小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A。執筆の悩み相談をしよう!

バッキーさんの返信一覧。最新の投稿順5ページ目

元記事:横槍ですみませんが、さすがにそれはちょっと。の返信

デビルマンのことを抜きにして本作のテーマを語るなら「人は人を助けないのが当たり前。自分の身は自分で守るのが当たり前。だから主人公がくだらない理由で異世界の人間を見殺しにして元の世界に帰っても、特にクソ野郎というわけではない」といったところですね。

上記の回答(横槍の横槍)

投稿者 バッキー : 1 投稿日時:

このテーマなら最後の展開はこうですね。

異世界から帰ってきた主人公、そんな彼を突然通り魔が襲い致命傷を負わされる。
血溜まりに沈んだ主人公を通行人は誰一人助けようとも救急車を呼ぶ事すらせず、一目散に逃げてしまう。
「誰か助けろ、畜生…」
そのまま事切れる主人公、自分が異世界に何もしなかったように、誰も彼を助けなかった。

…ちょっと意地悪だったでしょうか。
まあでも、このテーマで面白くできるとしたら「主人公もまた困った時誰にも助けてもらえなかった」という因果応報オチしかないような気がします。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 許される見殺しと許されない見殺しの違い

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元記事:言葉足らずだったので補足

>「異世界転移した者が元の世界に帰るっていうのは、異世界より元の世界での生活の方を優先するということだが、まったく悪いことではない。『元の世界に大切な人がいるから』みたいな大層な理由ではなく『早く帰ってAV観ながらオナニーでもして~』とか『単にめんどくさいから』みたいな超個人的な理由でも、だ」

このテーマの真意は自分にとって大事なこと云々ということではなく単に「見殺しという行為自体まったく悪いことではない。だって漫画版デビルマンはそのことでまったく非難されてないんだから。この作品の主人公を非難しないでくださいね。だって漫画版デビルマンの主人公はまったく非難されてないんだから。」ということです。つまり主人公を特に薄情な人間として描いたつもりがないから薄情呼ばわりされたのが心外だったわけです。
主人公が元の世界に帰りたがる理由を『元の世界に大切な人がいるから』みたいな大層な理由ではなく『早く帰ってAV観ながらオナニーでもして~』『単にめんどくさいから』というどうでもいい理由にしたのは「見殺しという行為自体まったく悪いことではない」ということを強調したいがためです。
私は主人公が薄情呼ばわりされた後も「見殺しは見殺しだ。全部許されるべきだ。漫画版デビルマンの主人公がサバトでデーモン化を免れた人間がいても見殺しにしたのも、ドラクエ8の主人公たちが賢者の子孫を見殺しにしたのも、私の作品の主人公が異世界の人間を見殺しにしたのも全部同じことだ。」と思っていますが、「それでも私以外の人間にとっては許される見殺しと許されない見殺しの2種類が存在するのが現実なら、せめてその理由を知りたい」と思ったから質問しました。

上記の回答(言葉足らずだったので補足の返信)

投稿者 バッキー : 0 投稿日時:

新情報の開示を期待したのですが、うーむそれは却って薄情で自己中という評価を揺るぎないモノにせざるを得ないですね。

繰り返す事になりますが見殺しが「仕方ない」と見做されるのはあくまでも「せざるを得なかった」場合であって、助けに行った結果自分も危険に晒されるので無い場合(特に物語の主人公なら晒される場合であろうとも)助けに行くことが期待されます。
スパイダーマンのベンおじさんが言っていた所の「大いなる力には大いなる責任が伴う」ですね。

特殊能力の無い民間人なら壊される街や踏み潰される人々をほっぽり出して怪獣やスーパーヴィランから逃げ出すのは致し方ないですし、今日食べる分で精一杯のホームレスなら募金しないのもやむを得ないでしょう。
しかし「充分助けられた」のにそうしなかったとなると話は別です、上述の募金の例えがホームレスではなく富豪なら「ちょっとは困ってる人に分けてもいいじゃないか」と思いませんかね?
大いなる責任もそうですが、ノブレス・オブリージュもそういう精神です。

もう一つあるとすればその異世界が「救うに値しない」と読者も(これが重要)感じたなら、という場合ですね。
道端は基本汚物塗れで住民が誰も彼も自己中で下品、女性を強姦して性奴隷扱いする事に何の疑問も無くて、食べ物が悉く不味いし王族は自分らが潤う事しか考えてない上気分で平民をダース単位で虐殺…でもここまでやったとして、面白くなるのは見捨てるより敢えて残って救わんとする場合なんですよね。

その(なるべく肯定的に捉えたとしても)小市民マインドの主人公で話を面白くするって相当に難しいし、まして「優しい」とか評価されるのは無理だと思いますね。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 許される見殺しと許されない見殺しの違い

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元記事:許される見殺しと許されない見殺しの違い

「異世界転移した者が元の世界に帰るっていうのは、異世界より元の世界での生活の方を優先するということだが、まったく悪いことではない。『元の世界に大切な人がいるから』みたいな大層な理由ではなく『早く帰ってAV観ながらオナニーでもして~』とか『単にめんどくさいから』みたいな超個人的な理由でも、だ」をテーマに「異世界転移した主人公が『だり~めんどくせ~わけわかんね~』とか言いながら異世界に興味を持たずさっさと元の世界に帰りたいとしか考えず、最後は放置しておいたら異世界の人間が何人も死ぬような問題が残っていても全く関心を持たず元の世界に帰っていく」という話を描いたら「この主人公薄情だな」と言われてしまったんですがなぜでしょうか?
漫画版デビルマンの主人公はサバトでデーモン化を免れた人間がいても見殺しにしましたがまったく批判されず、サバトでの見殺しに関しては後ろめたさとは無縁のヒーローとして扱われてますよね?
心当たりとしては「他の異世界転移ものは主人公が異世界に関心を持ってなんやかんやするって話が多いから、ここまで主人公が異世界に無関心で帰れるようになったらさっさと帰るって話はウケが悪いのかも」と思ってるんですがどうなんでしょうか。
ついでに聞かせてもらうと、ドラクエ8のストーリーを「賢者の子孫見殺しツアー」とか揶揄する人がいるのはなぜでしょうか?
あれだって漫画版デビルマンが許されてることを思えば何もおかしくないと思うんですが。

上記の回答(許される見殺しと許されない見殺しの違いの返信)

投稿者 バッキー : 1 投稿日時:

話それ自体の良し悪しや他作品と比較して云々というのは兎も角そこから分かる事情や展開だけを鑑みた場合「主人公が薄情」という評価を受けてしまったのは自分からはさもありなん、としか。

第一に「個人的な事情でしかないなら幾らでも後回しにしてしまえばいい」というのがあります。
元いた世界に帰ってエロ動画見るなんて魔王か何かを迎え撃ってからでも遅くはないわけで、まして「一定の時間が経つと元いた世界には帰れなくなる」とか「(敵が強すぎるなど)主人公の力量では到底手に負えない問題である」といった切実な事情(後者なら後者でチキン扱いされるでしょうが)も無く「やむなく見捨てた」という言い訳の余地はとても無い以上、そう評されるのも致し方無い気がします。

あと見る限り主人公のキャラクター性に正直好感が持ちにくいために、悪い側面ばかり目についてしまうという線もあります。
特に極度のめんどくさがりで無関心というのは魅力の出しにくいキャラ造形ですからね、ある意味こういうタイプのキャラを極端に難しくしたようなウォッチメンのDr.マンハッタンは有名ですが、同作のキャラの中で人気がある方かというと…と言った感じで、作中でもコメディアンやシルクスペクターにそのスタンスを批判・非難されたりしています。
面白いキャラにできる可能性はなくは無いですが、共感や好感を得るのは諦めた方がいいと言わざるを得ないでしょう。

カテゴリー : ストーリー スレッド: 許される見殺しと許されない見殺しの違い

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元記事:ハーレムもので「衆道」の導入はアリかの返信

はじめまして、カイトと申します。

個人的にはアリだと思います。ハーレムもの=後宮が舞台、というわけではなく、とにかく主人公がモテてモテてしょうがない、という内容ですよね? 主人公が神の生まれ変わり、というところを初めに強調しておけば、読む側は自然とゼウス神を想像して読み進めるのではないでしょうか。あぁ、あんな感じね、と。
ただたしかに、「ハーレムもの」と銘打って公表すると、期待した読者を裏切ってしまうという可能性はあるかと思います。タイトル等でどっちもイケる方であることを明らかにしておいた方がいいかもしれません。

自分もハーレムものってほとんど読んだことなくて、wikiで調べてみたら朝ドラの「ちりとてちん」もそのジャンルに含まれているのに驚きました。(確かに紅一点だけど)
ご質問を読んで少し気になったのは、「主人公の目的はなんだろう、なんのために同性異性問わず手を出すのか」ということでした。
ハーレムもののハーレムって、状況であって主人公の目的ではないのかな、と思うのです。主人公が目的達成する過程で、その人柄等に惹かれた人々がハーレムを形成するわけで、ハーレムそのものは(少なくとも建前上は)副産物ではないのかな、と思うのですが、どうなんでしょう。
もちろん「老若男女をそろえたハーレムを、俺は作る!」という目的を持った主人公なら、ハーレムそのものが話の主軸だとは思いますが。

すみません、ご質問からずれてしまった上に、自分自身がハーレムものってよくわかっていないので、見当違いな指摘かもしれません。スルーしてください。

上記の回答(ハーレムもので「衆道」の導入はアリかの返信の返信)

スレ主 バッキー : 0 投稿日時:

返信ありがとうございます、そして、返信遅れてすみません

> ご質問を読んで少し気になったのは、「主人公の目的はなんだろう、なんのために同性異性問わず手を出すのか」ということでした。
神側の人格としては単純にみんな気に入ったから、主人公のヒト側の人格としてはカイト様が言うように結果的にそうなったという側面が大きいです。

カテゴリー : キャラクター スレッド: ハーレムもので「衆道」の導入はアリか

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元記事:殺人ものはどこまで許されるのか

お久しぶりです。
殺人ものというのは、要はGANTZみたいな感じの殺戮小説はどこまで許されるのでしょうか。
性的表現が規制されるのは分かるんですが、グロテスクな小説で規制されているのって知らないんですよね。
私、将来は地球みたいな星が何万何億とある世界観で、星一つ潰すような殺戮ものが書きたいんですよ。
いっそね、大切な登場人物を主人公ただ一人にするのなら、殺戮でもいいんじゃないかと思いついてしまったんです。
それでやはりどこまで許されるのでしょうか?

上記の回答(あまくさ氏への返信も踏まえた追記)

投稿者 バッキー : 0 投稿日時:

> もしもではない、起きるかもしれない不安を抱えさせて、作品をいつまでも心臓の根に絡み付かせたいんです。
こういうコンセプトがあるとなると、舞台設定のスケールをいたずらに拡大するのは却って逆効果という気がします。
何せリアルな殺人鬼や実在感の強い怨霊さえ他人事と割り切れる人は、宇宙がどうこうという話はもっと割り切れてしまいます。
何故ならいくら科学が発達したと言っても星一つ粉砕するくらい訳ないようなレーザーやヨグ=ソトースやサノスのような超存在というのは先に挙げた殺人鬼などと比べて「そもそも実在しえない」という大きな壁があります。

数えきれない程大勢を殺すというのもまあ、おススメは出来かねます。
いくら大勢を殺しても結局他所で起きている以上は他人事なんです「作中世界の人類の八割が死に絶えた」と語られる進撃の巨人終盤の地ならしでさえ例外ではありません。

カテゴリー : 設定(世界観) スレッド: 殺人ものはどこまで許されるのか

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元記事:作中の生活を描くとき、必要なことの質問です

映画のロードオブザリングの冒頭を見ていて思ったのですが、話の始めに作中の生活を端的に示すのに必要な要素って何でしょうか?

作品によるでしょうが、
自然、作物、人々(見た目とか価値観)、超能力的なもの(魔法とか)、かなと思ったりもするのですが、確信が出来ません…

あまり何でもかんでも描いても邪魔臭いし、逆に端折ってしまったら伝わらない……気がしますし…

それと、作中生活を上手く伝えてくる作品も教えてもらえると有難いです。二つも質問があって申し訳ないですがよろしくお願いします。

上記の回答(作中の生活を描くとき、必要なことの質問ですの返信)

投稿者 サタン : 5 人気回答!

雰囲気を書く冒頭は、何気なく読んでるだけだと「雰囲気が書かれてるだけ」ですが、しっかり紐解くと結構計算されて書かれています。

指輪物語の冒頭はうろ覚えですが、確かホビット族の祭りの様子をクライマックスとして彼らの生活の様子が書かれていたと思います。
これはファンタジーですが、ファンタジーと言っても様々。
例えば、魔法はどのくらいの魔法があるのか、彼らの生活はどのようなものか、主人公はどういう人物か(立場や人格もろもろ)、など。
冒頭ではわりとすぐに魔法使いが村にやってきて、子どもたち相手に花火のような魔法を見せてみたりして「ファンタジー世界の魔法」を提示しています。
お祭りという地域の文化が顕著に見られる場面を書いてその生活を表現しています。
それらを主に主人公の視点から描写していくことで主人公の性格を描写し、この祭りが終わるタイミングで主人公は指輪を手に入れ、それを破壊するための旅に出ることを決意する。
つまり祭りの終わり=序盤の終わりで、わかりやすく主人公の平和が終わって過酷な旅へ状況がシフトしたことを表現しています。

指輪物語の序盤でとても感心できるのは、この「祭りの様子を書いた」という部分ですね。
「ホビット族のお祭り」というテーマで一個の物語が出来てる。それが終わることで序盤は終わってるでしょ。
賑わう楽しい雰囲気が終わることで、主人公の平穏も終わるって内面の描写も出来てる。
うろ覚えなんで詳細は忘れちゃったけど、確か主人公の描写についても、その村での主人公の立場とか性格が如実に現れてるエピソードなんかが小まめに入ってたと思う。
叔父さんが指輪を使ってイタズラすることでガンダルフに注意されるっていう、脇役サブキャラの性格描写もあるし、テーマである「指輪」を上手く使いキャラ関係がよくわかる良い序盤でした。

作品のキャラクターの生活を端的に示す、というのは、読んでるだけでは「生活の様子が見えるだけ」ですが、実際にはかなりいろいろな要素が詰め込まれています。
それら要素を「日常生活」というテーマで上手くまとめた、という序盤が、我々がよく目にする「生活を端的に示している冒頭」だと言えるでしょう。

これは結局は「戦闘シーンで主人公の活躍を書く」という主旨と同じで、それを単に「日常生活で主人公の活躍を書く」に変えたようなものです。
「書きたい事」があって、それを「戦闘」でまとめるか「日常」でまとめるか。という違いがあるだけ。
戦闘シーンも、戦闘してるだけでは面白くない。
日常シーンも、生活の様子を端的に示しただけでは面白くないということです。

では、その「さまざまな要素」ってのは何かっていうと、お察しの通り作品様々です。
というのも、これは「書きたい要素」から来るためですね。
作品ごと作者ごとに何を押し出したいかは違うので、これだと断言することは出来ないでしょう。
ただ、傾向としては「その作品のテーマないしキーになるもの」や「主人公・主要キャラの描写」を重視することが多いと思います。
「頼られる主人公」を書きたければ、序盤からアレコレ助けを求められるシーンを書いたほうがいいですよね。
そういう主人公ってことがわかりますし、それが主人公にとっての日常だということがわかる。
……まあ、だからこそ、ただ読んでるだけだと「日常風景を書いてるだけ」って考えちゃうわけだけど。
実際は、序盤に大事件があるような展開とさして変わらないほどいろいろ考えなきゃならないし、それ以上に詰め込まなきゃならないからまとめるのが大変だし、そのくせ読者には「日常から始まってる」とあまり良い印象を与えられなかったりもするし、「キャラ描写から始めたい」などしっかりした考えがない限り、意外と大変な冒頭になります。
例えばさ、「ファンタジー世界にどれほどの魔法があるのか」というのを描写するとき、戦闘シーンで表現するのと日常シーンで表現するのどっちが楽? って言ったら当然のこと戦闘シーンだよね。
でもそれを日常で表現しなきゃならないのが、「日常シーンなど生活風景から始まる冒頭」で、アイディアを練るのがすっごく大変。

無論のこと、冒頭でなければ表現しやすいシーンに表現しやすい要素を入れて書けばいいだけだから、日常シーン全般が大変だって話ではありません。
基本的に読者は「物語」を読んでいるんであって、世界観などの設定を読んでるわけではないので、日常シーン(生活風景)は、あくまで「日常がわかるエピソード」と考えれば良いだけです。
「頼られる主人公」が「日常ではこんな感じのエピソード」というだけ。
「書きたい要素」が「日常」ではどんな様子か、そこにどんなエピソードがあるか、それを探して書いていくことが重要です。
……なので、冒頭で伝えなければならない要素が「日常」に合わない作品の場合、日常から始めるのはすんごくしんどい。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 作中の生活を描くとき、必要なことの質問です

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投稿日時:

元記事:代名詞を使用する頻度

皆さん、初めまして。
早速質問させていただきます。

賞に応募しようとしているのですが、
私の作品には、数行の間で『それ』やら『この』などの代名詞を多く使っている部分がありまして。
とある記事で、下読みさんは代名詞を乱用する作品を好ましく思わないこと、なるべく使わないようにすること~などが書いてありました。

やはり無理矢理に直した方がいいのでしょうか。でもそうしたら、リズムなどが狂ってしまって、おかしな気分がになるのです。
どうしたらいいのでしょうか? お願いします。背中を後押ししてください!

上記の回答(代名詞を使用する頻度の返信)

投稿者 サタン : 2

代名詞ではあるけど、「彼」「彼女」なども代名詞に入るので、中でも正確にはコソアドを指しているのでしょう。
「それ」「その」がおそらく一番多用されると思うけど、「それ」と言われると「どれ」なのか読者は判断しにくい。
つまり、読みにくい。

しかし、コソアドは、例えば「彼が彼女に対して感じている感情は」と書いてあるとすると、「それは」というのは「彼が彼女に対して感じている感情」を指しているわけで、長い文章を省略して「それは恋愛感情ではない」と短く簡潔に書くことができる。
または同じ主語が続く場合、「それは」と代名詞にすることで文の音の流れを良くすることもできる。
コミュニケーションを円滑に進めるための非常に優秀な単語だと思います。
よって、「使ってはいけない」というわけではありません。

少し見方を変えて助詞に注目してみると、「それは」「それが」、あるいは「その◯◯が」といった形での使用が多いでしょう。
つまり、「~~は」「~~が」という使い方なので、これは更に正しく言うと「主語」の扱いを問題にしています。

例えば「魔法で火炎の弾を作り上げる」という文に対して「狙いを定めて、その弾を敵に投げつけた」と書いてあると、わかりにくい。
「狙いを定めて炎弾を敵に投げつけた」と書いたあったほうが、わかりやすい。
一方で、よくあるのは黒幕を「あの人」と表現する場合。誰なのかわからないが「あの人」と言ったら黒幕しかいないため、「あの人が指示した事だ」と書いてあっても問題ない。何を指しているのかすぐにわかるから。

つまり、「わかりにくい代名詞」が問題になっているわけで、それというのは主語の扱い方が問題である、という話かと思います。
この「わかりにくい代名詞」を明確にしようと考えれば、「コソアドを極力使わないほうがいい」という助言になるでしょう。

また、コソアドは乱用すると「その時、彼はその感情を」など、「その時」は時間を示していて「その感情」は感情を示していて、一文ないし一つの話題の中にあって代名詞がそれぞれ別のものを示しており、わけがわからない文章になったりする。
コソアドは「時間」「場所」「事象」「人物」など様々なモノに対して適用できるため、便利すぎるので多用するとわけがわからない事になってしまいます。

この例は主語の扱いではないけど、文章の中で最も重要なのは「誰が」「何をしたのか」という事なので、主語と述語が大事です。
コソアドは主語に対して乱用しがちで主語が不明になると一気にわけがわからなくなる。
一方でコソアドは便利で優秀な言葉であり使ってはいけないわけではない。
なので、基本的には主語に対しての使用を気をつける、という程度で良いのではないかなと思います。

ぶっちゃけ、コソアドの乱用を控えると、一気に文章がこなれてきます。
主語が明確になってわかりやすくイメージしやすい文章になるためですね。
そういう観点から見ても、乱用してると感じるのであれば控えたほうが良いでしょう。
再三書くけども、決して「使ってはいけない」というわけではありません。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 代名詞を使用する頻度

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投稿日時:

元記事:話の筋を作りながら物語のテーマにぶち当たるまで思いつくままに書いていていいんでしょうか?& アスペルガーの作者がアスペルガーを題材にしていいんでしょうか

どうも竹牟礼です。
「一番合戦 仁」というペンネームでやっています。

紛らわしいのでこちらの名前にすることにしました。

以下長文失礼します。

一つ目の質問です。
僕には小説の師匠がおりまして、 人となりを簡単に説明しますと、 かつて11人体制のプロジェクトを組んで途中で頓挫したという経歴を持つ、そこそこ経験のある現役同人小説家です。
( 現在は神話系の話を書いてるそうです)
そんな彼の指導のもといつも書いているのですが、彼のアドバイスで「本当にこれでいいのか?」と思うものがありました。

別スレッドでも少し書きましたが、「テーマというものは物語の最後でぶち当たるものだからどんどん書き進め。 出来上がったものが面白くなくても話の筋はできているはずだ。 それをたたき台にして推敲すればいい」 というものでした。

僕の作品のあらすじを以下に少しだけ説明させていただきます。

アスペルガー症候群を持つ主人公が七つの種族が治める異世界へワープし、謎の少女を暴漢から助ける。
事情をよく聞いてみると、彼女たちの種族は差別されていて、 村は差別主義者に焼かれて両親も焼き殺されたという。
お兄さんは破壊神の力に取り憑かれていて、各地に災いを振りまいてるという。
そのお兄さんを探しに 二人は旅に出る……、と言うお話です。

そ師匠の言う通り書いてみたのですが、やはり自分の作品が書いていても面白くないし、見ていても面白くないのです。
計画通り進んでいると言えば聞こえはいいですが違和感を禁じえません。
本当にこの書き方でいいのでしょうか?

二つ目の質問です。

(先に断っておきますが僕はアスペルガー症候群の当事者です)

先にも書きましたが アスペルガーの主人公が僕の小説に登場します。

軽々しく表現するべきじゃないことは重々承知しておりますが、ライトノベルの業界では「アスペルガー」という単語が出てきたことは過去一度もないでしょう。
一般文芸を見渡してもそうそうそんなタイトルは見つかりません。
( もしそんなテーマで売れてるのであれば 本に疎い人であっても誰の耳にも入っている筈です)
「発達障害×ファンタジー 」 というジャンルはまだまだ未開拓であり、うまく料理すれば僕にしか作れないとても面白いストーリーになるではないかと僕は分析しました。
いわば諸刃の剣です。
下手くそなものを書いて発表すれば確実に 身を滅ぼしかねないほどバッシングされます。
( 僕はよく知りませんが、筒井康隆のてんかん騒動とか)
少なくとも通常であれば素人や定型発達の人が扱う代物ではありません。

なのに、せっかく主人公は『アスペルガー症候群』という設定にしたのに設定自体を物語に絡めることができないのです。
それ単体でもかなり重い要素なのに、そこに破壊神、人種差別、 と重たくて暗い要素が加わり、作品全体がまとまってないような気がします。

そろそろ質問したいことのまとめへ移りましょう。

1.アスペルガーの作者がアスペルガーの 主人公を出していいのか?
また、アスペルガーの作者が、 実体験をもとにアスペルガー症候群を題材にしていいのか?

2. 「物語のテーマにぶち当たるまで話の筋を掴みながら場当たり的に書いていき出来上がったら推敲する」という書き方でも大丈夫なのか?

色々と書き連ねてきましたが、以上の2点について質問したいと思います。

どうぞお手柔らかによろしくお願いいたします。

補足: 僕は本気でかつて自分にも向けられた発達障害に対する差別や偏見を、他でもない自分のペンによってぶっ壊そうと思ってます。
ですからアスペルガー症候群という症名も バンバン出して行くつもりでいます。
カテゴリーエラー起こしてるのは重々承知です。
そうでなければこの世の中は変わりません。
いくら大人に読まれる内容の本をアスペルガーという題材で書いたとして、 理解するのは大人であり 10代20代に響きません。
そこで感化された大人がいくら動いたとしても、イジメはなくならないのです。
かといって療育の専門家が10代向けに書いた説教臭い教育本なんて、誰も読みはしない。
ならどのようにして彼らに訴えかけるべきか。
答えはただ一つ。
彼らが一番よく目にするライトノベルというジャンルに 発達障害というキーワードを以て一石を投じる必要があります。
僕がそのつもりで書いていることをご了承ください。

上記の回答(本人の経験をもとにしていいか、師匠とはどういう人か)

投稿者 【本人から削除依頼】 : 1

 以下、出来る限りのことを申し上げておりますが、門外の者ですので、間違いもありましょうし、誤解もあるかと思います。また一個人の考えでもあります。予めお詫びし、ご了解、ご高察をお願いいたします。

―――――――――――――――

> 1.アスペルガーの作者がアスペルガーの 主人公を出していいのか?
> また、アスペルガーの作者が、 実体験をもとにアスペルガー症候群を題材にしていいのか?

 なぜこういうYes/Noの選択にするのか、ちょっと戸惑います(こういう選択肢に絞った経緯が分からない)。ただ、前段で竹牟礼さんご本人がアスペルガー症候群だと自己紹介されておられ、そこからは当事者・経験者だから他人よりよく分かるという実感をお持ちのようです。

 確かに、普段は気にしていない人よりはずっと知識があり、ご自身の経験としては感覚的な細部に至るまで感じ取っておいででしょう。なんとなれば、自分の内心まではっきり分かるのは自分以外にはいないわけですから。

 アスペルガー症候群について、一般的で初歩的なことから考えてみます。専門医がよく参照する臨床基準資料にDSM(「精神障害の診断と統計マニュアル」米国精神医学会編)があるのはご存じだと思います。現在、第5版、DSM-5(2013年~)ですね。
(他に、ICDがあるが、個人的に聞いている臨床への用いられる度合いや、最新版ICD-10ができた時期などを考えて、割愛します。)

 DSM-5からはアスペルガー症候群の記載がなくなったこともご存じだと思います。アスペルガー症候群という括りで診断することが難しく、他の症状と合わせて判断したほうが良い、といったことがあったようです。その辺りの事情は、専門家での議論であって、私のような一般人には分かりません。

 ただ、アスペルガー症候群という症名から、どういう人なのかということを考えるのは難しいということだけは確かだと思います。アスペルガー症候群だからどうこうと、肯定的、あるいは否定的、さらに差別的に考える一般人がいたとしたら、もう専門医でも諦めた判断に固執し、勝手なイメージでやってしまっている可能性が高いと判断すべきでもあると思います。

 ですので、フィクションであっても、「主人公はアスペルガー症候群です。だからこういうキャラなんです」といった描写は、誤解を広げないように書くのは非常に難しいと思います。専門医に近いレベルの知識と経験が必要ではないでしょうか。

 なお、これは当事者団体などの活動とは別の話です。生きづらさがあって診察を受け、アスペルガー症候群だと診断され、だからといって生きづらさは解消されない。周囲から差別的扱いも受ける。だから、当事者で集まって問題を解決していこう。それは、非常に大事で、DSMの改定が悪影響を与えないようにしなければなりません。

 竹牟礼さんが構想してお出での物語で、当事者の苦しみの部分にスポットを当てるのなら、問題は起こしにくいかもしれませんね。それも、ご自身が経験したことに限定して、内面含めて描くのなら、さらに問題は少なくなりそうです。

 簡潔に言い直しますと、アスペルガー症候群という括りで一般的に創作してしまうと、傷つく人、困る人、誤解する人が多数出そう。ある一人のアスペルガー症候群の個人的な経験として創作するなら、あまり問題ない創作をすることはできそう(注:できそう、であって、個人経験にすれば何を書いても大丈夫、とはならない)。

 もう少し枠組みを広げて考えてみます。精神医学の本はどれくらいお読みになった経験がおありでしょうか。一般向けのものではなく、大学の医学部で教科書になりそうなものや、臨床心理士が読むようなものです。

 総合的な精神医学教科書を2冊ほど読んだことがあります(他にハンドブック的なものも読んだが、症名の浅い解説程度で参考にならず)。それと臨床心理士向けの参考書。年長の作家志望の知り合い(その後、商業デビュー)から、狂気がないと、少なくとも狂気が分からないと小説なんか書けない、というアドバイスを受け、分からないので読んでみたのです。

 ちょっとびっくりしました。主に2点です。1点めは、どの症状も大なり小なり自分に当てはまるものがあること。もう1点は、まるでフィクションのキャラを解説してるんじゃないかと思えたことです。

 どういうことかと思ったんですが、理解に至る手がかりは精神医学教科書内にありました。異常という状態を舞台に置き換えた喩えがあり、舞台全体を均等に明るく照らしているのが普通の状態だとすると、失調した状態は舞台全体が暗くなったり、一部にだけスポットライトが当たっている状態との説明でした。

 さらに、バス停の喩えもありました。いつも定刻より30分遅れてバスが来るバス停がある。ある日、たまたま定刻通りにバスが来た。いつも通りでない観点からは異常事態と思えるが、定刻通りが本来だと考えると、他の日はずっと異常だったと思える。つまり、価値判断基準次第でどちらにも変わってしまう。

 フィクションだと、キャラの一面を強調しますし、そのために誇張もしますよね。現実にはいそうもない奇矯なキャラはフィクションに数多といます。例えば、照れるたびに主人公を張り倒すヒロイン、なんてちょっと前はよくあったりしましたが、現実にいたら大変です。

 そういうキャラでも理解できるのは、読んでいる読者自身にも、可能性としてはあるため、推測可能だからでしょう。この点は、構想されてお出での物語が読者に理解される可能性を示唆します。しかし、理解できるために非常に誇張されて、現実では見当たらないほどの奇矯なキャラも大勢いるわけです。むしろ、どんどん奇矯にしていかないと、面白みが出ないほどです。

 力を尽くしてアスペルガー症候群の主人公を描いてみたら、ごくありきたりのキャラだった、なんてことになる可能性は低くありません。

 それでも、お考えの差別をぶっ壊すという点が魅力にならないか。構想の重要なポイントの一つのはずですね。現実だって、誰かを虐げるより、一緒に笑うほうが楽しい。それは、笑うからではなく、悪いことをしていないから、つまり罪の意識を感じないからですね。フィクションで得た感覚と知識を現実にも持ち込んで、もっと嬉しい。そうなる可能性はあります。

 しかし、注意点も考えておくべきでしょう。多くのフィクションでは問題を解決しています。奇矯なキャラも、周囲、特に仲間とやっていけるようになるラストが多いわけですね。そう考えると、もう先行例が数多とあるわけです。むしろ、フィクションの大多数がそういうもの。その中で勝ち残れるだけのものがあるか、よく考えておくことが必要だと思います。

 なお、作者本人がアスペルガー症候群だから、というのは小説を補強するものにはなりません。そこをセールスポイントにしてしまうと、作者の魅力込みで小説を読んでもらうことになります。有名人ならともかく(「ああ、これをあの人が書いたんだな」という快感が生じる)、我々無名人では無理でしょう。

 それに、アスペルガー症候群をよく知らない人がターゲット読者層ですよね。知らない人だと興味を引くことすら難しい。タイトルや内容梗概に興味を引かれて読み始めるのは、おそらくかなり知っている人です(だから、もともと差別的ではない点も、ターゲット読者層から外れてしまう)。

 難しいですが、読み始めてもアスペルガー症候群がテーマに含まれているとは分からず、読み終わってから「主人公はそういう人だったのか」と分かり、何らかの感慨を残すように書ければ、成功できるような気がします。

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> 2. 「物語のテーマにぶち当たるまで話の筋を掴みながら場当たり的に書いていき出来上がったら推敲する」という書き方でも大丈夫なのか?

 これは「師匠に師事する」ということだと考えて、回答を考えてみます。師匠ってどういう存在なんでしょうか。「教えますよ」と宣伝して、入門者からお金を取る師匠なら、フィットネスジムのパーソナルトレーナーみたいなものです。弟子の希望を叶えるために教えてくれる。

 一方、尊敬できる仕事をしている人に、「弟子入りさせてください」と頼み込んで師匠になってもらうような場合だと、全く異なりますね。

 師匠は弟子の希望を聞く義理はありません。師匠のレベルに達したい弟子が、師匠についていかねばなりません。師匠は何の譲るところもない。「自分はこうしているんだ。お前も同じようにやれ」です。

 もし、「師匠から自分のやりたいことをダイレクトに教わりたい」とお考えなら、やりたいことを教えてくれない師匠からは離れるべきでしょう。そうではなく、「この人のレベルに達したい、この人からは小説がどう見えているか垣間見たい」とお考えなら、自分を曲げてでも師匠に倣う(習う、ではない。念のため)べきでしょう。

カテゴリー : 小説の批評依頼 スレッド: 話の筋を作りながら物語のテーマにぶち当たるまで思いつくままに書いていていいんでしょうか?& アスペルガーの作者がアスペルガーを題材にしていいんでしょうか

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