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綴谷景色さんの返信一覧。最新の投稿順2ページ目

元記事:王道か邪道かの返信の返信の返信

異世界バトロワは異修羅とかチート対決だと即死チートとかがあるけど、そもそもバトルロワイアルってジャンル自体が王道じゃないから、「バトルロワイアルの中で王道」って意味で答えれば王道がいいと思う。
ただ、邪道をしたいなら、これは責任持てないけど、中盤までは王道で、中盤越えたら邪道に走るってのもアリっちゃアリ。
昔ヒットしたアニメで舞Himeってのがあったんだけど、中盤までは不思議パワーを手にした少女たちの友情と青春の話で、中盤であんまり話に関係ない少年が戦いで死んでから不思議パワーの由来が判明してきて、そっから少女たちのバトルロワイアルが始まるって内容だった。
正直私は好きじゃなかったけどw
でも、物語構造としては序盤から中盤までは読者にわかりやすい形で世界観を整えて、切っ掛けがあって、以降はその世界観をぶっ壊す邪道に走るってのは、アリだと思うしインパクトはでかいだろうと思うよ。

バトロワの時点で王道ではないから、そのままバトロワらしいバトロワの王道を書くのがいいってのが回答になるけど、
バトロワの時点で王道じゃないからこそ、邪道に突き抜けたほうが面白味は増すよねって考えもある。
ただ言っちゃなんだけど、こう考えた場合の邪道路線はかなりセンスがいるし技術も必要だから自信があるならって事になるけど、邪道路線のほうがずっと面白い作品になるとは思う。

上記の回答(王道か邪道かの返信の返信の返信の返信)

スレ主 綴谷景色 : 1 投稿日時:

恥ずかしながら異世界バトロワで調べたところそこそこヒットして、未開拓のジャンルじゃないのだと今知りました。
うおー!チート能力者同士でバトロワさせるとか凄すぎだろ発想力!とか舞い上がってました。
やっぱり邪道路線で行こうと思います。難しいだろうけど、単純にそっちの方が楽しそうなので。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 王道か邪道か

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元記事:新規作品のオリジナリティについての返信

新規性とか考えるときは、話を抽象的に単純にしてみるといい。
そのテーマは具体性を排除して抽象的にしてみると「悪党ばかりの世界観で唯一の正義が戦う話」なので、ぶっちゃけ既視感はバリバリだと思う。
舞台が世紀末なら魔法少女が北斗の拳やってるだけのような。
でもそれは、あくまで土台だけの意見であって、完成した作品が類似品にしかならないと言ってるわけではないです。
例えば、「魔法少女は理性を消費して魔法を使うので、魔法を使うほど本能が表に出てくる」という設定だとして、すると優しかったおっとり系の先輩が本能剥き出しで少年をいたぶってたりとか主人公が戦う中でだんだん狂ってく姿を描いたりとかってのが中心になると思う。この場合、まあ、そういう人間の本性を書いていくダークなバトル系の話もよくあるけど、魔法少女でやるのはまあ新しいかな、とか。
抽象的に表現したものには既視感があるけど、御作との違いは「魔法少女」って点で、これをどう扱うかが魔法少女をどの角度から見るかが今回の御作においてオリジナリティの出せる場所ではないかなと思うかな。
なので、土台の時点では既視感はある。けど魔法少女の扱いでその度合いは大きく変わるのではないかと思う。
既存の魔法少女の定義から大きく外れないと、しかし魔法少女らしさがないと、既視感は残るのではないかな。
つまりは、勝負はこっから先にある。

上記の回答(新規作品のオリジナリティについての返信の返信)

スレ主 綴谷景色 : 1 投稿日時:

ありがとうございます。その先を意識してプロット作りを進めて行きます

カテゴリー : 著作権・オリジナリティ スレッド: 新規作品のオリジナリティについて

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現在までに合計7件の投稿があります。 5件づつ表示中。現在全2ページ中の2ページ目。

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元記事:三人称複数視点の小説においてプロローグだけ一人称にすることについて

はじめまして 三上と申します。
人称について質問させてください。よろしくお願いします。

私は一人称の短編しか書いた経験がありませんでしたが、今回初めて長編に挑戦しようと思っています。
地獄少女のような、主人公と他数人以外は一話毎に登場人物が変わる形式を予定しています。
三人称で視点は主人公と各話毎のメインキャラ一人の半々です。
プロットを作り終えてプロローグを書いたのですが、主人公の境遇に深く関わる内容のため心理描写を多くすると一人称の方がしっくりくるプロローグになりました。
本編は三人称で、プロローグのみ明らかに主人公視点と推測できる一人称にすることについてどう思われますでしょうか。
人称を混ぜるのは御法度と聞きますが、プロローグのみならどうなのかご意見が頂きたいです。

上記の回答(三人称複数視点の小説においてプロローグだけ一人称にすることについての返信)

投稿者 サタン : 1

人称が混ざるラノベは腐るほどあります。
視点が変わりまくる群像劇で言うと「バッカーノ」も序盤でとある人物の二人称(っぽい一人称)がありました。
人称こそ混ざっていないけどスレ主さんがやろうとしてるオムニバス形式だと「ブギーポップは笑わない」が当てはまりますかね。
他にも構想やコンセプトでの話ではなく、流れ的に人称が変わるタイトルは枚挙にいとまがないほど大量にあります。
ご法度なんてことはありません。
ただ、あまくささんが指摘されていますが、問題が起こりやすいのは事実なので、視点の扱いを覚えていない人にはオススメできない、という事で初心者向けの講座などでは推奨されていないだけです。
そして、付け加えるなら「三人称」というのはそもそも視点の扱いを覚えていないと綺麗に書くのは難しいので、ちゃんと三人称が書ける人ならほぼ問題にならないでしょう。

ついでに苦言となりますが、
プロローグだけを一人称にしたいという声は割と聞く話で、その理由を聞くとスレ主さんが言うようにキャラクターの内面を深く書きたいからという事が多いです。
でも、まず、序盤でキャラクター性も把握してない読者にそんな深い部分を提示したところで「キャラの自分語り」にしかならないし、読み始めの冒頭でそんな内容が書かれていても、読者はまず覚えていない。
そのため、正直言って「キャラの内面を書きたいから冒頭を一人称に」という案は下策だと思います。

一人称は「キャラの内面を書きやすい」と言われていて、それはその通りなんですが、これはキャラが独白するだけで内面をダイレクトに書けるので、わざわざキャラの内面を表現する展開にしなくても書ける、そのため「書きやすい」というだけで、別に、特別優れているわけではありません。
作者的に「簡単でやりやすい」というだけ。
演出手段として優れているわけではないので、簡単に書けてしまうだけに初心者が一人称でキャラの内面を書くと単に内面を説明してるだけの文章になってる事が多いです。
そして、その内面を描写する演出は人称に寄らないので、そもそもソレが出来る作家なら一人称でも三人称でも問題ないです。

御作の場合、コンセプトを聞く限りではオムニバスに近い形式だと思うので、冒頭は主人公の一人称、というよりは、主人公視点の場合は主人公の一人称。主人公以外のキャラ視点になる本編では三人称。という区別で考えたほうが良いと思う。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 三人称複数視点の小説においてプロローグだけ一人称にすることについて

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元記事:書きたい主人公が思いつかなくなってしまった

度々お世話になっております。マリン・Oです。
最近結構重大なスランプに陥っています。タイトルに書いた通り書きたい主人公の設定を思いつかなくなってしまいました。
私はキャラクターから物語を作るタイプなのですが、最近は主人公の案が一つも浮かんで来ません。
逆に悪役や脇キャラはいいキャラがどんどん思い浮かんでしまい、主人公の候補がいないせいで抱え落ちしそうなくらいです(苦笑)
実際前作執筆時点でも主人公より脇役が濃かったことから兆候自体は出ていたのでしょう……

このような事態に陥った経緯を自分なりに考えた結果、私が好きな作品は脇役が濃い作品が多かったです。
具体的にはエルフェンリートや極黒のブリュンヒルデ、北斗の拳、ジョジョの奇妙な冒険、ガンダムシリーズ……
上記の作品はブリュンヒルデ以外は古い作品ばかりなので、旧作の読みすぎで流行に乗り遅れているのかもしれません。しかし流行に合わせるのは個人的に自分の美学を捨てるような気もしますし……
どうすれば乗り切れるのでしょうか……

上記の回答(書きたい主人公が思いつかなくなってしまったの返信)

投稿者 あまくさ : 1

そもそも悪役にはキャラとしてのアドバンテージがあります。モラルに制約されず自由奔放に行動させることができるため、個性的に描きやすいんですね。
そういう悪役や脇役の存在は作品のウリになると思いますが、そこがうまく行けば行くほど主人公がかすんでしまいがちです。

ただ、主人公には他のキャラにはない特権が一つだけ与えられています。

◎なぜ死なないか教えてやろう。主役だからだ。

これです。いわゆる主人公補正というやつ。
例えば「この戦いが終わったら~しよう」というセリフは、主人公以外のキャラが言うともれなく死亡フラグになってしまいますが、主人公が口にした場合のみ頼もしいセリフになるんですね。
もちろん匙加減を間違えるとご都合主義になってしまうのでしょうが、読者には「主人公はきっと何かやってくれる」という期待感があるものなので、その期待を満足させてくれるノリにはわりと寛容なんだろうと思います。

・他のキャラが意気消沈している時に場の空気を変える。
・多少だらしないところがあっても、絶対にゆるせないと思わせる行為はしない。
・一人で決断する。
・いざという局面では必ず立ち上がる。
・最後には主人公の行動が解決への道をひらく。

こんなところをいくつか見せておけば、主人公らしいと感じてもらえるんじゃないかと思います。

カテゴリー : やる気・動機・スランプ スレッド: 書きたい主人公が思いつかなくなってしまった

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投稿日時:

元記事:なろう系ラノベに努力の要素を持ち込むのはタブーか?

なろう系ラノベは、「友情」「努力」「勝利」の法則を掲げた少年ジャンプとは対極にある存在で、読者はチートハーレムを望んでおり、主人公が努力するのはタブーである、ラノベ読者は努力が嫌いである、という言説があります。

一方で、ラノベ新人賞の下読みさんによると、物語には成長要素が不可欠で、読者は登場人物が成長していく姿に心を動かされると言います。
果たして努力をせずに、成長が描けるのか?

実は、なろう系ラノベの読者は努力が嫌いなのではなく、対価の約束されていない努力が嫌いというのが真実だと思います。

その証拠として、主人公がモンスターを倒して経験値を稼ぎ、ステータスをアップさせる、新たなスキルを獲得するというタイプの物語が多いことが挙げられます。

これはシリーズ累計発行部900万部突破のヒット作「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 」(GA文庫・2013/1/11刊行)がパイオニアとなった要素で、主人公などの登場人物のパラメータがゲーム的に表示され、モンスターを倒すたびにこれがアップしていきます。

「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 」の主人公は、登場した当初は最弱でしたが、成長速度が異様に早くなるスキルの持ち主で、どんどん強くなっていきます。
この成長要素が快感だったわけです。

なろう系の異世界転生とは、より本質的に言えば、ゲーム世界への転生です。
ゲームの世界では、モンスターを倒せば必ず経験値やアイテム、お金が手に入ることが約束されており、努力が無駄になりません。

これはラノベの読者層であるオタクに馴染みやすい要素であるため、受け入れやすく、努力して強くなっていく主人公に感情移入しやすくなっています。

しかし、これ以外の方法で努力したり、主人公の成長を描いたなろう系ラノベ(書籍化作品)は、寡聞にして知りません。
もし、これが以外の方法で努力したり、主人公の成長を描いた書籍化作品がありましたら、その内容などを教えていただけるとありがたいです。

なろう系に努力の要素を持ち込むのはタブーか?についてもご意見をいただけるとありがたいです!

上記の回答(やってもできない子の憂鬱)

投稿者 あまくさ : 1

少し興味を持ちまして。

「なろう系」でググってネットを徘徊していたら、人間には「やらなくてもできる子」「やればできる子」「やってもできない子」「やらないしできない子」の4種類がいるという論を発見しました。
なるほど。
「やらなくてもできる子」は天才型。「やればできる子」は秀才型。まあ、「努力家」と言い換えてもいいですね。従来の物語では、このどちらかが主人公として採用されていたと。普通は「やらなくてもできる子」か「やればできる子」でなければ活躍させにくいですからね。

ところが現実には「やってもできない子」と「やらないしできない子」の方が圧倒的に多い。
感心したのは、この両者を区別していることです。結論から先にいうと、なろうテンプレを好むのは「やってもできない子」のみだということ。「やらないしできない子」は「無能だからできないんじゃなくて、やらないからできないだけだ」と言い訳できる。他人や自分を誤魔化すことができる。
自分が「怠け者だ」とうそぶくことはできても、「無能」と認めるのは辛いですからね。(他人事みたいな言い方で恐縮ですが、私だって無論そうです)

なので、「やってもできない子」だけが「できる子」への憧れを持っているというんです。

ところが世間は、「やってもできない子」と「やらないしできない子」を区別しない。どちらも「ダメな子」という烙印を押してしまう。

そのへんに、「やってもできない子」だけが持つ鬱屈があるんだな!

その鬱屈と、うっぴーさんの仰る「承認欲求」は、おそらくイコールです。
やっと腑に落ちました。

カテゴリー : 創作論・評論 スレッド: なろう系ラノベに努力の要素を持ち込むのはタブーか?

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投稿日時:

ライトノベル作法研究所管理人うっぴー /運営スタッフ:小説家・瀬川コウ:大手出版社編集者Y - エンタメノベルラボ - DMM オンラインサロン

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