汝は人狼なりや

粘膜王女三世さん著作

ジャンル:知略・ゲーム

プロローグ1:二人の日陰者

 村民一覧

 夢咲マコト(ユメサキマコト)
 嘉藤智弘(カトウトモヒロ)
 多聞蛍雪(タモンケイセツ)
 戸塚茂(トヅカシゲル)
 伊集院英雄(イジュウインヒデオ)
 桑名零時(クワナレイジ)
 九頭龍美冬(クズリュウミフユ)
 鵜久森文江(ウグモリフミエ)
 化野あかり(アダシノアカリ)
 赤錆桜(アカサビサクラ)
 忌野茜(イマシノアカネ)
 前園はるか(マエゾノハルカ)

 ☆


 誰もかもを疑うことは、誰もかもを信じることよりも、はるかに愚かしくて臆病なことではないでしょうか。 ……ハンドルネーム:セイレーン



 夢咲マコトは不器用な日陰者だった。自分の在り方に迷い苦しみ、結果として自堕落な日々を選択する、暗い青春をのたうつどこにでもいる根暗者だった。
 この間、高校一年生になった。通うのは、全国でもそこそこの進学校だ。特に勉強が好きな訳でもなかったし、部活動で優秀な成績を収めた訳でもなかったが、教育熱心な親が彼を裏口入学させたのだ。
 過度な期待を寄せ続ける両親に対して、苛立ちのような、わずらわしさのような、そんな感情を持て余しながら、マコトは高校に通った。授業など真面目に受ける心境になれるはずもない。ただ、両親が自分に求めるもの以外で、何か自分で興味を見つけてそこで力を発揮したい。そう願うばかりの怠惰で流されるような毎日を持て余しては、窓際の席で空を見上げた。
 逃げ出したい。
 自分の居場所はここじゃない。
 けれどそこがどこかなんて分かるはずもない。真実を言い表すならば、興味を見出せないのは今のマコトに何の才能もないからで。そんなマコトの居場所というのは間違いなく、不真面目な不良のレッテルを貼られ、孤立した教室の隅っこでしかないのだった。

 ☆

 「あ、あの。夢咲さん」
 窓際の席で空を見上げるマコトに、声をかける色白の少女がいた。
 「話かけても、いいですか?」
 「え? ああ」
 何だその前置きは、と思いながら、マコトは生返事を返す。
 「九頭龍か」
 「は、はいぃ……。その、名前覚えてくださったんですか?」
 卑屈そうな表情のその少女は、九頭龍美冬といった。そのけったいな名前と、入学初日からクラスメイトに強要されて、可愛らしい顔で泣きながら『セミの鳴き声』の芸などさせられていたことは、記憶に鮮明だ。
 何日か前、教室で裸にされそうになっていた彼女の色白の肌と大きな乳房のことも覚えているし、それを見てどれだけいたたまれない気持ちになったのかも忘れない。泣きじゃくりながら怒りもせず、ただこれ以上酷い目にあうまいといじめっ子に媚びる九頭龍に強いセクシャルを感じてしまった自分。はっとして、どうしようもなく何かが許せなくなって止めに入り、いじめっ子のリーダーの女子を口論の末に殴ってしまったことも。それが原因で停学になってしまったことも。忘れられはしない。それ以来だ。自分が今のように孤立して煙たがられるようになったのは。
 「そ、その夢咲さん……あの」
 「ああ。何の用事だ」
 「いえその……用事とかは。あの……あ、えっと、良い天気ですね」
 「…………ああ。そうだな」
 マコトは生返事を返す。すると九頭龍は少しうれしそうに、照れたように笑ってから、また次の話題を探すために挙動不審にあわあわと口を動かし始めた。
 自分に話しかけてみたはいいが、何を話したらいいか分からずに混乱しているという事情をマコトは察する。こんなことは始めてではなかった。例の事件があってからというもの、九頭龍は自分に懐いたか何かで、頻繁に声をかけてくるようになっていた。
 クラスメイトたちは、そんな九頭龍の姿を遠巻きに眺めつつ、おもしろがるようなあざけるような視線を投げていた。しょうがなくこちらから話題を投げてやろうとしたが、自分も同じように口下手なことを思い出して一瞬、言いよどんだ。
 「おまえ、普段は何をしてるんだ?」
 無様な質問。九頭龍は必死で「えっと、あの。その」と、なんでもない質問のはずなのに必死で答えを探り
 「テレビ見たり勉強したりしてます」
 と、およそどうしようもないことを返す。
 「ゲームとかしないのか?」
 自分などすることがないので家に帰ってそればかりだ。とはいえ、女子はテレビゲームとかしないんだっけ? 
 「え……えっと。すいません……あたしやらないんです……」
 「いやなんで謝るんだよ」
 「ひ……。ご、ごめんなさい……。気に障ってませんか?」
 「障ってないって」
 「あ……すいません。面倒くさかったですよね。その」
 「いいから」
 マコトはため息をつく。この様子ではいじめられるのも無理からぬ。強く人と繋がりたがっている割に口下手で人を苛立たせ、従順でなんでも言うことを聞いてしまう。どうあっても使いっ走りが良いところなら、誰とも関わらずにおとなしく過ごしていればいいものを。
 「ごめんなさい……。あ、そうだその……一つありました。やったことあるゲーム……えへへへ」
 と、九頭龍は少しだけ明るい表情になって言った。マコトは「へえ。なんだよそれ」と特に興味もないが促してやる。
 「あのですね……『汝は人狼なりや』っていうんですけど……」
 照れたように言った九頭龍のその言葉の響きに何か聴き覚えがあるような気がして、マコトは視線を返した。
 「なんだそれ? 人狼? どっかで聞いたことあるような……」
 「はい……。ドイツで何か大きな賞を取ったアナログゲームが元になっているそうで……。日本でもテレビ番組とかでも題材にされてますから、結構有名じゃないかと思います」
 「へー。で、どんなゲームなんだ?」
 マコトは言った。九頭龍は「えっと、えっと」と少しまごついてから、本人なりに整理がついたのだろう、ぎこちなく説明を始めた。
 「えっと、えっとですね。世界観はこうです。
 山奥の孤立した小村に……『人狼』というのが紛れ込むんです。彼らは昼間は人間の姿をしているんですけど、夜になると狼の姿になって、村人を襲って一人ずつ食べちゃうんですよ」
 「それで」
 「はい、えっと。それで毎朝村人が一人ずつ無残な姿で発見されて……このままじゃ大変だから、『人狼』を退治しようって言う話になるんです。それで、昼の間に誰か一人、『人狼』の疑いを向けられた村人を話し合いで選んで、処刑していくことになるんです」
 「ちょっと待て。誰が『人狼』かはわからないんだろ? じゃあそれは、誰が敵かも分からない状態で、村人同士で殺しあうのか?」
 「え、ええ。無実の犠牲者が出ても、村が全滅するよりは、仕方ないんです」
 「……なんだそれ。むごいじゃないか」
 「す、すいません」
 「あ。いやいいから。話してくれ」
 むごいじゃないか、なんて言ってしまったがようするにゲームの世界観の話だ。マコトには九頭龍がそんな殺伐としたものを好むようには見えなかったが……しかしおとなしそうな人間ほど、腹の中では暗闇を好むものなのかもしれない。
 「は、はいすいません。それでですね、『村人』たちが無事に『人狼』を言い当てて処刑することができれば、『村人』たちの勝利。『村人』同士で自滅して、全滅してしまえば、『人狼』たちの勝利となります。……これを、インターネットのチャットルームで行うんです」
 「チャットルーム?」
 「ええ。ネット上で、十人か、多くて二十人くらいで集まって、誰が何人『人狼』なのかをコンピュータが決めて……それで怪しい人はだれかって話し合うんです。議論の区切りごとに『投票』による『処刑』をして……『人狼』が『襲撃』先を選んで、そしたらまた次の議論へ。これを繰り返して村人か、人狼が全滅すれば終了……となります」
 「それを……やってたのか。九頭龍おまえが」
 「は、はいぃ。その、中学生の一年生から二年生くらいまで。お父さんの部屋にパソコンがあって、夜中にこっそり電源入れて遊んでました」
 ずいぶんと陰気なゲームをやるものだ。子供の頃からそんな殺伐とした疑いあいをやっていたから、こんな性格に育ってしまったのではないのか? マコトはそう思わずにはいられなかった。
 「でも結局は運任せじゃないのか? 結局。よっぽど『人狼』がボロを出せばともかくとして、手掛かりなんて何もないんだし」
 「いえ。そうでもないんですよ」
 「なんで?」
 「『占い師』っていうのが村人陣営の中から、一人、選ばれるんです。『占い師』は、投票のあとで、次の議論が始まるまでの間に、誰かプレイヤーを一人選んで『占う』ことができます。そして、占った人が『人狼』かどうかを知ることができるんです」
 「なら、『占い師』のいうとおりにしていれば勝てるんじゃないか?」
 「はい。基本的にはそうです。それがいやだから、『人狼』側も対策するんです。優先して『占い師』を襲おうとしたり、『人狼』の中から一人が『占い師』を騙って名乗り出て、でたらめな結果を出したり」
 「そこで駆け引きが生まれるって訳か」
 「はい。そうなんです。あと、処刑した人が『人狼』だったかどうか分かる『霊能者』とか、プレイヤーを一人『護衛』して『人狼』の襲撃から守れる『狩人』とかがあって……。お、面白いんですよ……。その、マコトさんも、やってみます? あ、えっと、簡単ですよ」
 そういわれて……マコトは若干の興味を引かれながらも、首を横に振った。
 「そうだな。いや、少し億劫だ。俺はそういう、人と会話をするようなゲームは」
 「あ。ごめんなさい」
 九頭龍は少ししゅんとしていった。
 その時、九頭龍の肩が後ろからぽんと叩かれる。九頭龍はかわいそうになるほどその場でびくびくとすくみあがって、意味もなく「ごめんなさい」と言いながら振り向いた。
 「いつまで話してんだクズ。ちょっとアタシらにパン買ってきて」
 鵜久森文江という女子だ。九頭龍を使いっ走りやいじめの対象にする最右翼であり、過去にマコトが殴って退学処分を食らった相手でもある。
 マコトがなんとなく鵜久森のほうに視線を向けると、鵜久森は一瞬だけ怯えたような表情を向けてから、すぐに敵意に満ちた表情で睨み返した。マコトは思わずすくみそうになったが、しかし孤高を気取るため、どうにか気丈に済ました。鵜久森はいらだたしげな様子で九頭龍のほうを向き、「ほらいってこーい」と背中を押す。
 「わ。分かりましたーっ」
 そう言ってお使いの内容も聞かずに走り出す九頭龍。途中で、鵜久森の仲間の一人の赤錆桜という女子が、九頭龍に足をかけて転ばせる。
 「あ、あたっ」
 子供のように見事なひっかかり方をして体ごと倒れ、鼻を押さえながら起き上がる九頭龍に、赤錆は一枚の紙切れを放り投げた。
 「これ。おつかいのメモねー。そそっかしいよねークズちゃんって。きゃははは」
 「あ。その、はい」
 「ちょっとー? メモくれたんだからありがとうは?」
 「あ、ありがとうございます」
 「はーい。困るのクズちゃんだからねー。優しいわたしに感謝しないとだめだよー」
 小柄な赤錆は陰湿な性格だ。かわいこぶった口調で話すが、同時に誰より軽薄な性根を持っていることをマコトは知っている。
 それからそそくさと買い物にでかける九頭龍。それを見送って、鵜久森は仲間たちの傍の席に腰掛、一人の女生徒に向かって口にした。
 「あの子トロいんだから。ねぇあかり」
 そういうと、化野あかりという髪の毛を限界まで脱色した少女が、気だるげに椅子に腰掛け携帯電話をいじりながら「うーん」とやる気なさそうに声を出す。
 「あの子間違えずに買ってこれるかなー? もう購買売り切れる時間だしやばいかも」
 「うーん」
 「なんか罰ゲームでもさせっかー? 何かおもしろいのないの。あの子いったらなんでもやるからねー」
 「うーん」
 化野は何を問われてもそれしか言わず、視線すら鵜久森のほうに向けない。隣で会話に入ろうとしている赤錆には目もくれず、鵜久森はだらだらと化野に語りかける。
 このあたりの力関係がどうなっているのかは、分からない。この三人組のリーダーはおそらく鵜久森なんだろうが、この様子を見ると単なる主従という感じではないようだ。
 「……『あの子』なんだね。九頭龍のこと」
 化野が携帯電話に視線を向けて、ぼんやりと口を開いた。
 「アイツ、とかじゃなくて」
 妙なところに注目する女だ。
 「うん? 別に友達っしょ。つかいっぱしりキャラってだけで」
 鵜久森が言い放つ。ここの認識がとてつもないゆがみなのだと、マコトは思う。
 いじめは当事者が認識するまでいじめでないというのなら、彼女らがしていることはいじめでない。鵜久森は別に九頭龍を嫌っていじめている訳ではなく、むしろおどおどとした彼女がおもしろく、好き好んでちょっかいをかけているだけなのだ。気分的には、一方的な遊び相手なのかもしれない。
 九頭龍のほうがどんな気持ちかは、マコトには想像しても足りないのだろうが。
 「ふーん」
 化野はダルそうにいって
 「ならそれでいいや」
 と、なんだかテキトウなことを言った。
 ……放っておいていいのか。あいつの、今の状況を。
 そんな風に思いはする。思いはするが、具体的な案が浮かぶわけでも、それを実行する勇気がある訳でもなかった。そしてないものをないままに保留して、なんとなく気にかけるくらいしかしない程度に、自分は無力で臆病で、そして軽薄な人間なのだろう。
 などとひとしきり開き直ると、マコトは九頭龍と時間をずらして購買部へ向かった。パンは、ほとんど残っていなかった。

プロローグ2:つるし上げ

 コッペパンを購入して階段でかじっていると、あからさまに生徒たちがマコトを避けていく。
 入学して早々停学処分を食らったマコトは生徒たちの語り草だった。客観的にマコトという人間を言い表せば、『さぼりがちで不真面目で成績不良であり、女子を殴って停学になった』というものなのだ。いわゆる不良や落ちこぼれとして煙たがられるのは自然なことだろう。
 進学校であっても落ちこぼれの不良というのは確かに存在する。ただ学校の偏差値によって異なるのは、その『不良』の扱いだ。程度の低い学校であれば、どこかしらファッション的に落ちこぼれてみせる生き方が認められてもいる。しかし真面目な生徒の多い進学校の『不良』というのは、マコトのようにみじめなものだ。
 誰からも相手にされず、孤立して、食事もこんな風に寂しく食べなければならない。声をかけられる、などということは、なついてくるいじめられっこを除いては、滅多にない。
 ……いや。そうでもなかったか。
 「おーっす。マコト。また便所飯かよ」
 軽薄そうな表情を浮かべた少年が、軽薄そうな声でマコトに声をかけてきた。マコトは「おー」と面倒くさそうに応じつつ、心の中では少し明るい気持ちでいた。
 「別に便所飯じゃねーだろ。多聞。階段で食ってるんだからよ」
 「似たようなもんだろ。教室でくえねーからそこで食うんじゃねーか。ぼっち野郎」
 「うっせ。俺は孤高なんだよ」
 そう強がりを言うと、クラスメイトの多聞蛍雪は一緒に笑ってくれて
 「あーなんかそんな感じするわ。マコトって他と空気違う感じがするっつかなんつーか。ただ孤立してんのとは違う気がするわー」
 へらへらとそう言う言葉の一つ一つがいちいち軽薄で、どこかこびたように感じる。マコトは「だろ?」と軽く微笑んで見せて、コッペパンを食いちぎってから
 「おまえこそ飯はどうしたんだよ? いつもの奴らと教室で食わないのか」
 多聞には多聞の人間関係がある。普段なら教室で学食のパンを仲間とかじっている時間のはずだ。
 「今日は別の戸塚……クンのグループと学食で食った。誘われちまってよ」
 「へえ。そりゃ災難だったな」
 マコトは言った。
 「だよー。奢らされちまったし。まあ、いざってとき後ろ盾になってくれるかもしれないから、たまにならいいんだけどさ。おれ今週二回目なんだよね。気が滅入るっつーかさ」
 戸塚というのはマコトのクラスメイトで、体格の良い荒くれもの……マコトのようなただの落伍者とは違う純正の悪党だ。中学時代から不良で、高校に上がってからも上級生相手に喧嘩を繰り返している。
 「……あ。そうだ。その戸塚……クンが、マコトのこと呼んでたぞ」
 そういわれ、マコトは、多聞が自分に声をかけてきた理由を悟る。しかしそうとは知られないように、とぼけた態度を装って
 「へえ。なんて?」
 「あ? いや放課後話があるから体育館裏に来いとか、なんとか」
 「話って」
 「いやー。マコト喧嘩強いから、アレじゃない? 上級生と喧嘩するんで戦力になってくれーとか、そういうんじゃない?」
 確かにマコトは腕っ節の強い部類だと思う。だが、戸塚が戦力として自分を引き抜こうとする段階は、既に終わっているのだ。
 前に、戸塚が同じく不良扱いされているマコトを、落ちこぼれ同士のコミュニティに勧誘したことがある。おおよそ好意から来たものだったが、しかしマコトは突っぱねてしまった。小心な自分には、『不良』なんていうキャラクターは演じられないだろうと考えたのである。それが戸塚には敵対行為として移ったらしく、以来しばしば因縁をつけられることがあるのだった。
 「いやだよ面倒くさい」
 「ちょ……。いや、頼むよマコトくん。マコトくんが体育館裏に来なかったら、オレが殴られるんだって。なあ……」
 心底困り果てたように、アタマを抱えて口にする多門。それから恥も外聞もなくその場でアタマを下げる。
 「このとおり。頼むからさ! なあ……」
 こいつのクラスメイトからのあだ名は『チキン』だ。人前で無様に保身に走ることに抵抗がない。だが、そんなあけすけなところがマコトにはなんだか憎からず思えて、さほど嫌ってもいなかった。
 「あー。分かったよ。いくだけいけばいいんだな」
 ついに折れたマコトに、多門はぱっと顔をあげて
 「マジかよ! サンキューソウルフレンド!」
 この手の平の返しようを含めて、こいつは本当に屈託が無い臆病者だ。

 ☆

 体育館裏に行くと、戸塚のほかに、多門を含む数名の男子生徒がたむろしていた。マコトはそのことに緊張しつつ、声をかける。
 「なんだおまえ一人じゃないのかよ」
 戸塚茂という大柄な生徒は、そんな風に言うマコトを獰猛な表情で睨みつけ、怒鳴るような声で口にした。
 「『おまえ』だって? 良くそんな口を利けるもんだなぁ、お?」
 何が『お?』なのか分からない。マコトは息を飲み込んで見せて
 「いや別に同じ年だからいいだろう。『君』ってなんか気持ち悪いし」
 「あ……。なめてんのかてめぇ?」
 外れたことをいうマコトの言動が、戸塚の気に障ったらしい。
 確かに、そういうことを聞きたいのではないだろう。こいつの問いたいのは、ようは『何故自分に媚びないのか』というそれに尽きる。
 「あいや。そういう訳じゃないんだ。ともかく本題に入ってくれ。これは何の呼び出しだ」
 そういうと、戸塚が肩を怒らせてマコトのほうに近づいてくる。ギャラリーたちに緊張が走る。
 「分かってんだろ? おれとタイマン張れよ。負けたら二度とオレになめた口は聞くな」
 タイマンか、どうも間の抜けた感じのする単語だ。というより、うそ臭い響きがあるんだろう。一対一の喧嘩、などといいつつ、本気でどちらかが倒れるまでの殴り合いをしたがる人間なんてそうそういないのだ。『当方喧嘩の構えアリ』ということを示す、脅しや虚勢として使われる文句という印象が強い。
 「断るよ。殴り合いなんて興味ない。」
 相手が求めているだろう言葉を口に出してやる。おおよそ、マコトの本心でもあった。
 「びびってんのか? お? 降参か」
 「ああ。それでいい。俺は痛い思いはしたくないんだ」
 マコトがいうと、けらけらという笑い声がギャラリーの中でとどろく。「今の聞いた?」「そりゃいたいのはイヤだよなー」「あいつすげぇ弱虫じゃね?」
 アタマに来る。しかし挑発に乗って喧嘩をしても、良いことは何もない。相手が集団である以上、ここで戸塚を殴り倒しても、報復は不可避であるように思えるからだ。
 「だったら今すぐここで土下座しろな? それで『戸塚さん二度となめた口ききません』って断言しろ。おい多聞」
 いわれ、多聞は「なんすか戸塚くん?」と媚びたように前に出る。
 「録音の準備しろや。こいつの敗北宣言を録音しておく」
 「は。はあ。わ、分かったっす」
 そうして多聞は携帯電話の録音機能を開く。ギャラリーは「さっさとしろよ」「降参なんだろ?」とマコトに向かってはしゃしたてる。
 「おいなんだそれ? イヤに決まってんだろ?」
 「は? 今降参っつったよな? 自分で言ったことは覚えとかないとなー」
 戸塚がにやにやとしながら近寄ってくる。マコトは困惑した様子を見せながら
 「おまえに土下座とか嫌に決まってるよ」
 「あっそう」
 そう言って、戸塚は握りこぶしを作ろうと右手を後ろに引きつつ
 「じゃ、タイマンや……」
 と、彼の台詞は、彼の握りこぶしが完成する前に、封じられることになる。予備動作なしで素早く繰り出されたマコトの拳が、戸塚の顔面をうがったのだ。
 「ぐお!」
 殴り合いの喧嘩には、『後の先』と『先の先』というものがある。宮本武蔵だったか、歴史上の武術家の伝記に載っていた文章で、その響きのよさからノートに書き写したことがあった。
 相手が攻めてきた時に、より早く攻め返す『後の先』ではまだ遅いのだ。相手が攻める気配を見せたその隙に、攻められる前に攻めるのが『先の先』。こちらを睨みながら拳を握って後ろに引くその動作は、『今から殴りますよ、その準備をしてますよ』と宣言しているようなものだ。
 ともかく一度殴ってしまったからには決着をつけなければならない。そう思ったマコトはそのまま怯む戸塚を殴り倒し、馬乗りになった。
 マコトは177センチ70キロとそれなりに恵まれた体格を持っていた。一度この状態に持ち込めば、相手がよほど巨漢で無い限り、もう一方的に殴ることができる。マコトは容赦しなかった。これ以上目を付けられないためには、ここで相手を屈服させておく必要があるという冷静な勘定だけがアタマにあった。
 「ちょっと……マコトくんやりすぎっしょ」
 多聞が止めに入る。知るか。先に喧嘩を売ってきたのはこいつだ。徹底的にやらなければならない……などと思っていると、戸塚がつばを飛ばしながら
 「多聞! てめぇそいつを抑えろ!」
 などと絶叫した。やはりこうなってしまうのか。
 「え……ちょっと戸塚さん。無理っすよこんな……」
 「るっせ。とっととしろ!」
 恫喝する戸塚。多聞はマコトと戸塚のほうを見比べて、「あー」と少しうなった後
 「すまんな」
 などといって、多聞はマコトの両肩に腕を回し、戸塚のほうから強引に引き離そうとする。すぐに、戸塚の取り巻き数名が群がるように加勢してきた。
 多聞としては、結局のところマコトと戸塚のどちらに着くのが、自分にとって合理的かを考えただけだろう。本気で抵抗すればなんとかなったかもしれない。だが、妙な諦観めいたものが全身をめぐり、奇妙な虚脱感のようなものに支配されて気力が萎えてしまう。
 下っ端たちに引き離され、拘束される。闇雲に暴れれば簡単に抜け出せそうだったが、それはぜずにマコトは言った。
 「タイマンじゃなかったのか?」
 戸塚は少しだけ気まずそうな表情をしてから、ギャラリーに視線を向ける。戸塚同様、気まずそうな表情をする彼らに、戸塚は鼓舞するように
 「そんなん嘘にきまってんよな。なー?」
 一瞬の沈黙の後、曖昧にうなずき始めるギャラリーに、マコトはため息をついてから
 「そうかよ。じゃあ別に、俺はおまえに今までどおりの口を利いていいんだな? タイマンじゃないっていうなら、最初の前提が崩れる」
 「……っ! なめてんじゃねーぞこら!」
 そう言って、戸塚はマコトを組み伏せ、殴り始めた。ギャラリーの一人がマコトのほうににじり寄り、みじめになぶりものにされるマコトを携帯電話で撮影する。
 これが目的だったのだろう。マコトは鼻血を出しながら考える。
 夢咲マコトという落ちこぼれ集団の中でも異分子にあたる存在がどの程度のものか、それをはっきりさせるのが戸塚の目的だったのだ。味方にならないなら、屈従させるのは連中にとって当然といえる。
 散々殴られて、顔の形が変わった頃にマコトはようやく開放される。戸塚は黙ってマコトにつばを吐きかけて、その場を去っていった。
 敗北感はなかったが、酷くみじめな気分だった。

プロローグ3:花火

 ぼんやりと大の字で寝転がり、空が紅色になるのを待った。正確には、夕方が来るまで動けなかったというのが正しい。
 明日になれば、戸塚は自分を一方的にぼこぼこに負かしたと学校中に吹聴するだろう。自分は女子は殴る癖、戸塚にはやられる卑怯者としてさげすまれるだろう。悔しいのかどうでもいいのか自分では分からないが、おそらく泣きたいほど悔しいのだ。
 いつまでたっても空は赤くはならず、灰色の雲に黒い闇がにじんでいくだけだった。生ぬるい湿気が全身を包み込む不快な感覚にたまらなくなり、マコトはその場で体を起こした。
 数十メートルの距離に、幼稚園児のように不恰好な走り方でこちらに寄ってくる女の姿が見えた。そいつは起き上がった自分を見つけてぱっと明るい表情を浮かべ、そのまま水平な走り方でこちらに近付いて来て、途中で何もないところでつまづいて転んだ。
 「お……おい。おまえ」
 マコトが近づいていくと、そいつは「す、すいませぇん」と声をあげて顔を上げた。九頭龍だ。
 「どうしたんだよ、おまえ」
 「はぁ、はぁ……。え、えっと。……あの、その。夢咲さんがここで戸塚くんに殴られてる写真が、メールで回ってきて。その、だから、その……心配で。差し出がましいですがその……あの」
 それから九頭龍はマコトのほうに覆いかぶさるように掴みかかり
 「大丈夫ですか? ああ……こんなに腫れてる! 鼻血まで……。う、ぅうう。酷いよぅ」
 それからさめざめと泣き出す九頭龍に、マコトはため息をついた。
 「別にどってことないよ。これは喧嘩のキズだ、あいつには殴られたが俺もあいつを殴ってる。それに、戸塚はバカだけどアタマが悪いわけじゃないから、本気で面倒ごとが起こりそうな怪我はさせないだろうよ」
 「で、でもぉ、こんな……。と、とにかくその、手当てしなくちゃ。きゅうきゅ、救急車呼びますね」
 「いらん。大げさな。面倒なことは起こさないでくれ」
 「ご、ごめんなさい。じゃ、じゃあ、保健室に」
 「もう閉まってる。つか、喧嘩の怪我で保健室とか、今度こそ退学になっちまう。少し考えてくれ」
 「ひぅう……すいません」
 少し言い方が強かったらしく、九頭龍は見ていてかわいそうになるほど小さく縮こまってへこむ。これだけメンタルが繊細だと、気を使う方がいら付いて、むしろ攻撃的になってしまうのかもしれない。
 「あ、いや悪かった。……それよりおまえ」
 それからマコトは九頭龍の膝小僧を指差して
 「盛大にすりむいてるぞ? 痛くないか?」
 言われると、九頭龍は「あ……」と下を向いて、そこで自分が結構大きな擦り傷を作っていることに気付いたようだ。
 「い、いいですよこんなの慣れてますから。夢咲さんのほうが重症です!」
 「そうは行くか。おまえ、歩けるか?」
 「あ……はい?」
 「ああいや。おぶったほうがいいな。ほら」
 そう言ってマコトは背中を示す。九頭龍は「へ、へぇえ?」と困惑顔になって
 「そんな……悪いですよ。けが人に負ぶってもらうなんて……」
 「俺を心配して走ってきて転んで、それで作った怪我だろ? いいさ、おまえなんか軽い」
 「で、でもぉ。あ、歩けます……歩けますから……」
 そう言って九頭龍はえっちらおっちら、足を引きずって歩き始める。それはなんだか、無理して気丈さをアピールするような歩き方であり、マコトとしてはいたたまれない。
 こういう時は、女らしく頼ってくれたほうが、マコトとしても気分がいいし、楽なものだが。しかしとうてい、九頭龍に理解はできないだろう。
 この子は、……マコトと同じく、自分のことで精一杯なのだから。

 ☆

 九頭龍と共にすぐ近くのコンビニに行き、ガーゼと消毒を買ってやる。九頭龍はなんと財布も持たずに駆けてきたようで、金を出したマコトに何度も礼を言ってから
 「これは倍にして返しますから……」
 と涙を流して言った。「いらん」と突っぱねるしかない。
 九頭龍にガーゼを渡すと、百回続きそうな礼をはさんでから九頭龍は自分の膝にガーゼを張ろうとするが、上手くいかない。自分がそばにいるだけで手が震えるほど緊張して、消毒を垂れ流して、ガーゼをくしゃくしゃにしてしまう。たまりかねてマコトは九頭龍からガーゼを奪った。
 「ご、ごめんなさい……」
 「いや悪い。俺がいると気まずいか」
 この手合いは過度に人見知りして、誰か他人が自分を見ているというそれだけで、動きが硬くなってことごとくのパフォーマンスを封じられる。九頭龍の成績は中の下程度らしいが、授業中当てられた際は中学レベルの問題でもまともに答えられたことがない。
 「そ……そんなこと……。違うんです、わたしその緊張しぃで……。誰がそばにいてもこうなんです。夢咲さん、すごく優しいのになのに……ごめんなさいぃ……」
 「ああ。別にいいよ」
 マコトはぶっきらぼうに言って、九頭龍の膝を消毒して、ガーゼを張ってやる。
 スカートの中の白い太ももが見えた。彼女の儚さともろさを示すような、繊細な白い肌だ。女性の小さな膝の形にマコトはセクシャルに駆られ、少し苦戦しながら手当てをする。気まずいことこの上ないし、自分の程度の低いオスを認識させられてとても情けない気分になる。こんな気持ちになってしまうから、できれば自分で手当てはしてもらいたかったのだが。
 マコトにされるがままで目を閉じている九頭龍。この分だとスカートをめくって下着を見ても何も言われないんじゃないかと、そんなことを考えていると、あるものに気付いた。
 太ももに、黒いやけどの跡のようなものがあるのだ。概念としては知っている。小指の先ほどもないそのやけどのサイズに、マコトはそれがタバコを押し付けた跡だと核心を持った。
 「おまえ……っ!」
 そう言って九頭龍のスカートを本当に捲り上げるマコト。「ひ、ひぃい!」驚いてすくみ上がる九頭龍に、「あ、すまん」とマコトはすぐにスカートから手を離した。
 「ご、ごめんなさいごめんなさい。そのその大声出しちゃって。あたしその、夢咲さんになら何されても……」
 「だから違うんだよ。……おまえさ、そのタバコ、誰にやられた?」
 マコトがたずねると……九頭龍は「あ、あぅあぅあぅ」と言いよどんでしまう。
 「……いえないか」
 いじめっ子がいじめられっ子の名前を口にする行為は『告発』だ。精神的に、いじめっ子に支配されている彼女がそれを行うことが難しいのは、想像に難くはない。
 「そそ、その……たいしたことないですから。あの……」
 『たいしたことない』なんてことがあるはずがない。……どうしたってこの子は、そして自分たちはこうも踏みにじられて、それでも何もできずにいるのだろう。
 楽しげな喧騒から距離をおいて、卑屈に媚びたような顔をしながら、或いは隅っこで誰からも距離を置いて怯えるようにしながら……。他人の数分の一かの狭い居場所で縮こまって生きて。その場所も気まぐれに犯されて、ボコボコに傷つけられて、でも平気な振りをしていなければ、とても生きてはいられない。
 そんな人間が、どんな場所にも、必ず、いる。
 「けったくそ悪い気分だ」
 マコトは舌打ちをして
 「ゲン直しだ。付き合え」
 といって、九頭龍に向かってあごをしゃくる。九頭龍は困惑したように、首を傾げて見せて
 「は、はい?」
 「もう外も暗いからな……。そうだな、花火だ。おまえ門限とか大丈夫か?」
 「は、花火って……あの。手に持つ?」
 「そうだ。コンビニにあるだろ……。あいや、わずらわしいか? 足も悪いし今度に……」
 言うと、九頭龍は壊れた人形のように首を何度も縦に振り
 「し、しますします。一緒にします! 花火」
 「あ……そうか」
 それからマコトは、少しだけ楽しい気分になって
 「じゃあ買ってこよう。場所はそうだな……すぐ近くに川原があったはず」
 「は、はいぃ」
 九頭龍にはニコニコと付いてくる。
 なんだか友達を連れているみたいで、悪い気分ではなかった。

 ☆

 あたりはすっかり暗くなっている。マコトは川原で手に閃光花火を持ちながら、その米粒よりもささやかな輝きを眺め、そばでそれをじっと見つめる九頭龍に「おまえはしないのか?」と声をかけた。
 「あえ? い、いえその……夢咲さんの見てますし……」
 「自分で好きなの火、つけろよ」
 「そんな……夢咲さんが買ったものですし……」
 「いいから」
 マコトがいうと、九頭龍は控えめに閃光花火に火をつけた。ぱちぱちとした静かで穏やかな輝きに、九頭龍は口を半開きにしてうれしそうに微笑んだ。
 もう長らくこんな風に、同世代の仲間と何かをするような機会は得られなかった。友達というか話し相手なら、停学になってからすぐに離れていってしまった。多聞のような屈託のないヤツが時々絡んでもくれもしたが、しかしヤツはしょうがないこととは言え、自分より戸塚に組することを選んで自分を殴るのに加担した。自分が他人と結べる関係性なんて『そんなもの』なのだ。
 だがそんな中で、このどうしようもないいじめられっこだけは、自分のことを本気で心配して足を怪我してまで駆けつけてくれた。そこに戸塚やその不良仲間がいたというのに。
 駆けつけてくれたことで、実際に何が助かったわけではない。ただ、心は大きく救われた。自分と共に孤立して、自分と共に取り残されてくれた九頭龍。そこにあった絆が偽者ではなかったことに、マコトは確かな喜びを感じたのだ。
 「その……き、綺麗ですね」
 おずおずと九頭龍は声をかけてくる。沈黙の中で、単に何か話さないといけないと思ったのか、それとも黙っている自分を怒っているとでも勘違いしたのか。
 「そうだな」
 マコトは極力優しい口調で言った。
 「え。ええそうですね」
 えへへ、と九頭龍はその三語の会話が成立したことに喜ぶように笑う。少し、楽しそうだ。
 「ところでおまえ。携帯電話にメールが回ってきたとかいってたな」
 と、マコトがいうと、九頭龍は「は。はい」と答える。
 「意外なもんだな」
 「え、えと」
 「あいや。失礼だったか」
 「い、いえいえいえ。でもその……どういうことですか?」
 「えっとだな。おまえが誰かとメールアドレスを交換してることが、だよ」
 直球でいうと、九頭龍は少し自嘲げに笑う。
 マコトは、九頭龍は自分と同様に孤独な高校生活を送っていると思っていた。当然メールアドレスを交換する相手などいないものだと。
 「鵜久森さんは……その。あたしを友達だといってますから……。その、あの三人のアドレスなら、知ってるんです」
 鵜久森文江。九頭龍をいじめるグループの筆頭だ。九頭龍をさんざん金づるや使い走りにして尊厳を奪い、それでいて『ただの友達』だの『クズはそういうキャラ』などと言い張り、本気でそう思い込んでいる。
 人間に程度があるとは思わないが……マコトは、彼女のような人間の傍では、絶対に笑顔を浮かべることはないだろう。
 「あ……その。マコトさん」
 おずおずという九頭龍に、「どうした?」と促してやる。
 「マコトさんはその……携帯電話ってもたれてるんですか?」
 「あ? ああ、持ってるけど……」
 「そ、そうなんですか。……え。えっと」
 そこから先に、九頭龍が言いたそうにしていることをマコトは推察して、「ほらよ」と自分の携帯電話を九頭龍に投げる。
 「わ。わ」
 いいところに投げたつもりだったが、花火を片手に持ったままでは上手に受け取れなかったらしく、一度ひじに当ててから地面に落ちす。「わわ、ご、ごめんなさい」といって拾いあげ、じっとこちらを見つめる九頭龍に
 「『電話帳』開いて一番下に俺のアドレスがある。登録しとけ」
 「は、はいぃい。あ、ありがとうございます」
 そう言って九頭龍はいそいそして携帯電話を操作する。しながら、左手ではしっかりと閃光花火を手に持っていた。
 九頭龍から携帯電話を受け取って、彼女からメールを送ってもらって九頭龍のアドレスを登録する。
 「終わったぞ」
 そういうと、九頭龍は明るい表情でうなずいた。そして「えへ」と笑う。
 かわいい奴、とそう思えた。
 それからしばらくしていると雨が降り出す。思えば、今日は夕方から雲模様が怪しかった。
 「残念ですけど……もう花火はできないですね」
 雨に濡れながら九頭龍がしょんぼりしていう。マコトは「そうだな」と言ってから
 「家まで送る」
 そう申し出ると、九頭龍は「そんな……」と遠慮して見せる。予想していたことなので「おまえみたいなそそっかしいの放っとけるか」と強く言う。真実だった。こんな危なっかしいのを放って一人で帰るのは、男としてやってはならないことであるような気がする。
 「ありがとうございます、ありがとうございます……。で、でも。……この花火どうするんですか?」
 そう言って九頭龍は、ビニールに包まれた花火の残りに視線を向ける。「あー」とマコトは首を捻る。その場で捨て置いて帰るものだと当たり前に認識していたマコトだが、しかし火薬のあるものを放置する行為は、そう堂々と行うものでもないだろう。
 しかし、持ち帰ってももてあますことはもてあます。
 「おまえが持ってろよ」
 マコトはいった。
 「そんでまた今度続きをやろう。気が向いたら誘ってくれ」
 いうと、九頭龍は「は、はいぃ」と地面に落ちていた花火を持ち上げ、旨に握り締めてから
 「か、必ず……誘いますから。だから、……大事にしてますね」
 と、家宝でも扱うようにいった。面倒な約束が一つ増えたが……まあ、いいだろう。
 わずらわしい、を上回って、付き合ってやろうと思える気持ち。それはおそらく、『友情』とか『愛情』とか呼んでもいいものなのだろう。マコトは無邪気に認識した。
 その時は、それは、それだけのことだった。

プロローグ4:臆病者

 翌日。朝目が覚めたマコトはこれまで生きてきて一番と言っても良い程の困難に直面することと相成った。
 『夢咲さん。起きられてますか。わずらわしかったらごめんなさい。
 まえからずっと思っていたことなのですが、あたしはほんとうに夢咲さんのことが好きです。
 夢咲さんはとても優しくて、あたしなんかのことも分かってくれるかたです。あたしが困っていたり、何をしていいか分からなくておどおどしてしまう時、気持ちをくみ取って助けてくれます。
 あたしのような、くだらない人間からこんな風に思われてもめいわくだと思いますし、きらわれてしまうかなと思ったんですが、どうしても伝えたかったので、メールをさせていただきました。
 面倒でなければ、いつでもかまいませんので、お返事をくださるとうれしいです。
 くずりゅう 美冬』
 こうなってしまうのか。マコトは妙な諦念を伴ってそう思った。
 自分は男で、九頭龍は女。それはたまたまそうだったというだけのことでしかないはずだ。
 マコトは自分が九頭龍に対して感じるつながりを特には概念化していない。九頭竜に情念を感じはするが、それを『恋愛』なんてチープなカテゴリーに押し込んで喜ぶ性癖もない。だが、九頭龍は自身がマコトに対して感じてくれているだろう絆を、恋愛感情としたようなのだ。これは厄介なことである。
 ……厄介? それは、どんな風に厄介なのだろう。
 『恋愛』というものをどう扱っていいか分からないからか? もちろんマコト自身、九頭龍のことを女として意識することはある。あれは実際のところ見てくれはいいのだ。女子の嫉妬を買うほどに、割ととびっきり。マコトもなつかれるのは悪い気分ではなかった……ように思う。
 そうでなくとも九頭竜のことは人間として好きだし、共に取り残されることに親近感もわけば、情もある。それは間違いない。だが、あれと実際に『恋愛』をするとなると……ほんとうにどうしていいものか分からない。適当にはぐらかしてしまいたいのが本音だった。しかし、深夜一時に送信されたこのメールの返信を、九頭龍が一晩中寝ずに待ち続けているということすら想像できてしまう以上、明確な答えを早いうちに出してやることが必要なのも間違いない。
 どうしていいのか分からないままに着替えを済ませて、悶々としながら、マコトは携帯電話の画面とにらめっこして登校する。しかし着いて欲しくない時ほど、早く学校にたどり着いてしまうものであり、やむを得ず遠回りしようとUターンしたところで声をかけられた。
 「お、おはよう、マコト」
 多聞だ。普段は屈託なく軽薄な笑みを浮かべているこいつだが、少し居心地悪そうにしている。
 「ああ。おはよう」
 「な、なぁマコト。昨日はその、すまんかった」
 そう言って多門は人前だというのに平気で頭を下げる。
 「悪かったと思ってるよ。でもさ、戸塚の奴怖いじゃん、舎弟いっぱいいるしすぐ殴るし。それでさー、悪いとは思ったんだけど……ああするしかなくて」
 「おまえが俺を羽交い絞めにするとき、本当は嫌がってたってことは分かったよ。だから最初から怒っちゃいない」
 そんな風に気まずそうにするくらいなら声などかけなければいいはずだ。マコトのような落伍者と縁を切ったところで多聞に不利益はないのだから。それをわざわざ謝りに来るのなら、マコトとしては別に許してもかまわない。
 「マコト、おまえいい奴だな。……へっへ。オレが保障するぜ、おまえ性格いいからすぐに友達できっから。オレ意外にも」
 暗に今は友達がいないということを示したようなその言葉にマコトは苦笑する。
 「ところで話し変わるけど。おまえ深刻な顔で何みてんだよ?」
 いきなりの話題の転換に、マコトはやや驚きつつ携帯電話を隠す。この話はもう終わりらしい。九頭龍のようにうっとうしい程謝罪を繰り返してこないだけ良質か。
 しかし多聞の悪質なのは不躾さと紙一重の人懐っこさであり、彼はマコトが隠そうとした携帯電話を取り上げて勝手に中身を見てしまった。同じことを戸塚に対してできるとは思えないことを考えると、やはり自分はある程度軽んじられいるのだなと諦観めいて思った。
 「……なんだこれ? ……おまえ九頭龍に告白されてんのか?」
 そういう多聞の頭を、マコトは握った拳で容赦なく殴りつける。その場で転がる多聞に視線が集まる。マコトは気にせず彼から携帯電話を回収すると、倒れ付してうずくまる多聞に淡々とした表情で言った。
 「誰にも言わないと誓ってくれ。ばらしたら殴るからな」
 「…………。も、もう殴ってるじゃん……。やっぱ撤回するわ。おまえぇ友達できねえわ、その性格。殴る前にフツーに怒らねーか?」
 「殴られるようなことをするからだろ」
 そう言って多聞のことを助け起こしてやる。多聞はびくびくと怯えきった様子で
 「えっと……それでチャラ?」
 「黙ってるならな」
 そう言って害意がないことを示すために両手を晒してみせるマコト。多聞は口をあけて
 「……やっぱおまえ変。……まあいいわ。それでどうなの? 付き合うの?」
 そうとわれ、マコトは押し黙るしかない。多聞は「なんだなんだなんだ」とどういうわけか三回繰り返して
 「いいんじゃね? あいつ従順そうだし。見てくれはかなりいいしよ。色白で胸大きいし、ボディのほうも、全然アリなんじゃないかな?」
 「アリっておまえ……体目当て……ってことか?」
 「いや……それはマコト次第だけどさ。でもさ、やっぱり大事じゃないかセックスって。むしろあんな面倒くさそうで、しかも誰にも自慢できそうにない女、それ以外にどんな益があるてんだ?」
 酷い言い草だと思ったが……しかし、軽薄だがそういう感覚も恋愛観の一つとしてはあるのだろうと、マコトは客観的に思いもする。
 「マコトくんは興味ないわけ?」
 「何にだよ」
 「いや、その。経験済み? マコトくん結構クールだし、ひょっとして非童貞?」
 「いや……それはしたことないけど」
 「じゃあいいじゃん。お世話になっちゃえば。別に不誠実でもなんでもないことだと思うよ。男女の付き合いには当然にあることだし、あいつがマコトのこと好きなら幸せだろ?」
 そんな訳知り顔でいいつつおまえもどうせ童貞なんだろうと思いつつも、マコトはうなる。
 「うーん」
 九頭龍にセクシャルを感じない訳ではない。そして多聞の言うことも理解できてしまう。だが、だからこそ、このまま付き合ってもそれは、セクシャルな興味を満たすために彼女の気持ちを利用することになりかねない。そんな恐ろしさがある。そしておそらく、この『恐れ』こそが、マコトの中の不誠意の裏づけなのだろう。
 九頭竜がどうでもいい奴ならば、それもいい。しかし、そうではないのだ。自分のことをああも真剣に好きといってくれた女に、誠意のないことはしたくない。
 「どう? 決心が付いた?」
 多聞は無邪気に尋ねる。
 「ああ。なんとかな」
 少なくとも、自分が九頭龍に対して、いわゆる恋愛感情はもっていないことは間違いない。そもそも恋愛感情がどういうものかもわからない。残酷ながら、その一点が断る理由として十分なのだ。その一点がある限り、九頭龍の願うままに恋愛ごっこに踏み込むのは、誠意ではないというのが結論だった。

 ☆

 教室に入ると、机を取り上げられたのだろう九頭龍が、教室の隅で一人、壁使って自習をしていた。きょろきょろと挙動不審なその様子からして、それが振りだけなのは分かる。
 教室で淘汰されているものにとって、自分の席というのは唯一許された『居場所』なのだ。それをうばわれる心細さが、マコトにはなんとなく分かる。
 マコトは教室を見回して、九頭龍の机を勝手に荷物置きに使っている女子生徒たちを目にすると、「すまんが、返してやってやれよ」と一言声をかけた。少女たちは面倒そうにしながらも、戸塚に殴られて顔を腫らしている『曰くつき』のマコトを目にすると、怯えたようにその場から荷物を下ろした。
 「ほらよ」
 そう言って九頭龍に机を返してやる。九頭龍は普段異常におどおどとしながら
 「あ、ありがとうございますぅ」
 と聞いているほうが申し訳なくなるくらいありがたそうにいった。
 それから、二人の間に沈黙が流れる。九頭龍は居心地が悪そうに、どこか審判でも待つかのようにその場でじっと硬くなっている。マコトは腹をくくった。
 「なあ九頭龍。あのメールのことなんだが」
 「……は。はいぃ」
 「すまない。恋愛とか、俺はしたことないし、どうすればいいか分からない。色々考えたんだが……」
 マコトが言いよどむ。そして、九頭龍は一瞬、どこかほうけたような目をしてから、すぐに唇を結びなおしてその場を俯く。
 「そうですか」
 普段と逆だった。困惑するマコトに、九頭龍が察して、先回りをした。
 「すいません……その。ほんとうにめいわくでしたよね。ごめんなさい……一人で勝手に……」
 「い、いや。そんなんじゃないんだ。その……別におまえのことがいやだからとか、そうじゃないんだ」
 そうじゃないなら、なんだ? 言葉につまるマコトに、九頭龍はか細い声で
 「気を使わせてしまってほんとうにごめんなさい。だから、どうかその……」
 「ああ。……そうだな、今までどおりだ」
 マコトがどうにか笑顔でいうと、九頭龍は少しだけ安心したような顔で「はい」と言った。
 それでひとまず、話はおしまい。マコトはひそかに息を吐き出し、それから、周囲が好機染みた視線をこちらに向けるのに気付いて、「じゃあ」といってその場を離れる。そして自分の窓際の席に移動し、ぼんやりと窓を見る振りをした。
 すすり泣くような声が聞こえてくる。
 その場で身を硬くして、静かに、気付かれないように泣いている。ならば自分も気付くべきではないのだろうか。
 違う、傷付いているなら手を差し伸べればいい。差し伸べるべきだ。方法はいくらでもあったはずだ。分かっているのに、それができない。
 ……卑怯な臆病者だな、俺は。
 他人によって傷つけられているのであれば、いくらでも手を差し伸べるのに、自分が傷付けてしまった時は見てみぬ振りさえする。
 クラスメイトのさげすみ、はやし立てる声が聞こえてきた。

プロローグ5:殺意

 「夢咲くん……だよね? 何があったの? 美冬ちゃんと」
 そう、険しい声で話しかけてきたのは、忌野茜という女子生徒だった。
 日陰者のマコトでも名前を覚えているのは、彼女が学級委員に選ばれる優等生だからだ。校内で仰々しく『天才』などと呼称される嘉藤智弘という男子生徒に次いで成績が良く、教師からの信頼も厚い。何より彼女は、マコトにとっての多聞のように、九頭龍が僅かに気を許して会話を交わす数少ない女生徒だった。
 「まあな」
 特に取り繕うつもりもなくそう言った。しかし、隠すつもりがあるかということと、今その話をしたいかというのは別の話だ。
 「悪い。気になるなら、九頭龍のほうに聞いてくれないか?」
 そして慰めてやって欲しい。自分には絶対にできないことを彼女に代わりにやって欲しかった。
 「……あくまで噂なんだけどね。あなたが美冬ちゃんに酷いことして捨てた……みたいな風にいわれてるから。ちょっと確認をしに来たの」
 「そうかよ。ようするに疑ってるんだろうけど、じゃあ俺が否定してあんたは信じるのか?
 ……って話だ」
 「なんでそんな言い方をするの? 私はあなたを信じたくて来ただけなのに」
 綺麗な言葉面だが、どこかねばねばとしている。マコトは感じつつも、確かに大人気なかったと思い直して
 「すまない。あいつには何もしていない。信じてくれるかどうかはともかく、俺から言えるのはそれだけだ」
 「そう……」
 忌野は少しだけ疑いの晴れたような表情をする。しかし、やはり怪訝そうなのは変わりなく
 「じゃあどうして、あの子はあんなに泣いてたの?」
 「お節介だな」
 結局話さなければならないのか。面倒だという気持ちが強い。が、ここで沈黙すれば忌野の中で自分に対する邪推が育つだけだろう。相手がほんとうにどうでも良い人間ならともかく、忌野はまだ理性のある人間に見える。誤解されたままでいて欲しくない。
 「あいつにメールで告白された」
 忌野は特に驚くでもなく頷く。無論、薄く察しているはずだ。そう思ったから話したのだ。
 「気の毒だが、それを断った。……で、泣かせた」
 「何で断ったの?」
 純粋な興味のようでもあり、どこか責めるようでもある。そう感じるのは、マコト自身が後ろめたさを感じているからなのだろうが。
 「色々ある」
 そう答えてみて、これでは言い訳しているのと同じだと思いなおし、マコトはきっぱりといいなおした。
 「面倒だった」
 ごちゃごちゃと考えるのが。明確な恋愛感情を抱かないままで交際して、自分の気持ちに対して問答し、無用にいらいらするのが面倒だった。そもそも恋愛感情というものが分からなかった。
 などといっても、結局最終的にマコトにその選択をさせたのは、恋愛という事柄そのものに対する遠慮や怯えだったのかもしれない。ようするにマコトはガキだった。
 「そう……」
 忌野はそれ以上追求せずに、申し訳なさそうに押し黙ってから。
 「ごめんなさいね、お節介にこんなこと聞いてきて」
 「いやいいんだ。あんたは九頭龍が心配だったんだろ?」
 「……そうね。だけど、何もできないの。鵜久森さんたちは私のいうことなんて聞かないし……。この間、赤錆さんにきっぱり言われちゃったわ。『偽善者』って」
 俯いてそういう忌野の表情には、悔しさや悲しさがにじんでいた。皮肉屋の赤錆がいいそうなことだ。それは少なくとも忌野にとって正鵠を得ていたのだろうし、そういわれて堪えたということは、実際に忌野は少々ばかり偽善めいてもいるのかもしれない。
 「いやそれは違うだろ」
 だがマコトは言った。
 「あんたは九頭龍のことを気にかけて目をかけてやってる。そのこと自体が、たぶん九頭龍には救いになってるはずなんだ。だから無力ではないし、偽善なんてののしるのは筋が違う」
 そういうと、忌野は目を丸くしてマコトのほうを見て、唇を結んで息を吐いてからいった。
 「……ありがとう。ちょっと安心したわ」
 「何がだ?」
 「あなた、たまに美冬ちゃんと一緒にいるけど、どうなんだろうって思ってたの。良い噂は聞かないしね。申し訳ないけど、ひょっとしたらだまされてるんじゃないか、位に思ってた」
 「はっきり言うな」
 「ごめんなさい。けど安心したの。あなたがすごく優しそうでね」 
 そう言って忌野は笑いかける。
 なんだか理解者を得たようなそんな、都合の良い喜びを感じて、マコトは「そうかい」といってそっぽを向いた。
 ……偽善者。
 その言葉がなぜか、心に張り付いてはなれなくなったのだけれど。

 ☆

 九頭龍にはああいったものの、『今までどおり』などできるはずもない。結局、マコトは今日一日九頭龍と口を利かないままで過ごしてしまった。
 誰とも口を利かないままで一日を過ごし終え、ぼんやりとして席を立つ。クラスメイトたちの視線が集中したかと思うと、皆一様にそっぽを向いた。戸塚に殴られている写真はクラス全体に拡散されているはずで、誰も進んで手負いの獣に目を合わせようとはしないものだ。
 「おい多聞。ちょっとコンビニでここのメモにあるもん買って来いよ」
 もう一人の手負いの獣である戸塚は今日も元気だ。あれから手当てをしたのだろう、顔中にガーゼとシップが張られている。
 「えーっと。いいんすけど、ちょっと持ち合わせがないんすよねぇ。今月けっこー戸塚クンに頼まれて色々買ったじゃないすか。もうそろキツいっつか……」
 多聞がたどたどしく言う。怒り出すかと思ったが、戸塚は意外と冷静に
 「そうか。じゃあおい、『スイカ』」
 そう言われ、戸塚たちから離れた席で一人、写真集を眺めていた『スイカ』こと伊集院英雄がびくりとして、無意味に聞こえない振りなどし始めた。
 「おい聞いてるのか『スイカ』。金出せよ」
 まるまると太った体に汗をまとわせた伊集院からは、確かに『スイカ』のような水気をはらんだ臭気がするはずだ。戸塚は伊集院の目の前まで来ると、彼の呼んでいた写真集を取り上げて
 「なんだこれ? エロ本か?」
 クラスメイトがくすくすと笑う。伊集院はいやいやと首を振って
 「いいえ写真集なんですな。超絶実力派女子高生モデルであり、我が大天使、粕壁あおいの」
 独自のねっとりとした話し方で口にする伊集院。どちらにしても教室で読むものではないだろうに。
 「リアルは捨てたと思い込んでいた我輩ですが……んん~、彼女だけは特別なんですな。如何様に清楚に思えたアイドルでも、次々とスキャンダルの発覚する最近、『清純派』などという言葉はただただ空虚なものでしたが……。彼女は違いますぞ、どこをどう叩いても埃が出ない。まさに現代の大天使といえますぞ」
 「キモいっつの」
 戸塚は若干身を引いて言う。伊集院は「んん~」と独自の笑みを浮かべ
 「して戸塚殿。お金の無心であればノーサンキューなんですな。拙者、小遣いは全てソーシャルゲームに課金しておりますので」
 「っけ。そのなめた口を利かなきゃ少しは加減してやるんだが……」
 そう言って戸塚は伊集院の胸倉を掴みあげ、容赦なくその太った体躯を蹴り飛ばした。
 「んふっ!」
 そう言って肉団子のように転がる伊集院。大きな顔に見合う分厚い眼鏡がゆかに転がる。戸塚が一歩にじり寄ると、伊集院はへらへら笑いながら
 「ここ、これは失敬。逆らっても無駄ですな。ふー」
 と、怯えたように財布を出す。戸塚はそれを取り上げて、中身を全て多聞に渡した。結構な枚数の千円札だ。
 「釣りは取っとけ」 
 「は、はぁ。いいんすか」
 多聞は遠慮しながらそれを受け取って、伊集院に向けてへらへらした笑みを向けてから
 「へへ。戸塚クン最高っす。でもこうするなら、最初からコイツに買いに行かせりゃいいじゃないすか?」
 「こいつが買ってきたパンとかいちいち妙な臭いがすんだよ、なんか濡れてるしな。気味が悪いったら」
 一度、伊集院がパンを買いに行かされてた帰りに、パンを便器の中にくぐらせているのを見つけたことがある。パシリに使われることに対する報復のつもりなのだろう。陰湿な奴なのだろうとは思うが、こうした飄々とした態度を含めて、彼なりの抵抗なのだろう。
 だが結局、財布を出さされているところを見ると、やはりそれはむなしいものでしかないのだが。
 「んん……。今月の課金が……」
 丸くなって落ち込んでいる伊集院の表情に気の毒なものを感じつつも、マコトは立ったまま長居しすぎたことを感じて教室を出た。
 進学校といいつつも、いじめなんてものはどこにでもある。男子にも、女子にも。どこにでも強者と弱者がいて搾取は起こる。その事実を再認識させられ、マコトは酷く不愉快な気持ちになる。
 外に出るために、中庭を通りかかったときだった。
 「あたしは夢咲さん専用の腐れマンコです」
 頭から水をかぶったような、全身が冷え込むような感覚があった。マコトははじかれたように振り替えるしかない。
 「おっ。気付いた気付いた。ほらクズ、もう一度……」
 「あ、あたしは……夢咲さん専用の腐れマンコです」
 言わされるほうにも聞かされるほうにも、おおよそ最低といって良いその台詞。奴らだ、鵜久森たちが九頭龍にそれを言わせていた。「いいよいいよ」そうはやし立てる鵜久森の傍で、赤錆が愉快そうにけらけらと笑っている。化野だけは、少し面倒そうな表情で傍に座り込み、棒つきのキャンディを口に突っ込んでぼんやりとこちらを見つめていた。
 九頭龍は泣きながらマコトのほうを見た。羞恥と、それから不安にかられた表情で、マコトのほうを向いて停止する。今にもその場で崩れ落ちそうな真っ白な顔。泣きはらした目。握り締めた拳。
 過呼吸めいてその場で胸を抑える九頭龍の髪の毛を、鵜久森はひんづかんで見せて
 「ほらほら。愛しの夢咲が通りかかったんだから、ちゃんと思いを伝えなきゃだめじゃん。ほら、もう一回、もっと大きな声で言ってみよ」
 「や……やだぁ……」
 「ボコられたいの!」
 「ひぃ! あ、あた……あたしは……あ、あ」
 そして九頭龍は歯を食いしばって震える。下を向いて涙を流す。鵜久森は髪の毛を引っ張って「早くしろよ」と恫喝する。赤錆は笑う。まだ意見できそうな化野はどうでもよさそうだ。
 「あたしは夢咲さん専用の……」
 「ほら早く!」
 「あたしは……夢咲さん専用の……ううぅ」
 拳を強く握りこんでいる自分を意識する。腹の中が煮えくり返る。周囲からは嘲笑めいたささやき声が聞こえてくる。
 「おい……鵜久森」
 勤めて冷静に、マコトは言った。
 「あ? 何? どったの?」
 「やって良いことと悪いことが……」
 「何それ意味わかんない。アタシら別に、シャイなこの子のために、本音を言わせてあげてるだけなんだけど」
 そう言って笑う鵜久森に、赤錆が「そうそう」と追従した。化野は眠そうにしている。この女もまた、誰がどんな風に傷つこうとどうでもいいのだ。
 赤錆はあざけるように笑いながら
 「シゲちゃんからメール届いたよ。夢咲ぼこぼこじゃん、だっさーい。夢咲さー最近調子に乗ってたもんね。しょうがないよ、うん」
 シゲちゃん、というのは赤錆から戸塚への呼称だ。二人は交際していたはずだ。
 「お似合いじゃない? あんたとクズ、根暗同士でさ。あ、でもクズとヤルならフミちゃんにお金払ってね。こいつ、ワタシちゃんたちの所有物だから」
 そういって赤錆は鵜久森にこびるように「ねー」と笑いかける。女王蜂は満更でもなさそうに口元に笑みをたたえて九頭龍の頭を掴み
 「ほらクズ。もう一回言ってみようか」
 「え……その。ううぅ。ぅうう」
 「とっととしろ!」
 「あ、あたしは……」
 「やめろ!」
 マコトは自分でも驚く程大きな怒鳴り声を発し、鵜久森の胸倉を掴んだ。赤錆が息を飲み込む。化野もこれにはこちらを注目した。鵜久森は一瞬だけ、恐れるような表情を浮かべたが、すぐに澄ました顔に戻る。
 「へぇ? 怒った? あはは夢咲あんた怒った?」
 鵜久森はにやにやとしていう。マコトはそのまま鵜久森の胸元に力を込めて、壁に向かって突き放した。鵜久森は背中をしたたか打ち付けて痛そうな表情を浮かべたが、すぐに済ました顔になって
 「あはは。あんたみたいな根暗ちんこ欲しがるようなこんな淫乱のために、怒るんだ」
 「てめぇ……殺すぞ」
 ちょっとフミエその辺で……と赤錆が恐れたようにいって、マコトのほうをちらちらと一瞥する。それだけ今のマコトは殺意に満ちた表情を浮かべているのだろう。
 「殴りたい? 殴ったら? それであんた今度こそ退学だから。誰があんたに味方すると思う? あんたみたいなどうしようもない奴誰が擁護すると思う? 結局さ、あんたもクズも、ゴミなの。ゴキブリみたいに暗いところで寄り添って、誰にも同情されないまま叩き潰される害虫なの。殴ったら? そしたら思い知ることになるだけっしょ。ねぇ」
 どうして止めることができるだろう。確かにここでこの女を殴れば自分は退学になるかもしれないが、それが分かっていたとしても、理性の利かない状況というのは存在する。冷静な自分がやめるべきだとどんなに囁いても、自制の聞かないほど強い激情というのは確かにあるのだ。
 ……望みどおりに。
 マコトは振りかぶって鵜久森に殴りかかった。鵜久森は怯えた顔をして、しかし口元には笑みを浮かべて自分の顔を覆う。殴り殺してやろうと思った。後のことは知らない。とにかく目の前の女は死んでいい奴で、自分はこの女を殺してもいいのだ。現実的にどうであれ、マコトにとってそれは間違いのないことだった。
 「だ、だめですっ!」
 そう言って、柔らかいものがマコトの懐に全力で突っ込んで来た。しかし体格の差は歴然で、そいつはあっけなくマコトにはじき返されてその場で転がってしまう。
 気勢をそがれて、マコトは足元で倒れるその女を見る。九頭龍だ。九頭龍は泣きじゃくりながらマコトの足元に擦り寄ると、彼女にしては強い意志を秘めた表情で懇願するように言った。
 「殴っちゃだめですよぅ……。だって夢咲さんが退学に。夢咲さんがいなくなったらあたし……。だめですよ」
 マコトは気付いた。この女は身を挺して自分を守ったのだと。
 ひっく、ひっくとなき続ける九頭龍に、マコトはもう何もできなくなった。それを感じ取ったのだろう、鵜久森は吐き捨てるように
 「目障りなのよ。あんた」
 マコトのほうを睨むように言った。
 「この子はアタシらの友達なのね。いじめてるわけじゃなくて、こういうキャラなの。それをさ、あんたが勝手に突っかかってきて。こいつもなにを勘違いしたのかあんたになついて。うっとうしいったらありゃしない」
 どうしようもないほど捻じ曲がったその台詞に、マコトはもはやあっけに取られるしかない。
 「もうこの子に……アタシらに近づかないで!」
 わがままを言う子供のような、ヒステリックな声。マコトはなんとなく察する。鵜久森にとっては、九頭龍は自分たちだけのおもちゃで、マコトはそれを取り上げようとする邪魔な人間なのだろう。
 「フミエー」
 そう言って、化野がぼんやりと立ち上がって鵜久森に言った。
 「かえろ」
 その一言に、激情にかられたようにしていた鵜久森は、「うん」と子供のように小さくうなずいて
 「ほらクズ。行くよ」
 そう言って九頭龍を乱暴に立たせて連れて行く。自分と鵜久森を交互に見つめていた赤錆は、「ま、まってよフミちゃん!」とどたどた鵜久森の後ろを付いていった。
 連れて行かれる九頭龍に、マコトは、またも何もしてやれなかった

プロローグ6:誘い

 「こんにちはマコトくん。なんだか、むしゃくしゃしてるようだね」
 苛立った足取りで帰宅するマコトに、声をかけてくる少年がいた。嘉藤智弘、マコトのクラスメイトで、彼を名前で呼ぶ数少ない生徒の一人……だったが、別に交流があるというほどでもなかった。
 「嘉藤か」
 「そうそう、みんな大好き嘉藤だよ」
 「……」
 「サインあげようか?」
 「いや。いい」
 そう。といって微笑んで歩く嘉藤の全身からは、ほがらかなオーラが満ちている。こいつはいつだってどこかしら楽しそうにしている。誰に対しても人懐っこいが、誰とも親しくならない。ふと気付けば、虫けらを見るようにこちらを見ていることがある。そんな奴だと知っていた。
 何故日陰者のマコトがこの男のことを知っているのかというと、こいつが有名人だから。校内一位どころか、全国規模の模試でも上位の成績を持つ秀才。……だが、特に努力をしている姿が見受けられる訳もなく、戸塚やマコトですら授業に付いていこうと必死に聞いている間に、マイペースに漫画など読んで笑いを堪えていたりもする。
 「なんの用だ?」
 「用向きがなければ話しかけちゃいけないってことはないでしょ。クラスメイトなんだからさ。僕は、君だからこそ雑談の相手に選んだんだよ?」
 「悪いが今度にしてくれ」
 「あっそう。……じゃ、用件があるってことにしようか。マコトくん、最近、妙なメールが出回っているみたいなんだけど、知らない?」
 妙なメール? どうせつまらないチェーンメールの類だろうか。友達のいないマコトにそれが回ってくることはまあ、おそらくないのだろうが。
 「俺にだからこそその話をしたってことは、それはなんだ。俺に関わる内容なのか?」
 「いやいや。決して、マコトくんがネットいじめの対象にされているとか、そういうんじゃないんだ」
 「そうか」
 ならどうしてわざわざ自分にそんな話を持ちかけるのか。こいつなりの気まぐれだろうか?
 「核心から言うとさ。僕が知りたいのはその謎のメールが果たして、僕たち高校生の同士で出回っているものなのか、それとも別のメディアから僕たちに向かって送信されてくるものなのか……ということさ」
 「で? 俺に聞くことでその疑問の何が解決するんだよ」
 「君のメールアドレスを知っている人、クラスメイトの誰もいないよね?」
 ありていなその言い草に、マコトは苦笑してから
 「つまり、俺にもそのメールが届くようなら……それは高校生同士で出回っている悪戯メールではなく、どこか別のメディアから送られているという推理が可能な訳だ」
 「そういうこと。はいこれ」
 そう言って、嘉藤はマコトに向かって紙切れを一枚押し付けた。
 「なんだこれ?」
 「僕の電話番号。もし君にそれらしいアドレスが届いたら、教えてくれないかな? お礼はするよ」
 そう言ってにこやかに笑い、用件は済んだとばかりに背中を翻して
 「それじゃマコトくん。さよなら、おやすみ、また明日」
 妙な挨拶をして、スキップでも踏むようにその場を離れていった。
 「……そのメールの内容は、教えていってくれないんだな」
 マコトはそう独白した。

 ☆

 今をときめく高校生の皆さん。はじめまして、私は『LWCO』の波野なにもと申します。
 29歳熟れ熟れボディのお姉さんです。
 今回は皆さんにちょっとしたアルバイトのお誘いをしたく、このようなメッセージをお知らせしている次第でございます。
 報酬は100万円から12億円を予定しています。
 アルバイトの内容はちょっとした映像作品への出演です。十人ほどのプレイヤーに集まっていただき、楽しくレクリエーションをしてもらい、終了後帰宅していただきます。
 日程は7月3日の日曜日の零時より、早ければ三十分で終わりますし、長引いたとしても六時間ほどしかかからないでしょう。
 ようするに『怪しいビデオに出演してたんまり儲けようぜ』ということです。
 応募用件はありませんが、最低でも九人以上でいらしてください。お知り合い同士だと、なおいいでしょう。人数がそろわない場合報酬は支払われませんので、どうかご了承ください。
 参加いただける方は時間までに下記の住所へお集まりください。

 来た。……例の、『怪しげなメール』とやらが。
 なるほど確かにこれは怪しげである。それどころか、このメッセージの作成者自体が、この怪しげさ加減を自覚し、露悪している風ですらあった。
 マコトは退屈に思いながら、先ほど渡された嘉藤の番号に連絡をした。面倒だという気持ちもあったが、一方的ながら約束は約束だ。
 「やあ僕だよ」
 初めて電話をする相手にあっけらかんとそういう。マコトは「俺だ」とつぶやいて
 「来たぞ。例のメール」
 「おやマコトくんかい。来たんだ。あの十二億のバイトとかいう」
 嘉藤はおかしそうにしながら
 「そうなると、そのメールは僕たち高校生の間で流通しているちゃちな悪戯ではなく。なんらかの組織が、ネットワーク上に流出した僕たちのアドレスへ、勝手に送信しているものってことだ」
 「そうなんだろうけど……俺、自分のアドレスをネットのどこにもさらしたことはないはずなんだがな。登録してるサイトもないし、人に教えたことだって……」
 「ずっと前にもないの?」
 「高校に入ってから持たされた携帯電話だからな」
 持て余している感しかなかったのが正直なところだ。親に首輪でもつけられているような気分で、持っていて愉快なものでもない。
 「マコトくん。気味はハッカーと呼ばれる人たちが、どういう手段を持ってパスワードを突破して他人の媒体に侵入するか知ってるかい? とにかく考えられるパスワードを片っ端から入力していくんだ。するとどうだろう、数字のみ四桁のパスワードなら一万回、五桁なら十万回の試行で侵入が可能ということになってしまう」
 途方もない話に、マコトは「はあ?」とあっけに取られるしかない。
 「もちろん、時間のかかることだよね。四桁、五桁ならともかく。十桁や十一桁となると、気の遠くなるような時間がかかってしまう。でも……もし、一秒間に何十万回というパスワード入力を可能とするプログラムがあったら? それが複数あって、長時間起動させることが可能だとしたら? 相当厳重なセキュリティならともかく、いつかは突破されてしまうよね?」
 「……それと同じことを、メールアドレスで行ったということか? つまり、俺の携帯電話につながるまで、あらゆるアドレスに片っ端からメッセージを送信したと?」
 「そうだね。そのメールが君のアドレス一つを狙って送られたものだとは言わない。けれど、誰かしらのメールアドレスに届けばいいとして送られたものだとすれば、まずまず納得できるよね。何万通りというアドレスに闇雲にメールを送信すれば、いつか誰かのアドレスに行き着くんだから」
 「で……たまたま俺のアドレスに行き着いた、と」
 「そういうことなんじゃないかな。でもこれで、高校生同士の悪戯じゃないことははっきりしたでしょ。悪戯としては大規模だからね。実際に12億円が支払われるのかはともかく、このアルバイトが実在するかどうかはともかく、このメールに書かれている住所に人を集めたいという人物が存在するということは、間違いないんじゃないかな」
 しかしそれならば、ますます怪しい。マコトは思った。
 「それでさ。どう? マコトくんは、これに参加するのかい?」
 と、嘉藤から言われ、マコトは「いや」と即答し、それから
 「まさか、おまえは参加するつもりなのか?」
 「そうだけど」
 こともなげに答える嘉藤に、マコトは「は?」と目を丸くして
 「確かに怪しげだけどさ。だからこそ、おもしろいと思わない? 本当に12億が支払われるなんて思っちゃいない。けれどスリルと非日常は味わえる。そう思わない?」
 成績の良さと、本当の意味での賢さというのは、必ずしも一致しないようだ。本当の賢さというのが一体何を指すのかは分からなかったが、少なくともこんな怪しげなバイトに自分から参加するような人間を賢いとは、マコトは思わない。
 「ちなみに僕が参加すれば、九人の参加者はそろうことになっている。メンバーは全員クラスメイトさ」
 「……そうかよ。酔狂な連中だな」
 マコトには興味もない。
 「おまえのようなあからさまな変人はともかく、よくそこまで集まったな」
 「あはは、変人なんて。マコトくんには言われたくなかったなぁ」
 「そっくりそのままその言葉を返すよ」
 「でも確かに良く集まったと思うよね。けれど、一応、これだけの人数が集まったのには、根拠があるんだ」
 「それは?」
 「その『アルバイト』に参加して、九人で九百万円を持ち帰った高校生らが実在し、彼らの話を聞けたということだ」
 その話を聞いて、マコトは「へ?」と素っ頓狂な話を聞く。
 「鵜久森さんたちのグループが既に接触して話を聞いているそうだね。たまたま知り合いにいたそうだ。百万円も見せてもらったそうだよ。で、彼女らはすっかりその気でメンバー集めをしているんだけど……たまたまこのメールを受け取っていた僕は、喜んでそれに乗ったというわけさ」
 あのバカ共なら、愚かしくも『おいしい話』と思い込んで参加しても、確かにおかしくないように思われる。
 「まあ。俺はいやだけどな」
 短期間で大金が出るならそれにふさわしいリスクがある。それは間違いない。そしてリスクがどんなものか分からないままで尚大金を欲しがるほど、マコトは金銭に対して情熱を持ってはいない。
 「そうかい? まあ、気が変わったら参加してよ。当日その時間に、その住所にいさえすらばいいはずだからさ」
 「……」
 「もしかしたらの話だよ? そのアルバイトとやらに参加して、上手く立ち回れば……実際に十二億手に入れることも可能かもしれない。それだけあればなんだってできるよ? マコトくんもきっと、世の中に退屈している側の人間でしょう?」
 世の中に退屈している? 流石に『校内一の天才』は言うことが尊大だ。マコトは苦笑した。確かに世の中がおもしろいと思ったことは一度もない。おもしろいものがないから、何もする気がおきず、ただ自堕落に淘汰されて、漂っている。
 「ま。考えてみてよ。マコトくんみたいな人がいると、頼もしいからさ。それじゃあね。さようなら、おやすみ、また明日」
 そう言ってマイペースに電話が切られる。マコトはふんと息を吐き出してから、携帯電話を投げだして、家での時間のほぼ全てをそこで費やす部屋のベットに寝転んだ。
 マコトの部屋は八畳の空間で、中はだいたいマンガ本かゲーム機で散らかっている。そのどれもが余剰時間を潰すためのものであるが、つぶれた時間意外の『余剰でない』時間が何かというと、学校に通って授業をただやり過ごす時間なのだ。
 ……そんな生活を続けるくらいなら、いっそ奪12億という夢にでも浸って、そのバイトとやらに参加してみるか……? バカらしい。どこのどいつが送ったかもしれないこのメールに、踊らされてたまるか。
 ……どこのどいつ、どっかの誰か。……それはいったい?
 半ば眠りこけながら考えてみて……そしてふと、マコトは、ある可能性に行き着いて、目を開けて体を起こし、カレンダーを見る。
 今が七月一日の金曜日であることを確認する。……マコトは、悩んだ末にある決意を固めた。

一日目1:集結

 信じる理由を探すなら、それはあとで裏切られた時の言い訳になる。騙されてからじゃ遅いんだよ。 ……ハンドルネーム:0:00



 七月二日二十三時。マコトは、件のメールに書かれていた住所へと訪れていた。
 そこは古ぼけた港だった。既に使われていないらしく、どこにも灯らしい灯もなく、足元が真っ暗でいつ海に落ちるかも分からない恐ろしさがある。
 携帯電話の液晶の灯を利用しながら、マコトはその港にいるはずのクラスメイトたちの姿を探す。自分が最初だろうか、とそういう結論に達しようとしたとき、腐食して真っ赤になった金属ブロックに腰掛ける少女の姿を発見する。
 「ゆ、ゆ、夢咲さぁん? は、はっくしょん!」
 如何にもくしゃみをしているのだぞといわんばかりのくしゃみをする九頭龍を見て、マコトは自分の抱いていた疑念を確信へと変化させる。マコトは九頭龍のほうに近づいて、彼女を見下ろす形で「おまえもか」といった。
 「は……はぃい。その、鵜久森さんたちに言われて……っていうのもあるんですけど。少しお金が……」
 「金がいる? おまえがか? 何に使うんだ?」
 「…………」
 九頭龍はしばし黙り込んでから、罪を懺悔するかのごときか細い口調で言った。
 「……家のお金。お父さんの生命保険金とか、鵜久森さん達に言われて手をつけちゃったから……。その、立て替えなくちゃいけないんです」
 本人からカツアゲするだけに納まらず、その家の金まで要求する。マコトはそこで子供らしい義憤にかられて九頭龍に追及したくなるが、それはしない。見苦しいし、彼女を傷付けるだけだ。
 「そうか……。ところでおまえ、寒そうだけど大丈夫か? ……ひょっとして海に落ちでもしたか?」
 「は、ははは……はい。そうなんです……。ここ、暗いから」
 なんとなし九頭龍の服に触れると、確かにぐっしょりと濡れていた。
 「バカかおまえ」
 「ご、ごめんなさいぃ」
 「あいや。とにかくいったん家に帰ろうぜ。まだ一時間もあるんだしさ」
 「でで、でもぉ。鵜久森さんたちより早く来てないと、海に突き落とされちゃいますよぅ……。だから……」
 「大丈夫だ。俺が守ってやるから」
 マコトが言うと、九頭龍は息を吐き出してから
 「……いいんですか」
 と、蚊の鳴くような声で言う。
 「マコトさんにあたし……あんな酷いこと言ったのに。あんな困らせるようなこと言って、中庭であんなこと叫んで……恥ずかしい思いさせて。なんでそんな優しいんですか?」
 面倒臭い女だと常々思う。こいつはどうして、自分自身がどれだけ哀れで気の毒な人間かを理解できないのだろうか。マコトが彼女を気にかける理由は数あれ、根底にあるのは同情からだ。こんなにみすぼらしいのだから、哀れみを引き出すことを意識的にやれるようなあざとさがあれば、こいつももう少しマシだったかもしれないのに。
 「いいから来い。早くしろ」
 「は、はいぃ」
 「おまえが前行ってくれよ俺まだ道覚えてないんだから」
 「は、はいぃ。すいません!」
 それから九頭龍の家まで移動し、家の前で待機した。服を早急に着替えただけで出てきた彼女に「シャワー浴びて来い」と命令口調でいい、これも迅速に済ませてきた九頭龍を伴って再び港へ向かう。
 「カラスの行水だな」
 マコトは言った。マコトには姉がいるが、アレの入浴は正味一時間かかる。
 「ま、マコトさんを待たせるわけにはいきませんので」
 「そうかい。……ところでさ。例のアルバイトのメールなんだが……」
 そう言って、マコトは九頭龍のほうに視線を向け
 「あれ俺の携帯に転送したの、おまえだろ?」
 そういうと、九頭龍は目を丸くして……それから口をあわあわとさせながら後退る。
 「俺のアドレスとか知ってるのおまえだけだしな。それしか考えられん」
 「そ、それ、あたしのアドレスからでしたかぁ?」
 お、白を切るつもりか? だがそんな生意気なことできるはずがないことを知らしめてやる。
 「おまえ、携帯電話とは別に媒体があるんだろ。確か親父のパソコンでネットゲームしてたとか話してたよな? それだろ?」
 マコトが言うと……九頭龍はあわあわと数秒うろたえた後、観念したようにうなだれて
 「はい……ごめんなさい。あんなの送りつけて、その」
 「いやまあそれはいいんだけどさ……」
 「その……不安だったんです。そのアルバイトっていうのが。鵜久森さんたちもいますし……。だ、だから、そのメールを送れば、1パーセントくらいの確率でマコトさんも参加してくれないかなって……」
 そんなところだろうと思った。となると、あのメールはやはりチェーンメールだったということか……? 誰かから九頭龍に、九頭龍から自分に。
 匿名のまま送りつけるようなうじうじとした真似をするくらいなら、素直に頼みに来ればいいものを。それができないからこいつは今のような悲惨な状況にあるのだ。抵抗できる力があるか、助けを呼ぶ声を出せるなら、人は淘汰されずに踏ん張ることもできる。弱者で、かつ頼れるものがない人間ならばこそ、踏みにじられるのだ。
 「気にしなくていい。なんかあったら頼れ」
 マコトにできるのはそうきっぱりといってやることくらいだろう。九頭龍はうっとうしいくらいに「ありがとうございます」といって頭を下げた。
 港へ戻ると、そこには他の面子もちらほらと集まり始めていた。
 「ぷぶっふぉう! 相変わらず廃課金の連中のやることは荒いですな。しかし勝てません。特にこの『粘膜王女三世』、しばらく見ないのに課金ランキングトップを維持とは……。王女といいつつおそらくただのおっさんなんでしょうな。モンスターの性能でゴリ押してくるだけのゴミ共がいなければ、我のレートも少しはあがるというのに……」
 そう言ってスマートフォンを抱え込んでいる太った影は、誰であろう伊集院であった。
 「我も数少ない小遣いから課金して上手くやっていたのですが……。それもあのDQNに取り上げられてしまいました……。おまけにこんな怪しげなバイトに付き合うよう強要される始末……我、自分自身が気の毒になりますぞ」
 「おまえも参加するのか」
 マコトが唐突に利くと、伊集院はため息がちにうなずき
 「ええ。……ま、人数あわせというものでしょう」
 そう言って肩をすくめる伊集院。九頭龍が小さな声で「おんなじだ」と言った。
 「あれ。美冬ちゃん、それに夢咲くん。あなたたちも?」
 そう言って声をかけてくるのは忌野だった。九頭龍は「い、忌野さぁん?」と驚いたような声をあげている。意外な人物だ。
 「実は嘉藤くんに誘われててね……。彼が『大丈夫大丈夫、大丈夫じゃなかったとしても大丈夫だと思い込んで参加すれば大丈夫だよ。大丈夫かどうかは分からないけど大丈夫だから。僕今何回大丈夫って言ったかな? とにかくこれだけたくさん大丈夫っていうからには大丈夫大丈夫大丈夫!』って言うから、大丈夫かなって」
 「騙されてるぞ」
 「そうかしら……。まあ、分かってるわよ」
 そう言った忌野の表情には苦笑が浮かんでいた。しかしこの慎重そうな学級委員が、嘉藤に誘われたからといって参加するとは。どういう力学がそこに働いているのだろう。
 「こんばんはマコトくん。やっぱり来たんだね」
 そう言ったのは件の嘉藤だ。マコトは「よお」といって手を上げる。
 「君が来てくれてうれしいよ、誘った甲斐があったってものだ」
 「そういわれると照れるな」
 「いや、『最低』九人ってことだから多いのは問題ないし、逆に一人でも体調不良でいなくなればアウトだったから。余分はいるに越したことないんだよ」
 「そういう理由かよ。……まあいいか。他に誰が来るんだ? 確か、戸塚は来るって伊集院から聞いたが」
 ここにいる五人に、戸塚と鵜久森グループ三人。九人だとすれば、一人足りない。
 「ふふふ。オレのことを忘れちゃ困るぞー!」
 そう言って自転車をドリフトさせながら現れるのは、誰であろう多聞蛍雪である。こんな暗闇の中でそんなことをすれば誰かしらと接触するのは必至であり、間抜けな九頭龍にそれが命中する可能性がもっとも高いことも自明である。なので、髪の毛を引っ張って「えん!」どうにか回避させてやる。
 代わりに、コンクリートブロックの塊に腰掛けてソーシャルゲームをしていた伊集院に「うぬっぽう!」ぶちあたる。肉団子はぼよんぼよんと跳ねながら海に落ちる寸前まで転がるが、それを嘉藤が反対側に蹴り飛ばしたことで事なきを得た。
 「おっとわり、伊集院。……遅れてやってくるのは、このオレ、多聞蛍雪なのでした」
 そう言って親指を突きつけて笑う多聞。こいつもまあ、戸塚に付き合わされてきた口だろう。
 そのうちに、件の戸塚が腕に赤錆を絡めてやってくる。クラスで最も大柄な戸塚と、小柄な赤錆のカップルはそこにいるだけで目を引く。
 「おい桜。あんまりくっつくなよぉ、暑いだろうが」
 「だってぇ、シゲちゃん。ワタシこわい。暗いし、これからするバイトだってなんか怪しいもーん」
 「っけ。大丈夫だ、おれが守ってやるんだからよ」
 「ありがとー。シゲちゃん頼りになる。……ってあんた」
 アタマが痛くなりそうなやり取りをするカップルを、海に蹴り飛ばしてやろうかと準備していたマコトに気付き、赤錆はいやそうな顔で
 「夢咲あんたなんでいんのよ?」
 「俺にもメールが届いた。参加することに決めた。以上だ」
 赤錆はどうでもよさそうに「ふーん」というと
 「やめて欲しいんだけどなー。あんたがいるとフミちゃんの機嫌悪くなるし」
 「そうなのか。……そうだろうな」
 「付きまとうなって昨日言われたでしょ? どーしてうろちょろすんのー?」
 勝手だろ、そう言ってマコトは黙り込む。
 「邪魔するようなら、またこないだみたいにボコボコにするからな」
 戸塚が言った。赤錆がけらけら笑って「ワタシもみたーい。シゲちゃんが夢咲をボコボコにするところー」といってはやし立てた。
 そして最後に登場するのが、おそらくこの集団のリーダーであろう、鵜久森だ。一歩はなれた場所では、キャンディを加えた化野が、相変わらずどうでもよさそうな顔でぼんやりと付いてきている。
 「あれアタシたちが最後? クズもちゃんと遅刻せずに来てて関心ね」 
 「は、はいぃ」
 「はい、ありがとうございます、光栄です! くらい言えないの? 海に落とすよ?」
 「は、はいぃ! ありがとうございます、光栄です」
 「良くできましたー。って、あんた」
 そう言って鵜久森が視線をマコトに向ける。気付いたようだ。不愉快そうな表情をしながらこちらににじり寄ってこようとして、後ろから化野に手を引かれる。
 「アカリ」
 「今それ面倒くさい」
 化野は心底どうでもよさそうにそう言って、口の中にあるキャンディを鵜久森に差し出す。
 「いる?」
 「……それ食いくさし」
 「そっか。じゃ、別のにする?」
 「あー。んじゃそうして」
 「ん」
 「ハッカ味以外ね。あんたアタシに飴くれるときいつもハッカじゃん」
 「ばれてた?」
 「確信犯かよ!」
 二人の息のあったやりとりに、赤錆がどうにか追従しようと「きゃははーん」と笑ってみせる。それからいつもの三人の輪になろうと入っていく赤錆から、取り残された戸塚は近くの多聞や伊集院などの子分たちに声をかけ始めた。
 ともかくこれで十人そろったはず。時間はもう二十四時十分前。そろそろ向こうからアプローチがあるはずだ。
 マコトはぼんやりと海を見ながら待ち続けた。相変わらず伊集院は戸塚に蹴りまわされていて、多聞がそれを苦笑しながら止めずに見ている。鵜久森たち三人組は談笑しながら、思い出したように九頭龍をいじめていた。嘉藤がからかうように忌野に接するのに、彼女が満更でもなさそうなのは、新発見の人間関係だったが。
 「おそろいですね」
 そう言って……現れたすらりとした人物がいた。
 皆の注目が集まる。そこにいたのは、近所のどこのものでもないセーラー服を着た、やけに見栄えのする少女だった。服装については、アルバイトということで一応正装をしてきたマコトたちと、そこは何も変わらないといえる。
 丸くて小さな顔をしている。少し細身だがスタイルは良く、すらりとした体にへそのあたりまでの長髪を下げていた。涼しげで清楚な顔立ちによどみのない笑顔を浮かべていて、やわらかな声でこう切り出す。
 「わたしは前園はるかと申します。とある地域で高校生をしています。皆さんと同じくアルバイトの参加者で、途中まで皆さんを引率する役割を任されています。どうぞ、よろしくお願いしますね」
 そう言って、自分たちと同じ高校生とは思えないほど瀟洒にアタマを下げる。九頭龍が「綺麗な人……」とつぶやいたのが分かった。
 しかし、ただの『綺麗な女』というだけならば、ここまで彼女が自分たちの視線を独占することはないはずだろう。
 「そして」
 前園が切り出す。そう、その女が異端なのには、もう一つ理由がある。
 前園は、自分が押していた車椅子に腰掛ける人形めいた男を手で指した。蒼白な老人のような顔のそれは、しかし良く見れば自分らと同世代の人間だと分かる。焦点の合わない両目を見開いて、口を半開きのままで死体のように表情を動かさないそいつは、廃人めいて見えた。
 「こちらが桑名くん。桑名零時くん。こちらも皆さんと同じくレクリエーションに参加することになっています」
 こともなげに紹介した前園に、誰も口を挟むことができない。ここまで当たり前にされると、詳しく追求することが難しくなってしまうのだ。
 「誰、その男の子? 君のペット?」
 しかし、その中でも自分のペースを崩さない人間というのはいる。嘉藤は興味を引かれたように桑名の近くまで行き、その廃人のような表情をじっと眺める。
 「恋人です」
 前園はこともなげに言った。一同が悄然とする。
 「へえ。でもさ、車椅子ってことは歩行が満足じゃないわけじゃない? そのアルバイトっていうのは、車椅子で寝たまんまできるものなの?」
 「できますよ」
 前園はくすりと微笑んでから、やんわりと嘉藤の前に手を差し出す。
 「質問は受け付けますが、レクリエーションの説明は、これからやってくる船の中で行われるそうです。そちらで詳しく教えてくれますよ」
 「船……」
 マコトは鸚鵡返しに言った。
 「今、質問は受け付けるって言ったよな? その……百万だか十二億だかってのは、本当に手に入るものなんすか?」
 多聞が言うと、前園はにっこりと微笑んで
 「ええ。皆さんの選択次第で」
 「オレらの選択?」
 「大金ですから、当然ぽんと十二億が渡されることはありませんが……。下限の百万円についてだけは基本的にノーリスクで持ち帰れるルールになってますよ。あなたたちがそれを選択すれば、ということにはなりますが……基本的に報酬は支払われるといただいて大丈夫そうです」
 「他人事みたいな言い方っすね」
 「わたしも立場的には皆さんと一緒ですからね。リピーターだから、先導役を頼まれているというだけで。条件は一緒です」
 「ってことは」
 マコトは言う。
 「あんたは前回、収入をちゃんと得られたんだな」
 「そうですよ」
 前園は微笑んで
 「もう来てます」
 そう言って、前園が手を差し出した先には……
 闇を覆いつくすような巨大で荘厳な、古ぼけた港には見合わぬほど豪華で巨大な客船だった。

一日目2:選択

 小さな港に狭そうに浮かぶ船から橋おろされる。前園の先導に従って、客船の中に一人ずつ乗り込んでいくのに、マコトも続いた。
 入り組んだ廊下を進み、レクリエーションの会場だという部屋に通される。天井の高い開放感のある空間で、広さは学校の教室ほどだろうか。ふかふかのソファがいくつか配置され、壁際にはドリンクバーのようなものもある。隅には小さな冷蔵庫が置かれていて、中にはアイスクリームなど小腹を満たすのに最適な食べ物が突っ込まれていた。
 高い天井にある豪華な照明が、部屋船体をオレンジ色の光に包んでいる。本が読めるぎりぎりという程度の明るさだ。
 「ここがメイン会場になります。あそこにあるのが」
 そう言って前園が指差した先にあったのは室内でもひときわ目立つ時計だった。零時から九時までの四分の三は太陽の絵の描かれて明るい色彩になっており、残りは月のイラストで闇色だ。『昼』と『夜』を表しているのだと、一目見て分かる。
 「ゲームに使用する時計です。イラストが何を意味しているのかも含めて、この後説明があると思います」
 「それを早くしてくれよ」
 戸塚がせっかちに言った。前園は穏やかに微笑んで
 「では、皆さんにはこれから個室に移動してもらいます。壁にそれぞれ、1番から15番までの扉があると思いますが……」
 ドリンクバーが設置されている以外の壁に、五つずつ、それらはあった。等間隔に並ぶ扉、以上のファクターではない。あの先に、個室とやらがあるのだろう。
 「今から扉の鍵を一人一つずつお配りします。今回は十二人なので三つ余りますね。番号が描いてあるはずなので、一致する扉に入っていただけば結構です。番号に優劣はないのでご安心を」
 なんとなく最初に鍵を受け取るのを遠慮する面々。この状況に気後れがあるのかもしれない。真っ先に動いたのは嘉藤で、マコトがそれに続く。最後は九頭龍だった。
 「ではそれぞれ対応する番号の部屋へ向かってください。みなさんとは、しばしのお別れとなります」
 そう言って、前園はにこにことマコトたちを促す。マコトは『2』と描かれた鍵を通すと、やけに長い回廊を通って『個室』とやらへ向かった。
 あれだけ狭い間隔で扉が配置されていたので当然といえるが、『個室』までの道のりはそれなりに長かった。だいたい、三畳くらいのその空間にあったのは、マイクの設置された机に椅子、メモ帳とペン、それに、壁一面の大きなモニター。
 『説明』とやらはこのモニターから行われると見て、まず間違いなさそうだ。マコトは椅子に腰掛けて、モニターに光がともるのを待った。

 ☆

 「皆様はじめまして。わたくし、ゲームマスターを勤めます『LWCO』の波野なにもと申します。以後、お見知りおきを」
 そう言って画面上に姿を現した人物を表現するのに、巨乳のバニーガールという以外の表現をマコトは思いつけなかった。柔和な表情を浮かべた瀟洒な雰囲気の女性で、マコトより十歳かそこらは年上に見える。
 「皆様はそれぞれ個室に移動して、この映像をごらんになっているところだと思います。そして、この映像が始まった瞬間から、あなた方のアルバイトが開始されています。あなた方は今、部屋中のあちこちに設置された小型のカメラによって撮影されていることを、ここにお伝えいたします」
 カメラらしきものは見当たらないが……しかしこのバニーガールが言うからにはそうなのだろう。確かアルバイトの内容は、映像作品への出演だったはず。おそらく、これから始まるレクリエーションゲームとやらの内容が、その映像作品とやらになるのだろう。
 最低百万も支払うからには……おそらくふつうの内容ではあるまい。マコトは覚悟を決めて相手の出方を伺った。
 「さて……それではまず最初に、皆様の意思確認をいたします。
 これから皆様にしていただくレクリエーションゲームは、怪我をする可能性も伴う、やや危険なものです」
 抑揚のない声。マコトは、ほら来た、とそんな風に思った。
 「お察しのこととは思いますが、これから始まるゲームおよび、映像作品は合法によるものではありません。ご参加いただけるのであれば我々としてはありがたいことですが、皆様が乗り気でなければそうも行かない。
 それなりの報酬は用意しますが、それでも皆様に闘志がなければ意味はありません。今回このゲームを成立させるには、最低四人の参加の意思表示が必要です」
 抑揚のない声で言うバニーガール。マコトとしては胡散臭さしか感じない。
 ふと思いついて、マコトは部屋の出入り口に手をかけてみる。この部屋を逃げ出そうとする意思表示……。
 監視カメラで見られているのであれば、何らかの警告があるのではないかと思ったが、それすらなかった。そもそも扉には鍵がかかっていて外に出られないのである。やはりな、マコトは思った。閉じ込められている。
 「ゲームに参加され、勝利者となった場合の賞金は、最低でも一億五千万円としています。ですがその代わり、敗北者の身柄はわたくし達『LWCO』のものとなり、身の安全は保障されません。そのことを考慮してゲームへの参加を検討ください」
 頬を冷や汗が伝う。悪い予感が的中してきたのを感じた。身柄を引き渡す、身の安全は保障されない。不穏な単語だ、不穏すぎる。
 「それでは……それを考慮したうえで皆様の意思を聞きたいと思います。以下の三つの選択肢よりお選びください。
 『1』か『2』の選択肢を選ばれた方が合計四名以上いた場合のみ、ゲームは開始されます。
マイクの下にあるボタンで決定してください」
 画面に選択肢が表示される。

 1:『ノーマルモードB』でゲーム参加を希望する。その賞金は四億円。
 2:『ハードモード』でゲーム参加を希望する。その賞金は十二億円。
 3:ゲームへの参加を拒否する。

 「『ノーマルモードB』の枠は三つ、『ハードモード』の枠は一つとなっています。人数が多すぎた場合は抽選を行いますので、必ずしも希望が適う訳ではないのをあらかじめご了承ください。ただし、『1』を選んだのに『ハードモード』が選択された、などのように、希望より高い難易度でのプレイを要求することはありません。安心ください。
 また、『3』を選ばれたとしても、確実にゲームを回避できる訳ではありません。もしも『1』か『2』の選択者が四名以上いてゲームが開始された場合、同じようにゲームに参加していただきます。『3』選択者および『1』『2』選択者の中で抽選にあぶれたものは、賞金一億五千万円の『ノーマルモードA』での参加となります。
 ゲームが開始されなかった場合の処置ですが、皆様には報酬の百万円を受け取ってお帰りいただくことになります。この報酬は、みなさんが今日起きたことを黙秘することに対して支払われます。そのこともどうかご理解ください」
 胡乱な言い回しだがはっきりと『百万円は口止め料』と言っている。これを九人以上が選ぶことができれば、ゲームは実行されず金だけ受け取って帰ることができる。そうなったら、今日のことは忘れて元の退屈な毎日に戻ればいいのだ。
 しかしマコトは、少し邪な感情にかられもする。
 そのゲームとやらはなにをするのか? おそらく参加者同士の潰し合いということなのだろう。大金を賭けたゲーム……という字面から漂う魔力に、マコトは一瞬、引き込まれそうになる。
 一億五千万。四億。十二億。
 そもそもが、落ちこぼれのマコトには生涯大金を手にする機会など、おおよそ訪れないのだ。テレビをつければ就職難がどうの不景気がどうのブラック起業がどうの、高校生のマコトから将来への希望を奪うことこの上ない。このままだらだら生きていても大成する望みがないのなら、どこかでチャンスを掴まなければならないはずだ。
 そのチャンスというのは……ひょっとして今、マコトの目の前にあるのではないか?
 ……十二億あってみろ、なんでもできるぞ? 自分に過度な期待を向け、一方的に教育を施す両親からも逃れられる。金持ちになったら欲しいと空想していたもの、皆手に入る。起業をしたっていい、自分の力を大いに試して、名誉だって手に入れられる。いや、それだけ大金を抱え込めば『一生遊んで暮らす』という空虚な言葉すら現実になる。
 そこまで考えて……マコトは首を振り、ボタンを操作して『3』を選択した。
 身の安全は保障されない』状況に身を置いて戦ってまで、大金を欲しようとは思わない臆病さが、主な要因である。マコトはその程度の人間で、その程度の器だった。そしてそれは、たいていの人間にとって同じだといえる。そう、たいていの人間にとって。
 しばし沈黙する。同じように画面の向こうで沈黙を続けるバニーガールの審判が下されるまで、マコトは頭でも抱えたい気持ちでいた。
 「『1』選択者が三名、『2』選択者が一名。ゲーム開始の条件を満たしました」
 マコトはしばし顔を上げたまま動けなかった。いきなり放り込まれた非日常、たった一人の個室で味わう窒息するような恐怖感。
 一体誰が?
 四人が『戦い』を選択した。四人、十二人いて四人。ありえない。なぜそんな馬鹿なことを?
 ……等と思うのは、マコトの想像力が欠如しているからであろう。人が金を欲しがる理由などいくらでもあるし、ならばマコトの周囲の誰が金を欲しがっていようとおかしくはないはずだった。
 「それでは……これよりゲーム内容について説明をいたします。映像にて分かりやすくお伝えしますので、どうぞ、画面をごらんください」
 マコトは額に汗しながらもどうにか画面に目を向けた。こうなってしまっては、とにかく一切の情報を聞き逃す訳にはいかない。
 画面からバニーガールの姿がフェードアウトする。そしてその次に現れた妙に愉快なフォントで書かれた文字は、マコトにとって機知のものだった。
 『汝は人狼なりや?』
 それが今回マコトが参加するゲームの名前……聞いたことがある。確か、そう、九頭龍が言っていた。過去に彼女がネット上でプレイしたことのあるゲームと、同じ名前だ。
 「皆様には孤立した小村の村人となっていただき、そこに紛れ込んだ数名の『人狼』を排除していただきます。『ノーマルモードB』を選ばれた方々が『人狼』役。『ノーマルモードA』を選ばれた方たちが『村人』役……そして、『ハードモード』を選ばれた方には、『妖狐』の役をしていただきます。
 今回のゲームは十二人で行います。これからゲームの内容をお伝えしますので、メモを取りながら映像をごらんください」

 ☆

 『人狼ゲーム講座1:概要』
 青々とした木々を背景に、無機質なフォントが表示された。カメラは木々を掻き分けて山の中の小村らしき建物郡の中へと入っていく。そこには、何人かの二足歩行のウサギたちが生息して、服を着て道具を使って生活している。
 「あなた方は山奥の小村で生活を営む村人です。皆で平和に暮らしていたのですが……ある時村人を食べる『人狼』というのが紛れ込みました。彼らは昼間は人間の姿をして『村人』たちにまぎれているのですが、夜になると正体を現して、一人ずつ村人たちを食べてしまうのです。
 少しずつ数を減らしていく村人たち。しかし彼らは一計を案じました。それは昼間のうちに誰が『人狼』だと疑わしいのかを村人同士で議論して、怪しいものを処刑してしまおうという、危険なものでした」
 ここまで九頭龍から聞いた『人狼ゲーム』の説明と同じだ。間違いないといっていいだろう、これから行われるのは、彼女から聞いたあのゲームだ。
 「無実のものが何人も犠牲になりますが、村が全滅しないためには仕方がありません。脅威は人狼だけではありませんでした。邪な術を使う『妖狐』という存在が、村に紛れ込んだのです。
 彼らは村人と人狼の戦いを見物し、どちらかが全滅したところで、弱ったもう片方を労せずに支配して村を手に入れてしまおうという目的を持っていました」
 ……この『妖狐』という存在については、九頭龍から聞いた中に入っていない。『人狼』にも『村人』にも組しない、第三勢力。
 「さて。これからゲームの流れを説明いたします。
 最初の『夜パート』に、一人の村人が襲われるところからゲームが始まります。一人減った十一人で『昼パート』が開始。誰が怪しいかを議論していただきます。そして議論が尽くされた後で『投票パート』。実際に『投票』を行い、最も怪しいものが『処刑』されて脱落。再び『夜パート』となり『人狼』はもう一人村人を襲う機会を得ます」
 画面上に分かりやすい流れが表示される。

 『夜パート』人狼が一人村人を襲う。
 ↓
 『昼パート』村人が議論をして人狼を探す。最後の投票で、最多得票の人物が処刑される。
 ↓
 『夜パート』人狼が村人を襲う。

 「これを繰り返して、『人狼』が全滅すれば村人陣営の勝利、『人間(狂人含む)』と『人狼』の数が同数になれば人狼陣営の勝利となります。ですが、どちらかが勝利条件を満たした時点で、『妖狐』が生存していた場合は『妖狐』の勝利となってしまうのでご注意ください」
 ようするに、村人陣営は、まず『妖狐』を処分した後に『人狼』を全滅させることを要求されるということだ。マコトは理解した。
 「なお、細くとなりますが。『投票』の結果、二人の人物が同数票を獲得してしまった場合は、再度投票が行われます。基本的に決着がつくまで投票を続けてもらいますが、『ある特定の状況』が発生して票が絶対に動かない事態となった場合のみ、ゲーム自体を引き分けとして処理します。これはめったに起こらないことですので、基本的にはきにしなくて大丈夫です
 では次に『役職』について説明いたします」
 そこでもう一度、画面が切り替わる。

 『2:役職』

 「このゲームには『人狼』や『村人』をはじめとするいくつかの『配役』が登場します。それについて紹介をしていきましょう」
 画面いっぱいに、何体かの兎のアイコンが表示される。兎の体に狼の頭を持つキメラ、片方の右をそぎ落とし渦巻く目をしたイカれ兎、兎の体に兎の尻尾をつけたキメラ、つば長帽子と水晶玉を身に着けた兎、黒装束に数珠を持った兎、猟銃を抱えた兎、そして、何の変哲もない白兎。
 「まずは人狼陣営に所属する役職者から紹介します。
 『人狼』夜パートごとに、仲間の人狼以外の参加者一人を襲撃して殺害する能力を持ちます。
 『狂人』何の能力も持ちませんが、人狼と勝利条件を共有する仲間です」
 キメラとイカれ兎が表示される。『狂人』は……村の住人でありながら人狼に組する裏切り者というところだろうか。人間でありながら村人の全滅を目指す、まさに『狂人』
 「次に村人陣営に所属する役職者です。
 『占い師』夜パートごとに村人一人を占って、『人狼』かどうかを知ることができます。
 『霊能者』投票で処刑した人物が『人狼』かどうかを知ることができます。
 『狩人』夜パートごとに村人一人を護衛します。護衛された村人は人狼の襲撃を逃れます。
 『村人』何の能力も持たない、ただの村人です」
 水晶玉の兎、数珠の兎、猟銃を持った兎、ただの白兎が表示される。
 「最後に妖狐陣営に所属する役職者ですが、これは一種類だけです。
 『妖狐』たとえ『人狼』に襲撃されても死亡しませんが、『占い師』に占われると死亡します」
 狐の尻尾を持った白兎が表示され、画面が切り替わった。
 「一度に全部覚えるのは難しいと思いますので、実際にプレイしながら覚えていただければ大丈夫です。ルールに関する質問なら受け付けています。
 今回のゲームは十二人で行います。十二人の内訳は、『人狼』二人、『狂人』一人、『妖狐』一人、『占い師』一人、『霊能者』一人、『狩人』一人、『村人』五人です。選択された難易度に合わせて、それぞれ役職についてもらいます」
 『1』を選んだ『ノーマルモードB』の参加者が人狼陣営、『2』を選んだ『ハードモード』の参加者が妖狐陣営、『3』を選んだ『ノーマルモードA』の参加者が村人陣営というところだろう。
 「補足ですが、一般的に、『人狼』陣営と『村人』陣営の勝率はそれぞれ五分五分とされ、『妖狐』が勝てる見込みは僅か一割ほどとされています。それぞれご健闘ください」
 そう言って画面が切り替わり、狼の頭を持つ兎たちによって全滅させられた白兎たちの映像が表示される。『人狼』たちは返り血を浴びながら、愉快に手を振りながら画面を遠ざかっていった。

 ☆

 「ゲームの説明は終了とさせていただきます」
 バニーガールが再び現れてにこやかに言った。
 「それでは、これからあなたに与えられえる役職を表示したいと思います。『人狼』を引かれた方同士は、そちらのマイクを使って相談を交わすことが可能ですので、戦略を練るのに是非ともご利用ください。
 また『人狼』の方は毎晩『襲撃』の操作を行っていただくことになりますが、今夜に限っては、その対象は『妖狐』以外からこちらでランダムに選ばせていただきます。また『狩人』による護衛に限り、次回以降の『夜パート』からとなります。『占い師』の方は初日から占いの操作をしていただきますので、個別にその操作をご説明いたします」
 初日の夜に犠牲者が出て、二日目の朝に発見されるところからゲームがスタートするのだ。いきなり護衛成功や、妖狐の襲撃による『死体なし』が発生してしまう訳にいかないのは当然といえる。
 マコトが画面を見ると、そこには大きく『あなたの役職は……「村人」です!!!』と表示されていた。無駄に数の多いエクストラメーションマークが実に不愉快だ。
 『占い師』などの重要な役職を引かなかったことに安心すべきか……それとも、自分以外のぼんくらにそれが渡ることを危惧すべきか。クラスメイトたちの中には役に立ちそうなのも、そうでないものもいる。そして……『1』『2』を選択し、敵となったものも、確かに存在するのだ。
 クラスメイト同士の潰し合い……通常なら仲間と戦うことには困惑が付きまとうはずだ。そういう意味ではマコトは楽なほうだろう。何せ彼は教室で常に孤立していた存在だ。誰が敵であっても、それと戦うことで精神的に痛むことはない。
 そう思った時、頭の中に、一瞬。
 あの時の九頭龍の泣き顔が浮かんで、どんなに努力しても取り消すことができなかった。

 ☆

 「二日目の朝が来ました。『桑名零時』さんが無残な姿で発見されました」
 無機質なアナウンスが響き渡る。その聞き覚えのある名前に、マコトははっとする。確か、前園という女が押す車椅子に乗っていた、あの廃人のような男だったはずだ。
 画面のほうを見ると、そこには腕の辺りから大きく出血している桑名の姿がある。凄惨な姿に目を背けたくなるが、しかしマコトは戦うためにその姿を凝視した。何かに噛まれている……それは相当に口の大きな生き物だ。相当に獰猛な、肉食の生き物だ。
 「説明に不足があったことをお詫び申し上げます」
 浪野の声がした。
 「基本的に、このゲームは途中で『襲撃』や『処刑』によって脱落したプレイヤーも、所属する陣営が勝ちさえすれば生存者と同じように『勝者』となります。
 しかしそのままでは投票や襲撃に緊張感が生じなくなり、映像作品としての価値は大幅に減退することになります。なので、『襲撃』および『処刑』によって脱落した人物には、それぞれ死なない程度のペナルティが与えられることとなっております。あらかじめご了承ください」
 『襲撃』のペナルティが『これ』だというのだろう。どう見ても、犬か……『狼』のような生き物に桑名は襲われている。食いちぎられてこそいないが、相当な痛みと恐怖を味わったことは想像に難くない。あくまで『死なない程度』ということか。マコトは息を飲み込む。
 「ちなみに彼を襲ったのは猟犬の一種です。少し前まではこちらのミスで死亡させてしまったりということもありましたが、しかし今回ゲーム全体の指揮を執るのは『ダダ甘』と揶揄されがちな優しいこのわたくしです。程ほどで切り上げさせているのでご安心ください」
 と、浪野はアテにならないことを言って
 「なお、『処刑』の場合のペナルティは『首吊り』です。といっても実際に死ぬまで首を絞める訳ではなく、意識を失ったあたりですぐにやめるようにしていますのでご安心ください。どんなに運が悪くても少々脳に障害を負っていただく程度……わたくしが実行する場合はたいていは無傷で済みます。……『たいてい』は」
 そう、くすりと微笑んだ。
 「ではこれから桑名さんにはわたくし達が責任を持って手当てをいたしますので……どうぞ、落ち着いたものから部屋を出られてください。扉はもう開くようになっているはずです」
 これで……『全てがどっきり』などという甘い可能性も完全に費えたことになる。犯罪に巻き込まれたことが必至であった以上、そういう現実逃避的な楽観はしていなかったとは言え……しかし応えるものがある。
 「議論時間には限りがありますので、どうかお急ぎください。それでは健闘をお祈りします」

二日目1:占い師

 愚か者は疑わなくていい、ただ淘汰しろ。弱者から殺し、残った人間で議論しろ。 ……ハンドルネーム:ニャルラトテップ



 夢咲マコト(ユメサキマコト)
 嘉藤智弘(カトウトモヒロ)
 多聞蛍雪(タモンケイセツ)
 戸塚茂(トヅカシゲル)
 伊集院英雄(イジュウインヒデオ)
 桑名零時(クワナレイジ) × 一日目:襲撃死
 九頭龍美冬(クズリュウミフユ)
 鵜久森文江(ウグモリフミエ)
 化野あかり(アダシノアカリ)
 赤錆桜(アカサビサクラ)
 忌野茜(イマシノアカネ)
 前園はるか(マエゾノハルカ)

 残り11/12人

 人狼2狂人1妖狐1占い師1霊能者1狩人1村人5 
 

 ☆

 「ゆゆゆ、夢咲さぁん! ごめんなさいぃい」
 まことがゲーム会場に入って来るなり、九頭龍がそう言って泣きながら必死の形相で近づいてきた。
 「う、うおぅ……。いきなりなんだよ」
 「だってだって! ごめんなさいぃい……。あ、あたしがあんなメールを夢咲さんに回した所為で……こんなことに巻き込んで。その……」
 半狂乱で泣きじゃくるそいつをなだめるのが、面倒くさくてしょうがないマコトだった。コレは、本当に自分が他人に迷惑をかけることに敏感だ。嫌われる要因を減らそうと謝りまくるあまり、余計に面倒くさがられるという悪循環を有している難儀な女なのだ。
 「落ち着けよ。メールを転送したのはおまえだが、参加を決めたのは俺だ」
 「で……でもぉ。あたしのためなんですよね……参加してくださったのって」
 「それもあるけどさ……」
 「だったらやっぱりあたしの所為じゃないですか。ふぇええん!」
 「だーも。マジでおまえ面倒くさいわ」
 などと……結局普段どおりのやり取りをする二人に、後ろから声をかけてきた女がいた。
 「女の子を泣かせてはいけませんよ。夢咲さん」
 前園だった。どこか妖艶な表情を浮かべてこちらを覗き込むその顔は、どこか底知れない。
 「あのなぁ……。あんたは知らないんだろうが、こいつはこういう面倒な奴で……」
 マコトが言うと、九頭龍はぺこぺこアタマをたてに振って
 「そうなんですぅ……あたしいっつもそうで……。しょうがないのに泣いて、その所為で余計面倒がられて……」
 「一つアドバイスをしましょう。良かったら参考にしてください。その男の子はとても優しいので何度泣いても相手にしてくれますが、しかし通常、女性の泣き顔の持つ効力は回数と共に劣化していくものです。ですから代わりに、何度使用しても劣化しない別のチャームを使いましょう。『これ』です」
 そう言って、前園は花の咲くようにふわりと微笑む。マコトと九頭龍、二人の視線が同時に釘付けにされ、息を飲み込んでしまうような愛らしい笑顔だった。 
 「『これ』は常に浮かべているからこそ価値が増して行きます。真面目な話をするとき以外は、常にこの表情を心がけるくらいでちょうどいいでしょう」
 さて……と前園はすぐに真面目な表情に戻って
 「そろそろ来ますね」
 彼女がそうつぶやくように言うと……それぞれの扉が開いて、中からゲームの参加者たちがぞろぞろと集まってきた。
 『襲撃』された桑名を覗く十一人……この中に、自分たち『村人陣営』を全滅させようとする『敵』が混ざっている。マコトはそのことを改めて認識し……意図的に九頭龍から距離をとって何食わぬ顔でソファに腰掛けた。九頭龍も、何かを察したのか俯いたまま、拳を握って着席する。
 「全員かしら」
 そう言って鵜久森がいらいらとした表情で全体を見回る。
 「で? 覚悟はできてるんでしょうね……。『1』『2』の選択者は。どういうことをしたのか分かってるの? 『騙しあい』? 『ゲーム』? 『大金』? くだらねー。そんなもののためになんで戦わなくちゃいけないの?」
 「……言えてるし」
 赤錆が同調する。
 「早く出てきてよ。『1』『2』を選んだ奴……。そして今すぐ土下座して」
 「土下座して謝ったら許すわけ? 違うでしょ。ばっちり『処刑』して村人陣営の勝ちにして、敵は置いてけぼりでお金を持って帰るわけじゃない。出るわけないよ」
 そう言って額に中指を突きつけるのは嘉藤だ。嘲ったような視線に、赤錆はむっとして押し黙る。
 「なに今の? あんたが『人狼』とか『妖狐』で、ばかばかしいから名乗り出ませんよって言ってるように聞こえるんだけど?」
 「そう。そういうのが重要なわけだ。お互いに疑いあって探り合っていれば議論が生まれる。議論は必ず敵陣営たちをあぶりだす……そして僕たち『正義』こそが、最終的な勝者となるのさ!」
 そう言って両手を掲げる嘉藤。これには、マコトもあっけに取られた。
 「『敵』陣営……なぁ。そ、その……気になるんだけどさ、マジにいるのかよその『敵』っていうのは? なんだっけ? 『人狼』とか『狂人』とか『妖狐』とかってのは」
 多聞が震えた声で言う。気丈を装ってはいるが、表情は完全に引きつっている。
 「いるに決まってんだろ。クソどもが」
 そう言って戸塚は敵意に満ちた視線をマコトの方に向ける。
 「ま。どうせこんなゲーム、積極的にやりたがる奴なんて……知れてるけどな」
 「なんだ? 俺だって言いたいのか?」
 「覚えがあるじゃえか。だいたいよ、オレたちはずっと付き合ってきたクラスメイトな訳だ。仲間なんだよ。このくそったれたバイトにも一緒に参加した。だけどおまえはなんだ? いつも一人でうじうじしてやがって、このバイトにも一人でのこのこやってきやがってよ」
 「言えてる」
 赤錆が追従する。
 「友達同士で殺しあうはずないもんね。じゃああんたじゃんさ、敵」
 「ははは」
 マコトはあざけるように笑ってやった。
 「俺だけは仲間はずれ。仲間同士で殺しあうわけがないんだから、仲間じゃない俺が犯人ってか。バカじゃねぇのか? そんなくだらない考えで敵を決め付けるなんて、まともに考える気があるとは思えないな」
 そういうと、戸塚は額に青筋を浮かべ、マコトの胸倉を掴む。
 「笑ってねぇで白状しろよ」
 「おまえこそ。本気で誰が怪しいか考えてゲームに勝つ気があるのかよ? 負けたらどうなるかわからないんだぞ? 殺されたっておかしくないってのに。自分以外誰が死んでもいいから、適当に目ぇつけて誘導かけてるだけじゃねぇのか?」
 実際……マコトのその疑いは本心だった。戸塚がいくら粗暴な人間でも、本当に身の危険を感じているのなら、自分との確執だなんて今は忘れるはずだ。それを……まるで普段どおりに自分を悪者にしようと因縁をつける戸塚に、違和感を覚えたのだった。
 「いちゃもんつけんなよ、おい?」
 「図星じゃねぇのか?」
 「はぁ?」
 そう言って拳を振りかぶる戸塚だったが、静止の声が響き渡る。
 「やめてください!」
 前園だった。焦燥感に満ちたその表情は、先ほどの笑顔とはかけ離れている。息を飲み込んで、額に汗しながら自分たちの間に入るその姿は、生き残りのために戦おうとする真剣な村人そのものだ。
 「今はそんな不毛ないい争いをしている場合ではありません。時間は限られています」
 「ふーん。くっそまじめー。でーも、どーするわけ?」
 化野が眠そうに言って、咥えていた棒付きキャンディを口から離す。
 「どーせ名乗りでないんでしょー。人狼陣営も、妖狐もさー。面倒くさー」
 「確か……このゲームの私たちの勝利条件は……『妖狐』を処分した後で、『人狼』を処刑でゼロにすることだったわよね」
 忌野が確認するように言う。「たしかねー」化野は眠そうに
 「『狂人』は放置でいいんだよねー。『人狼』が全滅すれば『勝ち』なんだからー、じゃーこれ何のためにいるんだろ。『人狼』とやり取りもできないんでしょー?」
 『狂人』、村人と同じくなにの能力も持たないが、人狼陣営に所属する裏切り者。『人狼』と『狂人』同士が互いを認識する方法については聞かされなかったので、互いに誰が仲間なのかすら分かっていないはずだ。その状況から、狂人は一体なにをしてくるというのか……。
 「ま。議論を進めていけば分かってくるんじゃない。とにかく……これはゲームなんだ。こちらに有利なギミックも当然用意されている。『占い師』とか『霊能者』とかね。それを利用していこうじゃないか」
 嘉藤が楽しそうに言う。その余裕のある口調に、一同はいぶかしげな表情を浮かべながらも……ぽつぽつと建設的に意見し始めた。
 「んん~。『占い師』はカミングアウト以外ありえませんな。既に一回、夜パートの間に『占い』行動を行っているはずです。その結果を発表するのが妥当ではないですかな?」
 そう言ったのは伊集院だ。もっともな意見に思える。
 『占い師』おそらくこれが、村人陣営にとってもっとも重要なファクターだ。『夜パート』のうちに全員から一人に『占い』をし、対象が『人狼』か否かを占う。『妖狐』が占われればそれを殺すこともできる。
 しかし『妖狐』を占って殺すというのは、どういうことなのだろうか? 『妖』という字が入るくらいなのだから、『占術』のような神聖な力に弱い、という解釈が妥当かもしれない。いずれにしても、村人陣営の攻撃力はほぼ、人狼を特定し妖狐を殺すこの役職に依存すると見て間違いない。
 「それはどうかしら。だって『占い師』ってすごく大事な役割でしょ? うかつに出たら、『人狼』に『襲撃』っていうのされちゃうんじゃないかしら。それって大損害だよね」
 忌野が反対する。
 「あー。それ言えてる。そこからいうと、迂闊に『占い師』に出ろって言った伊集院は怪しいんじゃない? とっとと『占い師』を殺したいように見えるんだけど。成果が出るまで潜らせておくべきじゃね?」
 鵜久森が言った。赤錆が「フミちゃんの言うとおりだよ」といって
 「手土産もなく出てきて『襲撃』されて死んだんじゃ、何のためにいるのかわかんない。せめて、一人は『人狼』を見つけるか……『妖狐』を占って殺すかしてから出てもらわないとね」
 言われてみるとそのとおりか……と、マコトは思いかけたか、そこで伊集院が声を張り上げた。
 「『占い師』潜伏なぞありえませんぞ。あのですね、皆さんは『狩人』のことをお忘れではないですかな! むしろ、このまま『占い師』を出さないまま『投票』に移ったら、誤って『占い師』を『処刑』してしまうリスクすら発生するんですぞ。総合的にロジックすれば、『占い師』はカミングアウトしかありえない」
 マコトははっとする。耳障りな話し方だが、言ってることは悪くない。……というか、おおよそ正論であるように思えた。
 『狩人』というのは確か、夜の間に一人を選んで『護衛』し、『人狼』の襲撃から逃れさせるという役職だったはずだ。これに守られている人物が『襲撃』された場合、その『襲撃』は『失敗』となり、翌日は犠牲者なしの朝を迎える。これは、露出した『占い師』を死なせないための役職なのではないか?
 「今日すぐに『占い師』にカミングアウトさせ、昨日の夜の分の『占い結果』を知らせてもらう。その上で『狩人』に護衛してもらう。これが妥当ですな」
 伊集院の意見は酷く納得できるものだ。鵜久森も「ああー」と渋い顔で納得をしめし
 「それでいい気がしてきたわ。デブの癖に冴えてるね」
 「ぷぶっふぉう。我輩、経験者ゆえ」
 その言葉に、マコトは「そうなのか?」と顔をあげる。
 「んん~。ほんの数十戦ばかりですが……まあ一般教養としてですな。このゲームは実際のところ……きわめて高度な情報処理を必要とする知的な……」
 「長くなるなら黙れ」
 戸塚がいった。「あ……ハイ」と伊集院は沈黙する。
 「意見がまとまったと見ていいですね」
 そう言って、穏やかな表情に少しだけ真剣さをはらませながら、前に出た存在がいた。
 「今の伊集院さんの意見はとても納得のできるものでした。ですので、わたしも安心して潜伏を解除します。……ご安心ください、初日の成果はちゃんと出てますよ。ただの幸運ですけどね」
 前園だ。この中で誰よりも『部外者』という言葉の似合うその一挙一動に、全員が注目する。
 「『占い師』をカミングアウトします」
 それから前園は『戸塚』のほうを見て、良く通る柔和な声で宣言する。
 「占い対象は『戸塚茂』さん。占い結果……『人狼』です。ここを今日の処刑先にしてください、お願いしますね」

 ☆

 全員の視線が、ぎこちなく戸塚のほうに向けられた。戸塚は焦燥感にあふれた表情をしながら、自身に注目する複数の瞳を見回す。それから額に汗して、油の切れたロボットの動きで前園のほうを向き直り、歯を軋ませるほどかみ締める。
 来る……とマコトは思った。
 「ふざけんなっ!」
 案の定、戸塚は怒鳴った。そして目を血走らせながら前園に掴みかかる。
 「てめぇ……ぶってんじゃねーぞ?」
 「はて。何のことでしょうか」
 前園はにこやかな笑みを崩さないまま
 「『霊能者』は今日は出ていただかなくてかまいません。今日の処刑先は既にこちらの戸塚さんで決定しています。どうぞ潜伏を続行し、明日戸塚くんの中身がなんだったかを皆さんに宣言してくださいね」
 ……『霊能者』処刑した対象が『人狼』だったか否かを判定することができる役職者。一見して『占い師』ほど重要度は高くなさそうに思える役職だが……。
 「んん~。これは妄信したいですな。私怨ではありますが戸塚殿にクロというのは印象がいい」
 伊集院が少しだけ上機嫌にいう。戸塚が「はぁ?」と目を血走らせ
 「何のつもりだ伊集院? 俺は『村人』だぞ?」
 「そ、そうはいっても戸塚クン……。『人狼』ってことは『敵』なんでしょ……? 悪いっすけどそれだったら……その。オレたちも自分の身がかわいいんで……」
 おずおずと多聞が言う。
 「へへへ……。戸塚くん、なんで『人狼』なんかなったんすか。しかもいきなり占われるなんて、運が悪かったっすねぇ……ははは。ちょっと気の毒ですけどすんませんね、いや」
 敵だと分かって、少し調子に乗ったことを言う多聞。戸塚の額に青筋が浮かぶ。
 「シゲちゃん人狼? ……そんな、シゲちゃんそんなの選んじゃう人だったの?」
 赤錆が目を丸くして言う。戸塚は「ちげぇ!」と感情的に叫び、そして
 「そこの前園って女が嘘ついてんだ。そうに決まってる」
 ……嘘? その言葉を聞いて、マコトはある可能性に思い至る。ここで前園が『占い師』として登場したが……本当にそれで終わりなのか?
 「いや……待て。確かにそういう可能性もある。なにも……本当に前園が『本物』占い師で、戸塚が『人狼』だと限った話じゃないだろう?」
 マコトがそういうと、多聞が「へ?」と目を丸くして
 「なにを言ってるんだよマコト? 『占い師』が『人狼』っていうなら『人狼』じゃねぇか?」
 「ええそのとおりよ。戸塚くんは『人狼』ではないわ」
 そう言って前に出てきた女がいる。忌野だ。
 「おまえ……もか?」
 「私『も』っていうのは違うわね。私こそが『占い師』よ……本物のね」
 忌野のその宣言に、村人たちの反応はそれぞれだった。理解を放棄して沈黙するもの、何か悟ったようにうなずくもの、混乱するもの。その全てを忌野は額に汗しながら見回して、そして。
 「占い対象、赤錆桜さん。結果『人間』。前園さんは偽者だから、戸塚くんは『人狼』じゃないわ」
 二人目の『占い師』の出現を、村人たちは困惑した表情で見守った。

二日目2:処刑

 「おーそういうことか。やっぱりな、それしかありえないよなぁ」
 と、戸塚が腕を組んでうんうんと、なにやら納得したようにうなずく。
 「え? シゲちゃん……どういうこと? なんで『占い師』が二人いるの? 一人しかいない役職者のはずでしょ?」
 赤錆が困惑して言う。それに答えたのは化野だった。
 「ふーん。つまりアレでしょ? 一人しかいない『占い師』を、『前園』と『忌野』の二人が宣言してる。つまりぃ……かたっぽ敵陣営の『偽者』ででたらめな結果を出してる……ってことなんじゃない。めんどくせー」
 「な、なるほど……。アカリ賢い」
 赤錆がそう言ってうなずいた。
 「そのとおりです。これは基本的に、『占い師』の出す結果にしたがって処刑先を選んでいたら勝てるゲームです。それを阻止するために敵陣営も行動してきます。……『偽者占い師』を出すことによって、ですね。それが忌野さんということです。」
 前園が丁寧な口調で説明する。
 「えーっと。……つまりどういうこと? 前園が『占い師』を名乗って戸塚を『人狼』と言ってるけど、忌野はそれは違って自分こそが『占い師』だと主張して、赤錆を『人間』と言ってる。忌野にとっては前園は敵陣営なんだけど、前園にとっては逆も然りで……」
 鵜久森が困惑したようにぶつぶつ言い始めた。「まとめるよ」嘉藤がニコニコ笑いながら、机の上にメモを取り出しててきぱきと現状を記入し始めた。

 ☆暫定占い師(どちらかは偽者)
 前園:戸塚●(人狼判定)
 忌野:赤錆○ (村人判定)

 処刑:
 襲撃:桑名

 「今現在こういう状況だ。ちなみに、お二人とも占い先を選んだ理由はなんなのかな? 参考までに訊いても良い?」
 「では」と先に前園が
 「初日の夜ですし、わたしは部外者でみなさんのことも良くよくは知らないので……単純に背が大きくて印象に残った戸塚さんを占いました。『クロ』を引けたのはラッキーかもしれません」
 次に忌野が。
 「……私も初日から占いたい先なんてなかったわ。赤錆さんを占ったのは……出席番号が一番だから、それくらいのことね。こんなことなら、知り合いじゃない、って前園さんを占っておくんだった」
 「ふーん。ま、なんにしてもだ。今日のところは、誰が処刑先として妥当なのかははっきりしているといえるね」
 そう言った嘉藤に、マコトは「そうなのか?」とたずねる。嘉藤は鷹揚にうなずいてから
 「ああ。前園さんと忌野さんのどっちが『本物』だとしても、今日は戸塚くんを処刑してもかまわない日だ」
 「ちょっと待て嘉藤。てめぇどういうつもりだよ?」
 戸塚が恫喝するように言う。忌野が胸の前で腕を組んで言った。
 「それはやめて欲しい。戸塚を処刑させないために、私は出たんだから。『偽者』の『クロ』なんて処刑してる場合じゃないはずなのよ」
 これに赤錆が追従し
 「そうよ。忌野が本物なら、シゲちゃんは別に処刑しなくてもいいはずじゃない。それなのにどっちが『本物』でもシゲちゃんを処刑していいってのはおかしい」
 言われ、嘉藤は一度ため息をついて見せて、額に中指を突きつけながら
 「あのねぇ。忌野さんや戸塚くんの立場なら、戸塚くんを処刑させたくないのも分かるよ。でもフラットの赤錆さんの視点じゃ、今日はどう考えても戸塚くん処刑の日でしょう?
 まず前園さんが『占い師』のパターン、これは簡単だよね。『人狼』で『敵』の戸塚くんは当然処刑していい。これ以上の説明はないね。
 で……忌野さんが『占い師』のパターンだけど……これだって別に戸塚くん処刑でかまわないんだ。忌野さん視点での戸塚くんは『人狼(クロ)』か『人間(シロ)』か分からない『グレー』でしかない。対抗占い師の『クロ』ってだけで、忌野さん視点でも戸塚くんが敵陣営である可能性はあるんだよ、それを一つ潰しておけるのは悪くはないはずさ」
 「いやそれおかしいって。忌野の視点に立って話をするなら、忌野にとって敵だと確定してる前園から処刑するべきでしょう?」
 赤錆が食い下がる。嘉藤はため息をついてから
 「で? 君はそれを実行できるわけ?」
 とたずねた。「へ……?」赤錆はそこで沈黙するしかない。
 「『本物』占い師を誤って『処刑』してしまうことは、村陣営にとって巨大なダメージのはずだよね? 今日いきなりどっちが『本物』占い師かを決め打って『処刑』なんて、リスクが大きすぎるんだよ。何か確信でもあるならともかくね」
 「そ、そうはいってもいつかはどっちか処刑しなきゃいけないじゃない……」
 赤錆が震えた声で言ったのに、嘉藤は首を振るって
 「そうだね。でもそれは今日じゃない。この村には今11人のメンバーがいるよね? これが『処刑』と『襲撃』で二人ずつ人数を減らしていくとして……11人から9人から7人から5人から3人から1人、今『から』って言った回数が『処刑』に使える回数だね。『処刑』のチャンスは五回あり、敵陣営の数は『人狼』二人に『狂人』と『妖狐』で四人だ。つまり最低一回は『お手つき』ができる。これを消化するまでは、『占い師』のきめ打ちなんて先延ばしにして、情報を増やしておくべきのはずなんだ」
 経験者もはだしのその情報処理に、マコトは舌を巻く。嘉藤はそこまで流暢に吐き出して、それから自分のこめかみに中指を突きつける。
 「僕はこのゲームをするのがはじめてだから、この辺のセオリーがどうなってるのかは知らないけど……まあ『まともなアタマ』で『ふつう』に考えたら、今日前園さんを処刑ってのはありえないって分かると思うよ?」
 「良い意見ですね」
 前園はにっこりと笑った。
 「そして現状、『占い師』を決め打つ情報を増やす手段が一つ存在しています。それは戸塚くんを『処刑』してしまうこと。戸塚くんを処刑すれば、『霊能者』の能力によって戸塚くんの中身が判別できますよね? 明日『霊能者』に出てきてもらって……その『霊能結果』が『人狼』と出たら? あるいは『人間』と出たら?」
 「もし『霊能者』が『人狼』といえば前園は本物っぽくなるし、『人間』なら偽者っぽくなる……ってこと?」
 白雉のような顔で言う赤錆に、前園はにっこりを「そのとおりです」といった。
 「……あー。なるほどね。今日はシゲちゃんを処刑したんでいい気がしてきた」
 赤錆がつぶやくように言う。「ちょっと……桜。なにいってんだおまえまでっ!」恋人の裏切りに、あせりに満ちた口調で戸塚が言う。それはほとんど、『わめく』ような無様な有様だった。
 そんなものだろう。マコトは思った。高校生同士の恋愛ごっこなど、『自分の身の危険』の前では容易く崩壊する。嘉藤と前園に丸め込まれた赤錆は、最早ゲームを合理的に進めるために戸塚を切り捨てることに躊躇がない。『処刑』された人間は死ぬ寸前まで首吊りにかけられ最悪脳に障害を負うという話を聞かされて、尚赤錆は仲間かもしれない戸塚の『処刑』を主張する。
 「……今日戸塚を処刑して明日『霊能者』の宣言を聞く……ってこと? でも、今夜『霊能者』が襲われちゃそれって意味なくなるよね?」
 鵜久森が言った。
 「だったらさ。『霊能者』を今日のうちに出しておいて、『狩人』に『護衛』っていうの? させといたらいいんじゃない? ほら、出てきてよ!」
 そう言って宣言を促す鵜久森に、「わ、わわわわ!」と困惑したように九頭龍が静止した。
 「ちょちょちょっと……。鵜久森さぁん……それはだめですよぅ」
 「あぁん? クズの癖に意見する気? 今夜『霊能者』が噛まれたらだめなんでしょ?」
 その怒鳴り声に、九頭龍は「ひ、ひぇえええ」と涙を流しつつ、「あの、えっと。ぐす、その」とたどたどしく
 「その、そのあのその……。死なせちゃダメなのが『霊能者』だけだったら……それでいいと思うんですけど……。でも、前園さんと忌野さんのどちらかは、『本物』の占い師な訳じゃないですかぁ……。もし『霊能者』を出させてそっちを護衛させたら、『人狼』は『占い師』を襲い放題になっちゃうんですよぅ……」
 「……あ」
 そう言って鵜久森は口元に手を当てる。正論だ。無用に『狩人』の護衛先候補を増やしてしまえば、それだけ『人狼』は役職者を狙いやすくなってしまう。『霊能者』に護衛が行けば『占い師』に、『占い師』に護衛が行けば『霊能者』に危険が及んでしまうのだ。
 「それと平行して……本当は今日忌野さんが『占い師』として出てくるのも……本当はあんまり良くはなかったと思うんです。
 その……だって今日の処刑先は忌野さんが出ようと出まいと、戸塚さんで決まっていた訳じゃないですか……。つまり、今日のところ忌野さんが誤って『処刑』されてしまうリスクはなかった。それなのに『占い師』なんかに名乗り出たら……、危険じゃないですかぁ」
 そういわれ、忌野が「う……」と一瞬沈黙し、それから釈明するように言った。
 「戸塚を助けられると思ったの。偽者の『クロ』判定先なんて村人陣営に決まってると考えた。それに、本物の『占い師』としては、『偽者』が出てるのに黙ってるわけにはいかないって」
 感情論的だがそれだけに理解ができる。忌野の立場で、『偽者』が出ている中で潜伏を続行するというのは、相当な自制心がなければできないはずだ。
 「んんん~。狂人や妖狐が『人狼』に『クロ』を出した可能性を考慮すれば、忌野殿視点でも戸塚殿が村人陣営だとは限らないんですな。フラットな『グレー』だったはずです、『助けるため』というのはやや違和感があるんですな」
 伊集院がねっとりとした口調で口にする。
 「我は素直に前園殿が『本物占い』、戸塚殿が『人狼』と読むんですぞ。忌野殿は前園殿から『狩人』の護衛を奪い取ろうとして出てきた『狂人』あたりでしかありえない」
 「狩人の護衛を奪い取る、っていうのは?」
 多聞が意味がわからないとばかりに尋ねる。伊集院は胸を張って
 「もしも前園殿しか『占い師』宣言者がいなければ、『狩人』は迷わず前園殿を護衛することができます。しかし忌野殿が出てきたことによって、『狩人』は前園殿と忌野殿、どちらを『護衛』するかの二択を強いられるようになるのですな。その間隙を突いて『人狼』が『本物占い』を『襲撃』するというタクティクス、これが忌野殿の狙いではないかと……」
 「ちょっと言いがかりが過ぎるわよ、伊集院くん。なんでそこまで断言できるのかしら? 何か見えてるの?」
 忌野がそう険のある声で言う。伊集院は「ふひひっ、経験者の勘なんですな」と卑屈な声を出して引き下がった。
 そのタイミングで前園が口を出す。
 「伊集院くんが村人陣営かどうかはともかくとして……。忌野さんが合理的に動く本物『占い師』なら、ここでのカミングアウトはありえない、というその意見は正しいです。
 『占い師』の一番の仕事は、自らが生存することで村に『占い結果』を伝えることです。それなのに、わたしという対抗がいて護衛がもらえるかどうかも不確かな状況で、『処刑』の心配もないのにわざわざ露呈していくなんて。『襲撃』に対する危惧がなさ過ぎるとは思いませんか?」
 酷く流暢な口調だ。そしてかなり説得力がある。自分の身を守ろうという気持ちが僅かでもあるならば、忌野はここでカミングアウトするはずがないのだ。
 「ここでカミングアウトできるということは……それは忌野さんが『襲撃』を心配しなくていい立場にいるということに他なりません。つまり、彼女自身が『人狼』であるとか、襲われても死なない『妖狐』である、などなどということです」
 「襲撃を心配せずカミングアウトしたのはあなたも一緒でしょ?」
 忌野が反論する。前園は「いいえ」ときっぱりとした声で
 「違います。わたしが宣言した時点では、まだ処刑先は決まっていませんでした。自身が処刑されるのを回避するには自ら名乗り出るのが最適でしたし……おまけにわたしは『クロ』を一つ引いてもいました。何も考えずにただ出ただけのあなたとは、何もかもが異なります」
 「……違う。私はただ……『偽者』が出たのに黙っていられなくて。それがふつうの思考のはずでしょう? そこまで考えて黙ってることなんてできないわよ」
 冷静な学級委員である彼女でも道理だ。前園や伊集院の言うことも一つの合理的な思考ではあるのだろうが、しかし忌野は忌野なりに最善を尽くしたのだ。
 ……いいや。違う。
 それは忌野が本物であった場合だ。どちらが本物であってもおかしくはない以上、どちらに感情移入することもあってはならない。勝利し生還するためには……感情は捨てて論理的な思考を積み重ねていかなければならない。
 「……なあ。二人の話を比べてどう思う?」
 マコトはたずねた。無意識に視線が向いていたのは、嘉藤のほうだった。
 「へ? 僕かい」
 嘉藤がすっとぼけた顔で言う。マコトには、こいつが一番冷静で、論理的であるように見える。いささか冷静すぎるのがどうにも気になるところではあったが……、しかし警戒するならばこそ、こいつがどう主張し、どんな立場を取るかを把握しておくことは重要だ。
 「ああ……どっちが本物の占い師だと思う?」
 いわれ、嘉藤は「うーん」と首を捻って
 「話の筋が通っているのは前園さんのほうだ。忌野さんがカミングアウトした理由は、あまりにも短絡的だね」
 「そうだよな。俺もそう思う」
 「けど……それを考慮にいれても、僕は忌野さんを本物よりに見たいと思ってるんだよね」
 その発言に、マコトは興味を引かれて「何故?」とたずねる。
 「前園さんはさ、かなり流暢に、しっかりと根拠を持って自分がカミングアウトをした理由を説明できているよね。『処刑されないこと』『占い結果を伝えて最適な処刑先を提示すること』『襲撃の危険性は狩人の護衛で軽減できること』などなど……」
 「それがどうかしたか?」
 「それにしてはカミングアウトが遅かったように思えるんだ。僕が前園さんの立場だったら、朝一番に『占い師だ』って言っちゃうね。それだけの理由を後からでも説明できるんだから。下手にカミングアウトを遅らせて騙り占い師から自分に『クロ』でも出されてみなよ。後から自分も占い師だなんていったところで、処刑先逃れにしか見てもらえない」
 「言ってることは理解できなくもないが……。じゃあ前園が偽者として、なんでわざわざ様子見をしたっていうんだよ?」
 「まずは全員の言動を確認して、『人狼』判定を出すにふさわしい人物を吟味していたとかどうだろうか? たとえばそう、前園さんが『狂人』だとする、すると彼女にとってもっとも最悪なのは仲間の『人狼』に『クロ』を出してしまうことだ。それを回避するために、『村人』っぽく見えるところを探していた……とかね。それにしては、戸塚くんがピカイチ村人に見えたかといわれれば……なんともいえないところだけれどさ」
 「ちょっと待って。さっきから饒舌なそいつに誘導されてるように思える」
 鵜久森がいらいらとした表情で言った。
 「さっきからべらべら喋ってなんなの? そうやってアタシたちを騙そうって寸法? 自分の都合の良いように議論を誘導した言って魂胆が見えてるんだけど? 黙っててくれない?」
 そういわれ、嘉藤はニコニコ笑いながら
 「ごめんごめん。うるさかったかな。まあ言いたいことは言い終えたし、かまわないよ。ほら、口チャック、っと」
 そう言って自分の口に指を這わせる動作をする。鵜久森は「……本当ウザい」と一言つぶやいて
 「クズ。あんたどう思う?」
 と、気まぐれのように視線を向けた。いきなり指名された九頭龍は、「あ、あたしですかぁ……?」と困惑した様子で。
 「そ。どっちが本物に見えるかとか……ろくなこといえなかったら裸で犬の真似してもらうからね。ほら、早く」
 「ひ、ひぇえええ……。その……あの……『占い師』なら、あたしは忌野さんが本物……じゃないかと思います」
 九頭龍はあわあわと口元を動かしながらなんとかそういいきった。鵜久森は「へえ」とうなずいてから「それどうしてよ?」と促す。
 「りり、理由とかは……ないんですけどその……。忌野さんには普段からお世話になってますから……その、あんまり嘘ついてるとか考えたくなくて……」
 「美冬ちゃん……」
 忌野が救われたような顔で言う。とどのつまり、理屈云々ではなく、人格的に信頼されたということになる。どんな場合であっても、自分の失敗や不合理を全てひっくるめて信頼してくれることは、嬉しいものだ。
 普段から忌野は、いじめられっこで孤立している九頭龍のことを何かときにかけていた。鵜久森グループに逆らえる力まではなかったので、それはあくまで『気にかける』レベルを脱してはいなかったが……しかし九頭龍にはちゃんと伝わっていたらしい。もっとも、忌野が偽者だとすれば、九頭龍はまさに間抜けなカモであるといえるが。
 「でもさー。それ感情だよねー」
 と、ダルそうに言ったのは化野だった。
 「そ……そうですね。根拠という根拠は、その……」
 指摘され、九頭龍はしょんぼりとして黙り込む。
 「そもそもさー。『クロ』判定って偽者が出すこと自体が厳しくねー? だって『クロ』処刑してー、『霊能者』が結果発表してー、『シロ』だったらその『占い師』破綻じゃん。返しに自分が処刑されてはいおしまい、でしょー?」
 化野の意見はもっともに聞こえる。しかし、九頭龍は「い、いえ」と
 「確かにそういうリスクはあります。……だから処刑されたくない『人狼』が『占い師』を騙るとして、いきなり『クロ』は出しづらい……んですけど。でも『狂人』は違いますよね、だって狂人の生存は人狼陣営の勝利条件に含まれていないんですから。テキトウな場所に『クロ』を出して、『霊能者』の結果で破綻して自分が処刑されるなら、むしろアドバンテージだと思うんです。村の『処刑』を二回消費させられてるわけですから……」
 「んん~。自滅覚悟の特攻という奴ですな。いわゆる狂人クロ特攻です」
 伊集院がニヤニヤといった。
 「ちなみにその狂人特攻が、仲間のはずの『人狼』にヒットしてしまうことを『狂人誤爆』と呼びます。これが起こったら『運が悪かった』とあきらめるしかないんですな。リスクのある戦術とはいえますが、成功した場合の自陣営への貢献度は低くないので人気の戦術ですぞ」
 「前園は偽としたら『狂人』で見るべき……ってことか? 確かに『人狼』はなさそうだが……じゃあ『妖狐』はどうだ?」 
 マコトは言う。『妖狐』、村人陣営にも人狼陣営にも属さぬ第三勢力。生存したまま、村か狼のどちらかの陣営が勝利すれば、自身が勝者になれる。襲撃されても死なないが、占われると死亡する。
 「は? マコトあんたバカ? 前園が『妖狐』とかフツーに考えて絶対ないっしょ。『妖狐』って、自分が生き残ればそれでオッケーって役職でしょ? でも一人しかいないから誰より保身に気を使わなきゃいけない。のにテキトウに『クロ』出すなんて、自殺しにいってるようなもんよ?」
 鵜久森が言う。「いえ、その……」と九頭龍はおずおずとした様子で
 「基本的にはそうですが。たまにそう考えない人もいて……その」
 「あ? どういうこと? なんか意見あんの?」
 「ひ、ひぃい。その……」
 「いいよ言って。なに?」
 「はは、はい……えっと」
 九頭龍は自分の中で言いたいことをまとめるためだろうか、「えっと、えっと」としばらく言いよどんでから
 「け、結論から言うと、『妖狐』の『特攻』は先方としてあります。だって、『人狼』と違って『妖狐』の特攻には『当たり』がありますよね……? 特攻した『人狼』は、仲間の狼に『クロ』でも出さない限り、翌日確実に『本物霊能者』との間で主張の食い違いが発生します。でも『妖狐』なら違います。だって、『妖狐』は運がよければ、『人狼』に『クロ』を出すことだってできるんですから。『霊能者』と結果が一致すれば、『妖狐』はかなり優位なポジションを得られますよね……」
 「でも運否天賦よね」
 鵜久森が言う。九頭龍は「はい」と俯いてから
 「……ですから、『特攻』を選ぶ妖狐は多くはないです。しかし、『妖狐』はもともとかなり不利な役職ですから……占われても死、吊られても死、仲間は誰もいない……いきなり博打を打ってくる人もすごくたまにいてですね……」
 「なんだか議論が白熱していますね」
 他人事のように言ったのは、誰であろう前園だった。
 「わたしが『偽占い師』だとすれば何者か、という議論でしたね。安心してください、わたしは『本物占い師』ですから。それは明日『霊能者』が証明しますよ」
 「おい……それって結局おれを処刑するってことかよ?」
 戸塚が声を張り上げる。
 「おかしいんじゃねぇのか? こんな部外者の言うこと信じておれを処刑なんて……なぁ。冷静に考えてみろよ、おまえら乗せられてんだよ。おれを処刑しようと誘導してた奴みんな『敵』だ」
 「いやぁ……そこを抑えてくださいよ戸塚クン。明日『霊能結果』で戸塚さんの潔白は証明されるんすから。へへへ」
 多聞がへらへらとしながら言った。戸塚はそんな多聞を殴り飛ばそうと、拳を振りかぶる。
 「この部屋での暴力は禁止だそうです。銃を持った怖いお兄さんに追いかけられちゃいますよ」
 そう言って前園が綺麗に微笑む。戸塚は忌々しげに拳を引っ込めて、それから一同を見回し
 「マジで処刑するのかおれを……。なあ、どうなんだ……桜」
 そう言って恋人のほうに視線を向ける戸塚。赤錆は気まずそうに視線を逸らして
 「ごめんねーシゲちゃん。ワタシできたら生き残りたいっていうかー、シゲちゃんのその態度もちょっと怪しいってのもあるし、そのー。きゃははーん、処刑されててくれる?」
 「こいつ……」
 憤怒に満ちた表情で恋人を覗き込む。赤錆はそっぽを剥き続ける。ここでポーズでも恋人をいたわる振りをしない分、赤錆は合理的な人間に程近いのだろう。
 「覚えとけよ……おまえら。クソ……クソぉおお!」
 そう言って悔しげに戸塚が慟哭したところで……時計の針が昼の限界まで進み、議論時間終了を遂げるベルが鳴った。

 ☆

 (0)夢咲マコト→戸塚茂
 (0)嘉藤智弘→戸塚茂
 (0)多聞蛍雪→戸塚茂
 (10)戸塚茂→前園はるか
 (0)伊集院英雄→戸塚茂
 (0)九頭龍美冬→戸塚茂
 (0)鵜久森文江→戸塚茂
 (0)化野あかり→戸塚茂
 (0)赤錆桜→戸塚茂
 (0)忌野茜→戸塚茂
 (1)前園はるか→戸塚茂

 『戸塚茂』さんは、村民協議の結果処刑されました。

二日目3:夜時間

 薄暗い部屋に、大柄な男が紙袋をかぶり、後ろ手を拘束された状態で立たされている。
 目の前にあったのは禍々しいオーラを放つ処刑台だった。十三階段を登った先の空間には、ゴトーと呼ばれる吊り縄がぶら下がっている。映画などでは何度か見た道具、何度か見た光景だった。実際に十三階段の前に立たされている男が、知り合いであるという点を除けば。
 背後から、銃を持った男たちが戸塚を階段の上へ登るように促しているのが分かる。流石の戸塚も、銃器を相手には従うしかないようだ。震える足取りで、時に振り返り、時に泣き喚くように首を振りながら、一歩一歩死の階段を上り詰めていく。
 階段の上には死しかないと分かっていても……登るのをやめることは戸塚にはできないのだ。紙袋をかぶせられて目の前には逃げ場のない闇しかない。死を遠ざけるにはその場でうずくまるくらいしか方法はないが、それをすれば周囲の男たちから容赦ない制裁があることは明らかだった。
 階段を一歩ずつ登り、そして当然の帰路として次に踏みしめる足場がなくなる。
 吊り縄が戸塚の首に通される。戸塚は首元に手を当てて暴れる。足場が観音開きに開かれる。暴れる戸塚の体が地面に向かって落下していき、限界まで伸びきったロープがもとの状態に戻ろうとして、戸塚の体を引っ張り上げながら縮み、ゆれる。
 そして物体の自然な運動として、戸塚の体はあっちこっちに振り回されて左右に揺れた。その頃にはもう、大柄なその肉体に、暴れるような力は残されていなかった。

 ☆

 ……犠牲者が出た。『処刑』のペナルティは死ぬ寸前までロープで首を絞められること。脳に血液が届かない時間が持続すれば、何らかのダメージを負ってしまうことは必至である。事故的に死亡してしまうリスクはきわめて低いとはされているが、それもどれだけ信用できるか分かったものではない。
 思えば……前園の連れていた『桑名零時』という車椅子の廃人は、この『処刑』の成れの果てだったのではないだろうか。マコトはふとそんな突拍子もない空想をする。前園はこのアルバイトの『リピーター』だと言っていた。桑名も同じくそうだとしたら? 彼が過去に『処刑』を経験してああなってしまったのだとしても……なんらおかしくはない。
 戸塚はろくでもない奴だったが、明日はわが身と考えると笑えなかった。医学的なことは分からないが、これだけ振り回されればふつうは首の骨が折れるのではないか……? これならまだ怪我の程度が想像できる『襲撃』のほうが、いくらかマシにさえ思える。

 しかし……いつまでもくよくよとしていては始まらないのも事実だった。生き残るためには、明日以降のことを考える必要がある。『人狼』の本質は論理的な考察を積み重ねて最適な処刑先を導き出す、情報処理のゲームだ。手持ちの情報を駆使して次の一手を予想しなければならない。
 マコトは現状をメモ帳にまとめ、自分なりに思いつくことを考えていった。

 ☆占い師
 前園:戸塚●
 グレー:マコト、嘉藤、多聞、伊集院、九頭龍、鵜久森、赤錆、化野。
 忌野:赤錆○
 グレー:マコト、嘉藤、多聞、伊集院、九頭龍、鵜久森、化野。

 処刑:戸塚
 襲撃:桑名

 『赤錆』を占った忌野よりも、前園の方が『人狼』候補である『グレー』の数が一つ多い。前園視点では戸塚で『人狼』が一つ処分できていて、対抗の忌野が『敵』、そして残る八人の『グレー』の中に二人の『敵陣営』が生存しているということになる。前園はおおよそこの中から一人を『占い』で調べてくるだろう。
 忌野視点では、戸塚の中身については確定した情報はない。『敵』が『クロ』を出した先と考えれば、少なくとも他のグレーよりは村人陣営である可能性が僅かに高いともいえる……のだろうか? となると忌野視点での『敵』は前園に一人と、七人いるグレーから三人。前園の中身は……『特攻』なら『狂人』濃厚、というところだろうか。
 この二人のどちらが『本物』であるかどうかは、明日『霊能者』のカミングアウトを聞ければはっきりすることではある。戸塚の『霊能結果』が『クロ』なら前園と一致、『シロ』ならば『霊能者』か前園のどちらかが嘘吐き……敵陣営で確定。
 問題は明日まで『霊能者』が生存しているかという一点か。今夜『霊能者』が教われるリスクはもちろん、忘れてはならない可能性だある。『初日襲撃犠牲者』である桑名零時、彼が『霊能者』であるケースだ。『襲撃』は全員に『配役』が配られた時点から、『人狼』と『妖狐』を除く全員からランダムで行われた。ランダムといいつつ、ろくに口も聞けない奴が意図的に選ばれた可能性は否めないが……ともかく、桑名が何らかの役職を抱えて死んだケースも想定しなければならない。今いる二人の『占い師』でさえ、一人は偽者であることは確定していても、一人は本物であるとは限らないのである。

 これについては祈るしかないというのが結論だ。とにかく、明日『霊能者』が名乗り出てくれることを祈ろう。マコトは思いながら机に突っ伏した。
 おそらく他の面子もこうしている。議論の濃密な緊張感は、村人のマコトに対してもなかなかハードだ。

二日目3:夜時間

 バカになることです。ただし、冷静でいてください。この二つが欺瞞する者の基本的な心得です。 ……ハンドルネーム:メアリー



 三日目:昼パート

 『赤錆桜』さんが無残な姿で発見されました。

 夢咲マコト
 嘉藤智弘
 多聞蛍雪
 戸塚茂 × 二日目:処刑死
 伊集院英雄
 桑名零時 × 一日目:襲撃死
 九頭龍美冬
 鵜久森文江
 化野あかり
 赤錆桜 × 二日目:襲撃死
 忌野茜
 前園はるか

 残り9/12人

 人狼2狂人1妖狐1占い師1霊能者1狩人1村人5 

 『三日目:昼パート』が開始されます。

 ☆

 赤錆が『襲撃』される映像は流れなかった。
 考えても見れば当然か。『処刑』はされる側も十分に予期してから行われることになるが、『襲撃』は突然に行われる。言いたいこと、伝えたいことを残してゲームから退場していくメンバーもいるはず。もし『襲撃』の映像が公開されるのであれば、たとえば指を立てていれば自分は『霊能者』、握っていれば『ただの村人』などという情報発信が行えてしまう。ゲーム性を維持するなら、『襲撃』はひっそりと行うべきなのだろう。
 マコトはすぐさま立ち上がって議論へ向かった。時間は無駄にはできないという意味、気持ちを奮い立たせるという意味がある。誰よりも早く会場にたどり着いて、入ってくる村人たちをつぶさに観察する……予定ではあった。
 「ゆ、夢咲さぁん! 『シロ』、『シロ』、『シロ』! 『シロ』でしたぁ!」
 会場に入ってきた夢咲に、興奮したように接近して腕を振りながら一生懸命訴えてくる女がいる。九頭龍だ。 
 「本物でした! やっぱり本物でした忌野さんは!」
 「ちょちょちょ……ちょっと待て。どういうつもりだ? 九頭龍。その『シロ』っていうのは……。まさかおまえのパンツの色の話じゃないんだろ?」
 言われ、九頭龍は顔を赤くしてから
 「そそ、そんなんじゃないですぅ。『霊能結果』です! 『霊能結果』!」
 ……なんだ。マコトは思った。コイツ『霊能者』だったのか。
 とにかくこれで一つ懸念は払拭できた。『霊能者』が死亡しているという可能性がだ。そして戸塚は『人狼』ではなかったということになり、前園はるかという『敵』の存在が露呈したわけだ。
 どおりで、鵜久森が『霊能者は出て来い』といった時、すぐに反論したのだと思った。実際に『霊能者』を持っている九頭龍としては、あそこで炙り出される訳にはいかなかったのだろう。基本的に鵜久森に意見などしない九頭龍も、そこは譲れないポイントだったということだ。
 「そうか。良かったよ」
 なら……九頭龍は味方陣営だ。そのことを考えると、ぼんやりとそんな言葉が出た。
 「は……はい? そそ、そうですね……忌野さんがちゃんと本物で……」
 「……ああ。そうだな」
 そう言ってマコトはそっぽを向く。九頭龍は「は、はいぃ。えへへへ」とうれしそうにニコニコとしていた。
 そうこうしているうちに、他のメンバーも続々と会場にそろっていく。三バカの一角を『襲撃』された鵜久森は見るにいらいらとしている。早くから来て二人で話をしていた九頭龍とマコトを見つけると、すかさず「『敵』同士の密談かしら?」と突っ込みを入れてきた。
 「そうじゃないんだ。なあ、九頭龍から一つ大事な話が……」
 「あん? 後にしてくれる? それより大事なことがあるでしょ。ほら『占い師』! 早く結果を教えてよ! 誰か『人狼』は見つけたかしら?」
 そう言って鵜久森は前園と忌野に視線を向ける。九頭龍は「あの、その」と声を出すタイミングを逸してまごまごとし始める。そうしているうちに、忌野が「分かったから」と焦ったような口調で言って
 「占い結果をカミングアウトするわ。占ったのは多聞くん。結果は『シロ』人間だったわ」
 「え? オレなん?」
 多聞が口元に手を当てて言う。
 「えー、以外だわ。『シロ』はいいんだけどさ、どうせなら嘉藤とか伊集院とか占って欲しかったぜ」
 確かに。経験者として強弁に振舞う伊集院や、メンバーの中でも随一の弁舌を誇る嘉藤といった位置は、敵だった時に厄介であるといえる。占っておいて損はなさそうだが……。
 「あなたがあんまり議論に参加してこなかったからね。目立たないようにして『処刑』をやり過ごしたいんじゃない? って思った。それに『偽者占い師』の前園さんの『クロ』、戸塚くんを処刑する流れにも早くに乗っかっていたから。怪しいなって」
 「あーなるほど。正直取り残されてただけなんだよ。疑わせちまったなら、その、すまなかったな」
 ばつが悪そうに多聞は言った。人のよさそうなこいつなら、上手く議論についていけなくても違和感はないか。
 「うーん? どうなん? あんたの信用を下げたっていうなら伊集院のほうがそうだし……そもそも多聞に『敵陣営』に回る度胸があるとはショージキ思えないんだけど。そんなとこ占う価値もない雑魚だと思わない?」
 鵜久森は言った。
 「失礼な奴だなっ! ……まあオレだって金が欲しくない訳じゃないけどよ……急に四億だの十二億だの言われてもビビるだけっていうのか……。100万でも十分大金だし、それ持って帰れるんならそっちでいいじゃんって……」
 「『村人アピール』でしょうか。わたし視点、多聞さんは対抗の『シロ』ですからもちろん信用はしませんよ」
 前園だ。
 「わたしの占い結果を発表しますね。対象は鵜久森さん。結果は『シロ』でした」
 「え? ……あ、ああ。アタシねぇ」
 胡散臭そうに、鵜久森は言う。
 「どう受け取っていいのかわかんないんだけど。『シロ』くれたからって本物とは限らないしさ。つかこれ忌野にも言えることなんだけど、アタシとか多聞じゃなくてもっとマシな占い先があったんじゃないの?」
 「そうは思いません。あなたを占えばもう一つ『クロ』が引ける公算が高いと見て占いました。その攻撃的な態度が理由です。
 鵜久森さんは皆さんの中で、もっとも別の誰かに突っかかる動きが多い。『占い師』を宣言させようとした伊集院くんを疑ったり、嘉藤さんの意見を途中でシャットアウトして『誘導的だ』と攻撃したり。疑うこと自体はこのゲームに必要なことですが、しかし見境のなさというか、誰を敵に仕立て上げても良いのではないかと思わされる言動が目立ちます。
 そして一番気になったのが、昨日わたしが戸塚くんに『クロ』を出した後の段階で、『霊能者』を出せ、という発言をしたことです。これは『狩人』の護衛先を『霊能者』に向け、その間に『占い師』であるわたしを『襲撃』してしまおうという狙いがあるのではないか、と疑いました」
 「長いー、眠いー。三行くらいでおねがーい」
 化野がぼんやりとした表情で言う。前園はにっこりと笑って
 「態度に余裕がありません。
 さほど怪しくもない人物を無用に攻撃し敵に仕立て上げようとしています。
 不要に『霊能者』のカミングアウトを促し『狩人』の護衛先をぶらそうとしました。
 以上です。まあ『シロ』でしたけどね」
 「へーん」
 そう言って化野はキャンディの棒をぺろりと吐き出して、次のキャンディを口に放り込む。
 「ぷぷっぽう。濃密で良い占い理由なのですな。これはいよいよ前園殿を本物で見たくなってまいりましたぞ」
 伊集院がそう言って腕を組み、眼鏡を押し上げ
 「ではお待ちかね……『霊能者』の宣言を聞くしかありえない! それで『クロ』なら前園殿はほぼ本物で見て確定ですぞ!」
 「そうだよ! 『霊能者』だ!」
 多聞がそこで思い出したように声を張り上げた。
 「戸塚の奴は本当に『人狼』だったのかよ? それを早く教えろよ! なんで今まで黙ってやがんだ」
 「あのー。ちょっといいですかぁ」
 九頭龍がおずおずと手を上げる。しかし鵜久森はそれに気付かないまま、九頭龍の三倍の声量と強い言い方で
 「つか遅くない『霊能者』? 朝一番に出てくるのがフツーじゃないの? もう死んでる、とかいわないわよね?」
 「だからおまえは人の話を聞けよ。さっきから……」
 マコトはたまりかねて言う。「あん?」と鵜久森は目線を向けて
 「なに。あんた『霊能者』なわけ?」
 「それは違うけどよ、いいか……」
 「なら黙れって。もういい? いないってことでいいんだよね! 霊能者! ひょっとしてサクラがそうだった? あーもーなにやってんのよ、だから昨日のうちに出して護衛させとけって……」
 「え、えっと……。わ……わぁあああああああああああ!」
 そう言って、九頭龍はこれまで聞いたことのない大声で突然に叫び始めた。すくみ上がるマコト、「なんだよ」といぶかしむ村人たち。鵜久森がいらだたしげに
 「なによクズ! びっくりさせんじゃないって。ふざけてんの?」
 「ご、ごめんなさぁい。……こ、こうでもしないと話聞いてもらえそうになくて……その」
 そう言って人差し指同士をこすり合わせる九頭龍。これには流石に、普段目立たぬ彼女も皆の注目を得たようだ。不器用で危なっかしいやり方だが、まあとにかくなんとかなった。
 「……あ、あたしが『霊能者』ですぅ。戸塚さんは『シロ』、人間でした。前園さんは『偽者』でぇ……」
 「あん? ちょっとこれどうなって……。ああ、えっと。うん、そうだったのね」
 鵜久森はうんうんと意味深にうなずいて
 「所詮部外者は部外者ってことか。『占い師』騙りお疲れ様ー。今日の処刑あんただから」
 「……これはちょっと意外ですね」
 前園は唇を結んで言う。その瞳は冷静で、自分と食い違う結果を出す『霊能者』にも、まるで動じているようには見えない。
 「『本物霊能者』が生きているならすぐに出てください。戸塚さんと忌野さんで二人『敵』が露呈しているのに、さらにもう一人『霊能者』にも騙りを追加してくるなんて意外です」
 「鵜久森さんを占うのは良いセンスだと思ったんだけど、やっぱりライン切れちゃうか。ま、僕は昨日の時点で前園さんを偽者じゃないかと思ってたから、特に意外でもないけどね」
 嘉藤が飄々としていった。
 「『人狼』が『クロ』で特攻してくるってのは非合理的、『妖狐』がやるのもリスキーなのには変わりない。すると、前園さんの中身としては『狂人』が一番濃厚ってことになるのかな」
 「そうだと思うぞ。『狂人』の処刑は村の勝利条件と無関係だったよな。そう見るなら、前園は無理に処刑しなくてもいいってことになるのか?」
 マコトは言う。九頭龍は「い、いえ……」といって
 「『敵』は確定ですけど、かといって中身までは推測することしかできませんし……。このまま『処刑』するしかないんじゃないでしょうか。……それに、『狂人』だとしても、下手に残したらパワープレイの危険がありますし」
 「パワープレイ?」
 「ええその……。人狼陣営が公に村人を処刑することをさす言葉で……たとえば三人が残っていて、『人狼』『狂人』『村人』となったとします。人狼陣営の勝利条件は『人間と人狼の数が同数になる』ことですから……『人狼』はあと一人の『村人』を殺すため、『狂人』に指令を出すんですね。投票を合わせて『村人』を処刑しようと……」
 本来村人が『人狼』を倒すための手段である『処刑』を、人数で上回る人狼陣営が乗っ取ってしまう。なるほど確かに恐ろしい……そしてそのための頭数となる『狂人』は、可能なら処刑するのに越したことはないということか。
 九頭龍はうなずいて
 「ですから……今日は中身に関わらず『敵』として前園さんを処刑していただくことになります……。『護衛』はこの際あたしにつけなくて大丈夫です」
 「死にさらせゴミクズ」
 「あたしの役割は忌野さんが本物だと伝えられた時点で終わっていますから。『霊能者』の役割は『占い師』の真偽判定の補助で、そんなあたしのために『占い師』の忌野さんを危険にさらすのは本末転倒で……って、え? え?」
 どこかから聞こえてきたその声に、九頭龍は振り向いた。やる気がなく声量もないが、しかし妙な存在感のある口調で、『彼女』は主張した。
 「対抗『霊能者』カミングアウト。戸塚『クロ』。そこのゴミクズ偽者なんでー」
 そう言って唾液でぬれたキャンディを口から取り出し、じっと眺めながら、
 「あーくだらね」
 化野はダルそうな声でそう言った。

三日目2:バランス

 「んん~。『霊能者』2カミングアウト? これは霊能ローラーの気配ですかな」
 伊集院が主張した。
 「『霊能者』は『占い師』ほど重要度の高い役職ではありませんからなー。二人出るなら『本物はごめん』で、偽者もろとも処刑でかまわない役職なんですぞ。ここはセオリーどおりに」
 「待ってくださぁい! それだと処刑回数がたりなくなっちゃいますよぉ! 今四吊り四人外なんですからロラはダメでぇす!」
 九頭龍が珍しく声を張り上げてその主張を否定する。
 「えーと。これどういうことなんだよ。『占い師』にも偽者、『霊能者』にも偽者ってか?」
 多聞が困惑したように言った。
 「こんだけあっちこっちに『偽者』が出て来んならさ、今出てる役職者全部処刑したらごっそり『敵』が減るんじゃね? とか思うんだけど」
 「まじめに考えてるー?」
 化野はぼけーっとした声で
 「処刑の回数って限りあるよねー。具体的にゆーと、あと四回。『占い師』『霊能者』全部殺すってことはー、それ全部消費しちゃうって分かってるー?」
 「う……。分かってるよ。言ってみただけだっつの」
 多聞はぶつくさと気まずそうにそう言った。
 「れ、霊能ローラーも同じようにありえません。昨日は戸塚くんで一人『シロ』を処刑してしまっているんですから、現在『敵』は四人残りの処刑回数四回。本物『霊能者』を巻き込む『ローラー』はやっちゃいけないんですよぉ……」
 そういわれ、伊集院は「ふむむん」と腕を組んで見せて、少し小さい声で
 「た、確かに霊ロラは違いましたな。戸塚殿が『人狼』ならロラでも処刑は足りますが、そもそも戸塚殿を『人狼』で見るなら九頭龍殿だけを処刑すればよい話ですし……」
 それを受けて、嘉藤は「あはは」と小さく笑ってから
 「まあ。乱暴に『全部殺しちゃえ』なんてのが通用するほど、甘いゲームじゃないってことだね。とにかく、まずは今ある状況をまとめてみようか。きっちり情報処理を行えば、今するべきことがなんなのかも、きっと見えてくると思うよ」
 そうおだやかに言って、嘉藤は昨日のメモ帳を取り出して、今日の分の情報を書き足してみせる。

 ☆占い師
 前園:戸塚●→鵜久森○
 忌野:赤錆○ →多聞○
 ☆霊能者
 九頭龍:戸塚○
 化野:戸塚●

 処刑:戸塚
 襲撃:桑名→赤錆

 「まず一つ判明しているのは、九頭龍さんと前園さんのどちらかは敵陣営ということだよね。意見が明確に食い違っているんだから」
 嘉藤は言う。前園視点では『霊能者』は化野しかありえないし、九頭龍視点では『占い師』は忌野しかありえない。
 「ああ。素直な見方をすると、この時点で、『占い師』-『霊能者』の組み合わせはおおよそ二通り考えられるな」
 マコトは言った。
 「前園視点では当然、『本物』霊能者がありえるのは化野のみ。
 忌野の視点から見ても、処刑した戸塚に対して、対抗の前園と同じ結果を出している化野が『本物』というのは薄い。そのことから考えると、忌野視点では九頭龍が本物に近い立場にいるということになる」
 「ってことは……オレたちがするべきことは、『忌野』―『九頭龍』ラインと『前園』―『化野』ラインのどっちが『本物ライン』かを見極めること……ってことか。『偽ライン』と思わしき方を処刑できれば、敵が二人潰せて勝利に大きく近づくと」
 多聞が言った。九頭龍がそこで説得するように言う。
 「と、とにかく今日は化野さん処刑ですからね。あたしをいきなり信用してもらうのは無理だと思うんですけど、化野さん処刑なら全視点処刑回数足りますし、問題ないはずです」
 「どういうことだ?」
 マコトが尋ねる。九頭龍は必死な口調で
 「だってぇ、昨日は戸塚さんっていう前園さん視点での『敵』を処刑しちゃったじゃないですかぁ? それなら、今日化野さんという忌野さん視点での『敵』を処刑してもらわないと吊り数が……。フラットな視点でもそれが一番バランスの取れた処刑先ですし……」
 「は? なに、バランスって。そういう問題?」
 鵜久森が突っかかるようにいった。嘉藤は「そういう問題だよ。僕らにとってはね」といって指先をこめかみに持っていく。こいつの癖のようなものだろう。
 「今日二人いる『占い師』を決め打つのでもなければ、村人陣営としては当然『どちらが本物でもかまわない処刑先』を選択するべきだよね。だったら、戸塚くんで『人狼』を一人処分できていて処刑回数に余裕のある『前園』―『化野』ラインより、まだ『シロ』しか処刑できていない『忌野』―『九頭龍』ラインの『敵』を処刑するのが、『バランス』の取れたやり方って訳。
 そして、そうなると前園さんか化野さんのいずれかのうち、より重要度の低い『霊能者』の化野さんが今日の処刑先として的確……と九頭龍さんは説得してるんじゃないかな?」
 「……私、別に前園とだけラインつながってるわけじゃないだけどー。いちよー忌野が本物でもおかしくない立場だよねー」
 化野が感情のない声で言う。忌野が「そうかもしれないけれど」といって
 「私からすると、前園さんが出した『戸塚クロ』と、辻褄を合わせに来たようにしか思えないのよ。あなたと私が両方とも『本物』だとすると、『敵』の前園さんが『人狼』で『敵』の戸塚くんにわざわざ『クロ』を出したってことだもん。おまけに、前園さんと美冬ちゃんが敵同士で主張を食い違わせてるってことにもなる。私は美冬ちゃんを信じたい」
 「ふーん。まあそれはわかるんだけどー。……なーんか納得いかない。なんで本物の私が『処刑』されんの?」
 化野は気だるげにそう言った。しかし九頭龍が
 「で、でもぉ。化野さんが本物なら、誰が本物占い師であろうとも、戸塚さんで一人『人狼』が処刑されてる訳じゃないですか? 化野さん視点処刑余裕が一つあって、その一回を自分自身で消費することを拒む必要はないじゃないですか……」
 「いや……なんで化野と敵対してるおまえが、化野が本物の場合の話をするんだよ?」
 多聞が突っ込んだ。九頭龍は真剣な表情で
 「ご、ごめんなさいぃ。で、でも……、今日は絶対前園さんか化野さんで『敵』を処分しなくちゃ間に合わないんですぅ。だけど、いきなりあたしなんか信用してもらえるとは思えませんし……。だったら客観的に説得するしかないじゃないですかぁ」
 根拠なくただ感情的に『自分を信じろ』と訴えることを、九頭龍はしない。そんなことをしても誰も味方になってくれないと、このいじめられっこは刷り込まれている。だから村の勝利のために主張を通すためには『理屈』を使う。悲しい姿だったが、これが彼女の戦い方なのだろう。
 「うーん……九頭龍さんの意見自体はかなり合理的だよ。九頭龍さんの言い分は、彼女の真偽に関わらずリスクがないんだから」
 嘉藤は言った。
 「ま。今日化野さんを処刑することは……『今のところ君は死んでも問題ないから君に死んでもらう』っていう意味でもあるんだけどね。実際のところ、ただの『保留』にも近い」
 そう言って肩をすくめる。
 「ほ、保留でもなんでもいいですからぁ……。と、とにかく今日は化野さんを処刑する日です。……お願いしましたからね!」
 九頭龍が両拳を握り締めてそう主張した。化野は退屈そうに
 「必死だねー、何が何でも私を殺したいんだー。偽者風情が……。で、あんたらはどうするの?」
 「君から特に反論がないなら九頭龍さんの意見の正当性を認めたいんだけど。君からはなにかある?」
 嘉藤はけだるげな声で言った。化野はぷいと視線を逸らす。そこで前園が落ち着いた様子で発言した。
 「九頭龍さんは『本物』のわたしとラインを割りに来ただけでしょう。対抗の化野さんへの誘導が激しく生存意欲が高いですから、ひょっとしたら残る一匹の『人狼』なのかもしれませんね。ふふ、『ラストウルフ』という奴です。下手に処刑したら『妖狐』に勝たれる危険性もあるかもしれません」
 「そういや、前園の視点だと他の『占い師』や『霊能者』候補の内訳はどうなってるの?」
 鵜久森にたずねられ、前園は口元に手をかけながら
 「わたし視点だとかなり敵陣営が露呈していますからね。誰が誰だか……。
 『人狼』『妖狐』『狂人』が一人ずつ生存している中から、忌野さんと九頭龍さんの二人が出てきているということになります。『妖狐』が『霊能者』に出るとは考えづらいので、九頭龍さんは『人狼』『狂人』。忌野さんは結構なんでもありですが、初っ端で仲間に『クロ』を出された『人狼』がその日に『占い師』で露呈していくのは勇気がいるかな、と考えると、非狼っぽくはありますね」
 ようするにまだほとんど分からないということになってはしまう。まとめると、こんな風になるはずだ。

 前園視点
 占い師:前園
 霊能者:化野
 人狼:戸塚+?
 敵陣営:忌野、九頭龍
 グレー:夢咲、嘉藤、伊集院、多聞

 「これだけ『敵』が露呈しているなら、嘘をついて村を混乱させることが役割の『狂人』がどこかには出ているでしょうね。なので、グレーにウルフかフォックスのいずれかが潜伏中と見て、引き続きここから占っていくことになると思います」
 前園がそういいまとめる。すると、今度は忌野が続いてメモに記入する。
 「……私の内訳はこんな感じね」

 忌野視点
 占い師:忌野
 霊能者:九頭龍(化野?)
 敵陣営:前園 化野(九頭龍?)
 グレー:夢咲、嘉藤、伊集院、鵜久森

 「昨日の夜にわたしの『シロ』だった赤錆さんが襲撃されてしまっているから……『グレー』は広いままね。『霊能者』候補は美冬ちゃんと化野さんがいるけど、実質美冬ちゃんで決まりって感じ。グレーに敵陣営は二人ね。ここから『占い』先を選ぶわ。
 おそらく前園さんは、いきなり『クロ』判定で飛び出した『狂人』なんじゃないかしら。そしてその前園さんを偽者と確定させないため、前園さんと主張の一致する『霊能者』として、『人狼』の化野さんが出てきた……」
 忌野がそう言って自分の考えを述べる。九頭龍も大方その意見のようで、目を閉じてうんうんと何度も頷いている。
 「そういや……なんで赤錆なんて役に立たなさそうなのが『襲撃』されてんのかと思ったけど……思えば忌野の『シロ』なんだよな。これって忌野の『本物』要素なんじゃねぇのか? 『人狼』は本物占い師の『シロ』を襲撃して、自分が潜伏する『グレー』の人数を多くしておきたいもんだろ?」
 多聞が意見する。「いえいえ」と、伊集院は首を振り
 「忌野殿が『偽者』で、『妖狐』に誤って『シロ』を出してしまっていないか、という確認をした可能性もありますな」
 「『妖狐』の確認?」
 「ええ。赤錆殿が『妖狐』なら、偽者の『占い師』から『シロ』をもらって生き残りやすくなっている状況な訳なんですぞ。忌野殿が『狂人』か『人狼』ならこれはまずいといえます。よって万が一に備えて『妖狐』の位置を特定するために『襲撃』しておき、『死体なし』がでるかどうかを確認した……と。『人狼』にとっては、『妖狐』の場所を把握しておけば何かと優位ですからな」
 「確か……『妖狐』が教われた場合は誰も死なないんだよな? 襲っても『人狼』は『妖狐』を殺せない代わり、誰が『妖狐』なのかを把握するくらいはできる……」
 「ちょっとそれただの可能性の話だよね。素直に見れば『本物』の『シロ』が襲われたってことのはずでしょ。伊集院くんの話は言いがかりだわ。多聞もそんな簡単に言いくるめられないでよ」
 忌野が反応する。伊集院は眼鏡に手を当てて「んんん~」と
 「確かに可能性をあげただけですな。しかし、それにわざわざ反応するということは……んん~これは図星のアトモスフィアがしますぞ」
 「なにが何でも私を偽者に仕立て上げたいわけ? そんな訳ないじゃないの……」
 忌野は困惑する。「はぁ」と嘉藤はそこで気だるげに
 「別にどっちが本物だとしても、昨日は赤錆さんが襲われたと思うよ? 昨日『シロ』が出たのは彼女だけなんだから。忌野さんが本物ならそこか忌野さん本人しか襲う場所がないし、忌野さんが偽者でも自分の『シロ』が襲われれば信用が高まる。この一点を持って忌野さんを偽者と言い張るなら、君はまともに考えるアタマを持っていないか、無理矢理議論を誘導したい『敵』というだけのことさ」
 嘉藤からの擁護を受け、忌野は何も言わずにただぱちくりと嘉藤のほうを見る。
 「嘉藤。おまえは忌野のほうを本物で見るのか?」
 マコトがたずねると、嘉藤は「うーん」と悩ましげな顔をして
 「思うんだけど、前園さん視点の露呈敵陣営数がちょっと多くないかな? 四人いるうちの三人がもう居場所分かっちゃってるんだよ? 前園さん視点、『妖狐』が騙っていないなら、生きてる人狼陣営が全員何らかの役職に露出してることになっちゃうもの。それをないとは言わないけどさ」
 「なら『妖狐』が騙りにでているのではないでしょうか? ありえない話ではないですよね、わたしに『占い』にかけられて死亡するくらいなら、生き残れそうな役職を騙ったのでは」
 前園が静かに反論する。しかし嘉藤は腕を組んで
 「『占い師騙り』の忌野さんが『妖狐』だとする。何故二日目に君にかぶせる形でわざわざ出てきたのか。実際あのカミングアウトの仕方の所為で、襲撃危惧のなさから彼女は疑惑とバッシングを受けることになった。『妖狐』ならそんなタイミングは選ばない。偽者だとすれば、護衛先をぶらすことにメリットのある『狂人』あたりに見えたね。
 なら『霊能者騙り』の九頭龍さんがそうなのか。これも薄いよね? 伊集院くんが『霊能者ローラー』なんて話を持ち出したことや、『バランス吊り』で化野さんが処刑先候補に挙げられていることからも分かるように、『霊能者』とはいくらか軽視されがちな役職だ。何か勝算でもない限り、身一つの『妖狐』が本物より先に出て行くのは危険だと思う。
 よって君が『本物占い師』なら妖狐は潜伏中。そして人狼陣営は全て露呈済み、すなわち『戸塚』『九頭龍』『忌野』の三人と見るのが濃厚だろうね」
 その饒舌に、多聞や鵜久森あたりは理解を放棄したように呆けた顔をしている。同じ未経験者だというのに、アタマの回転が違いすぎる。しかしこの考察が正しければ、生きている人狼陣営は全員何らかの役職者を騙っているということになる。そんな危険なことをする理由とは……。
 「ま、これだけ色々考えたところで、明日の朝になったら、あっさり忌野さんか前園さんのどっちかが死体になってる……というのもあるかもしれないね」
 「死体って……縁起でもない言い方をしないでよ嘉藤くん」
 忌野がおじけた声で言った。嘉藤は「ごめんごめん」と飄々と
 「せっかくだし『人狼』の世界観を楽しんでいるだけだよ……。ま、実際に死ぬ訳じゃないし、ちょっとくらい怪我をしたって治療費には十分すぎるほどの報酬が得られるんだ。悲観することはないよ」
 「嘉藤……おまえ、報酬が欲しいのか?」
 マコトは思わずたずねた。マコト自身はこの状況を生き残ることに精一杯で、生き延びたあとの一億五千万のことなど考える余裕はまったくない。
 「いや一億五千万円でしょ? ちょっと心が躍るのは事実かな? それだけあればロケットで月を間近に見に行くことだってできるじゃないか!」
 「い、行きたいのか、月に?」
 「へ? 逆にたずねるけど、マコトくんは宇宙に興味がないの?」
 「いや……もういい」
 嘉藤の宇宙に対する憧れはこの際どうでもいい。
 「『占い師』のことは明日以降考えるとして、今日の処刑はどうする? 化野処刑ならリスクが小さいという案が出たが、俺はそれでかまわないと思うぞ」
 マコトはそう意見した。彼女を処刑すれば誰が本物占い師かによらず処刑回数を維持できるというのもそうだし、それにマコトは、できれば九頭龍を本物で見たかった。この気弱な女が大金のために敵に回るようにはどうしても思えない。
 「あーやっぱそうなっちゃう系?」
 化野が面倒くさそうな口調で言った。
 「アカリからは、なんかないの? 自分は絶対に本物だー、とか」
 鵜久森が友人を気遣うように言う。鵜久森にただ追従しているだけの赤錆と違い、化野は鵜久森と対等以上の関係で接しているような気配があった。化野が嫌がることを鵜久森は強要しないし、鵜久森がしたいことに化野は必ずしも追従しない。
 「うーん。じゃーさ、私が『ほんものだー』っつったら、フミエは私のこと絶対に妄信してくれるわけ?」
 そういわれ、鵜久森はうっと押し黙る。化野は強い言葉ながら少しだけ優しげな口調でそう言ってから、少しだけ視線を逸らした。
 「しょーがないよー。私だってフミエのこと百パー味方だとは思ってないしね。フミエは金に汚いしばかだから、ハードとか選んでるかもって思ってるくらい」
 「ちょ……なによそれ。酷くない、アカ……うぐ」
 鵜久森の台詞を途中で中断させたのは、化野が途中までなめていた棒付きキャンディだった。唾液まみれのそれを唐突に口に突っ込まれて、鵜久森は「うへ」とそれを口から引っ張り出す。
 「いきなりなにすんの?」
 「別に」
 化野は眠そうに言って、「ん」と両手を前に出して重ねる仕草をして見せた。友人同士の呼吸か、鵜久森は怪訝に思いながらも『手を差し出せ』というメッセージを受け取ったように、化野と同じ姿勢を取る。
 化野はそしてポケット、鞄などあちこちからカラフルな棒付きキャンディを取り出すと、鵜久森の手の平にどんどん載せていった。それらは少女の手に全て収まりきる量ではなく、半分以上は零れ落ちていったが、最後の一個をその手に乗せ終えると化野は眠たそうな顔のまま
 「あげる。じゃ」
 と、言った。
 「私処刑でいいよ。やることやったし」
 拍子抜けするような声でそう言ったのだ。マコトはあっけに取られた。
 「敵陣営がここまで潔く死ねると思いますか? 見苦しく足掻いて処刑されていった戸塚さんとは大違い、そうは思いませんか?」
 前園が丁寧な口調でそう言った。「んん~」と伊集院が独自の笑い方で
 「た、確かにそのとおりですな……。少なくとも、ラストの『人狼』や『妖狐』などのようには思えません……。いいや、誰の視点でも化野殿がラストの『人狼』というのはほとんどないのでしたか」
 「化野。おまえはそれでいいのか?」
 マコトはおずおずと化野に尋ねる。化野は「どゆことー?」と気だるげな表情で言う。
 「おまえが本物か偽者かは知らない。だが『処刑』にかけられた奴がどうなるのかは、おまえだって目にしたはずだ。それを、仲間からの投票でそんな目にあうってのは……やっぱりつらいんじゃないか?」
 「いやに決まってるよー。ちょー最悪だし。でもさ、いやだっつったら処刑先逃れられんのー。あーくだらねーマジで」
 化野はそう言って、それからつぶやくようにして
 「……つか。そもそも私らの関係って、そういうのじゃないから」
 といった。
 「……は?」
 「仲間だし友達だけどー、根拠なしに信じあって助け合うなんてばかみたいなことしないから。そーゆーのダサいし、サムい、みたいな? こういうときはお互いドライで当たり前っていうか。だからー、別につらくもなんともないよー」
 欠伸すらしてみせる化野に、鵜久森は息を飲み込んで、先ほど化野から受け取った大量のキャンディをぎゅっと握り締める。
 「別にフミエとかサクラとかが嫌いな訳じゃないよ。フミエとは腐れ縁だと思ってるしねー。まあでもさ、友達とかそういうのは、もっとこう、テキトーに。テキトーにやろうよ。面倒だから」
 言って、化野は少しだけ笑って見せる。
 「んじゃね。ばいばい。あとはせいぜいがんばんなー」

 ☆

 (0)夢咲マコト→化野あかり
 (0)嘉藤智弘→化野あかり
 (0)多聞蛍雪→化野あかり
 (0)伊集院英雄→化野あかり
 (2)九頭龍美冬→化野あかり
 (0)鵜久森文江→化野あかり
 (7)化野あかり→九頭龍美冬
 (0)忌野茜→化野あかり
 (0)前園はるか→九頭龍美冬

 『化野あかり』さんは村民協議の結果処刑されました。

三日目3:ノイズ

 処刑の映像が画面内に表示される。
 普段肩をだるそうに落としてとぼとぼと歩いている化野も、十三階段の前ではぴんとした建ち方になっていた。それは緊張で肩がこわばっているというのもあるだろうし、彼女が何かしらの覚悟を決めていることを示してもいる。
 階段を一歩ずつ登る。その足取りは軽くはない。途中、紙袋をかぶったまま化野は一度、後ろを振り返って……見えないはずの何かを確認した後で、そっぽを向くように前に向き直った。
 その仕草だけは、普段の化野と変わりないように思えた。
 ゴトーが掛けられる。化野はじっとしていた。床が開き、化野の体が宙を舞う。戸塚ほど暴れなかったためか、体は然程揺られることもなく、ただ物理の法則を復唱するためだけに気だるげに左右に動いて……。
 最後に、一瞬だけ恐怖を思い出したかのように首の縄を掴んで手足を激しくばたつかせたあと、すぐに動かなくなった。

 ☆

 戸塚は怒鳴り散らし敵意を振りまきながら『処刑』されていった。化野は落ち着いてどこか投げやりに『処刑』されていった。
 このゲームにおいて『敵』になるものは、『敵』になることを望んで『敵』になっている。ならばこそ、肝の据わっていた化野が敵らしく見え、慌てふためいていた戸塚が自分たちと同じただの被害者のように見える……というのが、素直な見方ではあるのだろうか?
 九頭龍を『本物』と信じるつもりでいるマコトの考えと、その推測は一致する。前園が『村人』の戸塚に『クロ』で特攻、しかる後に味方の化野が『霊能者』を騙りラインを繋いだのだ……と。
 何せ前園はこのアルバイト、ひいてはこのゲームの『リピーター』なのだ。大金奪取にはこのような試練が待ち構えていると、前園は知って参加している可能性がある。ゲームの混乱で誰も確認していないことだが、前園は『報酬はちゃんともらえる』といっているだけで、『いくらもらったか』ということについては何も言っていない。
 前園はこのゲームの常連で、既に何度も勝利を経験し報酬を得ている。
 今回もまた、賞金額の多い『敵』を選択して大金獲得に動いているのではないか? 彼女の連れていた桑名零時という少年は、前園と同じ立場だった人間のなれの果てなのではないか?
 ……などというのは、マコトの疑念が生み出している妄想ではあるのだろう。実際のところ、前園の意見がブレたり破綻した場面は一度もない。十分『本物占い師』の可能性を見ていかなくてはいけない位置というのも、また事実だ。

 既に占い師の決め打ちが必要な状況になってきている。現状、前園視点での『敵』の戸塚と、忌野視点での『敵』の化野を、それぞれ処刑している。どちらの視点でも一人は敵が処刑できているということでもあるが、逆を言えばどちらが本物でも一つお手つきをしてしまっている。
 11人から処刑と襲撃で2人ずつ減っていくこのゲームは、始まった時点では五回の処刑回数が与えられている(11→9→7→5→3→1)。そして敵の数は四人。余裕は一回しかないのだが、その一回は既に消費済み。既に、『占い師』のどちらかを『本物』で決め打ち、『偽者』としてもう片方を処刑することが求められる状況にあるのだった。
 マコトは、今ある情報をもう一度振り返ってみた。

 ☆占い師
 前園:戸塚●→鵜久森○
 グレー:マコト、嘉藤、多聞、伊集院
 忌野:赤錆○ →多聞○
 グレー:マコト、嘉藤、伊集院、鵜久森
 ☆霊能者
 九頭龍:戸塚○
 化野:戸塚●

 処刑:戸塚→化野
 襲撃:桑名→赤錆

 これを見る限り、誰が『本物』で『偽者』だとしても、それぞれにつじつまのあった内訳はあるはずだ。なので問題は個人個人の印象、これに尽きてくる。
 嘉藤は忌野を本物よりに見ている……というより前園を偽者だとする意見を多く発しているように感じられる。かしこい彼の意見だけに説得力はあるのだが、しかし前園のほうも論破されている訳では決してない。
 逆に前園『本物』派の筆頭といえそうなのは伊集院か。彼にとって不快な存在だった戸塚に『クロ』を出して処刑させたというのもあるのだろうか。
 多聞、鵜久森あたりは意見をはっきりさせていない。ふらふらとまだ迷っているようだ。この段階で意見をはっきりさせるのと、曖昧に濁しているのとどちらが『怪しい』と呼べる要素なのだろうか。
 マコトも自分なりの意見を固めておかなければならない。
 九頭龍のことは信じてやりたい。特に合理的に九頭龍を本物だと強く感じられる要素がある訳ではないが……、あのおどおど女が大金のために『嘘』をつき、自分たちを『騙そうとしている』というのは、考えられないし……考えて愉快なことではなかった。
 九頭龍とはなんだかんだ、クラスでは数少なく、マコトと親しくしている人間だった。共にクラスの隅っこに淘汰され、取り残されることに、ぬるま湯めいた親近感を覚えることもあった。それは『絆』という胡乱な言葉で表現することができる。
 そしてその絆を……マコトは一度拒んだことがある。恋人という関係を、マコトは拒んでしまった。その時の泣き声が……マコトの耳に張り付いては消えないのだ。自分が一度彼女を泣かせたのだというのを思い出すたび、マコトは引きちぎれそうなどん底めいた恐怖を味わうことがある。そして自分がもしこのゲームで九頭龍を信じ切れなかったとき……マコトはきっと同じような心地の悪さを味わうことになるだろう。
 だから、マコトは九頭龍を信じたい。臆病で人の顔色ばかり伺っているが、しかし時に強い意志で自分を思いやってくれたあの子のことを、マコトは信じたい。
 信じていることで感じられる、小さな絆の心地の良さを捨てたくない。
 だがそのエゴは……マコトの思考にとって、確かなノイズであることもまた、一つの事実なのだろう。

四日目1:強弁

 誘導することだよ。勝てば真実を作ることができる。 ……ハンドルネーム:ハムスター変化



 四日目:昼パート

 『忌野茜』さんが無残な姿で発見されました。

 夢咲マコト
 嘉藤智弘
 多聞蛍雪
 戸塚茂 × 二日目:処刑死
 伊集院英雄
 桑名零時 × 一日目:襲撃死
 九頭龍美冬
 鵜久森文江
 化野あかり × 三日目:処刑死
 赤錆桜 × 二日目:襲撃死
 忌野茜 × 三日目:襲撃死
 前園はるか

 残り7/12人

 人狼2狂人1妖狐1占い師1霊能者1狩人1村人5 

 『四日目:昼パート』が開始されます。

 ☆

 拍子抜けした。こんなにあっさりと、占い師が襲撃されるだなんて。
 『襲撃』されたということはそれは『本物』だということに他ならない……はずだ。『偽者』でも『襲撃』されることがあるのは『狂人』だけ。『人狼』同士で襲撃することも『妖狐』を襲撃して殺すことも『人狼』にはできない。そして何の益があって『人狼』が仲間の『狂人』を殺すというのか。
 村の最重要役職がやられた、理性のある人間であった忌野がやられた。不利益なことだ。理不尽なことだ。腹が立つ。……だと言うのに、マコトはどこか、心の中の不安や闇が取り除かれたような気持ちを味わっていた。ゲームはすでに『忌野』―『九頭龍』ラインと『前園』―『化野』ラインの戦い。つまり忌野が『本物』だったということは、自動的に『九頭龍』が『本物』ということにもなる。
 「こんなことでほっとするなんてな。アホか、俺は」
 自嘲げに独白する。思った以上に自分は九頭龍に対して情があったらしい。でもなければ、九頭龍が本物だと分かったくらいでこれだけ安心したりはしない。九頭龍と戦わずに済む、九頭龍を論破して泣かさずに済む、九頭龍を処刑しなくて済む……安心する、嬉しい、良かった。
 「けっ」
 一度それが確定してみると、マコトの気分は平常時のそれへと戻っていった。くよくよと悩んでいたことがバカらしくなってくる。なんで自分があんな面倒な女のためにここまで悩まされていたのか、理不尽にさえ思えてくるのだ。
 まったくせいせいしたというものだ。
 「……まあ。とにかくこれで」
 心をかき乱されずに冷静に考えることができる。
 『襲撃』された忌野のためにも……あの理性ある学級委員であった彼女を生かして返してやるためにも、自分は戦わなくてはならない。
 そう。むしろここからが、正念場なのだった。

 ☆

 「占い結果をカミングアウトします」
 議論会場で、前園がそう言って皆の注目を集めようとする。マコトはしらけた気分で、頬杖を付きながらそれを見守っていた。
 「占い対象は嘉藤さん、結果は『シロ』です。
 もっともわたしの信用を落とすのに積極的だった人ですね。非常に強弁な話し方をされますが、わたしの主観ですと、どうしてそこまで疑われるのか理解ができませんでした。
 わたしは二日目最適なタイミングにカミングアウトも行いましたし、発言にも破綻はないはずです。嘉藤さんは『露呈している敵陣営の数が多すぎる』というのをわたしの『偽者』要素としてあげてきましたが、このくらいなら別におかしなことでもないでしょう。忌野さんが狂人、九頭龍さんがラインを繋いで必死で化野さん処刑に誘導していたラストの『人狼』という内訳などでも、何ら矛盾はない……実際そうだった訳ですし。
 彼自身が『敵』ゆえにわたしが『本物』と見える立場にあり、それゆえに信用を落としてきたと思って占いましたが……ハズレでしたね」
 「あー。……まあ確かに僕は君にさんざんいちゃもんつけたよね。占われるのもしょうがないか。もっとも、君が本物ってのはあんまり見ていないけれど」
 嘉藤が言うと、前園は怪訝そうに
 「どうしてでしょうか? わたしは『占い師』として最善を尽くしてきたつもりです」
 と眉を潜める。嘉藤は中指をこめかみに突きつけて
 「君の表情が気に入らないからだよ。君の浮かべる笑顔は、騙すものの笑顔だから」
 ばっさりとそう切り捨てる。前園は唇を結んでその場で俯いて見せて、それから瀟洒な笑顔で顔を上げた。
 「…………ふふ。……ふふふふふ。このチャームは浪野さん直伝なんですよ。毎日の始まりと終わりを告げてくれるゲームマスター。わたしも、昔はあの人と同じ立場にいました」
 「どういうことだ?」
 俺が怪訝に思ってたずねると、前園はニコりと微笑んだまま。
 「浪野さんは組織に借金があるんですよ。日本円にして19兆6千億円ほどでしたかね。笑っちゃうような金額でしょ? 本当あの人なにやったんだか……。そして、実はわたしも父の借金を肩代わりした所為で……といっても浪野さんの100万分の1くらいの額でしたが……組織に借りがありましてね。今はもう返済済みですが、それに至るまで、とにかくもうこき使われたものですよ」
 「……やはり、あんたはこのふざけたゲームを主催している側の人間だったのか」
 最初からそうとしか思えなかった。『引率者』などと嘯いて自分たちを船の中に誘導し、当然のような顔でゲームに参加する。『過去にこのアルバイトで実際に報酬を受け取っている』などと標榜する。しかし金額については話そうとしない。
 「ふふ……。まあそう疑うのも無理はありませんね。確かにわたしはこの組織と繋がりのあった人間です。今も縁は切ってはいませんが……しかしこのゲームについては皆さんと同じくフェアな立場で参加しています。襲われれば獣に噛まれますし吊られれば首を絞められます。報酬のほうも、きちんと受け取ることができます。……一億五千万円をね」
 一億五千万。四億や十二億ではない、すなわち自分は村人陣営であり、『本物』占い師だとの賜っている。それが嘘であることは明白なので、マコトはそこは無視して
 「それだけか?」
 「皆さんを陽動し、ゲームを盛り上げる役割も担っていましたが。そちらにも別途に報酬が支払われています。もっとも……今回のプレイヤーである皆さんは、特別冷静かつ好戦的な方がそろっておいでで、その役割もあまり必要にはなりませんでしたが。もっと混乱してゲームにならないのがふつうなんですよ?」
 「あんたが連れていた桑名という男は何者だ?」
 「あ? 気になりましたか。わたしのダーリンというのではいけませんかね?」
 「このゲームの成れの果てなんじゃないのか?」
 「素敵な想像力ですね。ですがまあ当たってますよ。彼は以前行われたとあるゲームで『処刑』の対象となってしましました。最終的な勝者となることはできたのですが回復は見込めなく、恋人としてわたしが保護しているんです。このゲームにわたしが参加したのは、彼の治療費の捻出というのが一番の目的ですね」
 その言葉を聞いて、プレイヤーたちが息を飲み込むのが聞こえた。『処刑』の先にあるもの、それはあんな、車椅子で口を聞けもしないほどの廃人の姿。『殺されることはない』という前提があったからなんとかパニックにならずに済んではいたが……。
 「ま、マジかよ。あんななるなんて聞いてないぞ……」
 案の定、多聞が目に涙を浮かべて下を向いている。鵜久森は「ほんっとむかつく」と壁をけり、伊集院は太った体を丸めて震えている。青い顔をした九頭龍の手を、マコトは握ってやった。
 「浪野さんはゲームマスターとしては優しい部類に入る方です。容赦できる範囲での容赦はしてくれます。戸塚さんも化野さんも、きっとそこまで酷い状態にはなっていないと思いますよ……運が悪くなければですけど」
 そう言って前園は気休めのように笑う。その表情に……僅かながらマコトたちへの労りがこめられているような気が、マコトにはした。
 「さて。わたしも諦めてはいませんよ。村人陣営の勝利のために、ですけどね。『狂人』の忌野さんが『襲撃』されたのは予想外でしたが、わたしはまだ『占い師』として破綻していません。今日はわたしと九頭龍さんの内片方を『偽者』で決め打って『処刑』してもらう日ですね。今までと違い、安定した処刑先の存在しない決め打ちの日……一騎討ちです」
 「望むところだ。九頭龍、大丈夫か?」
 そう言ってマコトが九頭龍のほうに視線を向けると、九頭龍はどうにか意志力をかき集めたような裏返った声で「ひゃい!」といって
 「霊能結果を宣言します! 化野さんは『クロ』、『人狼』でした!」
 「ふうん。そっちが『クロ』となると、やっぱり前園さんの中身は『狂人』ってことになるよね。どこが処刑されてもいいもんだからテキトウに『クロ』を放り投げた。それに化野さんが結果を合わせた、と」
 嘉藤はそう言って口元に手を当てる。そこで鵜久森が荒い口調で
 「そーゆーことなんだろうね。結局アカリは敵、裏切り者だったってこと!
 そんで、忌野が『襲撃』されるんなら伊集院が怪しいわね。ソイツはずぅっと忌野に因縁つけて、前園のこと持ち上げてた! それって『狩人』の『護衛』を前園に逸らして忌野を襲撃する下準備だったってことじゃないの?」
 確かに一理ある。伊集院は「やややや」と困惑した様子で
 「二日目のカミングアウトの仕方を見れば誰だって前園殿が『本物』と思うでしょう? 忌野殿が出るとしたら三日目の朝一番のタイミングしかありえない。二日目は処刑先が決まっていたのですから、『本物』占い師なら身を守るために潜伏が安定だったはず! なのにしょっぱなで対抗カミングアウトするなんて護衛先ブラシでしかありえない! 総合的にロジックするまでもなく、通常こう考えてしまうのではないですかな?」
 「伊集院くんのその思考が正当ですよ。それを理解してくれるだけで『村人』に見えます」
 前園がそう言って伊集院に魅力的に微笑みかける。伊集院は「や……しかし狂人噛みというのも……」とまごまごし始めた。
 「ペグった(護衛されていなさそうな占い師候補を襲った)だけでしょう? ネットのサーバで人狼してる伊集院さんなら分かりますよね? 『占い師』の内訳が『真』『狂』なら、護衛の入ってなさそうなほうを襲撃してしまえばいいんですよ。九頭龍さんもネット人狼の経験者なんですから、それくらい大胆なことはしてきてもおかしくないですよね?」
 「し、しませぇん! そもそもラストウルフで霊能に出る勇気なんてないですよ!」
 九頭龍は涙目でそう反論する。人狼ゲーム経験者の三人の応酬だ、外野からの口出しはとても容易ではない。
 「ふつうの『狩人』の思考なら、忌野さんは護衛先ブラシと見てわたしのほうに『護衛』を入れます。それを見抜いてわたしを襲えないと考えた『人狼:九頭龍』さんは、いっそ『狂人』の忌野さんを『襲撃』しようと試みたんです。違いますか?」
 魅入られるような深い瞳で前園は九頭龍へじっと微笑みかけた。九頭龍が困惑しながら反論しようと口を開きかけたところで、前園が更なる強弁で畳み掛ける。
 「九頭龍さんの取ってきた戦略はこうです。
 まずは『霊能者』を騙りわたしと食い違う結果を出します。対抗に出てきた『本物』霊能者は、強く誘導することで無理矢理処刑させてしまいます。
 しかる後に、『狂人』の忌野さんを『襲撃』して『本物』と誤認させます。そして『偽者』としてわたしを処刑させる。
 するとどうでしょう。九頭龍さんは『本物占い師』視点での『霊能者』となり、生き残れる位置に入ることができるんです。つじつまは全然あっていますよね?」
 それが前園視点でどうにか成立しそうな唯一の主張か……。『狂人』の忌野とラインを作った上で、『襲撃』して『本物』に見せてしまう。そして『襲撃された占い師視点での霊能者』として生き残るという作戦を、九頭龍が取ってきたという説。
 「あれれ? ……筋が通ってませんかな? んん~?」
 伊集院が丸め込まれたように首をかしげる。九頭龍が腕を振るって「違いますよぅ!」と叫ぶ。
 「だって! どうせ『占い師』候補から襲撃するなら、最初から前園さんを襲ったほうが良いはずです。霊能者に出て狂人噛みなんて、そんな綱渡りみたいなことする必要ありません」
 「あなたはわたしのほうに『護衛』が入っていることを見抜いていたのですよ。わたしくらい完全に『占い師』としての職務をまっとうすれば、自然と『狩人』の『護衛』も付いてきます。『人狼』は手を出したくてもなかなか襲えない、ならば、いっそ仲間を殺してでもわたしの信用を落としにいったのです」
 「そ、そこまで前園さんの信用が高かったわけでは……」
 「ですが、実際『狩人』は『占い師』候補の二択からわたしを護衛していた。だから忌野さんなら襲撃できた。あなたの読みどおりにね、そうでしょう?」
 「ち、違います……」
 驚くべきことに、前園の話は良く聞けばきちんと筋が通っているのだ。そして強弁さという点なら、おどおどした九頭龍よりも前園のほうが何枚も上手だ。
 「あのさ前園。あんたのその話はちょっと複雑すぎて付いて行けないんだけど、でも結局は可能性の話ってことには変わりないのよね?」
 意外なところから九頭龍への助力は現れた。鵜久森だ。
 「言いがかりにしか聞こえないわ。忌野が本物占い師だから襲われたって方が断然分かりやすい!」
 「分かりやすいとか分かりにくいとかで真相が変わる訳ではありません。騙すものは分かりやすい『虚構』を演出し、その裏側に複雑な『真実』を包み込みます。九頭龍さんがしていることですね」
 九頭龍は両手を握り締めて完全に竦み上がっている。やはり口先だと前園が上ということか……しかし。
 「なあ前園。言わせてもらうぞ」
 マコトが発言すると、前園は少しだけいぶかしげな表情をしながらも、続きを待ち受けるように居住まいを正した。
 「あんたの主張なんだがな。ぎりぎりで筋が通っているように見えるが、作戦としてはあんまりにも遠回りすぎると思わないか? そもそもこれは『狩人』の護衛と、村人陣営の選択や思考を完全に読みきらなければできないことだ。一度でも想定外のことが起これば破綻する。それを潜り抜けたのだというなら、いくらなんでも九頭龍が賢すぎる」
 「口ぶりからして彼女は人狼ゲーム経験者です。これくらいはしてくるでしょう」
 「可能性の話だろ! 狂人を襲撃するなんて度胸がありすぎだ。他にいくらでもマシな戦略があるだろう」
 「……まま。まったく話についていけねぇ……。なんなんだ? 忌野が『襲撃』されても前園が『本物』ってことが本当にあるのか?」
 多聞がアタマを抱えて言った。鵜久森が「訳わかんないのはアタシもよ」と腕を組んで
 「とにかく分かるのは……前園がすごく胡散臭いっていうこと。長ったらしく喋って煙に巻こうとしているくらいに思えるわ」
 「ふふ。鵜久森さんって結構しっかりした方に見えるんですけどね? 分からない振りをしているだけなのでは? このままわたしを処刑させるために」
 前園が挑発的に言う。「ダウト」静かな声で、嘉藤が言った。
 「君視点人狼陣営は『戸塚』『九頭龍』『忌野』で出尽くしてるでしょ? 増して君鵜久森さんに『シロ』出してるじゃない。君視点鵜久森さんはどうあがいても『村人』なんだ。分からない振りをしてまで君の処刑に加担する理由はないよ」
 「あら。そうでしたね。失礼しました」
 前園はぺこりと頭を下げる。
 「ではもう一つ。仮に忌野さんが本物として、どうして彼女を襲撃するのを三日目の夜まで待ったんですか? 忌野さんなんていつでも『襲撃』できたはずでしょうに、昨日の昼時間まで残されたのは、彼女が『狂人』だったからではないのですか?」
 「そ、そんなの簡単ですぅ。赤錆さんと戸塚さんで『狩人』候補が二人減ったからってだけです」
 「忌野さんなんて狩人候補を減らすまでもなく『襲撃』できますよ」
 「む、無茶ですよぅ! 二日目夜は前園さん視点敵陣営一人処刑できてたんですよ? その分だけ襲撃された際のリスクは小さかった。バランス護衛なら忌野さんが護衛されるはずです。それなのに忌野さんに絶対護衛は入らないみたいなこと言うのはおかしいです」
 「好きですね、バランス。でもナンセンスです」
 前園は薄く笑う。二人の応酬に、鵜久森と多聞が困惑したように首をかしげている。まずい、議論が複雑になりすぎている。次から次へと詭弁を繰り出す前園はたいしたものだが、それに屈さず反論を続ける九頭龍も相当なものだった。
 気の弱いこいつが必死で戦っているのだ。なんとしても今日は前園を処刑してやらねばrならない。
 「話がこんがらがってきたね。一度お互い視点での内訳を整理してみようか」
 嘉藤がそう提案する。マコトも同じことを考えていたので、二もなく賛成した。
 「ああ。一度冷静に見えているものを整理すれば、簡単なことのはずだ。これだけ話がこんがらがるのも、敵陣営によって議論にノイズを振りまかれているからに過ぎない!」
 マコトはそういって九頭龍を見た。
 「九頭龍。おまえから今見えている配役はどうなっている?」
 「は、はいぃっ! ただいま書きます!」
 そう言って九頭龍はペンを取り、筆圧の強い文字で書き散らした。

 占い師:忌野
 霊能者:九頭龍
 人狼:化野+?
 狂人:前園
 グレー:夢咲、嘉藤、伊集院、鵜久森 

「こ、これでグレーにウルフ一人フォックス一人と見るのが妥当なはずです。
 前園さんが『妖狐』というのはレアケースでしょう。仮に『妖狐』の特攻だとすると、騙るのが仕事の『狂人』がグレーにいることになっちゃいますから……」
 「わたし視点も書かせていただきますね」
 九頭龍に続いて、前園が整った文字でメモに記入する。

 占い師:前園
 霊能者:化野
 人狼:戸塚+九頭龍
 狂人:忌野
 グレー:夢咲、伊集院、多聞

 「これでグレーに『妖狐』潜伏でしょうね。ほぼこの配役で間違いないと思います。
 襲撃されている時点で忌野さんは『狂人』確定。すると九頭龍さんが『妖狐』か『人狼』かということになりますが、これはほぼ『人狼』と見ていいでしょう。『妖狐』があのタイミングで『霊能者』に出るメリットが分かりませんからね」

四日目2:誘導合戦

 「んん~。これは案外、前園殿の主張にも無理はないのではないですかな?」
 伊集院が言った。鵜久森が吼えるようにして
 「どこがだよ? なんで『狂人』が襲われるなんてことがあるってんの? そんなに前園の味方したいなら今度こそあんた『人狼』で見るよ?」
 「ややや。短絡的なんですぞ。忌野殿が『狂人』で襲撃するメリットですかな? それは今の状況を見れば明らかでしょう。ずばり前園殿を『偽者』として村陣営に『処刑』させてしまうため以外ありえない」
 「まどろっこしいっての。そんなのするくらいなら最初っから前園襲うでしょ?」
 「それを難しいと判断したから忌野殿を襲撃するしかなかった、という主張の何がおかしいのですかな?」
 伊集院はとうとう前園を本物に見ることにしたようだ。……マコトも立場は決めている。どう見ても前園は偽者、忌野と九頭龍が本物だ。
 「前園の話には必然性がない。忌野を襲って前園の信頼を下げるにしても、九頭龍が危険を犯して霊能者に出る必要性が良く分からない」
 マコトが言った。すると嘉藤が中指を額に突きつけて
 「いやそれは必要でしょ? 九頭龍さんが『霊能者』に出なかったとするよ? 三日目昼の時点で『戸塚くんは人狼』という主張をする化野さんのみが、唯一の『霊能者』となってしまうじゃない? こうなれば忌野さんが襲われていようがいまいが、前園さんが本物『占い師』で濃厚になっちゃうもん」
 その指摘に、マコトは反論できないでいつつも……疑問に感じて問い直した。
 「嘉藤。おまえは前園を偽で見るんじゃなかったのか?」
 「前園さんと九頭龍さんのどっちを本物と思うかということと、マコトくんのその指摘が稚拙であることは無関係だよ」
 そう言って嘉藤は腕を組んで
 「前園さんの提示する説自体は十分に合理的なものだからね。つまり九頭龍さんは忌野さんを本物に見せるために二つのことをした訳だ。一つは『霊能者』を騙り前園さんの占い結果と矛盾する霊能結果を出すこと、もう一つ本物に見せたい『狂人』の忌野さんを襲撃して殺してしまうこと。ここまでされれば確かに忌野さんが『本物』に見えなくもない」
 「でもそれをするなら、九頭龍は二日目夜に忌野を襲ってしまって、それから『霊能者』を名乗り出たのでもよかったんじゃないか? そちらのほうが一日早く前園を処刑できるじゃないか」
 「一日余分に生かしておくことで、『妖狐』を占いで処分してくれる確率を高めた、とか?」
 九頭龍が蒼白な顔をして「違います……」とつぶやく。可能性の上でならなんとでも言える、合理的に反論できることなど限られている。ただただ懇願するように『違う』としかいえないことはいくらでもある。そして九頭龍は決して感情的に訴えかけることに長けた人間ではない。
 「……なんだよ。おまえは前園を偽者で見ているんじゃなかったのか?」
 「偽者で見てるよ。だからこそ確信を得るために、前園さんが『本物』の場合を考えていたわけ。ま、それもこの辺にしとくけどね」
 嘉藤は飄々と言う。
 「ところで前園さん。一つ質問があるんだけど……答えてくれるかな?」
 「はい。なんでもどうぞ」
 前園は柔和に答える。
 「占い先とその理由の話なんだけどね。君が昨日の夜僕を占った理由をまとめるとさ。
 僕が前園さんの信用を落とすような発言をしていたこと。そしてそれは、敵陣営ゆえに前園さんが本物であるということが分かる立場にあったからこそだと思ったこと。だよね?」
 「そうですね」
 「僕が敵陣営だとして、どうして僕の視点から前園さんが『本物』だと分かるというの? 仲間の戸塚君に『クロ』を出してきたから?」
 「…………」
 前園は、そこで意味深に沈黙した。……なんだ?
 「戸塚くんへの『クロ』を根拠に『人狼』の僕が前園さんを本物だと認識したのだと、君は疑った。占い理由を聞く限り、『妖狐』を狙って僕を占って来たようには思えない。でもそれっておかしくないかな? 昨日の夜、君に僕が『人狼』に見えていたとして、じゃあ九頭龍さんはなんだと思っていたの?」
 前園は言いよどむように沈黙する。それから少しの時間を置いて
 「忌野さんが『妖狐』で九頭龍さんが『狂人』という内訳が、その時は考えられました」
 「そんなのレアケースって分かるでしょ? 忌野さんが『妖狐』ならあの出方は自殺行為過ぎるよ。というかそれ今思いついた言い訳だよね」
 前園は黙り込んで俯く。複雑だが、この二人の間では通じている議論らしい。
 「視点の整理がおいついていなかったので。確かにあなたが『人狼』というのは、少し考えづらかったかもしれません」
 「だよね。まあ『思いつかなかった』なんて無能に逃げられちゃ、無能でない僕としては追い掛けようがないんだけどさ」
 「挑発してもわたしから破綻した発言を引き出すのは無理ですよ。『真占い師』は破綻しませんから」
 前園が飄々と言う。
 「……なあ。いいか」
 と、そこで今まで議論に取り残されていた多聞が口を出す。
 「ようするに。これって状況的には前園か九頭龍のどっちかしか『本物』はいないんだろ?
 前園は戸塚を『クロ』、九頭龍は戸塚を『シロ』って言ってるから……」
 「いまさら確認するんだそれ」
 嘉藤がへらへらというのを、多聞は相手にする余裕すらない様子で
 「だったらさ、さっきから難しいこと話してるけど……。ようは戸塚が『人狼』っぽく見えたか『人間』っぽく見えたか議論すればいいんじゃね? 理屈で言われたってオレ達素人はまったく良くわかんねーからさ」
 「あ、いーねそれ。そっちのが分かりやすい」
 鵜久森が賛成する。確かに新しい切り口だ。これは多聞や伊集院を説得する切り口になる。
 「アタシは断然戸塚の態度は『村人』っぽく見えてたね。んでアカリの態度が『敵』っぽかった。だって『敵』は大金をもらう為に自分から選んでこのゲームに参加してるわけでしょ? どっちが腹くくれてるかって言ったら断然『敵』のほう。だから落ち着いてたアカリが『敵』、取り乱した戸塚は『味方』……っぽい」
 「それであってると思う」
 マコトは強くうなずいた。
 「でしょ? じゃあやっぱりクズが『本物』なの」
 鵜久森がうなずき返す。こいつは問題ない。今は七人残り、つまり四票が前園に入れば処刑できる。鵜久森で一票は入るとして、九頭龍の票とマコト本人の票を合わせれば三票。どこかでもう一票確保しなければならない。嘉藤は前園を偽目で見ていたはずだが……
 「ううん。正直、鵜久森さんは敵っぽく見えてるから、その鵜久森さんが九頭龍さんを援護してる今の図を見ると、どうも九頭龍さんの信用まで下がっちゃうんだよね。正直なところ」
 しかし嘉藤は、悩ましげにそう言うのだった。鵜久森が「はあ?」と食って掛かるように
 「そんな言いがかりのためにクズの信用落とすの? アタシのことはいくら疑ってくれてもいいけど、クズが『本物』って事実は見間違えないで欲しいんだけど?」
 「そうだぞ? だいたい九頭龍が偽で前園が本物だとすると、鵜久森は前園の『シロ』だ。つまり鵜久森が敵陣営で、本物占い師の前園を処刑させるよう誘導してるっていうのはない」
 マコトは言った。それを聞くと、嘉藤はその程度のことは承知だとばかりの表情で
 「そりゃそうだよね。……あー、なーんか違和感があるんだよね、この状況。どっちが『本物』だとしても、なんで忌野さんが襲われるのが三日目の夜なんだろ? これをまだ説明できそうなのは前園さんの説なんだけど……」
 「まだふらふらしてやがるのか? らしくないぞ? きっぱり主張を決めたらどうだ? もう議論時間もないんだ!」
 壁の時計はあと目盛りいくつかで議論時間の終了を告げるはずだ。焦ったマコトが催促する。「なあ」と多聞が後ろから、疑惑の視線をマコトに向ける。
 「マコトおまえちょっと必死すぎないか? 何が何でも九頭龍を守りたいって感じがするぞ? おまえら2人で人狼陣営同士なんじゃねーの?」
 「飛躍のしすぎだろう、おい。俺と九頭龍が人狼陣営同士ならどういう内訳になるか考えてみろって」
 『人狼』は二人しかいないので、戸塚に『クロ』を出した前園、および化野も破綻する。マコトと九頭龍が人狼だとすると、前園、化野で『狂人+妖狐』となる。こんな内訳になる必然性がない。
 「その『内訳』ってのがオレには良くわかんないんだよ。こんだけ色々でてきたら、今残ってるのがどの配役かなんてややこしくて考えられたもんじゃねー。ただ態度だけで見るなら、今日いきなり喋り始めたおまえはちょっと怪しい」
 疑いを向けられてしまう。マコトが反論せずにいると、九頭龍が顔を赤くして
 「ま、夢咲さんが『敵』なんてありえません! ありえませんから……」
 そう言って拳を握り締めた。
 「へえ。そうだといえる根拠は?」
 嘉藤が気だるそうに言う。すると九頭龍は一気に言葉に詰まって
 「えっと……あの。その……」
 あわあわと口元を動かしながら、何もいえずに頭に両手をやる。ようするに論理的な根拠など皆無なのだ。ただ九頭龍自身の一方的な感情でそう言ったに過ぎない。
 「いいよ九頭龍。ありがとう」
 マコトがそう言って九頭龍の頭に手を置く。九頭龍は「あぅう」といって沈黙して下を向いた。
 「やっぱり怪しいっておまえら……つながってるんじゃないか?」
 多聞が言う。マコトは首を振って
 「疑うのならかまわない。いくらでも整理して考えたあとで疑ってくれ。だが今日議論するのはそこじゃない。前園か九頭龍のどっちが……」
 「なら九頭龍に投票するぜ。オレは戸塚の態度は『怪しい』と思ったからな。あいつはいつだって自分の考えてること丸分かりなんだよ。あいつは自分に『クロ』を出した前園にキレてたし、焦ってた」
 「そりゃ怒るのは当然だろ? 自分を敵扱いするんだから」
 「違う。怒ってただけじゃなくて、困ってたんだ。そして前園を黙らせようと怒鳴ってた。いつもどおり『悪者』のあいつが、『まっとうなことを言ってる』前園を、無理矢理黙らせようとしていた。そう見えた。そして見苦しく『処刑』された。そんな感じだった」
 「印象だろうが」
 「その印象の話をしようってなったんじゃないのかよ?」 
 「そうだがよ。こういったら分かるか? あいつが本当に『人狼』なら、自分も『占い師』だ、とか言い出して見苦しく処刑先逃れを測ったはずだ。そうだろ?」
 「んん~。ありえませんな。そんなことしたら前園殿が『本物』と白状しているようなものです」
 そこで伊集院が指先を振りながら立ち上がる。眼鏡をくいと持ち上げて、独自のねっとりとした口調で言う。
 「『クロ』を出されてカウンターで『占い師』宣言などと、誰がどう見ても敵陣営による苦し紛れの処刑先逃れなんですな。あがかず処刑されていったほうが、前園殿の信用を高めずに済むことくらいは、奴でも理解していたのでしょう」
 「そうだよ。オレには戸塚が『人狼』に見える。だからアイツを『人間』だっつー九頭龍は信用ならねーし、前園が本物に思えてくる。オレは今日は九頭龍を処刑したい」
 結局、多聞は前園側に回ってしまった。伊集院もだ。マコトは歯噛みする。自分の信じている真実が思うようには受け入れられないもどかしさ、そして騙されて迷走していく村に対する恐怖。これが人狼ゲームの大込みだというのでも言うのか?
 この恐ろしさを誰よりも味わっているのは、九頭龍本人のはずだ。実際九頭龍は涙も流せず顔を青くして成り行きをただ見守っている。自分が本物なのに信じてもらえないというのは、絶望的な恐怖以外の何者でもないはずだ。
 「三対三……ですね」
 前園が言った。
 「あとまだ意見を表明していないのは嘉藤さん、あなただけでしょうか。あなたが決めてください、どちらを処刑するか……。もう時間もほとんどない。村の勝利のための重大な決断です、どうか間違えないで……」
 そう言って懇願するように両手を握り合わせる前園。
 「え? 『どっち』? 『前園さんか九頭龍さんのどっち』を処刑するかって言った? あっそう。じゃあその質問にどう答えるかっていうと、そりゃ君だね」
 しかし、嘉藤はあっけらかんとそう言ってしまった。前園は唇を結んで
 「どういうことですか? ……わたしの意見の整合性を認めたのでは?」
 「君の意見の整合性を認めたとして、じゃあ君は誰を処刑するべきだと思う訳? 君は肝心のそこをまったく考えていないよね?」
 「今日は前園と九頭龍で決め打つんだろ? だったら九頭龍処刑じゃね?」
 多聞が言った。嘉藤は「はあ」とため息をついて
 「多聞くんは恐るべき無能だから、さっきからそうやって言ってるのは仕方が無いとして……前園さん。他の誰が間違っても、君が間違うなんてことはありえないと僕は思うんだけれどね」
 前園は怪訝そうに嘉藤に視線を向ける。それから搾り出すような声で「どういうことでしょうか?」と尋ねた。
 「簡単なことだ。でも凡ミスじゃないはずだよ。君が本物占い師なら、まず言わないようなことを君は言っている。いいかい、君は確かにこういった。
 『あとまだ意見を表明していないのは嘉藤さん、あなただけでしょうか。あなたが決めてください、どちらを処刑するか……』」
 嘉藤はイントネーションまで完全に再現してそう言った。めぐるましい議論の中で特定の発言を完全に記憶しているというのはたいしたことだが……。
 「『どちらを処刑するか』の『どちら』っていうのは、君と九頭龍さんのことを指してるんだよね? でもそれっておかしいんだ。君視点九頭龍さんはラストの『人狼』なんだろう? まだ『妖狐』が残っているっていうのに……なんで九頭龍さん処刑なんて言い出せるのかな?」
 嘉藤のその発言に、マコトははっとした。
 「そうか……『妖狐』を生かしたまま『人狼』を全部処刑すれば、妖狐陣営の勝利になってしまうから……」
 「そう。ありえないんだ、前園さんが九頭龍さんを殺そうとする発言をするなんてね」
 「そんな! 少し把握漏れしたに過ぎないです!」
 前園はそう言って声を張り上げた。
 「敵陣営だということばかりに意識が言って、処刑の順番まで気が回らなかった……それだけなんですよ」
 「どうかなぁ……。君は多聞君が何度も『九頭龍さんを処刑する』ってバカなことを口にしても修正しようとしなかった。君の立場ならこれはあまりにも魯鈍というべきだよね。
 そもそも君は、こんな議論時間も終盤を迎えているのに、自分のグレーから『妖狐』を探す気配をまるで見せていない。今日君を『本物占い師』で決め打つなら、村人陣営はグレーから『妖狐』らしき人物を処刑すべきのはずだよね? それなのに肝心の『占い師』が、まったく狐探しをしないなんてどうかしてる。
 はっきり分かったよ。君のアタマの中にあるのは村人陣営の勝利じゃない、自分自身の生存だ」
 「なんでも完璧じゃなければいけませんか? 確かにわたしは自分が生き残ることにずっと目が言っていました。なぜなら、わたしさえ生きていれば『妖狐』を占うチャンスがめぐってくるからです。『占い師』として自分自身の生存を第一に発言をしていたために、『妖狐』探しにまで気が回らなかったというだけのことです」
 「自分を無能だと主張して逃げるのもそろそろ限界なんじゃない? どさくさで九頭龍さんが処刑されればそれでいいって思ってたんじゃないの?」
 嘉藤のその指摘に、前園は「違います」と首を振った。
 「まあ否定はするだろうね。でも僕はもう君に投票することに決めた。変えないよ? ぎりぎりまで考えて決めたことだし、万一君が本物でもリカバリーは効くからね」
 「そうですか……。はあ」
 そう言って、前園は小さくため息を吐いて
 「やれやれです。3対4なら、まだがんばったほうでしょうか」
 などと、つぶやくように言ったのだ。
 「……今のは、どういう意味だ?」
 マコトは尋ねる。前園は、「ふふ」と妖艶に微笑む。そのたくらむような視線はマコトの体をすり抜けて、背後でくたびれた表情を浮かべている九頭龍のほうを射すくめた。
 「九頭龍さん」
 「は、はぃい?」
 いきなりの指名に、九頭龍は声が裏返るほど驚いて
 「な、なんですかぁ?」
 「たいしたことではありません。その……がんばってください」
 その意図不明の一言に、会場内が怪訝な空気に包まれる。前園は至ってまじめな表情で
 「は、はあ。その、えっと。それはもう、がんばりますけど……」
 その返事を聞くと、前園は満足したようにその場を立ち上がった。それから「んん~」色っぽく伸びをしてみせて、「はあ」と心地のよさそうな息を吐く。
 「一足先に退場させていただきます。ああ、肩が懲りましたね。なんて十八歳のする発言ではないでしょうけど。でもしょうがないですよね。わたし、結構苦労してますから。ふふ」
 「……ちょっとあんた前園。さっきから何が言いたいのよ? いったい何のつもりで……」
 不可解な前園の言動に、鵜久森が目を剥いて尋ねる。前園は屈託なく微笑みかけて
 「なんでもないですよー。ふふふ。波野さん、聞こえてますかー? これから『処刑』されちゃいますけど……どうか手加減してくださいね。もし万が一のことがあったら、桑名くんのことはよろしくお願いします」
 前園のその呼びかけに、誰かが答えるようにして、絶妙のタイミングで『昼時間終了』のアナウンスが流れ出す。
 「四日目、昼パートが終了いたします。投票パートに移行しますので、それぞれの個室にお戻りください」
 足を弾ませながら、前園は誰よりも先に自分の個室へと向かって歩く。マコトの傍をすれ違うとき、耳元でこうささやき声を残しながら。
 「ハンドルネーム:セイレーン」
 振り返る。前園はもう背中しか見せなかった。

 ☆

 (1)夢咲マコト→前園はるか
 (0)嘉藤智弘→前園はるか
 (0)多聞蛍雪→夢咲マコト
 (0)伊集院英雄→前園はるか
 (0)九頭龍美冬→前園はるか
 (1)鵜久森文江→前園はるか
 (5)前園はるか→鵜久森文江

 『前園はるか』さんは村民協議の結果処刑されました。

四日目3:人気投票

 十三階段を前に、これほど落ち着いていられる人間は他にいないだろう。
 紙袋をかぶせられた細身の影は、何かを見つめるようにしてちらりとカメラのほうを振り向く。小さく手を振ったその姿は、何故だか少しだけ寂しそうに思えた。
 階段を一歩一歩登っていく。気楽に、学校の校舎の階段を登る時と、同じように。数える間も無く最上段までたどり着いて、降りてくるゴトーを掴んで、長い髪を払ってからそれを首に下げた。
 床が抜ける。前園の体が宙に投げ出される。
 宙を舞うその体。その細い手足は決して暴れることはない。髪を揺らしてただ舞い続ける。
 そして紐が垂直になったとき、前園の体はただだらりとゴトーにひっかかっていた。

 ☆

 ハンドルネーム:セイレーン。
 その言葉が妙に耳に残っている。処刑されていった人間の言葉だからか? 柔和な笑顔の裏で、マコトには想像もできない底なしを確かに抱えていた前園の残した言葉だからか。
 ふと思いついて、携帯電話を取り出してインターネットを起動しようとする。無論つながらない。繋がるはずもない。
 「……結局。ノイズってことだ」
 今このことについて考えていても益はないだろう。現状、自分にできることは、考えることそれに尽きる。『村人』というのは全ての職業の中でもっとも情報が少ないが、ゆえにこそあらゆる可能性の中から一つの『真実』を選択する役割にある。

 今日は前園を処刑した。だが実は、それでもまだ一応前園が『本物』という可能性は追うことができることが、彼女視点での情報を整理すれば分かる。

 占い師:前園(処刑死)
 霊能者:化野(処刑死)
 人狼:戸塚(処刑死)+九頭龍
 狂人:忌野(襲撃死)
 妖狐:?

 前園視点では、『人狼』と『狂人』が襲撃と処刑で一人ずつ死亡しているのだ。残る敵陣営は『人狼』『妖狐』の二人。現状六人残りで今夜の襲撃で一人が死亡しても五人、そこから5→3→1と減っても最低二回処刑チャンスがあるので、まだ前園視点も追う余裕があるのだ。
 もっとも、マコトはもうほとんど前園が本物の可能性など切ってはいる。よってこれが本命、九頭龍が本物の場合の内訳だ。

 占い師:忌野(襲撃死)
 霊能者:九頭龍
 人狼:化野(処刑死)+?
 狂人:前園?(処刑死)
 妖狐:前園?

 前園の中身が『狂人』か『妖狐』かは断言できないところではあるが、ほぼ『狂人』。前園が『妖狐』なら『狂人』がなんの仕事もせずにグレーに潜伏していることになってしまう。
 現状二人の『敵陣営』が『グレー』に潜伏中。明日はグレーの中から『妖狐』目を狙っての処刑が妥当だ。それは前園視点でも同じことが言えるが……。

 前園視点グレー:マコト、伊集院、多聞 ←ここに『妖狐』。九頭龍が『人狼』
 九頭龍視点:グレー:マコト、嘉藤、伊集院、鵜久森 ←ここに『妖狐』『人狼』

 仮に前園を本物と見るなら、グレーから『妖狐』を処刑した後に『人狼』として九頭龍を処刑すれば勝利。九頭龍を本物と見るなら、グレー四人から『妖狐』『人狼』を順番を違えずに処刑すれば勝利となる。どちらの手順を取るにしても、明日はグレーからということだ。
 片シロもらいの多聞、嘉藤、鵜久森が少々厄介か。九頭龍を本物で決め打っているマコトからすれば、然程問題ではないのだが。おそらくこのどれかは明日までに襲撃されているはずで、それはおおよそ多聞ではないかとマコトは読んでいた。
 九頭龍が本物であれば、『人狼』は忌野視点での『グレー』、自分の隠れ蓑を減らさないように行動してくるはずだ。ならば襲撃先として考えられるのは九頭龍か多聞のどちらか。だが九頭龍を襲撃してしまうのは、前園を本物で主張することを『人狼』自ら放棄することである。そうすると明日の襲撃先として考えられるのは多聞一人しかいない。
 「……ここまでは、読めるようになった」
 着実に、自分は人狼ゲームの情報処理を身に着けている。仮に分からないことがあっても、九頭龍が知識でそれを補ってくれるはずだ。最後まで思考することをやめずに戦い抜いてやる。

 「とにかく明日の処刑先を考えてみよう」
 九頭龍は本物霊能者。これはもう前提として考える。思考を限定するためには、こうした決め打ちは必要だ。となると処刑先候補は三択。忌野のグレーであるマコト、嘉藤、伊集院、鵜久森の四人から、マコト自身を除外した三人からだ。

 まずは嘉藤智弘。ここは『村人』『妖狐』のいずれかだとマコトは考える。
 全体を通して饒舌で誘導的。目立って主張しているのは前園を『偽者』で見るということ。人狼陣営側の騙りの前園を本物と見せかけようとしないのは、『人狼』らしからぬ動き。今日の議論中、意見が3対3で分かれた状況で、最後の一票を持った彼が前園を殺す意見を言い出したことは、特に決定的だ。
 『妖狐』がありうるかどうかということだが、これはどうともいえない。占い師候補の前園に喧嘩を売りすぎている点は、『妖狐』としてはリスクがあると思えなくもない。発言の切れ味も鋭く村人らしく見えるが、どうしても怪しく思える点が一つある。それは、彼ほどにゲームに対して積極的な人間はいないということだ。
 賞金を獲得したら月に行くなどと、勝利後の展望を見据えてすらいる彼ならばこそ、『ハードモード』選択での十二億取りを狙ったのではないかと思えてしまうのだ。

 次に伊集院英雄。ここは『村人』『人狼』のいずれかだろう。
 前園の信用を高めようとする動きが全体として目立つ。『村人』の戸塚に特攻した前園を『偽者』を把握した『人狼』が、彼女の信用を高めるために行動していたということで辻褄が合う。はっきり言ってここは前園に対して妄信的すぎるのだ。『経験者』を自称する彼としてはあまりにも不警戒すぎるというレベルで。『人狼』は十分にありうるといえるだろう。
 『妖狐』の可能性はどうだろう? これは少し薄いように思える。伊集院がもし妖狐だとして、今日の議論中、前園を処刑しにかからなかったことが解せない。『妖狐』なら、最後に残った『占い師』候補は当然処刑しに行くのではいのだろうか。その可能性をどれほど薄いと見ていたとしても、だ。

 最後に鵜久森。ここは正直……『人狼』『妖狐』どちらでもありうるという印象が強い。
 今日の時点では、忌野が襲撃されたことを根拠に前園を偽者だと主張してきていた。これはまずまず人狼陣営らしからぬ動き。しかしそれは今日になって初めて言い始めたことであり、二日目、三日目の時点ではどちらの『占い師』を本物とすることもでずに、ふらふらとしていた。
 意見は出すが、全体を通して行き当たりばったりなのだ。鵜久森の思考は積み重なっていかなさすぎるように思える。敵についてまじめに考察しているというよりは、状況に応じて周囲にまぎれるための発言をしているのではないか、という風に言えてしまう。これは『人狼』『妖狐』のどちらであってもおかしくない要素だ。

 『人狼』で見るなら伊集院は避け、嘉藤か鵜久森のどちらかから処刑先を選択すべき、というのがマコトの結論だった。無論、マコト自身も他のメンバーからは疑われる立場にあるので、『村人アピール』を欠かすわけにはいかない。
 明日が重要な勝負の日になることを、マコトは悟っていた。

 ☆

 「考察中のところ、失礼いたします」
 集中して考え込んでいたところに、アナウンスが紛れ込んでくる。マコトは顔を上げてモニターを注視する。バニーガールの扮装をした、ゲームマスターこと浪野なにもがそこに立っていた。
 「ここまで生き残られた皆様につきましては、本当にお疲れ様です。ゲームは既に中盤を過ぎています。どうぞ最後までがんばってください。
 さて。皆様に一つお知らせがございます」
 浪野はニコニコと完璧な笑みを浮かべながら
 「ゲームに直接関係することではないので、考察に集中されたい方は無視してくださって決行です。
 実はこのゲーム、映像作品として販売されると申し上げましたが……リアルタイムで中継されてもいるのです。視聴者は数十名にものぼり、皆様の活躍をカメラ越しに視聴しながら、推理を楽しまれているのです。その皆様がこのゲームに巨額の投資をしてくださっています。知的な趣味を持つ高貴な方々ばかりですよ」
 どこが高貴だというのだ。どうせ自分たちが迷妄して仲間同士殺しあうのを、さげすみながら見守っているのだろう。
 「そんな『観戦者』の皆様に、先ほど簡単なアンケートを行っていただきました。そのアンケートの内容とは、ズバリ、参加者の『人気投票』でございます。その結果をどうぞ、ごらんください」
 浪野がそういうと、画面が切り替わって一杯に『第三位!』というフォントが表示される。人気投票? 完全に見世物というわけだ。マコトは腹のそこが煮えるような感覚を味わう。すぐに画面を切ってしまいたかった。
 「三位、伊集院英雄さん。七票を獲得。推理のノイズにならない範囲で、寄せられたコメントも紹介します。観戦者も、参加者と同じく誰がどの役職なのかは一切知らないので、コメントから『敵』が露呈することはありませんのでご理解ください。
 『ラード過ぎて狼も食べない(笑)』『こいつ処刑したら縄が切れるんじゃね?』などなど。チャーミングな容姿に対するコメントが多い中で、『俺はおまえの主張を支持するぞデブ』『かしこいデブ。さすが経験者!』など推理力を賞賛する発言も見られました。活躍に期待したいですね」
 どんな気持ちで伊集院はこれを聞いているのだろう。おおよそデブだから三位になったというようにしか感じられない。続いて画面一杯に『第二位!』と表示される。
 「二位、前園はるかさん。十九票を獲得。流石の人気ですが惜しくもトップは逃しています。『前園ちゃん! 俺だー! 結婚してくれ!』『かわいいから真で決め打とう』『処刑される前園ちゃんもかわいいよハァハァ』など、常連プレイヤーだけに毎回紳士なファンの方が多いですね。『やっぱ強いわ』『かわいいのに強弁、でも吊られた』などそのプレイの質の高さも見所。今回は珍しく途中退場となってしまいましたが、果たして彼女の中身はなんなのか! 注目したいところですね」
 常連プレイヤー……ということはつまりそれだけ、たくさんのゲームを『勝利』で切り抜けているということだ。『珍しく』退場したということは、おそらくゲーム内で死亡することも始めてではないのだろう。そう考えると、今までに死亡していった面子にもいくばくか希望が持てる。
 そして一位の人物が発表される。意外なその人物に、マコトは驚嘆した。
 「一位、九頭龍美冬さん。二〇票を獲得」
 画面いっぱいに、気弱そうな九頭龍の白い顔が表示される。あいつが一位……?
 「『挙動不審、でもかわいい』『この子が負けたら身柄を引き取ってペットにしたいです』『個人的に今回のJK枠の中では一番のヒット』『発言は安定感抜群、たぶん安産型』など紳士な観戦者からの評価も上々。プレイスキルも安定してますね。
 『セイレーンってこの子?』『今回の目玉。ネット人狼の有名PLが参加なんてすごい偶然』『吉報:黎明期の準人狼王、まさかのJK』『当時はまだJCじゃね?』など、ネット人狼上での活躍が先ほどのインタビューで判明したことが、この得票数の要因でしょう」
 ネット人狼での活躍……? こいつ人狼プレイヤーとしては有名だったのか?
 インタビュー、マコトの知らないところでそんなものまで行われているのか。前園の言っていた『ハンドルネーム:セイレーン』というのは、つまり九頭龍のことだったのだろう。マコトは納得する。そしてそのことをこのゲームを規格した組織および観戦者は知っていて、九頭龍というプレイヤーに注目しているということか。
 実際、九頭龍はこれまで良い発言をして村を先導してくれている。普段はおどおどとしていて頼りない奴だが、妙なところに得意分野があったものだ。
 「以上が上位三人となります。他にも高い発言力で通に人気となった嘉藤智弘さんが四位、ギャル的な外見が好みの方に受けた鵜久森さんが五位など、後半まで残っているプレイヤーが上位に位置していますね。
 最終的なランキングでトップとなったプレイヤーには、勝敗によらず、さまざまなボーナスが送られますので、どうぞ楽しみにしてください」
 そう言って画面が切り替わり四位以下の順位が発表される。マコトは一票入って七位、それ以下は全員零票という具合になっていた。ちなみに『こいつ絶対陰キャラ』というコメントが紹介されている。余計なお世話だった。
 妙な気疲れを感じつつ、マコトはアタマを抱えて考察に戻る。今は人気投票など関係ない、ゲームに集中しなくては……。

五日目1:汝は人狼なりや?

 世の中にあるたいがいは、嘘か欺瞞か戯言か、或いは迷妄。最悪の場合、自分自身の勘違い。たいていの人間は真実に向かってはいけず、自分が真実だと思い込んだ暗闇に向かって歩いていく。 ……ハンドルネーム:COCO

 五日目:昼パート

 『多聞蛍雪』さんが無残な姿で発見されました。

 夢咲マコト
 嘉藤智弘
 多聞蛍雪 × 四日目:襲撃死
 戸塚茂 × 二日目:処刑死
 伊集院英雄
 桑名零時 × 一日目:襲撃死
 九頭龍美冬
 鵜久森文江
 化野あかり × 三日目:処刑死
 赤錆桜 × 二日目:襲撃死
 忌野茜 × 三日目:襲撃死
 前園はるか × 四日目:処刑死

 残り5/12人

 人狼2狂人1妖狐1占い師1霊能者1狩人1村人5 

 『五日目:昼パート』が開始されます。

 ☆

 五人。ずいぶんと減ったものだとマコトは思う。
 そしてこの中から無傷で生還できるのは、賞味二人というところだろう。今日の処刑で一人、夜の襲撃で一人、そして最後にラストの『人狼』を処刑して残りが二人……。
 その中に自分は入っているのだろうか。九頭龍の奴は、入っているのだろうか。
 「夢咲さぁ……! あたっ」
 思いながら会場に入ろうと扉を開けると、扉の前でずっと待機していたらしい九頭龍が鼻を押さえてその場でのけぞっていた。
 「九頭龍……なにしてんだ? 大丈夫か?」
 自分が扉を開けた拍子に顔を打ったらしい。九頭龍は痛そうに顔を抑えながらも、そそくさと自分の手を握って扉の奥に引っ込もうとする。
 「だ、大丈夫ですぅ。その、ちょっとこっちに。話したいことが……」
 彼女にしては強引なその行動に、マコトは「待てよ」といって九頭龍の手を引き
 「なんのつもりだよ? 会場以外の場所に二人で行くのはまずいはずだ。ゲームマスター側が認めないだろうし、仮にそれが大丈夫だったとしてもだ。ここから俺たち二人が出てきたら、まず密談を疑われる」
 九頭龍ははっとしたような表情をして
 「ごめんなさい……その。じゃあこっち来てもらっていいですか」
 「こっちって……おい?」
 マコトがまごついているうちに、別の方向から扉が開いて中から見慣れた少女が顔を現す。鵜久森だ。
 「ひっ」
 九頭龍は怯えた表情をして、マコトの体を抱くようにしてソファの裏へと引っ込んだ。振り払うことは簡単だったが、しかし九頭龍の行動の意図が図りかねてされるがままになってしまう。
 「ちょ……なんのつもりで……」
 小声で言う。どくん、どくんという心音がマコトの全身を振るわせる。自分のモノかと思ったっが、胸を押し当てる形で自分の顔を抱きこんでいる九頭龍の心音が、こちらに伝わっているだけのようだ。
 九頭龍の体は妙に柔らかく、温かかった。荒い息遣いを感じる。怯えているような、興奮しているような。とにかく落ち着いていないことは間違いなかった。マコトは鵜久森に見つからないように体制を建て直し、九頭龍と向かい合う。
 「どうしたんだよ?」
 必然、鼻先がかすれるほどの近距離になってしまう。少ない死角で体を重ねるようにしての密談。九頭龍は「その……」と指先同士を絡め合わせて
 「ほ、ほんとうのことを言ってくださいね。だいじな、だいじな話なんです。」
 「あ。ああ? なんのつもりで……」
 「その……えっと……」
 九頭龍は全身の勇気を振り絞るように両手を握り合わせる。指同士の絡み方がかなり雑で、相当にてんぱっていることが伺える。もとよりこいつは何をやるにも落ち着きがないし、要領の良いほうでもない。
 あわあわと言いよどみ、顔を真っ赤にしながら、九頭龍はようやくまともな口を開いた。
 「……あたしのこと、どう思いますか?」
 ……は?
 「なんだそれ?」
 「あ、いやその、えっと。つまりその、本物だと思いますか?」
 ……本物? と、いうとやはり
 「『本物霊能者』だろ? ああ、それなら問題ない。もうおまえを疑う奴なんていないよ。状況的に本物だと明らかだし、それに……」
 おまえが嘘を吐いてまで大金を得ようとしているとは思えない……といおうとしたのに、九頭龍はかぶせるように言った。
 「え……。でも、だったら!」
 大きな声。それは、悲痛の叫びのようでもあった。
 「だったら……マコトさんは、その。村人なんですか……?」
 「…………」
 その一言に、マコトは何故か、すぐに応答してやることができなかった。
 「九頭龍……おまえ……」
 疑って、いるのか? いや、違いない……。疑わないほうがおかしい。
 落ち着け。何を冷静さを欠いているんだ。自分は、自分だけは九頭龍から何の根拠もなく村人だと信じてもらえるだなんて、そんなことはありえないのだ。これはそういうゲームだ。自分だって何度か九頭龍が本物かどうか疑っただろう? 信じたいと強く願いながらも、何度も検証して何度も理屈を捏ね回して、そしてようやく信じることができるところまでたどり着いたのだろう……?
 だったら九頭龍だって、同じことをしているのに過ぎないのだ。疑うことをせずになされる信頼はただの『妄信』だ。こいつはこいつなりに考えて、苦しんで、そして真実にたどり着いていかなくてはならない。自分にしてやれることは……その助けをすることだけ……。
 「九頭龍!」
 マコトはそう言って、九頭龍の肩を抱いて、目を合わせた。息がかかるほどの距離、九頭龍の弱気そうな、それでいて澄んだその瞳を、マコトはしっかりと……どんなに上手く欺瞞するものでも、欺瞞のしようがないほどにしっかりと目を合わせて、言った。
 「俺は村人だ。俺を信じてくれ」
 九頭龍は、何も言わずに、ただ凍りついたような表情でじっとマコトを見つめていた。
 「俺の目を見てくれ。これが嘘を吐いている人間に見えるか?」
 これで伝わるのか……? いや、伝えるにはこれしかない。尽くせるだけの理屈は自分には何もないし、理屈で信じ込ませたところで九頭龍の不安が本気で払拭されるというわけでもない。
 ならばこれしかないはずだ。『信頼』というのは、ゲームの中で理屈をこねくり回して情報処理の末にたどり着くこともできる。しかし、マコトは、これまで九頭龍と間に積み上げてきた絆に、期待しようと考えた。二人が本当につながっていれば、これで通じるはずなのだと、そう信じたのだ。
 マコトのほうを見つめる九頭龍の瞳に、どういう訳か、大粒の涙が浮かんだ。「……え?」マコトはそこで、途端に緊張感を失って、呆けることしかできない。
 ぐしぐしと流れ出る涙をぬぐって……あふれる声を無理矢理飲み込んでいる。今にもその場で叫んでのたうちそうでさえあるのを抑えながら、全身を震わせて泣き続ける。その姿は、いままでに見たどの彼女よりもか弱く思えた。
 ……どういうことだ? なんで泣いているんだ? なんの涙だ?
 「はい……そうですね」
 九頭龍は涙にまみれた声でそう言って、俯きながらこういった。
 「信じます……夢咲さんは、村人です」
 そう言って、九頭龍は涙を流しながら何かを吹っ切ろうとでもしているように微笑む。
 「そうですよね。夢咲さんが……あたしを騙そうとするはずないですもんね。……あたしに少しでも危険が及ぶような選択を、するわけがないですもんね……」
 からからのその笑みは悲痛そのもので、マコトは声を出すこともできなかった。
 「夢咲さん……いい人ですから。あたしが、好きになった人ですから。……分かってました」

 ☆

 「何してるんだ、おまえら?」
 発見されたのも無理からぬことだったろう。マコトは考える。
 鵜久森によって蹴りだされ、マコトは床に四肢を投げ出す。情けない姿でしりもちをついた先には、九頭龍が髪の毛を引っ張りあげられて震えていた。
 「クズ。あんたなんのつもり? これって密談だよね?」
 「い……いたい、よぅ」
 自分より一回り背の大きな鵜久森に髪の毛を引っ張り上げられ、九頭龍はつま先で立ちながらその苦痛にもだえるようにしている。
 「なにやってたの? あんた本物『霊能者』じゃなかったの? ねぇ」
 そう言って顎を掴みあげる。「なんとかいえよ!」と怒声をあげる鵜久森だったが、顎を掴まれている所為でほとんど何も口に出すことができない。それにいらだってか、鵜久森はそのまま九頭龍の髪の毛を掴み、床に向かって叩きつけてしまう。
 対象が床を転がれば、それを蹴り飛ばすのになんの躊躇もない。鵜久森はそんな人間だった。九頭龍のアタマを踏みつけ、蹴り、怒鳴る。九頭龍はアタマを抱えて震えている。ただ自分のみを守るためだけに、「ごめんなさい」を繰り返して自分の身を抱く。
 「やめろよ!」
 マコトは立ち上がって鵜久森を突き飛ばした。体格の差は歴然としたもので、鵜久森はあっけなくその場を突き飛ばされてしまう。それからすぐに九頭龍のことを助け起こす。彼女は過呼吸を起こすように荒い吐息でもだえていた。
 「やりすぎだろ! おまえ、普段からこうなんだろ? いっつもこうなんだろ? なぁ鵜久森、なんとかいえよ!」
 アタマに血が上りすぎている。目の前で行われたあからさまな暴力の所為だ。今は冷静にならなくてはならない時間だと理解していても、腹の底がひりひりと痛んで仕方がないのだ。
 「こいつにいつもこういうことしてるんだろ? 髪引っ張って、金しぼりとって……タバコの火まで押し付けてよ。人間だぞ、こいつは……。人間なんだぞ……? 分かってんのか、自分のしてること」
 感情のままにマコトはそれだけ吐き出す。鵜久森に感じていた全ての憤りが、抑えきれずにとめどなく怒声となってあふれ出していく。いけない。冷静にならなければいけない。分かっていても、とめられるだけの理性を、マコトはもっていないのだった。
 「は? そんなの今関係ないし」
 そう言って、鵜久森はよろよろとその場を立ち上がる。
 「つか、そのタバコの火ってのは? クズの太ももにある根性焼き? あれって下着にでもならなきゃわかんなくね? へー、夢咲あんたそんなとこまでクズの体知り尽くしてるの? じゃあ、カノジョにはしなかった癖に、ヤリ捨てたんだ。ひどいやつ」
 「そ、そんなこと夢咲さんはしません!」
 九頭龍は叫んだ。「あ?」と鵜久森は睨むようにして九頭龍のほうを見て
 「クズさ。あんたどっちの味方な訳? あんたアタシと友達でしょ? 中学の頃からずっと。あんたフったその男の方につくわけ?」
 「……え、へ?」
 九頭龍はあからさまに困惑してその場で黙り込んでしまう。マコトは「おまえ」と心底の軽蔑をこめた声で
 「おまえ……なんでコイツがおまえの味方だと思えるんだよ。アタマおかしいんじゃないのか? 自分がこいつに何をしたのか分かってるのか……? タバコの火を押し付けられて、それでもおまえと友達でいようなんて……誰も思わないぞ? 九頭龍はおまえの奴隷じゃないんだぞ?」
 「意味わかんない。そもそも、その根性焼きアタシじゃないし」
 鵜久森は言い切る。マコトは「そうなのか?」と九頭龍のほうを見ると、九頭龍は自分の体を抱いて視線を逸らす。
 「母親の再婚相手にやられたんだとさ。そいつの親父が死んでるの知ってるでしょ? んで、アタシらと遊ぶ金のために、セーメーホケン? とか、イサン? に、ちょっと手をつけてたら、そいつドンくさいからばれて。それで、殴られて、タバコ押し付けられたんだと。母親も助けてくれなかったんだって。間抜けよね」
 ……そんなことになっているのか? マコトは九頭龍のほうを見る。九頭龍は沈黙しているが、それは肯定だ。
 「なんてことだ」
 ただタバコを押し付けられたというだけではない。太もものあんな、それこそ下着にならないと分からないような場所に、男から。どういう状況にあったのか、どんな目にあっていたのか。想像してみると、それは底なしの闇だった。
 「なに? そいつが上手に金を盗めないのが悪いんじゃない?」
 「全部おまえの所為だろ? おまえの所為で九頭龍の何もかもがむちゃくちゃになってるんだろ?」
 「言いがかりだし」
 「本気でそう思うのか? だったらおまえは救えない。死ね。死んで九頭龍のいるところからいなくなれ。二度と姿を見せるな」
 マコトが心底からそれを願って言うと、鵜久森も流石に堪えたのか「意味わかんない」とマコトに突っかかろうとする。殴り返して八つ裂きにしてやろうとマコトが拳を握った、その時
 「茶番はそこまでだよ」
 そう言って、嘉藤がマコトと鵜久森の間に入ってきた。
 「嘉藤……?」
 「お互い鶏冠に来てるなら、続けさせていれば何かボロを出すんじゃないかと思ったんだけど……がっかりだね」
 そう言って嘉藤はため息を吐いてから
 「ほんとう。つまんない茶番だったよ。終わりにしてくれるかな? せっかくおもしろくてスリルのあるゲームをしてるのに、それを君たちの勝手な因縁でむちゃくちゃにされたくないんだ。分かってくれるよね?」
 こいつ……何を言って
 「ん。んん~……。ま、まあ。確かにそろそろ時間も押してきてますな。その……お二人とも落ち着く以外ありえない」
 伊集院がおずおずという。床でしりもちをついていた九頭龍が、ふらふらとしながら立ち上がってソファに腰掛けると、マコトたちを見回して言った。
 「すいません。あたしのことで」
 縮こまるように言って、それからすぐに俯いて
 「議論に入りましょう……。その、夢咲さん、ありがとうございました。今は……話し合いましょう。生きるために……」
 その言葉の一つ一つに、気弱ないじめられっこらしからぬ強い意志が感じられた。マコトは取り乱していたことを恥じ、「そうだな」とうなずいて席に着いた。

五日目2:指定進行

 「先に言っておくけれど。僕たちは君たちのやっていた密談行為について、見逃すつもりはないよ」
 議論の最初に出た議題はそれだった。マコトも覚悟を決めていたので「ああ」と返事をして
 「密談なんてものじゃないんだ。というか現状だと敵陣営は、化野で『人狼』、前園で『狂人』が処刑できてて、『人狼』『妖狐』が残りだろう? 味方同士って訳でもないのに密談は必要にならないんだよ。釈明としては弱いか?」
 「弱いね」
 「たいした話をしていた訳じゃないんだ、ただ……」
 「それ以上はダメだよ」
 嘉藤はマコトの目の前に手の平を突きつけて
 「今からマコトくんと九頭龍さんに別々に話を聞く。二人で何を話していたのかについてね。その内容が一致すればとりあえず君たちは疑惑だけで済む。ただ、一致しなかった場合はこれはもう、釈明の余地なしで、君たちの間で何らかの密談があったものとみなす。これでいい?」
 嘉藤が伊集院、鵜久森の両名を見回す。伊集院は
 「それしかないようですな」
 とうなずいた。鵜久森は納得のいかない表情でいながらも、無言で妥協の意思を示す。
 検証はすぐに行われた。九頭龍は鵜久森に、マコトは嘉藤と伊集院によってそれぞれ会話の内容を一言一句確認させられる。まるで尋問のようだった。
 「完全に一致したね。短時間でここまで示し合わせるのは難しいだろう」
 嘉藤はそう判断した。マコトは少しアタマを下げて
 「おまえが村人ならすまん。無駄に疑われるようなことをしてしまって」
 「ご、ごめんなさぃい」
 九頭龍がおどおどした声で謝罪する。しかしこいつはなんで……あんな密談めいたことをしたんだろう?
 「あーもういいよ。面倒くさい。とにかく今日は、アタシ、嘉藤、伊集院、夢咲の中に残ってる『人狼』『妖狐』のうち、『妖狐』を特定して処刑する日なんだよね?」
 鵜久森が面倒くさそうに言う。すると伊集院が
 「んん~。そのはずですな。前園殿『本物』の可能性を追う場合でも、今日はグレーからの処刑で問題ありません。九頭龍殿が『霊能者乗っ取り』をやらかした『人狼』だとしたら、『妖狐』は夢咲殿……ということになりますかな」
 前園本物視点、『人狼』濃厚位置は霊能者カミングアウトの九頭龍。この推理は前園の遺言だ。前園を本物で見る伊集院としてはこれに準じるはず。そしてグレーの『妖狐』候補から、自身と前園の『シロ』である嘉藤と鵜久森を抜いたのがマコトということになる。逆に言えば、前園が本物で彼女が主張した説が正しい場合、マコト視点でも『妖狐』は伊集院となるというわけだ。
 そこで九頭龍が
 「そ、そうですね……。前園さんを本物で見ても、あたしを本物で見ても、今日あたしはぜったいに処刑されない位置にいます。グレーから『妖狐』目を指定して処刑する日ですね」
 嘉藤は憮然としている。マコトはただうなずいた。五人全員で、今日するべきことについての整理がついたということができる。
 「あの……一応。宣言しておきますね。霊能結果、前園さんは『シロ』、『人間』でした。『妖狐』か『狂人』です」
 ここまで残っている面子には分かっていることだ。九頭龍から、『前園クロ』の判定は絶対に出ないということは。
 「それと……一つ提案があるんです。いいですか?」
 「なにかな? 聞くだけなら、聞くよ。言ってみて」
 嘉藤が明るい声で応じる。「はい」と九頭龍は言って
 「今日の処刑なんですが……誰が処刑されるか分からないまま闇雲に投票に入るよりは、事前に誰を吊るか結論を出してから投票に入ったほうがいいと思うんです」
 その意見に、マコトは「どう違うんだ?」とたずねる。
 「今日は『村人』以上に、『人狼』を処刑しないように気を使わないといけない日です。『人狼』を誤って処刑すれば、『妖狐』勝ちになってしまうんですから。闇雲に投票するのは危険です。でも、事前に『誰を処刑するか』を指定しておくようにすれば、処刑指定先になった『人狼』は何らかのアクションを起こせる……と思うんです」
 「具体的には?」
 嘉藤が中指を額に突きつけて言う。九頭龍は「はい」といって
 「現状一番『妖狐』の可能性が小さいのはあたしです。あたしが今日の処刑先を『指定』します。皆さんはそれにしたがって投票してください。
 もしあたしが『処刑先指定』した人が『人狼』であった場合、カミングアウトをして『処刑』を『回避』してください。その場合は処刑先を考え直します。自分が『人狼』だといいたくない場合は、代わりに『狩人』でもかまいません。あ、もちろん本物『狩人』が指定先になった場合も、同様の『処刑先回避』をお願いします」
 「つまり、グレーにいるかもしれない『狩人』や、いるであろう『人狼』を守るために、『処刑先指定』という形で『警告』を与えるという訳だな」
 マコトが言うと、九頭龍は何度もうなずいて「は、はいそのとおりです」と言った。
 「『回避』を行った人を避けて処刑すれば、最低限『人狼』は残せます」
 「でも『妖狐』も指定されたらおとなしくは死なないだろう? 『人狼』も『妖狐』も回避をするなら、結果的に村人が処刑されることになるぞ?」
 「もし『村人』を処刑してしまってたとしても、残しておいた『人狼』が『妖狐』を襲撃してくれます。『妖狐』は襲撃されても死にませんから、明日の六日目、『狼狐村村』で迎えることができるようになるんです。すると……」
 「なんで『人狼』が『妖狐』を襲うんだ?」
 マコトが口を挟む。九頭龍は「……ちょっと複雑で、専門的なんですが」と前置きをしたうえで
 「今日、『人間』を処刑して、さらに夜時間の襲撃でも『人間』が犠牲になった場合、明日の生き残りは『狼狐村』となりますよね? このとき、『村』と『狼』が同数となり人狼陣営の勝利条件が達成され、生存中の『妖狐』の勝利となってしまうんですよ。これを防ぐためには、人狼は『狼狐村村』を目指して妖狐を襲撃しなくちゃいけないんですよ」
 「なにそれ。そんなことになったらどっちにしろ負けちゃうじゃん? 『人狼』処刑したら『妖狐』勝ち、『妖狐』を処刑したら『人狼』勝ちでしょ?」
 鵜久森が突っ込むと、九頭龍は「いいえ」と
 「『人狼』はこの時点で『妖狐』が誰かを知ることができます。『人狼』に『引き分け』に応じてもらい、『妖狐』が誰かを教えてもらうんです。その上で『人狼』と『妖狐』に相互に投票させて、二人の村人が『人狼』と『妖狐』に一票ずつ投じれば『引き分け』が可能です」
 言いながら、九頭龍はメモ帳に簡単な図を書いた。

 村人→妖狐⇔人狼←村人
 『人狼』は『妖狐』にしか投票しない。
 『妖狐』は『人狼』以外に投票すれば自身が処刑されてしまう。

 「2対2の引き分けが続けばゲームは『引き分け』として処理されます。どの立場の人も投票を動かせば自分の陣営が負けてしまいますので、『特別なケース』として引き分け処理が認められるそうです。一昨インタビューされた時マイクで聞きました。ちなみにこの場合、全員に下限の報酬100万円だそうです」
 『引き分け』……そういえばそんな終わり方もあったか。よくよく考えれば『投票』の性質上、同数票が続いて勝負がつかないということは十分に考えられることのはず。意図的にそういう状況を発生させてのノーゲーム……
 「つまり。今日は『人狼』さえ処刑しなければ良い日ということか。『妖狐』が処刑できれば勝ち筋に乗れるし、『村人』を処刑してしまっても『引き分け』を狙える。そしてそのためには、闇雲に投票に入るよりは、『人狼』を保護するための『指定』が必要となるんだな」
 マコトが納得した言った。九頭龍は何度もうなずいた。
 「んん~。まあ妥当といえるのではないですかな。今日は九頭龍殿の指定進行以外ありえない。ネット人狼でもポピュラーな戦術……というより基礎中の基礎です」
 伊集院が追従するように言った。鵜久森が「そうなの?」と首をかしげる。
 「ええ。村陣営であることがほぼ確定している人物がいる場合にとられる戦術です。
 人狼陣営が票を一箇所に固めてくる『組織票』を防いだり、誤って潜伏中の役職者を処刑しないための『警告』の役割を担ったりできる、由緒正しい冴えたやり方なんですな」
 「もちろん、『狩人』などを宣言して回避したからといって、絶対に残すわけではありません。というより今まで『護衛成功』を一度も見ていない以上、『狩人』の生存を見るのは少し難しいです。『狩人』で回避しようとした人を処刑するか、残すか、それを含めて判断するということです」
 九頭龍が言うと、鵜久森がつまらなさそうに
 「へえ。じゃあ結局あんまり意味なんんじゃん、それ」
 「まあいいんじゃないか? というか『人狼』を処刑してしまうリスク云々を抜きにしても……九頭龍が処刑先を指定するってのは、頼もしいことだ。こいつはこのゲームに俺たちの中で誰より精通している経験者だ。昨日の人気投票でも言ってただろう?」
 マコトは言った。伊集院が「んん~。ハンドルネーム:セイレーン……」と悩ましげな声を出す。
 「我のような現役プレイヤーからすると、少し古い名前なんですな……。四半期ごとに合計で五人程度選ばれる『人狼王』『準・人狼王』のうち、『準・人狼王』に合計三回選ばれた猛者……確かにそうそう指定は外しそうにありません」
 「む、昔のことですよぅ……。とにかく、あたしを『妖狐』で見る人以外は、あたしの指定に従ってください。……がんばって考えて選びますからどうか……」
 そう言って指先を絡めて懇願するように言う九頭龍。経験者同士セオリーでつながっている伊集院に反対する意思はなさそうだし、鵜久森も「まあいいんじゃね?」とばかりのスタンスだ。あとは嘉藤の了解が得られれば、だが
 「合理性は理解した。でもそれって完全に投票を九頭龍さんにコントロールされるってことだよね?」
 嘉藤がそう言って気だるげに肩をすくめる。マコトは「なんだ?」と
 「おまえは九頭龍を本物で見ているんじゃないのか? あんなに前園を偽者だと意見したじゃないか」
 「確かに、前園さんは偽者だと思っているよ。でも前園さんを切ったからって、九頭龍さんを信頼するってのはおかしいでしょ?」
 「は? ……前園が偽者で、かつ九頭龍も偽のケースなんて……」
 マコトが言うと、嘉藤は額を押さえて肩をすくめながら
 「役職が欠けている可能性も考慮すれば、いくらでもあるんじゃない? 『霊能者』はそもそも欠けてて九頭龍さんと化野さんは『狂人+人狼』。特攻した前園さんは『妖狐』だとか」
 「レアケースだ! 『妖狐』の特攻に『霊能者』欠け! おまえはほんとうにその可能性を追って、九頭龍を処刑するなんて言い出すつもりなのか?」 
 「それを含めて議論していかなくちゃいけないってことをいいたいんだよ。いいかな? 今現在処刑は二回残ってる。レアケースに対応するなら、今日がぎりぎりなんだ。確かに状況的に九頭龍さんが本物霊能者で間違いないように見えるけれど、だからこそ反証が必要なはず。それを放棄するのは思考停止以外の何者でもないね」
 「もうゲームも終盤だ。ごく薄い可能性は排除して、思考を集中させるべきだ。そんなレアケースを追う考えはノイズになりかねない。無茶なことを考えさせて時間を稼いでいるように見えるぞ?」
 「君こそずいぶんと露骨に九頭龍さんをかばっているように見えるけど? というか可能性を絞って考えるってそれ、自分からあえて視野を狭くするってことだよね。正気とは思えないんだけど。さっきの『密談』疑惑の所為で九頭龍さんの信用が下がっているのも事実なんだ。初日夜の『役欠け』の線も含めて、あらゆる可能性を吟味して結論を出すべきだと僕は思うね」
 嘉藤が飄々と口にする。心底マコトの言い分が理解できないとばかり。
 「わ……われでも思考が追いつきませんな。そこまで考えなくてもいいのでは。結局はレアケ追いということですし……」
 伊集院がぼそぼそと意見する。鵜久森がうなずいて
 「同じ意見ね。なに言ってるのか分かんないわ。可能性を捏ね回して遊んでるだけじゃないの、そんなの? クズ『霊能者』、夢咲か伊集院か嘉藤に『妖狐』『人狼』、これしか考えられないんだけど」
 「…………はぁ」
 嘉藤はあからさまにため息を吐いて
 「君たちの視野の狭さにはがっかりだよ。いいだろう、その偉大なる無能に付き合おう。九頭龍さんの『指定権』、認めることにするよ」
 とうとう嘉藤が折れる。アタマがよすぎるのも考え物なのかもしれない……マコトは思った。それだけいろんな可能性を追い過ぎていては、周りが付いてこられないし、結局は時間を浪費してしまう。
 今は九頭龍本物で絞って考えるのが吉のはずだ。マコトは既に、そのことは決め打っている。
 「だ、大丈夫ですよね。それじゃあ、あたしが指定しますので、皆さんの意見をください。あたしにも一応、処刑先に指定したい人っていうのはいるんですけど……決めかねる部分もその……あって……。あの、だから」
 九頭龍はぼそぼそと言った。マコトは「ああ」と言って
 「おまえ一人に責任を押し付けたりはしない。俺たちが議論をして、意見を出し、それを受けて最終的におまえが指定する役割というだけ。だから結局は、全員で決める、全員で戦うんだ」
 「は、はい」
 九頭龍はそう言って胸に手を当てる。がんばってくれ、マコトはそう強く願う。
 ゲームは、大きな山場を迎える。安定進行のない決め打ち……『妖狐』を探す真っ向勝負だ。

五日目3:舌戦

 「では……くどいようですが、改めて現状を再確認しますね」
 九頭龍がそう言って口火を切る。
 「ゲーム開始から今までの状況を一度振り返ります。まず、『二日目:昼パート』、ここで『狂人』の前園さんが戸塚さんに『クロ』をだしてカミングアウト。これに『本物占い師』の忌野さんが対抗でカミングアウトしました。
 そのあと、『クロ』の戸塚さんが処刑され、赤錆さんが襲撃されました。あたしは『三日目』の朝に『霊能者』をカミングアウト、結果は『シロ』なので前園さんとはラインが切れます。しかし『人狼』の化野さんが対抗霊能者カミングアウト。
 ここを処刑してもらい、その夜『本物占い師』の忌野さんが襲撃されます。あたしと前園さんのラン(数名の処刑先候補から選択して投票すること)で、前園さんを処刑していただきました。『霊能結果』はもちろん『シロ』。
 忌野さんの『シロ』である多聞くんが噛まれて、現在五人残りとなっています。なので、現状判明している内訳は……」

 占い師:忌野
 霊能者:九頭龍
 人狼:忌野+?
 狂人:前園(?)
 妖狐:?(前園)
 グレー(人狼+妖狐OR狂人が潜伏?):夢咲、嘉藤、伊集院、鵜久森

 「となります。前園さんはおおよそ『狂人』で見ているので、現在は1ウルフ1フォックス残り……じゃないかと思います」
 ここまでは分かっていたことだ。マコトと伊集院が同時にうなずく。嘉藤は悩ましげな顔をして腕を組み、鵜久森は状況を整理しなおすように首を振り、そして言った。
 「つまり夢咲、嘉藤、伊集院の中に『人狼』と『妖狐』が一人ずつ、なんでしょ?」
 「鵜久森殿視点ではそうなりますな。そして『人狼』を先に処刑しては『妖狐』の勝利となってしまいますので、今日は『妖狐』目を狙って処刑する以外ありえない」
 伊集院が言う。すると鵜久森は
 「はんっ。そんなこと言ったって怪しい場所はっきりしてるんじゃないの?」
 と言い放つ。マコトが「どういうことだ?」とたずねると、鵜久森は
 「伊集院よ。こいつ二日目からずーっと、偽者占い師の前園を本物だって言い張ってるじゃない。それなのに前園が処刑されてもそこまであわてた様子はないし、とうてい『村人』とは思えないんだけど」
 「あわてていないから『村人』でない、というのは短絡的ですな。そもそも、仮に前園殿が『本物』でも、今日『妖狐』さえ処刑できればケアは可能ですからな……。吊り数は足りているので、特にあわてる必要はないのです」
 伊集院が反論する。前園が本物なら、処刑で『戸塚』、襲撃で『忌野』の敵陣営が死亡済み。残り二人の敵陣営が残っていて、処刑回数も二回。確かに慌てる必要はない。
 「とは言え……昨日の前園殿の処刑際の態度を見るに、彼女は『狂人』だったのではないかと少し疑い始めてもいるんですな……。処刑される本物占い師があそこまで余裕をかましていられるでしょうか……と」
 「ほら来た! 主張をころころ変えてる。クズが『指定』の権利を持ってるからって、前園『本物』主張を撤回して、敵に回さないようにしてるんだ? あたしはコイツを処刑したい」
 鵜久森のその意見に違和感を覚え、マコトはこう切り出した。
 「待て。伊集院は敵だとしても『人狼』の方じゃないか? 伊集院は前園を『本物』だと言い張るのに躊躇がなさすぎる。もし本当に前園が『占い師』だったら、伊集院はみすみす『本物』の信用を高めてしまうことになる。あれだけ前園を本物主張して忌野の信用を落とすことができたのは、伊集院が『人狼』で、人間の戸塚に『クロ』を出した前園が『狂人』だと見抜けたからじゃないのか?」
 「伊集院くんと化野さんが『人狼』で、二人して前園さんの信用を高めるように動いていた……とマコトくんは主張するわけだ」
 嘉藤が言った。マコトは「そうだ」とうなずく。伊集院はグレーの立場から発言によって、化野は『霊能者』を語り前園と主張を合わせることで、前園を『本物』認定されるように動いた……これがマコトの推理だ。
 「でもその場合さ。『狂人』の前園さんを『本物』に見せかけて、忌野さんを処刑することが、人狼陣営の戦略だったわけじゃない? それをいきなり忌野さんを襲撃する戦略にシフトするなんて、少しばかり一貫性がないように僕には思えるんだけど」
 「『霊能者』を騙った化野が『処刑』されたことから、『前園』―『化野』ラインでは、『忌野』―『九頭龍』の『本物ライン』に信用で勝つことは難しいと判断したんじゃないか? それで忌野を襲撃してしまったと」
 「あの時化野さんを処刑したのはあくまでも『バランス処刑』だよね。前園さんの信用に影響はなかったはずだよ。それなのに忌野さんを襲撃した。前園さん本物派だった伊集院くんが後から疑われることを、まったく織り込むことなく……」
 悩ましげに腕を組む嘉藤。ぶつぶつと何かを考え込むように下を向く。この態度が敵陣営のものには、正直あまり見えないが……。
 「嘉藤、あんたもあんたよ? 結局あんた今日に入ってから、人の意見をつぶすような発言しかしてないじゃない。あんた自身の意見ってないの? みんなで誰が『妖狐』か考えなきゃいけないって分かってる?」
 鵜久森が噛み付く。嘉藤は「は?」とこめかみに中指を突きつける。
 「九頭龍さんが本物なら君たち三人のうち二人は敵なんだよ? 『みんなで仲良く』議論なんてバカげてるとしかいえないね。誰かが隙のある意見を出してきたなら、それをつぶしにかかるのは当然さ」
 「なにそれ? 誰にでも何癖つけるのは誰が処刑されてもいいからでしょ?」
 「誰が処刑されてもかまわないのは君のほうでしょ? 伊集院くんを処刑したいと言い出したかと思ったら、今度は僕を『妖狐』呼ばわりかい? 主張が一貫していないにも程があると思うんだけれど」
 「いつあんたを『妖狐』呼ばわりしたっていうの? 誰が処刑されてもいいように見えるって言っただけよ」
 「それが『妖狐』呼ばわりと言いたいんだけど? 『村人』や『人狼』なら、『妖狐』を特定して処刑しようとするよね。『誰が処刑されてもいいように見える』ってのは、『妖狐に見える』ってのと同じ意味だよ」
 「だからなんなのよ?」
 「君は僕と伊集院くんの両方を『妖狐』呼ばわりした。それが破綻した発言だといいたいんだ」
 「どっちも『妖狐』がありうるから迷ってるのよ!」
 「ダウト。君、僕を妖狐呼ばわりしないって言ったよね? 話の中で主張がいきなり変わってる。君、行き当たりばったりで発言してない?」
 そこまで嘉藤が言うと、鵜久森はついに反論をなくして黙り込む。嘉藤は当たり前に退けられる相手を当たり前に退けたような気だるさで、再び腕を組んでなにやら思索に戻る。
 「んん~、鵜久森殿はなんというか、推理に対する姿勢がいい加減なように感じられますぞ。全体を通して、考えている振りしかしていないようなイメージがどうしても拭えないんですな」
 伊集院が言った。
 「テキトウ誘導が目立つといいますかな。言動がブレブレで完全に人外(敵陣営)のムーヴに見えます」
 「……同感だな。ここが村人陣営には思えない」
 マコトは言った。鵜久森は目を剥いて「はあ!」と
 「アタシだってちゃんと考えてるわよ! つか夢咲今のって追従よね? アタシが怪しまれてそうだから、それに乗っかって生き残ろうって腹なんじゃないの?」
 「ちょっと待てよ。誰でも疑えばいいってもんじゃないぞ? 結局おまえは誰のことを『妖狐』で見るんだ?」
 「どいつもこいつも怪しすぎるのよ! 誰もかもが疑わしいわ!」
 ヒステリックにそう言って、九頭龍の方を睨みつけるように見る。焦りのこもった、それでいてすがるような表情だった。
 「クズ! いいからさっさとこいつら三人の中から『指定』しなさいよ! どうせ『狩人』で回避してくるんでしょうけどね!」
 言われ、九頭龍は「ひゃいっ」と目を丸くする。それから困惑した表情でマコトたち四人を眺める。
 「え……えっと。その……」
 決めかねるように、九頭龍はあわあわと口元を動かす。そろそろ時間がない。後から一悶着あることを考えれば、そろそろ九頭龍から『指定』が入っていいタイミングだ。
 「その、結局、皆さんはどなたを『妖狐』そして『人狼』で見てるんですか?」
 九頭龍のその質問に、まずはマコトが
 「議論の中でも話したが『人狼』は伊集院だろうと感じている。『妖狐』は嘉藤か鵜久森のどちらか……だが、今日の態度を見るに鵜久森の方がより濃厚だろうな」
 次に伊集院が
 「態度だけで見るなら、一番どこが処刑されてもよさそうなのは鵜久森殿でしょうか。しかし前園殿が『本物』なら、夢咲殿が『妖狐』ということに……。うむふん、どうもやはり前園殿は『狂人』のように思えるんですなぁ」
 主張を変えてきている……? これも演技と見るのが妥当か。嘉藤が『人狼』には見えないし、鵜久森の動きはどこを処刑してもかまわない『妖狐』のそれだ。となると消去法でラストの『人狼』は伊集院、これでいいはず……。
 「鵜久森さんは敵だろう。でもマコトくんや伊集院くんが敵には見えない」
 嘉藤が肩をすくめながら言った。
 「マコトくんが嘘を吐くなら僕は見抜ける自信がある。彼は悩みながら戦ってる村人に見えるね。伊集院くんは視点が偏っているけれど、そこがむしろ村人らしく感じられてしまう。というより、僕はまだ九頭龍さんを信じきっていない。ごめんね」
 結局こいつはずっとふわふわとしたままだった。これは何かの伏線なのか? 今日鵜久森を処刑することには強く反論せずにいて、明日になっていきなり九頭龍を『人狼』だなどと言い出すつもりであるとか……。
 「……誰でもいい、とは言ったけど。そうね、アタシが一番怪しんでるのは、夢咲」
 最後にそう言ったのは、鵜久森だった。
 「アタシも正直人のこと言えないんだけどさ、結局コイツってしっかりした意見を持ち始めたのって四日目、忌野が『襲撃』されてからじゃん。忌野が襲われるなら、そっちが本物で前園が偽、これは当たり前のことよね? その当たり前のことしか主張せずに、周りの意見にまぎれてる。そんな印象よ」
 それはすべて鵜久森自身にも返って来ることだ。マコトはそう感じた。
 全員の意見が出揃う。村人たちは、息を呑んで九頭龍の指定を待ち受ける。
 八つの視線に見つめられ、九頭龍は怯えたように視線を逸らす。それからぼーっと、何か別のことを考えているかのごとく沈黙する。
 長い長い、停滞だった。人形か何かのように空ろに、なにを考えているのか、何かを考えているのかも分からないままで、その沈黙は続き……そして唐突に破られた。
 「……夢咲さん」
 その一言に、マコトは心のそこから素直な声が出た。
 「ああ?」
 「夢咲さんです」
 九頭龍はマコトのほうを向き直って、泣きそうな顔でこういった。
 「指定先は夢咲さん……今日の処刑はここでお願いします」
 マコトは、あっけにとられるしかなかった。

五日目4:遺言

 何故だ。心の中で強く叫んだ。おそらく、表情にも出ていただろう。
 九頭龍は自分のことを『村人』だといってくれた。確かに信用してもらえた、ように思う。それが議論の中でひっくり返ったのか? なにが原因だ?
 「うーん。そこかぁ……ちょっと意外ではあるのだけれどね」
 嘉藤が額に手をやりながら言った。
 「はん。妥当なとこじゃないの? クズ、よくやったわ。それで正解よ」
 鵜久森が勝ち誇るようにいって頬に笑みをたたえる。クソ……こんな奴に負けるのか。
 確かに自分はこのゲームにおいて完璧な振る舞いをできたとはいえない。悩んだことも間違えたことも何度もある。
 だからって……通じ合えたはずじゃなかったのか? お互いの目を見て、心を通わせて、信じあえたのではなかったのか? マコトはぐるぐると同じことばかりを心の中で反復する。何故疑う? 何故自分を処刑しようとする? 何故……、何故……。
 「ゆ、夢咲さん……その」
 九頭龍は息を切らしながら
 「カミングアウトでの『回避』はありますか……? その……言っていいんですよ。『狩人』でも『人狼』でも、なんでも……」
 「はあ? そんなの聞く必要ないし。どうせそいつが『妖狐』でしょ」
 鵜久森がいう。マコトは違う、と首を振った。ふって、そして呆然としたアタマで考えた。
 あの時の九頭龍の言葉が本心からのものではないとは、マコトには思えない。自分は村だと泣きながらいった九頭龍の言葉に、欺瞞はなかった。
 「待て……カミングアウトは……」
 落ち着け。マコトは自分に言い聞かす。
 自分は村人だ。それは伝わっている。伝わっていると信じる。そしてマコトは九頭龍のことを疑わない。ここまでは確かだ。それが確かなら……迷うことはないはずだ。
 「カミングアウトは……ない。ただの『村人』だ」
 マコトは決断する。
 「カミングアウトをしなければ『村人』だと思ってもらえる、なんて理由で『回避』をしない訳じゃない。だからこのまま処刑してくれ。処刑して……引き分けにしてくれ」
 「えー」
 嘉藤はしらけた顔でいった。
 「これ、絶対はずれでしょ? 嘘吐いてるように見えないもん。……まあ、一度指定しちゃった以上どうしようもないけどさ」
 「はん。見えすいた村人アピールご苦労様」
 鵜久森がいう。「黙れ」とマコトはいって
 「『人狼』に伝えておくぞ。こいつを襲撃してくれ。おそらくここが『妖狐』で間違いない。ここを襲撃して引き分けにしてくれ」
 「はいはいご苦労様。役に立つことないから、そのアドバイス」
 そう言って鵜久森は息を吐き出す。「はぁー」いって「はぁー」その場でうずくまり
 「はぁー……」
 完全に気の抜けたような顔で、その場で放心した。
 「あの、その。カミングアウトなしでしたら、その……。う。うぅうう」
 指を絡めて涙をこらえる九頭龍。今にもうずくまって吐き出しそうな青い表情は、決して正気のものとは思えない。罪悪感から来るものか、だとすればそんなものは感じる必要はないということを伝えなければならない。
 マコトは九頭龍の肩を抱き、目をしっかりと合わせてこう言った。
 「おまえの言うことなら従う。後は頼む……だからしっかりやってくれ」
 「ま……マコトさん……?」
 震えた声で言う九頭龍に、マコトはうなずいて見せる。
 「引き分け狙いなんだろ。とにかく俺は処刑されるが、気に病む必要はない。こんなゲームに巻き込まれてるんだ、無傷で帰れるとは思っていない」
 マコトは息を飲み込んで、それから手を握りながら言った。
 「信じてるぞ。おまえが本物霊能者だって。『人狼』も『妖狐』も、生かしたままゲームを終了させるには、引き分けしかないもんな。それがおまえが決めたことなら、俺はその礎になる」
 優しすぎるのだ、この女は。村人を処刑することで、『人狼』も『妖狐』も生かしたままゲームを終え、皆で生還する。それが……『指定役』として九頭龍が選んだことなのだ。そうでないなら、九頭龍がマコトを指定する理由などあるものか。
 この女は、結局のところ、誰かと心から敵対するなどということができないのだ。自分たちを危険に晒してまで大金を欲しがった連中さえ、生かそうとする。戦い、蹴落とそうとしない。だからこの女は誰からも甘く見られていじめられる。そう思うと、マコトはいじましくなった。
 「そうじゃ……なくて」
 九頭龍は言った。
 「そうじゃなくて……そうじゃないの! あたしは違って、それと違って! 夢咲さんが思うような……うぅう。うわぁあああん!」
 叫んで、九頭龍はマコトの体を振り払う。非力な彼女のものとは思えない、闇雲で悲痛な力だった。 
 はじかれて、マコトは呆然とする。なんだ……今のは。今のは何の叫びだ? そもそもこいつはこんな風に激しい感情をあらわにするものだったのか?
 九頭龍は息を荒く吐き出す。青い顔で震えながら、どこか近寄りがたい空気をまとっている。触れれば切れるような、そんな雰囲気だ。
 「ごめんなさい」
 九頭龍は言って、沈黙した空気を揺るがすように鋭く言い放った。
 「……指定を変更します。伊集院くんです」
 その発言に、一同は騒然となる。
 「ちょっと……変更する条件は『回避』があった場合だけじゃないの?」
 嘉藤が眉を潜めて言う。そのとおりだ。最初に決めたルールに従うなら、自分から『指定』が外されることはありえないはず。それを許してしまったなら、『指定』持つ効力は半減してしまう。
 「そうですぞ……。あの、カミングアウト言わなければいけませんか?」
 伊集院が言う。九頭龍は「はい」と、蚊の鳴くように小さな、しかし遮りようの無いよく据わった声で
 「お願いします。何もなければ今日はあなたを処刑します。決定事項です」
 「……仕方ありませんな。確実に噛まれるので、出ずに済ませたかったのですが」
 そう言って息を吐き出し、伊集院は周りをきょろきょろと見つめて機嫌をうかがうように
 「『狩人』をカミングアウトしますぞ。護衛ですが、処刑されるまでは前園殿一人を『護衛』し続けておりました。前園殿が処刑された昨日の夜時間の護衛先は、九頭龍殿です」
 「はぁ? 見え透いた回避ね!」
 鵜久森は言った。
 「こんなの無視して処刑でいいわよ。どう考えても」
 「鵜久森さん。君はマコトくんを処刑したかったんじゃないのかな?」
 嘉藤は言った。
 伊集院が『狩人』で回避……ということは、やはりここが『人狼』か? そして鵜久森が『妖狐』……このマコトの推理で正当ということでいいのだろうか?
 「はあ。悪いけどさ。伊集院君を処刑するなら僕は納得しないよ。『狩人』での『回避』もそこなら納得できるもん。他の誰かが忌野さんから護衛を外して死なせてしまうことは考えづらいけど、前園さんを本物に見ていた伊集院くんならありえなくはない。他の誰の『狩人』カミングアウトよりも信憑性がある」
 嘉藤が冷静に言った。
 「んん~。実際そのとおりなんですな。あれが狂人噛みだったのか本物噛みだったのか……。それはまだ分かりませんが」
 伊集院が言う。マコトは九頭龍の方を見て
 「こいつを本物とは思わない。けど今日伊集院を処刑するのはダメだ。こいつは『人狼』な気がしてるし、『回避』まであるなら『処刑』すべきじゃない。まだ俺を処刑してくれたほうがマシだ」
 言うと、九頭龍は「え、えっと」と言いよどんでから、やけっぱちのような声で言い放った。
 「じゃ……じゃあ。嘉藤さん! 嘉藤さんに指定します!」
 「それだけはない」
 嘉藤はぴしゃりと言った。鵜久森が眉をひそめてくってかかる。
 「なにそれ。自分が指定されるのだけはないって? どうしてそんな風にいえるのよ?」
 「僕を敵陣営で見るのがナンセンスなのもそうだけれど。もっとありえないのは、マコトくんから伊集院くんに指定を変更して、『回避』の後で指定をマコトくんに戻さず僕に回したことだ」
 嘉藤は拳を握り締めて
 「迷っても間違えてもいい。でも、『どこでもいいからテキトウに』はダメだ。これ絶対本物の動きじゃない。『妖狐』を狙いたいならこんな意味の分からない変え方はしない。だからって彼女自身が生き残るための指定でもない。彼女自身が生き残れればいいならこんな怪しまれることはするまでもなく、鵜久森さんに指定をいれれば済んだんだから。これっていったい……」
 そう言って嘉藤がアタマを抱える。そうしているうちに、議論時間終了が近づく。九頭龍はおずおずと言った。
 「あの……『回避』は……」
 「『村人』だからない。ないけど」
 ぶつぶつと、口元で何やらつぶやく嘉藤。額に指先をやって沈黙する。目を閉じて口の中で舌を何度も鳴らす。つま先を何度も床に叩きつけ、自分の髪の毛を指先に絡めて引っ張って引きちぎって……そうして嘉藤は唐突に顔を上げた。
 「あー……っ? ……分かった。どうなってるか今分かった。やっぱり九頭龍さん偽者だ」
 閃きと確信に満ちたその言葉が、マコトの胸に深く突き刺さった。
 「ん? んん~! い、いまさらその主張をされてもどうしようもないですぞ」
 伊集院が困惑したように言う。嘉藤はそのこましゃくれた表情に僅かな焦りをにじませて、何かを言おうと口を開く。ちょうど、そのタイミングだった。
 「五日目、昼パートが終了いたします。投票パートに移行しますので、それぞれの個室にお戻りください」
 その声に感情はなかったが、しかしどこかしら、村人たちの混乱をあざ笑うかのような、そんなぴったりのタイミングだった。嘉藤は悔しそうな表情で歯噛みする。
 「信じろとは言わない。せめて考えてくれ」
 嘉藤は良く通る声でそう言った。
 「今から説得するのは間に合わない。だから核心は言わない、『言うべきではない』。あとは、君たちの中の村人に託す。僕が処刑されても、君たち次第でまだぎりぎり勝ち筋は残って……」
 マコトが呆然としていると、隣で鵜久森があごをしゃくって
 「時間」
 と言った。すぐに投票パートに移らなければならない。
 「九頭龍……」
 アタマを抱えてうずくまる九頭龍に、マコトは声をかける。返事はなかった。意図的に無視しているようにも、それは、見えた。

 ☆

 (0)夢咲マコト→嘉藤智弘
 (4)嘉藤智弘→九頭龍美冬
 (0)伊集院英雄→嘉藤智弘
 (1)九頭龍美冬→嘉藤智弘
 (0)鵜久森文江→嘉藤智弘

 『嘉藤智弘』さんは村民協議の結果処刑されました。

五日目5:レアケース

 嘉藤の処刑のされ方は、他の誰よりも静かだったように思う。
 ただ、処刑台を上るその足取りは、何か遣り残したことを感じさせるものだった。躊躇なく踏み出される一歩一歩は、しかしどこか納得のいかなさそうな、悔しがる子供のような足取りで……。ゴトーを首に巻きつけられてからも、恐怖や緊張に暴れたりすくんだりすることはなく、ただいらだたしげに腕を組んでいるだけだった。
 ただ落ち着いているのとも違う。気丈なのとももっと違う。自分の首が締め付けられることよりも、ゲームの中での遣り残しが不愉快でならないとでも言うような、そんな態度だ。
 もしかしたら奴は、最後の最後までこのゲームを楽しんでいたのかもしれない。『世の中に退屈している』などと不遜に言い放った彼の退屈を埋めるのに、命を賭けたこの非日常はふさわしいものだったのだろうか。宙に投げ出される嘉藤を見ながら、マコトは額に汗してそんなことを思った。

 ☆

 はたして嘉藤が村人だったのかそうでなかったのか。マコトにはまだ良く分からない。少なくとも『五日目:夜』が訪れている以上、彼が『最後の人狼』として処刑されたわけでないことは明らかだ。
 今現在、生き残りは四人。もし『人狼』が二匹残っているならば、『人狼と人間が同数になる』という人狼陣営の勝利条件が達成されていることになる。このことから、現状残りの『人狼』は一人ということが確定。マコトはこれを伊集院だと読んでいた。『狩人』での回避は、彼が『人狼』だからこそ、生き残るために嘘を吐いたのだと考える。そして『妖狐』は鵜久森が濃厚だろう。今夜、『人狼』の伊集院が『妖狐』の鵜久森を襲撃すれば、この二人に相互で投票させることで村人陣営は『引き分け』という結果を手にする。
 考えられる負け筋は『人狼』が『妖狐』を絞りきれず『村人』を襲撃してしまった場合と、嘉藤が『妖狐』で明日残る『人狼』を処刑できなかった場合。……そして。
 今まで前提として考えてきた内訳……『マコト』『嘉藤』『伊集院』『鵜久森』『九頭龍』の内訳が『村人陣営二人』+『霊能者』+『人狼』+『妖狐』であるという前提、これが間違っていた場合。
 嘉藤が処刑される前に言っていたことを思い出す。『九頭龍は偽者』最後の最後で繰り出したこの主張を、嘉藤がどの程度本気で通そうとしていたのかは、分からない。嘉藤は九頭龍に投票していたから……ひょっとしたら嘉藤が『妖狐』でワンチャンス九頭龍を処刑できないかといきなりあんなことを言い出したというのもなくはないかもしれないが……。
 「検討に値するのか、こんなの……?」
 ノイズ……のはずだ。九頭龍が偽者なんてあるはずがない。気弱なはずの九頭龍が勇気を出して、村人陣営の生き残りのために必死で声を大きくして戦ってきたのだ。それを裏切って、奴を『偽者』と主張するだなんて、できることではない。それを……。
 『迷っても間違えてもいい。でも、「どこでもいいからテキトウに」はダメだ』
 嘉藤の言葉が思い出される。なんで九頭龍はあんなむちゃくちゃな指定の入れ方をした?
 『信じろとは言わない』
 『せめて、考えてくれ』
 考えれば分かるというのか……? あの男の能力を考えると、確かに一考には価するかもしれない。あいつの言うことが真実で九頭龍が偽者なのかもしれないという可能性を、まったく追わないということは、それは……やはり逃避なのではないか?
 「考えてみよう」
 勇気のいることだ。しかし、しなければならないことだとマコトは思う。疑うことをまったくせずに行われる『信頼』は、ただの『妄信』でしかない。疑って、乗り越えて……そして改めて彼女を信じよう。
 そう決めた。必ず彼女をまた信じられることを、願った。

 『九頭龍』を偽者霊能者とする。一番最初に思いつくのは、この内訳だ。

 占い師:前園
 霊能者:化野
 人狼:戸塚+九頭龍
 狂人:忌野
 妖狐:?

 前園が主張した説をそのまま信じた場合だ。
 この場合何故前園はあんなに余裕を持って処刑されていったのかという疑問が残るが……。しかし『戦い抜いてあきらめた本物』という風に考えることも可能なはず。
 だがしかし、このパターンはありえないという根拠を、マコトは既に一つ見つけている。それは『狂人』が襲撃されていること……ではなく、九頭龍が最終的な処刑先に嘉藤を『指定』したことだ。
 この内訳の場合、『人狼』の九頭龍はグレーに、潜伏中の『妖狐』を殺害するために動いていなければおかしい。だが、この内訳における本物占い師である前園の占い結果は、『戸塚:●』『鵜久森:○ 』『嘉藤:○ 』。九頭龍が『妖狐』を狙って指定する場合、鵜久森と嘉藤は避けるはず。それなのに嘉藤を最終的に処刑先とした……この時点で、前園が『本物』で九頭龍が『人狼』というパターンはきっぱりと切れる。
 では上の配役の他の部分は変えずに、九頭龍だけ『人狼』ではなく『妖狐』とした場合……これも同様の理由で薄いと分かる。九頭龍が『妖狐』なら、今日の処刑先にラストの『人狼』を指定することで、その日のうちに勝利することを目論むはずだ。ならば前園の『シロ』から指定先が選ばれることはないはずだし、仮に選ぶのだとしても、あんなに二転三転して怪しまれてから選ぶ必要性はどこにもない。

 うん、大丈夫。ちゃんと考えられている。この濃密な時間、どういう配役ならつじつまがあうかということを考え続けた経験は、マコトの中で生きている。

 さて。前園が本物で九頭龍が偽者なら、襲われた忌野は『狂人』でなければならない。そして残る『人狼』『妖狐』どちらの動きも九頭龍はしていない。この時点で前園が『本物』という可能性は完璧に切れる。
 つまり嘉藤の言うことが正しく九頭龍が『偽者』であったとしても、前園は偽者占い師でなければおかしい。ではそのようにして考えてみよう。

 占い師:忌野
 霊能者:化野
 人狼:九頭龍+戸塚
 狂人:前園
 妖狐:?

 最初に思いつくのがこれだ。九頭龍を『人狼』とおいた場合。もっとも謎なのが化野が出した『戸塚:クロ』の『霊能結果』だ。『狂人』の前園が戸塚に対して『クロ』を出してしまっているというパターン。化野を『本物霊能者』とおく以上はこうなる。こうなってしまう……。
 「『狂人誤爆』……」
 確かに可能性としてはありうる。『前園』―『化野』のラインと『忌野』―『九頭龍』のライン、という風に今まで考えてきたから、誰もそれ以外の可能性について触れたものがいなかった。だがしかし前園と九頭龍の両方を偽者とおいてしまった場合、この前提を崩して考えなければならない。
 思えば……今までその可能性に触れたものが一人だけいた。化野だ。
 『……私、別に前園とだけラインつながってるわけじゃないだけどー。いちよー忌野が本物でもおかしくない立場だよねー』
 この発言に、素直に耳を傾けていれば、もっと早くにこの内訳を検討できたかもしれない。それは迂闊だったが……とにかく、この可能性をマコトは排除しなければならない。九頭龍を信じてやるためには、この内訳がありえないといえる根拠を明確に示せなければならない。
 そう思い、マコトは切り口を探す。思考し、思考し……思考しつくして……そのうちに思考自体が途切れ途切れになっていく。
 冷静に考えたいと思う理性とは別のどころで、底なし沼に浸っていくような絶望的な気分が全身を包む。それは次第にマコトを完全に多い尽くし、そして閉じていった。
 「バカなっ!」
 アタマを抱える。
 見つからない、見つからない、見つからない……。否定する根拠が何も見つからない。合っている……『つじつまが完全に合っている』!
 いやしかし……しかしだ。九頭龍が『人狼』で、グレーに生きているはずの『妖狐』を探していたとして……何故最初自分を指定したのだ? 自分は村人だとマコトは訴えたし、それは確かに伝わったという手ごたえも感じた。その上で九頭龍が自分を指定する根拠とは?
 九頭龍は自分をあんな狭いソファの裏に引き込んでまで、『村人』かどうかの確認をしてきた。その結果マコトを『村人』だと確信したのなら、マコトに指定を入れようとすることそれ自体がおかしくなってくる。それはもちろん、あれでもまだ九頭龍が自分を村人だと確信するにいたらなかったという可能性は存在する。しかしあれほど怪しく思えた鵜久森を放置してまで自分を指定するなどということが、あってたまるか。
 「……そもそも」
 そもそもだ。
 「どうしてあいつは……俺が村人だと言った時、涙を流していたんだ……?」
 それが謎なのだ。あのソファの裏に連れ込まれて行った密談で、マコトが村人だと聞いて、九頭龍は泣いていた。悲しそうに、壊れそうに、泣いていた。何故だ? 何故泣く? あいつが『霊能者』でも『人狼』でも、自分が村人だと聞いて泣く理由なんてないはず。
 『……あたしのこと、どう思いますか?』
 『あ、いやその、えっと。つまりその、本物だと思いますか?』
 ふと、九頭龍がもう一つ、自分にそんな質問をしたことを思い出す。
 自分を信じているかどうかの確認……? そんなもの、あんな誰からも怪しまれる行動を取ってまで、することなのか? あんなこと、九頭龍が偽者だとして、騙せているかどうかの確認のために、疑われるような行動を取るなどという……。
 あれに、別の意味があったのだとすれば……。あれが額面どおりの問いかけでないのだとすれば。そう、マコトが今想像したような最悪の意味……。すなわち。
 『汝は、人狼なりや』
 だとすれば
 「……伊集院が、襲われる?」
 そう思い至ったとき、アナウンスが鳴り響いた。
 「六日目の朝になりました。会場へお集まりください」
 立ち上がろうと机に押し当てたその手は、冷たい汗でじっとりとぬれていた。

六日目1:カミングアウト

 真実はね、残酷なんだよ。ゆるぎないから残酷なんだよ ……ハンドルネーム:NANA



 六日目:昼パート

 『伊集院英雄』さんが無残な姿で発見されました。

 夢咲マコト
 嘉藤智弘 × 五日目:処刑死
 多聞蛍雪 × 四日目:襲撃死
 戸塚茂 × 二日目:処刑死
 伊集院英雄 × 五日目:襲撃死
 桑名零時 × 一日目:襲撃死
 九頭龍美冬
 鵜久森文江
 化野あかり × 三日目:処刑死
 赤錆桜 × 二日目:襲撃死
 忌野茜 × 三日目:襲撃死
 前園はるか × 四日目:処刑死

 残り3/12人

 人狼2狂人1妖狐1占い師1霊能者1狩人1村人5 

 『六日目:昼パート』が開始されます。

 ☆

 自分は『村人』だから指定された。残る四人の中でもっとも『村人』らしい人物と認定されたから、指定先とされた。それが、伊集院が襲撃されたことでマコトが得た結論だった。
 そのあと九頭龍がどのように葛藤し、ああして喚き、顔を青くし、指定を自分から変更したのかは……分かる。どんなに目をそむけようが、想像力を働かせることを拒もうが……他の誰に分からなくても自分だけは分かってしまう。
 九頭龍は……願わくば自分と共に生き残りたかったのだ。自分と共に生き残れるというその幻想を……ついに捨てることができなかった。それはあいつのエゴで、情だろう。マコトという片思いの相手に対する……純然で盲目的な情欲。
 「ゆ、夢咲さん……その」
 「おはよう。九頭龍」
 マコトは極力表情を消して答える。九頭龍は涙を流しそうに下を向いて、ただ、震えている。今にも叫びだしそうに、頭を抱えながらじっとしている。
 こいつに与えられた配役がなんなのか。それは、伊集院が襲撃されたことで、マコトは完全に決め打つことができていた。
 襲撃されるということは伊集院は本物『狩人』。残っている『鵜久森』『九頭龍』のどちらかは『人狼』となる。
 では……九頭龍がそうなのか? 嘉藤が処刑され際に口にした『九頭龍さんは偽者だ』というのが正しいとして、九頭龍を『人狼』と考えてみたらどうか……。
 違うのだ。これだと鵜久森が『村人』ということになってしまうというのが少し違和感だし、何よりそれ以上に、嘉藤自身が『妖狐』ということになってしまう。嘉藤が妖狐なら『回避』をしない理由がない。『君たちにあとは託す』なんて『妖狐』にはいえない。だから、九頭龍が『人狼』でつじつまがあうとすれば、鵜久森が『妖狐』であった場合だけ。しかしこれは今日が訪れている時点でありえない。よって、九頭竜は『人狼』ではない。
 そして『妖狐』は五日目が開始された時点で、どこかで死亡していたのだということになる。いったいどこで? それは前園、あの騙り占い師だ。今まで処刑された人物のうち、戸塚は『人狼』で化野は『霊能者』だ。ならば前園が『妖狐』でしかありえない。
 『妖狐』の前園は『特攻』を選択した。そして一度はその『特攻』を、『人狼』の戸塚にヒットさせることに成功した。本物霊能者の化野とラインをつなぐことができた前園は、一度は優位に立てたはずだった。
 しかしアクシデントが起こる。対抗『占い師』であり『本物』の忌野が襲撃されてしまったのだ。それでもなんとか生き残ろうと九頭龍『人狼』という説を主張した前園だったが、惜しいところまでは行くも結局は3対4の支持で処刑される。潔く敗退していった。
 しかし前園の主張はある意味では正しかった。九頭龍が『霊能者』を乗っ取った『偽者』だったという、その一点において。
 「夢咲さん……あの。あたし……言わなきゃいけないことが……。うぅ」
 九頭龍は言う。
 何故九頭龍はあんなに怪しまれていた鵜久森を指定しなかったのか? 
 何故九頭龍は自分に『村人かどうか』などと聞いてきたのか。
 その全てを説明することができる真相は……一つしかない。
 「怒ると思います。軽蔑すると思います。裏切ることに……なると思います。ごめんなさい。ごめんなさい。いやだったんです……今までどおりは……あんな死にたくなるような毎日を続けることは……耐えられなかったんです。だから……許して欲しいなんて……」
 そう言って九頭龍は子供のように大声を上げて、大粒の涙を流しながら泣きじゃくり始める。
 「でも。でも……。夢咲さんが……そうじゃないなら、あたし……これに勝ったって、どうやって生きていければいいのか……。やっぱりこうなるのなら……夢咲さんとこうなるくらいなら……あたしはたとえすべて今までどおりだとしても……」
 「分かってるよ。何が言いたいのか」
 マコトは、そう言って九頭龍に優しく微笑みかけた。
 九頭龍は涙にまみれた顔で、吸い込まれそうな黒い瞳でマコトのほうを見る。子供のように無垢な泣き顔。繊細すぎるほど繊細に見える。気弱で人を騙すことなんてできなさそうに見える。誰よりも無垢で誰よりも綺麗で、誰よりもちっぽけで簡単に踏み潰されそうに見える。
 しかし……それは誤りだ。彼女は誰よりも悪魔染みた動きで村人たちを欺き、支配してきたのだ。
 「おまえが『狂人』なんだろ。分かってるさ」
 そう、マコトは言って、震える九頭龍の体をぎゅっと抱き寄せた。
 「……逃げ出したかったんだろ? 今いる場所から。おまえをいじめる全てから、どうしようもない真っ暗な毎日から逃げ出すために……そのきっかけが欲しかったんだろ?」
 暖かい、柔らかい、それでいて華奢で弱々しい。その弱さを守ってやりたいと……その弱さの代わりにあらゆる逆境を受け止めてやりたいという、その想いだけは確かだったはずなのに。
 恋愛感情は理解できないだなんて、幼く臆病な考えに逃げなければ、その想いは違いなく九頭龍に対する愛情なのだと気付けていれば。
 大金などなくても、彼女の想いに応えていれば……全ての害悪から九頭龍を守り抜くとマコトが確かにそう伝えられていれば……こんな悲しい選択はさせずにすんだはずなのに。
 「俺もそうなんだ」
 マコトは言った。胸が張り裂けそうだった。
 「……俺が『人狼』なんだ。だから、一緒に大金を持って、このゲームを抜けよう」
 マコトは、欺瞞した。
 九頭龍は笑った。心底うれしそうに笑った。騙しおおせたな、マコトは感じた。そしてその瞬間、その腕の中で、愛せたはずだった女の温もりが……はるかに遠のいていくのを、マコトは強く感じられた。

六日目2:真相

 占い師は忌野だった。赤錆と多聞を占ったが、三日目の夜に人狼に襲われた。
 霊能者は化野だった。戸塚が人狼だと知ることができたが、三日目の昼に処刑された。
 狩人は伊集院だった。偽者の役職者を護衛し続け、五日目の夜に襲われた。
 妖狐は前園だった。人狼の戸塚にクロを出すことができたが、四日目の昼に処刑された。
 人狼は戸塚と鵜久森だった。赤錆を襲い、忌野を襲い、多聞を襲い、伊集院を襲った。
 狂人は、九頭龍だった。
 二日目の昼、九頭龍はどの役職を騙ることもせず潜伏を選んだ。前園から『クロ』が出ていたからだ。
 『人狼』が『占い師』を騙ってもいきなり『クロ』を出すことはないという思考から、三日目の昼、九頭龍は戸塚に対して『人間』判定で霊能者を騙る。本物または妖狐と結果を割るためだ。そして強誘導の末化野を処刑させることに成功。
 本物占い師の忌野が襲撃される。この時点で、九頭龍は半ば本物霊能者としての立場を手に入れた。前園との舌戦に勝利し『妖狐』を処刑させる。
 そして翌日『指定役』として名乗りを上げる。『人狼』らしき人物が処刑されないよう、投票をコントロールするためである。村人同士で議論をさせた末に最も村人に見えた人物……つまりマコトを指定先として提示した。ここまで完璧だった。惚れ惚れするほど。
 しかしこれを九頭龍は取り下げてしまい、他の者を処刑させてしまった。何故か?
 最後に、九頭龍は、夢を見たくなったのだ。マコトという好きな相手と一緒にこのゲームを勝利し、共に生還するという夢を。
 ならばマコトはその夢をかなえてやればいい。村人でありながら『人狼』として名乗りを上げ、九頭龍を騙し本物の『人狼』である鵜久森に投票させればいい。そうすることで村人陣営は勝利を手にすることができる。これが嘉藤が言っていた『ぎりぎりの勝ち筋』。
 九頭龍の想いを利用し、踏みにじり、騙しおおせること。

 ☆

 「なにいってんだ! バカじゃねぇの?」
 言って、鵜久森は九頭龍のアタマを掴んで何度も何度もソファに押し付けた。
 「ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! なにバカなこと言ってんのよ、せっかくここまで来たってのに!」
 「やめろ! 見苦しいぞ鵜久森」
 そう言って、マコトは鵜久森の腕をひん掴んで、九頭龍から遠ざける。そのまま自分に掴みかかってくる鵜久森を難なくいなし、床に向かって投げてやる。
 九頭龍を助けるための行動ではない。これもあくまで九頭龍から信頼されるための行動の一環だ。
 「ゆ、夢咲さん……」
 怯えるように鵜久森の方を一瞥してから、信頼をこめた瞳で自分のほうを見やる。マコトは、表情筋を駆使してどうにか笑みを浮かべて見せて
 「ああ。騙されてやる必要なんてないさ。まさかこんなこと言い出すとは思わなかったけれど……でもこんなあとだしじゃんけん通じない」
 マコトはそう言って、床を転がり、殺意に満ちた表情でこちらを睨む鵜久森を見下ろす。
 「『そいつは人狼じゃない。あたしが人狼だ……』いまさらそんなこと言い出したところで……揺るがないさ。こいつが『村人』だってことは」
 鵜久森は少し遅れてこの会場にやってきた。その足取りは勝利の確信に満ちていたはずだ。何故なら、鵜久森の視点では九頭龍が『狂人』だということは、分かりきったことのはずだからだ。人狼の戸塚に『シロ』を出す霊能者でかつ、妖狐でもないなら仲間の『狂人』でしかない。
 しかし、余裕をかまして鵜久森が会場に入って初めて目にしたのは、二人で抱き合っているマコトと九頭龍の姿だった。怪訝に思った鵜久森に対し、マコトは宣告した。『自分は人狼で九頭龍は狂人、これから鵜久森に投票する』と……。
 「……ふざ……けんな。ふざけんなよ夢咲! どこまであたしの邪魔をするのよ!」
 鵜久森は立ち上がり、こちらを睨みつけながら吼える。
 「『人狼』はあたしなんだよ! そいつに騙されんな! 騙されたら負ける……負けるんだよクズ! 分かってんのか?」
 「それをいまさら言い出すあたりが、おまえが『村人』であるという根拠だ」
 マコトは鵜久森としっかり目を合わせて反論する。
 「九頭龍が『狂人』でも、人狼を名乗れば投票されないとでも思ったか? 確かにおまえが生き残ろうと思ったらそれしかないな。でも、遅いだろ。鵜久森、おまえが『人狼』を名乗ったのは九頭龍が『狂人』だと名乗ったあとだ。これは悪あがきをする村人の動きだ。
 しかし俺は『人狼』だから、仲間の戸塚に『シロ』を出した九頭龍が『狂人』だと分かっていた。ゆえに朝一番に九頭龍にそのことを伝えられたというわけだ」
 「あんたがなんでクズを『狂人』だと見抜けたのかは知らない! でも『村人』の癖に『人狼』を名乗ってるのはあんたのほうでしょ?」
 「いいや違うね。俺が村人だとして、どうやったら九頭龍が『狂人』だと見抜けるっていうんだ?」
 実際、これは嘉藤が処刑される前に残していってくれたあの言葉がなければ、どうしようもないことだった。肝心の九頭龍の中身についてまで言わなかったのは、そのことで九頭龍や鵜久森に『村人の人狼騙り』を警戒させてしまうことを恐れたためだろう。何せ、マコトがこうして鵜久森に先んじて『人狼カミングアウト』を行えたのは、朝一番に会場に駆けつけて九頭龍に自分の正体を明かさなかった、その油断のおかげなのだから。
 「……本当ね。本当にそれだけは良く分からない。なんで気付けたの? 嘉藤の奴がごちゃごちゃ言ってたけど……あれのおかげ? 本当忌々しいわよね、あんたら……。『狂人』の九頭龍をキープして伊集院を襲撃すれば、アタシたちの勝利は揺るがないと思っていたのに……」
 鵜久森はぶつくさ言って唾をマコトに向かって吐き捨てる。「くせーよ」とそれを拭い、マコトは再び九頭龍と相対した。
 「もう一悶着あるとは思わなかったな……。変則的だが、これは信用勝負といえる。九頭龍、おまえが今から『狂人』として、どちらの『人狼』を信じるかを選ぶんだ。それに正当すればおまえは大金を持ってこのゲームを抜けられる。……クソったれた日常に、終止符を打って新しい生活を始められる」
 マコトは言った。
 「おまえが決めろ。どっちを処刑するか。どちらの陣営が勝利するか」
 九頭龍は俯きがちにしていた視線をマコトと鵜久森の間で左右に動かし、それから決意に満ちた声で言った。
 「……分かりました」
 涙を拭い、じっと二人の間で握り締めた拳を膝に置いたその姿には、一筋の要素も見逃さないといわんばかりの迫力がある。
 ……やはりすんなりとはいかない。それは、分かっていたことだった。最後の戦いが、始まる。

六日目3:慟哭、そして決着。

 「……は? マジで言ってるの? マジでこいつと『どっちが人狼か』なんて競わなきゃいけないわけ? ふつうに人狼と狂人が残ったらアタシの勝ちじゃないの?」
 鵜久森が憔悴したような声で言う。マコトは「そんなわけないだろう」といって
 「そもそもおまえは『村人』だ。後出しでしか『人狼』を名乗れない時点で、それは分かりきってるんだ」
 「だからおかしいって! クズ、あんたも騙されないでよ。昨日こいつが村人っぽいと思ったから『指定』したんでしょうが! あのまま処刑しとけばこんなことにはならなかったってのに……」
 鵜久森が憤怒に満ちた声を九頭龍に向ける。九頭龍は少し怯えたようにぎゅっと目を閉じるが、どうにか立ち直って口を開いた。
 「ゆ、夢咲さんを、村人らしく感じていたのは事実……なんです。そもそも、夢咲さん、どうして二人きりのあの時『自分は村人だ』なんて言ったんですか?」
 やはりそこを追求されるのか。多少無茶を言うことにはなるが、通さなければならない。
 「あの時、夢咲さんが人狼なら、あたしが『狂人』だってことは分かったはずですよね? あそこで『人狼だ』て名乗り出てくれていれば……どんなに気持ちが楽だったか……」
 「あの会話を誰かに聞かれていたときのことを想定した。最悪のケースを想定して『村人』の演技を貫いた、それだけだよ」
 マコトはそう平然とほらを吹いた。
 「正直おまえがソファの裏に連れ込んできたときは焦ったし、ダメだと思った。せっかく九頭龍、おまえが『本物霊能者』に見られていたのに、あんな怪しい行動を取るんだから。お陰で嘉藤に疑惑を与え、感づかれるところまでになったじゃないか。たまたま良いタイミングでタイムオーバーになったから助かったが、もっと早くに気付かれていたらおまえが処刑されてたんだぞ?」
 少しだけ強い口調でそう言ってやる。すると九頭龍はおっかなびっくりとした様子で
 「すす、すいませんっ! すいませんっ! あの時は本当に……前園さんを処刑できてちょっと安心しちゃって、誰が人狼かなぁって考えてて……。夢咲さんはやっぱり『村人』なのかなぁ、だったら裏切りたくないなぁって……そればっかりで。それで。あんな質問したんです。『あたしが本物霊能者に見えますか?』って」
 『あたしのことを本物だと思いますか?』
 『あなたの立場から、あたしの中身はどう見えていますか?』
 『あなたはあたしの本当の姿が見える場所にいますか?』
 『あなたは……人狼ですか?』
 あの発言には、そんな意図があったのだ。すなわち『狂人』から『人狼』への、『汝は人狼なりや』という問いかけだ。
 マコトが『人狼』なら、戸塚に『シロ』を出す九頭龍が偽者であることはすぐに見抜ける。だがマコトは『本物に見える』と『村人』の回答をしてしまった。九頭龍はおそらく絶望的な気持ちに包まれただろう。そして再度『夢咲さんは村人なんですか?』と直球で質問をしたが、それに対してもマコトは『YES』としか言わない。
 「あの時ワンワン泣くからよ。本当にあせったよ」
 マコトは言った。
 「でも、もう大丈夫だ。俺はお前の味方だ」
 そう言って九頭龍の頭に手を触れる。綺麗な黒い髪。いじめの一環でこれがむちゃくちゃに切られそうになったことがあったが、それを止めたのは確か鵜久森だった。綺麗な髪だから残しておこうと、性懲りもなく鵜久森ははさみを持った赤錆に言った。その一幕だけを見ればせめてもの良心が働いたようにも見えたが、なんてことはない。鵜久森にとって九頭龍は自分の持っているおもちゃのようなもの。少女が自分の持つ綺麗な着せ替え人形の髪を切ってしまうことを、その時は躊躇したというそれだけのことだ。
 「はん。そんなことがあったのね」
 鵜久森はいらだたしげにそう言って
 「そいつは一度『自分は村人だ』って、あんたと一対一のときにいったんでしょ? じゃあもう決まりでいいじゃん! そいつ村人なの!」
 「俺が村人だとして、九頭龍が『狂人』を名乗る前に『人狼』といえた理由はなんだ?」
 「だから! 嘉藤の奴が吹き込んだからでしょ? クズが『偽者』だって。あんたはそれ信じてこうやって『人狼』宣言なんかしてるわけだ、村人のくせに!」
 「嘉藤が言ったのは九頭龍が『偽者』というだけのことだ。俺が村人だとしても、九頭龍偽の線をふつうに考えれば、その中身は『人狼』で、前園の説が正しいという風に捉えるんじゃないか? 九頭龍が『狂人』というところまで見抜くのはおかしすぎる」
 「それは……あーもう! マジでむかつく夢咲……! なんなの……なんなのよ。最後の最後まで……せっかくクズとアタシで勝てると思ってたのに……。どうやったらクズが『狂人』って分かるっていうのよ……分かったとして、どうして村人が人狼騙るなんて思いつくのよ……ふざけんなよ」
 鵜久森の表情に、僅かに弱気な涙が浮かぶ。押している。マコトは感じた。鵜久森と舌戦で負けることはない。たまたま『狂人』の九頭龍が優秀だったおかげでここまで生き残れはしたが、基本的に戸塚も鵜久森もぼんくらだ。金に目が眩んでただ沈んでいくだけの、幼稚な野心に能力の伴わぬ、愚者だ。
 「あの」
 と、そこで。
 九頭龍が、マコトのほうを見て、恐る恐ると言った表情で問いかけてきた。
 「一つ、いいですか?」
 「ああ。なんでも聞いてくれ。なんでも納得させてやる」
 そう虚勢を張ると……九頭龍は「はい」と蚊の鳴くような声で、その質問をすること自体を恐れているような調子で、こう、たずねた。
 「三日目の昼、あたしは『霊能者』に出ましたけど、マコトさんはこの時点であたしの中身はどう思っていました?」
 ……? 随分と前の話をするものだ。
 「仲間で『狂人』だと思っていたさ。『妖狐』が軽視されがちな霊能者に出る意味は薄いもんな」
 「分かりました。では、三日目の夜……どうして、夢咲さんは忌野さんを襲えたんですか?」
 この質問といい、そんなところまでさかのぼるのか? いや……沈黙してはならない。『人狼』なら自分の襲撃の意図くらい、すらすらと説明できてしかるべきだ。
 「占い師のどっちが本物かはあの時点では分かっていなかったから、とにかく襲撃できそうな方を襲ったんだよ」
 マコトは言う。こういうしかないはずだ。すると九頭龍は「そうですか」といって
 「つまり、忌野さんが『本物』らしく思えたから、襲ったってことですか?」
 「……え?」
 マコトは一瞬だけ沈黙して、最適解を探そうとする。しかし、九頭龍の透明な視線に射抜かれて、つい焦ってしまう。
 「いや……本物らしく見えたのは、戸塚に『クロ』の前園のほうだが……」
 ここもこういうしかないのでは、と思いつつ、マコトは、自分は少し失言をしたことを意識した。
 「そうですよね。あの時点だと、前園さんが本物に見えてるはずです……。じゃあ。忌野さんの中身はなんだと思って襲ったんですか?」
 「…………」
 『妖狐』か『狂人』、このうち……。
 「三日目の時点であたしが『狂人』に見えていた……そして前園さんが本物に見えていた。それなら、あの時夢咲さん視点では忌野さんは『妖狐』に見えているはずなんです。『妖狐』を襲っても襲撃は成功しません。それなのに、『襲えそうな方』で忌野さんを襲撃する理由ってなんですか……?」
 不安げなその表情。自分は今不安で不安でたまらないから、それを今すぐに払拭してくれ。どうしてなのか教えてくれ。自分の味方だというなら、それを証明してくれ。でなければ壊れてしまう、引き千切れて、絶望してしまう。そんな悲痛な思いがその質問には込められている。
 「あなたは、ほんとうに人狼なんですか?」
 だが、マコトは、その問いかけに。
 返答できず、固まるしかなかった。それは致命的なことだった。
 「あー。クズ、ちょっといい?」
 鵜久森が、そこでしゃあしゃあと割り込んでくる。その表情はまさに嗜虐者の笑みだった。
 「それアタシが人狼の場合だと簡単に説明ができるんだわ。前園アタシに『シロ』出してたでしょ? これでアタシ前園が『狂人』か『妖狐』だと分かったの。アタシ人狼だから『シロ』判定はおかしいじゃん。これで忌野が『本物』って分かったから襲撃したの」
 「…………ですよね。そうなんです。一番単純なそれでしかつじつまが合わないんです」
 九頭龍は蚊の鳴くような声で言う。鵜久森は「あははははは」と愉快そうに笑んで、九頭龍の肩に手をやった。
 「それにさ。そもそもの話、昨日夢咲はあんたに処刑先指定されたとき、なんにも『回避』しなかったじゃん? おかしいわ『狩人』つっとくか、最悪でも『人狼』って正直に言っておけば、あんたは処刑せず残したわけでしょ?」
 その発言に、九頭龍はちょんとうなずく。鵜久森は九頭龍のアタマを何度もはたいて
 「あの『回避しろ』って提案、あれかなりナイスだと思ったわ。確実に『村人』を処刑させる作戦なのよね? アタシが指定されたらとっとと『人狼』って白状しちゃおーって思ってたし。
 そもそも『霊能者』に名乗り出てくれたところからグットよね。あれでアタシ、『妖狐』と『狂人』のどっちもが、『占い師』と『霊能者』に出てるって分かったもん。そこまで考えてたんだよね? 冴えてる! あんたマジ冴えてる! たまにはクズも使えるわー。あははははははは」
 笑顔だ。自分に貢献した友人を褒めるときの、屈託のない笑顔だ。マコトは歯噛みする。逆転された。先制で『人狼』にカミングアウトできた、というアドバンテージも、これで打ち消されてしまった。
 「……ゆ、夢咲さん」
 九頭龍は、希望を捨てたくないとばかりに媚びるように
 「何か……反論、してください。今いったことに……何か、反論を……」
 「一つしかない」
 マコトは腹をくくった。
 「俺はおまえが『狂人』を名乗る前に『人狼』を名乗った、これは村人にはできないことだ」
 「それ以外でっ! さっきからそれだけでしょう!」
 九頭龍は強い剣幕で声を荒げた。納得がいかないことに拗ねる子供のような表情。マコトは首を振るって。
 「それだけだ。おまえが今いった疑問点は理解できる。だが俺はふがいないが、こうとしか答えられない」
 「夢咲さん……」
 九頭龍は蒼白な表情で固まる。受け入れたくないものに直面したように、ただ凍りついて、目に見える何もかもを拒絶するようにじっと固まる。
 分かってしまった、マコトが『人狼』などではないことを。そんな顔をしていた。
 「聞かせてくれないか。九頭龍」
 マコトは言った。
 「どうして『勝負』を選んだ? どうして大金を得るために、クラスメイトと潰しあうことを選んだんだ……?」
 九頭龍は黙り込む。黙り込んで、下を向くと、溜め込みすぎたものがあふれ出るように涙を流す。
 「……欲しかった。まともな人生が、あたしも」
 顔を上げ、彼女には考えられないほど激しく喚いた。
 「欲しかった! ふつうの人が、ふつうに手に入れられるだけの人生が……欲しかったんです! 学校に行く途中にいつもいつも死にたくなるような毎日が嫌だった。髪の毛引っ張られて連れ回されて、お金取られて、亀の産卵の真似とかやらされるのが、つらくてしょうがなかった。殴られると痛かった! 悔しかった……悲しかったんだよぉ……」
 激しく気持ちを吐露しすぎてぐちゃぐちゃな声で、九頭龍は泣く。
 「家のお金に手をつけたときは……本当に自分が嫌いになった。お母さんにも顔を合わせられなくなった。義理のお父さんに……悪戯された。裸にされてタバコの火を押し付けられた……。家にもいたくなかった。どこにも居場所はなかった。…………夢咲さん、夢咲さんのことだけは好きだった……好きだったのに……」
 拒絶された。
 最後に気を許せる相手だったマコトからすらも、九頭龍を拒絶した。マコトが臆病だったから、愚かだったから。子供みたいな退屈な虚栄心で、臆病で、自分で振り返ってもどうしようもなくなるほど退屈な理由で、九頭龍の最後の望みを拒絶した。
 「……すまなかった。九頭龍」
 マコトは、気がつけば泣いていた。
 人一倍プライドの高いマコトは、これまで何度涙を流したい局面と出会っても、ずっと泣かずにいた。それは自らの弱さを露呈させる行いだと思っていた。それはこの世の全てから、マコトの精神の敗北を意味すると思っていた。少年らしい虚栄心だが、何年も守ってきたそれが、どうしようもなく溶けて涙となってあふれ出た。
 「……バカじゃないの? あんたら」
 鵜久森が、そこで、九頭龍の剣幕に困惑したような口調でいってきた。
 「っていうかさ。クズ、その言い分だとまるでアタシが悪者みたいなんだけど……。アタシらずっと友達よね。言ってるじゃんそうやって。中学の頃から、ずっと一緒にいたし。そりゃちょっとパシリにしたりとかお金借りたりとかはしたけども、それだって今回の百万でなくなるはずだったし……」
 「……さんひゃくろくじゅうまんせんきゅうひゃくえん」
 九頭龍は、そこで、絞り出すように言った。
 「は? なにそれ。もう一回言って?」
 「三百六十万千九百円」
 「……なにそれ?」
 「あたしが……鵜久森さんに『貸した』金額です。……今回のアルバイト代百万円を、絶対にありえませんけど鵜久森さんがあたしにくれたとしても、でも、まだ足りません」
 そういわれ、マコトは呆然と口をあけるしかない。鵜久森も、同様にぽかんとした表情を浮かべている。
 九頭龍はポケットから一冊、手帳を取り出した。ページをめくって見せると、そこには書きなぐった文字で、何日の何時にいくら、鵜久森から金を要求されたかが書いてある。ページの右端に表示されるのは、これまでの合計金額だろうか。徐々に膨れ上がっているそれは、確かに3,601,900という途方もない数字に至っていた。
 「良く分からないブランドの服とか鞄とか……後化粧品とか、旅行とか……。こんなのあたし一人でどうにかできるわけないですよね……。お母さんにお金を借りて、それでもダメになったから盗んで……お父さんの生命保険……手をつけて。あたしの人生って……鵜久森さんの奴隷なんですか……? あたしが幸せに、せめて人並みに暮らす為に生まれたんじゃなくて、鵜久森さんの奴隷になるためにあたしは生まれたんですか……?」
 「ちょっとクズあんた……なにそんな帳簿つけてんの? けっこう根暗っつか……」
 「根暗……ですよ。誰の所為で、誰の所為で誰の所為でこんな風になったと思ってるんですか!」
 九頭龍は吼えるように言った。
 「友達ですか? 友達!? 殴って蹴って……爪とか目に火をつけて友達? 化粧水一瓶丸呑みさせて友達? 全部吐いちゃって、笑いながら吐いたものに顔を押し付けてそれでも友達? 裸にして友達? 木に吊るして友達? 受験する高校勝手に決めて友達? 本気で言ってるの……本気で」
 完全に激昂している。鵜久森もただならぬ気配を感じたのか……あるいは改めて金額など具体的なものを突きつけられて、流石のこのサイコパスも自らのしてきたことを悟ったのか。表情を凍りつかせて、何もいえずに、鵜久森は固まっている。
 「人間なんだよ……あたし。あたしだって人間なんだよ……どうして分かってくれなかったの? ねぇ! どうして!」
 九頭龍は手帳を握り締めて慟哭する。鵜久森は、目を合わせることすらできずに後退るしかない。
 「九頭龍」
 マコトはそう言って声をかけた。
 「もうすぐ投票時間だ。それで決まる。全てが終わる……。終わって、おまえの選択が正しければ、おまえは財産を手に入れられる。賢いおまえだ、おおよそ正当するだろう……だから」
 マコトは思いやりを言葉に込めて
 「間違えないで、選んでくれ。おまえの中では、結論が出ているんだと思う。それに従って欲しい。情に流されないで欲しい。そしてどうか……幸せになって欲しい。俺にはしてやれなかったことだけど。せめて財産を手に入れて、おまえはおまえ自身で、安らげる場所を手に入れて欲しい」
 「やめてください!」
 髪の毛をくしゃくしゃにかきむしりながら九頭龍は言った。マコトはかまわず続ける。
 「そんなおまえの人生の害虫のところからなんてさっさと逃げろ。家族といるのもつらいならそこからも離れていい。全部壊して、そこじゃないどこかでやり直せ。勝者のおまえにはその権利があるはずだ」
 「やめてください! なんで……。幻滅させてくれないなら、せめて騙してよ。もっと上手な言葉で、あたしを騙してよ。……そっちのほうが、ずっと楽なのに」
 「逃げるなよ。九頭龍、おまえが選んだことだ」
 マコトがぴしゃりというと、九頭龍は、目を丸くして黙り込んだ。
 「誰の奴隷でもなくて、誰に怯えることもないおまえ自身の人生を、手に入れたかったんだろう? そのために戦うことを選んだなら、ちゃんと戦い抜いて、勝て。勝って、おまえ自身で幸せを手に入れろ。だから……俺は、大丈夫だ」
 九頭龍が感じた苦しみとか理不尽な気持ちとか、全部を抱えて地獄に落ちる。それがマコトのできる贖罪。バカなマコトには、今はこれしかなかった。
 「……マコトさん。いいですか?」
 泣き笑いの空虚な顔で、九頭龍はマコトに問いかける。何かを決意したような、そんな口調だった。
 「もうすぐ全てが終わるなら、最後にあたしに女の子としての幸せをください。どんなことでもかまいません……。それで満足できます。全部これで良かったんだなぁって思えます。だから……」
 マコトは九頭龍の方に寄り、その存在ごとしっかり抱きしめるようにしながら、涙を流していった。
 「愛してるよ、九頭龍。あの時に言ってやれなくて、ごめんな」
 「ありがとう。あたしも夢咲さんが大好きです」
 無垢な子供のように、九頭龍は微笑んだ。そして心底幸せそうに、マコトのことを抱き返してくる。守るように。
 「もう十分、幸せです」
 そして、最後の議論が終わった。

 ☆

 (1)夢咲マコト→鵜久森文江
 (2)鵜久森文江→夢咲マコト
 (0)九頭龍美冬→鵜久森文江

 『鵜久森文江』さんは村民協議の結果処刑されました。

 ☆

 人狼:鵜久森文江 戸塚茂
 狂人:九頭龍美冬
 妖狐:前園はるか
 占い師:忌野茜
 霊能者:化野あかり
 狩人:伊集院英雄
 村人:夢咲マコト 嘉藤智弘 多聞蛍雪 赤錆桜 桑名零時

 人狼の血を根絶することに成功しました。村人陣営の勝利です。

エピローグ:彼女のいる地獄

 ぱちぱちと、閃光花火は命を燃やす。星のない夜なのに、立ち上る煙が良く見える。
 泣きたいほどに綺麗だった。こんなにも明るく弾けているのに、どこまでも落ち着いて静かなのだ。
 九頭龍のことを思い出す。これをまた一緒に見る約束をしていたのではなかったのか。この静かな明るさを、あらゆる喧騒から取り残された二人同士で、何もいわずにただ共有することを望んだんじゃなかったのか? 考えて、マコトは九頭龍の選択を、九頭龍にその選択をさせてしまった愚かな自分を呪う。
 季節が夏に染まった夜の川原。いつか彼女と花火をした思い出の場所で。マコトは、愛した女を失って、ただ一人無様に生かされていた。
 鵜久森が処刑された時点で、村人陣営勝利のアナウンスが流れた。呆然とするマコトを尻目に、勝利後の処理は粛々と実行される。口止め料としての報酬、一億五千万円の手渡し方を数通り示され、それぞれが選択し終えた後……村人陣営の面々はことごとく船から港へと放たれた。
 処刑や襲撃の傷跡の深さはそれぞれだったが、命を落としたものはいなかった。桑名零時のように廃人と化したものもいないで済んだ。浪野なにもというGMが良心的な部類に入るという評判は、おおむね間違っていなかったらしい。今現在、病院で治療を受けているはずだ。
 最後に九頭龍は、鵜久森に投票することを選んだ。
 全てを諦めて現実を享受することができずに『戦い』を選び、しかし結局はマコトを蹴落とすことができずに敗北した。中途半端で愚かで臆病な結末だった。
 「……バカが」
 マコトははき捨てるように言った。
 せっかくあそこまで行ったのに。勇気を振り絞って戦い、勝利寸前というところまで行った。ならば何故自分を救わない。マコトのようなどうしようもない奴を救い、自ら堕ちていかなければならない。
 「九頭龍さんは満足して堕ちたはずですよ」
 そう言って、ふらりとマコトの後ろから現れた女がいた。
 「だって、これで夢咲さんは、永遠に永遠に九頭龍さんのものになったのですから。だって忘れられないでしょう? 一生後悔して、悩んで苦しんで、あの子のことを想って生きることになるでしょう? それが彼女の目的なんですよ、だから九頭龍さんはきっと後悔しません」
 前園はるかはからからと車椅子を引きながらマコトの前に立ち、膝を折りたたんで、座り込むマコトに微笑みかけた。首には薄地のマフラーが巻かれている。
 「あの子は夢咲さんの全てが手に入ればそれでよかった。女の子の幸せってそんなものですよ」
 あー、と白雉のような声がした。車椅子に乗った桑名があげた声らしい。前園は桑名の頭を軽く撫でると、そっと顔を近づけてキスをした。
 「……前園はるか」
 「九頭龍さんからの贈り物、楽しんでいますか?」
 マコトが手に持っている閃光花火は、前にマコトが九頭龍にやったものだった。いつかまた一緒にやろうと約束をして、彼女に預けておいたもの。それをマコトのところに届けたのは、目の前のこの女、前園はるかだった。ゲームの敗者同士同じ部屋に放り出されていたときに、九頭龍が前園にそれを頼んだらしい。
 「基本的にあのゲームの敗北者って、すぐに殺されるんですよね。『敗者の死』それが映像作品のクライマックスとなります。『襲撃』でやられた人は犬に食われて死にますし、『処刑』でやられた人は首を吊られて死にます。占われて『溶けた』妖狐は、なんでか良く分からないんですが火炙りです。一回だけ見たことありますけど、多分あれが一番苦しいですね」
 「……それで。どうしておまえは生き残ってるんだ?」
 「お金を出したからです。村人陣営八人にそれぞれ一億五千万円、合計十二億、これを負担するのは敗北陣営の四人という建前になっていてですね。一人三億円の負債です。ぼんくらにこれを払える見込みなんてありませんから、基本的にはその命を持っての支払い……って感じに処理されるんです。でもわたしは何度かこのゲームに参加して勝者となっていますので、三億くらいならどうにか工面できたんですよ」
 ……前園はあのゲームのリピーターといっていた。数億の報酬が出るあのゲームに連勝をあげているなら、確かに三億くらいならどうにかなるというものなのかもしれない。
 「『襲撃』はともかく『処刑』にあったのは初めてですけどね。ほら、こんなむごい後が残っちゃいました。ポーの『黒猫』に出てくるプルートーみたいでしょ?」
 そう言って前園がマフラーを取ると、首元に食い込んだ荒縄の跡がみえた。
 「知らん。だが確か嘉藤や化野にも同じような跡が付いてた。特に嘉藤はひどいもんで、多幸症にかかったみたいにいっつも笑いながらテレビと会話してる」
 「それはお気の毒に。わたしも正直覚悟したんですけどね。桑名くんみたいに廃人になることも、覚悟したんですがね……。指先が少し震えるのと、いくらか視力が落ちるだけで済みました。おおむね正気です。まったく悪運だけは強いんでしょうか。
 ところでです、夢咲さん。他の生き残りの皆さんの様子はどうですか?」
 「どう? とは?」
 「ですから。あの組織のことを告げ口する意思があるかどうか、ということです」
 そのことについては……マコトは先日、病院に送られていた生き残りたちを集めて議論した。しかし結論は結局『保留』。あのゲームを『事件』とみなせば当然与えられた『報酬』は自分たちのものではなくなるはずで、大怪我を負わされて金も手に入らないという事態を受け入れるくらいなら、今のところは黙っていようという結論を得ていた。
 「黙ってるってさ。後が怖いとか金が惜しいとか、色々あるんだろ? まあとは言え、高校生三人が行方不明で四人が重軽傷、そんなことが追求されないほうがおかしい訳で、いずれ何もかも明らかにされるだろうが」
 「そうはなりませんよ」
 前園は平然としていった。
 「なんでだ? そのうち警察による取調べとか来るだろ?」
 「いいえ。浪野さんは、皆さんが怪我の治療をするための病院まで指定して、入院の段取りも全部あの人がやりましたよね? でもその病院って結局あの組織の傘下なんですよ。もみ消すにはちょうどいい場所、というところでしょう。警察だって下手に手を出せません。全ては闇から闇へ、という奴です」
 「……なんだそれ? なんでそんなことがまかり通る? 警察だろ? 警察がなんでそいつらの言いなりなんだ?」
 「夢咲さん。警察っていうのはこの国の正義ですよね? 正義の持つ力ってそんなものではなかったでしょうか。夢咲さんかこれまで生きてきたあらゆる場所で、正義が本当に力を持って秩序を握っていた場所っていうのは一つでもありますか?」
 そういわれ、マコトは言葉に窮する。
 「正義が必ず勝つというの幻想なんですよ。そうでなければ、九頭龍さんのような優しい女の子が、ただ虐げられるだけの人生を送ったことに説明が尽きません。
 いいじゃないですか。本当にあの人たちが血も涙もなければ、口封じにあなたたちを全員殺す手だってあったんですから。手間をかけ、危険を犯してあなたたち勝者の権利を全力で守ってくれるんですから、むしろ感謝してもいいくらいだと思いますよ」
 ふふ、と前園は微笑む。マコトの手で輝いていた閃光花火が、ぽとりと石のうえに落ちた。暗闇が訪れる。
 「さて……ここで本題に入ります」
 闇の中で、前園は転がっていたライターを拾い上げ、火をつける。妖艶な微笑みを浮かべ、
 「結論から言います。夢咲さん、もう一回あのゲームに参加してみませんか?」
 その問いかけに、マコトは怪訝な表情を浮かべて
 「……結局。おまえの正体は、あいつらの手先ってわけか」
 「手先として扱ってもらえてるなら、本気でこんな跡が残るまで首絞めたりしないですよ。末端の末端の……そのまた末端がたまに雇うアルバイト、そのくらいのポジションです」
 「あいつらの正体はなんなんだ?」
 「さあ。少なくとも一ついえることは、世の中を牛耳っているのはテレビに出てくるような政治家さんじゃないということです。本当の支配者は常に闇の中にいて、その全貌はわたしみたいな子供には絶対に分からないようになっています。
 あなたはその支配者たちに気に入られたからこそ、こんな誘いをもらえたんですよ? またとないチャンスだと思いませんか? 一億五千万円なんてはした金で終わるような方では、夢咲さんはありません。どうでしょう、あなたをわたしと同じ地獄へ案内してさしあげます」
 「断ると伝えろ」
 「九頭龍さんがまだ生きているといってもですか?」
 前園が挑発するように言ったのを、マコトは目を剥いてたずね返す。
 「どういうことだ?」
 「そのままの意味です。九頭龍さん、ゲーム終了後に行われた最終人気投票でぶっちぎりトップだったんですよね。実際あの子の動きは『狂人』として上等でしたから。せっかくハイレベルなプレイヤーが組織の手中に下ったというのに、そのまま殺すのはもったいないということで……『トップ賞』として九頭龍さんは殺害を免れることになりました」 
 「それで……今はどうしてるんだ?」
 「次回行われる『ゲーム』への参加が決まっています。役職次第ですが報酬金はそれなり。勝てば日常に戻れる可能性も十分にあります」
 マコトは胸のどこかでちりちりと熱いものがせりあがってくるのを感じた。九頭龍が生きている、九頭龍が助かるかもしれない。
 「あなたがこれに参加するというのなら、便宜は図りますよ。あなたが今もっている一億五千万円を九頭龍さんの負債の返済に充てるのはもちろん……あなたと九頭龍さんを同じ陣営にしてあげてもいい。『このゲームにおいてお互いを信頼しあうことのできる唯一の役職』に、あなたたちをしてあげてもいい」
 ……それは、すなわち。
 「本当か?」
 「あの組織は誰かを理不尽な目に合わせることはあっても、嘘を吐くことはありません。それは今回のアフター・ケアで実感されているでしょう。信頼していただいてもかまいません。どうですか?」
 自分を救い出すために自らの身を地獄に落とした九頭龍。
 誤った選択を九頭龍に強いてしまったこの咎を……清算することができるというのなら。あの子と二人で地獄に堕ちて、一緒に戦うことができるというのなら……。
 それが悪魔のささやきであっても、マコトはかまわない。
 「……やるよ」
 決意を込めて、マコトは言った。
 「そうですか。後悔しませんね」
 「ああ」
 即答する。前園はどこか寂しげに笑った。
 「日程と場所はこちらです」
 マコトは前園から一枚の紙切れを受け取る。前園はその場を立ち上がると、桑名の寝転がる車椅子を引いてその場を立ち去っていく。
 「どうかご健闘を。あなたが九頭龍さんの手を引いて、ここに戻ってこられる日を願います。これは本心ですよ」
 「そうか。……ありがとよ」
 マコトは言って、車輪の音が完全に消えたのを聞き取ってから、折りたたまれた紙切れを開く。日程はすぐ数日後。場所は少し遠いがいけないことはない。いや……仮に地球の裏側だったとしてもマコトは駆けつけただろう。
 マコトは足元の花火を拾い集めて、袋に詰めなおす。今度は自分がこれを預かるのだ。必ず九頭龍を連れ帰って、またこの場所で……。
 「……待っていてくれ」
 マコトは歩き出す。欺瞞と策略の渦巻く勝負の世界へと。どんな地獄でもかまわない。悪魔になってでも救いたい人が、そこにいるのだから。