
どれも問題が無ければ、場面の雰囲気とその場の気分で決めるのですが……
よろしくお願いします。

2016/05/26(Thu)

上記の回答(句点は文の終わり、読点は文中の切れ目を明示するもの)

投稿者 よしはむ : 0 投稿日時:

 句点は文の終わり、読点は文中の切れ目を明示するものですよね。

> 1.句読点を付ける位置というのは、難しいものだと思いました。

 読みやすくするための、ごく普通の読点だと思います。読点が何らかのニュアンスを加えることはなく、ちょっとした息継ぎ程度といったところでしょうか。

> 2.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ、と、思いました。

 あまりありません。奇妙に感じます。「と」は以下のようにどちらかにくっつけておくのが普通でしょう。

2'. 句読点を付ける位置、というのは難しいものだ、と思いました。

「、と」とすると、読点以前の部分(だけ)が台詞(または独白、以下同じ)のように感じる効果があります。読点でカギカッコに近い印象、効果になるわけですね。

 上記のようにすると入れ子の台詞的で、まず第一の台詞「句読点を付ける位置」があり、それを受けての第二の台詞「というのは難しいものだ」があり、その二つをまとめて台詞にして、「と思いました」と地の文になる感じです。これがくどい感じがするなら、

2'-1. 句読点を付ける位置というのは難しいものだ、と思いました。
2'-2. 句読点を付ける位置、というのは難しいものだと思いました。

としておけばいいでしょう。台詞的な部分を一つにしておくということですね。

 これを「と、」にすると以下のようになります。

2''. 句読点を付ける位置というのは難しいものだと、思いました。

 1とは違ったニュアンスになります。うまく言い表せませんが、読点までを一気に言って、改めて「思いました」と続けたような印象になります。断言しようとして、思い直した感じでしょうか。例えば、続けて「考えました」か「嘆きました」かと迷い、無難に「思いました」を選んだ感じかもしれません。

 この2''で、最初の「位置というのは」は「位置と、いうのは」とは、普通はしないと思います。理由説明としては、「という」という語句の特徴と申し上げるしかありません。

 なお、この「という(と言う)」国語辞書を調べると「連語」とされています。連語はおおむね、読点で区切ると不自然な感じになるのかもしれません。口語では一気に言いますから、書き言葉にしても区切りにくいのかもしれません。

> 3.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ。と思いました。

「句読点を付ける位置」で言葉が途切れ、「というのは難しいものだ」と続けた台詞があり、その台詞内容を「思った」という感じです。かなりたどたどしく喋った感じです。

 このような「と思いました」の前を句点(。)で区切ると、本当はつながっている一文をぶった切るかのような、かなり特殊な感じがします。口語ではかなり間をおいて、思い出したように言葉をつなぐ感じです。そういった効果を狙うのでない限り、避けておくのが無難のように思います。

> 4.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ。と、思いました。

 3に加えて、「と」と言ってからすぐに「、」で区切っており、かなりポツリポツリとたどたどしく喋っている感じになっています。3でも効果が薄いと感じたとき以外、避けておいた方がいいでしょう。

> 5.句読点を付ける位置。というのは難しいものだ、と思いました。

 3と似ていますが、「句読点を付ける位置」で言葉が『完全に』途切れ、「というのは難しいものだ」と続けた台詞があり、その台詞内容を「思った」という感じです。3でも効果が薄いときのみに用いるべきでしょう。

 まとめますと、「句読点を付ける位置というのは難しいものだと思いました。」という文に読点を付け加える場合、

A.句読点を付ける位置というのは、難しいものだと思いました。

は単に読みやすくする普通の方法、

B.句読点を付ける位置というのは難しいものだ、と思いました。

とすると、「と思いました」より前の部分だけが台詞的になる効果で、この二つがよく使われるように思います。台詞的になる部分を限定することもでき、

C.句読点を付ける位置というのは、難しいものだ、と思いました。

とすると、「難しいものだ」だけが台詞的となります。

 その他のパターンは、何らかの特殊効果狙いと考えておけばいいかと思います。特殊といっても、狙って使えば効果がありますから、単に忌避しないことが大事ではないかと思います。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 句読点の正しい付け方について

この書き込みに返信する >>

元記事:句読点の正しい付け方について

みぞれさんの投稿

基本的な相談、というか質問なのですが、混乱してしまったのでご教示をお願いします。

お聞きしたいことは、句読点の付け方です。
とりあえず例文を……

1.句読点を付ける位置というのは、難しいものだと思いました。
2.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ、と、思いました。
3.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ。と思いました。
4.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ。と、思いました。
5.句読点を付ける位置。というのは難しいものだ、と思いました。
6.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ、と思いました。

文章作法的、または、読んでいて違和感を感じる等の理由で、使ってはいけない・使わないほうがいいものはありますでしょうか?
どれも問題が無ければ、場面の雰囲気とその場の気分で決めるのですが……
よろしくお願いします。

2016/05/26(Thu)

上記の回答(誤読防止のための読点の使い方)

投稿者 よしはむ : 0 投稿日時:

リック・ドMさんの投稿

 句読点の句点は文の終わりという原則はいいでしょうか。句点の注意点は、それしかありません。問題は読点ですね。

 読点は二つの目的があります。一つ目は、「話したとき(読み上げたとき)、区切ると調子がよくなるようにするため」に使うということです。読点の間を置く効果ですね。これは、書いた文章を本当に読み上げてみて、どこで読点を使うと調子いい感じになるかを確かめてみるといいと思います。

 二つ目は、誤読防止のためです。某所でちょっと話題になっていたものでは、「明朝体の疲れが抜けないときは~」というものがありました。

 私のような間抜けですと、「明朝体(みんちょうたい)の疲れが抜けないときは」と読んでしまったりします。明朝体(みんちょうたい)と読んでしまうと、フォントのことですから、それの疲れとは何だとなって、意味が分からなくなってしまいます(そう読んだ者が悪いのですが)。

 もちろん、正しくは「明朝(みょうちょう)体(からだ)の疲れが抜けないときは」ですね。そのように確実に読ませるためには、「明朝、体の疲れが抜けないときは」と読点で単語の区切りを明示してやれば、読み間違いされることが減ります。

 別の例では、「この先生きのこるには」というのも見たことがあります。間違えて読むと、「この先生(せんせい)きのこる」となり、先生はいいとして(いいのか?)、「きのこるって何?」となってしまいます。というか、読んでしまったんですが。正しくは、「この先(さき)生(い)きのこるには」ですよね。これも、「この先、生きのこるには」とすれば読み間違いません。

 これらのように、たとえ読んだときに間を置く意図がなくても(あってもいいんですが)、読み間違い防止などの都合で読点を置いてもいいかな、ということはよくあります。

2016/05/26(Thu)

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 句読点の正しい付け方について

この書き込みに返信する >>

元記事:句読点の正しい付け方について

みぞれさんの投稿

基本的な相談、というか質問なのですが、混乱してしまったのでご教示をお願いします。

お聞きしたいことは、句読点の付け方です。
とりあえず例文を……

1.句読点を付ける位置というのは、難しいものだと思いました。
2.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ、と、思いました。
3.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ。と思いました。
4.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ。と、思いました。
5.句読点を付ける位置。というのは難しいものだ、と思いました。
6.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ、と思いました。

文章作法的、または、読んでいて違和感を感じる等の理由で、使ってはいけない・使わないほうがいいものはありますでしょうか?
どれも問題が無ければ、場面の雰囲気とその場の気分で決めるのですが……
よろしくお願いします。

2016/05/26(Thu)

上記の回答(句読点は読みやすさを考慮して使う)

投稿者 よしはむ : 0 投稿日時:

薔薇騎士さんの投稿

> 1.句読点を付ける位置というのは、難しいものだと思いました。

まったく問題ありません。

> 2.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ、と、思いました。

「、」が多すぎるとクレームがはいる可能性があります。

> 3.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ。と思いました。

「、」を打つ必要性を感じません。

> 4.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ。と、思いました。

「、」を打つ必要性を感じません。

> 5.句読点を付ける位置。というのは難しいものだ、と思いました。

体言止めの効果が生かされていません。

> 6.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ、と思いました。

悪くはないけど、一つ目の「、」を打つ意味がありませんね。

> 文章作法的、または、読んでいて違和感を感じる等の理由で、使ってはいけない・使わないほうがいいものはありますでしょうか?

基本的には作者の自由だけど、なにかしらのこだわりがないなら、読者の読みやすさを考慮して打った方が良いでしょう。

2016/05/27(Fri)

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 句読点の正しい付け方について

この書き込みに返信する >>

元記事:句読点の正しい付け方について

みぞれさんの投稿

基本的な相談、というか質問なのですが、混乱してしまったのでご教示をお願いします。

お聞きしたいことは、句読点の付け方です。
とりあえず例文を……

1.句読点を付ける位置というのは、難しいものだと思いました。
2.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ、と、思いました。
3.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ。と思いました。
4.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ。と、思いました。
5.句読点を付ける位置。というのは難しいものだ、と思いました。
6.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ、と思いました。

文章作法的、または、読んでいて違和感を感じる等の理由で、使ってはいけない・使わないほうがいいものはありますでしょうか?
どれも問題が無ければ、場面の雰囲気とその場の気分で決めるのですが……
よろしくお願いします。

2016/05/26(Thu)

上記の回答(読点は付ける場所によっては文章の意味が変わってしまうケースがある)

投稿者 よしはむ : 1 投稿日時:

あまくささんの投稿

・句点(。)は、文章の終わりに(原則として)必ずつける。

・読点(、)は、文章の途中の区切りとなるところにつける。ただし、すべての区切りにつけなければいけないわけではなく、どこにつければ良いかという明確な決まりはない。

ここまでは、おわかりですね?

で、例文ですが、標準的な付け方としては1は普通、2~6は間違いとは言えませんが違和感があります。
ただし2~6は同じ例文に機械的に位置をかえて「、」を打っているから悪文気味になっているだけで、文章の流れにリズムをつけるためや読みやすさのために似たような使い方をすることは私もあります。文章によってはナシではないと思いますよ。

ただし、読点については一つ気をつけてほしいことがあります。つける場所によって文章の意味が変わってしまうケースがあるということです。

・青い服を着た友人の、妻
・青い服を着た、友人の妻

前者では青い服を着ているのは友人、後者では妻ということになりますよね?
こういうパターンで意味がわかりにくくなっている文章を、このサイトの投稿室でも見かけることがあるので、注意した方がいいと思います。

2016/05/27(Fri)

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 句読点の正しい付け方について

この書き込みに返信する >>

元記事:句読点の正しい付け方について

みぞれさんの投稿

基本的な相談、というか質問なのですが、混乱してしまったのでご教示をお願いします。

お聞きしたいことは、句読点の付け方です。
とりあえず例文を……

1.句読点を付ける位置というのは、難しいものだと思いました。
2.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ、と、思いました。
3.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ。と思いました。
4.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ。と、思いました。
5.句読点を付ける位置。というのは難しいものだ、と思いました。
6.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ、と思いました。

文章作法的、または、読んでいて違和感を感じる等の理由で、使ってはいけない・使わないほうがいいものはありますでしょうか?
どれも問題が無ければ、場面の雰囲気とその場の気分で決めるのですが……
よろしくお願いします。

2016/05/26(Thu)

上記の回答(句読点の正しい付け方についての返信)

投稿者 よしはむ : 0 投稿日時:

帝空さんの投稿

例文
> 1.句読点を付ける位置というのは、難しいものだと思いました。
> 2.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ、と、思いました。
> 3.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ。と思いました。
> 4.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ。と、思いました。
> 5.句読点を付ける位置。というのは難しいものだ、と思いました。
> 6.句読点を付ける位置、というのは難しいものだ、と思いました。

「という」はその前の言葉「句読点を付ける位置」を強調する意味です。辞書を引いてみてください。

例文2、3、4、6は読点によって、例文5は句点によって、「句読点を付ける位置」をさらに強調しています。ふつう区切らないところを区切っているから強調されています。

「という」ですでに強調されているのを、さらに重ねて強調しています。
とてもくどいと思います。登場人物のセリフならばともかく、地の文としてはくだけすぎています。特に例文5の句点は言葉使いを知らない人という印象を与えてしまうと思います。

いったん句点で閉じた文を、次の文で受けてひとつながりの文に仕立て直す書き方はたまにみうけられますが、正当な書き方でないので、ただ悪目立ちして不評を買っているだけだと思います。
ここぞというところで一回だけそのような書き方をして目立たせるような特殊な場合を除き、通常の書き方として採用するのは避けた方が良いと思います。

「と」について、登場人物のセリフならどれもありうるかも知れませんが、地の文で例文2、3、4はないと思います。強調しすぎていてくどいからです。
強調した文はごくたまにだから効果があるのであって、通常使う表記法は水のようにさらっとした方が良いでしょう。

例文1の読点は、「難しい」を目立たせ強調していると思います。

例文1以外は、子どもが書いた文章という設定なら、地の文で使う効果がありうるでしょう。

2016/05/27(Fri)

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 句読点の正しい付け方について

この書き込みに返信する >>

現在までに合計44件の投稿があります。 5件づつ表示中。現在全9ページ中の6ページ目。

ランダムにスレッドを表示

人間と自然の矛盾について

投稿者 アライ 回答数 : 13

投稿日時:

哲学的な問題ですが、力を貸してください。 私が今書いている小説の中で、自然の傲慢さや身勝手さを描いて批判する場面を書いているの... 続きを読む >>

美月夢華坊|東京出張|大阪出張服務泡泡浴

投稿者 美月夢華坊 回答数 : 0

投稿日時:

DM受付中|美月夢華坊 東京・大阪 即日派遣 Telegram:@An98363 上質を知る大人のためのひととき。 S級... 続きを読む >>

三点リーダとそれに伴う!や?の扱い方について

投稿者 玄翁 回答数 : 5

投稿日時:

初めてこちらに質問させていただきます。玄翁です。 早速ですが、主に地の文で三点リーダが行頭に来る場合、通例通り行頭を下げるべき... 続きを読む >>

ランダムに回答を表示

元記事:現在「看護師」 昔「看護婦」 使うとき

大正時代や昭和初期の作品を書く場合でも、現代人が差別用語に認定し変化させた「看護師」を使わなければならないのか、時代考証を考えて「看護婦」でもいいのかが以前から気になっています。
読者が「看護婦は差別用語です」とつっこんできたら、創作上の全体像や雰囲気で不都合が生まれると思った次第です。
例えば「ナイチンゲールは夜の帳が降りる不安のなかにも人々の心に寄り添い続けた看護婦でした」と「ナイチンゲールは過酷な戦場下でも献身的に人々の看病を続けた看護師であった」では雰囲気や伝わり方が違います。付属の言葉選びは名詞の雰囲気に合うものを即興でつけただけですが。
看護師は私の感覚的に堅い感じでより行政的な感じで、極めて現代風な映像しか浮かびません。最新鋭の機器に囲まれた清潔な病院とか。このように人によっては言葉の持つ映像がついてまわるのではないかと思うんです。どちらしにろ名称に関係はなく立派な職業に変わりはないものですが。
あとは「

江戸時代まで来るとさすがに今現在はいないけど、「武将」は(差別用語関係ないし、当てはまる役職でいえば大地主あたりでしょうけど)使ってますよね。
さすがに明治・大正の男性作家作品に多くみられるものですが、「妾(「わたし」と読むらしい)=女性が自身をへりくだって言うもの」は現代ではどう読んだって、ご主人が本妻以外に屋敷に愛人として抱え込んでた「めかけ」につながるから使わないとしても。「わらわ=あるていど高貴な雰囲気もあるような感だが、成人女性が自身をまだ子供のように言うもの」は使えると思いますけど。

上記の回答(現在「看護師」 昔「看護婦」 使うときの返信)

投稿者 あまくさ : 1

小説を書いていると、そういう言葉の選択にはしばしば悩まされますね。
そこには似て非なる二つの問題が複合しています。一つは「考証」の問題、もう一つは「情緒」の問題です。
また、作品の地の文が一人称か三人称かにも係わってきます。一人称の場合はより厄介なので後述するとして、以下は三人称の場合で考えてみます。

大正~昭和初期を舞台とした三人称であれば、地の文では「看護師」。セリフの中では「看護婦」。安全策を重視するなら、これが無難です。
時代を考えればセリフの中にまで「看護師」と書いてしまうと時代考証として違和感が強すぎます。昨今問題視される用語の中でも「看護婦」は身体や精神の障害を指す言葉ではないので、セリフとして使うくらいはセーフでしょう。
一方で三人称の地の文はあくまで客観的叙述になりますから、大正時代を舞台とする小説で現代用語を使っても問題ないのです。それがダメだと言い出すと、すべての用語や言い回しを当時のものにしなければいけないことになってしまい、それをやったら現代人にはかなり読みにくい文章になってしまいまうでしょう。

以上が「考証」の問題になります。
しかし「情緒」の問題となると話が違ってくるんですね。

>看護師は私の感覚的に堅い感じでより行政的な感じで、極めて現代風な映像しか浮かびません。最新鋭の機器に囲まれた清潔な病院とか。このように人によっては言葉の持つ映像がついてまわるのではないかと思うんです。

これは「考証」というよりも、どちらかと言うと「情緒」の問題です。あえて語弊をおそれずに言えば、「看護師と書くと雰囲気がこわれ、作者の表現したいイメージにそぐわないからイヤだ」ということかと。
と言っても、けして情緒を軽んじているわけではありません。小説は論文でもビジネス文書でもありませんから、言葉の選び方によって伝える情感が大切なのは論を俟ちません。
ただ前述したように、すべての用語と言いまわしをその時代に即したものにしてしまうのは現実的ではありません。なので小説は、多かれ少なかれ現代的な文章をベースにして、そこに時代にあった言葉を適当に散りばめるなどのアレンジを施して書かれているものなのです。
「看護師」ではイメージが伝わらないというお気持ちは分かりますが、一つ一つの用語にこだわらない文脈全体やエピソード、人物描写によっても情感は表現できます。そういうテクニックにも目を向けることをお勧めします。

さて、後述すると書いた一人称の場合です。
一人称の地の文はその時代の誰かが語っているという設定になりますから、「看護師」という当時使われていなかった用語を入れるのは少し厳しいですね。
なので三人称のセリフと同じ考え方で「看護婦」くらいは許容範囲(身体的・精神的な障害を示す用語と比べたら)と割り切って使っておいてもいいんじゃないでしょうか。
もし心配なら、あざらしさんが提案されているように冒頭にでもその旨の但書を入れておけばいいのではないかと思います。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 現在「看護師」 昔「看護婦」 使うとき

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

元記事:冒頭で読者を呼び込める自信がない

ワシヲです。異世界ものの執筆中です。
タイトル通り。冒頭(というか1話目?)がどうもあっさりすぎる気がするのです。
ざっくりあらすじを説明すると……

①寝て起きたら異世界転生。目覚めた時に手元にあったのは一本の槍のみ
②槍から謎の精霊が登場。主人公は水の神に選ばれたと言われる。槍はその証で水を操る能力がある
③村を発見したので向かうと何故か捕まってしまう。どうやら先代の神は世界を滅ぼしかけたらしい。住民たちは主人公のことを復活した先代と勘違いしている
④良識ある族長と仲良くなったので外に出してもらった。ついでに能力を使って不作の畑に雨を降らせる
⑤村の救世主と崇められて終了
(他、何か気になることがあったら言ってください)

見ての通り、オレツエー要素は薄いです。最後に崇められる程度。その前に収監されてるし……
果たしてこの内容で続きを読んでもらえるのか?そこが心配になって建ててみました。
いろいろとアドバイスもらえると有難いです。

上記の回答(冒頭で読者を呼び込める自信がないの返信)

投稿者 読むせん : 1

読んでもらえます。
全編通してあっさりなのは逆に好印象。

ただ難を言うなら、・・・・意外と書くの大変ですよ?

それらの話をちゃんと最後まで書ききるにも、思ったよりテンプレートでは乗り切りにくい部分が多々出ると思います。
あっさり物語でも
「・・・・え!?みんなここらへんの説明やシチュエーションをどうやって切り抜けているの!?」って行き詰ることが多々あると思う。

ともかく書いてみて、描けない部分や苦手分野を自分で把握してみては?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ひねりのある作品は、実のところワンパターンに見えるだけで、皆かなり工夫を凝らしての執筆になります。ひねり作品に近道や主道、王道なし、です。

よくあるのが、一見ひねりのあるプロローグ→他の人の舗装(ほそう)した一般道路をあるいてしまう→結局おんなじルートで、
これすると読者は「なんだ、結局○○と同じパターンかよ」で離れます。

下手に一発芸に走らないのも大事。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 冒頭で読者を呼び込める自信がない

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

元記事:簡単に出来ません。

最近(?)、主人公がラノベ作家(あるいはもどき)という設定のラノベ原作のアニメが放送されたのですが、私的に許せない事があります。

それは、文字通りライトノベルが軽く見られる様な描写がある事です。

例えば、劇中で10話分くらいを一気に投稿サイトにあげて、「いつ書いたの?」「今書いた」とか、「33話NEW!」「34話NEW!」「35話NEW!」みたいに、もの凄い勢いでアップし続けたり、分厚い原稿の束の新作1本を一から書いてたった一晩で仕上げる様な事をしたりという、「この人(原作者)は本当に作家なのか?」と思える様な事を平気でする事です。

「小説って、そんな簡単にホイホイ書ける様なもんじゃありません!」

一体、この作中のキャラクターは、どれくらいの速度で原稿(作品)を書いているんですかと。

私は、賞の応募をするのに締め切りに迫られて、1日で最高(応募規定のA4で)27枚書いた事がありますが、それだって火事場の馬鹿力みたいなものであり、こんな無茶がいつも出来る訳ではもちろんありません。

それを、いとも簡単に次々と書き上げて行く作中のキャラクター達には、とても腹が立ちます。
原稿をまるで、判で押すみたいに量産していく様は、ラノベ自体が簡単に出来るかの様な誤解を招きかねないと危惧します。
今は乱発によって、ただでさえラノベ自体が軽く見られているのに、何も知らない人からみたら、

「な~んだ、やっぱりラノベって簡単に出来るんだ」

などと誤解されて、軽蔑というか侮蔑の目で見られかねないと思います。

そんなに簡単にオリジナルで面白い作品が書けたら、苦労しません。
こういう、自分で自分の首を絞めるというか、自らラノベを貶(おとし)める様な、誤解を招く内容で作る事は、プロならやめて欲しいと思いますが、いかがでしょう。

私は、「小説ってそんなに簡単に書けるもんじゃないんだよ」と言う事が、ラノベやアニメのファンの方々に言いたいだけなのですが、考え過ぎでしょうか。

上記の回答(簡単に出来ません。の返信)

投稿者 手塚満 : 1

「けいおん!」アニメ1期なんて凄かったですよ。特に誰も批判してないですけど。
何が凄いって、まず唯。あっという間にギターが弾けてます。多少、家などで練習している描写はある。(スティール弦)ギター弾きによくある、始めてから遭遇する指先の傷もあった。

だけど、弾いたこともなかったギターがあっという間に上級者レベルに達している。それだけじゃない。一度聞いたギター演奏を即座に自分でも弾けるようになってしまう。恐るべき耳コピ能力です。弾けなくて詰まるのは、チョーキングなどの技術的なことを知らなかった場合だけ(それも教わるや否やできるようになる)。

唯の妹はもしかするともっと凄い。姉の唯がギター弾いているのを見ただけ、姉に一度ギターを触らせてもらっただけ、なのに姉に匹敵するレベルでギターが弾けてしまう。

全部、楽器を真面目にやった人、やろうとした人ならほとんどが、「嘘だろ」「あり得ない」と言いたくなる話です。だけど、誰も文句は言わない。努力がテーマの作品ではないですからね。

高校時代の部活が楽しかったという話ですから、楽しい部分を強調したに過ぎない。観ていても面白かった。だから文句を言う必要を感じない。1期終了前から、唯が持っていたギブソンのギターが大量に売れました。非常に高価なギターなのに、生産能力を超えてしまい、2年も予約待ちになるほどでした。

じゃあ、簡単にギターが弾けて、あんな楽しい生活を送れると思ってしまった人が大量に出たのか。そんなことはないはずです。ギターに限定せずに楽器ということなら、ほとんどの人が経験してますよね。小中学校でハーモニカ、リコーダーくらいはやっている。楽器が簡単に演奏できないことくらいは知っている。簡単にできないとは知りつつ、上手い人がやっていることは自分もしたくなるという、ごく普通に起こる気持ちゆえです。

やはり音楽ですが、歴史上、物凄い速筆の作曲はいます。ヴィヴァルディ、シューベルトなんかも凄かったそうです。モーツァルトも凄くて、20年で700曲。モーツァルトの凄い点は曲数だけでなく、曲想の多彩さにもあります。4小節ごとで曲想が変わる。聞くところによると、メロディ、伴奏が非常に素早く浮かんできて、楽譜に書くのが追い付かない様子だったとのことです。

天才ですからそんな人もいる、とだけ考えたくなりますが、ウィキペディアにも収録されているモーツァルトの言で、「長年にわたって、僕ほど作曲に長い時間と膨大な思考を注いできた人は他には一人もいません。有名な巨匠の作品はすべて念入りに研究しました。作曲家であるということは精力的な思考と何時間にも及ぶ努力を意味するのです」というのがあります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88#%E6%99%A9%E5%B9%B4

作曲は速いけど、その裏付けとなるインプットがあるんだということですね。でも、モーツァルトは短命したし、作曲以外で多忙でもあった。上記のようなことを言えるほど、時間を割いていないはずだ、と考えたくなるかもしれません(実際、自分が陥った誤謬であり反省でもあります)。

モーツァルトは天才です。しかし、自分定義ですが達人の面を持っています。自分定義の達人なんですが、特長の1つに「何もしていないように見えるし、本人も何も考えていないつもりなんだけど、無意識、潜在意識では常に最善の努力が払われている」があります。

私が直接的、間接的に教わった方々の多くがそうでした。教わってみて、自分でも必死に勉強してみる。だけど差が開いて行くんです(←自分の理解が進んだことにより、彼我の差がよく見えてくる効果を補正しても)。相手は努力している様子はなく、自分は必死にやっている。なぜ差が開くんだと思いました。

何人もの市井の達人に教わってみて、だんだん分かってきました。まず、自分がやるようなレベルの勉強はもう頭に完全に入ってしまっていることがあります。だけど、それだけなら勉学を積んで差を縮めることができるはず。そうではないのは、頭に完全に入った基礎を使って、常に頭を働かせているからだと気が付きました。

達人ですと、飯食っているときに以前に考えた問題の答えがふっと浮かんできたりします。寝ていて、夢の中で答えを知ることもあります。自分ですと、意識的に勉学し、意識的に問題を考えているとき出ないと、答が出てくることはありません。勉強するときだけ、頭を使っているわけです。

達人はそれが24時間休みなくです。だから差が開くわけです。追いつけるわけありません。差が開かないようになるときは、いずれ来ます。自分でも無意識に常に頭を使えるようになったときです。

よく、「1万時間やってみろ」「該当ジャンルを千冊読んでみろ」といったコツが言われます。おそらく、それくらいやっていると常に頭を使うような習慣が身に着くのだと思います。執筆していないときでも文章を練ったり、キャラ設定を詰めたり、プロットを進めたりできる境地ですね。作業的にやっていると、それでも身に着かないかもしれませんが。

批判してお出での作品について申し上げれば、モーツァルトのようなラノベ作家はあり得ませんか? ご自身ができないという理由が不可能の論証になりますか?

言葉は生まれてこの方使ってるわけですよね。思考も言葉頼りが多いですよね。多少複雑なことだと、言葉抜きの直感だけで片付けるのは難しいはずです。宿題やるの忘れるなどして言い訳考えたりなんて、しょっちゅうありますよね。やろうとしていることが、やってみたらどうなるか考えますよね。その他もろもろ、日常茶飯事のはずです。どれも物語作りと密接につながっています。

実際に「タイプライターに向かったら、流れるように物語が書ける」なんて天才がいたらいけませんか? それとも、フィクションには天才、異才、奇才がいたらいけませんか? むしろ逆ですよね。めったにいない、あるいは、絶対にいそうもない人のほうが好まれてませんか?

フィクション通りに自分もできるなんて勘違いする人はごく少ないはずです。スーパーマン見て、空を飛ぶ練習をする人はいません(実は、試みて不可能を知った人はいたりしたけれどw)。フィクションではない、現実にあるんだと言って、騙される人はいます。超能力なんかもありましたよね。だけど、フィクションとリアルを混同して間違う人はめったにいません。

刑事ドラマでも、そんな刑事はいないと知っている人は多い。警察関係者だと特に作中の嘘が目につくそうですが、それでも楽しんでいる人が多いと聞いています。刑事ドラマで警察官に憧れて、警察を志望する人とて現実は知っています。

それでも、アニメを見てライトノベルが簡単に書けると思って、バカにされるのは嫌かもしれません。でも、自分でやるつもりのない人なんて、アニメを見なくたってそう思ってる人が多いんです。自分がやる見込みがないものには無責任になりやすいですから。

全く他のジャンルですが、例えば筋トレする人も頻繁にバカにされます。重いもの持ってちょっと上げ下げすればムキムキになるんでしょ、とか。何度正しく説明しても(1日に得られる筋肉はどんなに頑張っても7g以下で、計画的に太ったりダイエットしたりして等々、小一時間分の説明)、無駄、あるいは聞いてくれません。

そんなもんです。迷える狼さんとて、例外ではないんじゃないでしょうか。詳しくは(旧掲示板も無くなったこともあり)控えますが、ずいぶんと思い込みであれこれ駄目出しなさっていたと思いますよ。

仰ることがいかに間違いであるか、他にもいろいろ理由を挙げて説明できます。例えば「俺TUEE」なんてジャンルと言っていいほどあるわけじゃないですか。ラノベ作家主人公で「俺TUEE」やって、何かいけないんでしょうか。

素人さんが誤解するから(←かなり、いわゆる上から目線の物言い)という理由で、非現実的なことを抑制していいってもんじゃないと思います。特に非現実的の基準が自分基準であればなおさらです。

カテゴリー : 流行分析(なろう研究) スレッド: 簡単に出来ません。

この書き込みに返信する >>

投稿日時:

トップページへ

▼書き込みの検索

▼投稿者の検索

質問、相談をする!
コメントは4500文字以内。
返信通知設定(必要なければ外してください)

「私はロボットではありません」にチェックを入れてください。

ページの先頭へ

小説の書き方Q&A:創作相談掲示板の使い方・利用規約(必ずお読みください)。お問い合わせ